6
治癒魔法の光が、少女の足の骨折を治していた。先の戦いでの幻影魔法や攻撃魔法も含め、まだ魔法学園に来て九日の生徒が使用できるレベルの魔法ではない、高度な魔法のはずだ。
――それも踏まえ、色々と訊かなければならないことがある。
「帰って、これた……」
戦いを終えた誠次と少女は、学園まで走って帰って来た。
゛捕食者゛は明りのある室内には夜でも出現しないことが分かっている。もし出現でもされていたら、人類はとっくに滅んでいただろう。
正門を通過すれば、結界のような魔法の障壁が学園の敷地を門から包んでいるので、安心できた。
共に肩で息をしながら、誠次と少女は互いを見る。
「――私、あなたに酷いこと言った記憶があるのだけど……もの好きね」
誠次を見る少女は、無愛想な表情だった。
エンチャントしていた時は、確か顔を赤らめていたのに。もとに戻っている、と言うべきか。
「危険だって、言ったのに、お前が夜の外に出たんだろ。勘弁、してくれよ……」
誠次は疲れた身と呼吸で、たまらず言い返す。
「……助けてくれたことは、感謝するわ」
無表情かつ抑揚の無い声なので、心が籠っているかどうかは分からなかった。
だが、俯いている少女を見て、誠次はやり場のない怒りをどうにか捨てていた。あの態度は今思えば、こちらを学園の中に留まらせようとしていたのだろうと、半場当てつけで。
「――でも私は来ないでと言ったはず。それなのにあなたは来た」
「一人で自殺でもする気だったのか?」
「まさか。本当に゛捕食者゛を倒そうとしただけよ。……でも、無謀な考えだったわね」
一転して反省するように、少女は声のトーンを落としていた。
口元に手を添え、何かを考えるように視線を下に送っている。
「倒そうだって……。一人の魔術師で簡単に゛捕食者゛を倒せてたら、今頃夜の外は人で溢れてるさ……」
人は負け、夜を怪物に明け渡した。
誠次はどうしたものかと、髪をくしゃとかいていた。
「どうして、あんな事をしてまで゛捕食者゛を倒そうとしてたんだ?」
男子寮棟の破壊された魔法障壁を眺めながら、誠次は尋ねる。凄腕の魔術師であるはずの先生方の魔法を解いたのだ。改めて見ると、やはり凄いなとは思った。
「……゛捕食者゛を倒すようある人に言われたから。その人の言うことに、私は従う」
あごに手を添え、当然のことのように迷うことなく言う少女。
「その人って……?」
誠次は、少々意表をつかれていた。
「内緒、でいいかしら」
少女は小首をこくっと傾け、言い放ってきた。
小悪魔染みた仕草に誠次は一瞬だけどきりとはしたが、納得は出来なかった。
「教える気はないってことか?」
「ええ。これだけは命の恩人さんにも言えないわ。ごめんなさい」
少女は目元の銀色の髪を、手でさらりと払い、言って来た。埃まみれの顔だが、灰色のそれに負けない気品を、少女の横顔に感じた。
「もう夜の外に出ないって約束してくれないか? 俺も正直、゛捕食者゛と初めて戦ってその強さを見た。何度も戦いたくはない……」
「……ええ確かに。約束するわ」
少女は素直に軽く頭を下げた。
「じゃあ今度は私からの質問。どうして私の姿が見えたの? 姿を消す《インビジブル》は使用していたはずなのだけど? そしてその剣は?」
自分のターンになった途端、少女は興味津々そうに誠次を見つめる。
「え!? そ、それは――」
誠次が、ぐいぐいと来る少女の勢いに少し押されていると、
「あーまーせー」
唐突に八ノ夜の声がした。
びくりと身体が強張ったのも一瞬で、ヴィザリウス魔法学園の中央棟をバックに、八ノ夜美里はこちらまで歩み寄って来ていた。
長いまつ毛の美貌を誇る目は、いつになく険しかった。
「さぁ、話は中で訊こうか」
八ノ夜の言葉に、話は署で聞こうか、の流れを誠次は思い出した。
「……っ」
身体の温度が下がるのを、誠次は感じた。
八ノ夜は、誠次の方のみを睨んでいた。さては、と思って誠次が少女の方を向くより早く、
(《インビジブル》、使用中よ)
