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二〇五〇年以降、魔法世界と成った今日において、様々な魔法が発見、研究されて来た。世界は魔法を、効果ごとに多くの種類に別けた。攻撃魔法や妨害魔法などだ。
そしてその一つが、付加魔法――通称エンチャント。物体に魔法の力を与える、魔法。それが発見された当初、誰もがその使用用途に頭を捻ったらしい。
それもそのはずか、対象に魔法効果を与える魔法など、゛捕食者゛との戦闘には全くもって意味が無かったからだ。確かに銃火器にエンチャントを施せば、゛捕食者゛にも効果を発揮する武器となる。
しかし、わざわざワンクッションを置くよりは、攻撃魔法による直接的な攻撃の方が、遥かに効率がいい。
そして何より使用者にもよるが、エンチャントの効果時間は、極めて短かった。殺傷兵器にエンチャントをしたとしても、゛捕食者゛に対して満足な効力を発揮できぬまま、エンチャント終了と言う事態が多々発生し、世界各国は付加魔法の研究を中止していた。
デメリット尽くしと言うより、用途が見当たらない魔法が人々の意識から消えて久しい――。
※
だが、誠次はエンチャントこそ、自分でも゛捕食者゛が倒せる゛術゛だとして、少女に頼んでいた。
魔法が使えない自分がどうにかして”捕食者”と互角に戦おうとしていたところ、八ノ夜が考案した戦い方だ。
もっとも、剣に使うなど、渡されるまでは夢にも思っていないことだったが。
「付加魔法してくれ!」
「でも、付加魔法なんて魔法、効果が……」
「俺を信じてくれ!」
背後からじわりと迫り来る、゛捕食者゛の気配を感じていた。
「……」
誠次の顔をじっと見つめた少女は、やがて
「分かったわ。やってみる……」
銀髪の少女は小さく、頷いてくれた。しかし、自信は無いと言った声ではあった。
エンチャントと言う、古くに廃れた魔法の名を聞いて、戸惑いはまだ隠せてはいないようだ。
「俺が時間を稼ぐ」
自分が握っていた黒の剣を、誠次は少女に渡した。そして大きく息を吸い込みながら、振り向く。
「逃げるのには慣れてるけどな……」
誠次は息を呑みながら、苦笑していた。主に、好奇の視線からである。
(捕まったら、終わりだ……)
二体の゛捕食者゛が、ゆっくりとした動きであるが、着実に距離を詰めて来てくる。
「俺はやれる……。自信を持て……。何のためにこうして生きているんだ……」
少女の手に剣が渡ってもすぐに事態が好転したわけではなく、誠次は続けて息を呑む。
視線を左右に送りながら、誠次はこの後の行動を必死に、頭の中で考えていた。場所は国道に面した広いスクランブル交差点だったため、逃げ回るには不自由ない。
「情けない……」
だが実際問題、人を喰う怪物を前に、誠次の身体は情けなく震えてしまっていた……。
「死なないでね」
――ふと、気の抜けるような声がした。
魔法式を展開していた少女の声が、電流のように身体を突き抜け、誠次の緊張を解してきたのだ。
「え……」
地面に絵を描くように作った魔法式の青白い光が、少女の人形のような顔を照らしている。身体中は埃まみれで、顔は無表情であったのだが、綺麗なアメジスト色の瞳は真っ直ぐと、誠次を見つめていた。
「お前が、言えるのか、それ……」
だが――気は抜けた。それにどちらにせよ、今は敵の注意を引き付けなければ。
不思議なもので、なに一つの武器を持っていない身体は、剣を握っていた頃よりもぐったりと、重たかった。
魔法使いは素手ではあるが、武器となる力を持っている。
「来い!」
誠次が怒鳴った、その直後、
――シュンッ!
