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翌日(七月二〇日)は、生憎の雨模様だった。どしゃぶりではないぽつぽつ雨だが、雨は雨だ。蒸し暑いのに足元からはじめっとした湿気が肌を撫でてくる。風もなく、夏の雨ほど鬱陶しく感じるものはそうは無いと思う。
真っ白な空を透明なビニール傘越しに眺めながら、誠次はヴィザリウス魔法学園の正門前に立っていた。
周囲には正門を行ったり来たりする他の魔法生が多くいる。そこは雨でもせっかくの休日なので、友達と遊びや買い物に行くような生徒や、デートに出かけたりするカップルなどだ。
当然皆私服で、一見すると私服登校が認められている高校から帰宅する普通科生徒たちである。
「――天瀬」
すぐ横で桜庭の声がした。
「お待たせ。ごめんね」
お互いの傘が触れ合いそうな距離で、桜庭はどこか恥ずかしそうな笑顔で立っていた。
さらさらとした黒髪に、幼さを残しつつも端正な顔立ち。服装は肩が見え隠れするボーダーのカットソーに、下は腿から上のデニムショートパンツで、綺麗な脚がこれでもかと言わんばかりに主張してくる。
笑顔の桜庭を見ると、心なしか傘に降り落ちる雨の音が小さくなった気がする。
「まだ一〇時前ぐらいだし、大して待ってないよ」
まるでデート前の男のようなことを、誠次は言っていた。
……そうだ、これはデートではない。あくまで! ただの! 何の変哲もない! 調査である! ……などと思いながら、昨夜は調査と言う二文字がゲシュタルト崩壊を起こすまで眠れなかった誠次である。
桜庭は傘の下からそっと天を見て、
「生憎の雨ですな」
「そうですな」
桜庭のヘンテコな口調を真似て、誠次は言葉を返す。
「えへへ。じゃあ行こっか」
空いてる手で髪をさわさわしながら、桜庭は誠次を見上げて言う。雨模様の景色の中でも、花の髪留めはよりいっそう綺麗に見えた。
「ああ。……ってどこに?」
いつまでもここで二人で立ちっぱなしでいると、周囲からあらぬ誤解を招かれかねない。桜庭が目立つ容姿である事は間違いないからだ。
だが、今日の調査とやらの行先は桜庭からなにも教えられていない。一応財布は持って来たが、手荷物は傘とそれだけだ。
「こっち!」
ヴィザリウス魔法学園から見て真っ直ぐ方向を桜庭は指差した。
(国道だぞ……)
おそらく、商店街を示しているのだろうなと思いつつ、誠次は「了解」と言って歩き出した。
「しゅ、出動ーっ!」
ぴちゃ、と水を蹴る音を立て、桜庭も誠次の横を歩く。多分今度はこちらの言葉に桜庭が合わせて言ったのだろう。
「は、恥ずかしい……」
ただひたすら、誠次は恥ずかしかった。
新宿のとある大通りに、誠次と桜庭はやって来た。右と左にはこれでもかと言わんばかりに大きなビルが立ち並び、そこから電光色が眩しく光っている。
桜庭は「ビルおっきいねー」とか「木おっきいねー」など内容があるんだか無いようなことを言いながら、すぐ横を歩いている。
幸中の幸いと言うべきか、傘があるお蔭で顔を隠す事は出来るので、同級生に見られる心配はなさそうだったが。
隣を歩く私服姿の桜庭は、無防備にも楽しげに傘をくるくると回していた。
他愛ないお喋りをしつつ桜庭に連れられてやって来たのは、明るい雰囲気の喫茶店だった。
店に入ったは良いものの、ここへ来たのは何故だろうかと、誠次が傘を丸めていた所で、
「おっ、りおりー、おひさしおはちゃん!」
「おひさしおはちゃん!」
「ちっちゃん、かえちゃん、おひさしおはちゃん!」
「!?」 と誠次。
ひらがなが多そうな挨拶が聞こえてきた。
驚き、呆気にとられる誠次が顔を上げると、横で傘をたたんでいた桜庭が店の奥の方を見て手を振っていた。
桜庭の黄緑色の視線の先には、こっちに向けて手を振り返して来る、他の高校の制服姿の女子が二名。桜庭の友達らしきその女子二人はテーブル席に並んで座っており、手元には注文したのか美味しそうなパンケーキがある。
「かえちゃんも来たんだ!?」
桜庭が嬉しそうに友達たちの方へ駆け寄りながら、栗色のお団子髪をしたかえちゃんとやらに言う。
(旧友との再会は嬉しいだろうが、あの、まずは状況説明を求む……!)
