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見上げれば透き通るような青空に、ところどころの雲。長袖の服に吹くそよ風は、東京のものよりも遥かにひんやりと冷たいものだ。
「涼しいというより、さ、寒いな……。長袖の服で正解だった」
秋の気配を感じる一〇月八日。時刻は昼前。
誠次は私服姿で、北海道は旭川にある空港ロビーの外に立っていた。目の前に立ち並ぶビルを眺めれば、東京や大阪と比べても何一つ遜色ない都会の様相を見せてくる。
試しに大きく深呼吸をしてみると、のどを通過する北海道の空気は冷たく、まるで張り付いてくるようだ。それでも道行く人には半袖半ズボンと言った風貌の人もいるあたり、これが現地の人の寒さへの強さか、と驚くものだった。
「お待たせ、天瀬くん」
空港と併設された自販機のおしるこに気を取られつつも立って待っていると、空港のロビーから一人の女子が急いだ様子で姿を現した。ヴィザリウス魔法学園二学年生の先輩、波沢香織だ。
特徴的な青い髪は太陽の光を浴びて綺麗に照り輝き、急いでいたのか少し頬は赤らんでいる。着ているのは厚手のカーディガンに、下は少し丈が短いスカート。スカートからすらりと伸びる細い脚線美には、黒いストッキングを履いていた。
「いえ。それにしてもやっぱり、寒いですねここは……。北海道の人にはこの程度でか、とか笑われちゃうんでしょうけど……」
誠次は自分の身体に腕を回し、ぶるぶると震えながら言っていた。おしるこが飲みたい。
「明日の本番までに、身体を温めないとね。じゃあまずはどこかでお昼ご飯でも食べよっか?」
新幹線で会った時とどこか口調が違うのは、きっと同級生がいないからであろう。
「はい! 北海道と言えば海鮮物に札幌ラーメン! 楽しみです!」
朝、東京から軽い軽食だけで北海道まで遠征して来たので、腹は減っていた。
今回の遠征。それは波沢香織と二人での、学園行事の一環である。なぜ、一つ上の美人先輩と北海道までの遠征に誠次が来たのか言うと、話は数週間前の九月の中頃にまで遡る――。
※
「強硬派の政界躍進?」
「ええ、そうなんです……」
九月の中頃。右腕の包帯はすっかり取れ、まだ夏服姿の誠次は教室にて、同じく制服姿の本城千尋と話していた。休み時間中、誠次と志藤が購買から帰ってきたところ、廊下に近いドア付近の座席に座っていた千尋に、声を掛けられたのだ。
「この国を諸外国から守るため、と言う名目で、魔術師による軍を設立しようとしている派閥があるんです」
千尋の口調は表情とともに、どこか沈んでいる。
「当然、千尋の父さんは反対するはずだよな……」
本城千尋の父親、本城直正。魔法執行省の現役大臣であり、日本の国政を担う重要な人物だ。彼の弁論会での発言を思えば、そうするであろう。
だが千尋は「はい……」と力なく頷いていた。
「ですが状況的にはお父様の苦戦が続いています。世論の半数以上を占める大人のお方はみんな、魔法が使える人は率先して戦うべきだ、と仰っている人が沢山ですから……」
「じゃあ魔法が使えたらお前はどうなんだ、って話だよな」
志藤が腕を組んで、忌々しそうに言っていた。誰かが同じようなことを言っていた気がしたのは、誠次の方であった。
「お父様は何よりも私たち魔法生を守るために、強硬派と真っ向から対立する姿勢です」
「大丈夫なの? 千尋……」
話を聞いていたのか篠上綾奈が後ろの席からひょっこり顔を出し、千尋に優しく声をかけている。
「ありがとうございます綾奈ちゃん」
「今は゛捕食者゛やテロの問題があるのに、国の人同士でそんな事やっても意味がないはずだろう……」
誠次が言うが、千尋の表情は険しいままであった。
「……政治の難しいところです。向こうも自分の意見が正しいと思っていますから、聞こえが良いようでも、すんなりそう言うわけにはいかないんです」
千尋の言葉に、なるほど、と誠次は心中で頷いた。こんな自分の意見も、反対する相手がいる。言ってしまえば、誠次の意見は「みんな仲良くしよう」と言う綺麗事ではあった。
「しっかし、強硬派が軍の復活、ねぇ……」
顔を上げた志藤が、夏から秋に移ろうとする気配のそよ風が吹く窓の外を、じっと見据えていた。