一体目の゛捕食者゛の攻撃をかわした途端、二体目の゛捕食者゛の攻撃が、右頬を掠めた。
「……っ!」
皮膚が傷付いた熱を感じ、誠次は息を呑む。
続いて、手を鋭利な刃状のものに自由に変形させた゛捕食者゛の攻撃。
いつの間にかと言っていい。斬れた茶色の髪が、誠次の黒い視線の先で舞う。
「暗い……っ!」
バックステップで身体を後退させつつ、同時に頭の中で誠次は必死に次の行動を探す。黒の世界の中では、゛捕食者゛の身体は保護色となってしまっていた。
目の前から迫りくる黒い触手。絶え間なく鼓動を刻む心臓。誠次を攻める二体の゛捕食者゛の攻撃。
攻防じゃ無い。一方的かつ圧倒的な、防のみだ。何発かの攻撃が、明確な死のイメージを掲げて身体を掠めてくる。
「゛捕食者゛。お前たちだけは……!」
ぎょっとしてしまった予感だが、それに抗う誠次の表情は目つき悪く、゛捕食者゛を睨みつけたままだった。
やがて、少女からの声。
「出来る……。これが……エンチャント……っ!?」
「っ!?」
反射的に、変な声を出した少女の方を見た。まず、青い魔法式の光に曝された黒かった誠次の剣が、両刀刃に青い燐光を纏わせている。
明らかに、普通の付加魔法とは違う色だった。
「さあ……っ」
少女は青く光る剣を、自身の両手で持ち上げ、こちらに柄を向けて差し出して来た。
「う、受け取っ……てっ。私の、魔法の力を……っ」
――なぜか、桜の花びらのように、ピンク色に紅潮している少女の頬と、うっとりとした表情。
誠次の心臓が、別の意味で鳴り始める。
「大丈夫か!? ――っ!」
不可解だが、今は迷っていられない。
「魔法を貸してもらう……!」
手を剣に向け、勢いよく伸ばした。
期待するような少女の視線の先。
導かれるように誠次は、光り輝く剣の柄に触れる。
「光が……? うわっ!?」
――直後、剣から光が爆発したように弾けた。
剣を受け取った直後、眩い光を両目に浴び、誠次は思わず目を閉じてしまっていた。
「ハ……――っ!」
すぐに光が収まり、次に目を開けた瞬間、゛何もかもが止まって見えた゛。
夜が見せる黒の世界が消滅し、青の世界が視界いっぱいに広がって……いる?
戸惑う誠次の双眸は――エンチャントされた剣の刃と同じ、青の光を放っていた。
「綺麗……」
少女の掠れそうな吐息が、耳元でさえずる。
神々しいものでも見るような目で少女は、こちらにぎゅっと抱き付いてきていた。
「これが、付加魔法……? こんなの、見たことがない……。普通の付加魔法と違う」
誠次も少女の華奢な身体を力強く抱き抱える。身体中の血が、激流のように神経を通っているのが、分かる。
「これは……!?」
すぐ目前まで迫っていた゛捕食者゛の攻撃を、誠次は後退して避ける。今まで見えなかった二つの倒すべき敵の姿が、青の世界の中で鮮明に両目に焼き付いていた。
誠次はすぐさま意識を集中させ、青い目で敵を睨む。
「掴っていろ!」
「え……っ!?」
少女を片手で抱きかかえたまま、有無を言わさず誠次は地面を蹴りあげて天へと向かう。剣に付く青の光が筋となり、刃を追いかけ空に消えた。
遅く流れる時の中、まるで滞空しているような錯覚を、誠次は味わっていた。
エンチャントの致命的な弱点である効果時間の短さ故、後はスピード勝負になる。
二体の゛捕食者゛が、合わせて四つの黒くて太い腕を、誠次に向けて掲げて迫っていた。
「頑張って……」
身体に抱き付いている少女が、こちら胸元に顔を埋めて来た。
柔らかい感触と、湿った少女の吐息が、熱となって身体の中を駆け巡り、魔法の剣を抱く右腕へと収束していくのが、実感できる。
「付加魔法、ありがとう」
安心させてやる為だった。
誠次は少女の耳元に口を寄せ、厳かに耳打ちするよう、言う。
「うん……っ」
少女は赤い頬のまま口元をきつく結び、頷いていた。
そこへ迫りくる、゛捕食者゛の腕。
「お願い……゛捕食者゛を倒してっ!」
「ああ!」
次の瞬間には、誠次は上空から、敵の黒い身体を強襲していた。
゛捕食者゛の平らな頭部を真っ二つに斬り裂きつつ、迫る両手と触手の攻撃を合わせていなす。
エンチャントを受けた剣は、易々と゛捕食者゛を斬ってくれた。
まさかとでも思ったのか、胴を斬られた゛捕食者゛が悲鳴を出していた。
ぞうっとする誠次の意識の中で、それは反響する。
「……っ!」
迫リ来る゛捕食者゛の触手たち。その一本一本が、命を持った生き物のように、誠次と少女を狙っている。撒かれたクモの糸のようであったが、逃げ道は幾つかある。全ての動きを短く、的確にこなせば、反撃の一撃を与えるのは容易だ。
――夢を見ているようだが、これは現実の世界だ。次の行動を思考する余裕が、存分にある。
……見える!
