8 ☆
――九月の後日。
いまだ右腕の固定用ギプスは取れないままの誠次は、集めるべきメンバーの空き時間と演習場の使用予約時間をうまく調整し、現在一人で放課後の演習場にいた。広い一階の中心にて、自分以外無人の演習場。これからの事を思うと、心臓はどくんどくんと音を立てて鳴り止まない。演習場を使ったのも、さすがに今から行うことを他の誰にも見られたくないからである。
(お前のおかげだよ、まったく……)
誰にでもなく苦笑し、背中のレヴァテインに向けて投げやり風の愚痴をこぼす。演習場の照明の白い光を反射し、レヴァテインが返事をしたようにも見えた。
「来たよ天瀬ー! 声めっちゃ響くね」
やがて、演習場全体に弾むように、元気な声が響いた。
「話って……?」
続いて、不思議そうな声。
まず演習場にやって来たのは、桜庭莉緒と香月詩音だ。
その奥からも、見慣れた二つの少女の影が。
「あれ、莉緒ちゃんさんに詩音ちゃんさんもですか?」
「えらく真面目な顔して誘ってたわね」
本城千尋と、篠上綾奈だった。みんな忙しいにも関わらず、こうして集合してくれたのだ。
「四人とも、集まってくれてすまない。忙しい中ありがとう」
誠次の方からも駆け寄り、四人の前に立って軽く頭を下げる。五人とも制服姿であり、そもそも戦う、などの本来の演習場の使用目的で誠次は女性陣を呼んだわけではない。
一方で四人のクラスメイトは、この面子にもう慣れているのか、この四人で集まった事自体に疑問は感じていないようである。よって疑念の視線は当然、誠次にのみ向けられている。
「大事な話なんだ」
誠次はそう前置きをすると、背中のレヴァテインを左手で器用に抜刀した。付加魔法もしておらず、片手で持つには少々重たい。
「香月と篠上はもうすでに知っていると思うけど、魔法が使えない俺が魔術師と対等以上に戦えるようにするやり方。それが、魔剣にかける付加魔法なんだ」
まず桜庭と千尋に向けて、誠次は説明を始める。
桜庭も千尋も、唐突に始まった誠次の説明に一応頷いてくれていた。
「付加魔法……。小学校で聞いた時以来、随分と懐かしい魔法ですね。って、綾奈ちゃんは知っていたのですか?」
千尋が篠上に驚きの視線を向ける。
「え、う、うん……。り、林間学校の戦いの時にちょっとね……」
当時を思い出したのか、篠上がどこか言い辛そうにしながら、頷いていた。
そして、まさかと言わんばかりの視線を、誠次へと向ける。
篠上の視線を受けた誠次は、うんと頷いていた。
「でも付加魔法ってジャンル自体、大した効果がなくってまったく使えないって確か先生言ってたよ?」
桜庭の言葉に「そのはずなんだ」と誠次はまず言い、
「でも、俺のレヴァテインに掛ける場合は違う。特殊な効果が発生するんだ。それについて、桜庭と千尋には話しておかなければならない」
「特殊な効果?」
桜庭が首を傾げる。
「例えば香月の場合は、俺以外の全てが止まったように見える時間停止の効果。篠上の場合は、空中に足場を自然と作れる空中歩行の効果だ」
「不思議です……。聞き覚えのない魔法効果です」
意外と言うべきか座学の成績が良い千尋も、首を傾げていた。
「そして、この効果が発動するのはおそらく……いや、ほぼ確定で、女性からの付加魔法のみなんだ」
誠次は黒い刀身に光を反射するレヴァテインを見つめてから、桜庭と本城に告げる。
「あたしたちの……」
「魔法の、力……」
桜庭と千尋がどことなく顔を見合わせ、互いに胸に手を添えていた。
「その上で、二人には前もって言っておかねばならないと思ったんだ」
誠次が神妙な口調で言った言葉に、桜庭と千尋は耳を傾ける。
「今この世界は、やっぱりお世辞にも平和とは言えない……。゛捕食者゛やテロ、乗り越えるべき問題が沢山ある……。それと戦うことも。そんな時、やはり必要になるのが多くの女性からの魔法の力なんだ。これからも俺は多くの女性の魔法を使って戦うつもりだ。それは何も、この場の女性四人だけじゃない……」
厭らしい言い方をすれば、夕島伸也の言った通りハーレムの状態である。それはあまりに現実味の無いことだったが。
誠次のひどく真面目な声音に、女性陣は無言でいた。
間違ったことを言っているのかもしれない。そんな雰囲気を如実に感じてしまい、誠次は真っ白になりかける頭を必死に保たせた。
誠次は左手に握ったレヴァテインを横に向け、何かの宣誓のように、自身の胸の前に突き出していた。
