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星野百合がその場に到着した時には、勝負はすでに決していたと言っても過言ではなかった。
圧倒的に有利だと慢心した相手を崩すのは、そう難しいものでは無い。劣勢に見せかけた勝利と言うのは、幾度となく体験した身だった。
「ローグ2!? ……今の魔法は!?」
「形成魔法と攻撃魔法の複合型だが? 魔法学園の教師舐めんな」
右手から血を流しつつも、冷酷な表情を見せつける林は、二人目の男を淡々と処理していた。戦闘前、予め作成していた罠のような形成魔法に上手く誘導し、発動。待ってましたと言わんばかりに、雷属性攻撃魔法を発動し、二人目の男を気絶させた。一人目は、アメリカから来て先日教師免許を取得した新人教師が上手くやっているだろう。
「右手は……まぁチップって事で勘弁してやるよ。倍にして返してもらうがな」
「さっきまでの飄々とした態度は……まさか、全て演技か!?」
「演技ィ!? マジで痛いに決まってんだろ阿呆が! こっちは右手捩じ切れてんだぞ!」
途端、暴言をまき散らす林。
「この、教師……」
男には、分からない。どれが本当の彼の顔なのか。策略家なのか、本当に偶然で、ただの賭けが大好きな気の抜けた魔術師なのか。ただ一つ分かるのは、上手く嵌められたと言う、絶望感だけだった。
故に、道化師のようなニヒルな笑みを、林は見せつけていた。
「それで、どうする? ――大人しく降参してくれれば万々歳なんだが。それはまあ、少なくとも俺からすりゃあの話だけど」
続いて林は、真剣な表情へとすっと戻る。
「!? お、おのれ……!」
逆転負け、と言う忌むべき悔しすぎる結果を前に、もはや男はムキとなって抵抗する素振りを見せてきた。――本当は最初から、勝ち目などなかったと言う事には、気づくこともなく。
「あーあ。相手のペースにまんまと乗せられちまって、もう完全に魔術師失格だわ。お前さん」
林は左手を持ち上げ、薄ら笑いを浮かべる。傍から見れば、どちらが悪者なのか、全くもって判別がつかない状況であった。
《ルミナイズ》。林が戦いの終結の知らせとして発動した魔法は、眩い白の光を放っていた。魔法式より発生した光の粒子が、男の目を眩ませ、怯ませる。
「いやマジで痛ぇ……。身体中の魔素も血もすっからかんだ……。魔法ってのはこれだから……」
三人目の男をそうして気絶させた林もまた、ふらりと、おぼつかない足取りでよろめく。一人は魔法の檻の中で、身体を麻痺させたままだ。身体の力が実感をもって抜けており、弱小な火属性の属性魔法も発動できないだろう。燃費が悪い、それに尽きる。
「作戦は成功でしたね、林先生」
一方、余裕そうな足取りで歩いて来たのは、百合だった。
「は、林先生!」
向原が起動していた防御魔法を解き、歩道のガードレールに向け倒れ込む林の背中を受け止め、共にしゃがみこんだ。
「百合先生。そっちに逃げた男は……?」
「ご安心を。しっかり捕まえましたよ? それより私、汗少しかいちゃったしシャワー浴びたいかな」
「星野さん……」
「ははは、ナイス……」
ため息をついた向原に支えてもらいながらの林は、百合の発言に苦笑しつつも、よしと頷いていた。
「ま、俺様最高に格好良かっただろ……? お二人さん」
汗を滲ませた顔を上げ、林がどうよ? と向原を窺い見る。
向原と目が合うと、その頬は、少しだけ赤らんでいた。が、すぐにハッとなった向原は、
「ええ。それじゃあ、まずはダニエル先生の所に行って治療しましょうか、林先生」
「? な、なんか冷たくない?」
「冷たくてごめんなさい。私、゛暴・力・女゛! なんですから、ね!」
ぐいと、向原は容赦なく林のワイシャツを引っ張る。
「ちょっ、タンマ! 頼む痛い痛い! 右手皮一枚の状態だから!」
「触らぬ神に祭りなし、かな?」
「そのことわざなんか微妙に違うぞ百合先生!」
「ツッコみを入れる元気があるのなら、大丈夫そうね。この三人は私が学園まで収容しておきます。さてさて、事情をたっぷりと訊かなくちゃ。なんだか、面白そう……」
男たちを眺めつつ、くすくすと笑う百合の笑顔の前。林がぞっとする一方で、向原はほんの一瞬だけ、ほっと安堵したような健やかな表情を、見せていた。
