2 ☆
最初の一、二発の火球は避けられた誠次だが、香月は立て続けに次の魔法式を組み立てている。
炎の球を避ける為、誠次は横へ転がる。そして転がった先、置いてあったレヴァテインを掴み、引き寄せる。
……っ冷気――!?
新たな魔法の気配に、上を見上げると――。
「本気か!?」
青い魔法式が、こちらの身体に照準を合わせるかのように浮かんでいた。
いつか見たことがある、氷属性の魔法式だ。
誠次はタイルの床を蹴り、後ろに跳ぶ。
「属性魔法の組み立てをこうも早く行えるとはな」
八ノ夜が感心して香月を見ていた。
「うわ!?」
一方で誠次は、香月の魔法による氷のレーザー攻撃をかわしていた。
ひんやりと冷たい冷気を感じれば、演習場の真ん中から天井を斜めにかけて、氷の柱が出来あがっている。
その柱の影から、香月が飛び出して来る。勿論、魔法式を展開しながら。
「七月。ショッピングモールで、桜庭さんと二人で何をしていたのかしら?」
ひんやりと冷たい声音で、香月はそんな質問をして来た。
「桜庭が一緒にいたって、言ったのか?」
香月が発動した、真正面方向からの雷撃魔法から横に走って逃れつつ、誠次が訊き返す。
(凄いな……)
構築スピードが早すぎて、一向に近づけない。魔法戦において攻撃は最大の防御である教えを知るには、もってこいの人物だった。
接近戦に持ち込めないのであれば、誠次に勝機はない。ある意味、こちらの戦い方を心得ている香月ならではの戦法だ。
「いいえ。お父さんが」
「東馬さんかっ!?」
その問答のさなか、目の前に迫っていた火球があった。
誠次は咄嗟にレヴァテインを抜刀し、火球を叩き斬った。本当の意味で、火花が発生する。
「あれはただの調査だ! 弁論会の事でだな――」
焦る誠次は香月に向けて声を荒げたが、香月は相変わらずの一定の声のトーンだった。
「べつに桜庭さんとの外出を怒っているわけではないわ」
「それじゃあ――!」
「ショッピングモールにいた時、なんで私に声を掛けなかったのかと訊いているの」
「分かるかっ!」
どうやらずっと根に持っていたようだ。
この押し問答の最中も、誠次は香月が次々と発動する火球をレヴァテインで防いだり、かわしたりしていた。
「べつに桜庭さんとの外出を怒っているわけではないの。ただ、知り合いには声を掛けると言うのは礼儀でしょう?」
「二回言ったな!? 声をかければよかったのか!?」
まさか香月に、(それが本当に正しいのかどうかは別として)礼儀を説かれる日が来るとは思いもよらなかった誠次。そして気づいたのだが、香月の魔法構築のスピードが、あからさまに下がっていた。果たしてただの魔素切れによるものか、否か。
「それはただの自意識過剰ね」
「う、うるさい!」
それでも誠次はタイル床を滑り、香月の攻撃魔法を避け続ける。一瞬でも足を止めようものならば、今も背後に感じる属性魔法の直撃は免れないだろう。
「お前らなあ……」
八ノ夜はやれやれと頭を抱えていたが、
「あれほど連続して魔法を放っているのに、魔素酔いもしていない、か」
八ノ夜は誠次の事など気にも留めず、右手を伸ばし続けている香月をじっと見ていた。今更こちらを心配する訳もないかと、誠次は思った。
一方で息を切らしながら、誠次は走り続ける。
(完璧に魔法を回避できると信頼されているから、なんだよな?)