小声で、自身の現在情報を伝えて来た少女。
やるな、などと誠次は思わず少女を褒めそうになってしまっていた。
「俺、ですか……」
誠次がうなだれていると。
「? お前だ」
答えたのは、八ノ夜だった。
上手く(?)この場をやり過ごした少女は、中央棟へと連行され行く誠次に悪戯な笑みを浮かべ、胸元で小さく手を振っているのだった。
八階建て(学園内施設では一番高い)の中央棟の最上階。
園内施設を全て見渡せる――見下ろせる――全方位大窓が特徴的な理事長室に、入学式の日以来二度目の来場を果たしていた。普通の学校で考えれば、ただのお呼ばれハイペースの問題児だ。
「――さて、と」
ともすれば幻想的な東京の夜の電光風景を背に、八ノ夜は引き締まった腰に手を添え、仁王立ちをする。
「……」
相手の表情は険しく、その正面に立つ誠次の身も心も否応なしに引き締まっていた。
「夜間外出。法律違反だと言うのは知っているな?」
敢えて訊くぞ、とでも言いたげで。言葉も刺々しかった。
「……はい。申し訳ございません。しかし、これには理由が」
誠次は深く頭を下げつつ、言う。
「話してみろ」
「はい」
誠次は、嘘偽ることなく当時のことを話した。
少女のこと、その少女の魔法の力と剣を用いて゛捕食者゛と戦ったこと。
最初は悩ましげな表情をしていた八ノ夜だが、次第に明るい表情へと変わっていき――。
「剣、使ったのか!」
最終的に八ノ夜は、愉快そうに笑ってしまっていた。
(な、なんでこんな嬉しそうなんだ!?)
「剣と少女の魔法のお蔭で、こうやって生き残ることができました」
八ノ夜の態度の急変に内心で戸惑いつつ、誠次は声を振り絞る。
「どうだ? 事実としてお前は剣と魔法の力を使って、゛捕食者゛を倒すことができたじゃないか?」
両手を合わせ、満足気に笑う八ノ夜。、
否定反論は出来ず、誠次はなにも言えなかった。
「同時に――人を守ることもな」
構わず続いた八ノ夜の言葉に、誠次の眉がピクリと動いた。
「それは、結果論です」
謙遜ではなく、ほとんど意地で誠次は答えていた。
「そう強がるな。お前が言う美少女を救ったことに、代わりは無いだろう。私はお前を褒めているんだ」
誰も゛美゛など付けた覚えは無いのだが、勝手に補完されていた。いまいち否定できない所が少しばかり悔しいところだ。
――などとは、今は余計な事であったようで。
自然と、言葉があふれていた。
「……もう目の前で人が゛捕食者゛に喰われるところなんて、見たくないですから……」
先程の戦いの光景を思い出し、真剣な表情で誠次は答えていた。
少なくとも、それは本心だった。
人が悲鳴を上げながら、怪物に喰われている光景など、誰が見たいものか。見たくないからと言って、そこから目を背けることは簡単だ。
「例え赤の他人でも、俺は見過ごせません」
――なので誠次は言葉の終わりに、そう付け加えていた。
「尊い自己犠牲の精神か?」
八ノ夜のサファイヤブルーの瞳は、誠次を試すように見ていた。
「そう見えるならそうかもしれません。しかし自分は、それが悪いことだとは思いません。少なくとも……助けられる立場にいても静観しているような人に比べたら、俺の行動は間違ってなかったと思います! 違いますか!?」
言っている内に熱が入ってしまい、誠次は怒鳴るように言っていた。
なんで、八ノ夜さんにそんなことを……。怒るのは、目の前の人にではないはずだ。
あっ、となった誠次。
それでも八ノ夜は軽く笑い、「だな」などと言っていた。
「す、すいません……っ」
慌てて誠次は、頭を下げていた。
「いい。お前の気持ちは分かる……つもりだ」
「……」
大人と子供。そんな両者の間柄が目に見えて分かったようで、誠次は自分の弱さを実感していた。
「だが人間は゛捕食者゛とは違い、守らなければならないものがある。゛あの日゛だって、無理に外に出ようとすれば被害が増えたかもしれない。彼らにだって家族がいるはずだ。悔しいかもしれんが、法律は守らなければならない。違うか」
