2
魔法の強さは、使用者の体内魔素によってほぼ決まっている。そして、魔素にはそれぞれ得意な魔法や不得意な魔法、すなわち適した魔法がある。
つまり、生まれながら人によって得意な魔法と不得意な魔法があるのだ。
「も、もう一回だ……」
「う、うん……」
「違う、そっちじゃない。そっちじゃあないんだ……っ!」
「ええっ!? じゃあどっち!?」
――だが、これはそう言う問題なのかどうか。
悩み、呆然と腕を組んで立つ誠次の前にて、むむっと膨れっ面の桜庭が黄色い魔法式を展開する。
「はい。そこで桜庭さんから見て三時方向の魔法文字を七時方向に持っていく――」
「ちょっ、ちょっと待っ――!」
「続いて六時方向の魔法文字を一時方向にだな――」
誠次は腕を持ち上げ、あたかも教師のように得意げに言う。
「ストップっ! ゛さんじ゛とか゛ろくじ゛とかわけわからないんだけど!」
構築途中の魔法式から手を離し、桜庭はわちゃわちゃと言ってくる。構築途中で手を離した魔法式は、音も無くすっと消えていく。
「? 時計だ。針の示す方向だ」
「え?」
気の抜けた声を出す桜庭。
東西南北うんたらかんたら、と言うよりはわかりやすいと思っていたのだが。
誠次は、身振り手振りを交えて説明していた。
「なるほど、アナログ時計のことね! なんか軍の人が使う言葉かと思った。なんか硬そうな人だったし!」
桜庭は感性豊かに手をポンと叩いていた。
ようやっとわかってもらえたと、誠次がほっと一息ついていたところで、
「あたしアナログ時計? 見たことないからわからなかったよー。ごめんごめん……」
桜庭が何かを誤魔化すようにあはは、と笑っていた。
「そうか……。時代は、進化したんだな」
「えっ!? な、なんか悟ってない……?」
確かに今時アナログ時計など珍しいのかもしれないが。桜庭のツッコみの先、誠次は遠く見る目で、辺りを見渡してみる。
「って、周りはもうほとんど出来てるのに。……俺たちだけだまだ《プロト》の構築すら出来ていないの……」
違う意味で目立ち始めており、誠次はぼそりと告げた。
「そう言われると悔しい……もう一回!」
周りに比べて出来なかったことが癇に障ったのか、桜庭は俄然やる気を出していた。――が、何回も何回も失敗を繰り返している。
「む、無理……」
「……」
顎に手を添える誠次はしばし真剣に考えたあと、泣き出しそうな桜庭に助言をした。
「見た感じ構築動作に焦っているんじゃないか? 実戦じゃないんだし、別に早くやらなくても大丈夫なはずだ。魔法式は集中力を切らさない且つ、手を離さなければ消えないんだから」
実際、よくある事だ。華麗に、と表現するべきか、魔法式の構築は早ければ早いほど上手く見えるものだ。初心者はそれを上手に、と勘違いし易く、プロの魔術師の見よう見真似をしようとする。
「う、うん……。確かに、ちょっと落ち着いてみるね……。緊張しまくってさ」
未だ緊張しているのか、ぎこちなく桜庭は頷いていた。
(絶対俺のせいだよな……)
仕方ないか。この授業さえ終わってしまえば、この状況からも解放されるだろうし、それまでの辛抱だ。
――と、桜庭に言おうとしたところで。
「――天瀬……君って、魔法使えないんだよね?」
防御魔法の構築をしながら、横目で桜庭はこちらを見てきた。にわかに赤く柔らかそうな頬には、透明な汗が一筋。
「そうだけど……」
誠次は何の気なしに答えていた。だが、またしても桜庭は構築に失敗する。
「それなのに凄いね。あたしより、全然魔法のこと知ってる……」
桜庭が艶のある黒の横髪をつまみながら、たどたどしく言う。
「え、あ、ああ……」
急に褒められ、不覚にも誠次は身じろいでしまった。
「ま、まあ、魔法学は人並み以上に努力したつもりなんだ。……少しでもいいから、魔法が使えるようになる為に」
誠次は虚しさを漂わせながら、桜庭と同じようにぎこちなく言っていた。
いくら努力したところで、土台が無いものにはその意味さえない。よって永遠にスタートラインに立てないところでの、努力であったが。世界と切り離された存在。そんな言葉が再び頭をよぎり、誠次は俯く。
「……」
そして、言葉の終わり、誠次は魔術師の目を直視できずに、気難しい表情をしてしまった。
目の前に立つ魔術師と自分を分けたのは一体何なのだ? なんで、おれだけが魔法を使えないんだ?
