1
ひんやりと冷たい風が半袖姿の身体を撫でる。人工的な風、だが。
窓の外をちらりと見れば、外の猛暑の元凶である、真夏の太陽が輝いていた。八月一日から始まる魔法学園の夏休みまで、あと三日を切っている。
基本は寮室で過ごすことになるが、この学園で初めて迎える夏休みは、楽しみだった。
「――と言うわけで、三日後には一か月間の夏休みが始まる。寮生活の都合上、毎年夏には魔法を使って悪巧みやはっちゃける事を考える奴がいるらしいから、そんな事のないようにしてくれると助かる」
1-Aクラス前方のホワイトボードの前に立ち、誠次がクラスメイトたちに夏休みの生活についての注意喚起をしていた。学級委員としての仕事として、である。
「いや本当に頼む……。わりと、まじで……」
「なんかすっげー念押しすんな……」
誠次が悩ましげに言っていると、志藤が教室の中央付近から言ってきた。
「特に一学年生は校則違反をする人が多いらしいので、それをしないように注意して下さい」
そして横に立つ同じクラスの学級委員女子、篠上綾奈は淡々と告げる。ブラウスの上に灰色のサマーベストをきっちりと着こなし、後ろで一旦アップして纏めた赤髪ポニーテールは肩までの長さだ。ファッションか予備か、袖を捲っている為に見える白い肌の腕には、ヘアゴムをはめている。
「遊ぶことばかりじゃなく、宿題と勉強もキッチリ頑張ってくれ――志藤」
「俺オンリーかよ!?」
さらっと言った誠次に、席から志藤ががばっと立ち上がり、声を荒げた。
「じゃあ夕島」
「よりにもよって俺か!?」
「夕島はねーよ天瀬。テストクラストップだしよ」
「黒髪眼鏡だぞ俺はっ!」
「いや、そこは関係ないだろ……」
前の席の夕島も席を立って抗議したところ、志藤がツッコんでいた。
「和気あいあいでなによりだ」
それにクスクスとクラスがざわつく中、おっさんのような目立つ大きな声で笑っていたのは、担任の林だ。
林は教室の端っこの椅子に腰かけて、何やら感慨深く頷いていた。
「しかし夏休み羨ましいなぁ。俺は一か月間、お前らに会えなくて淋しいぜ?」
「……」 「……」 「……」
「何だその疑うような目の数々はっ! お前ら宿題増やすぞ!」
林の脅し文句に、クラス内で悲鳴が上がった。
「……はあ。以上で、学級委員からの報告は終わります」
一連の流れを見ていた篠上が、呆れたように言っていた。
四時限目が終わり、夏休み前の土曜日と言うわけもあり、正午までで今日は放課後を迎えていた。そして、ヴィザリウス魔法学園の委員会の活動は、基本的に部活動が無い土曜日に行なわれる。
今日がその夏休み前、最後の土曜日だ。
会議室がある委員会棟に向かう為に、誠次と篠上は学園の通路を歩いていた。
「弁論会頑張ってね。私が手伝ってあげたんだから、成果を期待してるわ」
昔の通信機の形だと言う、細長い二つ折りの私物電子タブレットをパタリとたたみながら、篠上が言ってくる。
「一応頑張るのは先輩たちだけど、資料集めとか手伝ってくれてありがとうな。篠上こそ部活頑張れよ」
篠上は横髪をさらりと払ってから、自信有り気に、
「言われるまでもないわ」
「心配ご無用か。相変わらず強気なんだな」
誠次は笑っていた。
初期と比べると、随分と会話量は増えていた。林間学校と、プールのお蔭か。
この流れなら、今なら言えるかもしれない――。
誠次は、神妙な面持ちで篠上の方を見て、
「そうだ。今までずっと言えなかったことがあるんだけど」
「え!? え、え、いきなりな、何!?」
篠上は立ち止り、顔を真っ赤にして誠次の方を見る。何やら期待するような眼差しを向けられている。先程までのすまし顔は何処へやら、例えるのなら、何故か乙女の顔のようだった。
誠次は少し申し訳なく背中の剣を指し示し、
「いや、俺の剣のことだ。レヴァテイン、って名前に決まったけど。どう?」
一応意見を聞いてみたかったのだ。香月とかに尋ねてもまともな反応が返って来るとは思わないし、篠上だったら一般目線での反応が貰えると思っていた。
