3 ☆
夏休みに入り、八月六日の祭り当日の朝。
雲一つない青空の下、ヴィザリウス魔法学園の正門を誠次と志藤は通っていた。一歩外に出ればセミの鳴き声がひっきりなしに聴こえ、うだるような暑さだった。
「いやー、暑いなー! なんかこう、夏って感じが凄いするよなっ!?」
つば付き帽子を被り、半袖シャツに七分丈ズボンの私服姿で、志藤がチューブのドリンクを飲みながら一言。その表情は明るく、四季でいつが好きですかと問われれば間違いなく、夏、と言いそうだ。
「ああ。晴れて良かった」
夏の暑さを誤魔化すようにそよぐ風は気持ち良く、誠次は正門前で軽く伸びをしていた。絶好の祭り日和ではある。
(天瀬くん)
すぐ続いて香月も、私服姿で正門から出て来ていた。白いワンピース姿で、やはりの周囲の目を引いて――はいない。
「帳たちは先に祭会場の方行ってるらしいから、俺らもさっさと行こうぜ」
志藤は香月の存在にまったくもって気づいていないようだ。ここからわかる通り、香月は姿を隠す幻影魔法《インビジブル》を使っている。
(あなただけに、私は見えるわ)
悪戯な表情で、軽く笑って香月は言ってくる。
「そりゃ、どうも」
反応に困るので自重してほしく、誠次は苦笑して答えた。
祭りの日とあってか、私服姿の生徒たちの出は多い。先日の雨の日の祝日での桜庭との外出の時などとは、比べ物にならないほどの多さだ。
「人が多いからはぐれないようについて来いよ。たぶん会場はもっと多くなるから注意しろ」
誠次は香月に言ったつもりだったが。
「お、おう……。お前……」
「違うからな志藤!? なんか誤解してるからな!」
志藤が反応してしまっていた。
祭り会場は、朝から大勢の人で大混雑だった。――もっともこの世界は、朝と昼こそが外出する人の数のピークなのだが。
誠次は時より振り向いては、香月がはぐれていないか確認していた。香月は人の波をどうにかかわしながら、誠次の後をついて来ている。
(……っ)
そんな香月の表情はどこか必死で、誠次も内心でハラハラしながら見ていた。
「なんでお前いちいち振り向いてんの?」
すると、志藤が怪し気に誠次を見ていた。
「……っ、突然後ろからの刺客に暗殺されないか心配になった事がないのか!?」
「ねーよ! 逆にお前の方が心配だわ……」
志藤が肩を竦めていた。
装飾されたビルの下、かき氷屋や金魚すくい屋などの屋台がメインストリートに沿う形で並んでいる。焼きそば屋やたこ焼き屋などからは芳ばしいソースの匂いが漂い、祭り独特の雰囲気が出ていた。道行く人の表情は皆一様に楽しげで、浴衣を着ている人もいる。
志藤が両手を頭の後ろに回しながら、
「はあ……。やっぱ乗り気はしねえな……。遊びてえ」
「バイトを終わらして、そのバイト代で遊ぼうぜ?」
結果、調子乗って、始めて自分で稼いだお金を一気に使ってしまうと思う誠次。しかし初の給料とは、やはり楽しみなものなのである。
「ナイスアイデアだな。少しはやる気が出たぜ」
誠次の言葉に、志藤は腕をぱっと離してはにかんでいた。気持ちは志藤も同じか。
祭りの賑わいをひとまず余所に置き、誠次と志藤が、大きな運営テントに辿り着いた。
「ウィっす」
「おはよう」
志藤と誠次が順に挨拶をして、テントの中に入ると、帳と小野寺と夕島がいた。
「おお! 来てくれて二人とも助かる。早速だが椅子に座ってくれ」
帳は祭りのことに関する資料を片手に、テントの正面方向に立っていた。
「おはようございます天瀬さん、志藤さん」
「おはよう」
小野寺と夕島は、白いクロスが敷かれている長机に沿うようにして置かれたパイプ椅子に、座っていた。誠次と志藤も、二人と並んでパイプ椅子に座り、帳を見上げる。まるで帳を先生にした授業前の風景のようだ。
「お待たせ」
やや遅れた――フリをして――香月がテントに入って来る。
「おお、場所迷わなくて良かったぜ。こっちが迎えに行く気さえしていたが」
帳が感心するように香月を見ていた。林間学校にて香月の体力の無さ云々は知っているので、純粋に驚いているのだろう。
「大丈夫。すぐ見つけられたわ」
香月は髪をはらりとはらって、余裕そうに言う。その理由はやはり、余裕だったからだろう。
香月は誠次の隣に座り、これにて面子は揃った。
「よし、じゃあ今からオペレーションを始める。重ねて言うが今日は力を貸してくれてありがとう。助かった」
帳は頭を下げて来た。
「バイト代は弾んでくれよー?」
志藤が茶化すように言う。
「任せろ。ただし、しっかり働いてくれたらな?」
顔を上げ、帳の説明が始まった。その顔は少し笑みを刻んでおり、楽しみにしておけとでも言いそうであった。
「まず二つのグループに別ける。一つは祭りの案内所で案内係として働く四人だ。残りの二人には、アレを着て貰う」
帳がテントの奥の方を指さした。
「着ぐるみか?」
「ちょうど二つありますね」
夕島と小野寺の言葉通り、帳が指差した先には抜け殻とでも言うべき二つの着ぐるみがあった。
「この祭りのマスコットキャラクター。ナツダワンとユキダニャンだ」
帳が着ぐるみを引っ張ると、
「キメェ!」
「コワっ!」
「なんだそれは!?」