「では――おっといかん。手が滑って眷族魔法を発動してしまった」
視界の端で気づけば、八ノ夜が青い魔法式を展開していた。
絶対わざとだが、香月の魔法をかわしている今、誠次は下手に指摘できなかった。
「一体何を!?」
八ノ夜が生み出したのは、中世の騎士のような甲冑を纏った使い魔だった。背丈は高く、二Mを優に超えている。そして、右手にはサーベルを、左手には盾を所持しているものだ。
先鋭的なデザインの甲冑は何も喋ることはなく、ただ静かに、誠次と香月に剣を向けて来る。その迫力に、誠次は少し尻込みしていた。
「これは……?」
「どうする気ですか!?」
香月と誠次は戦う手を止め、八ノ夜を見る。
「いやいかんな。コイツは自我が強くてとても私には解除できん。お前たちが倒せ」
「そんな使い魔の設定聞いた事ありませんよ!?」
「ちなみに名前は……そうだな、ランスロットで」
八ノ夜が指をくいと動かすと、ランスロットはそれに呼応して喜んだようにサーベルを掲げる。八ノ夜はそれを見て満足そうに笑い、ランスロットは再び決闘前の姿勢に戻る。
「健気なランスロットだな……」
誠次がぼそりと言うが、
「今は私と天瀬くんのこれからについての真剣な話し合いの最中。邪魔するのなら倒すだけ」
香月がランスロットに向けて手を伸ばす。
「話し合ってないよな? かなり殺伐とした特訓中だったよな?」
誠次も口でツッコみつつ、黒き者の剣――レヴァテインをランスロットに向ける。
――刹那。
ランスロットの姿が視線の先からすっと消える。
「あ――」
誠次はそれに、激しい見覚えを感じた。
奥羽と、同じ……!?
「早いわね」
驚く誠次の真横では、香月が冷静に魔法式を二つほど展開していた。
「どこから来るか分からないぞ!」
誠次は咄嗟にレヴァテインを頭上で構える。
読み通り、頭上からランスロットが誠次を強襲して来た。
巨体から繰り広げられる青いサーベルが、構えられていたレヴァテインを斬りつけ、誠次は鈍い振動をその身で味わった。
「……重いっ!」
「天瀬くんを倒すのは私よ」
不純な動機を述べた香月の魔法式から、雷撃魔法が迸る。それは目に見える電流で、ランスロットに向けて放たれていた。なにか電化製品に直撃させたら、たちまち爆発しそうだ。
が、ランスロットはそれを盾で防ぎ、その場からまたしても消える。――一時期誠次も「剣があるなら盾はないんですか?」と八ノ夜に訊いた事があるが、八ノ夜はすぐさま凄い剣幕で怒って来た。曰く「わかってないな。見栄えが悪い。剣だけこそが至高!」との事。もっとも、レヴァテインの重さを考えると、重たい盾など持っていられないのだが。
――閑話休題。
香月の目の前に出現したランスロットは、サーベルを横に一閃する。
「……っ」
香月は防御魔法、ではなく、反撃の形成魔法で、目の前に障壁を作ってサーベルの一撃を抑えていた。
「香月!」
誠次もレヴァテインで応戦し、香月をランスロットの凶刃から守りきる。
「……」
香月が誠次の背中を見つめるが、攻撃の反動で仰け反ったランスロットを見た誠次は、
「貰った!」
有効打を与えられるチャンスとばかりに飛び上がり、レヴァテインを一息に振り下ろした。
だが、ランスロットは「見切っていたぞ」と言わんばかりに瞬時に姿を消すと、あろうことか誠次の真後ろに出現する。
「なに!?」
決まったと思っていた誠次の顔が、背後の気配を感じ、驚愕一色に染まる。
誠次はすぐに軸足を踏ん張らせ、
「くそっ!」
だが、誠次もあれから伊達に鍛錬を積んだわけではない。
「――まだまだ!」
振り向きながらレヴァテインを、月の弧を描くように薙ぎ払う。ランスロットがすでに繰り出していたサーベルと、誠次のレヴァテインが目の前で火花を散らす。
