7 ☆
夏休み明け最初の一日から、学園中を走り回る事になっていた天瀬誠次の一日は、夜になってもまだまだ終わっていなかった。
「それで、話をしてくれる人って一体誰なんだ?」
「談話室に着いてからのお楽しみだ。……本人曰く」
「本人曰くなんだな……」
夏休み中に行われた各部活動の大会の成績が浮かび上がる窓に挟まれた通路を歩きながら、誠次は夕島聡也の言葉にいまいち拭えない不安感を持っていた。
魔法学園の談話室。例えるのならば、生徒の憩いの場である。男子寮棟と女子寮棟を繋ぐ通路にそれは併設されており、そこのマスターはヴィザリウス魔法学園の校長先生である、柳俊哉だ。
やがて、談話室と男子寮棟を隔てるドアの前までたどり着き、ドアを開けると、
「おっ!? ったく遅ーよ二人とも! 待っちまったぜー、お兄さん」
カウンター席にて待っていたのは、夕島聡也の兄であり、ヴィザリウス魔法学園三学年生の夕島伸也だった。
「……」
「……」
「ったく。ただでさえ兄ちゃん忙しいんだから、二人ともそう焦らしちゃ……ダメ、だぜ?」
ニコッ、と綺麗に並んだ白い歯を見せ、夕島伸也は微笑んでくる。
そして、夕島伸也は両手を大きく広げ、
「さあ、カモン子猫――」
「お忙しい中失礼しましたー」
バタン、とドアを容赦なく締める誠次。隣の夕島もうんと、あながちその対応は間違っていないと頷いていた。
「よし。帰って、本でも読むか」
「ああ。俺は勉強をやろう」
「ちょっと待ってくれないか!? 呼んだのに酷くねその扱い!? 俺泣いちゃうよ!?」
くせのある茶髪姿で、赤い目を涙ぐませて夕島伸也は談話室から飛び出してくる。
「そりゃあ確かに後輩に手を出そうとしたことは謝る……。謝るから、話でもいいからしようじゃないか!? 良いだろ!? ね! ね!?」
「お忙しいのでは無いんですか……?」
背を向けている夕島聡也をちらと見つつ、誠次がツッコむ。
「ん? ああ、全然暇だよ。さっきのは嘘」
「……」
打って変わりきょとんとする夕島伸也に、もはや誠次は寒気すら感じていた。
「やだなー本気にしてもー! さ、こっち。人生の先輩であり、気前の良い兄さんがなんか奢ってやるからよ」
そうしてずるずると制服を引っ張られ、談話室に入る誠次と夕島聡也。談話室にはすでに何名かの生徒がおり、三人のやり取りを見て呆気に取られたようにしていた。コントでもやっているかのように、注目されていたのである。
「ゆ、夕島……」
「本当にごめん……。こんな兄でも何か役に立つと思ったんだ……」
「役に立つ、ってさらっとお前も中々だな……」
そうして、誠次は夕島聡也の二歳上の兄である夕島伸也と、カウンター席で隣同士で座っていた。
「かれこれ二か月振りくらい? 久しぶりだよね~天っち。あ、俺の事は伸也先輩、でいいぜ?」
二か月でお久しぶりと言われても、そこまでの仲でも無いはずなのではなかろうかと思う、誠次。
「よろしくお願いします、伸也先輩。……ってあれ、夕島は?」
「聡也なら……隅っこにいるぜ。昔からアイツは恥ずかしがり屋なんだよ。まあ許してやってくれ」
(……逃げたな)
横目で見ると、夕島聡也はいつの間にか、談話室の隅の壁に背中を預け、一人で黄昏ていた。
そしてため息を呑み込んだ誠次の隣では、それにしても、と伸也が腹を抱えて笑っている。
「相変わらずお固いなー天っちは。飲み物は、コーヒーでいいか?」
「すいません。苦いコーヒーは苦手で……紅茶でお願いします」
「おいおい。案外可愛いところもあるじゃんか。苦いのが苦手なんて、お前もまだまだ子供だな」
伸也は苦笑しつつも、木製カウンターの向こうにいる柳に向けて挙手し、
「柳さん、ブラックコーヒーと紅茶をお願いします」
柳に対しては、こうした口調の伸也である。一応、あからさまに年上の人に対しては敬意を払っているようで、少し安心できるところはあった。――もし目の前の校長さんにも変わらず砕けた態度であったのなら、色々な意味でハラハラものだ。
「はい。……あれ? でも伸也くん、コーヒー甘いのじゃないと飲めないんじゃ無かったっけ?」
「……」
柳の言葉に、伸也にジト目を向ける誠次。
「はははっ、冗談キツイなー柳さんは」
「じょ、冗談……?」
(マズイ……! 柳さんの皺が、増えているッ!)