「おーい席座れー」
担任の林が教室にやって来て、次の授業の開始をチャイムが鳴る音と共に告げてきたため、誠次たちが解散しようとしたその時――。
『おはよう全校生徒諸君……。 生徒会長の兵頭賢吾だ……!』
何の前触れもなく、兵頭賢吾による校内放送が突如として鳴り響いていた。だがしかし、その声にはいつも覇気がまるでない。無理をして声を絞り出しているようであった。
「な、なんか、寒くない……?」
着席した途端、隣の席の桜庭が自分の腕を擦っていた。
「た、確かに……」
桜庭の言う通り、摩訶不思議なことに周囲の気温が一斉に落ちていくようだった。後ろの席の帳なんかは、白い息を吐いてもいる。
「アイツ……校内放送を堂々とジャックしやがった……」
林が教室内を見上げ、白目をむいていた。
一方で、隣の席に座る桜庭は、もじもじとしつつ、
「あ、そ、そうだ天瀬……。付加――」
『手短に……要件を言う……ッ。1-Aの天瀬誠次少年ッ!」
「はい!?」
銃で撃たれ、まるで瀕死の状態の兵士を彷彿とさせるような振り絞った兵頭の声に、誠次は慌てて立ち上がって反応してしまっていた。
しかも校内放送なので、内容はヴィザリウス魔法学園全棟にだだ漏れである。
「ま、また天瀬に用……。うぅ……」
そして桜庭が何やらものすごく恥ずかしそうに、縮こまってしまってもいた。
『大至急……生徒会執行部室に来てくれ……っ! ぬあーっ!』
――プツリ。
「兵頭生徒会長ーっ!」
誠次はスピーカーに向けて、涙声混じりに叫ぶ。色々な意味でもう、自棄である。当然、クラス中は「……」とした空気に包まれ、
「いやなんの茶番だよ……」
前の席の志藤が恥ずかしそうに頭を押さえていた。
誠次は包帯がなくなり、晴れて自由となっている右腕を振り払うと、教室の前方に視線を向けた。
「林先生! 俺を生徒会執行室へ出向く許可を下さいっ!」
「お、おう……どうぞ」
眉をピクつかせ、林は苦笑いをしながら答える。
「ありがとうございますっ! 俺、行ってきますっ!」
「はよ、行け……」
誠次は終始涙目で、何かを振り切るように1-Aを後にした。分かってはいたが、廊下に出ると他のクラスから大勢の生徒の視線を向けられ、誠次はやはり奇妙な物を見る目をされてしまっていた。
(いや。って言うか、なんで先生は誰も止めようとしないんだ……?)
あってはならないはずだが、よくある事なのだろうか……。
やがて誠次は、委員会棟の最上階、生徒会執行室まで辿り着いた。夏休み前以来、二度目の来訪、である。
「失礼します、兵頭先輩」
誠次はノックをして、生徒会室に入室。すると、中には先客がいた。
「な、波沢先輩?」
「あ、天瀬くん……。放送凄かったね……」
紺色のカーディガン姿で、一つ上の先輩である波沢香織がすでに立っていたのだ。
「……っ」
そして、生徒会室の奥には、腕を組んで口を真一文字に結び、椅子に座って静かに佇んでいる兵頭賢吾の姿が。こちらはこちらでごつい意味で、中世期の彫刻像になりそうである。
「来てくれたか、誠次少年……」
やはり、どこか沈んだ口調の兵頭である。
「あんな放送をされれば沈黙を決め込むのは不可能極まりないです……」
「そして休み時間中、俺は桐野に物凄く怒られた!」
「かなりの自業自得では……」
波沢が遠慮がちにツッコんでいた。
どうやら波沢は休み時間の間から生徒会執行部室にいたようであり、誠次の到着を待っていたようで、誠次と波沢は横に並んで兵頭の話を聞くことにした。
「知っての通り、本来ならこの時期に開催される体育祭が……今年は中止になったんだ……!」
「あー……」
誠次は思わず声を出し、相づちを打っていた。魔法学園の体育祭。それは例年ならば、九月の中旬のこの時期に開催されるものだ。しかし今年に限ってそれは、中止となってしまった。延期でも、ない。
体育祭中止の理由こそが、アルゲイル魔法学園との合同開催だったためである。夏休みの終わり頃、弁論会にて起きたレ―ヴネメシスによる一連の騒動にて、双校の話し合いにて中止は決められた事だった。
「……話は聞きました。中止になるのは、やむをえないと思います……」
隣の波沢が視線を落とし、落ち着いた口調で言う。