黒の影が、青の世界の中で停止しているように。
゛捕食者゛の無数の触手を、少女を抱えたまま回るように誠次は回避し、反撃に剣を振る。
やはり、ただ腕を振る軽い斬撃で、゛捕食者゛の触手は次々と斬ることが出来た。剣と付加魔法のお蔭か。
「――ギャアアアッ!」
斬撃を受けた゛捕食者゛のまるで悔しそうな絶叫が、ぞうっとする意識の中で響いていた。
青い剣を構えながら、誠次は己の身体を一気に加速させ、゛捕食者゛に斬りかかる。右へ左へと蹂躙するように動きながら、戦いの主導権を完全に握り始めていた。
反撃とばかりに゛捕食者゛が両腕で、誠次と少女がいる場所を切り刻んできた。
「きゃっ!」
傍らで少女の女の子らしい悲鳴に、誠次は表情を硬くする。舗装されたアスファルトが攻撃を受け音を立てて破壊されるが、煙が上がった道路には、すでに誠次と少女の姿はなく――。
(やっぱり、止まって見える……!)
――すでに、゛捕食者゛の目の前まで、誠次は接近していた。
少女を抱えたまま、一体目の゛捕食者゛の胴体に狙いを定める。
「喰らえ!」
誠次は地面と水平に構えた剣を、一線で斬り抜けていた。
胸元を真っ二つに斬られた゛捕食者゛は、ヒトとはかけ離れた動きで、身体を奇妙にくねらせると、
――ギャアアアアアアッ!
ヒトの断末魔のような声を出していた。
全身を真っ二つにされた゛捕食者゛は、アスファルトの上で消滅していく。
「凄い……っ」
過去のこととなった敵の残骸を見送った少女は、こちらに抱き付く力を強めてきた。
態度が豹変した少女のことを、誠次は意識の外に出していた。 気にかけることは、今はできなかった。なぜなら……。
「やった……やったぞ」
この手で憎き相手を葬る事が出来た誠次は、信じられないと言った表情だった。
仲間を倒された二体目の゛捕食者゛から迫り来る無数の触手でさえ、棒立ちのままいとも容易く薙ぎ払えた。魔法による遠距離攻撃であれほど苦戦した相手が、こうも簡単に。
「俺が……゛捕食者゛を倒した……!」
夢でも見ているようだったが、まだ終わってはいない。
「来た……っ!」
「っ!」
誠次は少女をその場に降ろし、アスファルトの地面を滑るように駆けた。
ラスト……一体!
そのまま゛捕食者゛の股下に滑り込み、誠次はまじまじと黒い身体を見上げ、
「人の受けて来た痛みを! 苦痛をっ! 存分に味わえーっ!」
誠次は青光る剣を、゛捕食者゛に突き刺していた。
長い断末魔が、夜の東京に響いた。
その断末魔を上げさせ、消滅させた光――付加魔法…が途切れる。
誠次と少女は、夢から覚めたような表情を、お互いに見せていた――。