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「どうするつもり?」
理事長室から出た直後、香月が誠次に問う。
「言った通りだ。朝霞を、テロを止める。誰一人として俺の前で犠牲者を出させはしない。ましてや、人の手なんかで」
誠次の考えに、香月はこくりと頷いた。
「朝霞の考えていたこと……私には腑に落ちないと言うか、いまいち理解出来ないわ」
「……朝霞にとって見れば、これはゲームなんだろう。林間学校で俺は事実上、朝霞に負けた。だから朝霞には余裕があるんだ」
通路を早足で歩きながら、誠次は眉間にしわを寄せる。
パーティ開始は午後五時から。朝霞の言葉通りだとするのならば、奴らが仕掛けて来る時間は、それ以降と言うことになるだろう。
(俺を試しているつもりか……)
だが、乗らなければならない挑発であった。
「……くそ!」
八ノ夜に連絡を掛けようとタブレットに指を走らせていた誠次だが、案の定音信不通だった。
「いつも大事な時にどこにいるんだ、あの人は……」
疑いたくはないが、不信感と言うのは当然の感情として、沸いてきてしまう。
「……」
誠次が悩ましげな顔をしていると、横から香月が肩に手を添えて来た。
「? 香月?」
「天瀬くん……あの、こういう時私どうしたらいいのか上手く言えないけれど……落ち着きましょう」
「あ、ああ……」
香月のアメジスト色の瞳を見て、誠次は言われた通り、一度深呼吸をする。そうだ、まだ手遅れではない。最善の策を考えないと。――それに今は、香月がいてくれている。
「……香月の言う通りだな。さっきも、ありがとう」
誠次は立ち止り、香月に向けて微笑む。
「私こそ、落ち着いてくれて、ありがとう」
「……学園の外の警備は厳重で、迂闊に手を出せないはず。となると、朝霞の言った学園の中の味方が気になる所だな……」
あごに手を添え、誠次は考える。
「まず大人の人に、知らせた方が良いと思うわ。朝霞もそれを許していたはず」
「……あいつの思い通りにいくのは気が進まないが、背に腹はかえられない。この学園には今影塚さんがいる。影塚さんなら話を聞いてくれるはずだ」
誠次はタブレット端末の連絡先に影塚広を指定し、かけた。
傍で香月がその様子を見守る。
「出ないわね」
誠次の手元をじっと見つめている香月の言う通り、影塚の応答はなかった。
「たぶん学園の警備中だからだろう。となると、探さないとな……」
言ってしまえば、巨大テーマパークの敷地のように馬鹿げた広さの学園である。その中から影塚を探すのは、簡単なことではない。
「影塚さんを探そう!」
「ええ」
――果たして、影塚の情報はすぐに手に入った。
体育館に戻った直後に会った、星野一希によって。
「体育館本館側入り口の前?」
「うん。さっき会えたんだけど女性の人と一緒だったよ。僕も影塚さんの活躍は知っているからね。……でもピリピリしてるから、会うのは難しいかもしれないよ?」
二階の観覧席にて、一希から情報を聞いた誠次と香月。
「わかった。ありがとう一希」
「理事長の次は特殊魔法治安維持組織と、か……」
何やら急かしいね、と目で問うてくる一希。
「俺、意外とモテモテだからな」
「はは。その場合、もう意外とじゃないよ」
口に手を当てて笑う一希だったが、その青い目は笑っていなかった。
「朝霞理事長とはどんな話を?」
「……」
聞かれるとは思ったが、上手い言い訳は思いつけず、誠次はじっと黙ってしまっていた。
朝霞の言葉通りだとしたら、一希は朝霞の思想を受け継いでいる、あくまでただの一魔法生。下手に巻き込むわけにはいかず、誠次は慎重だった。
「……喋れない内容なのか」
「……すまない、逆に質問する。朝霞理事長について、なにか詳しく教えてくれないか?」
「変なことを訊くね。理事長室で何があったかは分からないけど……」
一希は目を細め、未だ弁論会が続いている一階――人々を見つめる。
「変わらないよ。日本が誇る尊敬すべき偉大な魔術師だ。君の、ヴィザリウス魔法学園の理事長だって同じだろ?」
同じ……。
(おれが八ノ夜さんを信じるのと同じように、一希も朝霞刃生を信じている。互いに目標がある者同士、その為の道しるべとして……)
誠次はじっくりと考えてから、
「この学園で、教師や生徒が失踪したりすることはなかったか?」
「? そんな事一度もないけど」
一希は目をしばたかせていた。
どうやら朝霞は本当に、アルゲイル魔法学園の生徒には手を出していないらしい。彼が言う魔法世界の将来の卵である魔術師は、やはり大事に扱っているのだろうか?