「お、おぞましいですね……」
志藤、誠次、夕島、小野寺が一斉に言葉を合わせる。気持ち悪い意味不明のキャラクター。まずそれが、満場一致の意見だった。
まずナツダワンだが、タンクトップ姿の中年親父を彷彿とさせる、焦げ茶色の犬だ。夏の暑さを意識したのだろうか、くすんだピンク色の舌がだらしなく口から伸びており、またそれが妙にリアルだ。耳も野暮ったいほど無駄に長い。
続いてユキダニャンは、全体的に白く胴体は雪だるまのようにずんぐりしており、しかし顔は汚い鼻水を垂らしたリアルな猫の顔だ。纏めると、二体とも一つも可愛くは無い。
「祭りのイメージキャラクターだが、そんなダメか?」
「ダメだろっ! 子ども見たらビビって逃げ出すわ! 気持ちわり―って!」
志藤が堪らず椅子から立ち上がっていた。
「だいたいなんで顔が犬と猫なのに、二つとも手と足が妙にリアルな人の形なんだよ!?」
「そこは中に入る人の体勢を考慮したんだ」
「考慮した結果子供が泣き出しちまいそうな生き物になっちまってるだろうが!」
「ま、まだナツダワンは分かりますけど……ユキダニャンは、季節外れでは?」
小野寺が深刻そうな面持ちで帳に尋ねる。確かにこんな暑い中、雪だるまと猫――と人――が合体したようなキャラクターは、場違い極まりなかった。
「夏の暑さを紛らわせるために、冬をイメージして作られたキャラクターだ。そいつの運命は悲しくてな、子供たちに喜んでもらおうと頑張るんだけど、すぐに溶けてしまう……」
「そんな裏設定が……ユキダニャン、なんて良い奴なんだ……!」
逆に夕島が感心してしまっていた。
「感心するところかそこ……。じゃあナツダワンは?」
夕島を見つつ、誠次が訊く。
「ああ、そいつはユキダニャンのライバルキャラクターだ。それ以外に特に意味は無い。しいて言えば、作るにあたってイメージしたのは、夏の昼の中年親父だってことか」
「雑だなおい! 犬と親父に謝れ!」
志藤が代わりにツッコんでいた。
「ってかわかったぞ! 絶対バックれた家族これ着るのが嫌で逃げたんだろ!」
「……そうだろうか?」
「絶対そうだろ! このキャラを企画した段階でその危惧に気づけよ!」
「可愛……――」
ふと、誠次の横に座る香月が口を開く。
この場の男子全員が口を閉ざし、固唾を飲んで香月の方を見た。
まさか、このゲテモノとも呼ぶべきマスコットキャラクターが、気に入ったのか?
「……可愛くはない、わ……」
おでこに手を添え、負けたように言う。頑張って好きになろうとしたのだろうが、無理だったようだ。
「さすがの香月でも無理だったか。こいつは重症かもな……」
誠次が苦笑して言った。
「私でも無理だったらって、どう言う意味かしら?」
香月がむっとなってしまったが、帳がまあまあと宥める。
「うーむ……」
志藤は未だ気難しい顔をしていたが、誠次が口を開いた。
「まあいいぞ。俺はやってやる」
「天瀬、お前ってヤツは……」
「案内係を」
「そっちかよ! 流れ的にそこは着ぐるみの方だろ!?」
いやどう頑張ったって着たくないものは着たくない。志藤が誠次にツッコんでいたところで、
「悠平くんー。そろそろ交替時間だけど……」
帳と同じTシャツを着た、スタッフの女性がテントの入り口から顔を出して来ていた。気づけば、もうそろそろ昼になろうとしている。朝の人との交代の時間だ。
「チクショーっ!」
志藤が涙声で髪をがしがしと掻いて、
「こうなったら恨みっこなしのじゃんけんで決めようぜ!? 負けたヤツ二人が着ぐるみ担当で良いな!?」
「それでいいなら、助かるぜ」
志藤と帷の言葉に、この場の全員は一応頷いた。それなら公平だろう。
「じゃあ行くぞ! じゃんけん――っ!」
「「ぽいっ!」」
志藤の掛け声に合わせ、誠次が適当に出した手はチョキ。周りを見てみると、なんと自分以外は全員グーを出していた。まさかのストレート負けである。
「は!? お前ら打ち合わせしたのか!?」
誠次が慌てて他の全員を見渡す。
「い、いえ! ただ、なんとなくです……なんとなく」
「天瀬だったらチョキを出すと思って、少なくとも勝てる確率を上げたんだ」
小野寺が誤魔化そうとしていたが、夕島の告白が全てを無駄にした。夕島の眼鏡がきらんと、輝く。
「なん……だと夕島!?」
誠次の表情が、引きつる。
「レヴァテイン。貴様の持つ剣の存在から考えて、貴様がチョキを出す確率は高かった! 斬るものだからな!」
「くそっ! そんな安直な理由でチョキを出した俺が恐ろしいっ!」
「フ……」
頭を抱える誠次に、夕島は渾身のドヤ顔を見せつけていた。
「すっげーくだらねえ……」
志藤がグーを引っ込めて、呟いていた。
「まあ、俺もそんな理由なんだが……」
「お前もかよ!」
帷の言葉に、志藤がツッコんでいた。
香月はと言うと、握った手をぐっぱーしていた。
「私も、天瀬くんがチョキを出すと思ったから……」
「無理して合わせなくても良いぞー……香月」
「そう言うジゾウくんこそ、どうしてグーを?」
「志藤だってのっ! いい加減覚えて!?」
ぬぼっと無表情だが、香月の中では面白いと思っているのだろう。




