10 ☆
プツリと、連絡が途絶える音が静かな寮室で鳴る。八月も終わりに近づく夏の夜、相変わらず締め切った窓の外の夜の世界も、今日も静かに朝へと移り変わっていくのだろう。――渦中の、大阪に聳えるアルゲイル魔法学園を除いて。
志藤颯介は窓際に腰を降ろし、カーテンを開けて、煌々と輝く都会の夜景を見つめていた。
「もしもし、父さん。天瀬に、全て伝えました」
志藤が続いて電話をかけた先は、こちらからはずいぶんと久し振りな気がする、自分の父親だった。名は志藤康大。顔立ちは似ておらず、颯介は母親似だと言うのが、周囲からのもっぱらの評判だ。
『すまん颯介……。゛会社゛の規則上絶対にやってはいけないことだが、事態は一刻を争っていたんだ』
「子供にも詳しくは言えない事なんですか?」
『……すまなかった。ただ、お前を最後まで巻き込みたくはなかったんだ』
デンバコを耳元に、志藤はじっと俯く。
「巻き込みたくないって……今更……」
志藤は顔を上げ、悔しい顔色を浮べる。自分の父親がどんな存在なのかも、おおかた、理解していた。
「あなたにも聞きたいことはたくさんある。けど今は、天瀬の方の心配だ」
『颯介、お前……』
「アイツを死なせたりなんかしたら、俺は絶対アンタを憎む」
『大切な友達のようだな』
久しぶりに父親のほくそ笑んだ顔を見た気がし、どこかむず痒い気分だった。
「き、切ります。天瀬の事、頼みます」
『お前はアイツの母親か。切る。ありがとうな、颯介』
俺のツッコみは、果たして親譲りのものだったのだろうか。
父親の顔が消滅した刹那に、そんなどうでもいいことを思い至る。
「……俺、見事になんも出来ねえな……」
さてどうするか、と腕を組む。
分かった気がして、林間学校明けに誠次に強く言ってしまっていた。裏で、テロと戦っているなど、想像もつかないことだった。
「このままじゃ格好悪すぎるだろ、俺……」
※
治癒魔法の、白く淡く優しい光が、負傷した全ての人を癒している。目に見える傷は次々と塞がれ、出血は止まっていく。
「君、は……?」
立ち上がれないほどの身体の痛みは残る。だが、影塚はそれでも血だらけの顔を上げ、自分を治療した人の姿を見た。純白のドレスを身に纏った、少女が治癒魔法の術式を展開している。自身の周りを包む白い光が、少女の幻想的な雰囲気を増大させていた。
「すごい、特殊魔法治安維持組織でもこれほどの治癒魔術師は居ないぞ……」
すぐ隣の茜も、苦しげだった表情が和らいでいく。
「きっと、彼女の魔素は、治癒魔法に適応しているんだね……」
影塚も優しく口角を上げ、微笑んでいた。
しばらくすると、その治癒魔法を発動していた少女が駆け寄って来る。薄暗い中でも白く透き通るような肌色をした少女は、影塚と茜の前にしゃがみこんだ。
「この場の皆さんの治療はしました。応急処置程度ですが、命は大丈夫だと思います」
ドレス姿と合わせてみれば、清楚なお嬢様を彷彿とさせる口調と佇まいで、銀髪の少女は告げる。
「君は一体……?」
影塚が問う。
「私は、香月詩音と言います。天瀬くんと一緒に、大切な人を守る為にここにいます」
「私たちの無力のせいで、すまない……。見事な治癒魔法だ」
茜が素直に褒めるが、香月は複雑そうな表情を浮べていた。
「ありがとう、ございます。……でも、私の治癒魔法では彼は……」
「彼……」
茜がロフトの奥の方を見る。
そこでは音を立てながら、三つの白い閃光が次々と煌めく光景があった。人を斬ることに容赦のない大剣使いと、魔法学園の理事長。どう考えても、天瀬誠次に不利な状況であった。
「確かに、天瀬くんに魔法は効かないからね」
影塚がそう言うと、
「違う広……。だからお前は鈍感すぎるのだ……」
茜がやれやれと、肩を竦めていた。
「二人は安静にしていてください。私は今から、天瀬くんのところに向かいます」
香月は立ち上がりながら、決意を込めて、そう告げる。
「天瀬くん……。ごめん……。僕たちが、魔法生を守らなくちゃならないのに……」
「……もう、行きます」
銀色の髪を靡かせ、香月は振り向き、走って去って行く。
影塚は悔しそうに呻いて、柱に深く背中を預けた。
「いくら゛捕食者゛を討伐しても、人を守れないんじゃその意味はない……。僕は……」
掠れゆく意識の中、影塚は歯を食いしばっていた。
痛みを堪え、誠次は新たな敵の姿をその目に映す。染めているのか白、と言うよりは灰色の髪の毛。三白眼の瞳は、一目見た者を威圧させるには十分なほどの迫力がある。
そしてその男は、やはり身の丈以上はある大剣を担いでいる。横に立つ朝霞の持つ日本刀と比べれば、刀身の長さこそは若干長めな程度だが、大きさの違いは顕著だった。
――そして。
「彼女だと……!?」
戦闘中に出た信じ難い言葉に、耳を疑う誠次。
「よお剣術士。俺の名前は戸賀彰。詩音の彼氏だ」
大剣の先で、戸賀と名乗った男はにたりと笑う。
「彼氏……? ――このっ!」
誠次はレヴァテインを振り払い、戸賀から距離を離した。
(なんてパワーだ! 押し負ける!?)