硬直している誠次。
「うんうん。りおりーが元気そうで何より」
かえちゃんとやらの視線をちょくちょく受けつつ、誠次は桜庭の後ろまで歩いた。
ここへ来てようやく、桜庭がはっと思い出したように、
「中学校の友達で、右の子が川島ちゃん。左の子が野田ちゃん」
桜庭の紹介に合わせ軽くぺこっと頭を下げる二人の友人たち。
右のサイドポニーが川島(ちっちゃん)、左のお団子が野田(かえちゃん)と、誠次は心の中で決めた。名前がわからない所為で、仇名がややこしいことになっている。
「で、天瀬」
続いて桜庭が手を誠次に向け、川島と野田に紹介した。
「「おおー」」
わけもわからず、川島と野田は誠次を見上げて声を出していた。おそらく、取り敢えず初対面相手には何か言っておけ的な雰囲気なのだろう。
「こ、こんにちは……」
誠次はどうにか川島と野田と交互に視線を合わせつつ、小さく頭を下げていた。桜庭には悪いが内心では、もう……滅茶苦茶帰りたい気分でいっぱいだ。
「いいねえ、りおりー」
サイドポニー川島が腕を組み、うんうんとしんみり頷いていた。何がいいねえ、なのかとは思ったが、状況的に見て誠次と桜庭が付き合っていると勘違いしているのだろうか。
お団子野田も、桜庭と誠次を交互に見てにやにやと笑っていた。
「……っく」
顔を真っ赤にして俯く誠次。
「え?」
して桜庭は何のこと? とでも言いたげにぽかんとしていた。
桜庭と誠次は、川島と野田と向かい合うようにしてテーブル席に座った。
ファンシーな店の雰囲気で薄々わかっていたが、いまどきの女子中高生が集うような喫茶店であり、誠次以外の男子がいる様子はない。同年代の女子三人と相席など初めての経験で、肩身が狭い多勢に無勢の気分を誠次は味わっていた。
「そっちは三城高校だよね? どう?」
三城高校。確か都内にある結構偏差値も高い普通科の高校だ。
「普通かなー。今のところイベントも無い感じだし、ヴィザ学のそっちはどうなのさりおりー。超気になる」
妙にこじゃれたネーミングセンスのメニューを眺める誠次の横の席にて、桜庭が正面の川島と会話していた。
「楽しいよー! ねえ天瀬?」
「え」
突然話を振られ、誠次ははっと顔を上げる。川島と野田が、興味津々そうにこちらを見ていた。
入学式以降、いろいろな事件はあったものの、乗り越えはできた。友だちももう充分なほど多くできたし、少なくともつまらなくはない。
「まあ、楽しい、かな……」
誠次は手元のグラスをじっと見つめて、呟く。
「うわぁー、なんか大人な感じじゃん」
真正面の野田が髪留めの輪を通した腕を交差させ、面白げに笑う。
「……え」
違う。ただこの場所、この空間、この相手を前にたどたどしいだけである。
しばらく、桜庭と友達とのお喋りは続いた。――所謂ガールズトークと言うヤツだろう。
誠次も時より話を振られては、相づちを打ったり(我ながら)要領よく言葉を返したりしていた。
アイスミルクティーをストローで飲んでいた桜庭が、そう言えばとようやく本題を思い出したようだ。
「約束のモノ持ってきてくれた?」
「勿論であります、りおりー。代わりに今度何か奢ってね?」
川島が、大きな茶色の紙袋を机の下から取り出して来た。桜庭が、それを受け取って中身を確認する。
「はい、天瀬のぶん」
紙袋の中に入っていたビニール袋を、誠次は押し付けられてた。
「俺のぶん?」
誠次は受け取ったビニール袋を広げてみた。
中に入ってたのは黒いスラックスにベルトと、線が入った白いワイシャツ。一方で隣の桜庭の方はサマーベストとワイシャツに、チェック柄の深緑色のスカート。川島と野田が着ているものと同じようで、おそらく三城高校の夏服だろう。
誠次が首を傾げていると、
「今からこれに着替えて」
「は?」
「ほら、あたしたち魔法生じゃん。けど魔法生が普通科の高校の制服を着ても校則違反にはならないでしょ? それで街に出てみれば、何かわかるかもしんないしさ」
