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大阪のアルゲイル魔法学園で行われる、二大魔法学園弁論会を、翌日に控えた八月の中旬。
天瀬誠次は、八ノ夜理事長に呼ばれ、理事長室にいた。
相変わらず呼ばれるわけはわからない。
「香月も呼ばれてたのか?」
理事長室内に入ったところ香月もおり、誠次は驚いた。
「ええ。寮室にいたら、突然」
香月はこくりと、頷く。
「――やあ。早速で悪いが時間がない天瀬。香月」
八ノ夜が、面談用のソファに腰かけていた。艶のある黒髪を腰まで流し、細い身体の背筋をぴんと姿勢よく伸ばしていた。学園理事長の制服姿で、見慣れていても視線が釘付けになってしまいそうになる。
誠次と香月は促されるまま、八ノ夜に向かい合う形で共にソファに座った。
「この間、メーデイア刑務所で脱獄事件があったのは知っているな?」
「……はい」
八ノ夜の言葉に、誠次は真剣な表情で頷いた。
ニュースでも大騒ぎであった。八月六日の未明。レ―ヴネメシスが魔法犯罪者を収容するメーデイア刑務所に襲撃を仕掛け、多くの犯罪者たちを逃がした。さらに、特殊魔法治安維持組織の大勢が返り討ちにあったと言う報道もある。それは事実上、いくら訓練生とは言え特殊魔法治安維持組織の敗北と見て間違いないだろう。
「二大魔法学園弁論会が開催されるこのタイミングだ。おそらく奴らが何か仕掛けてくると見て間違いない」
八ノ夜は鋭い目つきで、誠次と香月に告げる。
「中止にすべきでは」
誠次の進言に、八ノ夜は難しそうな表情をして首を横にふる。
「仕掛けてくると思うのは、あくまで私の推測にすぎない。それに魔法執行省は例年通り開催する予定だそうだから、とても間に合わないな」
事が起こらなければ、司法が事態に介入しないのは、なにも今に始まった事じゃない。
誠次にすれば、それは歯がゆい思いをさせられるものだったが。
誠次はしばし呆然とする気分を味わいつつ、声を出す。
「そんな……。とても危険です……!」
「そこでだ。アルゲイルの理事長、並びに特殊魔法治安維持組織局長と話し合った結果、お前の剣――レヴァテインの携帯許可が降りた」
ちなみに八ノ夜さんに剣の名前を付けた事、その剣の名前を伝えたところ、それはそれは大そうお喜びになった。とうとう剣の素晴らしさが分かってくれたか!? など。
「外に持ち出せると言うことですか?」
誠次の確認に、八ノ夜は青い瞳を閉じてうむと頷く。
「私の場合こう言うべきだろう。持ち出せ、と」
「その点に関してはノーコメントとしますが、護身用としては心強いです」
誠次は背中のレヴァテインをちらりと見てから、言葉を返す。
「そうか……」
八ノ夜はこちらを、少しだけ意外そうに見ているようだった。
「聡明なお前ならもう分かると思うが、無論そのままそれを背中に着けて外に出るのは駄目だ」
「はい。では何か、入れ物に入れて行きます」
「それは私が用意しておこう。あと、これ見よがしに振り回す真似も駄目だぞ?」
「分かっています」
八ノ夜は続いて、誠次の横の香月の方を見た。
「君とテロ組織との関係を調べた。後日、親である東馬さんにも話を聞くつもりだ」
「……」
八ノ夜の視線に、香月は怯むことはなかった。紫色の視線を真っ直ぐに、八ノ夜を見据えている。
誠次が少し落ち着かない気分となっていたが、八ノ夜はふっと笑った。
「その上で、学園はこれからの君の学園生活をサポートすることを改めて約束する」
香月がぴくりと、瞳の奥の瞳孔を動かした。
「その代わり、君には一つ確認したいことがある」
「はい」
なんでしょうかと、香月は八ノ夜を見ていた。
「君自身は、完全にテロリストと縁を切ったと言えるか? 周りがどうとかではなく、君自身はどうなのだ?」
「香月さんはリリック会館で自分と一緒に――!」
「今はお前に訊いているのではない、庇うな。香月自身の言葉が聞きたい」
思わず声を出してしまった誠次の言葉を途中であしらい、八ノ夜は香月の方を鋭い視線で睨んでいた。
「申し訳ありません……」
出過ぎた真似だった、と自分でも反省し、誠次はソファに深く座る。
香月は少しの沈黙の後、
「……私は、ヴィザリウス魔法学園の魔法生です」
「君はそう思うのだな?」
「はい。……信じて貰うためには、どうすれば良いでしょうか」
香月は冷淡な表情を八ノ夜の前でも崩すことをしなかった。
八ノ夜はつり上げた眉を曲げ、
「よし。では大阪へ行く前に、一つ特訓をするか!」
とたん、八ノ夜は明るい口調で言って来た。
「特訓……」「特訓?」
誠次と香月は同じタイミングで首を傾げていた。
ただ、お互いの声音は、少々違うものだった。
所変わって、ヴィザリウス魔法学園第五演習場。
広く走り回れる一階部に。誠次、香月、八ノ夜がやって来た。
「まさか、中学までの特訓に香月さんを参加させるつもりですか?」