なにより、委員会棟までの話題の為。いやなにより、と言うよりほぼそれだけであったのだが。
「……」
気づけば、篠上はゴミを見るような目で誠次を睨んでいた。
「怖いな……。いや……なんか変な言い出しで悪かった」
誠次は申し訳なく髪をかいて、あははと乾いた笑みを浮かべる。
しかし、篠上にとっては笑い話程度ではなかったようで、
「はあ……。カッコいいんじゃない? そんな感じの名前の剣、聴いた事あるもん」
不機嫌そうにぷいとそっぽを向いて、篠上は言う。
馬鹿じゃないの、魔法で焼くわよ? とでも言われると思ったのだが、意外な反応だった。
そもそも――。
「聴いた事ある……?」
自分でさえ知らなかった名称を知っていたことを篠上が知っていたことに驚き、誠次は思わず復唱していた。
「うっ!?」
篠上がはっとなり、手をあっちこっちにぶんぶん振っていた。
「――き、聴いた事あるって言うのは、その……友達に! 友達にゲーム大好きの女の子がいるの!」
「本城じゃないよな……」
「ええ! 千尋じゃないわよ! 私でも無いわよ!?」
「は、はい……」
怪しいが、誠次は適当に相づちを打っていた。そうこうしているうちに通路の角を曲がると、大人二人とばったり遭遇した。
「おっと、天瀬くんじゃないか?」
「影塚さん!?」
冷房が効いている為か、それとも本人が出す爽やかな空気の為か、夏でも着ている黒いスーツは野暮ったくない。会ったのは影塚広と、同じく黒いスーツを着た特殊魔法治安維持組織の女性だった。女性は濃い青髪で、右目の下には泣きぼくろがあり、美人だった。
女性は誠次――とレヴァテイン――と篠上を見て、微かに微笑んでいた。
見たことはあったような人物を、誠次は記憶の中から思い出そうとしていた。
女性は誠次のネクタイと、篠上のリボンをちらと確認してから、
「一学年生の二人とも、こんにちは。私は特殊魔法治安維持組織第七分隊所属の、波沢茜だ。二学年生に妹の香織がいる」
波沢茜はきりっとした表情で、誠次を見つめて来た。まるで猫に睨まれたようだ。
しかし二学年生波沢香織の姉の、波沢茜。誰がどう見ても、美人姉妹だと思う。
「こんにちは、篠上綾奈です」
「こ、こんにちは」
思わず挨拶が遅れてしまい、普通の篠上に続く形で、誠次も慌てて挨拶を返していた。
「その剣、その容姿、天瀬誠次くんだな? 香織や広からはいろいろと聞いている」
「あ、はい……。天瀬誠次です……」
誠次は頷いて、波沢茜を見た。
「君にはすまないことをした……。私から妹にも十分に言って聞かせたから、許してほしい」
波沢茜は、深く頭を下げていた。
横の篠上が「えっ」と驚いている。
「……?」
影塚も何事かと、誠次と波沢茜を見ていた。
「そう言えば、アンタの試験――……」
思い出したのか篠上が、しかし咄嗟に口を噤んでいた。
「お互い様でした……」
誠次は波沢茜と視線を合わせられず、ぎこちなく逸らして言っていた。
「香織は昔から私の魔法の腕を見て育って来た。自慢ではないが、私は魔法の才に優れていると思う。だから香織は、私に早く追いつきたかったのだと思う……」
「……お互い謝り合いはしました。もう、大丈夫です」
誠次はじっと視線を落とす。
そうして、少しだけ張り詰めてしまった空気を変えたのは、影塚だった。
「僕が天瀬くんとGWの時、香織さんと会った時は、香織さんは笑っていたよ。何があったのかはわからないけど、良好な関係だと思うけどね」
「そ、そうなのか?」
波沢茜は顔を上げ、影塚を見た。
「うん」
影塚は深くうなずいていた。
「天瀬だったら、大丈夫ですよ」
篠上が腕を組んで言ってくる。
「なんの根拠があって言ってるんだ……?」
誠次がジト目でつっこむが、今のは今ので篠上に信頼されているのだと解釈する。
「どうやら香織は、本当に喧嘩を売る相手を間違えたらしいな。ありがとう二人とも」
波沢茜は誠次と篠上二人ともに、頭を下げていた。
「私は何もしていません。林間学校でも結局、天瀬に助けられたのは私だし……」
それに誠次がすかさず訂正する為、口を挟んだ。
「いや、俺は篠上に助けられた――」