「そうそう。よく演習場の魔法実技授業には、変性魔法で犬に化けてひょっこり出て来たり。面白い人でもあるね。理もはるかも、尊敬していると思うよ」
(……そんな人と、今から戦おうとしている……)
その結果はどうなるか?
誠次には未だ想像がつかず、それでもやらなくてはならないことに、変わりはなかった。
「……もし朝霞と再戦になったら香月の力を借りるかもしれない。大丈夫か?」
一希と別れたあと、誠次が訊くと、香月は得意げな表情で、
「合点承知の助、よ」
「な、なんだよそれ……」
香月の口からいきなり飛び出た江戸言葉に、誠次はどこか張り詰めていた空気を崩された。
「大阪弁に対をなす江戸言葉よ。……誰もなんでやねんっ、て言ってくれないから、私から仕掛けていくつもり」
「調子狂うな……」
ふっと、微妙に微笑む香月。
「頑張りましょう、天瀬くん」
「ああ。アイツの思い描く世界に魔法が使えない俺の席は無さそうだしな。抵抗してやるさ」
その後、誠次は一人で体育館の外へと向かった。
香月には桜庭の方に行っていてやってくれと、頼んだのだ。
一希の情報通り、体育館の外にて、誠次は影塚広と波沢茜を見つけた。
「影塚さん!」
「天瀬くん? 一年生の君がここに来てたのかい!?」
「君は……奇遇な事もある。久しぶりだな」
驚く影塚と波沢香織の姉である波沢茜の前に走り寄り、誠次は状況を全て説明した。
「朝霞理事長……一体どういうつもりだ……」
説明を聞いた影塚はあごに手を添えて、思いつめた表情だ。
「前もって犯行予告を出すとは、遊んでいるつもりか……」
茜も腰に手を添え、悔しそうにしていた。
「……」
「……」
影塚と茜の号令によって集まった警備員たちもマスクとゴーグルの下の硬い表情を崩すことはなく、ただただ静かにその場に立っているだけだ。
一体なんなんだこの奇妙な間は……? と誠次は内心で、苛立ちに似た何かを感じていた。
「……対応はどうしましょうか?」
誠次が周囲の大人に向けて問う。まさかの、第一声である。
だが、帰って来た返答は、誠次の予想と期待とは大きく外れたものだった。
「事態を説明して……上からの指示を待つ。それまでは現行の警備体制を維持する……」
影塚がまず、苦虫を噛み潰したように言う。誠次が何か言いたげなのは、重々承知だと言わんばかりの、悔しそうな表情で。
誠次は呆気に取られるが、影塚の言葉は続いた。
「まず……証拠と信憑性が足りない。天瀬くんの言葉だけじゃ、朝霞さんがテロリストだと言う確証が得られないんだ……」
「俺の言うことが、信用できないんですか……?」
「そうじゃないんだ……。ただ僕たちは組織の一員。君たちが学園の先生の言うことに従わなくちゃいけないのと同様、上からの指示に従っていないといけないんだ」
それが組織と言うモノなんだ。そう影塚は、誠次を宥めるように、言っていた。現代の組織の上に立つ大人――すなわち、魔法が使えない大人。魔法が使えない大人を排除し、魔術師の為の世界を作る。皮肉と言うべきか、朝霞の考えが今の誠次の脳裏に過ってしまう。――だからと言って、人を武力によって無理やり従わせると言う判断には至ってはならないはずだ。
「あなた達の言いたいことは分かります……」
身体で頷いた誠次。
「でも、今ここに教師はいません!」
そんな誠次の硬直した身体の肩に、影塚が手を置く。
「勿論、僕も指を咥えて見ていられるほど大人しくはない」
「広!? し、しかし私たちの持ち場は……命令で決められて……」
動揺する茜に、影塚は険しい顔を向けた。
「ごめん茜。だけどもう後手に回るわけにはいかない。僕たちだけでも、なんとしても行動を起こそう。何のための特殊魔法治安維持組織だ」
茜はじっと俯いていたが、やがて小さく頷く。
「……わかった」
ただし現状、やれることは少ないと言うことに変わりはなかった。
「僕は今から朝霞さんのところに行く。何か怪しい動きがあったらすぐに捕まえる」
