4 ☆
都会の夏休み。そして昼の時間帯の駅前、と言うこともあり、人の往来は激しい。すぐ横の大道路を通過する車の群も――。
じりじりとした太陽の日差しの下、星野一希は汗をかきながらも懸命に走っていた。
それでもやらなければ、ならない――。……犯罪者は許せない。
「一希!」
アルゲイル魔法学園の同じクラスの女子、自分と橙色の髪が特徴的な小野寺理の声が、後ろの方から聞こえ、一希は驚いて振り向いていた。理は華奢な身体で、に追いつこうと必死に走って来ていたところだった。
「はぁ……はぁ……理!?」
誠次の足はかなり速く、追いつくのがやっとだった。なので、一希の息は上がっていた。
「いきなり走ってどうしたのよ!? 心配するじゃない!」
一希の疑問形に、理も同じく疑問形。
理の方も、苦しそうに肩で息をしていた。
「ごめん! 今は説明している時間がもったいない!」
「ちょ、ちょっとぉ!」
一希は頭を下げて言うと、再び歩道橋の階段を駆け上がっていた。
その一瞬のやり取りの中、一希は理の奥の方を見ていた。
(――結局、誠次は来なかったか……)
一希は誠次に期待していただけに、内心で少しばかりがっかりしていた。魔法が使えない、異常な魔法生。こちらの学園で話題だったこともあり、それがどんな人物かと言う期待や好奇心が、あったのだ。
「やっぱり、ライバルじゃあないか……」
階段を二段飛ばしで駆け上がっていると、まだ歩道橋の下にいる理が、
「ねえ! アレなにかしら!?」
道路を凝視し、大声をあげていた。
「……?」
どうやらただ事ではないらしく、一希も自分が先ほどまでいた方の、大道路を見てみる。
「え?」
そして、言葉を失ってしまった。走っていた身体も行動を止め、文字通り、大道路の光景に釘付けとなってしまっていた。
「魔法の光が、発生している……?」
横断歩道の前の人だかりの中、魔法だろうか、青い稲妻のような閃光が、弾けて光っている。ただ漠然と、異常だ、と思った。
「あの魔法はなんだ……?」
「見た事ある気がするんだけど……」
こちらまで走ってようやく追いついて来た理も、立ち止まってしまっていた。白昼の、車の往来が激しい道路の上。真昼にも関わらずそこから煌々と輝く光に、お互い釘付けとなってしまっていたのだ。
一希が青い瞳を凝らす。
すると、大道路に突如として発生した閃光の中に、人影があるのを確認した。
「あれは……誠次!?」
そして、さらに驚愕する。
「なっ……なっ!? 街中で何やってるのっ!?」
隣にいる理が両手を頬に当て、戦慄していた。
それもそのはずか、街の人だかりの中人目も憚らずに、誠次と香月と言った女子が抱きあっているからだ。正確には、お姫様抱っこの如く、香月の方が誠次にぎゅっと抱き付いている形か。
「最低! 信じらんないっ!」
顔を真っ赤にした理が騒いでいる。
気にはなるが一希は声に出すほどは、そこには特に気を取られなかった。
――それより。
やがて光が収まったかと思えば、香月を抱える誠次の右手には、片手剣が握られていた。その刀身は、遠くから見てもわかるように青く光り輝いていた。
「あれが、誠次の剣……?」
一希は呟いていた。
確か情報では、黒い剣だったはずなのだが……?