「魔法、使えたの?」
首を傾げて桜庭は訊いてくる。
――あぁ、その目は……同情するような目だ。もうそんな目なんか、誰にもされたくも、さしたくもない。
「使えてたら背中にこんな物騒なもの背負ってはない」
気を取り直した誠次は、背中の先に見える剣の柄を眺め、肩を竦めて言う。
「――そっか。ごめん。じゃああたしも頑張らないと、駄目だよね」
まるでこちらの分まで、と桜庭は、すぐに諦めてしまう同年代女子ではないようだった。そして制服の袖を捲って半袖姿となった桜庭は、誠次に向けて三角形を作る両手を伸ばした。
そのはつらつとしたところに、誠次はどこか沈んでいた心を押し上げられた気分だった。
「何回も失敗しても大丈夫だ。底辺には俺がいるし、頑張れ」
誠次は明るい表情と口調で、顔を上げて言う。
「ふふ。笑わせないでよ……」
桜庭がくすりと笑っていた。
「笑わせてるつもりはないんだけどな」
誠次は後髪をかきつつ、桜庭を見守る。
すぐに構築を再開するのかと思えば、しばし桜庭は停止していた。
訝しく誠次が思っていると。
「あ、あのっ」
「どうした?」
見れば、桜庭は視線を右へ左へときょろきょろしながら言っていた。周りのクラスメイトたちの視線がバラバラなのを確認し、
「こっち側から……一緒に魔法式構築してほしいん、だけど……。あの時計のヤツとか、いまいちわかり辛いし……」
人差し指同士を合わせ、小声でもじもじと桜庭は言ってくる。
「い、いいけど、いいのか?」
これには誠次もびっくりし、妙に高い声を出してしまった。
「だ、大丈夫! ……ってなにこのやり取り!?」
頬を真っ赤にして、桜庭は勢いよく頷いていた。
「じ、じゃあ……」
少し顔を赤くしていた誠次も、やがて頷いてから桜庭の横まで歩み、共に同じ方向を見た。
「凄い……」
目の前に魔法式が浮かんでいる。そしてその円陣の周りにも、魔法文字がふわふわと浮かんでいる。まるで自分が魔法式を発動しているようで、誠次は新鮮な気分を味わっていた。
(これが、魔術師の目線……)
「そ、それじゃあ一つづつ教えて……」
誠次は我に返る。
桜庭がすぐ真横から、小さく声をかけて来た。近付けば改めてふわりとした髪に、甘い柑橘系の香りがする。小動物を連想とさせる童顔は、とても可愛らしく、すんなり近付いてしまいそうになる。
「あ、ああ……。それじゃあ、指をこっちに……」
桜庭の手の動きを見て、合わせるように誠次が指示を出す。
するとあれだけ手こずっていたのが一転、今度はすらすらと構築に成功していた。誠次も誠次で、こちらの方がはるかにやり易いのがあったのだが。
魔法式の輪に、次々と魔法文字が打ち込まれていく。そして、魔法式が完成した音がし、魔法式が光り輝く。
「おお……」
「すごい……」
魔法の光を浴びながら、誠次と桜庭は共に感嘆の息を出す。完成された魔法式の先で、ハニカムを連想させる黄色い網目状の壁――《プロト》が浮かんでいたのだ。
「やったー!」
その場で軽く跳ねて、無邪気に桜庭は喜んでいた。せっかく作り上げた魔法は消えたが、それも余りあって出来た嬉しさがあるのだろう。
気づけば、桜庭がこちらに手を差し伸ばして来ていた。
「よし! やっと第一関門突破だな!」
誠次も、まるで自分が魔法を発動出来たように喜び、桜庭と手を合わす。
「あ……」
慌てて手を離した桜庭が、誠次をじっと見つめ、
「あたし、魔法苦手だからきっと駄目だと思ってた」
「おいおい……。じゃあなんでこの学園に来たんだ?」
「……皆が行くから、あたしもなんとなく」
なんと言うありがちな理由か、と誠次は思わず吹き出す。
「あーっ!? なんで笑うし!?」
「ごめん! おかしくなくて、周りに合わせるのは別におかしいことじゃないと思う。俺の友達も、そうだからな」
ただ、周りと違う者は――。
「――ご、ごめん天瀬! 気持ち考えないで……」
誠次が難しい顔をしていると、桜庭は慌てて手を離し、両手を大袈裟に振っていた。
「……え? なんのことだ?」
誠次は少々驚き、会話の内容を思い出す。おそらく、魔法が使えないこちらの気分を気遣ってくれたのだろう。良くも悪くも、桜庭は空気を読む女子高生だった。
「べつに構うものか」
誠次が首を横に振っていた。