お気楽な伸也の言動に、結局誠次が内心でハラハラドキドキしてしまっていた。
「んじゃあ気を取り直して、悩みってのは、一体なんだ?」
回転座席式の椅子をくるりと回し、伸也は身体をこちらに向けて尋ねてくる。その赤い目を見つめると、一応は真剣に話を聞いてくれるそうだ。
「いえ……悩みというか……相談というか……」
誠次は少し恥ずかしそうに、うつむきながら言う。
「人生の先輩に、なんでも聞いてくれよ」
誠次は最後の最後まで、この悩みを伸也に聞くかどうか戸惑っていた。しかし、どうにも自分一人では解決出来そうにはなく、それにせっかく夕島が設けてくれた機会だ。
「……ええっと」
誠次は言い難そうにしながらも、意を決した。
「単刀直入にお訊きします。……伸也先輩って、多くの女性とお付き合いしてますよね!?」
誠次が腰を浮かすほどの勢いで質問すると、さすがの伸也も焦ったのか「おいおい……」と両手で抑える仕草を見せていた。
「とうとう、ばれちまったか……ったく」
伸也はカウンターテーブルに肘をつき、やれやれと頭を抱えているが、
「いや普通に分かり――」
「しょーがねーな……」
誠次が慌てて言い直そうとするが、伸也が手を伸ばして来て言葉を制する。
「それで俺に何を訊きたいんだ? どうやったら女の子からモテるか、か?」
「い、いえ、そうじゃありません。ただ、なにか意見を貰えればいいかなと思いまして。その……」
「じれったいのは嫌いだ。早く言ってくれ」
柳によって置かれたグラスに入ったコーヒーには一切目を向けることなく、伸也は誠次を急かしてきた。
「……はい。伸也先輩は、同時に複数の女性から好意を寄せられたことはありませんか!?」
――ガタ。
壁に寄りかかっていた夕島聡也が、姿勢を崩して眼鏡を掛けなおしている。誠次と伸也の視界には入らなかったので、二人は気づかなかったが。
「ほう……。俺にそんなことを聞くとは、なんかあったみたいじゃないか」
伸也は面白げに、口の端をにやりと上げている。
「まあいい。でも天っち、桜庭さんと付き合ってるんじゃなかったのか? 浮気なら、許さねえぜ?」
「どの口が言えるんでしょうか!? ……確かにゲームセンターの時に一緒でしたけど、ちゃんと付き合ってはなかったんです」
「おいおい、俺は騙されちまったのか。後輩のクセに大した奴だぜ、まったく」
……なぜか一言一言が芝居臭い、伸也である。
伸也は天を仰ぐ仕草を見せると、静かにため息をこぼしていた。
「いやそんな大事でしょうか……?」
「まあいい。人生騙されることもまた大事な刺激さ」
フッ、と笑って伸也は言ってくる。
一方で、頭が痛くなってきた誠次である。
「その複数の女性を、お前はどうしたいんだ天っち?」
打って変わり、伸也は赤い瞳で誠次をじっと見やる。誠次は少しだけ怯んだが、紅茶の入ったグラスを握る左手に力を込めていた。
「守りたいです。゛捕食者゛やテロも含めた様々な、脅威から。俺からすれば、みんな大事な人です」
「な、なんで俺を睨むようにジト目で見て言うの天っち……?」
「気のせいでしょう」
いまいち納得していない伸也だったが、やがて大きくため息をついて、
「だったら話は早いじゃないか、全員守ればいい」
「最初からそのつもりです。問題は、好意を寄せられているというところです。その……えっと……ふ、みんなから、同時に……」
自分で言う誠次だったが、最終的にまたしても「何言っているんだおれは……」とも思えてくる。しかし、それほどまでに今の誠次は追い詰められていたのだった。
「まあいいじゃん、みんなから好意を寄せられているんなら、別にそのままでも」
伸也は軽く受け流すように言っていたが、誠次にしてみれば、それはなんのアドバイスにもなっていなかった。
誠次はようやく落ち着きつつ、紅茶に視線を向けて口を開いた。
