2 ☆
「お父様から全て聞きました。私からも、お礼を言いたくて……」
教室から出てすぐ、本城千尋が頭を深く下げて来た。
場所が場所もあり、誠次は慌てていた。まだ教室ドアの前でのやりとりだったのである。
「お父さんは平気そうか?」
「今は特殊魔法治安維持組織の人と一緒にレ―ヴネメシスに対する調査を進めているようです。お父様も天瀬くんに感謝しています」
水泳部らしく細く締まったお腹に両手を添え、本城は重ねて頭を下げて来た。手本になりそうなほど、綺麗なお辞儀である。
「そっか。助けられて、本当によかった」
それだけか、などととは思わず、誠次も身分の高い者の子に自然と頭を下げ返していた。
「……ちょっと、場所を移動しましょうか?」
本城が気まずそうにちらちら誠次の後ろを見ていた。
何事かと誠次が振り向くと、教室のガラス窓の向こうで、ニヤケ面のクラスメイトたちがこちらを見ていたのだ。志藤と帳を先頭に男子陣、そして顔を真っ赤にしている篠上と桜庭、いつもの無表情で香月がじーっと。
「そ、そうみたいだな……」
誠次はじろりと教室を一睨みしてから、先に廊下を歩き出した本城の後を追った。
「そう言えば、天瀬くんとこうして二人っきりと言うのは初めてでしたね?」
「確かに。あ、林間学校で一回あったか」
まだ篠上と香月の仲がそれほどよくなかった、本城がこちらに助けを求めて来たときだ。
「林間学校……。その時も、綾奈ちゃんを守って下さってありがとうございます」
立ち止まって振り向いた本城は綺麗な金髪をなびかせ、またしてもお辞儀をしてきた。
さすがにこうも頭を下げられると具合が悪く、誠次は「構わないって」と言って本城の横まで早足で歩いた。
誠次が横に並んだことを確認した本城は、少し笑顔となって、進行方向である前を見据えていた。
やがて辿り着いたのは、教室がある学科等の屋上だった。都会とは言え七階建ての屋上。中庭やグラウンドにいる生徒は豆粒――とまではいかないものの、小さな姿であった。
今年の八月最後となる陽射しは燦々と輝いており、誠次と本城は人気のない室外機の影に入っていた。
当然と言うべきか周りに人はおらず、いくら話す内容が内容だけとは言え二人っきりのこの状況に、誠次は少し緊張していた。
「篠上とは本当に仲が良いんだな」
果たして外気温の暑さからか、かいて来た汗を拭いつつ、誠次は訊いてみる。
「はい。その……私が大臣の娘と言うことで、昔は色々とあったんです。綾奈ちゃんはそんな私と友だちでいてくれるって、言ってくれたんです。大切なお友だちです!」
本城は誠次に身体をぐいと寄せ、言ってくる。
「ですから、綾奈ちゃんを守ってくださった天瀬くんには、本当に感謝しているんです」
「感謝って……。でも、皆を守れて良かったとは思う……」
こうまで異性から感謝されることは初めてで、誠次はどぎまぎしていた。それは自分の事が認められたようで純粋に嬉しく、怪我の痛みも忘れられそうなほどだ。
「天瀬くん……」
本城はそう言うと、意を決したように日陰から陽射しの下まで歩いて出た。誠次も歩き、本城と同じく屋上のフェンスまで向かう。魔法学園の屋上から見る東京の街並みの景色は初めてで、寮室から見る夜景とはまた違った趣があり、どこか雄大だった。建ち並んだビル群は、遥か昔から開発を進めて来た科学技術の産物なのだろう。
「お父様が言っていました。北海道にもうすぐ第三の魔法学園が出来るって。その次は沖縄、名古屋と続いて行くんだそうです。同時に国立の魔法大学の開校も最終調整に入っているそうです」
科学技術が発展した東京の街並みを、緑色の瞳で見つめながら、本城が言う。
「こうしてだんだんと出来上がっていくんだな。魔法世界が」
なにも急ぎすぎる必要はない。校長先生もそう言っていた。
そよぐ風に髪をなびかせ、誠次も遠くを見てぽつりと言っていた。
「綾奈ちゃんは部活の大会で最初、ヴィザリウス魔法学園って言う肩書が少しだけ恥ずかしかったそうですよ」
笑いかける本城の言葉に、確かにと誠次も思わず笑っていた。
「確かに、横文字の学園なんて目立つだろうな。三城高校とかが、まだ普通なんだもんな」
