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「結局、こうなるのな……」
ナツダワンの着ぐるみを下半身だけ着て、志藤が呆然とつぶやく。頭に白いタオルを巻いた顔色は、険しい。結局誠次が負けた後、志藤もストレート負けを喫したのである。
「負けたんだから、仕方ないだろ……」
誠次はユキダニャンの着ぐるみを、スタッフの力を借りて着ているところだった。
しかしお互い、気まずい表情である。
この着ぐるみもとい、ユキダニャン。恐ろしい程に、見れば見るほど可愛くない。鼻垂らしている猫の顔はアホ面そのもので、おじいさんやおばあさんが見たら「お前馬鹿にしとるのか!」と、怒られそうな不細工さだ。
「まだナツダワンの方がマシだし……」
誠次は自身の着ぐるみとなっていく下半身を眺めて言う。
「まーな……。お前のそれはもう……場違い感が半端ねぇよ……。何で夏の祭りなのに雪だるまなんだよ……」
「志藤のおっしゃる通りなんだよな……。交換してくれないか……?」
「もう遅ーよ……んしょ。――交替時間まで頑張れよ」
舌をだらんと伸ばしたナツダワンの着ぐるみを完全に被り、志藤の声がくぐもって聴こえた。
「うわキモ! お前キモ!」
ナツダワン(志藤)を指差して、誠次は言う。白いタンクトップから伸びる人間のような腕から生えている毛が、妙に生々しい。
「ちょっやめろ! 普通に傷付いちゃうから! お前だってそうだろ!」
ナツダワン(志藤)は腕をぶんぶんと回して叫んだ。顔がマヌケなのに鬼気迫る勢いで、ぞっとしてしまう。
改めて、二人して落ち込んでいた。
「ごめんねー二人とも。バイト代ははずんじゃうから、我慢してね」
「我慢してって……はい」
若い女性スタッフの手により、誠次もユキダニャンの着ぐるみを完全に着た。視界は少し狭くなった程度で、思っていたほど重たくはない。中はあらかじめ氷属性と風属性を組み合わせた魔法により、疑似的な冷房システムが作動していた。二つともこの身には普通に干渉して゛くれ゛、少なくとも蒸し暑くはなくなりそうだ。と言うより、普通に外より涼しいまである。
取り敢えずはと、誠次は姿見の鏡でユキダニャンの姿を見てみた。
胴体は雪だるまで、顔は何故か目が赤く充血している猫。ピンク色の鼻から伸びた透明な鼻水に、統一性の無い人間の手足。
これをマスコットキャラクターにしようと決めた会議にこの悲惨な姿を見せつけたくはなった。
「あと、大事な設定だけど、ナツダワンとユキダニャンは二人とも喋れないから。喋れない……のよ」
よほど大事なことらしく、二回言われた。
ユキダニャン(誠次)とナツダワン(志藤)は揃って頷く。頷く為に顔を傾けると、お互いのリアルな鼻水と舌がべろーんと揺れた。
「可愛くねー……」
誠次がしれっとツッコんでいると、
「ウィっす。二人とも準備は――」
テントの幕を上げて入って来た帳が、うっと言葉に詰まって硬直している。
「ぐっ、出来た、みたいっ、だな……っ。ハ――」
「笑うなっ! 言っとくけどお前の所為だかんな!?」
心なしか、ナツダワン(志藤)の寝不足チックな目に涙が浮かんでいるように見える。
「ハッハッハ。志藤、ナツダワンは喋っちゃダメだぞ。子供が抱く夢を壊してしまう」
「こいつにはなっから子供の夢を期待するなっ! 誰も抱かねーよ!」
ナツダワンを指差し、志藤は(本当の意味で)なりふり構わず声を荒げていた。だがナツダワンのマヌケ面の所為で、ただのコントみたくなっている。
「……ったく。だよな天瀬?」
ナツダワン(志藤)はハゲ散らかっている頭をがしがしとかいて、誠次の方を見た。
「……」
ユキダニャン(誠次)は返答代わりに帳にグーサインを返した。
「無言!? もう役作りに精を出してやがる……」
「ハッハッハ! その意気だ天瀬!」
うだうだ言っても、もうどうしようもない。あとはこの仕事を終え、バイト代を貰うことに徹すれば良いのだ。
(これで、良いんだよな……?)