「……? 三城高校の制服を着て出歩くってことか?」
「そう!」
つまり桜庭の狙いは、魔法生が普通科の高校の制服を着て街を歩いてみるとどうなるか、だろう。
「うち服飾部で裁縫とかやるから、材料として男子の制服持ってたのよ。借りものだから汚さないように注意ね」
川島が説明とばかりに言う。
「ヴィザ学だけが制服で外出れないなんて不公平だよ。頑張って」
「うんっ」
野田の応援に、桜庭が頷いていた。
何だかんだで頑張っている桜庭を見ていると、こちらも否応なしに頑張らなくてはと思ってしまう。二人の女子高生にも協力してもらったし、お礼はしないと。
「ありがとう川島さん、野田さん」
誠次が軽く頭を下げると、二人の女子高生はぷふっと吹きだして笑っていた。
「え……?」
「さん付けって、天瀬くん固すぎー!」
「ちょーウケる! もっとリラックス!」
川島と野田が順に言ってくる。肩を叩きあったりして、誠次は大笑いされている。
「なんか、おかしい事言ったのか俺……」
「あはは……」
桜庭は文字通り、あははと苦笑いを浮かべていた。
喫茶店の広いトイレにて、誠次は三城高校の制服に着替えていた。他校の制服を着ることになるのは初めての経験で、鏡に映った三城高校の制服を着た自分を見ると、いたたまれない気分にはなった。
一応、これはコスプレに入るのだろうか?
「むー……」
まごついていても仕方が無い、と状況を受け入れ、誠次は男子トイレのドアを開けた。
「あ、着替え終わった?」
トイレから出ると、同じく三城高校の制服に着替えた桜庭とばったり会った。
「あ、ああ」
言ってしまうと、ヴィザリウス魔法学園の夏服と三城高校の夏服とにほとんど違いは無かった。紺色のサマーベストに赤いリボン。そこに花の形の髪留めでいつもの桜庭だ。学園内で見慣れた姿そのままではある。
「えっと……」
「……」
だが、外と言うこともあってなのか妙に新鮮な気分だった。不思議とお互いに黙り込んでしまっている。
――普通科の高校生なら、やはり制服での外出はごく普通で気にしないことなのだろうか? いや、制服での外出は中学の時も誠次は経験はしている。
じゃあ、これは、おそらくとも言わずに目の前にいる――、
「なんかごめんね……。制服受け取ったらすぐ店出るつもりだったけど、久し振りに生で会って話が弾んじゃった……」
上目づかいで桜庭はこちらを見上げて来る。会話の途中でも、桜庭の少しだけ気まずそうな感じは気づいてはいた。
「い、いや、べつに気にしてないからいいぞ」
本当にべつに大して気にはしていなかった誠次。何だかんだ人の話を聞いているのは苦じゃない。
「まあ会話はちょっと難しいけど、大丈夫だ」
「……ありがとう」
桜庭は安心したように、胸を撫で下ろしていた。
川島と野田が待つテーブル席に戻ったところ、誠次は再び二人にまじまじと見られた。
「おおー。中々似合ってるじゃん!」
「良いじゃん良いじゃん!」
川島と野田が頷き合い、三城高校の制服を着た誠次と桜庭を見てきゃぴきゃぴと声を出していた。なんだかんだ、女性にじろじろ見られるのは恥ずかしい。
「二人ともありがとー。助かったよ」
桜庭がもう席には着かずに、友達二人にぺこっと頭を下げる。
そして、財布を取り出すとレジの方へとさっさと行ってしまった。今日の分のお会計をしてしまう気なのだろう。
(野田さんと川島さんのぶんもか……)
誠次は制服姿の桜庭の背中を追いかけていた。
「ねえねえ、天瀬」
後ろから野田に声を掛けられた。
「ん?」
「ちょっとさ、この皿魔法で浮かしてみてよ。興味あるんだー魔法生の魔法」
野田は食べ終えたパンケーキの皿を、マネキュアが塗ってある長めな爪でつついていた。どうやら野田は誠次の事を、普通に魔法が使える魔法生だと思われているようだ。
