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『こちら、実行班……。手筈通り配置に到着していますが……問題が……』
『どうした?』
『本城が演説を開始し、注意を引いています……。そして、一人の魔法生がそばを離れそうにありません……』
体育館一階部にいる、レ―ヴネメシスの構成員たちからは、次々と戸惑いの無線が入る。
『大した問題じゃないだろう?』
それに応える男――東馬の声音には、軽い苛立ちが混ざっていた。完璧な作戦のはずだ。なにより、仲間の一人はSPにでさえ紛れ込んでいる。
『それが、この魔法生……ヴィザリウス魔法学園の生徒会長です……!』
『兵頭、賢吾か……』
弁論会本番の時、彼の手腕は確認していた。彼もまた、一流の魔術師の一人であることに違いない。だが、そんなことではこの計画はとん挫などしない。
『引き続き、朝霞の合図を待て。それですべてのカタがつく』
『は!』
しかし、パーティー会場は穏やかな雰囲気に包まれていた。それは果たして、これから巻き起こる嵐の前の静けさか、それとも――。
※
アルゲイル魔法学園体育館――ロフト。
火薬と血の匂いが充満する、薄暗い大部屋。部屋と天井を支える無数の柱が、どこか旧世紀の神殿の中を彷彿とさせる。
「ぐ……っ?」
影塚は銃弾の痕が残る柱に背を預け、血の味がする唾を呑みこんでいた。顔には頭部から流れる血がこびりつき、それが今、特殊魔法治安維持組織の黒いスーツにまで染み込んでいた。
「広……! しっかりしてくれ……!」
掠れる声を出したのは、影塚の目の前で同じように蹲る、波沢茜だった。
状況は確実に最悪だ。味方だと思っていた警備員の多くは敵に寝返り――敵の使う幻影魔法による意識混濁の線もある――ただでさえ少ない戦力はそがれ、いたぶられた。
茜の救援によって一命は取り留めた影塚だが、もう治癒魔法を発動する腕も持ち上げられないほど、衰弱していた。
そうしてきた敵こそ、アルゲイル魔法学園現役理事長、朝霞刃生。
「正直に言うと、私は驚きましたよ。まさかあなた方二人がここに来るとは」
傷一つとして負っていない朝霞は、相変わらずゆっくりとした足取りで影塚の前に立つ。
「ある魔法生の、お蔭だ……」
「フフ。魔法が使えない、魔法生のことでしょうか」
影塚の言葉に、嘲笑を浮べる朝霞。
「何故天瀬くんに、計画を話した?」
「簡単に言えば、絶望を味あわせたかったのですよ。今のこの世で、彼がどれだけ足掻いても無駄なことを」
「彼は目の前で家族が殺される絶望をもう味わっている。そして自分の無力を知ることも。今さらそんなことでは、諦めはしないよ……」
「どうやら、そのようですね」
朝霞は肩を竦めていた。
さらに、と朝霞は影塚の前にしゃがみ、血だらけの顔を覗き見る。
影塚も負けじと、歯を食いしばり、朝霞を睨み返した。
「あなた方二人は私の予想を破り、無謀にも刃向かってきた」
「すべてがお前の言う通りになるかと思うのは、大間違いだ、朝霞……」
「満身創痍のあなたが言えることではありませんよ」
「このっ! 《エクス》!」
茜が咄嗟に攻撃魔法を展開し、発動する。
が、朝霞は茜の方を見向きもせずに、片手で組み上げた防御魔法で攻撃を防いでいた。そして、お返しと言わんばかりに、続けて攻撃魔法を発動。
「ぐあっ!?」
朝霞の発動した魔法は、茜が発動したものと同じ魔法。
それに直撃した茜の身体が回転しながら吹き飛ばされ、地面に打ちつけられる。
「茜……!? このお……っ!」
立ち上がろうと気力を振り絞る影塚だったが、朝霞はそれを許さず、足で影塚の身体を柱に押し付けた。身体全体に伝わる痛みに、影塚は吐血する。
「さて、あなた方には今から地獄を見てもらいますよ」
「何を、する気だ……!」
「ご安心を。あなた方魔術師の命まではとりません。もちろん記憶は抜かして頂きますが。ですがそれ以外は――」
朝霞は、細い目から覗く青い瞳の眼光を、足元に向けた。
「消えて貰います。この魔法世界に、不適格な人種ですから」
「やはり……本城大臣たち大人の淘汰か……!」
茜が床を這うようにして手を伸ばし、朝霞を止めようとする。が、その手が届くことはなかった。
「安らかに眠れ、本城直正。あなたの夢は、私が継ぎます。形を変えて」
朝霞は影塚と茜に背を向ける。向けた先にあったのは、壁に取り付けられた緑色のランプが灯る、なにかの大きな機材であった。そこから伸びるコードは天井をつたい、ロフトの闇の先へと繋がっている。