「え!? ――無茶苦茶だ!」
今度こそ理と同じく、一希も身体が戦慄するような感覚を味わった。誠次が、無数の車が行きかう大道路を、臆する様子も無く進んで行くからだ。
「アイツら馬鹿じゃないのっ!? 止まって!」
理も充分に焦ったようで、悲鳴のような大声を出して二人を止めようとしていた。
そんな一希と理の大声に反応した通行人たちも、何事かと大道路の方へと視線を送る。
「誠次……。君は……?」
一希の頬に、汗がつたう。下にいる通行人たちも、自殺行為としか見えない二人の姿を見て、「止まって!」などの悲鳴を上げ始めていた。
「危ない!」
一希は叫んだ。
誠次が香月を抱えて道路の上を走り出した瞬間、やはり高速で一台の乗用車が接近していた。あのスピードでは、どうやっても衝突するだろう。
……が。
「嘘……」
理が口に手を添え、言葉を失っていた。
道路の上にて、まるでダンスでも踊るように、誠次は軽やかに車の衝突をかわしていたのだ。レヴァテインに纏う青い光の筋が、昼にも関わらず鮮やかな軌道を描いている。
続いて来た二台目の車も軽々と誠次はかわし、軽トラックに至っては、身体を捻ってジャンプをし、飛び越えていた。着地した途端さらにバイクが接近していたが、誠次は一瞬だけ動きを止め、バイクを冷静にやりすごす。
その表情に、焦りや戸惑いはない。まるで車の動きが読めているようだった。
「本当に魔法なのか……?」
しかし誠次――剣術士――は、魔法が使えないはず。それに未来予知の類の魔法など、一希は聞いた事がなかった。
では、と誠次の胸元の香月の方を見てみると、香月は何故かただ嬉しそうに微笑んでいるだけだった。――その顔は、どこか赤くも染まっているように見えたのは、果たしてこちらの気のせいだったのだろうか。
「見せつけてくれるじゃないか、誠次」
一希はその場で軽く笑ってから、空中に向けて、とある魔法式を展開し始めた。
※
「路地裏を走る四人組の男だ。空間魔法で捜せるか?」
左右から迫る車を華麗にかわしつつ、誠次は胸元の香月の問い掛ける。青い目を向けられた香月は、顔をいっそう赤く染めてから、
「うん。任せてっ」
素直に空間魔法の術式を、構築し始めた。
あと少しで、向こう岸である道路につく。歩道橋を使うよりもスタミナを温存でき、尚且つ直進と言う名の最短ルートだ。
「っち!」
右斜め前方より、黒煙をまき散らす巨大なトラックが迫ってきていることに誠次は気付く。その高さは誠次の身長を優に超える。そして手前には一台の乗用車が。おそらく、二台ともちゃんと高速で走ってでもいるのだろう。
「立ち止まっている時間が惜しい!」
誠次は左右から迫る障害を確認すると、自分の頭の中で素早く状況を処理していた。そして――その答えはシンプルイズベスト。
「飛び越える!」
「え、きゃっ!?」
誠次は香月を離さぬようにぎゅっと抱きしめ、手前の車のボンネットを踏み台よろしく踏みつけ、大きく跳躍した。勢いそのままにトラックを飛び越え、反対側の歩道に見事着地する。ここにも何名かのギャラリーがいたが、誠次は構わず再び走り出した。
「よし、上手くいった!」
「セイジすごい……」
人と人の間を駆け抜けつつ、香月の指示で誠次は走る。もちろんレヴァテインは右手に持ったままだ。
「ここを左!」
「了解!」
店と店の間の裏路地に入り、すぐ。
「うわ!?」
目の前に身の丈と同じ高さの塀があったので、立ち止ま――ることはせずに、そのまま塀を飛び越える。
心臓がヒヤッとしたのは、その一連の行動を終えた後だった。
「おい! ここを四人組の男が通ったのか!?」
「最短ルート! セイジなら、出来ると思ったから!」
どうやら香月は、建物関係なく直進させるつもりらしい。
「随分と危険なナビゲーターだな……!」
塀の上を走る誠次はそれに、苦笑いを返していた。
「なら、しっかり掴まってろよ!」
「うんっ! 頑張るっ!」
塀から一旦降り、日も差さない狭い裏路地を直進していく。
香月が指差す方向には、またしても高い塀が。走りながらそれを見上げると、黒猫が呑気そうにしっぽを垂らして寝ている。
お昼寝の邪魔をするわけにはいかず、それでも立ち止まるわけにもいかない。
誠次は真横の建物の壁を蹴り、塀で寝る黒猫の上を勢いよく飛び越えた。
青い目が特徴的な眼下の黒猫は、自分の上を飛ぶ誠次を見上げ、「にゃあ」と鳴いていた。
あまりに呑気なその声に、頑張るのだぞ、とでも言われたようだった。
「屋上に行くと、もう見えるはず」
「了解!」