「都合の良い話だと思ったり、あり得ないと思ったら絶交してくれてもいい。そうされたとしても、俺がみんなを守る事は変わらないけど……」
「……」
女性陣が誠次を見つめる瞳に、熱が篭り始めていた。改めて見るとやはり、魔法世界となって見える美しい瞳の輝きである。
「頼む! これからも俺の傍で、全員俺に魔法の力を貸してほしい! 俺はその分、みんなの為に戦う! だからっ!」
ここまでくると、もはや理性的に落ち着いて話をする段階ではなくなる。
ぎゅっと目を瞑り、左手とレヴァテインを突き出したまま、誠次は勢いよく頭を深く下げた。
とその時、誠次の左手にすべらかな人肌の感触が触れた。
「天瀬くん。顔を上げて頂戴」
香月の声に叱咤されたようで、誠次は咄嗟に顔を上げる。平手打ちか、と一瞬だけ思ったが、香月の右手がレヴァテインを握る誠次の左手から離れることはなかった。
目の前まで来ていたアメジスト色の瞳には、なにかの、微かな意思を感じた。
「なにか勘違いしているようだけど、私も、天瀬を守りたいわよ……。どうしてそういつも一人で悩んでいるのよ……。そこだけは、林間学校の日から変わらないわね」
続いて苦笑気味の篠上が歩み寄って来て、香月が肯定の意の頷きをしている中、右手を伸ばして誠次の左手に添える。
「香月、篠上……」
「話してくれてありがとうございます。もしかしたら私、天瀬くんに嫌われてしまったかもしれないと思っていましたから……」
どこか緊張の糸が解けたように、千尋が立ち尽くしたまま言っていた。
誠次は軽く首を横に振り、
「いいや。こうすることが出来たのは、千尋のお陰でもあるんだ。この間も言った通り、俺は必ずみんなを守ってみせる」
「あ……。誠次くん……」
千尋が何かを隠すように少しだけ顔を伏せながらも、近づいてきてくれ、誠次の左手に右手を伸ばした。
「私の魔法の力が少しでも役に立つのなら、お願いします。精一杯、尽くしますね!」
「無理はしないでくれ。俺も、付加魔法の強要はしない」
「……はい」
そして、誠次は桜庭の方を見る。
桜庭は落ち着きがないようにそわそわとして、黒色の横髪をいじっていたりする。童顔の頬はまるで、よく熟れたモモのようなピンク色だった。
「悪い桜庭……。今はこうしか言えないんだ……」
誠次が真面目な表情で告げると、桜庭は赤らんだ頬のままだったが、思わずと言った感じに噴き出していた。
「わ、分かってる。ありがとう天瀬。ちゃんと、みんなの事を思ってくれて……。天瀬らしいよ!」
そして桜庭も歩み寄って来てくれ、右手を誠次の左手の上に乗せる。
「……四人とも、ありがとう! 俺は必ずみんなに報いる!」
「言っとくけど、納得はしてないわよ……その……他の女の子と……なんて言うか……」
篠上がぼそりと告げてくる。心なしか、左手をぎゅっと握られている気がする。
「安心してくれ。俺は魔法使いになると言う夢も捨ててないからな!」
「なにそれ?」
誠次の儚い目標は、やはり女性には伝わらない。
一方で、伝えるべきことを伝えた誠次はレヴァテインを背中の鞘に納め、「はー……っ」と溜まっていた息を大きく吐いて、ネクタイを少し緩める。慣れないことはするべきではないと自嘲する反面、どこか清々しくもある。
「ありがとう天瀬……」
「ほっとしました……」
桜庭と千尋が嬉しそうに誠次の事を見ているのを、篠上が後ろから見つめ、
「聞いてるこっちが恥ずかしくなるんですけど……」
「……」
篠上が少し幸先不安そうにしている中、香月ただ一人が、冷静に何やら思慮しているようだった。
誠次が、そんな香月に気づくより早くに、千尋が名乗り出てくる。
「はい! じゃあ早速、私も誠次くんのレヴァテインに付加魔法をしたいですっ! と言うより、させて下さい!」
千尋が真っ先に挙手をして、誠次に迫ってくる。少し戸惑う誠次の視線の奥では、付加魔法の性質を知っている篠上が、何やらハラハラしている。
「前もって言っておくと、遊びじゃないからな……?」
「はい。それとも私では、ダメですか?」
千尋が少しだけ残念そうに、肩をすぼめる。
誠次は慌てて首を横に振り、
「いや、ただ少し、身体におかしな現象が起こるかもしれないんだ」
「おかしな、ね……」
「え? それってどんなのかな……?」
香月がどこかつまらなそうにそっぽを向く中、桜庭はごくりと息を呑んでいる。
「おかしな現象ですか。――ものは試しです!」
どこか親譲りな笑みを見せ、本城は両手を差し出してくる。
有事の際に、今までの通り効果がわからないままぶっつけ本番で試すよりは、今その効果を把握しておいた方が良いだろう。