「けれど、この国の全部の学校が魔法学園になる日もそう遠くないでしょうね。多くの普通科の生徒も、魔法生に憧れているそうですし」
「完全な魔法世界、か……。直正さんは、耐え待つことで、その世界を作ろうとしている。俺も、その意見に賛成なんだ。なにも、急ぎすぎることはないって、この学園に入って気づいたから」
「……」
想像する未来に思いを馳せる誠次の横顔をじっと見つめた本城は、小さく口を開いた。
「……気を悪くしないで聞いてほしいんですけど、天瀬くんは色々と一人ぼっちなのに、お強いんですね……。私だったらきっと、耐えられないと思います……」
胸に手を添え、本城は俯いて言う。
そんな本城の姿は見ていられず、誠次は「一人ぼっちなもんか」と憂いを吹き飛ばすようにして言った。
「今はみんながいる。確かに魔法が使えないことに変わりはないけど、諦めるものか」
包帯に包まれた右手を見つめ、誠次は言い切った。
本城はじっと誠次を見つめて、
「……その大切な人に、私は含まれているのでしょうか?」
「勿論、クラスメイトだし当たり前だ。大臣の娘だとか関係ないと思うし、これからもよろしく頼む」
誠次が即答し、本城に身体ごと向く。
本城は不自然に顔を赤く染め、こちらと視線を合わせられないようだ。こちらもじっと見つめてしまっていた為それはおそらく、夏の暑さだけによるものではないだろう。
「ありがとうございます……。あと、よろしければ千尋と名前で呼んでいただけませんでしょうか?」
「えっ。あ、ああ……。それじゃあ、千尋……」
「っ! あ、ありがとうございます、誠次、くん……」
後ろ髪をかきながら言う誠次に、千尋もまた真っ赤に染まっている顔を離した。
「重ねておひとつ、私からお願いがあるのです誠次くん……」
そして意を決したように、胸に手を添えて顔を上げる。
「なんだ?」
「そ、その……誠次くんの戦い方と言うのは、私も初めて知りました……。女性の魔法の力を使う戦い方。よろしければ、私の魔法の力も、使ってくださらないでしょうか!?」
驚いた誠次が黒い目を大きく見開くが、千尋は真剣な表情で、誠次をじっと見つめる。
「綾奈ちゃんはすでに魔法の力を貸しているそうで……私も、誠次くんの力になりたいのです」
「千尋……」
その時、誠次はすぐに返事をすることが出来ないでいた。
夏の日差しの中。返事をずっと待ってくれていた千尋は、どこか切なそうに、誠次を見つめ続けていた。
※
――九月一日。
魔法学園で迎えた初の夏休みは終わり、長期休暇明けの初めての授業だ。寮生活の都合上、顔を合わせる機会はそれなりにあったため、ありがちな夏休みの思い出話や急に印象が変わったと言うような生徒は、見た目ではそこまでいない。そこには八ノ夜の演説の通り、夏休み前と同じ光景があった。
「でもやっぱだりーなー……。休み明けの初日ってのはさ」
相変わらず誠次の一つ前の席に座る志藤が、机に突っ伏しながらうーうー唸っている。
「そういやお前、宿題終わったのかよ天瀬?」
志藤が後ろの席にいる誠次に視線を送る。
右腕が使えない不自由な状態だったが、誠次は「なんとか……」と疲れた様子で返答していた。
「本……ええっと。……千尋と桜庭に、手伝ってもらったんだ……」
昨日は夜遅くまで、右腕が使えない誠次の代わりに千尋と桜庭が宿題を手伝ってくれた。八ノ夜から頼まれた桜庭はともかく、千尋曰く、これもお礼、だとのこと。しかしお礼、と言う言葉にしては少々行き過ぎているとさえ感じてしまう、千尋からの厚意だった。
「お前、いつの間に、本城まで……!?」
「いや、そういう事ではなくてだな……」
誠次が悩まし気にしていると、教室のドアが開く。入って来たのは担任の林政俊だ。
「おーし。席に着けー。愛するマイシュチューデンツたちー」
相変わらずやる気がなさそうな言葉使いだったが、無精ひげのその表情は、いつになく緊張感が漂っている様でもあり。
「……」
各々お喋りをしていた魔法生たちも、一斉にその口を止めて席に着く。
「早速で悪いが、良いニュースと悪い……って言うか、重たい話がある。まずはそっちからだ」