戸賀の太刀筋は素人同然にデタラメ。荒々しく、動物の本能のように。だがそれ故に動きが読めず、力任せな攻撃は純粋に脅威であった。
誠次は戸賀の大剣による攻撃をまともに受け止めてしまい、身体を一歩、二歩と後退させられた。
「香月さんによる奇襲戦法はお見事でした」
その先で待ち構えていた朝霞。そして、そこから突き出される日本刀。
誠次はすぐにレヴァテインを構え直し、朝霞からの一撃を迎撃する。戸賀に比べると幾段か素早い朝霞の攻撃に追いすがろうと、誠次は必死にレヴァテインを振っていた。
「メーメー鳴いてみせろよ! ええ!? ヒツジさんよッ!」
背後から再び、戸賀の叫び声と攻撃。
「――っ!」
誠次は咄嗟に身体を屈ませ、一瞬の溜め動作の後、すぐにレヴァテインを突き出す。それにより、誠次のレヴァテイン、朝霞の日本刀、戸賀の大剣が一点で交錯し、火花を散らす。
(ここで俺が退くわけにはいかない!)
自分の足の先にいる人の命。その姿が次々と頭の中に浮かび上がり、誠次は腕に力を込める。
だが、この場では戸賀の力強さに軍配が上がっていた。
「詩音は、俺のモノだ!」
「誰が、テロリストなんかに彼女を渡すものか!」
「フフ。かたやテロと戦う正義の味方。そしてかたや恋敵と戦う愛の戦士。忙しいですね、天瀬くん?」
他人事のような朝霞がまず退き、誠次と戸賀が睨みあう形となる。
「朝霞!? 待て!」
「お前の相手は俺だーっ!」
戸賀が力を強め、誠次は逆に押される。
「クソっ!」
支えきれない――!?
そう悟った刹那、誠次の後方から魔法の光が何発も到来し、戸賀を強制的に退けさせた。
「一体何だ!?」
眩い光に、顔を覆って竦んだ戸賀。
「眩しいっ!」
これには誠次も思わず目元を覆っていたが、次の瞬間、すぐ横で声が聞こえた。
「私よ」
「香月!」
収まる光の元、誠次が声を掛けると、それに真っ先に反応したのは真正面にいる戸賀だった。
「その声は詩音!? 詩音僕だよ!? 戸賀彰!」
体の芯から喜ぶような戸賀の歓喜の声。
しかし、香月は戸賀を一瞥すると、
「……誰?」
首を傾げていた。
「知らないのか?」
「ええ。まったく」
誠次の問いにも、香月は嘘をついている様子ではなかった。
「う、嘘だよね詩音!? 施設で一緒だったじゃないか! ……そうか分かったぞ、悪い奴に洗脳されているんだね!?」
「それはあなたの方じゃなくて?」
戸賀の肉薄するような勢いに、香月は一歩、二歩と下がって冷やかに告げる。そんな香月を庇うように誠次が手を伸ばしたのだから、戸賀の怒りは頂点に溜まったようだった。
「許さねえっ! 黒スーツのみならず、お前も僕と詩音の恋を邪魔するのか!」
「何の話だ!? ふざけているのか!?」
戦闘中だと言うのに、気の抜けるのようなやりとりであった。
「本当に知らないのか香月?」
確認とばかりに、誠次が小声で背後の香月に問い掛ける。
香月はあごに手を添え、必死になにかを思い出す素振りを見せていたが、最終的に首を横に振っていた。
「ええ、本当に何も知らないわ。少しだけ施設にいた時は、私のように身寄りを無くした人でいっぱいだったから、その中で会ったかもしれないけれど……」
「嗚呼、戸賀クン。可哀想なことにあなたの彼女は、剣術士によって洗脳されてしまっているようです……」
戸賀の背後からぬいと姿を現したのは、芝居がかった仕草で頭を押さえる、朝霞だった。わかりやすい嘘だったが、今の戸賀は朝霞に見向きもせずに誠次を睨んでいた。
「剣術士……貴様ァッ!」
「……っ!」
三白眼の異様な迫力に、思わず寒気を感じる誠次。
