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一時間弱。
それが二〇七九年現在、新幹線で東京から大阪までにかかる時間だった。
八月二一日午前。
東京発大阪行リニア新幹線の中に、ヴィザリウス魔法学園弁論会参加メンバーはいた。割合的には、九割方二学年生、と言ったところか。やはり、一学年生の参加は誠次を含めても、ごくごく少数だった。
誠次は三人座りの席の、端の通路側に座っていた。新品同然のふかふかのソファと、肌を優しく撫でるような冷気が、大阪までの快適な移動を演出してくれていた。
誠次はイヤホンを耳に指して音楽を流し優雅に。しかし手元には夏休みの宿題が、山のように。
「香月との勉強や遊んでいたのもあるけど、いくらなんでもドリル三冊分は出しすぎだろ……。林先生……。普段の授業をもっと真面目にやりましょう……」
「あー、夏休みの宿題やってる」
流れる音楽の音量は最小限なので、真ん中の桜庭の声は聴こえる。
相変わらず変なところで感心している桜庭は、三人のうち真ん中だ。
「こういう時間を有効活用しないとな。桜庭はもう終わらせたのか?」
「こういう時間を有効活用って、なんか複雑な気分……。あたしはもう終わらせました!」
「!? や、やるな桜庭……!」
案外、やることはきっちりとやる桜庭であった。
(自由研究、どうしようかな……。読書感想文でいいのかな……)
桜庭は誠次に勝ったのが嬉しかったのか、胸元で小さく「えへん」ととても可愛らしい仕草でガッツポーズを決めていた。
「こうちゃん」
桜庭は誠次とは反対側の、窓際の席を見ていた。
「……」
香月が窓の外を眺め、座っていた。
本人曰く「景色を楽しみたい」とのことだったが、お察しの通り、典型的な乗り物酔いである。車だと誠次も負けてはいないが、新幹線でも乗り物酔いとは、相当なレベルであると思う。
「大阪楽しみだねー! ほら、たこ焼きとか! 美味しいからきっとこうちゃんハマると思うよ!?」
「ええ……」
「え……」
「……」
「う……」
桜庭は肩を落とし、がさごそと目の前のお菓子に手を伸ばす。ちなみに三人とも私服で、制服には向こう――アルゲイル魔法学園――で寝泊まる寮で着替える。
(かわいそうに桜庭……。今の香月にはきっと何を言っても無反応だぞ……)
誠次は横目で、桜庭が何かやってる光景を見ていた。
目を逸らそうとしたその途端――。
「ではでは、頑張っている天瀬誠次くんにご褒美をあげようー!」
「のわ!?」
はい、と桜庭に真横から黒い物体を口元に近づけられ、誠次は思わず悲鳴を上げた。桜庭が出したのは、ただのチョコ棒だったが。
「い、いらないよ。香月にあげろ」
恥ずかしい気分を隠しながら、誠次はぶっきらぼうに返す。
「こうちゃん乗り物酔いだし」
「断じて違うわ」
「ご、ごめん……」
なんでなのかは分からないが、香月は乗り物酔いを頑なに認めていない。
「あ、あ……。た、楽しくない……。凄い楽しくないよ……」
香月と誠次二人に挟まれている桜庭は、それきりつまらなそうにしてしまっていた。
「……仕方ない。桜庭……」
誠次は耳のイヤホンを外し、宿題のノートを閉じた。目元をきゅっとつまみ、軽く伸びをする。
「あ……」
桜庭が何やら期待するような目で誠次を見たが、
「俺は寝る!」
「寝ちゃうの!? 駄目でしょ!? 起きてて!」
腕を組んで深く座り直した誠次が目を瞑ると、めっ、と桜庭の非難の声が聴こえた。
「冗談だよ」
半分くらいは本気であったが、誠次は起きる事にした。