誠次もそう納得し、背中のレヴァテインを再び引き抜いた。黒光りするその刀身を、そのまま千尋の両手の前に差し出すように向ける。
「それじゃあ、頼む。千尋、レヴァテインに付加魔法を」
「はい――」
その直後、念じるように目を瞑った千尋の両手から発生したのは、黄色の魔法式の輪だった。
「本城さんは、黄色なのね……」
香月が小声で呟く。
一方。両手を差し伸ばして魔法式を構築している千尋は、次第に自身の身体の異常を感じ始めたのか、
「……? こ、これは……?」
スカートのしたの両膝をこすり合わせるように、千尋の身体がびくんと震えている。
「篠上。千尋の身体を支えてやってくれ」
右腕が使えないので、誠次が千尋を支えることは出来なかった。
「う、うん……」
篠上がすぐに、倒れそうになっている本城の身体を後ろから抱きとめるように支える。
「これは、凄いです……。身体中の魔素が吸われているようで……」
掠れ声の千尋の言葉通り、そうなのだろう。黄色の魔法式から光が放たれ、誠次の左手に握るレヴァテインに纏わりついていく。
「……」
香月は横目で、その様子をじっと見つめている。
「ほ、ほんちゃん……?」
「大丈夫よ千尋……。私もそうなったんだから」
「綾奈ちゃんも……こんな……っ」
桜庭が口元に手を伸ばして戸惑っている中、篠上が千尋の身体を支えながら、囁くように言う。
「ええそうよ……」
その表情には、少し優越感めいたものを漂わせており、千尋はそんな篠上の顔を見上げて、ごくりと唾を呑み込んでいる。
やがて、完成を告げる光のスパークが、ここ第五演習場にて発生した。誠次以外の女子陣は、あまりに激しい光の眩さに、悲鳴をあげていた。
「これが、千尋の付加魔法か」
冷静に目を開けた誠次の瞳の色は、黄色く発光していた。
「目の色が変わってる……凄い……」
この場で唯一、何が起こったのか分からないでいる桜庭が、誠次を見て言う。
「あぁ……っ。セイジ様……身体に力が……」
荒い息を吐く千尋が崩れるようにして倒れ、篠上に全体重を預けていた。
「大丈夫か? 千尋」
誠次が声をかけると、相変わらず口で呼吸をしたままだったが、千尋はうんうんと首を縦に振り、
「だ、大丈夫、です……。それよりも私、セイジ様を見ているととても……」
甘えるような声で、物欲しげにくちびるに手を添え、誠次の事を見つめていた。
「え、え……!?」
もう耐え切れないところまで来てしまったのか、赤面が治まらない桜庭が両手で顔を隠してしまっていた。
(効果はなんだ……!?)
一方で誠次は、効果はなんなのだろうかと、黄色く光るレヴァテインに黄色い視線を向け、考える。得物自体、軽くはなっているが、見た目での変化はない。試しに、と何もない場所へ向け素振りをしてみるが、それと言った効果が分からない。
ならばと、誠次は、
「香月、眷属魔法で使い魔を出してくれないか?」
眷属魔法で出した魔素と魔法元素の集合体である使い魔なら、比較的安全に千尋の付加魔法の効果を確かめられるだろう。
そう思った誠次のお願いだったが。
「――やだ」
香月はそっぽを向いた。銀色の髪がなびいて、その表情が読み取れない。
「こ、香月……?」
「魔法を発動するまで、三分ほどのチャージが必要だわ」
「チャージってなんだ!? その前に効果終わっちゃうからな!?」
「……っ」
だが、香月は腕を組んでしまい、眷属魔法を発動しようとする素振りすら、みせてくれない。
――そして更に……。
「ご、ご、ごめん天瀬っ! あ、あたしちょっとまだ、こ、心の準備がっ! し、失礼しますっ!」
完全に゛出来上がってしまっている゛千尋の現状を見て、桜庭が胸に手を当てたまま背中を向け、演習場から出て行ってしまった。桜庭からすれば初めて見るような、女性の姿なのだろう。
「さ、桜庭……。……す、すまない……」
「前途多難ね……アンタ」
千尋を抱える篠上からなにか同情するような目で見られてしまっていた、黄色い目の誠次。
「ああそうだな……。でも、やりがいはある」
誠次はほくそ笑んでいた。
ただ、忘れてはならないのは、誠次が行ったのはただの保留に過ぎないということだ。伸也に言われた通りの事を、しただけに過ぎないのだから。
それでも、みんなを守るという夢に、一歩近づけた気がする誠次であった。
「……」
一方で、相変わらず香月は、何かをじっと考えているように、口元に手を添えているのであった。




