6
誠次は東馬に、林間学校の夜の出来事を事細かに話した。
「そうか……君には二回も助けられたのか。お礼をしなくちゃね」
「べ、べつにお礼が欲しくてやったわけではありません。それに、二回目は香月さんは被害者です。俺をおびき出す為のエサにされただけですから」
謙遜して、誠次は言葉を返していた。
「テロ……レ―ヴネメシスの奥羽と言う男が、君を狙ったって言うのかい?」
東馬は首を傾げ、真剣な表情で訊いてくる。
「はい」
誠次もまた、真剣な表情で頷いていた。
では、篠上に手紙を送った理由は? ふと、そんな疑問が誠次の頭の中に浮かんだ。 置く場所を間違えたなどは奥羽のしたたかさを思えばあり得ないだろう。
ならば、篠上を巻き込むことを前提にしていたと考えられる。つまり、篠上もおびき出されたと言うことだろう。
ならば、なぜ篠上を?
やつらは少なくともリリック会館で俺の戦い方を知っており、あの日の戦いでも剣を使った戦いに意図的にさせてきた。つまり……付加魔法関係の力を見られたと言うことだろうか――。
「お、お待たせしました……」
誰ですか、と一瞬思えば、敬語の桜庭が帰って来ていた。初対面の大人の男を前に、少し緊張しているようだ。
桜庭は誠次のすぐ横の椅子に座った。まだなにも注文していないらしく、買い物袋以外持っていない。
「こんにちは。俺は東馬仁。その制服は似てるけど……ヴィザリウス魔法学園の子じゃないよね」
東馬が桜庭と誠次を交互に見る。そして、なにかに気付いたように目を大きくしていた。
「って、天瀬くんもなんか制服着てる……。まさか、退学処分に……」
「ち、違います!」
誠次がすぐに手を横に振ると、東馬は「冗談」と言って面白おかしく笑った。
「あ、あたしは桜庭莉緒です。今はちょっと理由あって違う高校の制服着てますけど、魔法学園の生徒です。こんにちは……」
「ふうん。どうして違う高校の制服を着ているか、気になるかな」
東馬が笑顔のまま桜庭に問い掛ける。
「えっ、と……」
答に詰まった様子の桜庭を、すかさず誠次がフォローする。
「夏休みに、二大魔法学園弁論会と言う行事に参加するんです。そこで自分たち魔法生が制服のまま外出できるかどうかを議題に議論するらしいので、それに関する調査と言うか……」
桜庭の通り、確かにどう説明すればいいか分からない。誠次の語気は次第に弱くなっていた。
すると今度は桜庭が、誠次をフォローする形で、
「そんな感じです。実際にあたしたち魔法生が制服を着て外に出てみても、なんも問題ないかなー……ってことを調べたくて……」
同じく、言葉の後半から次第に声が小さくなっていた。初対面年上が相手だと、さすがの桜庭でもこうなってしまうのだろうか。
だが、東馬はそれに何かを察したように、にこりと笑っていた。
「そうかい。おっと、弁論会は俺も科学連代表として出席するんだ」
初対面の時の白衣の胸元には、確か【日本科学技術革新連】と書かれていたなと、誠次は思い出した。
「代表って、すごいですね!」
話題が変わったと同時に、桜庭が顔をぱっと上げる。
「ありがとう。知らない内にそれまでの地位になってたよ。……自分でも知らない内にね」
視線を誠次と桜庭の中ほどに向け、笑いながら東馬は言う。店に流れるジャズ調のBGMの音量が、上がった気がした。
「でも君たちの今の状況、はたから見れば制服デートってやつだよ。やったことないから羨ましいなあ。青春だなあ」
「い、いやあデート、ですかぁ……」
桜庭が後ろ髪をさわさわしながら、照れるようにして言う。
(いやデートじゃないよな桜庭……? そう見えるかも知れないけどあくまで調査だよな……? 何よりこのままでは女子とふらふら出歩いている軽薄男に東馬さんから見られてしまうんだ。……いやでもだからと言って香月とも親公認とかそう言う関係では無いはずだから問題は……。ある……。ない……? ――って落ち着け俺っ!)