「ああ。こうなったら香月も無関係ではないだろう」
軽いストレッチをこなす誠次に、八ノ夜は細い腰に手を当てて答える。
「中学までの特訓?」
香月一人が、わけのわからないと言った様子だ。
「対人、対捕食者を想定した戦闘訓練だ。徒手空拳なら中学校の頃からやって来た」
そして剣の訓練は影塚さんと。と、言った具合だ。
誠次が香月に説明していた。
途中で、八ノ夜がこほんと咳払いをする。
「主に敵の攻撃を防いだり回避したり受け流したりする術を教えている」
八ノ夜が香月を見て言う。
「なるほど。通りで、逃げ回ることは上手かったのね」
香月があごに手を添え、誠次を見つめる。
「嫌なこと言うなよ……。まあ半分ぐらいは、この身体のスピードのお蔭なんだ」
誠次がやれやれと言う。
「本当は魔法戦の授業は二学年生からなんだが、状況が状況だ。香月。君も天瀬と一緒に特訓を受けると良い。ちょうど君の魔法の才とやらも見ておきたくてな」
(八ノ夜にしては)ごもっともな理由であった。胸の前で腕を組み、八ノ夜は言う。
「まずは天瀬の特訓の様子を見るが良い」
「あまり人に見られたくはありませんが、分かりました。……って、制服のままやるんですか?」
誠次と香月は共にヴィザリウス魔法学園の夏服姿だった。
「じゃあ今目の前で着替えるか? 私は構わないぞ?」
「私も構わないわよ」
即答された。
「少しは構いましょう、二人とも……。このままやります」
仕方なしに誠次は背中のレヴァテインと制服の青いネクタイを解き、たたんで置く。
向かいの八ノ夜と、後ろの香月が下がり、誠次が一人演習場のど真ん中にぽつんと残される形となった。
香月が走って大きく回り込んで、八ノ夜の横に並んで立つ。
「では、アオオニの使い魔を出す」
「了解です」
誠次の返答により、八ノ夜が白い魔法式を展開する。手早い操作でそれはすぐに完成し、魔法が発動された。
そして誠次の目の前に、誠次と同じ身長の使い魔が出現する。
「八ノ夜さんのは久し振りだな」
見た目は青透明の人間のようで、影塚のそれとまったく同じだった。
手ぶらのこちらと同じく手ぶらのアオオニが、目の前で構えをとる。お互い、ボクシングのようなファイティングポーズの構えをとっている。
八ノ夜は向かい合う誠次とアオオニを面白げに眺めつつ、
「この訓練はお蔭で最高峰の効率を誇る。型破りでいいからな」
「型破り?」
「流派と言うヤツだが、分かりやすく言えば柔道や空手、ボクシングなどの遵守するべきルールであると思っていい。それは人対人の特訓で相手を怪我させぬよう、必ず発生する」
八ノ夜の言葉の途中から、戦いは始まっていた。アオオニの右ストレートが、誠次の左頬を掠める。
痛みは無い。ただ、掠ったと言う感覚はある。
「――だが、使い魔に遠慮はいらない」
誠次は片手でアオオニの伸びきった右手を掴み、くるりと回転しながらアオオニ本体に接近。身体が振り切ったところで、左手の甲をアオオニの顔面に叩き込む。
アオオニはまるで人間のように頭を抑え、一歩二歩下がっていた。この再現度の違いが、影塚と八ノ夜の魔術師としての差だろうか。
「――そして同時に、使い魔も天瀬に遠慮はいらない」
途端、アオオニがタイル床を蹴り、誠次に接近する。それは並の人以上のスピードで、誠次は堪らず受け身の姿勢をとった。アオオニは躊躇する事無く、誠次の腹を、抉るように蹴った。
「かはっ!?」
「互いに遠慮も戸惑いも必要なく、殺る気を出せるのだ。型に捉われない戦い方は戦闘において大きく役に立つ」
「つまり、なんでもありと言うわけですね」
「野暮ったい言い方をすればそうなるな」
遠慮のいらない訓練だった。
もし目の前のアオオニが人だったら、本気で顔を殴ることなど出来はしない。だが、これは実戦同様の動きが出来る。
「やったな!」
誠次は反撃に回し蹴りを繰り出し、靴底でアオオニの左肩を痛めつけた。そしてすぐに両足を地に着け、右手と左手を順に突き出してアオオニの胴を殴りつける。
完全に怯んだアオオニを最後は勢いをつけて蹴り飛ばし、誠次はタイル床に着地した。
「……よし」
「こら天瀬。いくら香月の前だからと言ってやりすぎるな」
「っ!? い、いや別に! 香月さんの前だからというわけではありませんよ!? いつも通りです、いつも通り!」
……図星であった。
「どうでもいいかもしれないれど、来てるわよ」
香月の冷たい言葉が、敵意を知らせた。むくりと起き上ったアオオニが、誠次に向かって走って来ていたのだ。
「どうでもよくないよな!」
誠次は身体をすぐに一歩下がらせ、アオオニの攻撃をひらりとかわした。態勢を崩したアオオニを見たその直後、誠次は右足でアオオニの背を蹴り飛ばそうとした。
「なっ!?」
アオオニもやられっぱなしというわけではなかった。態勢を崩していたかと思えば、ちゃんと両足を地に着けており、アオオニはこちらの脚を掴んだ。
投げ飛ばされる……!