「もうその責任の話は今はうるさいから黙りなさい! あと、少しは空気を読みなさいよ!」
「は、はい! すいません!」
篠上は相変わらず怒りの沸点が低く、怖かった。
「林間学校の件か。……警察の方も力を貸してくれて、協同で警備に当たっている。何があっても魔法生は絶対に守り切るから、安心してくれ」
波沢茜は流れるような動作で、シィスティムの敬礼を返して来た。その仕草は凛としているが、少しだけお茶目でもあった。そこら辺も踏まえ、やはり似ている。――夕島兄弟を見た後だと、なおさらだ。
「いつも後手に回ってしまってすまない」と言った影塚が、
「八ノ夜さんは銃を持った警察が学園をうろちょろしているのがあまり気に入ってないようだけどね」
「メール見ますか?」
「遠慮しとくよ。どんな内容かは大体察しがつく」
誠次が電子タブレットを取り出すと、影塚は首を横に振って苦笑した。
「あの、さっきから気になってたんだけど、誰?」
誠次の耳に、篠上が口を寄せて訊いてくる。
篠上の青い目は、確実に影塚を見ていた。
誠次は耳を疑った。
「影塚さんを知らないのか!? お前本当に魔法生か!?」
「だからあんたに言われたくないわよ!」
誠次と篠上が言い合うと、苦笑いの影塚がまあまあと二人を宥める。
「゛捕食者゛討伐数百体越え。魔法犯罪検挙数局内トップクラスの魔術師だ」
「百体は盛り過ぎだよ天瀬くん……」
「さっきまで女子高生からのサイン合戦だったものね。広」
「茜……」
少しツンとした波沢茜に、困ったように影塚は髪をかいていた。
「い、イケメンですね!」
何故か上品なマダムのように、慌てておほほと口元に手を添えて篠上は言う。篠上なりの失礼を誤魔化す仕草なのだろうか。
「ありがとう。二人はどう言う……」
「同じクラスの学級委員です」
すっと、素に戻った篠上が即答する。先ほどまでのぎこちなさは何処へやら、あまりにも早い切り返しだ。
「そ、そっか……」
「失礼だぞ篠上……」
影塚と誠次が顔を見合わせて、苦笑する。
ただ、波沢茜だけが篠上を見て、何かを同情するような目線を送っていた。
「お互い、苦労しているようだな」
篠上がえっ、と反応する。
「確かに相方は魔法が使えなくて苦労はしていますけど……」
「違う、そこじゃなくて別のところだ。私はその点では妹ほど器用ではないが、お互い頑張ろうな?」
クスッと、愉しげに波沢茜は笑っていた。
「え……? は、はい……」
意味が解らないと言った表情で、篠上は首を傾げていた。
一方で、誠次と影塚は男同士の会話の最中だった。
「喫茶店で名前を出されて逃げられた時は、凄い怖い人を想像しましたよ」
「まあある意味天瀬くんの言っていることは間違っていないよ……。訓練の時とか結構怖いんだ」
「お互い苦労してますね」
誠次が苦笑いで肩を竦めて言うと、影塚も「君もかい」と言ってやれやれと笑う。
「まったく……。どっちがだ」
そんな二人の男を見て、波沢茜はいよいよ呆れ果てたように軽いため息をしていた。
そして、そんな波沢茜を、大きな目をぱちくりとさせて見つめていた篠上は、あっとなり、
「えっ……あっ! そう言うわけじゃ!」
何かに気付いた篠上が、頬を赤くして叫んでいた。
その後の委員会会議は、悲惨なものとなっていた。――篠上が。
いつもは女子どころか男子すらも引いてしまうほどの仕事をこなし、委員会メンバーどころか顧問教師すらも引いてしまうほどの有能さを誇る篠上が、今日の会議ではその機能を完全に停止していた。
「では一週間報告をクラス順に言ってもらいたいんだけど……大丈夫か1-A?」
資料を片手に持つ若い男性顧問教師が、眼鏡をくいと持ち上げて篠上を見る。
「は、はい!」
誠次の隣の席に座る篠上は、突然身体を撫でられた猫のように、びくっとしていた。
そして慌てて教材電子タブレットを起動するが、すでにあった紙の資料を机からばさばさと落としてしまう。やはり、いつもの篠上とは違う。
「じ、自分が報告します」
