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――誠次たちが中央棟の保健室にたどり着いた頃、その八階、理事長室にて。
紅茶の良い香りが、漂っている 。理事長室で紅茶、と言えば、大阪のアルゲイル魔法学園で朝霞に出されたものがあるが、あれより遥かに温かく、芳醇な香りだ。
「――っん。とても美味しい紅茶だ。悔しいが、私が淹れてもこうはならないだろう」
白いティーカップに口をつけ、八ノ夜美里は満足そうに微笑んでいた。
「ありがとうございます」
香月と八ノ夜は、シックな木製の机を挟み、対面する形で、ソファに座っていた。
香月は無表情のまま、八ノ夜をじっと見つめ、
「そのとある話って、何ですか?」
「私の昔話だが、交換で少し香月の昔話も訊きたくてな」
紅茶の入ったカップを置き、八ノ夜の試すような言葉を受けた香月の整った眉が、ぴくりと動く。
「それは……レ―ヴネメシスの事に関する尋問でしょうか」
「話したくないなら別に話してくれなくてもいい。無理やり訊くなんてことはしないよ」
八ノ夜はかぶりを振っていた。
「いえ。何か協力できることがあれば、私でも協力したいです。この学園とみんなの、自分自身の為にも」
香月は八ノ夜を見つめ、むしろお願いをするように言っていた。
「そうか……ありがたい」
八ノ夜は崩していた姿勢を正し、膝の上で手と手を組んだ。
「お礼と言ってはなんだが、私と天瀬の昔話でも聞きたくはないか?」
「是非」
紅茶を啜りながら紫色の目に光を宿らせ、尚且つ食い気味で答えた香月に、八ノ夜は内心で(苦労してるんだな、天瀬……)としみじみ感じていた。
「前もって遠慮しておくが、そこまでドラマチックなのは期待しないでくれ」
香月は無言で頷いた。八ノ夜はそれを見て、よしと頷いてから、話し始めた。
「私が天瀬と出会ったのは、ちょうど十年前だ。私はちょうどお前と同じような子供で、一六歳の頃だ」
現年齢は二六歳だと述べる八ノ夜。見た目はもっと若く感じるが、古風な口調を加味すれば、変な言い回しだが、バランスがとれていると言ったところか。
「天瀬は六歳。小学校に入りたてのまだ純粋無垢な少年で、それはそれは可愛かった。もちろん今でも可愛いが。いや、むしろ大人びてきて最早最高に……」
うむうむと腕を組んで頷く、変態極まりない八ノ夜を前にしても、香月は無表情で紅茶を啜っていた。
八ノ夜はハッとなり、こほんと咳ばらいをして続きを話しだす。
「天瀬奈緒。天瀬に一つ下の妹がいたのは知っているか?」
「はい。元気で、年の割に少しませていたって、前に天瀬君が自慢するように帳君たちに言っていました」
「元気、か……。天瀬はそう言っていたのか……」
「?」
香月が小首を傾げる。
「その時は病院の帰りだった。天瀬奈緒は生まれつき身体が弱く、ようやく家への一時帰宅が認められたそうなんだ」
「天瀬君が言ってました。たしか、交通事故が……」
香月は目を伏せて、物悲し気に言う。
八ノ夜は目を細め、
「ああ。今なら言えるが、ただの交通事故だったらどんなにマシだった事か……。事故が起こったのはここからそう遠くない、都会の道路だ。しかし時刻が夕方だったのが、不幸だった。そして唯一動けた天瀬がまだ、六歳児でしかない子供だったことも……」
「……誰も下に降りて助けようとはせず、特殊魔法治安維持組織を呼ぶことを優先したんですね」
「……彼らが悪いとは一概には言えないよ。彼らはあくまで法律に従い、その手の者に任せようとしただけだ。間違ってはいない……」
悔しそうにだったが、八ノ夜はふうと息をつき、遠くを見据えていた。サファイアのように綺麗な青い目が、どこか潤んでいるようではあった。
「だが、だからこそ天瀬は、あの日法律を破ってまでしてお前の事を助けたのだ。あの日、窓の中から哀れの目を向けていた連中とは違う、とな。それを忘れるな」
「はい。……天瀬君には本当に感謝しています」
香月は膝の上に添えた拳を握りしめ、素直に頷いていた。
「話を戻そう。そして駆け付けたのが、¨私たち゛特殊魔法治安維持組織だ。……もう、夜だったがな」
香月の紫色の目が、その時ぴくりと反応した。
「え。少し待ってください。理事長さんはその時まだ一六歳ですよね?」