「分かってる……。分かってるんだ……けど、俺は凄く、悔しいんだ……っ!」
こってこての体育会系故と言えばいいのだろうか、確かに兵頭にしてみれば体育祭など年内でも群を抜くほどの楽しみなものだったのだろう。それも、三学年生なので最後の体育祭だったはずだ。
「去年はアルゲイル魔法学園に総合点で負けてしまい、今年こそは……と思ったらこの仕打ちだ! 俺は本気でショックを受け、数時間寝込んでしまった!」
「数時間……?」
「回復早いですね、さすがです……」
誠次と波沢のツッコみ。
ともあれ、今年度のアルゲイル魔法との体育祭――対抗戦――が中止となってしまったのは事実だ。向こうも今はごたごたしているはずだし、仕方ないのだろう。
(勝負は来年に持ち越しか……)
アルゲイル魔法学園で出会った同級生の姿を、誠次は軽く思い出していた。
――だが。
「それと今日俺たちが呼ばれたことに、一体なんの関係が?」
誠次が兵頭に顔を向けて問うと「そうだ!」と兵頭は要件を思い出したように顔を上げる
「香織少女にはもう説明したが、体育祭の代わりにと言う形で学園が゛捻じ込んで゛きたのが、北海道にて新しく開校する魔法学園の完成セレモニーへの、在校生向けの招待だ」
「あっ。本城千尋さんが言ってました。来年四月から正式に始まるんですよね」
「おう……」
誠次が言うが、兵頭は今一気乗りしない様子である。
「正直言って体育祭の代わりに……またこういうのか、と言うのはあるけど、もううだうだ文句は言わない! けど……文句はなくとも問題があるんだ!」
「問題?」
誠次が首を傾げると、隣の波沢もその問題とやらを把握しているのか、頭を少し下げていた。
「新しく開校するイルベスタ魔法学園。それはすなわち俺たちと同じ高校。そしてオーギュスト魔法大学も。つまり、二校が同時に来年に開校し、同時にセレモニーを行うという点だ」
「場所は二校とも北海道。言い方は悪いかもしれないけれど、日本で初めての国立魔法大学は試験的な運用になるらしいんだって」
ここへ来てなぜか建設ラッシュが続いている魔法学園。政府が何か本腰を入れるのだろうか。
「二校の同時開校セレモニー、ですか。それがいつに行われるんですか?」
「一〇月の九日。そう……体育の日だ」
(うわ……かなりの皮肉だな……)
兵頭が握り拳を作って呻くようにしていたのを見て、誠次は内心で同情していた。
「当然行くべきは生徒会メンバーであるのだが、全員が、と言うわけにはいかないんだ。前にも言ったと思うけど、秋は大変で尚且つ今は生徒会総選挙に向けた準備で大忙しなんだ」
「……」
生徒会総選挙。その言葉が兵頭の口から出たとたん、ぴくり、と細い眉を波沢は動かした。
誠次はそれを気にしながらも、兵頭の方を今一度ちらと見る。だいたい、何を言われるのかはもう察しがついたが。
「そこでだ。イルベスタ魔法学園の方へ長谷川会計と相村書記を向かわせる。そしてオーギュスト魔法大学の方へ、代わりの人物を派遣するということにした。前もって言っておくが、決して俺が行きたくないとかそういうわけではないぞ!? 本当に忙しんだからなっ!?」
「わ、分かりましたからそう身を乗り出さずとも」
誠次が両手を上げて兵頭を抑えるポーズをしていた。何より三学年生には大事な受験があるはずでもあり、生徒会でなくともただでさえ忙しいのは分かるつもりだ。
「そこで白羽の矢が立ったのが、私」
波沢は苦笑しながら、自分自身を指さしていた。
確かに、林間学校前の学園内のテスト張り出しの時にも二学年生トップに名前があり、二学年生の中では学年トップの成績を誇る優等生である波沢香織。春の試験では本気で戦った相手であるが、それも彼女が優秀だから故であった。
「香織少女であったら、安心だと思ったんだ。そして、セレモニーには男女一組での参加となっているんだ」
「なるほど。それで、男は俺と言うわけですか……?」
――ただ、それで一学年生の自分が選ばれる理由が分からずに、誠次は戸惑っている。
しかし兵頭は、ああと頷いており。
「さすがに香織少女に悪いから一緒に行く男子生徒は好きな男子でいいぞと言ったら、香織少女は真っ先に誠次少年の名前を上げたんだ」