「……反論の意見はなにも、ありません」
この場合、法の前では、個人はどこまでも無力であった。
こんな人間社会でも、誰かがその法を破ってしまえば、全体の秩序の崩壊を招きかねないことを、誠次は理解出来ていた。法によって失ったものがあれば、また法によって守られるべきものもあるはずだ。
「すまないな、もういい。処罰は追って通達するから、今日はもう休め。疲れただろ?」
形だけな、と付け加える意図がある優しい笑顔で、八ノ夜は言っていた。
「また俺は、あなたに守られましたね……」
「構わん。お前が言うところの女子からも、あとで見付けだして話を聞こう」
「……はい。申し訳ありませんでした」
頭を下げた誠次は、沈んだ口調で言っていた。
東日本の大人数を擁する大きな魔法学園の理事長だ。政府の御偉方にも、きっと顔が効くのだろう。
「構わん。いや剣を持った少年が美少女を救うなんて最高ではないか! 日本RPGの王道だっ!」
「はは……。……失礼しました」
自業自得とは言え疲れ果てており、これ以上は無理そうだった。
「あ、貸しが出来たな天瀬? いつか返してもらうからな?」
なので、いそいそと部屋からと退出しようとした誠次の背中に、八ノ夜の容赦ない言葉が襲い掛かる。
釘を刺されたように、身体が動かなくなる。
そんな誠次の反応を見た八ノ夜は、嬉しそうに長い黒髪を左右に揺らしていた。
「し、失礼しました、八ノ夜理事長」
最後にもう一度頭を下げ、誠次は学園の中心(設置位置的にも学内機能的にも)の理事長室から退出した。
「……」
八ノ夜の、どこか沈んだ視線を受けていることに、気づきながら。
理事長室から出てすぐの角を曲がったところ。少女は壁に背中を預けて立っていた。
夜の外で見た時とは違い、温かいと感じる光の中で。やっぱり、生まれて今まで見たことのないほど、綺麗な少女だった。白亜の通路の中で、視界に飛び込んで来た少女の存在感は、際立つ。
「まあなんだ……。上手く逃げたな……」
ぎこちなく泳ぐ視線で、少女の顔を見たり見なかったり。誠次は耳元をかいていた。
「ええ。それより、あなたのことが気になってね」
あれだけやらかしたのだ、隠す事は出来なかったか。
興味津々そうに、少女は誠次の身体をじっと見ていた。
「長くなる……」
「どうぞ」
少女は肩を竦めた。
それを見た誠次は観念したように深く息を吐くと、話し始めた。
「俺は魔法が使えないし、魔法による干渉を受けないんだ」
「干渉を受けない? ……どう言うこと?」
組んでいた腕を離し、少女は戸惑う。
誠次は右手の人差し指を自身の顔に向けると、少女にとある行為を促した。
「なにか俺に破壊魔法を撃ってほしい。法律で禁止されているのでも良い」
少女の表情がくもる。
「本気? 攻撃魔法よりも殺傷力が高い破壊魔法なんて、あなたの身体が粉々に吹き飛ぶわよ?」
「フン。大口叩いたくせに゛捕食者゛を一体も倒せないヤツに言われたくはないな」
挑発するように、誠次はわざとひねくれた笑みを浮かべていた。
少女はそんな誠次を見つめると、眉をひそめていた。
「……ムカ」
効果は覿面だったようで、能面のような表情をしていた少女は白い魔法式を展開する。続いて空中に浮かび上がった丸い円に少女は文字を埋め込み、魔法を発動した。やはり、手慣れている。
「……」
浮かんだ円陣の周りに浮かび上がる魔法文字を見て、すぐにどんな魔法かを判断した誠次は、目を閉じる――。
そよぐ風に、茶色の髪が靡いた。
そして、魔法の発動の音がした。黒く染まった視界の果てで、綺麗な魔法の光が煌めく。
「――そんな……あり得ない」
少女の戸惑う声の通り、誠次の身にはなにも起らなかった。
「やっぱり。俺には、魔法が効かない」
少女が発動した魔法は、対象物を後方へ吹き飛ばす、下位攻撃魔法。――破壊魔法で良いと言ったのに、攻撃魔法にしてくれていた。
こちらの身体が、自身の発動した魔法によって吹き飛ばされるとばかり思っていたのであろう、少女の表情が大いに強張る。