「ですが、それでは不誠実ではありませんか? 一人の女性に、精一杯向き合うことが普通であり……当たり前で……」
「相変わらずお固いなー天っち……」
誠次の声に再び勢いが亡くなるにつれ、やれやれと伸也は染めた茶色い髪をかいていた。
「じゃあ簡単な話だ。一人残して他を振ればいい」
「それもっ! ……出来ません……。……優柔不断ですよね」
ええ……分かってますとも、と自嘲する誠次は、どこか切なく遠い目をしていた。
恋愛。まるでどこか遠い世界の言葉のように、数年前の自分とはまったくもって無縁だったその二文字が今、目の前に障壁となって立ちふさがっている。
伸也はそんな誠次をどこか可哀そうな物を見るような目で見て、
「フ。いいんだ。俺にも分かるぜ、その気持ち。全ての女性は等しく尊く美しい存在であると同時に、俺たち男にとっての魔性のバラさ……」
「ちょっと言ってる意味が――」
「こう言うこと。女性の悲しむ姿は見ていられない。そうだろ? 後輩」
「……ええ、はい」
誠次の頭の中で、知り合った女性の姿が浮かびあがっては、その悲しむ姿を想像してしまう。そしてそこに横槍を入れてくる、付加魔法の件。脅威と戦うためにはやはり女性の力が必要不可欠であり、そして。それは、やはり女性に無理やり強要していいものでは無いはずであり、よってそこに発生するのは女性との信頼関係。
――その複雑に絡み合った関係のるつぼに、誠次は見事、ド嵌まりしていた。
「なら、もう答えは一つしかねーじゃんかよ」
伸也も誠次と同じく、どこか遠くを見据えて言い出した。
「え?」
「全員守っちゃえばいいじゃん」
夕島聡也と同様に眼鏡を掛けていたら、光っていただろう伸也の発言である。
「っ!?」
驚く誠次だったが、
「……でも、変な意味ではなく、それが出来れば一番良いかもしれないですよね……。つまり、ハーレム、か……」
「――上手く乗せられてないか天瀬!?」
夕島聡也が何か言ったようであるが、神妙に考える誠次には聞こえなかった。
「それにお前さんの戦い方じゃ、必然的にそうするしかないんじゃないか?」
「どうしてそれを知っているんでしょうか……?」
こちらの付加魔法を使った戦い方など、この学園ではごく一部の人間しか知らないはずだが。
「俺は顔広いからな。自然と情報はすぐ入るのさ」
伸也が得意げに言ったその直後、談話室に新たな顔がやって来た。
「おっ、伸也同級生に誠次少年ではないか!」
ヴィザリウス魔法学園生徒会長、兵頭賢吾だった。
「げっ、兵頭……」
「こんばんは、兵頭先輩」
なぜだろうか、ぎょっとしている伸也を横にして、誠次は兵頭に真面目に挨拶を返す。
「なんだ伸也同級生。誠次少年と直接会うんだったら、俺に誠次少年の事を根掘り葉掘り聞かずとも良かっただろうに」
「え」
誠次が呆気に取られたその瞬間に、伸也ががばっと立ち上がり、兵頭の肩を馴れ馴れしくぽんぽん叩く。
「いやー生徒会長! マジお疲れさん!」
「? ああ肩を叩いてくれてるのか? 有難い」
兵頭はまんざらでもなさそうに微笑んでいたが、次には濃い眉毛を寄せ、座ったままの誠次を見る。
「先日の件は本当にすまない、誠次少年。詫びに今度飯を奢ろう」
兵頭からの何の気なしの提案に、誠次は少し浮ついて腰を上げる。
「い、いえ。結果的にテロの凶行を止める事ができて、よかったと思っています。それに、先輩なんですからお気遣いなく」
「誠次少年……。それでは俺の気が済まないんだ。どうか満腹になるまで奢られてくれないか?」
兵頭は誠次の右腕を見て、真剣な表情で言ってくる。その真顔を見てしまえば、例え自分でなくても嫌とは言えないだろうな、と誠次は最終的に見切りをつけた。
「では、俺の個人的な友人も誘ってもよろしいでしょうか?」
「ああもちろんだ! 何人来たって構わないぞ!」