「それは……?」
「学園の機材です。壊すと大変なので、大事に扱いましょうね」
朝霞はそれに向けて右手を伸ばし、魔法式を構築する。
「もしこれが壊れてしまったら嗚呼、大変。たちまち下の階は真っ暗闇です」
その光景を想像しただけで、影塚と茜の脳裏に悪夢が過る。急な停電に、人は冷静ではいられないだろう。例えそれが一瞬の事であっても、隙などいくらでもあった。
「回りくどい事を!」
「策略家と呼んでください」
ふと、朝霞の顔に喜悦が混じる。構築途中の魔法式から手を離し、肩を揺らして笑いながら、振り向く。
影塚と茜も、何事かと重たい顔を上げ、朝霞と同じ方を見た。
「いけない、あなたを忘れるところでしたよ……。天瀬誠次くん!」
「朝霞、刃生……!」
誠次はレヴァテインを持たず、一人丸腰で、朝霞と再び対面していた。
ロフトに入った途端、すぐに鼻を刺激した血の臭い。辺りには瀕死の警備員たちが倒れており、少なくとも話し合えるまともな状況ではなかった。
「桜庭さんだけでなく、とうとう香月詩音さんにも愛想をつかれましたか?」
朝霞は身体を完全に誠次の方へ向け、問い掛ける。まるで、桜庭までもを利用したかのような物言いだ。
「……っ」
誠次は素手のまま、朝霞を睨んでいた。
「もう止めろ朝霞、こんなことをしても無駄だ!」
「フフ。やはりあなたは私たちの前に立ち塞がるのですか。しかし、どうしてここまで辿り着けたのですか?」
誠次は手を広げ、
「大勢の人の協力があって、ここまで辿り着けたんだ。あなたを止める為に!」
「諄いですね。ここまで来て、今更下がるつもりはありませんよ」
アルゲイル魔法学園の理事長の制服とその上に着たコートを揺らし、薄暗闇の中朝霞は言う。
「少々プランとは違いますが、どうせあなたも消える身です。ここへ来てくれたのは、むしろ好都合ですよ」
朝霞はそう言うなり、片手を頭上に掲げる。それが合図だったのか、柱の影から次々と現れたのは、なんと武装していた警備員たちだった。味方のはず、だが。
「この人たちは……!?」
誠次は驚いて、自分が置かれている状況を察しする。後ろの柱からも、敵となった警備員は現れ、誠次は瞬く間に囲まれてしまっていた。
「私たちの意志を尊重し、ついて来てくれる人たちです。つまりは革命を願う人々、ですかね」
朝霞は余裕綽々の笑みで、誠次に告げる。警備員たちは一斉に軽機関銃を構え、朝霞の目の前に壁を作るように集合する。
誠次は尚も、丸腰のまま身構えていた。
「何もしようとしない国に比べ、朝霞様の言うことは正しい!」
「力が無ければならないのだ!」
一斉に口を揃えて叫ぶ警備員――敵性組織。向けられる銃口は漏れなく全て、誠次を睨んでおり、いつ発射されてもおかしくはない。
「さて最後の交渉です天瀬くん。我々が理想とする完全なる゛魔法世界゛実現の為、ここは大人しく引き下がってくれませんか? あなたは学生らしく、大人しくしてくだされば、命まではとりはいたしません」
警備員達の奥から、朝霞が誠次に向けて手を差し伸ばす。
「断ります。あなた方が作る世界の先にあるのは、平和な魔法世界なんかじゃない」
誠次は首を横に振った。
「ああ、また君の言う事も正しい。しかし、こちらにも言い分はある」
誠次の返答を聞いた朝霞は、残念そうに肩を竦めると、しかし笑う。
「ですが朝霞゛理事長゛、あなたには感謝します」
誠次は顔を上げて、朝霞のみを真っ直ぐと見ていた。その黒い瞳には、一切のくもりはない。
「ほう? 理事長として聞きましょうか」
「林間学校であなたと戦ったことで、俺は俺のやるべき事を決めることが出来た。あなたたちと同じく、゛捕食者゛を滅ぼすこと……。そしてあなたたちと違うこと……その先に待つ人を守るんです!」
「力を持たない人を生かす余裕など、今の世にはありません。さて、もう話す口はありませんよ?」
一方的な、決めつけだ。誠次はそうと断定する。
――だから、
「交渉、決裂か」
もとより相手にその気もなく、そして誠次の方にも、今の血塗れの影塚と茜の姿を見てその気は失せていた。その二人の意識は、すでに尽きかけている。
「さぁ始めましょう天瀬くん。このロフトの奥には体育館の照明を操作する機材があります。私たちが勝てば体育館は暗闇に包まれ、大人たちへの粛清が始まります」
朝霞は手を高く上げる。元警備員たちの持つ銃の引き金に、次々と指が添えられる。
