3
学園の公共トイレのように広い、明るい電光の小洒落た雰囲気のトイレに、誠次と一希は入った。
開いた窓から差しこむ風は、夏だと言うのに涼しく感じるものだ。
「誠次。相席だったのにいろいろとごめんね」
一希の持つ、雰囲気の所為もあるか。用を済ませ、手を洗っていた誠次は鏡越しに一希を見て、
「相席して貰ったのはこっちだし、別に構わない。それにうちの学園にも同じような感じの知り合いの女子がいるんだ」
「あははそっか。君は意外と、女たらしだったのかい?」
肩を竦めて言った誠次に、一希はくすくすと笑っていた。
「意外とって……。中々失礼だな……」
「ごめん。ところで、その見た目……」
少しすると一希は黙り、なにかを考えているようだった。
「もう行くぞ」
奇妙な間だと思いながらも手を乾かせ、誠次はトイレから出ようとしたが、
「――剣術士。君じゃないのか?」
背中の方から一希に、そう言われてしまった。そこから和やかなムードが一転、張り詰めた空気に代わる。
一希は、そうなることをまるで予期していたように、不敵な笑みへと変わっていた。
誠次は一希に背を向けたまま、顔を上げる。
「おいおい。そこまで有名になってたのか?」
髪をかいて、困った表情の誠次。
一希はうんと頷いていた。
「SNSの交流サイトじゃ有名だよ。関東のヴィザリウス魔法学園に、剣を持った男子生徒がいるって」
「生憎その手のサイトとやらは利用しないからな……。あまりいい気分じゃないな……」
遅かれ早かれ注目の的になるとは思っていたので、誠次は大して驚いてはいなかった。
「でも、それでよく分かったな」
その証拠たるレヴァテインは、今は席にいる香月が持っているはずだ。
「まず一学年生での弁論会への参加で、特別だと思う。そしてSNS掲示板の情報によると、その男子生徒は茶色の髪に、黒い目」
一希は振り向いたこちらの黒い目を見据え、少し勝ち誇ったようにして言ってきた。容姿が端麗な所為で、どこかムカつくけどムカつかない、星野一希である。
「魔法が使えないんだよね?」
「ああ」
少し嫌な感じを出して、誠次が答える。このような質疑応答は、一体何度繰り返したものだろうか。考えるのも億劫になるほどだ。
「同情するなんて言うなよ、惨めに感じるのはこっちだ」
ここはほとんど、意地っ張りな感じだった。
「惨めなもんか」
一希は軽く笑って肩を竦めていた。
「え……?」
誠次が首を傾げていると、一希は青い目を誠次に向け、
「どうして君は、剣を持っているんだい?」
「簡単な話だ。俺には周りが持っている魔法って力がない。その代わりに、アレだ」
少し前だったら「理事長に言われたから持った」と返していたことだろう。
「力?」
「こんな世界だったら、最低限戦える力は持っていないと駄目だろ? 昔と違って、日本も平和じゃない」
「こんな世界か。……確かにそうかもね。現に力を持たない大人は、被害の対象だ」
一希も手を洗い、自身が映る鏡を見つめていた。その表情は、どこか浮かないものだ。
「魔法が使えないのに、君はどうして魔法学園に?」
「凄い聞いてくるな……。まあ最初は゛捕食者゛に対する復讐の為だった。今は……同じだけど、別の大事な目標も出来た」