すぐ近くに柱があったら思い切り頭をぶつけている寸前まで、誠次は来ていた。
「お似合いだよ。仲も良さそうだし」
「仲良いと言うか何と言うか……。クラスメイト……普通と言うのも変だし……」
桜庭は頬を真っ赤に染め、あうあうと言っていた。
ようやく落ち着いた誠次は、一呼吸入れて澄ました顔で、
「伝えたい事が迷子になってるぞ桜庭……」
「うえっ!? そ、それは、天瀬の所為!」
「今みたいなところが普通は仲良いと思うんだけど……。まあ、詩音とは違って元気な女の子だね」
東馬も苦笑していた。
桜庭が、ぽかんとしていた。
「東馬さんは、香月さんのその……義理のお兄さんですか?」
失礼なことを聞いていると思うが、気になるのも当然か。
ううんと首を横に振る東馬。
「そこまで若く見えるのは嬉しいね。俺は君たちのクラスメイト、香月詩音の父親なんだ」
「お父さん若っ! ……じゃあなくてっ! お若い、ですね……」
慌てて桜庭は言い直す。
「ありがとう。名字が違うのは、ちょっと理由ありでね」
「あ……」
とたん、桜庭は言葉に詰まっていた。察した、のだろう。
「そ、そうなんですか。あたし本当に失礼でしたねごめんなさい……」
頭を下げる桜庭に、東馬は構わないよと声を掛けていた。
それでも、場の空気を読む桜庭はやはりこの場にいたたまれなくなったのか、
「香月さんは、今ここにいますか?」
桜庭の言葉を聞いた東馬の目がなぜか、一瞬だけ揺らいでいた。
「――一階のアパレルショップにいるはずだ」
ほんのわずかの間を置いて、東馬は答えていた。
「じゃあ、今からそっちに行ってきます。プレゼントは直接渡したいので!」
「プレゼントか。詩音のお友達だね? なら、いつもありがとう」
「い、いいえ! あたしこそ、いつも授業で香月さんの魔法を参考にさせてもらってます!」
「詩音の魔法が誰かの役に立つのなら、詩音も本望だろう。行っておいで」
次には東馬は落ち着いた声だった。
「はい。あの、色々と失礼しました」
桜庭が立ち上がり、ほんの一瞬だけ誠次を見た後、背中を向けて去って行く。
東馬が桜庭に軽く手を振った後、誠次に視線を戻す。
「元気があって可愛い女の子じゃないか。今のは俺が言うと、ちょっと問題発言かな?」
「い、いえ。そんなことありません」
見た目や仕草で言えば、東馬は本当に若々しいのだ。
「明るい桜庭さんのお蔭で、香月さんはクラスに馴染めている節があります。……魔法が使えない自分も」
「そう言う君の他人の良いところを探し見るところは、称賛されるべきだと思う。さすがに彼女の前でそれを言うのは恥ずかしかったんだね?」
「いやですから、彼女と言うわけでは……」
しばし、東馬と何気ない会話が続いた。
「あ、参考までに伺いたいのですが、魔法生が制服で外を歩くのはどう思いますか?」
「ああそれか。俺はどうも思わないよ。でも、レ―ヴネメシスがいる以上、難しいとは思う。彼らの狙いは魔法生だって言うのは有名だから、狙われる危険性は高いと思うよ」
ニュースでもよく取り上げているところだった。
東馬からの素早い返しに、誠次は少し呆然としてしまった。
「……やっぱり、そうですよね……」
この国には何年も昔と違って、テロがあるのだ。治安も昔ほど良くはなく、犯罪者も後を絶たない。
「……」
東馬は誠次をじっと見つめてから、
「なに、それでも応援してるよ。テロには決して屈しないのが、昔からのこの国の、ひいては世界の姿勢だからね。それにしても一年生が行くのは珍しいけどね。去年も参加したけど、二年生ばっかだったよ?」
「うちの学園の生徒会長が、声をかけてくれたんです」
東馬が自分の手の指と指を、机の上で組んでいた。
「魔法学園の生徒会長か。全校生徒千人を超えるところのトップになるのは、相当楽じゃないよ」
ぽつりと、東馬はまるで経験者のように思いだす素振りで言う。
誠次はこの話題を広げることにした。
「だからこその、弁論会は一種の客寄せのショーだと生徒会長は言っていました。進んでやろうと思う人がいないんでしょうね」
「面倒くさそうだし、だろうね。……それに――」
東馬は口角を微かに上げていた。
「大勢の人の上に立って、人を正しい方向へ導かなくちゃいけないのは、難しいことさ。トップに立つ人が、下に続く人を正しく導かなくちゃいけないからね……」
