7 ☆
倒れている黒いスーツ姿の男。その胸ポケットに収まっている通信機からは、叫び声が絶え間なく続く。そして、付近では今も、激しい戦闘による魔法の光が点滅している。
『状況はどうなっている!?』
『仲間が……仲間が裏切ったんだ! 朝霞の罠だ!』
『挟撃されている! 敵と味方の判別は!?』
「全員落ち着け!」
影塚は魔法式を展開しつつ、敵の姿を捉える。
「飛んで火にいる夏の虫が、一人」
「虫だから一匹だよな朝霞!?」
暗闇の室内の奥から響く会話に、影塚は満身創痍の身体で、反応する。
前者は朝霞。魔法学園の理事長の制服に身を包んでおり、その手から繰り広げられる数々の魔法は、次々とこちらの仲間を問答無用で薙ぎ倒している。
そして後者は――
「君は一体……!?」
辛うじて捉えることが出来たのは、大剣だった。声質からして、使っている者はまだ大人ではない。
何よりその剣による攻撃には、自分もよく知る誠次の振るうそれとは明らかな違いがあった。
「人を斬るのに、迷いがない……!?」
誠次との訓練の時とは違う。相手は明確な殺意を持って、殺る気が違っていた。鈍く光る銀色の刃が容赦なく、こちらをつけ狙う。まるで、なにかの執念を感じさせるほどに。
「広……?」
その時、後方より茜の声がした。
「茜! 駄目だ!」
「もう遅-よ。黒スーツども」
振り向いた影塚の目の前に、姿を見せた三白眼の男。そしてその男の手にはやはり……男の背丈ほどはある、巨大な大剣が。
「消えちまいな!」
ニヤリと笑う男の大剣が、容赦なく振り下ろされた。
その一撃は、人体を易々と両断し――。
※
本格的なピアノの旋律が流れている。
幻想的な橙色の照明に変わったアルゲイル魔法学園体育館内。本城直正らが演説していたステージには、タキシード姿の楽団がジャズを演奏していた。
「なんだか……滅茶苦茶見られている気がする……」
レヴァテイン――剣を持った執事が体育館内に足を踏み入れた途端、周囲からじろじろと。
「まあ半分コスプレだしな……。いや、周りと比べて俺だけは八割方か?」
剣を右手で持っている分、である。
館内はすっかり豪華な装飾が施されており、昼の重苦しい空気はなくなっていた。そこには脅威が間近に迫っていることなど、とても思えないような華やかさだ。当然と言えば、当然だが。
「そう言えば、結局弁論会はどうなったんだろうか……」
誠次にすればそちらが当初の本番だったのだが、結局一連の騒動で結果が分からずじまいであった。
「あ、天瀬」
「天瀬くん」
話し声と音楽のBGMの中、桜庭莉緒と香月詩音の声がし、誠次は顔をそちらへ向ける。
「二人と……も――」
向けた瞬間、誠次は思わず言葉を失った。ドレス姿の艶やかで美しい同級生二人が、そこにいたからだ。
「その格好、執事さんじゃん!」
「そう言う桜庭はお嬢さまみたいだな」
「あ、ありがとう……。な、なんかこういう感じのドレスしかなくってさ……」
恥ずかしそうにしている桜庭は深紅のレースのドレス。スタイルが強調される作りで、胸元は少し大胆に覗いているが、中世の姫君のドレスと言った感じで、下品な気はしない。髪をアップで纏めている桜庭は少し恥ずかしそうにはにかんでいた。
「え、゛ヒツジ゛さん?」
「執事、だ。紙を食ったりはしない」
香月は純白のドレス姿だった。うなじや肩を出したノースリーブで、丈の長めのスカートの下からはすらりとした白い素肌の足が覗く。花束とヴェールを持っていれば、まるでウエディングドレスを纏っているような美しさだった。
大胆、と言う点では何を狙っているのか、周りの女子たちも同じようなものだったが。
執事的に言えば、二人ともエスコート甲斐がありそうである。
「なんだか人が多くないか?」
誠次は周囲を見渡して言う。弁論会の時と比べて大人の数は目に見えて減っており、代わりに生徒の数が多くなった印象だ。
「ああ、理ちゃんが言ってたんだけど、パーティーに参加する人がいっぱい来たんだって。弁論会には興味なくて、パーティーに興味ある方」
桜庭が説明してきた。
「わかりやすすぎるな……。その点、弁論会にも桜庭は出席したよな」
「まあねっ」
誇らしげに胸を張る、桜庭だ。ただ今のドレス姿では余計に胸が強調されて、誠次は目のやり場に困ってしまうのであった。
(あそこか……)
話の途中から、誠次は所謂VIP席とも言うべき、体育館ステージ側を見ていた。
本城直正は、他の来賓者である女性とグラスを片手に談笑しているところだった。彼の周囲には、茜曰く政府要人警護のSPが四人ほど。
「――なんだかバタバタしちゃったけど、あたし天瀬が来てくれて嬉しかったよ?」
桜庭のどこか期待するような言葉。
誠次は本城から一旦視線を外し、桜庭の方へ向き直り、胸元に手を添えて軽く頭を下げる。漫画で見たことがある執事の姿を、真似ているのだ。
「心配おかけしましたね、お嬢様。なんなりと」
「ちょっと恥ずかしそうにして言わないでよ」
誠次の見よう見真似な執事言葉に、ほんのりと顔を赤くした桜庭は口に手を添えて、まんざらでもないようにくすりと笑った。
桜庭が持つ童顔が、大人な雰囲気のドレスとのギャップをいい意味で生み出している。
「ごめんなさい天瀬くん……。私、桜庭さんに伝えられなかったわ……」
続いて、誠次のすぐ近くで耳打ちするように香月が言ってくる。
「茜さんは下手に伝えないほうがいいって言っていた。結果オーライだ。俺に謝ることはない」
「……ありがとう」
そんな二人の小声でのやり取りを、桜庭は遠慮がちにだがじっと見てから、
「本当にすごい人いっぱいだね……。だから、はぐれないように三人一緒でいたいよね……」
「そ、それは……」
誠次は思わず口ごもる。その黒い瞳の視線は、ステージの本城の方とこちらを交互に。
「……」
そんな釈然としない誠次の態度を、桜庭は伏し目がちな目で見ていた。
一方、本城はたった今、アルゲイル魔法学園の生徒会役員との会話を終えた所だった。
チャンスは今しかない――。
――だが桜庭は?