――だが。
「なんであれ、香月をもうテロリストのところに返させはしない! 戸賀、悪いが香月は俺が守る!」
執事服でそう宣言する誠次は、レヴァテインを戸賀に向け構える。
「言ったな……!」
戸賀が再び大剣を構え、誠次に向けて突撃する。
斬り合う誠次の後方では香月と朝霞による魔法の一騎打ちが行われていた。赤、白、緑、青。色とりどりの魔法式が浮かんでは光り、魔法を放って消えて行く。
「フフ。愛は憎悪を生む。本当、扱いやすいヒトですね彼は」
「そうやってあなたは、他人を道具のようにしか使えないのね」
無表情ではあるが、明らかに香月の言葉には怒気が混じっていた。互いの魔法が接触し、爆発する。
その光の下では、尚も誠次と戸賀による剣での戦いが繰り広げられていた。
「許せないんだよ! 詩音を道具のように使いやがって! 詩音は僕のモノだ!」
「モノだと……! そんな考え方こそが、魔法を悪に使うテロリストの証拠だろ!」
「うるせえっ!」
一旦離れた、戸賀が大剣による闇雲な攻撃を止め、左手で拙く魔法を組み立て始める。誠次は戸賀が発動する魔法を読み、柱の後ろまで退く。そこで、朝霞と魔法戦を繰り広げていた香月と合流する。
「香月。大丈夫か?」
「あなたの方こそ、借り物の服なのにボロボロね」
誠次はそこで、埃まみれとなっている自分の黒い正装の姿を見た。ところどころ、切り破られた部位もある。
「お嬢様に心配される様じゃ、執事失格だな」
「その様子だとまだやれそうね」
「勿論だ!」
素早い会話を終えた直後、柱の向こうから魔法による爆発攻撃が飛来し、柱が衝撃でかける。さすがは魔法学園の体育館と言うべきか、先ほどから続く衝撃の中でも、地響き一つとして起こらない。おそらく一階にいる人は穏やかなパーティーの雰囲気もあって、ロフトでの攻防に気付くこともないのだろう。
それでも誠次は香月を抱きしめ、爆発の衝撃から背中で守っていた。柔らかい感触、心地の良い匂い。香月の体温を身体全体で感じ、誠次の身体にも自然と熱が篭る。
「天瀬くん……。今の私たちの関係を、あの男に見せてあげましょう……」
誠次の耳元でぼそりと、香月は微笑みながら言ってくる。
「関係……だと!?」
聞こえたのか、戸賀が食い気味で反応する。
香月のむき出しの肩を押さえて離しつつ、誠次は「そうだな」と真剣な顔で頷いた。香月をあんな男の元へはやりたくない。今はただそれだけを思い、誠次はレヴァテインを香月に向ける。
「いけません戸賀。あれは止めなければ!」
珍しく、焦りの声の朝霞。彼の中でも、付加魔法は脅威なのだろう。
「おうよっ!」
間もなく、戸賀が大剣を振り回しながら突撃してくる。
「っち!」
誠次は舌打ち交じりに柱から飛び出し、戸賀を迎撃。続く朝霞の日本刀の攻撃は、香月が攻撃魔法を繰り出し、接近を拒んでいた。
だが――これでは一向に埒が明かない。警備員たちを抑えている香月の氷がいつ溶けてもおかしくはなく、次第にこちらが押されてしまうのは明白だった。
「しまっ!?」
その焦りが、誠次の隙を生んだ。
「フフ!」
いつの間にか、懐まで接近していた朝霞。彼が持つ日本刀が、誠次の利き腕である、右肩に狙いを定め――。
「させないっ」
香月が咄嗟に下位攻撃魔法式を展開、寸での所で朝霞の一撃を防ぐ。
しかし、戸賀の攻撃は止まらなかった。
「前が留守だぜ!?」
戸賀が大剣を振りかぶり、勢い任せに振り下ろす。
朝霞の攻撃に気を取られていた誠次は、それに反応できずに、呆然と立ち尽くしたままであった。
「ぐわああああっ!?」