どちらにせよ、勉強はここでは捗りそうにないので、誠次は夏休みの宿題をここではやめることにした。――結果、最終日まで放置することになることを、この時はまだ誰も知る由も――。
桜庭と香月がいる窓の外をちらりと見れば、目にも止まらぬ速さで通過していくビル群が。
「でも、゛れぶてぃん゛……だっけ? 外に持ち出せる許可出るなんてね」
焦点を合わせると、桜庭が誠次の脚元をじっと見つめていた。
誠次の目の前の座席にかけてあったのは、柔らかい布で出来た細長い袋だった。紐が通っており、中にあるのは鞘に収まっているレヴァテインだ。
「……」
香月も、窓から一瞬だけ視線を離して袋を見ていた。
「なんか美味しそうな肉の名前みたいだな……。レヴァテイン、だ。さすがに人の前じゃ出せないけど」
誠次も視線を下に送り、言っていた。
「街中で剣なんて見たらみんなビビるもんね……」
桜庭はこれを普段の学園生活の延長で持ってきているものだろうと思っている。
――それは、この場にいる香月以外は皆同じようで、
「――ふーん、剣の名前かな?」
聞き覚えのある女性の声が、頭上からした。
誠次が顔を上に向けると、ヴィザリウス魔法学園二学年生、波沢香織の綺麗な顔がすぐ近くにあった。私服も清楚で夏らしい薄着のものだ。
「あ、香織先輩!」
桜庭も波沢に気づき、顔を上げる。
「一年生のみんな、おはよう」
一つ後ろの席だったのか、波沢は誠次の席の真後ろから身を乗りだして来ていた。聞いた話によるとこの弁論会、二学年生は暇な人は強制参加と言うヴィザリウス魔法学園伝統の暗黙のルールとやらがあるらしい。
「私もいるよー」
そして波沢の隣から、ヴィザリウス魔法学園生徒会書記担当二学年生、相村佐代子がひょこっと顔を出す。派手な金髪に軽めの化粧を施しているが、けばけばしくはない。
「波沢先輩、相村先輩。おはようございます」
誠次は頭を下げ、挨拶を返した。
「なんかあたしと対応違くない……?」
どこか膨れっ面の桜庭が、誠次を見て言う。
「なんだよ、先輩に敬語を使うのは当然だろ? べつにおかしいことじゃない」
「そうじゃなくて。……もー、いい!」
窘めるようにして言った誠次に、桜庭は機嫌が悪そうにそっぽを向いてしまった。
そんな二人の様子を見ていた相村が、どこか不敵な笑みを見せて、
「莉緒ちゃん。髪さらさらじゃんー」
「うわ!?」
相村が桜庭の紫色の髪を弄っていた。真上からいじいじと、まるで美容室のような光景だ。
「゛妙に゛オシャレしちゃってー。あ、その子が追加参加ちゃんね?」
桜庭の髪を弄ることに満足したのか、相村が窓側の席を見て言った。――妙に、のところのイントネーションが微妙に高かった。
「可愛い……」
波沢も誠次の背もたれに腕を回したまま、香月の方を見ていた。髪に波沢の腕が当たりそうになってしまい、誠次は失礼のないようにと変に姿勢を低くしていた。
(こ、腰が痛い……)
「初めまして」
香月はぺこりと極めて小さな一礼をすると、すぐに窓の外へと視線を戻そうとしたが、
――ガタン。
「――きゃっ!?」
香月が突然、極めて女の子らしい悲鳴をだした。
新幹線がちょうど、トンネルに入ったのだ。車内窓が音を立てて揺れ、そこから見える景色が一瞬にして黒に染まる。
他の女性陣も一瞬だけ驚いていたようだったが、誠次が何よりも驚いていたのは、香月の反応だった。
「……」
「……っ」
ふと香月と視線が合った。だが、向こうからすぐに髪をはらいながら逸らされる。
窓際の席だったら、誰でも一度は驚くと思うが。
(今の香月の珍しい反応……動画撮りたかった……っ!)