「目標があるのは、格好いいね」
一希も手を乾かし、誠次の目の前までやって来る。
それぞれ黒い目と青い目が、互いを値踏みするように見ていた。
「ならお互い、特殊魔法治安維持組織に入れるよう頑張ろう。僕の目標なんだ」
「おいおい。そのSNSとやらは人の将来の夢も書かれてるものなのか?」
「違うよ。君が特殊魔法治安維持組織に入ると言うのは、ただの僕の勘だ。もっとも、その反応じゃどうやら僕の勘は当たったようだね?」
余裕そうな構えで、一希はにこりと笑う。本人にこれっぽっちも悪気はないのは重々承知だ。
「これは、手強そうなライバルが増えたな」
誠次が苦笑すると、
「ライバル? 仲間だよ」
一希はきょとんと首を傾げていた。
誠次はそれに、思わず苦笑してしまった。
「やっぱり、手強そうだ」
二人とも誰からも言われる事無く、自然と握手をしていた。険悪、と言うよりは妙なムードはこれで終わりだ。
「そろそろ戻ろう。また魔法でなにかやってないと良いんだけど……」
誠次が店内へと続くドアの方を見て言う。
「そうだね」
一希も頷き、二人はトイレから出ようとした、が。
誠次が手をかけたドアとは反対側のトイレの小窓の先、外から焦燥した男の声が突如、聞こえた。
「や、やめろっ!」
「うるせえ!」
悲鳴も混ざっていた男の声に、さらに怒号が重なる。
一瞬にして再び張り詰めた空気となったこの場で、真っ先に動いたのは一希だった。トイレの小窓の方まで走り、外である裏路地を身を乗り出して、見る。
「何やっているんだ!」
一希が叫ぶと、続いてお年寄り女性の声が聞こえた。
「た、助けて下さい。バックを盗られました……!」
「なに……?」
誠次も小窓の方まで走り、外の様子を窺う。
まず、薄汚れたスーツ姿の四人組が視界に入る。そして、彼らの前には地面の上に倒れ込む、一人の青年と一人のお婆ちゃんが。
スーツ姿の先頭、黒髪ロン毛の男の手には、倒れているお婆ちゃんの物と思わしきバックがあった。
「お願いします……バッグを……!」
暴力を振るわれたのだろうか、青年の顔には青あざがあった。
「ちっ、見られた! 逃げるぞ!」
四人組はこちらの姿を見ると、一目散に走りだす。
「追うぞ一希!」
「言われなくとも!」
誠次と一希はほぼ同時に走り出す。木製のトイレのドアを開け、女性陣が待っているテーブル席の横を走り抜ける。
それぞれ電子マネーデバイスを投げ、
「「会計頼んだっ!」」
「あっ、一希! 一希!?」
「天瀬! って、え!?」
理と桜庭の声がしたが、二人はそれに構わず店内を走り抜ける。
ざわざわと賑やかな店内には、ちょうど新しいお客さんがやって来た所でドアが開いた。
「おわ!」
「きゃ!?」
そのすぐ横を、誠次と一希が一瞬で駆け抜ける。食い逃げと思われても仕方がないが、立ち止っていられない。
「悪い人を見つけたら放っておけない。僕は君がそう言う人で嬉しいよ!」
「なんだよそれ!? 喜ぶのは悪人を捕まえてからにするぞ!」
「もちろんそのつもりだ!」
店の外へ出て大通り。四人組の男は、大勢の人通りの中を走っていた。
(俺のスピードなら、急げば追いつける……!)