ユキダニャン(誠次)はそうして、決意(?)を固めていたのであった。
昼を過ぎ、祭りの混雑はピークを迎えていた。
仕事の内容だが、外を歩き腰にある風船をプレゼントしたり、お客さんと記念撮影をしたりするらしい。
では実際どうなのかと言うと、このユキダニャンと言うキャラ、妙に人気があった。やんちゃな子供、或は怖いもの知らずの子供からは風船をせがまれ、女性からは「キモ可愛いー!」などと言われては駆け寄られ、記念写真をぱしゃりと撮られる。
子供はともかく「キモ可愛い」のワケが誠次にはわからなかった。キモいのに可愛いってなんぞや? と言った具合である。
ひとしきりユキダニャンになりきって愛嬌を振りまきながら、どことなく帳たちがいる案内テントまで行ってみる。
そこには案内テントなのに何故か、今まで見て来た屋台よりも大勢の人が並んでいた。
「あ……」
帳たちスタッフと同じTシャツに着替えていた小野寺が、ユキダニャン(誠次)を発見して手を振って来た。気まずい表情だ。
ユキダニャン(誠次)は気にしていないと軽く手を挙げて応えてやっておいた。
そして小野寺の横には香月がちょこんと座っていた。
「あれ見たか! あのスタッフの娘超可愛いぜ!?」
「マジヤベえって!」
「こっちこっち!」
列の最後尾の方の、男性が背伸びをしたりして、話していた。
なるほど、確かに小野寺や香月の見てくれだと完全に人を引き寄せている。そして案内テントは大通りの入り口付近にあったので、通行人もこの人の多さに何事かと自然と引き寄せられてくる。
どうであれ、集客率アップには繋がっているようだった。バックには帳がいるし、夕島も的確に仕事を捌いているようだし、こちらは安心だろう。もっとも、他の屋台は客を取られているようだが。
ユキダニャン(誠次)がつっ立ていると、香月がこちらを見つめているのに気付いた。
「……フ」
くすりと、冷笑されてしまった。
「今笑った!」
「うおっ! やっべ!」
後列に並ぶ男子が一斉に、冷笑にも関わらず色めきだった。
おそらく、今まで無表情で作業を行っていたのだろう。それでも周囲の評判は良いあたり、凄いなとは思った。
そんな男子の一部が恥じらいを誤魔化してか、ユキダニャン(誠次)が立っている方を振り向くと、
「なんだあの猫ニンゲン……いや雪だるま……?」
「なんか鼻水垂らしてる……キモっ」
ユキダニャン(誠次)は男からの評判は良くなかったようだ……。
魔法世界の祭りだが、ここまで見たところお客さんが魔法を使って何かする、などと言う屋台はない。もっと言えば、普段の外の生活においても、魔法を使わなければ何かが出来ない、なんてことは無い。魔法が使えない世代の事も考えれば、当然か。
「ぎゃははは!」
「こいつ変なのー!」
祭り会場であるストリートの中央にて、ユキダニャン(誠次)は謎のダンスを勝手に作って踊っていた。くねくねとした変な動きだが、祭りの気分に浮かれる少年少女には問題なかったようで、ゲラゲラ笑ってくれている。
顔はばれないし、こうなったら自棄だの気分ではあったが。
「はーい! 私フランクフルト食べたいです!」
ユキダニャンの舞い――命名天瀬誠次(16)――を踊っていると、聞き覚えのある声がどこからともなく聞こえてきた。
見てみると、なんと生徒会メンバー四人が、晴れ着を着て歩いて来ていた。
先頭を相村と兵頭が歩き、やや遅れて長谷川、桐野が続いている。
フランクフルトの屋台を眺める相村はピンク色のド派手な着物を着ており、アップで纏めた明るく脱色してある髪と併せて見れば、華やかな京の街を彷彿とさせた。
「さっきフライドポテト食ったばかりだろ。我慢しろ相村」
「良いではないか長谷川会計。今日は祭りだ!」
「外で会計はやめてください兵頭さん……」
ため息をする長谷川と、がははと笑う兵頭も、互いに灰色の甚平を着ていた。うちわをはたはた扇ぐ兵頭は誰が見ても祭りを興じているようであり、色白で身体つきが細めの長谷川も甚平は似合っていた。
まあ、全身着ぐるみ姿のこちらと比べれば普通の祭りの姿だ。
「そーそー翔ちゃん。そんなお硬い性格だから彼女出来ないのよ」
「ちゃんもやめろ。大きなお世話だ」
てへっと笑う相村を、長谷川はめっと叱る。
(楽しそうで何よりだな……。あれは)
そして三人の一歩後ろから歩いて来るのは、女性副会長の桐野だ。紫色の長髪を束ねており、着物の色も風情ある藍色のものだ。林間学校で見た篠上の浴衣姿がまだどこか幼さを残したものならば、桐野は凛とした大人の女性のようであった。
「少しは落ち着いたらどうだ相村」
つり長の猫のような目をしばたたかせ、桐野は咎めるように言った。
折りたたんだ扇子を片手に持つ姿は、ぼんやりと明りが灯る提灯を背景にして絵となっていた。
「桐野先輩までヒドイです~」
「桐野副会長はいつも通りだな」
兵頭は相変わらず、がははと笑っていた。周りと比べてやはり背丈は高く、いつにも増して勇ましい。
「……」
桐野は困ったように細長い眉を寄せていた。
さて、困っているのはユキダニャン(誠次)も同じだった。
先輩だし、何よりも二大魔法学園弁論会でご一緒する関係なので、挨拶はしておいた方がいいのだろうか……? この姿で……?