誠次は訝しく思いつつも篠上の手元の電子タブレットをとり、自分の元へ置いた。報告書は篠上が纏めてくれていたので、何とかなりそうだが。
「頼む天瀬」
「はい。クラスでの事件は特にありません。演習場を使用したうちのクラスの生徒ですが――」
誠次が篠上の代わりに説明をして、何とかなった。
続いて1-B学級委員の番となり、誠次は篠上に小声で話し掛けた。
「大丈夫か篠上?」
「だ、大丈夫。……助かったわ、ありがとう」
「具合悪いんだったら保健室行ったらどうだ? ……ダニエル先生が待つ」
「そこ強調しないでよ……」
篠上ははあー、とため息をついていた。
本当は具合が悪いのに強がっているのだろうと、誠次は我ながら察し良く気が付いていた。
「取り敢えず今日は俺に任せろ。魔法使わなきゃ俺でもやれることはあるんだからな?」
「いまいち頼り甲斐が無いわね」
口こそぼそりと篠上はそう言ったものの、手は資料を誠次に押し付けて来た。
自ら言った手前、ここは引き下がれない。誠次はいつも以上に、仕事に身が入った思いだった。
会議が無事終わり、そろそろと会議室から出て行く学級委員メンバーたち。
「今日は天瀬、なんか大活躍だったじゃんかー」
1-Cの学級委員男子――お調子者――が、歩きながら誠次の肩をぽんぽん叩いて来る。
「ああ。いつも働いてない分、頑張ってたように見えるんだろうな」
腕を組んでうむと誇らしげに言う誠次に、
「篠上がいつも頑張ってるから違いないな」
「ひ、否定は出来ない……」
「ははは。じゃあ夏休み明けなー」
「ああ」
男子は大袈裟に笑いながら去って行った。
「綾奈ちゃんじゃあねー」
「うん。じゃあ」
遅れてやって来た篠上も、誠次の横に並んで歩く。
誠次は自分のタブレットの時計を確認していた。
「……」
「この後何かあるの?」
篠上が首を傾げて尋ねて来る。
「ああ。香月と勉強するんだ。香月、勉強が好きみたいでさ」
誠次は参ったな、と後ろ髪をかいて言う。
それも呑み込みはとてつもなく早く、教えているこちらが楽しくなってしまうほど、教えたところはすぐに覚える。
「あんたってひょっとすると夏休み忙しいの?」
「いやべつに……。香月に勉強を教えるだけだし、弁論会以外は特にないな……。一か月で見ればそこまで忙しくはないと思う。でも何も予定が無かった中学時代に比べればはるかに忙しい」
「なんか悲しいわねそれ……」
「……」
部活も入っていないし、志藤は毎年家の用事で夏は忙しい。
篠上は部活があるので忙しいだろうなと、思っていると、
「気をつけてね、弁論会」
「え?」
「ほら、テロよ……。今日だって特殊魔法治安維持組織の人が来てたじゃない……」
篠上は視線を落として言っていた。
魔法に関するイベント事だ、警備が厳重とは言え、奴らが何かを仕掛けて来る可能性は高い。
誠次は頷き、
「ちゃちゃっとお土産でも買って帰ってくるさ」
それでも、尚も篠上は心配そうに眉間を寄せて、
「……いくら強いからって、一人で無茶しちゃ、絶対ダメだからね……。……私とかがいないと、ダメなんでしょ?」
林間学校のあの時でも、そんなようなことを言われたなと思い出す。
ああ。おれが強いのは、仲間がいるからだ。だから、それらを大事に守ると決めたのだ。志藤に諭された時、いや、本当はずっともっと前から――。
「分かってる。心配してくれてありがとうな」
「わ、私はべつに……詩音ちゃんや莉緒ちゃんが心配だから言っただけよ」
誠次は胸をぽんと叩き、
「余計任せろ。俺がどんな奴からも守りきる。んで、守りきったらいつかアイツと、結婚するんだ……」
「それ死ぬ奴よ! それにアイツって誰よ!?」
「よく死亡フラグ知ってたな!」
「ひあ……っ。そ、そんなの知らない! もう大阪行って帰って来るな!」
篠上は顔を微かに赤くして、ツンとそっぽを向いてしまった。
「ヒドイな! 是が非でも帰って来て結婚してやる!」
「だから誰とよ!?」
「そこ重要か!?」
「重要よーっ!」
重要、なのだろうか?
ウケ狙いと言うだけで、よくよく考えないで言っていた過去の発言を、誠次はしばし後悔していた。