「足早いね!?」
「か、一希!?」
誠次の゛特別なスピード゛に、なんと一希は追いすがって来ていた。ただ単純に足が速いのだろうか。
四人組の男は続いて、青信号が点滅している横断歩道を渡っていた。
「くそっ! 赤か!」
誠次が四人組の男の背を睨んで言う。
必死に走っていたが、無情にも横断歩道は青から赤に変わってしまった。信号など待っていたら確実に逃げられる。
しかもここは駅のロータリーと直結している大道路。道路幅は広く、信号無視をして渡ろうにも確実に車に轢かれるだろう。目の前ではすでに、数えきれないほどの車が行き来してしまっている。
「ここの信号は長い……。あの歩道橋まで走ろう!」
一希が指差したのは、少し先にある大道路を跨いで掛かっていた、大きな歩道橋だった。確かにここで赤信号を待っているよりはいい判断なのかもしれないが、それでも間に合わないだろう。
「警察だ。警察に通報しながら……」
どうする!? こちらがいくら早くても、やはり歩道橋を渡っているタイムロスが大きいし、何よりその後だ。
「誠次……」
「……」
一希が見る中、誠次が考えあぐねていると、
「――僕は諦めないよ!」
一希は立ち止らず、端末を操作しながら一目散に歩道橋まで向かって行った。通行人はそんな一希を好奇の目でじろじろと見ていたが、一希はそれを気にはしていないようだった。
「俺だって、諦められるか!」
「――天瀬くん」
一希の声では、なかった。誠次が声のした方を見ると、
「香月!?」
息をハアハアと、通行人の群の中から香月が必死な顔で走って来ていた。
誠次の方からも駆け寄ってやり、スタミナもないのに懸命に走って来てくれた香月を受け止める形で立ち止まらせた。
「香月っ、どうして来たんだ?」
「あの女の人が行ったから、私も゛負けられないわ゛」
香月が紫色の目で、走り去る理の姿をねめつけるように見つめていた。
理はこちらの事など眼中にないようで、真っ先に一希の元へ向かっているようだ。
「香月……ありがとう」
ツッコミたいところは山々だったが、今は優先すべき事がある。誠次はすぐに黒い袋の中に手を突っ込み、レヴァテインの柄を握っていた。感触を確かめつつ、カツアゲ犯たちが逃げた反対側の道路を見る。
「どこ行った……?」
どうやら、彼らは路地裏の方へと消えてしまったようだ。
「諦める?」
苦しそうに一呼吸してから、香月は問い掛けて来た。
「いや……。どうやらアイツは諦めそうにない」
誠次は首を横に振り、続いて横の方を見やる。視線の先で、一希は必死に歩道橋のところまで走っているところだった。
「ここでみすみす俺だけが帰れるか」
誠次は決心し、香月に視線を戻した。
「悪い香月――」
誠次が口を開いた途端、香月が人差し指でくちびるを押して来た。
「こうづっ!?」
誠次は驚き、戸惑う。
「言われなくてもわかるわ。お返しは期待しているから」
香月は小悪魔のようにうふふと笑い、こちらに向かって「来て……」と両手を伸ばして来る。その表情は、どこか妖しげだ。周りの通行人の量は一向に減るどころか、むしろ信号待ちの為に増えている。
「責任は俺がとる……! 頼むぞ……!」
この使い方は、正しいものだと自分に言い聞かせる。
(だから、構いませんよね……八ノ夜さん……!)
誠次は周囲の視線に構わず、黒い袋の中からレヴァテインを取り出した。
「きゃ!?」
「なんだなんだ?」
「コスプレか?」
たちまち、ざわつく通行人たち。それに構わず、すかさず香月が付加魔法の魔法式を展開する。
「私の事、頼んだわよ……っ?」
青い魔法式の光にさらされ、滑らかに動く白い指。
「任せろ!」
誠次は香月の背中に、自分の手を添えて支えてやった。
――その途端、香月は、
「ちょ、っと。セイジっ!?」
体全身を使ったように、甲高い音を出していた。
「……ごめん、なさい……っ!」
耐え切れなくなったか、こちらの腕に、香月は全体重を預けて来た。身体は熱く、びくびくと、震えている。触れ合う白い肌は綺麗で、仄かに良い匂いも香った。
「なにやってるんだ……?」
周りの通行人がざわざわとしているが、誠次はしっかりと香月の事だけを見てやっていた。
間も無くレヴァテインへのエンチャントが完了し、真昼の大阪の歩道にて一瞬のスパークが起こる。不可抗力の範疇で、誠次が瞬きすると、次にはその目は青く光り輝いていた。
――そして。
「まさか渋滞じゃないよな? 道路工事の意味が無いぞ?」
目の前に広がっていた光景は、それはそれは、ノロマな車の大行列だった。
「セイジ……」
胸元に倒れ込む香月を抱きしめながら、誠次は道路へ足を踏み出した――。