無理な体勢で一撃を止めたため、誠次の身体は本人の意志とは関係無く、後退させられる。
「っ!」
追撃されれば危ない状況だったが、横に並んだ香月が炎属性の攻撃魔法を放ち、事なきを得た。
誠次はレヴァテインを支えに立ち上がる。
「助かった、すまない香月。瞬間移動って魔法、あると思うか?」
「……」
香月はランスロットを見据えたまま、何も言わない。
「こ、香月?」
「今、私とあなたは喧嘩の最中。喧嘩中は口を利かないわ」
「お、おい……」
「……」
またどこで得た知識かは知らないが、言うことだけ言い、ぷいとそっぽを向く香月。
「わかったよ。なら付加魔法は無理か」
あの歪んだ時間の世界なら、ランスロット――奥羽――の動きを読み取れそうだったのだが。改めて誠次がレヴァテインを構えると、香月が手を差し伸ばして来ていた。
「誰が、無理って言ったのかしら?」
「良いのか? けどエンチャントすると香月が――」
「……良いから早く貸して」
ご託は無用とばかりに、香月は誠次からレヴァテインを受け取っていた。
「助かる。後は俺がやるから、香月は安心してくれ。絶対に守る」
何度見ても幻想的な、青い魔法式を床上に展開した香月に、優しく言う。心なしか周囲の照明の明度が下がっている気がする。
香月は、ゆっくりと魔法式を構築しながら、
「また……あなたは他の女の子に言ったようなこと……平気で言う……っ」
白い頬を桃色に火照らせ、しっとりとした声で香月は言ってくる。半袖の制服から覗く二の腕や、スカートから覗く太ももには、艶めかしく感じる汗の筋がある。
「それで……嫌われてもいい。ただ、もう大切だと思う人を失いたくはないから、それでも俺は戦う」
それが、過去に守れなかった存在がある者の責任だ。
誠次は香月をぎゅっと抱き寄せ、
「安心して俺に守られてくれ。もう力が無くて、誰も失いたくないんだ。その力を貰った以上、絶対に負けない」
「それは……んっ……」
香月は大きな瞳をぎゅっと瞑り、はしたない呼吸を堪えようとしてか、ピンク色のくちびるをきつく噛み締めていた。
誠次は唾を呑み込みつつ、倒れ込む香月の背を支える。
「セイジ……っ!」
待ちに待った瞬間を迎えたようだ。香月は火照った表情のまま、誠次の胸元で恍惚の笑みを浮べていた。
「……」
そんな女子高生と、彼女の震える手により構築される魔法式をじっと見つめているのは、八ノ夜だ。
(もしかすると、今日の特訓は初めから全ては、これの為に仕組まれていたのか?)
――今は目の前の事に集中しなければ。
過去と同じく、誠次の中では沸々と自信が沸いて来た。
「゛これがエンチャントか゛……」
どこか含みのある八ノ夜の言葉は、目の前に広がる光景の前では頭に残らなかった。
「さぁ……受け取って……っ。セイジ」
口で荒い呼吸をする香月から差し出されたレヴァテインを、誠次は口を結んだまま握る。青い燐光を放つレヴァテインは、持ち主の手に握られると、それに応えるかのように、その光を拡散させた。
「ありがとう、香月」
光が止み、瞳に青を宿した誠次がぼそりと言う。
「身体に力が……っ」
「お、おい……」
誠次に抱きかかえられている香月は、誠次の制服の襟をぎゅっと握って放さない。
いつもの無表情はどこへやら、とろんと甘えるような表情で、香月は誠次を見上げる。
「――ランスロットは待ちくたびれているぞ天瀬?」
誠次が八ノ夜のほうを見ると、妙な光景があった。
まず、八ノ夜の言葉が聴こえ、やや遅れて八ノ夜が口を動かしているのだ。
「ラグか」
続いて誠次は青い目で、真正面方向の敵――ランスロットを睨む。
「悪いな。嫉妬されるようなところを見せつけて」
誠次は青い光を放つレヴァテインを片手で持ち、片手に香月を抱いたまま、軽く笑う。
「まあお前は魔法が使えるんだから、それでおあいこでどうだ?」