誠次が極めて問題発言すれすれの事を思っていると、
「あまり後輩を苛めるなよー佐代子。翔くんだけにしとけって」
ずっと座っていた香月の後ろの席の二学年生女子が、よっこいしょと椅子の背もたれを掴んで身を乗り出して来る。緑髪緑目の、女性だ。翔くんとは、長谷川翔の事だろう。
「べつに私と翔ちゃんはそんな関係じゃありませんよーだ」
相村は少しむくれて答えていた。
「嘘をつけ、嘘をー」
緑髪の先輩がジト目で相村を見ていた。
「あ! やっぱりそう言う関係だったんですか!? すっごく気になってました!」
「莉緒ちゃんまで!? 違うってば!」
桜庭も仁義無き恋バナに参戦し、相村が一方的に責め立てられる展開となった。
女子の色恋話中に、不可抗力でその場にいてしまう全然関係ない男子ほど、ばつが悪いのもそうはない。誠次は居心地悪く、しかしその状態を悟られまいと変に相づちをうったりしていた。
車内トイレに篭ろうかな、などと誠次が考えていたところで。
「みんな。天瀬くんもいるんだから、ちょっと自重したらどう……?」
男、と言う点では誠次の名前を出したことは妥当か、波沢が困り顔で同級生たちを咎めていた。
「さっすが優等生! そのまま生徒会入ってくれると助かります!」
助かった形となった相村が波沢を見て、両手を合わせてさらに懇願していた。
(そのまま生徒会って流れはさすがに無理がないだろうか……)
ほぼ流れで生徒会の活動を手伝うことになった男の弁である。
一方、相村の言葉に対して、波沢は露骨に嫌そうな顔をして、
「私には無理。佐代子朝からしつこい。ずっとそればっか言ってるし……」
波沢は首を横に振って答える。ハッキリと、否定の意志を持っているようだ。
「むむ……」
相村はがっくし、と肩を落としていた。しかしすぐに顔を上げると、デコレーションがこれでもかと施された私物のタブレット端末を起動し、
「じゃあかおりんの会長就任が決まったところで、一応初参加の一学年生諸君には私からにはスケジュールを確認させてしんぜよう」
「決まってないし、日本語がおかしいことになってるよ……」
波沢がやれやれ顔でツッコんでいた。
「このまま昼には大阪着くんだけど、今日は自由時間。大阪観光を楽しんで」
「はい!」
桜庭がうきうきと反応していた。
「はい」
誠次も、横でうなずく。
「寝泊まるのはアル学の寮。二日目は朝から弁論会。まあ天瀬くんたちは適当な所で適当に話聞いてればいいから」
「適当な所って、一体どこでしょうか?」
誠次がきょとんとして訊く。アルゲイル魔法学園がどういうとことなのか、どういう設備があるのか、何も知らなかった。
「アル学の施設の中だったらどこでも。棟内のいろんなところでホロ映像が浮かんでるから、否応なしに見る事になるよん」
なるほど、と誠次は返事をしていた。
「んで、弁論会が終わったら体育館の会場をチェンジしてレッツパーティーっ! ドレスは貸出!」
テンション高くやはり楽しみそうな相村の説明の途中、その隣の緑髪女子が、何やらやっていた。
「こ、香月……」
「あ、天瀬くん……っ。助け……っ」
誠次がそちらを見ると、今度は香月が先輩に頭を揉みくちゃにされていた。
「わ、わーこ?」
「何してるの? 香月ちゃんが怯えているよ……?」
相村と波沢が、わーこと呼んだ女子生徒を、驚愕の表情で見つめている。
「な、なにこの娘!? 滅茶苦茶可愛いんですけどっ!」
お言葉通り、香月の髪を触ったり撫でたり゛嗅いだり゛滅茶苦茶にしているわーこ。
「……!? ……っ!?」
香月はどうすることも出来ず、頭上からの襲撃者にされるがままであった。乗り物酔いどころではないようで、その点ではわーこのファインプレイなのかもしれない。
「どこから来たの!?」
「ウィザ学だけど……」
「お持ち帰りしていい!?」
「いや駄目でしょ……。持ち帰るたってヴィザ学じゃん……」
わーこの暴走を、相村が寸でのところで抑えていた。
「……っ~!?」
頬っぺたをむにむにつままれたり、身体をペタペタとも触られている香月は、助けを求めるような視線を送ってきている。まるで獰猛な肉食獣を前に怯えた小動物のようだった。
しばし女子先輩との時間が続き、気づけば新幹線は大阪の駅、新大阪に到着していた。
時刻は昼。