「ち、ちょっと兵頭先輩!?」
とたん、顔を赤くして波沢が一歩前へ出る。
「好きな、って……。……好きな!? こ、言葉のあやですよね!?」
誠次も思わず顔を赤くしていたが、兵頭は「なんか変な事言ったのか俺?」と太い首を傾げていた。
「うう……っ」
そんな後輩と先輩二人を前に、波沢は身をよじらせ、とても恥ずかしそうに両手で顔を抑える仕草をしてしまっていた。
※
そして時は戻り。
「――はい! 北海道と言えば海鮮物に札幌ラーメン! 楽しみです!」
そんなこんなでの、北の大地北海道への二日間の遠征だ。セレモニー本番は明日と言うわけであり、今日は移動日と言う位置づけだ。泊まる場所や旅行費は、生徒会を通して政府から全て負担される。
ちなみに最初にクラスメイトにこの事を話したところ、香月が「一緒に行きたい」とは言ってきたが、セレモニーに招待されているのは二人だけなので、参加は不可能だった。それでも香月は幻影魔法を使って乗り込むと、いつになく主張してきたのだが、飛行機に乗るという事を伝えた結果、乗り物的な意味でしゅんと沈んで引き下がっていた――はずだった。
(勝った……っ)
二人に少し遅れ、空港からのっそりとした足取りで出てきたのは、香月詩音であった。ご自慢であるはずの白銀の髪はどこかしなびており、顔にも微かに汗が滲んでいる。
「お疲れさま……」
誠次は《インビジブル》を発動している香月に、声をかけ、持ってやっていた荷物を返してやる。乗り物全般がダメなはずなのに、結局着いて来たのである。
香月の旅費は結局、我らが理事長、八ノ夜美里のポケットマネーで賄われた。どうにか出来ないかと、半場ダメ元で誠次と香月が八ノ夜にお願いしてみたところ、「良いだろう」と許可されていた。ただし、セレモニーへの正式な参加ではないのだが。
香月の秋の私服は、タートルネックのセーターに、ベージュのスカートと言ういで立ちだ。銀髪の上には黒い帽子も被っている。
「不思議、すぐそこにいるはずなのに、私には見えないんだね……」
波沢にも一応香月同行の事情は説明しており、誠次の目の前の空間を凝視している。飛行機に乗る前にお互いの挨拶は済ましており、何より八月の大阪へ行くときの新幹線の中でも会ったので、無礼には当たらなかった。そして何より今の香月には、《インビジブル》をしてもらっていないといけない理由があった。
「それにしても。今回は本当にありがとう天瀬くん……。男の子でよく知っている人って、天瀬くんぐらいしかいなかったから助かっちゃった」
波沢は、ほっと安心したようににこりと笑っていた。飛行機内でも、何度か言われていた言葉だったので、誠次は首を横に振っていた。
「俺こそ、呼んでいただいて光栄です。なにより北海道、一度来てみたかったんですよ」
さきにも言った通り、色鮮やかな海鮮物やラーメンと言ったものが頭に浮かぶ。間違いなく日本全国の中でもグルメランキング上位には入ってくる道だろう。
誠次が明るく答えると、波沢はくすりと微笑んでいた。
「そう言ってくれると嬉しいかな……」
だが、次には少し申し訳なさそうに目線を落とし、
「二大魔法学園弁論会で、お姉さんがあなたに助けられたと言ってたの。何かお礼をしないといけないのに、またあなたに頼ってしまって……」
「か、構いません。やるべきことを、やっただけです……」
特殊魔法治安維持組織と協力し、レ―ヴネメシスのテロ活動を未然に防いだこと。正しいことをしたはずだと、今でも思う。
――だが、空港から一歩出た途端に広がった、広大な北海道の大地を見つめていると、なぜかそれがとても小さなことのようにも思えてくる。この広い大地の中で、人が起こした行動など、何事もなかったかのように過ぎていくのだ。
(私は、この国の未来の為に戦っているのですよ!? それを分からない愚か者が――!)
「……俺が間違っては、ないはずだよな……」
まるで世界の大きさを、目の前で感じるように。
誠次は一抹の虚しさを感じつつも、それを静かに呑み込んでいた。
そして。
(……)
誠次のすぐそばに寄り添うようにして立つ銀髪の少女香月は、人目につかぬよう大事そうに両手で、誠次のレヴァテインを持っていてくれているのであった。