「怒ってないの? 周りに合わせてここ来たってあんなこと言って……」
まだ引きづっているのか? と誠次は桜庭の無用な気遣いのほうに戸惑っていた。
「そんな事で怒るかよ。ほら気にせず次だ。俺が攻撃するから桜庭さんは《プロト》でそれを防ぐんだ」
「う、うん。わかったありがとう……。……あ、あとあたしの事呼び捨てで良いよ? あたしも呼び捨てで言っちゃったし」
思わず、と言った感じに悪戯っぽく笑う桜庭。
誠次も、それに乗っかる。
「ありがとう、桜庭。よしやるぞ!」
「うん!」
魔法に干渉されないこの身ならば、物体の干渉を許さない防御魔法など、いとも簡単に通り抜けられるはずだ。壁などなく、なにも無かったかのように。
が、魔法が効かないと言う事はあまり知られたくない。八ノ夜にも出来るだけ隠すよう、言われている。――香月には言ってしまったが、持ちつ持たれつ、だろう。
よって、背中の剣の出番だ。剣ならばしっかりと魔法の干渉を受けて、《プロト》の強さを見ることができる。
誠次は背中の剣の柄に手を伸ばし、指をかけた。
ふと、周囲の視線がこちらに集中していることに気付く。初の抜刀シーンに、誠次は1-Aクラスメイト皆々様の注目の的だったのだ。
「……」
目の前の桜庭も、怯えることはせずにじーっとこちら見ている。
誠次は物凄い居心地が悪そうな表情をしていたが、周囲の視線が離れることはない。おそらくこのままだと、この授業が終わるまでは。
(……。え、ええい、ままよッ!)
心の中で何かを割り切った誠次は、剣を一息に引き抜いた。シャン、という音ともに、演習場の光を反射する銀色の刀身が露になる。
誠次はそのまま、剣を片手で持ってみせる。
――おおー!
たちまち、少年少女の歓声が沸き起こる。
(1-Aノリいいなっ!)
誠次が慌てて周囲を確認する中、
「おお、す、凄い!」
なにが凄いかはよく分からないところだけど、桜庭は小さく胸元で拍手していた。十五歳にしては豊かな胸元の前で、だった。
「よ、よし。さっき教えた通り《プロト》を展開してくれ。剣でそれを斬って強さを確かめる」
なんであれ、褒められた事は嬉しく、そしてそんなムズ痒さを隠すために誠次は言う。
「あ、うん!」
最初の方のぎこちなさが嘘のように、桜庭は素直にうなずいていた。
「――最初は怖かったけど、話してみると普通じゃん……」
ぼそりと、桜庭が言ったのを誠次は聞き逃さなかった。
「そ、そうか……」
どこか認められた気がし、またそれが悪くない気分で、誠次は微笑んでいた。
果たして、桜庭の防御魔法の威力はお察しのほどだった。石を投げて割れる薄い窓ガラスとか、そう言うレベルでの弱さだった。
しかし構築すら出来ていなかった最初の方と比べれば、大きな進歩なのだろう。
「冗談キツイっての……」
ひとしきり桜庭との授業――と言うよりほとんど指導――を終えたところで、志藤が疲れた様子で歩いて来ていた。
「どうした志藤、急に老けてるぞ?」
誠次が剣を背中に収めつつ、志藤に尋ねる。
「さらっと酷いこと言うなよ天瀬……。俺のペアのことだよ。……アイツ」
志藤の指先の行方を追えば、周囲の生徒から外れたところでポツンと、香月は一人で静かに立っていた。
白い絹のように艶やかな銀色の髪に、どこかむっつりしているがぱっちりとしている二重の紫色の瞳。
一際異彩を放つ存在は、この時間も他者との関係を断ち切っていた。
「志藤、香月さんとペアだったのか」
「ああ。って待てお前、あの不思議ちゃん知ってんのか……?」
志藤が少し驚いた目で、誠次を見た。
「ま、まあちょっとな。香月さんと何かあったのか?」
誠次は慌てて何かをごまかすように、答える。
「ちょっとなってお前……。まあそれだけど、俺の言うこと一切聞かないんだよ。やってらんねーっての」
「無視って……。……入学早々辛いな、志藤……」
かなり同情する誠次がぽんと、志藤の肩に手を乗せる。
「いやお前に言われたくねーよっ!」
ツッコミを受ける誠次の黒い瞳の視線の先。香月は何をするわけでも無く、ただ立ち尽くし、うわの空と言った感じで天井を見上げていた。
誠次は、腕を組んで少し考えた後、
「志藤、だったらペアを交替してくれないか? その方が桜庭にも良いだろうし」
魔法が使えないこちらがずっとやるよりも、志藤の魔法を見ておいた方が桜庭の為になるだろうと、誠次は思っていた。