誠次は腰を低く、身構えた。
そこで朝霞は、わざとらしくハッとした表情を見せた。
「そうそう天瀬くん。……あなたは魔法生であり、魔術師ではない。よって、ここで退場して貰います」
――朝霞が手を降ろす。途端、銃から一斉に火花が弾け、轟音が鳴った。一切の容赦ない銃撃が、誠次に向けて放たれたのだ。
「残念です。他校とは言え、優秀な生徒が一人、ハチの巣となって亡くなってしまったのですから……」
とたん、着弾点より噴煙に似た白い煙がうち上がる。自然現象ではあり得ない光景に、
「――っ!?」
驚く警備員たち。
白い煙の中から、一陣のつむじ風が天井に向け、飛び出していたのだ。それは、きちんとした質量を持ち――、
「――香月ーっ!」
煙を身に纏いながら、出現した誠次は抜刀したレヴァテインを構え、上空から敵陣に突入する。
誠次がいた場所には、レヴァテインの鞘を持った香月が、防御魔法を起動して平然と立っていた。香月の真正面で銃弾は全て止まり、速度をなくしてその場にからからと落ちていく。
《インビジブル》を使用していた香月は、最初から誠次のすぐ隣にいたのだ。そして、発砲の直前で《プロト》を展開していた。
「フフ! やはりいたか!」
誠次の奇襲にいち早く反応した――否、出来たのは、朝霞刃生ただ一人だけだった。朝霞は反射的に腰の日本刀を抜刀し、上空より到来した誠次の一撃を防いだ。
「この太刀筋は……いけませんねぇ天瀬くん。林間学校の時とは全く違う……胴体を斬るつもりではないですか!」
狂気を孕んだ笑みと声で、朝霞は叫ぶ。
誠次は朝霞と鍔ぜり合いながら床に着地し、レヴァテインを振り払う。
「朝霞様!?」
「待て撃つな! このままでは朝霞様に直撃する!」
背後から感じる銃口のコースを予測しつつ、誠次は朝霞と相対していた。
「横に回り込め!」
誰かが叫んだのが、合図だった。
「な、なんだ!?」
「氷が……身体が……!? うわあああああ!?」
冷気が、ロフト全体を包み込んでいた。
パリパリと音を立てながら、目に見える氷結の波動が、警備員たちの手足を次々と凍らせていく。
香月が発動した氷属性の高位攻撃魔法、《グレイシス》。それはいつかの誠次が予想した通り、ロフト中が凍土と化す勢いであった。
「香月は影塚さんと茜さんの治療を頼む! 治癒魔法で傷口を塞ぐんだ! まずは出血を止めるだけでいい!」
逃げる朝霞を追いかけつつ、誠次は香月に叫ぶ。
「わかったわ」
香月は頷くと、すぐさま治癒魔法の術式を展開。倒れている影塚と茜に向けて治癒魔法の光を浴びせ始めた。
「特殊魔法治安維持組織のエース二人がかりでも敵わず、ましてや西日本の魔術師たちのトップに立つ私に、あなた方が勝てるとはとても思いませんが」
「やってみなければ!」
「それでは遅い」
朝霞はやはり、瞬間移動とも称すべきスピードだった。捉えるには、やはり香月の付加魔法が切り札となる。
――しかし。
(ここで香月のエンチャントを使うわけには……!)
影塚広と波沢茜。ボロボロの服から滲む血の量が、その手の事には素人の誠次の目でも、多くなっていたのだ。まずは二人の治療を優先しなければならなかった。
「そこだ!」
誠次は凍結した床を滑るようにして駆け、朝霞のスピードに辛うじて追いついていた。
「凍った地形を利用するとは……原始的ですが、少しはやりますね」
朝霞が白い息を吐いて、感情のない称賛を送る。
互いの得物であるレヴァテインと日本刀が交錯し、冷気の中、火花を散らす。
「では、これでどうです?」
朝霞は一時後退しながら、左手で真紅の魔法式を展開する。
「炎属性!? させるか!」
誠次は朝霞の魔法式の構築を阻止しようと、突撃する。
――が。
「――もらったァァァッ!」
突如、氷の柱が叩き割られ、その奥から新手が登場してきた。
「なに!?」
誠次が急停止し、急いでレヴァテインを構えるが、その新手が振るって来た一撃は、想像を絶するものであった。ブオン、と風が斬り裂かれる音とともに、誠次とレヴァテインに衝撃が襲い掛かる。
身体は吹き飛ばされ、誠次の身体は背中から柱に衝突。
「がは!?」
肉を叩かれ、背骨が軋む痛みに悲鳴を上げた誠次の視線の先。禍々しく煌めいていたのは、新しい銀色の刃だった。
「よう剣術士……。突然だが、俺の彼女はどこだ?」
身の丈はある大剣を担いだ男は、野生児のような歯をむき出しに、けたけた笑っていた。