少しばかり意地悪であったかなと思ったが、説明はしやすい。
「理由は分からないけど、俺には魔法が効かないんだ」
何事もなかったようにその場に立っている誠次は、身振りをまじえて説明する。
「そんな……そんなことって……」
「君に追いついた足の速さ。大人の男の身長よりもはるか高く跳躍できるのも、おそらくだけど、魔法が効かない俺は大気中にある魔法物質の抵抗を受けないからなんだ」
二〇五〇年以降、魔法世界と成ったこの世に存在する魔法を発動する為の元素。
誠次の身体は、その負荷と抵抗を受け付けなかった。
皆が地球の重力の中、自分だけは月の重力の世界にいる、とでも言えばいいだろうか。
「魔法による影響を受けない……。あまり喜ばしい感じの声のトーンじゃないわね」
少女の鋭い指摘に、頷く誠次。
「まあな。魔法が使えないのみならず、魔法が効かない。俺は周りの奴らとは二つのとこで違うからな」
「でも、だったら三〇歳以上の魔法が使えない人も、あなたと同じような事が出来るんじゃ?」
少女が考える仕草を見せ、白く細い眉を寄せていた。
「いや、大人たちは魔法の干渉をしっかりと受けるはずだ。事実として大人への魔法犯罪が後を絶たないからな」
少女の言葉に、誠次は首を横に振る。
魔法による犯罪のケースは、今や全世界共通の問題だ。
魔法が使えない大人に対し、未だ心の自制心が伴わない子供が魔法を使える現代だ。どうなるかは、自ずと察しがつく。――日本はまだ国民性の関係で、平和なほうであるとは言うが。
「あなただけが、魔法から切り離されている。まるで魔法が効く゛捕食者゛とは正反対ね」
「切り離された、か。《インビジブル》まで効果が無いなんてさ」
笑えない揶揄に、誠次は思わず苦い表情を浮べていた。
周りの生徒たちには少女は見えず、自分だけに少女が見えたとなれば、やはり呪われたこの身体が成したことなのだろう。
今は、それに感謝しないといけないが。
「……」
「……」
この後、しばしの無言が二人を包んでいた。
気まずく、視線を泳がせていれば、とあることを訊きそびれていたことを誠次は思い出した。
「「質問」」
……ここでハモるのは、気まずい。
双方同時に口を開き、同時に互いが言った事を確認し、同時に目を伏せる。
「……」
少女が気恥ずかしそうにぐっと視線を逸らしたのを見て、誠次が口火を切った。
「天瀬誠次。俺の名前だ。君の名前を教えてくれないか? 聞きたいんだ」
少女は、水晶のように綺麗な紫色の瞳を誠次に向け、鼻にかかった銀色の髪を払うと、
「香月詩音。クラスは1ーA」
夜の空気のように冷たい声と表情で、そう告げてきた。作ってなんかない、これが本来の彼女の姿なのだと、思った。
「お、同じクラスだったのか」
まだ九日だったが、それでも同じ教室にいたことに、驚いていた。
「だから私は貴方の事を知っていたのよ? まあ、助けてくれてありがとう天瀬くん。これからよろしく」
魔法の才に優れし幻想的な雰囲気の少女――香月詩音は微かに笑顔を添えて、すれ違っていた。
対゛捕食者゛戦闘員を養成する為に世界各国に建てられた、魔法を学ぶための学園。日本に建てられた二つの魔法学園のうち、首都東京に建てられたのがヴィザリウス魔法学園であった。
養成学園と言えば聞こえは悪いが、あくまで高等学校なので、一般教養も無論学ぶ。
それはなにも、゛捕食者゛を倒す為の存在と言うのが、魔術師のかたちでは無いからだ。
――魔法は夢を叶えるもの。
それは昔からある言い伝えのようなものだが、はっきり言えば、誠次はこの言葉が嫌いだった。
「魔法は、゛捕食者゛を倒す為の力だ……」
並外れたこの身体を授かっても、最終的に゛捕食者゛を倒すことができるのは魔法の力のみだ。゛失われた夜の日゛以降、魔法世界となったこの世はそんな力を、誠次から剥奪した。
誠次は、背中の剣を見つめていた。
背中の剣は、そんな誠次の考えを肯定するかのように、黒い柄に光を反射させていた。