戸賀が振り切った大剣の一撃は、誠次の右肩を深く穿つ。自分の視界の右隅から飛び出る血の音と、骨が砕かれる音を確かに聞いた誠次は、レヴァテインを持つ右肩を抑えてしまっていた。その手の下からも、血が噴き出して来る。
「天瀬くん!?」
「お見事です戸賀!」
香月の叫び声がロフトに響く中、誠次はさらに朝霞の回し蹴りを喰らい、吹き飛ばされた身体を床に叩きつけられた。
「そ、そんな……駄目……っ」
誠次がやられ、香月はわき目も振らずに急いでその元に駆け寄る。
「きゃっ!?」
そんな香月の頭上から降り注いだのは、朝霞が発動した拘束魔法だった。香月を中心に、三百六十度の魔法による光の輪が流れ、その行く手を塞ぐ。
「お、おい朝霞!?」
戸賀が狼狽するが、
「ええ分かってますよ。ただ、そのままというわけにはいかないでしょう。眠り姫は執事ではなく、本当の王子のキスで目覚めさせないと」
行き場を無くした香月の足元から、朝霞がさらに巨大な魔法式を構築する。高位幻影魔法《ナイトメア》。その紫色の光に包まれた対象は、絶対に抗うことの出来ない眠りに堕ちていく。
「……っく」
香月は必死に防御魔法を構築しようとするが、そこは朝霞の方が上手だった。
「こんな……ところで……」
しかし身体の力は吸い取られるように抜けて行き、香月は膝から床にうつ伏せで倒れてしまった。
「よっしゃあっ! 詩音を取り戻したぞ!」
両手を高々と上げ、歓喜する戸賀。
「ちくしょう……っ!」
その一部始終を、誠次は床に這いつくばって見ているしかなかった。想像を絶するのは、右肩の痛みだ。右目に沁みているのは血で、頭部から出血もしているようだ。
「香……月……っ!」
誠次が左手を伸ばす。右腕の感覚は、まるで痛みで消えてしまっているみたいだった。
(動けよ……! 右腕……!)
不思議なのは、力が入っていないはずなのに、血の滴る右手はまだしっかりレヴァテインを握っていることだった。
誠次が左手を使って再び立ち上がろうとしたその時、とある物体が目の前を横切った。
「お前!? なんでこんなところまで……」
おぼつく足に、霞む視界の先。大阪に来た初日からよく見かけた黒猫がしっぽを揺らし、とことこ歩いて朝霞と戸賀の方へ向かっていたのだ。
「待て――!」
誠次は黒猫に向けて、左手を差し伸ばす。
「――なら、一緒に行くか? 天瀬」
黒猫が振り向く。あの人の、声が聞こえる。
「え……!?」
誠次が驚く声を出すと、黒猫はサファイア色の目を瞑り、その場で「にゃあ」と一鳴きする。黒猫に明確な異変を感じたのは、その直後のことだった。青色の電流が黒猫の身体にバチバチと流れはじめ、その身体が見る見るうちに巨大化していく。
――いや、変化と言った方がいいか。
そして、やがて黒猫は完全に二足歩行をするヒト型へとなり――、
「八ノ夜、さん!?」
ヴィザリウス魔法学園理事長、八ノ夜美里。左目だけでしか見えないが、幼い頃からの付き合いの彼女を見間違うはずもなかった。
八ノ夜は確かに黒猫から変化し、目の前に現れ、長いまつ毛の目で誠次を見つめていた。
「待たせたな天瀬。反撃開始だ。行けそうか?」
理事長服に身を包み、凛とした印象の八ノ夜からの、試すような声。
八ノ夜の奥には、魔法で出来た檻が見える。その中にいるのは、眠っている香月だ。そばには朝霞と戸賀が立っており、まるで檻に囚われている姫のようであった。
「聞きたいことは山ほどあるだろうが、今は急ぐぞ」
「はい……。香月を取り戻します!」
右肩に手を添えつつ、それでも誠次は痛みを抑え込み、頷く。
パーティーの夜は、まだ終わらない。