誠次はレヴァテインの袋を背中に掛けるようにして背負い、新幹線を出て新大阪駅のホームへと降りていた。自由行動開始、と言っても誠次には一緒に出歩くような先輩もおらず、香月と桜庭と過ごすつもりだ。
最新の設備が施された新大阪駅は、まだ夏休み中とあってか、家族連れや旅行客が多い印象だ。
「それじゃ、さっそく何か食べに行こうよ! 大阪と言えばソースもの!」
ホログラムの看板がそこかしこで浮かび上がり、眩しいとさえ感じる新大阪駅の構内を歩きながら、桜庭がはしゃいで言う。誠次と香月も自分の荷物を背負いながら、それぞれ後に続く。荷物の内訳は、誠次は、制服と三日間ここで過ごす為の着替えや生活用品ぐらいだ。そして、レヴァテイン。
レヴァテインだが八ノ夜から肌身離さず持ち歩いているよう、指示があった。銃刀法があるが、八ノ夜が言うには都道府県公安委員会とやらの許可を勝ち取ったそうだ。
(勝ち取った、って素直に喜べないよな……)
これにより特例と言う形でレヴァテインの携帯が認められているが、正直その特例とやらの効力がどれほどのものかと言うと、怖いところだ。なんにせよ、人の前でこれ見よがしに出したりはしてはいけないだろう。
「私、今回の旅行で目標があるの」
「旅行じゃないよこうちゃん……」
そう言う桜庭が一番旅行気分な点は、ツッコミたかったが堪えた。
「……」
「……こうちゃん?」
「……香月?」
なんだろうかと思わせるような間を、香月はおそらく意図的に作ってから、
「生゛なんでやんっ゛を聴きたいの。ボケれば言ってくれるのかしら?」
「大阪の人に謝れ!」
首を傾げる香月に、結局誠次は全力でツッコんでしまっていた。
駅から出たところ、早速、
「うわ、なんか道路広いよ! 東京より広くない!?」
辺りを見渡しながらテンション高く、桜庭が言っていた。
ロータリーから続く形で作られた道路は確かに横幅広く、まるで高速道路のように無数の車が行ったり来たりしている。道はそれぞれ商店街や、住宅街に続いているのだろう。
道行く車の速さを見届けながら、誠次は立ち止っていた。
「本当だ。大きな工事があったらしいぞ。道路拡張工事」
この大道路はなにも最近出来たようで、工事跡地らしき看板があったのだ。
三人は歩道を歩き、取り敢えず昼食を食べる為にお好み焼き屋に向かった。桜庭の事前調査による、美味しいお店らしいが。
辿り着いたのは大道路に面した、゛ザ、お好み焼き屋゛と言わんばかりの見た目の建物だった。ガラス戸のお店、と言うだけであるが。
「良い匂いするー!」
「おお……」
桜庭の言う通り、店の前まで来るとソースの香ばしい匂いがしてきていた。これは例え腹が減っていなくても、食欲をそそられてしまいそうだ。
「ここでいいよね?」
「賛成」
桜庭の言葉に誠次は言葉で首肯し、香月は無言でこくりと頷いていた。
「いらっしゃいっ!」
店に入ると、青いエプロンに白いタオルをバンダナよろしく頭に巻き、気さくそうな男性従業員が迎えてくれた。
「何名で?」
「三人です」
誠次が代表して答える。
すると従業員は申し訳なさそうな笑みを浮かべて、
「ごめんなさいだけど今混んじゃってましてね。少々お待ちください」
従業員は混雑している店の奥へと消えて行った。
なるほど、確かに白い煙がもくもく出ている店の中は私服姿の中年グループや、家族連れのお客さんで一杯だ。夏休み中のお昼時なので、当然か。
入り口で少し待っていると、さきほどの従業員がせかせかと帰って来た。
「三名様のお客さん、相席で大丈夫でしょうか?」
「あ、えっと……」
外食で相席とは初めてだ。
生返事をしつつ、誠次は横に並んで立っている二人の女子に、目線で判断を仰いだ。
「あたしは相席で大丈夫です」
桜庭は平気のようで、店員に向けて言葉を返す。
香月は無言のまま、誠次に視線を返していた。好きにして良いと言う合図だ、と思う。
誠次も「お願いします」と頷き、三人は店員に連れられて店の奥へと向かって行く。
そこは三つの席が鉄板付きのテーブルを挟んで向かい合う、六人掛けの席。――林間学校での飯盒炊爨の時と同じような感じである。
――そして。
「こちらです」
店員の案内の先――。
机の座席、真ん中に座っていた同年代の金髪碧眼の少年と、誠次は目が合っていた。