誠次は桜庭の緑色の目を直視できず、悔しそうに視線を背けてしまっていた。
「ごめん桜庭。今から俺は、本城さんのところに行かなくちゃいけないんだ……」
掠れそうな声で言う誠次。
「え。……じ、じゃああたしも……」
「だ、駄目だ」
誠次は断る。
「え……」
桜庭の目が大きく動く。
その視線は誠次に何か言うように訴えるのだが、誠次はそれに気づくことをしなかった。
「こんなんで、ごめん……。すぐ戻ってこれるかどうかは、わからない」
だが他に方法は思いつけず、誠次は桜庭に頭を下げていた。
「そんな……待ってよ……」
「……桜庭さん。私たち、どうしてもやらなくちゃいけないことがあるの……だから」
少し沈んだ口調の香月は、誠次に向けて手を伸ばしかけていた桜庭に言う。
桜庭は伸ばした手を降ろしていた。
「……こうちゃんじゃないと、駄目だからだよね。あたしは魔法があまり得意じゃ無いから……」
震え声で、桜庭はたどたどしく言う。
「違う、そうじゃない!」
誠次が咄嗟に言い返すが、桜庭は笑って首を横に振っていた。
「ううん大丈夫だよ……。あたしも自分自身でわかってるから。……今のあたしじゃまだ、駄目だってことぐらい……。行ってらっしゃい」
胸元に手を添え、桜庭は俯いている。
「……ごめんなさい、桜庭さん……」
香月は頭を下げてから、誠次の後を追った。
「……っ」
一人残された桜庭はもう何も言わず、誠次と香月を追いかけることもしなかった。
「卑怯だが……言えなかった……」
桜庭と別れ、歩きながら誠次は、自分の右手を見つめる。
「きっと桜庭だから許してくれるだろうって、桜庭の好意を利用してしまった……」
誠次はどうしようもなく、息を吐きだす。
「私が言えたことじゃないかもしれないけれど、この状況じゃ仕方がないわ……。それに、私がちゃんと言えなかったから……」
香月は気落ちする誠次の横について歩く。
「……大丈夫だ」
香月に向け、決心した誠次は首を横に振る。
八ノ夜は二つを取ることは間違っていないとは言ったが。……結局それは、優柔不断なのではないか?