(気持ち悪いだけだろうな……)
しばし行動を停止してユキダニャン(誠次)が困っていると、何やら桐野がこちらをじっと見ていることに気付いた。
「桐野さん、どうしました?」
長谷川が振り向いて、ピタッと立ち止まっている桐野を見る。
桐野の目がピクリと反応し、
「……すみません、先に行ってくれませんか? 草履の紐を直す」
桐野はユキダニャン(誠次)から視線を逸らさず、長谷川たちに告げる。
「わかった。後で集合だ」
兵頭が仕方ないなと軽く笑って答え、立ち止まっている桐野に背を向けた。
「兵頭先輩ー。私水あめ食べたいでーす」
「そうか、いいだろう!」
兵頭の太い腕に抱き付きながら、相村がついて行く。自然な女性の接近。だがそれを意に介さない構えが、兵頭らしいところである。
「……このままじゃ財布が空になる……」
長谷川が頭痛を感じる仕草をしながら、兵頭と相村の後を追っていた。
そのまま人混みの中に三人は消えて行った。
一人残った桐野が、草履の紐を直して追いつくのかと思ったが、そうではないようで。
(こっちに、来ている……?)
桐野は生徒会メンバーが見えなくなったことを確認すると、ユキダニャン(誠次)の方へと真っ直ぐ歩み寄って来ていた。
(ま、まさか――)
ユキダニャン(誠次)は悟られぬように、自然な動作でフェードアウトをしようとしたが、桐野は一直線にずんずんと接近してくる。
「……あ、あのっ!」
色白な肌の頬を紅潮させ、桐野はユキダニャン(誠次)の目の前まで迫って来ていた。凛とした姿はどこへやら、もじもじとした言葉には語気が無い。
声を掛けられてしまったので、ユキダニャン(誠次)は立ち止り、桐野の方をゆっくりと見た。
「ゆ、ユキダニャン゛さん´……ですよね?」
いつもの低い声ではなく、妙に高い少女な声だった。もしかして、これが素の桐野の声なのだろうか。
ユキダニャン(誠次)は恐る恐るこくりと、頷いた。
そんな動作を見て、桐野は目をぱあっと輝かせて来た。
「か、可愛いっ!」
(……)
ユキダニャン(誠次)はどう反応していいかわからず、それでも取り敢えず先輩相手なので、ぺこりと頭を下げた。
「れ、礼儀正しい!? ユキダニャンさん可愛いっ!」
桐野は周囲の目も気にせず、ユキダニャン(誠次)に抱き付いて来た。アグレッシブな桐野の行動に、ユキダニャン(誠次)は驚き、両手を真横に真っ直ぐ伸ばしてしまっていた。
(どうすれば良い……!? 抱き締め返す!? いや無理だ!)
桐野は中の人などお構いなしと言った様子で、ユキダニャン(誠次)のぶよぶよしたメタボリックなお腹――雪だるま部分――をにぎにぎしたり、猫の頭を撫でたりしてくる。
(凄い、よくこんなゲテモノを愛せるな……)
と驚愕しつつ、ユキダニャン(誠次)は桐野にされるがままだった。
今まで触られたりする事はあったが、ここまで熱があるのは初めてだった。
「あ、あの!」
桐野は顔を綻ばせ、ユキダニャン(誠次)からひとまず離れる。ここで「自分です」などと白々しく言って顔を見せるなど、もう出来はしないだろう。
「つ、次は写真を撮って下さい! お願いします!」
しばらくユキダニャン(誠次)は、少女のような桐野に弄ばれていた。
(これは仕事だこれは仕事だこれは仕事だ……)
誠次はそう念じていた。