喜ぶ兵頭の前、誠次は胸の内で(ごめん志藤)と呟いているのであった。
やがて「職務があるので」と兵頭は談話室を通り過ぎていった。伸也はふう、と安堵の息をつくと、再び椅子に座った。
「――さて、さっきも言ったがレヴァテインは女性からの付加魔法でその効果を最大限に発揮できるんだろう?」
(無かった事にしようとしてるな……)
が、今重要なのはそちらではない。誠次は「まだ、未知数なところが多いですが」と返した。
「だったら、それを誠心誠意説明すればいいじゃねーかよ。まったく、女の子と一緒に戦えるなんて、魔法が使えないのに羨ましい立場だぜ天っちは」
「俺がこの学園に来てからの星回りの良さの自覚はあります。しかし……説明、ですか」
「ああ。自分はその女の子からもらった力でどうするか。ちゃんとその女の子に報いようと努力するのかどうか。そして、自分の今の気持ちをちゃんと言ってみるんだ。それで天っちのことが好きな女の子が納得してくれるかどうかは、天っち次第ってわけさ」
「俺次第……。……はい、確かにそうですね」
兎にも角にも、こればかりは一度説明をしなけらばならない話だ。ここ数日同じような事ばかりしている気がするが、仕方のないことなのだろう。
誠次は伸也に向け、はいと頷いていた。
「まぁ一応言っとくけど、どういう結果になってもめげるなよ? 他人を傷つけないで生きるなんて、不可能なんだからよ……」
「……夏休み終盤に同年代の方からまったく同じような言葉を聞いた気がします……」
しかし、誠次の決心は決まった。伸也と、この場を用意してくれた夕島聡也のおかげである。
「礼か? ……なら、天っちのクラスの学級委員で赤髪ポニテのおっぱい大きい子を紹介してくれよ」
「駄目ですっ!」
脳裏にすぐさま篠上の姿が浮かび、誠次が慌てて反抗する。そして、そうしようとした自分に、誠次は戸惑いを覚えてしまっていた。
「おいおい。どれだけ女子の知り合いがいるんだよ、天っち。こりゃあ俺の負けだな」
「篠上……」
多くの女性に囲まれ、優柔不断な自分を自覚しつつも、誠次は一つの決心をする。
「――ありがとうございました伸也先輩! 俺、正直伸也先輩からは゛何も学ぶべきところがない゛と思っていましたが、俺が間違っていました!」
突然立ち上がったのだから、きっと伸也は驚いたのだろう。
「え……なにも……」
「ありがとうございましたっ!」
すっかり悩みが晴れた様子の誠次が、晴れやかな表情でお辞儀をし、談話室を去っていく。
残された夕島兄弟。その弟、聡也が兄である伸也のすぐ後ろまで歩いてくる。
「……なあ聡也」
「何ですか、兄さん?」
「ブラックコーヒーってのは……随分とほろ苦いな……」
「でしょうね」
弟は眼鏡をくいと持ち上げ、むしろ清々しいまでに宣告する。
「ですが、正直に言って……俺は少し驚きました」
「? なにが?」
「……少しは兄さんも、女性の事を考えているんだなと……」
あまり堂々とは言えませんけど、とだったが、弟は少しだけ兄を見直していたようだ。
兄は少し驚いたようにつり目の赤い瞳を大きくしたが、すぐに平然を気取り始める。
「……まあいい。アイツの顔、なんかすっきりしてたぜ」
「その口調いちいち鼻につくのでやめてもらいたいんですが……」
「オーライ。ところで、聡也は女の子いないの? お前のスペックだったら十分モテるだろー? 俺の遺伝子あるんだし」
兄からの問いに、弟は少し動揺し、何かを誤魔化すように口元を手で隠しながら、視線を横に向ける。
「学生である今は……勉強に集中すべきです。俺に恋愛なんか必要ありません」
「お前もいずれ分かるさ。いずれ」
兄は思わず苦笑していた。
「……恋愛なんか、俺は……」
夕島聡也はお気楽そうな伸也を見つめ、どこか困ったようにため息をついていた。