「ああやっぱり、優しい女の方が良いぜ……。年下なのに……」
「……フン!」
「痛っ!?」
……林の余計な一言さえなければの話だったが。
※
北海道の市街地のホテルに、誠次たち三人組はチェックインする直前であった。今日はここに泊まり、明日の朝にオーギュスト魔法大学に着く予定だ。
現在時刻は午後四時過ぎ。豪華な内装を誇るシティホテルの窓から見える外の空は、もうすっかり橙色となっている。室内にいなければならない時間だ。季節的に冬が近づき、昼は早く、夜は長くなる事によって夜間外出禁止法も、その制限時間を変えていた。
「ん?」
ホテルのロビーにて、ズボンポケットに入れていた電子タブレットが震えていたことに、誠次は気づく。相手は登録していない番号であり、不明だ。
「デンバコに着信だ」
誠次が電子タブレットを取り出していると、眼鏡を掛けた波沢が、誠次を見る。
「出てていいよ? 私は自分と香月さんのお部屋のチェックイン済ませちゃうから。香月さんも、疲れちゃったと思うし、どこか座ってていいからね」
「すみません」
(ありがとうございます)
誠次が頭を軽く下げると、香月も《インビジブル》を使用したままぺこりと頷き、その場を離れていく。誠次も、飛行機での数時間の移動。そしてそこから歩き続けていたので少し疲れており、ホテルの大きな丸い柱に背中を預けていた。周囲をちらと見れば、明日の祝日を利用した観光客だろうか、家族連れの人や、すでに浴衣姿の人が多くいるものだ。
『女の子二人とのいちゃいちゃ旅行楽しんでるか―、剣術士』
気の抜けるような男の声が、ホログラム映像よりした。通信の相手は、ヴィザリウス魔法学園の1-A担任教師、林政俊だった。
「林先生? 何でしょうか?」
まさか担任教師から連絡が来るとは思っておらず、誠次は少し挙動不審となり、周囲をきょろきょろと。
ニヤケ面の林の背景はなぜか保健室で、誰かが近くで話している声も聞こえる。――真剣な声だ。
『まさか春に戦った二人が、こうして秋も深まる中慰安旅行とは。なんかこう、運命感じちゃうな……?』
だが、林当人はお気楽そうにそんな事を言ってくる。
「用が無いなら、切っていいでしょうか?」
まさか暇つぶしの話相手の為に自分の生徒に連絡を掛けたのではないかこの担任は?
そう直感した誠次は、目を細めて林を睨む。
『ちょっと待て! 成績下げるぞコラ! 数学!』
「全然関係ない科目っ!?」
『ふざけている場合ですか!?』
ホログラム画面の向こうから、女性の声が重なる。ばしんッ、と林の頭を叩いたのは、林の傍がお馴染みとなりつつある事務員兼先生の、向原琴音だった。
イイ音したなぁ……と心の中で、向原の拳だけは絶対に喰らいたくないと思う誠次であった。
『天瀬くん、そっちは何ともない?』
林が持っていると思わしき電子タブレットの画面をぐいと押し退け、向原が訊いてくる。
「? なにも無いですけど。……地震か何かでしょうか?」
周りの人を見渡してみても、そのような騒動の気配は感じられなかったが。
ホログラム画面の光景には、少しの緊張感が見てとれる。
『魔法学園にお客さんだ。本城千尋目当てのな。魔術師三人組だ』
「!?」
誠次の黒い瞳が、林の言葉を聞き、微かに動く。
『安心しろ。三人とも捕まえて事情聴取中だ。被害はまあ、この俺の右手だけだな……』
顔を伏せ、林が忌々し気に言う。
まさか、と思った誠次は、
「林先生……。まさか、右手が……!?」
『フ。煙草吸うのが少し面倒なだけだ……』
「林、先生……っ」
『吾輩の治癒魔法ですぐ治ったがな』
「へっ?」
林が醸し出していた神妙な雰囲気をぶち壊し後ろから姿を現したのは、白衣姿のダニエル保険医である。よく見ると、林はベッドに腰掛けており、その左右に向原とダニエルがそれぞれ立っていると言う構図だ。左の向原は、白けた表情をしている……。
『本気にしたな? 剣術士お前今本気で俺の事心配したな!?』
林がとても嬉しそうに上半身を起こし、このこのと訊いて来る。
「は、嵌められた……っ!」
道化師め、と誠次は心の中で忌々しく思ったが、それもすぐの事。
『まぁこっちは大丈夫だ。だがお前の身体は一つだけなんだし、守るってのも限度があるだろ?』
「……はい」