「当時じゃよくある話さ。現役魔法生で、特殊魔法治安維持組織なんてことは。求められたのはとにかく、即戦力だったからな」
「なるほど……」
昼は高校生であり、夜はその手の仕事の請負人。フィクションではありがちな話に、香月は一応の納得はした。
「現場はまさしく悲惨で、地獄だった。私たちが駆け付けた時にはすでに、天瀬誠次以外のその場にいた人間は全員゛捕食者゛に捕食された後。生存していた天瀬を最後まで守っていたのは、奈緒さんが起動していた防御魔法だった」
「五歳で、防御魔法……」
それも実戦で通用するレベルの、防御魔法である。防御魔法は得意な部類ではないが、それは香月から見ても、出来そうにない真似だった。
「そうだ。……こう言ってはなんだが……生きていれば奈緒さんは偉大な魔術師になれたはずだ。本当に悔やまれるよ……」
八ノ夜はすっかり冷たくなった紅茶に視線を落とし、つらりと呟いた。
「唯一生存した天瀬は事故のショックで、一時人間不信になってしまっていた。心を閉ざし、記憶も無くし、会話もろくに出来ないほどの重度な症状だ。周りはこのご時世よくある事だ、などと言っていたがな。そして実際、気の毒だが私もそう思ってしまっていた……。何より私もまだその頃は、子供だった」
だが、と八ノ夜は目を細める。
「天瀬は魔法が使えなかった。後に病院に連れて行ったときにそれが判明した。物を浮かす簡単な汎用魔法の展開も出来なかったのだ。それを聞かされた時の天瀬の姿を見たら、さすがにな……。私も両親を亡くした身だし、だから施設の代わりに私が預かることにしたのだ。二人暮らし開始だな」
「理事長さんのご両親も、亡くなられていたのですか」
「なに、珍しい話ではないよ」
八ノ夜は微笑みながら、そう前置きをする。
「まぁ始めたは良いのだが……。その……色々と大変な二人暮らしだったな」
八ノ夜は頬をぽりぽりとかいて、当時を振り返っているようだった。その表情は苦笑しているが、嫌な雰囲気ではない。
「特に二人でお風呂に入るときなんかはな……」
八ノ夜は目を瞑り、あごをさすりながら言っていた。
「天瀬君と、お風呂……。……っ」
とたん、香月が瞬きを二回ほどする。あ、反応した、と八ノ夜は少し面白く感じていた。
「ま、この話はまた今度にしよう。さぁ次はお前の番だぞ、香月」
「今からが面白いところだと思うのですけど……」
少しだけ意地悪な八ノ夜に、香月は言葉で不服を示す。
だが、八ノ夜はどこか勝ち誇ったようににんまりと笑っているだけだ。
「でも、わかりました……。私は何から話せばいいでしょうか?」
「気になるのは、君が施設にいたころだ」
八ノ夜の言葉を聞いた、香月は少しだけ俯いていた。
「思い出すのが辛かったり、言いたくなかったら、無理をしないでいい」
「いいえ。大丈夫です。私は七歳の時まで、テロリストの施設にいました。それ以前の両親の記憶は、あまり覚えていません……」
「構わないよ。しかし、施設とはどんなところだ?」
八ノ夜の問いに、香月は眉をひそめて、首を横に振る。
「外には出れませんでしたので、地理までは……。ただ、雪がずっと積もっていて、とても寒かったのは覚えています。あとは、温かい紅茶だけが美味しかったのは覚えています……」
香月は自分が淹れた紅茶に視線を落とし、告白する。
「そこでお前は、魔法を学んだのだな。お前以外にも子供はいたのか?」
「はい。国籍はバラバラでしたが、みんな対人戦闘用の魔法を習得する訓練を、毎日行われされていました。それ以外の事は、何も……」
「一般常識はなしに……戦闘用の魔法だけ……か。まるで戦うだけの戦闘兵器だな……。その時の、魔法を教えていた指導者は覚えているか?」
あごに手を添え、八ノ夜は問いかける。
「はい。それもまた様々な人種の人が、日替わりで来て魔法を指導していました。その中に、朝霞刃生の姿もありました。名前はその時、誰も名乗らないのでわかりませんでしたけど」
香月は視線を落したまま、話し続ける。
「……私たちが生まれた理由は、ただ゛捕食者゛を倒すためだけだと、今思えば施設では洗脳まがいの事が行われていました」
「ふむ……。ではいつ、お前は東馬氏の元へ?」