香月の言葉に、誠次はたたんと窓枠を蹴り上げ、一気に建物の屋上まで上りきる。
「見つけたぞ」
にやりと笑う、誠次。
裏路地を見下ろせば、歩いている四人組の男たちの頭が見えた。もう追いつかれないと思って、余裕なのだろう。
「驚いたよ、誠次」
――突然、耳元で、一希の声がした。
「ぬわ!?」
ぎょっと驚いた誠次が慌てると、一希はなんと真後ろにいた。
「どうやってここに!?」
誠次が訊く。簡単に上れるようではない屋上もいいところだったからだ。
「形成魔法で足場を作って上ったんだ。それより、魔法が使えない君こそ、どうやってここに?」
一希は、誠次の胸元にて服の袖をぎゅっと掴んでいる香月を見つめて言った。顔が赤い香月は恥ずかしそうに、身をよじらせている。
「悪いが説明は後だ。今は犯人を捕まえるぞ」
「わかったよ。競争だ」
余裕そうに笑いかける一希。そして一希は空中に次々と魔法式を構築し、発動していく。
誠次は一足先に、屋上から跳び、降下していた。
「形成魔法で足場を作るって言ったって、かなり難しいはずだぞ……」
民家の窓枠と窓枠を踏みながら、ジグザグに降りる最中、誠次はそう呟いていた。ふと見上げると、一希が魔法で作った四角形のブロックを足場に、軽やかに降りて来る姿が見えた。
「まあ、今更どんな魔法使いが出て来ても驚かないけど」
「……私を見て言ってる。いじわる……」
誠次が胸元の香月に笑いかけていると、誠次の服をぎゅっとつまむ香月は、少しむっとしていた。
「ごめんな。舌を噛むなよ――!」
「うんっ」
風を切りつつ、四人組の男の進行方向へ先回りした誠次。最後に鉄柵を踏んでから、地面に着地していた。
場所は薄暗く、じめじめと湿った裏路地。大通りの喧騒は鳴りを潜め、ひっそりとした雰囲気の場所だ。間もなく四人組の男たちが姿を表す。
「ブランドもんだぜ、これ?」
「あまり汚すなよー?」
呑気にも、奪い取ったブランド物のかばんを投げ合ったりして、近付いて来る。
「――残念だったな」
誠次が極めて冷静に声を掛けると、ある意味当然の反応が帰って来ていた。
「は!? な、なに!?」
「後ろにいたんじゃねえのか!?」
「魔法か……!?」
その反応からして、男たちはどうやら魔法が使えない三〇代以上のようだ。誠次は、男たちに青い燐光を放つレヴァテインを躊躇なく向け、
「警告だ! これは本当の剣だ。当然モノを斬ることが出来る。大人しくさっき盗ったバックを渡せば、危害は加えない」
そうして、誠次は男たちの出方を窺う。
表情を引き締めている――顔は赤いままだが――香月も誠次の腕から離れ、魔法式を展開する。雷属性の下位攻撃魔法で、敵を麻痺させるものだ。
男たちは剣と魔法を前にして、顔を見合わせていた。
「――僕たちに犯行を見られたことが、運の尽きだ」
四人組の男たちの後ろからも、追いついて来た一希が声を出した。
「くそ……!」
「ま、魔術師相手じゃ勝ち目がないぞ……」
「逃げられねえか……ほらよ……」
四人組のリーダー格だろうか、黒髪長髪の男が、大人しくバックを一希に投げ渡していた。
一希はそれを険しい表情のまま、片手で受け取る。
「魔法使いが……。俺らには無い化け物を殺せる力を持ってるんだから、こんなことやってないで早いところ消してくれよ、怪物どもをよ!」
次に出て来たのは、そんな苦し紛れの罵声だった。
「なら、あなたは魔法が使えたら戦っていたって言うのか!? 夜の外に出て、戦っていたって言うのか!?」
一希が、そう叫んでいた。
「ハっ。魔法が使えないヤツの気持ちなんか、お前ら子供にわかるのかって話だ」
それには、誠次は少しだけ悔しい顔をしてしまった。
男はどこか遠い目をして、
「゛捕食者゛さえいなけりゃ、俺だって家族を失わずにすんだんだ……。会社も倒産しなけりゃ、こんなことやったりはしない……」
゛捕食者゛による失夜の日以降、人間の夜間の経済活動は一瞬で麻痺した。夜間の業務が主だった業者など失業者や、゛捕食者゛孤児に対して、各国政府も政府で孤児収容施設などを設立したり、何もしてこなかったわけではない。
――だがそれにも、限界がある。ましてや日本のような国に関して言えば、損失を抑えられていない事実は顕著だった。
「それでも、あなたたちのやった事は間違っている! ――犯罪者は等しく悪だ! 《トリスタン》!」
一希はそう宣告すると、なんと破壊魔法の術式を展開。
それは魔法で作った衝撃波の刃を、使用者自身から見て前面方向へ薙ぎ払う、攻撃性の高い魔法だった。生の人間が喰らえば、切り傷程度では済まされないだろう。なぜならば、それは現に、壁に立てかけてあった鉄パイプを次々と両断していたからだ。