林は教卓に両手を乗せて体重を掛け、真剣な面持ちとなる。みんなにとってみれば一か月ぶりの再会でこのような姿は、否応なしにも気を取られるものである。
「数日前、大阪のアルゲイル魔法学園でテロ事件が起こった」
誠次は少しぎょっとし、視線だけ千尋の席の方を向いた。
誠次と志藤と同じように、前後ろ同士の千尋と篠上。前席の篠上が、肩をすぼめている様子の千尋の方へ振り向き、何やら小声を掛けていた。
「テロを肯定する気はさらさらないが、今この時代は決して平和じゃないってのは肝に銘じておけ。お前らの親御さんだって、こんな世界だからこそ、自衛の為にと思ってこの魔法学園に入学させたんだ。この先、゛結構厳しくなるぞ゛?」
「……」
誠次の前の席の志藤は、俯いて何やら考えているようだ。
「急な話で悪かったな。それじゃあご褒美に良いニュースだ。主に男子っ!」
「「「おおっ!」」」
打って変り、林の如何にも意味ありげな言葉に、反応したのはやはり男子生徒諸君。
「……」
そんな中で誠次は、くだんの件で嫌な予感しかしない、と傍から見れば゛すかしたキャラ゛となっているのだ。
「あの林先生の事だから、嫌な予感しかしねぇ……」
「志藤も、そう思うだろ……」
いまいち乗り気じゃないのは、志藤も一緒だったようだ。
「男子うるさいよー……」
隣の席の桜庭もううっと耳を塞いでいる。
「この時期になると教育実習生が来るんだ。魔法学園の教師もまた特別でな、万年の人員不足だから、教師の増員が急務ってわけだ。もちろん誰でもいいってわけではなく、それ相応のキッツイ試験を受けてな」
林が言うキッツイ試験だが、へっへっへと笑っている今の林を見るに、もしかして簡単に出来てしまうのではないかと邪な気も、する。
「その教育実習生が、美人な姉ちゃんだったら? ……それじゃ、入って来い」
「――一学年生の皆さん、初めまして」
期待させる林の言葉通り、教室に入って来たのは、見た目麗しい美人の女性教育実習生だった。腰まである金髪に、美しい青い目。背丈はすらりと高く、大人っぽい身体つき。
「小学生の時からその魔法の才を認められ、アメリカの魔法大学に飛び級で入学してたそうだ。ぶっちゃけ俺より優等生の秀才お嬢様だ」
教卓の上に両手を乗せたまま、林は説明をする。
「飛び級って凄くね!?」
「う、うわぁ……!」
盛り上がる男子陣。
「マジか! 仏の林先生っ!」
「ああ、綺麗だ……!」
見事に、志藤と誠次もノックアウトしていた。
「ええ!? もー……」
そこを、隣の席の桜庭がどこか不満げに頬を膨らませて見ていた。否、桜庭のみならず、女子陣はみんな呆れたり苦笑している者が多数だった。
「あらあら」
1-A生徒の素直な反応に、金髪碧眼の教育実習生の女性は口に手を添え、上品に苦笑している。その一瞬、誠次と、怪我をしているのに相変わらず装着している誠次の背中のレヴァテインを青い目で見つめる。
「まあこれが1-Aだ。自己紹介を頼む」
予想以上の男子の反応だったのか、苦笑した林が視線だけを女性に向け、そう促していた。
「はい」
口元に手を寄せたままの女性は、どこか男の耳にしっとりと残るような艶やかな声音で、こう言うのであった。
「アメリカの魔法大学から帰国子女と言う形で赴任して来ました、星野百合です。百合と、呼んでくださいね? 二〇歳ですので、お姉さんみたいな感じかな?」
五〇人の視線に対しても一切物怖じすることなく、百合は言っていた。向こうの気質が染みついているのだろうか。
そして――。
(今、星野って……)
誠次はそこで、大阪の同級生の姿を思い出し、ハッと驚く。そんな反応を示した誠次の心中を察したのかどうか分からないが、百合は誠次を見つめ、どこか妖しく微笑んでいた。
「も、もしかして俺の事見て笑ってなかったか……? 俺にもとうとう、春が……!?」
「それはないと思うよ……。断言する」
「いや……断言しないで……桜庭……」
やれやれと、志藤は後ろの席にいる誠次を見やる。
「おーい、天瀬?」
「天瀬? ……あ、星野、って……」
桜庭もそれにつられ、どこか不安そうに誠次を見ていた。