八ノ夜の目つきが変わり、鋭い言葉でもって、香月に尋ねる。
香月はそんな八ノ夜には気を取られることもなく、どこか影がある声で話し続けた。
「さっきも言いましたが、七歳の頃です。完全に管理、規律された生活を過ごしていた施設に突然、武装した警察が襲撃してきました。魔法での戦いの末、施設は崩壊。そして私たちも一応は、解放されました」
「その後、君は東馬さんの家族と暮らし始めたのだな?」
八ノ夜は身を乗り出すほどの勢いで、聞いてくる。なぜだろうか? なぜここまでお父さんとの出会いを聞きたがるのだろうか? と、香月は少し戸惑っていた。
「はい。私の両親の友達だと言って、もしもの時は私を預かる約束をしていたそうです」
「……」
「そこからは小学校、中学校と学校に通わせてくれました。……友達も出来ず、勉強も全然出来ませんでしたけど」
「だが今は、どうだ?」
八ノ夜が茶化すように言うと、香月はそれに釣られ、思わずといった感じで硬かった表情を崩していた。
「今は……この学園にいれて、よかったと思います」
「そう言ってくれると、私も嬉しいよ。学園とはやはり、こうでなくてはな」
八ノ夜は満足そうに、頷いていた。
八ノ夜の望む学園像。それが少しだけ、ぼんやりと見えたような気が、香月にはした。
香月を先に部屋に帰らせた一方、八ノ夜は内心にて呟く。
(十年前から、どうやら全ての因縁は始まっていたようだな、天瀬……)
休息の時はない。九月の夜の外へと外出をするため、八ノ夜は理事長室の電気を落とし、部屋を後にした。
「今晩は八ノ夜理事長」
出た直後、聞き覚えのない女性の声に、足を止められた。声のした方を見ると、絵に描いたような美しさの金髪碧眼の女性が、通路に立っていた。
「ん? 初めましてだな」
「初めまして、星野百合と申します。お疲れ様です、八ノ夜理事長」
百合は軽い会釈をしていた。随分と綺麗な女性だな、と胸の内で思う傍ら、八ノ夜は思い出しもした。
「ああ、教育実習生の者か。今日が初日だったはずでしたね。ご苦労さまです」
「いえ。とても楽しく過ごせたんで、疲れはありませんでした。噂の天瀬君に、学園内の案内もしてもらいましたし」
「そうですか。お人好しですね、アイツは」
八ノ夜は微笑む。
「……それにしても、ずいぶんとお若いんですね、理事長さん」
百合はどこか感心するように、八ノ夜を見つめていた。
八ノ夜は少しだけ居心地が悪そうに、苦笑する。
「魔法科担当の教師など、どこもかしこも若いはずですよ。向こうもそうだったでしょう?」
「確かに、そうですね。――でも……不思議だと思いませんか?」
「? 何がだ?」
百合の青い目を見据え、八ノ夜は少し戸惑いの色を見せる。
「魔法学園の理事長、その強さ。そして、誰が理事長を決めるのか? 大阪でのアルゲイル魔法学園での朝霞刃生の凶行を許したのは、果たして誰なのか?」
「……」
ニコリ、と笑った百合の口から溢れるように出る言葉を、八ノ夜はじっと聞いていた。
「そして、なぜか魔法が使えない天瀬誠次君の持つ剣。神話に出てくる魔剣の生まれ変わり。それをこの世に生み落とした人とは、一体誰なのでしょうか? 私はとても興味深いです。ええ、謎が多すぎるほど、興味深いです」
歌でも歌うかのように胸に手を添え、うんうんと頷きながら百合は言ってくる。
「全てはトリックスターの仕業、かもしれませんね」
「トリック、スター?」
百合が首を傾げる最中も、八ノ夜は静かに考える。
――なぜ、よりにもよって東馬がレ―ヴァテインと言う名を口にした? それはこちらにとってみれば、あまりにも都合が良すぎる話だったのだ。
そして気になる点はもう一つ。朝霞刃生の行動理念だ。彼の言っていたと言う完全な魔法世界。だとすれば、彼がおとなしくテロに従っている理由がわからない。そもそも東馬は、魔法が使えない年代のはずだ。
(もう一度詳しく調べる必要があるな……)
「お時間を取らせて申し訳ありません、八ノ夜理事長」
百合が道を開け、八ノ夜は意識を現実へと引き戻されていた。
「構いませんよ。では私は少し出かけてくる」
「あら、頼もしい言葉遣いですね。ただ、なにとぞお身体にはお気をつけて」
去り際の百合の言葉が身に染みるようで、八ノ夜は意を決していた。