「……」
科学連のトップに立つ者としての、独白かと、誠次は思っていた。
一人の子の父親としては、その独白は少し、壮大すぎやしないかとは感じたが。
「少し語っちゃったかな?」
「あ……」
誠次がじっと東馬を見ていると、東馬はようやく我に返ったように、
「そう言えば前から気になったんだけど。君が持つ剣に名前とかはあるのかい?」
明るい口調で、東馬は誠次に尋ねた。
八ノ夜から貰った黒い剣の事は、香月から聞いていたのだろう。
「名前……。とくにはありません。普通に剣ですけど」
エクスカリバー、とか言った感じのものだろう。
「なら、名前をつけようよ。名無しの剣なんか可哀想だしカッコ悪いじゃないか。ほら、ゲームとかでよくあるじゃん」
「確かにそうかも知れないですけど、少し恥ずかしいですよ」
「残念だけど仕事の間を縫ってもう考えてあるんだ。俺はこういうのが好きでね!」
心なしか、きらきらと東馬の後ろで星が輝いている気がした。
(な、なるほど……)
香月がリリック会館で中二病のことを知っていた理由が、分かった気がする誠次であった。
「魔剣レーヴァテイン。知ってるかい?」
恥ずかしがる素振りを見せず、むしろ堂々と東馬は訊いてくる。
エクスカリバーなどの有名なところは知っているが、それは聞き覚えのない剣の名前だった。
「友だちの一人に詳しそうなのはいますけど」
奇しくも、本日誕生日プレゼントを買ってやったルームメイトのことだ。
東馬の説明は続く。
「由来は北欧神話に登場する魔剣なんだけどね、傷つける魔の剣や、害なす魔法の剣って意味だ。゛捕食者゛を倒すにはピッタリじゃないか!」
一気に饒舌になる東馬。
誠次はその勢いに少し、怖気づいていた。
「そして、その魔剣レ―ヴァテインを振っていたのはスルトと言う名の巨人。――名前の意味は゛黒い者゛、゛黒゛だ」
東馬が、誠次の黒い目をじっと見据え、言った。
ぞくりと、誠次は肌が粟立ったのを感じた。
「どうだい? レ―ヴァテイン。カッコイイと思うよ」
「レ―ヴァテイン……。剣の名前か……」
やはり少し恥ずかしかったが――誠次も誠次でカッコイイ名前に、男心をくすぐられてしまっていた。
「では、゛レヴァテイン゛って名前にします!」
「レヴァテイン……? 伸ばし棒を失くしたのかい?」
東馬ははてと首を傾げていた。
「はい。レ―ヴのままですと、レ―ヴネメシスと同じ意味になってしまいますから」
誠次の言葉を受けた東馬の眉が、ピクリと反応する。
「随分と詳しいじゃないか」
「いや、戦いの敵の情報を調べていたら、偶然知っただけです」
「それで、意味はどう言う意味だったんだい? 少し興味があるな」
先程までとは打って変わり、慎重な言葉づかいで東馬は尋ねて来る。胸元の十字架のペンダントが、照明の光を受けて光った。
「ネメシスはそのまま、ギリシャ神話に登場する罪の女神の化身と言う意味です。レ―ヴは破滅、禍い、不吉なこと。または裏切り、と言う意味です」
ネットなどで調べた知識そのままを、誠次は東馬に告げた。
「そうか……。確かにあまり縁起は良くなかったかもね」
東馬は目を閉じ、くすくすと笑っていた。
「……」
――その笑顔が、誰かと重なった気がし、誠次は息を呑んでいた。
東馬は端末で現在時刻を確認していた。
「そろそろ詩音たちと合流しないとな。やっぱり君との話は面白いや」
「ありがとうございます」
なんだか複雑な気分だった誠次。
だが変な所で東馬に親近感を誠次は感じていた。
「詩音を魔法学園に入学させたのは、魔法を正しいことに使ってほしいからなんだ。戦いとかとは無縁の、それでいて彼女の最大の長所を生かせるように、ね。分かってくれるかな?」
「どう言う意味ですか?」
「いや、詩音が君の重荷になっていないだろうか?」
「滅相もないです! 香月さんがいなかったら、エンチャントの事も知らないままでしたし、こうやって生き残れています……。それに香月さんと出会った日から、俺は俺がやるべきことを見つけられたと言いますか……」
「……」
東馬は少々呆気に取られたようだったが、次の瞬間には笑いながら立ち上がっていた。