「……? 友達同士? なに話してるの?」
二人で小声で話し合うかたわら、桜庭はきょとんと首を傾げていた。
志藤はそんな桜庭を見てから、頷いてくれた。
「OK。まぁ、手強いから頑張れよ」
志藤は誠次の肩をとん、と叩き返すと、桜庭の方へ向かって行った。
誠次は気持ち速足で、一人ぼっちの香月の元まで歩み寄った。
「香月、さん」
誠次に声をかけられた香月は、ほんの一瞬だけ身体をびくりとさせていた。
「天瀬くん」
香月に名を呼ばれ、少しだけ胸をさすられたような妙な気分だ。
――でも、もう免疫は付いた。
誠次はふうと息を吐くと、香月の隣に並んで立った。目線の先では、クラスメイトたちが次々と防御魔法を構築していく姿がある。何度も言うが、それが西暦のこの世では普通の光景であった。
「あれから理事長に叱られたわ。もう、夜間外出をするなってね」
それ以上も何か言われたに違いないが、香月は言わなかった。紫色の瞳は、演習場の照明の光を受け綺麗に澄んでいる。
「約束を守る気はあるのか?」
誠次は顔を上げ、尋ねる。
「ええ。゛捕食者゛は簡単に倒せそうにないし、怒られるのは、嫌だから」
香月はさして嫌な表情を浮べることはなく、かと言って喜ぶわけでもなく、相変わらずの無愛想な表情だった。
誠次は何を訊こうか、少し迷っていた。
「……防御魔法の復習なんて、もうやってられないって感じなのか? ほら、昨日の戦いの魔法は凄かったじゃないか」
「確かにそうね」
思い出せば昨夜は、習ってもないはずの魔法を次々と使用していたのだ。基礎の基礎であるはずの防御魔法実技など、香月からしたらお茶の子さいさいなのだろう。
だが、香月のこの揺るぎない自信があるような物言いは、事実上の敗北をしたはずなのに、どこから湧いているのだろうか。
「でも私、防御魔法は不得意なの」
「不得意? 身体の魔素が防御魔法に適応していないのか?」
「いえ」
どこか遠くを見るような瞳で、香月は言っていた。続けざまに、こちらの目の前にて、香月は《プロト》を展開した。
完成して空に浮かぶ魔法の障壁が、綺麗な香月の顔をまどろわせる。
「早……」
構築のスピードはやはり異常なまでに早く、誠次は普通に驚いていた。思えば、昨日の戦いでも守ってくれていたじゃないか。
「普通に出来てるじゃないか」
「出来ないとは言っていないわ。不得意と言っただけよ」
淡泊に答えた香月。
確かにそうだったなと誠次は妙に納得しそうになったが、次の瞬間。香月の紫色の視線が、本人の気分を表すように下に向けられていた。
光る魔法の壁が、すっと虚空に消える――。
「……私の魔法は゛捕食者゛を倒す為にあるから。傷つける為のものよ……」
「傷つける為……」
続く言葉を失い、身体が強張るのを誠次は感じた。
強気だった香月が、打って変って気落ちしていたからだ。
こちらを見た香月は、何かを感じたのか、ふと口を開いた。
「悪い事を言ったみたいね、ごめんなさい」
「言ってることは間違ってはいないとは思う。でも、人前で言うのは避けた方が良いと思う」
「わかったわ……。貴方のお友達にも、悪かったって伝えてくれるかしら」
「志藤はいい奴だよ。中学からの友だちなんだ。こんな俺に偏見もなく接してくれて」
微笑ましい会話だが、誠次は苦虫を噛み潰したような表情を浮べていた。
魔法がこの世に生まれ、それは人々の生活に役立つ便利なものとなっていた。魔法の力と恩恵を受けた社会。それが魔法世界。
――だが、人の生活に役立つ魔法は、この世界ではあくまで側面である。
やはり魔法は力であり、武器であった。それはなにも゛捕食者゛だけでは無い、人を傷つける事だって出来る。
「傷つける為の魔法……」
そんな魔法の力を、悪用する者も、この世には存在していた――。
「一つ良いかしら天瀬くん」
「なんだ?」
「私の゛ことも゛呼び捨てで良いわよ?」
むしろ、そうしなさい、とでも言いたげに、こちらを見下すような視線。
なぜそんな目が出来るのだろうかと誠次はただひたすら疑問に思っていた。
「そ、そっか。じ、じゃあ……よろしく、香月」
「ええ、よろしく」
誠次がそう言うと、香月はどこか満足そうな表情をしていた。
(なんで、こんな強気なんだろうか……?)