誠次は唇を噛み締めていた。
そんな誠次の強張った肩に、香月がそっと手を添える。
「桜庭さんなら、きっと分かってくれるはず。それに、私も同罪よ。全て終わらして、一緒に怒られましょう」
そう言った香月を見ると、頷き返してくれた。
誠次の強張っていた表情と身体は、それだけで少し緩んでいた。
「励みになるな。――桜庭にはあとで誠心誠意謝る。許してもらえなくても……。だから、あとでちゃんと謝る為にも、桜庭を守る為にも、今は俺たちに出来ることをやろう」
握りこぶしを作り、誠次は真正面を見据えて告げる。
「ええ」
香月も真剣な表情で、こくりと頷いた。
「今から本城さんに接近する。SPに止められないよう、レヴァテインを《インビジブル》してくれ」
(わかったわ)
すぐに香月は誠次からレヴァテインを受け取り、自身に姿を消す魔法をかけていた。
※
『――魔法を憎んでいた、ある少年。だが少年は魔法と、゛魔法を扱う者゛に近く触れた事でその考えを変えた。この会場にいる全ての大人、そしてテレビを見ている全ての人に言いたい。本当に恐れるべきは一体何なのか!? それは魔法ではなく、゛捕食者゛やテロなのではないのか!? そして魔法生は、そんな脅威からみんなを守る、最後の砦だと思うのだ! 魔法が使えない大人の方も、どうか魔法に触れ、その考えを改めてほしい!』
――それはこの賑やかなパーティ会場にて、先ほどまで行われていた弁論会時の、兵頭賢吾の言葉。兵頭の隣に座る同級生長谷川は、その兵頭の言葉を聞いて慌てていた。
おそらく、台本にない言葉だったのだろう。
そしてこの会場にいたはずの、゛そのとある少年゛はそれを聞いて、一体どんな反応をしていたのだろうか。
あまり派手すぎないドレス姿で波沢香織は、一つ下の後輩である天瀬誠次の顔を思い浮かべていた。
本人には無自覚だろうが、今の波沢は思い人を懸想する、祈りの乙女のような姿でもあった――。
背中まで流した青い髪に、そんな儚い雰囲気が合わされば、当然とも言うべく周囲の男性の目を引く。
「よければ僕と一緒にどうです?」
「え!? 嬉しいですけど、遠慮しておきます……」
「失礼」
アルゲイル魔法学園の二学年生の誘いに、軽い会釈で断る波沢。
青い髪と同じく青い目は、申し訳なく視線を落としていた。父親のいない環境で育って来た為か、男性に対する偏見とも言うべき苦手意識が未だ抜けない。
「ここにいたか、香織少女」
誰かと思った野太い男の声は、兵頭だった。がっちりとした体躯が良く映える、タキシード姿だ。
兵頭はグラスを片手に、もう片手はポケットに手を入れ、波沢の横にやって来た。
「兵頭生徒会長。見事な弁論会でした。大人の人の印象も良かったかと思います」
さすがに同校のよく知った男子生徒だったら、丁寧な対応は出来る。
「そうか? 正直言うと、俺はこういうまどろこっしい真似が苦手だ」
兵頭は苦笑いで答えていた。
「……私のところに来たのは、やっぱり私を次期生徒会長に立候補させる為ですね?」
「ばれたか。その通りだ」
波沢は長いまつ毛の下の視線を落とし、
「何度も言っていますが、私には無理です。それより、長谷川くんや佐代子さんを生徒会長にするべきだと私は思います」
「あの二人は誰かのトップに立つより、そのトップに立つ人間を補佐をするのが自分の能力を最大限に発揮できる。そして、そのトップに立つべき在校生は俺は君しかいないと思うんだ」
だが波沢は、首を横に振る。
「私は……勘違いだったとは言え、過去に間違いを犯しました……。それは兵頭先輩も知っていますよね?」
「勿論だ。――そしてあの後保健室に運ばれた君の元へ誠次少年を送ったのも、俺だ」
波沢はそれを聞いて、青い目を大きくした。
「まさか天瀬くんが言っていた、差出人不明のメールを送ったのは……」
「最近のタブレットなんちゃらは使い辛いんだ……」
兵頭は悪びれもせずに言った。しかし、そこはやはりまだただの一つ上と見るべきか、使えないことがどこはかとなく悔しそうではあった。
「兵頭先輩らしいですね……。……でも分かっていると思いますが、それで私に生徒会長の資格なんて……」
「だとするのなら、責任はあるはずじゃないのか。過去に間違いを犯したのなら、今度はそれを繰り返さないよう下級生に伝える為に」
「……もう、手遅れですよ。ヴィザリウス魔法学園の生徒を束ねる資格なんて、特殊魔法治安維持組織で活躍しているお姉ちゃんみたいには……」
立ち去ろうとする兵頭に声を掛けたとたん、彼は豪快に笑いだした。
「な、なにが可笑しいんですか?」
「悪い。いや、やっぱり君こそが生徒会長に相応しいと思ってしまってな。今話してみてよく分かったんだ」
そう言うのは卑怯だ、と思いつつも、波沢は何も言い返せなかった。
ステージ上では、アルゲイル魔法学園の吹奏楽部と演劇部が合同で、音楽の演奏を開始していた。周りの生徒たちはいよいよ盛り上がり、パーティに興じているようだ。
「そうそう。その君の姉を見たぞ。俺が一学年生の時の生徒会メンバーだったから、よく覚えている」
それが兵頭の最後の言葉だった。
「お姉ちゃん、いたんですか……。……私は……」
そんな中でただ一人、波沢香織は真剣にこの先の事を考えていた。
ふと見上げると、魔法によって浮べられた照明の数々が、ぼんやりと黄色く輝いていた。
「――おっと、゛やっと動き出したか゛」
気づけば、兵頭が体育館のステージのほうを見て、何やら呟いていた。その表情はニヤリと笑みを含んでいる。
「時間を取らせてすまない。パーティーを楽しんでくれ!」
「?」
「香織ー。こっちこっち! アル学のイケメンゲットしようよー」
こちらに背を向けた兵頭に首を傾げる波沢は、パーティーに興じている友人に呼ばれ、それ以上の詮索をやめていた。