「朝霞は手強いです」
「西日本の魔術師たちのトップに立つ男だ。覚悟はしている」
誠次の言葉に、影塚は頷いていた。
その反応から察するに、やはり朝霞は八ノ夜美里と同等の実力者なのだろう。今思えば、林間学校で朝霞が送って来た手紙の内容は、八ノ夜美里のことをよく知っている者でしか書き得ないものであった。
「私は特殊魔法治安維持組織本部に連絡を入れる。何としても応援を寄越して貰えるようにな」
茜は腕時計型のデバイスを操作しつつ、そう告げた。
(朝霞を探す役目は、ひとまず影塚さんに任せるとして、ここで俺がやるべき事は……)
誠次は顔を上げる。
「俺は――」
誠次が声を出すと、影塚が自信気な表情でそれを押さえる。
「ここは僕たちに任せて大丈夫だよ、天瀬くん」
が、誠次は首を横に振る。ほぼ衝動的な行動だった。
「待ってください! 俺も作戦に参加させてください!」
「そう言うと思ったよ。けど駄目だ。魔法生を危険に晒すわけにはいかない」
いつになく力強い口調の影塚。青い目は、誠次を鋭く睨んでいた。
それに一瞬だけ怯んだ誠次。だがそんな大人の強い目など、ここ数か月で山ほど見て来た。
誠次は意地でも、影塚から目を逸らさなかった。
「お願いします。俺も戦えます! このために力をつけました!」
゛捕食者゛を倒す為だけじゃない。仲間を守る為に……!
「頼む、やめてくれ天瀬。言いたくはないが、魔法が使えない君では無理な相手だ」
茜が自身の身体を抱きしめるようにして告げてくる。
「俺にはレヴァテインがあります」
「茜の言う通りだ。向こうは何人もの人を殺め、利用して来たテロリスト。そして西日本の魔法生のトップに立つ一流の魔術師だ。正直、僕でもまともに戦えるかどうかは分からないんだよ」
説得するような影塚の言葉。
だが、誠次は食下がっていた。
「……現状、この中で朝霞との交戦経験があるのは俺だけです。それに朝霞は俺との戦いではそこまで多くの魔法を使いません。俺に魔法は効かないからです。そこで朝霞は、剣を使った戦いを挑んでくるはずです。……そこに勝機があります! 相手は百パーセントの力で挑んでこれないはずです!」
「一理ある。けど、もし朝霞刃生が抵抗する場合、相手は間違いなく武力を使ってくるだろう。テロリストとして容赦なくこちらの命を、狙う。そうなった場合天瀬くん……君はどうするつもりだ?」
誠次は影塚の目を睨んでいた。
「……俺は出来るのなら、言葉での解決を望みます。――ですが」
そして、誠次は視線を自身の右肩、レヴァテインの漆黒の柄へと向ける。
「手遅れだと判断した場合、その時は斬ります! ……林間学校の日では出来なかったことを、今度こそ!」
後半の部分で、思わず足が竦みそうになっていたが、制服のスラックスがそれを隠していた。
影塚の表情は誠次と同じく真剣そのもの。そして、その整った口からとある事実が告げられる。
「今度こそ斬る、か。――GW、リリック会館で君がアイドルを救った戦いを覚えているかい?」
「? は、はい」
なぜ今それを……? と急な話題転換に、首を傾げる誠次。返答の声も、意表をつかれ、きょとんとしたものだ。
「その時、君が振った剣によって直接ではないにせよ、失明した人がいたんだ」
「……!?」
言葉を失う、誠次。今度こそ、身体の震えが露わになる。
「この少年が、テロリストを鎮圧したのか」
「ニュースだと桃華ちゃっ……。……太刀野桃華さんがファンを守ったってばっかりだったよな」
警備員たちが次々と話しだす。ここから分かる通り、当時の報道では太刀野桃華がファンを救い、最終的に警察が迅速に騒動を鎮圧したと言うことになっていた。
「ああ。けど実際には天瀬くんがやったんだ。剣と言う名の武力を使って。その結果、相手の一人に失明者が出た」
「!? お、俺が……。人を……そんな……っ」
自分の手を見つめ、誠次は呆然と呟く。
(出来ることをしたつもりだったのに……結局駄目だったのか……?)