事実だ。守るとは言ったが、こちらの身体は一つだけだ。今回のように、離れた場所からでは対応できない。
「みんなは俺が守ると、言ったのに……」
柱に握りこぶしを押し付けるようにし、誠次は呻く。
『おいおい、そう落ち込むなよ。逆だ逆』
「え?」
『安心しろって事だ。そう簡単に魔法学園の生徒には手出しさせねえよ。女子優先で』
「あ……。はい」
思わず苦笑してしまった誠次を見て、林は満足したのかニヤリと笑っていた。何事も無かったかのように綺麗な林の右手が見え、誠次も安心していた。
『しっかし。大臣の娘ってだけで大変だな、本城千尋も……。今回の襲撃事件はまだ当人には知らせてねぇが、知ったら知ったで、自分のせいで大切な林先生がっ! ……なーんてなりそうで嫌だな』
「……」
『……なんだ、その意外そうな顔は?』
事実を指摘され、誠次は反射的に背筋を伸ばす。
「……驚いたんです。俺はそこまで、気が回らなかったと言いますか……」
確かに、自分が狙われると知ったら、彼女はきっと自分の事を負い目に感じてしまう事だろう。それでも周囲には気丈に笑顔を、振り撒く事だろうが。
「本城さんの事、考えているみたいで……」
『一応、担任だしな。お前もまだまだだな。さて、反省会はここまでだ』
林の言葉に、誠次も気を引き締める。今やるべきことは、次に備えること。それが二人の中での共通意識だった。
「はい。襲撃犯は、やはりレ―ヴネメシスでしょうか?」
誠次の頭の中で、その単語が真っ先に浮かぶ。朝霞は倒したが、なにも組織そのものを潰したわけではない。
『確かにレ―ヴネメシス共は、親御さんである魔法執行省大臣、本城直正を狙っている。可能性としては一番高いが、どうだかな……』
「と言いますと?」
『奴らの魔法戦技能の高さだ。ちょっと油断してたとは言え、俺の右手を吹き飛ばしやがった。そして何より奴らは、複数戦における魔法の詠唱を必ず行っていた。つまりは魔法学園に通い、戦闘経験を積んだプロだ』
味方を交えた複数戦における詠唱の重要性の事は、誠次も知っていた。旧来の銃撃戦で言う、同士撃ちを防ぐための発射前の掛け声のようなものだ。
アルゲイル魔法学園の体育館の戦いでは、まだ学園で実戦形式の授業を受けておらず、詠唱の事を知らない香月とは違い、八ノ夜は行っていたなとも思い出す。――本人の名誉の為にも、決して格好つけていると言うわけではないはずである。
『まあもちろん。テロリスト共もまだそれほどの戦力を温存していた、って線も考えられるけどよ。――お?』
林が視線を上げている。方向的には、保健室の入り口の方だ。
『終わったか? 百合先生』
『ええしっかりと。あら、誠次くんじゃない? 元気?』
さらさらと長い髪を靡かせ、笑顔の星野百合が姿を現す。正式採用が決まってからよく、学園の中で姿を見かける人となっている。
「はい。百合先生も相変わらずお元気そうですね」
『わかっちゃう? 実はそうなのよ。北海道お土産、待ってるからね?』
『星野さん……生徒からお土産を巻き取ろうとしないでください……』
向原がやれやれとため息をこぼしていた。
『そうそう。尋問の結果よ』
百合の表情が、瞬時に真剣なものとなる。
誠次も含め、映像の中の教師陣も、息を呑んでいる。
『……何も話してくれなかったわ。とある幻影魔法も試してみたけど、口を割ってくれないの』
『そんな……』
「そう、ですか……」
向原と誠次が肩を落としていたが、林とダニエルは目を合わせ、何かを確認するように頷いていた。
『これまた逆だ、向原、剣術士。百合先生の幻影魔法でも口を割らなかったってことは、相当な訓練を積んでいる相手だってことさ』
『十分に注意するのだ、天瀬誠次君! 夜間外出禁止法さえなければ吾輩が飛んで行くところだったがッ!』
『とりあえず学園の事は安心して頂戴。誠次君は誠次君で、自分たちの身を守る事に徹してね?』
「はい。初めからそのつもりで、レヴァテインを持ってきたんです。波沢先輩も香月さんも、何があっても俺が守ってみせます」
誠次が眉根を寄せ、ハッキリと言う。
それを聞いた林が、待ってましたと言わんばかりに、何やら口角を上げる。
『よろしい。じゃあ百合先生、向原先生。少し席を外してくれないか?』
『? いいですけれど』
『私は尋問の続きをしなきゃ。楽しいわ』
(楽しい……?)