「お、おい!」
「うわああああ!?」
魔法を前に、絶叫に近い悲鳴を上げる四人の男たち。
しかしそれに対しても、一希は全くもって物怖じも慈悲の表情も浮べなかった。
「おい――!」
その姿に誠次は戸惑いながらも、急いで行動を起こす。
「やめろ一希!」
誠次は咄嗟に身体を突き動かし、男たちの前に走り、レヴァテインを構えた。
――直後、《トリスタン》が飛来し、具現化した巨大な白い剣が、誠次たちを纏めて斬り裂こうと襲い掛かって来た。
対し、誠次はレヴァテインを振るう。
青いレヴァテインが《トリスタン》を防ぎ、逆に斬り裂いていた。
魔法物質の残骸である白い破片が舞い散る中、一希の優しかった表情はさらに曇っていた。
「誠次? ……どうして……防いだんだ?」
「バックは返してくれた! なにも必要以上に痛めつけることはないだろう!?」
「必要以上に痛めつける?」
一希が苦笑する。
「じゃあ聞くけど、君は一体どうするつもりだったんだい?」
「警察に突き出す。それだけだ」
誠次は泥棒たちを庇うようにレヴァテインを構えながら、険しい表情で言葉を返す。
一希はそれでもまったく、怯む素振りを見せなかった。
「僕が訊きたいのは、抵抗された場合、君はどうするのかってことだ」
「無力化すればいい!」
「無力化、か。つまりそれは、人を斬ると言うことだよね? それは僕が今からしようとしたことと、同じことだよね?」
「……!?」
一希の言葉に、逆に怯んでしまった誠次。
だが、すぐに首を横に振った。
「この人たちはもう抵抗しない!」
「どうしてそう言えるんだい? それにこの男たちを見過ごせば、またどこかで犯罪を犯し、また犠牲になる人が出る。そうなる前に、悪人は一度身をもって裁かれるべきだ! 違うかい?」
「確かに悪人は裁かれるべきだ! ……法律で!」
「法律か。その考えは、甘いよ誠次……」
一希は口でそう言いながらも、右腕を降ろしてくれた。
だが、甘いマスクと呼ぶにふさわしかったその表情は、どこまでも非情で、冷酷なモノを思わせるものだった。
「今君が逃した悪人が、どこかでまた他人を傷つけるかもしれない。そうなる前に思い知らせる必要があるはずだ! それにこんな世の中だ。とってつけたような魔法の法なんて、信用できないよ」
「……っ!?」
ごくりと、息を呑む誠次。
法の裁きを受けて貰う。――だがこの世では、法で裁くことの出来ない存在もある。
林間学校の日、逃がした奥羽正一郎。彼がまた悪事を働く可能性は、大いに否定できないものだった。
それが……自分の責任になる……? あの時に奥羽を逃がしたから、何もかも、あの日の夜に奥羽に止めを刺せなかったからなのか……?
「今この世界を救えるのは……守れるのは僕たちのような若い人だけだ。力を持たない大人の分も、僕たちがやれることはやらなくちゃいけない。違うかい?」
「その通りだな……」
誠次はそう言うと、後方の男たちにレヴァテインを突きつけた。
目に見える凶器を前に、男たちは震え上がる。香月が「え……」と声をだす。
そして一希が一瞬だけ眉根を上げた――が、またすぐに険しい表情に戻る。
「誠次……」
「……」
鋭利な刃をじっと見つめる男たち。
だが、誠次がその手を押すことはなかった。代わりに、香月が無言で淡々と、男たちの周りに拘束魔法の術式を浮かしてくれていた。
(ありがとう、香月)
誠次は心の中で香月に感謝してから、
「動くな。お前たちは大人しく警察に突き出す」
誠次はそう男たちを一瞥してから、一希を睨む。
一希はなおも、険しい表情のままだった。
「……まさか、剣で人を傷つけるのが怖いのかい?」
「……じゃあお前は、剣で人を斬ることが出来るのか?」
「自分と、仲間を守る為なら、出来る自信はある。その剣を渡してくれたのなら、僕なら、出来る」
「……そんな考え方……」
誠次は俯く。
「俺が共感したのは、取り逃がした相手は自分自身で責任を持つべきだと言うことだけだ」
――間もなく、どたどたと大勢の人の足音が聞こえて来た。
路地裏の角を曲がってやって来たのは、大勢の警察官たちだ。
その先頭にいたのは、金髪のツインテールを揺らす、理だった。
「一希!」
「理……」
理の呼びかけに、一希は少しだけぎこちなく返答していた。
「前言撤回だ、誠次」
「?」
「僕と君は仲間じゃない。……ライバルだ」
一希の青い目に宿っていた確かな気迫を、誠次はこの時感じていた。