自分がやったことが、無駄に終わる徒労感。あの時はただ、クラスメイトたちと桃華を救うために、テロリストを悪と決めつけ、闇雲に戦っていた。人を斬らない。そんな中でもそれだけは忘れず、精一杯無力化することに努めていたが。
「広、止せ」
茜が止めようとするが、影塚は真剣な表情のままだった。
「政府は君の正当防衛を認め、また君に配慮してこの事を意図的に伏せた。……けど、今問うべき問題はそこじゃない。前も言った通り、結果として太刀野さんを守った君は正しいからね」
言いながら影塚は、誠次の目の前まで歩み寄る。
「でないと、戦えませんから……!」
「それは強がっているつもりか」
「っ!?」
ぞくりと感じる寒気に、肌が粟立つ。口の中が異常なほど乾き、だ液もないまま誠次は何かを呑み込んでいた。
ああ、やはり目の前に立つ男は分かっている。――そんな実感が次々と押し寄せて来る。
正確にはそうできたのかどうなのか、自分でも分からなかったが、誠次は腹から振り絞った声を出していた。
「そんな震え声での返答じゃ、足りないな……。特殊魔法治安維持組織は甘くはない――!」
影塚はなおも険しい顔で、なんと誠次の青い制服ネクタイを片手で引っ張ってきた。
首周りが締まり「がはっ?」と思わず息を吐く誠次。誠次の顔は苦しさから眉間が寄り、影塚の顔は至近距離まで来ていた。
「広!? なにをしている!?」
「影塚さん!? さすがに!」
茜や警備員たちが止めようとするが、影塚は訊く耳持たずであった。そんな影塚の姿は、誠次にすれば初めて見るものだ。それはおそらく、茜を含めた周りの人も。
「どうせ君は止めたってやるんだろう……?」
誠次の目の前で、冷酷と感じるまでの表情で問いかける影塚。
周囲も引いてしまうほどの行動を、人目もはばからずに今目の前の人は、行っている。林間学校明けの志藤が誠次の脳裏に過る。共通するのは純粋に、誠次のことを心配してくれているからこその行動だった。
「よく、分かりましたね……! その、つもりです……!」
その気迫と首周りを圧迫する腕の力の中、涙目の誠次は影塚を睨み続けていた。
「そうか。ならこれだけは言っておく。自分の持つ力をあまり過信するな。まず自分自身が生きることを優先してくれ。自分の命がどうなってもいいなんて考えは、僕は許さない」
「分かっています……っ。俺は皆を守る為に戦う。そして、俺自身がこの世界で生き残る為にも戦いますっ!」
苦しさから涙声になり、叫ぶ誠次。
それを聞いた影塚は今まで見せた事も無いような険しい顔から一転、満足そうな表情で頷き、
「よし――」
影塚が誠次の制服ネクタイを放す。
咳き込む誠次に、影塚も同じく魂を絞り出したようなやつれた表情で、右手を差し出していた。
「ここまでできれば合格だ。一緒に戦おう天瀬くん」
誠次は差し伸ばされた手を見上げ、
「ありがとう、ございます」
誠次の表情に明るさが戻り、影塚の手を掴んでいた。
「広……。し、しかし天瀬はまだ学生で……それに……」
「残念だけど、天瀬くんは一人でもやってしまいそうだからね。八ノ夜さんに、似て……。だから僕たちの下に置いておく方が、良い」
しゃがんでいた誠次は呼吸を落ち着かせると、ようやく立ち上がる。
「それに……僕だって命令違反している」
「だからと言って……どうしてこう不器用なのだ……」
茜が誠次の肩をさすりながら、咎めるようにして言う。
影塚は少し気まずそうに、自身のネクタイの結び目を引っ張っていた。
「悪いね。これ以外に方法が思いつかなかったんだ。それにさっきも言った通り、僕はもう、指をくわえて見ていたくはない」
影塚はそう告げると、じっと黙っていた誠次の方をいま一度見る。
「言った通りだ天瀬くん。まず自分の命を大事に出来ない奴に、誰かを守る資格はない。生きて役目を果たすんだ。来れるかい?」
「……」
誠次は自分の胸元に手を添え、その手にぎゅっと力を込める。
改めて、これから自分が行おうとする事の重大性を噛み締める。この戦いは、遊びじゃない。そして、その戦いはまだ始まったばかりであった。
背中のレヴァテインから確かに感じる重圧を、誠次は呑み込んだ。
「……はい! 俺はやります!」
特殊魔法治安維持組織との共同戦線の開始であった。