「そうか。君のその前向きな姿に、詩音は……」
「香月さんは?」
「いや、なんでもないよ」
東馬は少し悲しげな顔をしてから、こちらに背を向けた。
「また会おう天瀬くん」
「あ、はい。また」
入れ替わりでバックだけを持った桜庭が帰って来たのは、誠次が何か食べようかと席を立ち上がったところだった。
「香月とは会えたか?」
「うん。すっごい綺麗なお母さんと一緒だったよ」
くちびるに手を添え、思い出すように桜庭は言う。
東馬陽子。確かに綺麗な人だったが、誠次は写真でしか見た事はなかった。
「こうちゃんと会わないの?」
「俺は今はべつに用は無いし、学園でも会えるしな……」
「そっか。……じゃあご飯!」
それきり桜庭は上機嫌で、フードコートの店を見て回っていた。上機嫌なのは、いつものことか。
※
状況は芳しくは無かった。武器輸送のルートは潰され、補給もままならない。人員も無限では無い。
「――お父さん、大丈夫ですか?」
ひらひらのワンピースから、白く艶やかな肩が覗く。まるで作り物のように、やたら整っている顔立ちは、純粋無垢と言った表情だ。
友人から貰ったプレゼントを大事そうに両手で持ち、香月詩音は東馬に首を傾げていた。
この口調は、他人がいない時にするものだ。――させている、と言うべきか。
「ん?」
「気難しい顔をしています。クラスメイトの男の子みたい」
参ったな、と東馬は苦笑する。
「詩音から聞くところのクラスメイトの男の子は、天瀬誠次くんだけだ」
香月は少し目を大きくしたが、すぐに落ち着き直し、
「はい。でも……天瀬くんは、もうそんな顔をしていない」
それは、聴き捨てならなかった。
「前は彼も、今の俺みたいに悩んでいたのか?」
「はい。でも……今はもう違います」
「一体彼の身になにがあったんだい?」
香月は首を横に振り、真剣な表情で、
「私にはそれが分かりません。でも、天瀬くんの周りには友だちがいます……。その人たちが、天瀬くんを助けています……」
「そうか……」
東馬ははあ、と息をついて香月に視線を向けることなく訊く。
「学校は楽しいか? 興味があるな」
「はい。皆、優しい人ばかりですから……」
香月はプレゼントを大事そうに握り締め、どこか恥ずかしそうにぼそりと言っていた。
桜庭莉緒のものだろう。そう言えば、篠上綾奈や本城千尋と言った女子生徒の名前も、香月は頻繁に出すようになってきていた。
「お父さん。夏休みに、天瀬くんと西のアルゲイル魔法学園に行きたいです」
香月の口から、唐突にそんな事を聴いた。
なんと言う偶然か、と東馬は思った。胸元の十字架のペンダントを見据え――。
「二大魔法学園弁論会だね? いいだろう、行って来なさい」
まあ良い。どうやら、役者は揃ったようだ。仕事場にて直接会い、真意を確かめねばなるまい。
「ありがとうございます」
「でもその前に詩音には補習があるはずだ。そっちも頑張ってくれないと、父さん的にはマズいかな」
「そうでしたね……」
はたから見れば(口調はさておき)普通の親子のやり取りだったが、東馬は反吐が出る思いを必死に堪えていた。
「頑張ります、お父さん」
香月から見れば、案の定普通の父親だとしてこちらを見ているようだが、――虫唾が走る。
(ただの道具の分際で頑張るだと……?)
やはり、失敗作だと東馬は心の中で嘲笑った。
「あっ、お母さん」
遠くで――母親が手を振っており、香月が喜んで駆けだしていく。
だが、東馬が見ているのは別の方向だ。
東馬がほくそ笑んで見た先には、一人の少女がいた。白いブラウスが細身で小柄な身体つきによく映えている。宝珠のように綺麗な水色の目と、完全にバランスのとれた顔立ちは、ある種精巧に作られた人形のようだ。南の島の海の色を彷彿とさせる水色の髪は、地面すれすれまで伸びている。
一見すると完璧なまでの美少女だったが、その表情はどこか虚ろで、幸薄そうだった。目にも、生物としての力がまるで無い。
「……」
水色髪の少女は、母親と手を繋いで歩く香月詩音の方を、じっと見つめていた。無表情だが――その実、どこか羨ましそうに。
下らない感情だ、と東馬は顔に冷酷なまでの微笑を刻んだ。
「……良い夢を見ると良いよ詩音。いつか覚める、儚い夢を」
罪の女神は、決して微笑まない。