誠次は見付けていた。
ランスロットの足元に、ごくごく小さな魔法式が発生しているのを。そしてそれを展開、構築しているのは、ランスロット自身。
「使い魔にさらに魔法を使わせるなんて聞いた事がありませんよ。さすがは理事長です」
「褒めてくれる暇があるのだったら、そいつに倒されてからにしてくれ。でないと、褒められる方も複雑な気分だよ」
「それは無理です」
ぞうっとする青い世界の中、八ノ夜がゆっくりと笑っていた。
「私が考えた奥羽と言う男の瞬間移動のトリックだ。予め魔法式を展開しておき、それを好きなタイミングで発動する。そうする事でただの加速魔法が、何の前触れもない瞬間移動に見える。それに気付けなかったのは、やはり冷静さを欠いていたお前の弱さだ」
「予め展開しておいて好きなタイミングで発動。そんなこと、出来るのですか?」
「正直言って私も実戦中に上手くやれる自信はない。連中はよほど戦闘慣れしているか、凄腕の魔術師かと言ったところか」
八ノ夜は心当たりを探る為か、あごに手を添えて考えているようだった。
その間にもランスロットは盾に隠れている左手を動かし、足元に魔法式を展開する。また瞬間移動の真似事をするつもりなのだろう。
「セイジ……っ」
香月が誠次の首に腕を回し、自らしがみついて来る。
どうやら、この状態のまま戦うしかないらしい。
誠次は直立したまま、ランスロットの動向を見た。
原理が魔法ならば、その魔法式が向く先が移動する場所――すなわち、ワープ地点。ならば、その出現地点を先に予測すれば!
「……」
誠次はレヴァテインを強く握り、魔法式から読んだランスロットの行先まで走る。
(滑稽な姿だ)
果たして、さきほどまでは瞬間移動に見えたランスロットは、まるで滑走するように誠次の目の前まで移動して来た。
「そこだ!」
誠次はレヴァテインを構え、ランスロットの右肩を突き刺す。ランスロットが左手の盾を構えようとするのが、遅すぎたのだ。
ランスロットの右肩からレヴァテインを引き抜いた誠次は、続いて左肩に狙いを定め、斬る。斬ると言うよりは、解体だろうか。
抵抗とばかりランスロットが誠次に右足を上げ、蹴りにかかるが、誠次はそれをひらりとかわす。
人間で言う膝部分にレヴァテインを突き刺し、そのまま横にスライド。もう片足も順に斬り裂き、ランスロットを倒した。
「セイジ、強い……」
胸元で荒い呼吸の香月が、妖艶さを醸し出しながらを微笑んでいた。
「瞬殺か……」
八ノ夜が呆気に取られた表情をしていた。ランスロットは消滅し、八ノ夜も魔法式を解く。さすがに消費した魔素が多かったのか、はたまたエンチャントの力に驚いているのか、珍しく冷や汗をかいているようだった。
「正直驚いたよ。ここまで強いとはな」
「あくまで香月さんのエンチャントのお蔭ですが」
とたん、ぎゅっと、誠次の首に回されている腕の力が強まった。
「痛たっ」
「そう謙遜するな。さて、香月の方だが……」
八ノ夜は興味深そうに、誠次に抱き付いている香月をほうほうと見ていた。
いまだ香月は顔を赤らめ、誠次から離れようとしない。口で呼吸をし、赤らんだ顔でそれが至近距離で誠次を見上げて来る。ただ漠然と、この状況のまま二人っきりになったら色々ヤバい気がした。
「一六歳。そうか、いよいよ卒業の時か、天瀬……。お前にも春が……来るとはな……。私を差し置いて……」
およよ、と八ノ夜が目元を拭んでいた。良い人が早く見つかって欲しいところだが、今はただ――。
「夏です! あとこの状況に対して何かべつのお言葉を頂けませんかね!」
「セイジっ。身体が……熱い……」
「熱か!? 具合が悪いとか……」
さすがにそう言う病的なものだったらバツが悪い。
「むしろ気分は、良い……」
「いやダメなやつだこれ!」