ルンルンと上機嫌で画面から消えていく百合と、それを冷ややかに見つめながら、後を追って去っていく向原。画面に残ったのは林とダニエルだけとなっていた。
「なんでしょうか?」
『話の前に剣術士。香月と波沢は今近くにいないか?』
つまりは女性陣を捌けさせたい、という事か。誠次は周囲をもう一度見渡す。
香月はホテルロビーの大きな噴水の前におり、何やらその水溜まりを興味深げに見つめている。波沢はソファ椅子に座ったまま、休憩しているようだ。おそらく手続き待ちだろう。
「いません」
『本当にか?』
やけに慎重な林の言葉に、誠次は訝しく思いながらも「本当ですって」と返していた。女性陣を外してまでの会話とは、一体何なのだろうか?
『よし。一度しか言わないからよく聞け。剣術士お前、今日の夜香月と波沢と同じ部屋で寝ろ』
「……え――」
『一度しか言わないと言ったな? 以上だ』
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
口をパクパクとして唖然とした誠次を前に、林が笑いを堪えているように口元を抑えていた。してやったり、と言わんばかりである。
「いやいやいや! それは色々と問題がありますっ!」
『一番近い場所で女の子二人を護衛するんだ。こっちが狙われた以上、そっちで何が起こるかわからんからな』
それともなんだ? と林はおそらくわざときょとんとした顔をしてから、
『まっさかお前、思春期じゃあるまいし、なんか卑猥な妄想でもしてんのか~?』
「ばりっばりの思春期だと自負しておりますが!? 卑猥な妄想をしてしまっているからこそ問題があると言っているのですけど!?」
『青臭ぇな……。良いだろ別に。だってお前魔法使いになる為に、守るんだろ、下半身?』
「!?」
ハッとなった誠次は、
「え、ええ、ええそうですよは、はい! ま、守りますともええっ」
胸を張り、ほとんどムキになって言い返していたが、林の手の平の上で踊らされているようなものである。
『じゃあ良いだろ別に。二人の女子と同じ部屋で寝ても! べつにお前は何もしないんだろうし。だろ?』
「寝るってところを強調するようにして言わないでくれませんか!?」
顔を赤くした誠次のツッコみ。変な汗も、身体中の穴と言う穴から噴き出していた。
『天瀬誠次君の……貞操の危機だとッ!?』
胸元を隠すポーズで、ダニエルがとてつもなく険しい顔をしている。
『ジーザス……ッ!』
「香月さんと波沢さんの方を心配しないで俺の危機の方ですか!? そしてそのポーズやめてください!」
『と言うわけで、ちゃんと香月と波沢に説明しとけよ?』
「俺がですか!?」
『当たり前だろ。お前が自分の口で一緒の部屋で一緒に寝るって言うんだ。んじゃ、気をつけてなー』
にししと笑いながら、林は手を振っていた。
開いた口が塞がらないとはこのことか。金縛りにでもあったかのように、ゆっくりと顔を上げた誠次。大声でやり取りをしていたため、周りの人にきょろきょろと見られており、誠次は慌てて頭を下げた。
――すると。
『あっ、追伸だ剣術士』
「なんで、しょうか……」
二度の林の呼びかけに、目立たぬよう小声で誠次は話しかける。
『風呂上がりの女ってのは、良いもんだぞ……。つやつやと光り輝く白い肌に、湿り気のある濡れそぼった髪の毛。白い湯気を纏った身体からする、鼻をくすぐる石鹸の良い匂い……。本当、良いもんだぞ……」
――ブツリ。
「……」
誠次は静かに電子タブレットのスイッチを押し、終始ニヤケ面であった林との連絡を遮断する。
そして、すぅと大きめに息を吸うと、
「うわあああああああっ! チクショーっ!」
両手で頭を抱え、涙混じりの絶叫をあげていた。
周りの人は、突然叫びだした誠次を見て、危険な物を見たかのように距離を空けていく。香月と波沢も、大声を出していた誠次の方を、何事かと見つめていた。