「が……っ!」
そう予測した誠次は、咄嗟に軸の左足をタイルから離し、自ら背中を地面に打ちすえていた。視点が一気に動き、アオオニから天井に切り替わる。そして、内臓がひっくり返ったかと思うほどの衝撃――。
正直かなり痛いが、動けず、投げ飛ばされるよりはマシだ。
「そこだっ!」
誠次は寝転がった状態から腹の力で上半身を起こし、青鬼の顔面を右手で思い切り殴る。風を切る音が聴こえた為、威力は上々か。
果たして、パンチを喰らい仰け反ったアオオニは、掴んでいた誠次の脚を離した。
次はどう出て来る!? と立ち上がろうとした誠次だったが、アオオニは八ノ夜によって消されていた。展開していた魔法式を解除したのである。
「やるではないか天瀬。寝転がっている姿は滑稽だけどな」
「かなりシュールよ」
「勘弁して下さい……」
八ノ夜と香月に見つめられて急に恥ずかしくなり、誠次は身体を起こした。
「こんなことを中学校の時からずっとやってたの?」
「……まあ、魔法が使えないからって腐るよりは、マシな選択だったと思う。お蔭でこうやって生きてるからな」
誠次は立ち上がり、自分の身体を眺めつつ、制服についたしわを伸ばしていた。正確に言えば、完全に気力を失くしていた頃、八ノ夜さんが無理やりやらせてきたものだった。
「さあ、次は君の番だ香月」
「はい。……ですけど、私格闘戦は」
「なにも天瀬の真似をしろと言うわけではない。君には魔法があるのだろう?」
香月は自分の右手を見つめ、握った。
「はい。では、使い魔を」
香月にすれば、青鬼など余裕の相手だろう。例え数で来られても一網打尽に出来そうだ。なのでかどうかはわからないが、迷いはないようだった。
「いや」
だが八ノ夜は、首を横に振っていた。顔に微かな笑みを添えて。
(これは、マズい笑顔だ……!)
自ずと誠次が自分の危機を察知した時には、もう遅く、
「天瀬と戦え」
八ノ夜の言葉に、誠次は一瞬、呆気に取られた。
「え……? いやそれは――」
思わず誠次が口を開くが、
「わかりました」
香月は表情を変えることなく言う。
誠次が慌てて香月の方を見る。
「即答か香月!?」
「天瀬くんには先月の件で問い質したいことがありますので」
「その意気だ」
八ノ夜が満足そうに頷くかたわら、誠次は途方に暮れていた。
「先月!? いったいなんだ!?」
先月は七月。七月で香月と言うと、誠次の記憶の中ではプールか、一緒に勉強した時か、桜庭との外出の際である。
誠次は必死に考えたが、答えはでず、ならばと言わんばかりに、
「わかった……。だったら俺も、日頃の恨みつらみを、今日ここでぶつける!」
誠次は高々と宣告していた。
「あら、そんなのあるのかしら?」
「無自覚か……。容赦しないぞ」
手を横に振り、誠次は言う。
「いいえ、自覚はあるわ」
「あるのかよ!? 余計に性質悪いな! こうなったら絶対勝つぞ!」
睨みあう、香月と誠次。
「おい天瀬、香月の特訓だぞ……?」
珍しく八ノ夜がまあまあとツッコんでいた。
「いやだからって大人しく香月さんの魔法の餌食にはなりたくありませんよ。逃げ回って隙あらば組み伏せます」
「組み伏せるって……卑猥ね」
「そ、そう意味ではない!」
無属性は喰らわないが、属性魔法は普通に喰らう。もしそれが直撃したら、絶対想像を絶する痛みであることに間違いはなく、そもそも香月が何してくるかさえわからない。
「よし香月。じゃあまずお互いの準備をちゃんとして……っておい――!」
誠次がストレッチしながら言っていると、突然赤い閃光が視界の端の方で輝いていた。ぎょっとした誠次がその方を見ると、香月がさっそく攻撃魔法の術式を組み立て終えていた。
とたん、魔法式から炎の球が何発も具現化し、誠次に襲い掛かって来る。
(すごく怒っているのか……? 容赦が無いな……)
迫りくる火球を前に、誠次は冷や汗をかいていた。