「……」
誠次は身体を、期待するような目で見て来る川島と野田の方へ向けて、
「物体浮遊の汎用魔法は上下運動自体は簡単なはずだ。皿も小さいし、まず野田さんがやってみてくれないか?」
浮遊なので、その場で浮かすこと自体は簡単だ。
――何より誠次は、とあることを思いついていた。
「うちがやんの? 良いけど」
野田は腕を慣らす仕草をしてから、白い皿に向けて両手を伸ばす。
すると間もなく白い魔法式が浮かんだ。野田は、それを拙い手の動きで組み立てる。やはり、日頃の授業で魔法生のソレを見慣れている所為かとても遅く感じてしまう。
が、それでも魔法は普通に扱えるのだ。
「ほら、どーよ?」
野田が得意げに言う。
見ると、立っている誠次の目の前まで皿が浮かんでいた。
悔しい、などと言った感情はもう湧かず、すかさず誠次は゛周囲を゛確認すると――
「おお! これは凄い魔法だ! 魔法元素と魔素のバランスも良い!」
大きな声で、大袈裟に褒めた。
確かに空中で水平に安定していたので、野田の魔法の腕はそこそこあるようだ。
「えっ、っちょ! もしかして褒められてる!?」
誠次の言葉を受け、野田の操る皿は本人の心情を現すかのように少しだけバランスを崩した。
「この魔法っ! 一切の無駄が無いっ!」
さらに誠次はよいしょする。いつかのテレビショッピングの人の口調を真似て。はたから見ればただの馬鹿のようであるが――ここは、とある検証の為に我慢する。
「かえちゃん才能あるんじゃんー!」
「ヴィザ学行けるかもー!」
川島と野田の弾む会話をよそに、誠次は咄嗟に周囲を見渡していた。
(小っ恥ずかしいが、チャンスは今しかない……っ!)
まずは、テーブル席、すなわち、他の来店客。年代的には同い年あたりの女子ばっかであったが、性別は関係ないだろう。
「なにあの人……」
「さぁ……」
大声で言った誠次の方をそんな感想で見たあとは、皆野田の魔法を見ている。――だが、すぐに女子たちは興味を失くしたように自分たちの時間へ戻る。「なんだ、ただの物体浮遊の魔法か」と言わんばかりに。
続いて、桜庭がいるレジの方。レジには大学生ほどの若い店員と、その付近にもまた若い店員がいる。桜庭を含めてそこと目が合ったが、やはりそれまで。
若い店員は二人とも魔法に大して興味なさそうに各々業務へと戻っていく。
「ま、まあ、当たり前だしな……。大声出してすいませんでした」
誠次は頭を下げてから、着席する。
誠次が確認したかったのは、魔法の使用による周囲からの目だった。結局確認にはなってしまったのだが、やはり魔法は同年代から見たらもう当たり前の事として受け流されている。野田に至ってはいまだ得意げに使っておられる。
となると、残りは魔法が使えない大人たちの目が気になる所だ。桜庭が言う調査対象の絞り込みは、これで出来たはずだ。
「お待たせー!」
付け焼刃的な考えにしては中々ではなかろうかと誠次がドヤ顔を堪えていたところで、桜庭が帰って来た。
野田は魔法を解除し、皿はテーブルの上に戻される。
「あたしと天瀬もう行くね。今日はありがとう!」
両手を合わせ、友人二人にお参りでもするかのように頭を下げるりおりー。
「楽しくねー」
川島が猫の手よろしく手をくいくいしながら、微笑んでいた。
「ちょっと、魔法見せてくんないの!?」
一方、野田があざとく頬を膨らませて、誠次を睨んでいた。
「「えっと……っ」」
誠次と桜庭の間で一瞬だけ気まずい間が入り、
「い、いつか見せる。機会があれば――!」
「うんうん。天瀬の魔法ってマジでやばいから! 中々人前じゃ見せられないって言う感じのあれ!」
誠次の後に桜庭の変なフォローが入り、川島と野田は二人で顔を見合わせていた。
(いやそれ増々見たくなるヤツじゃないか!?)
誠次は唖然とする。
「やばいって……?」
野田がぽかんとしていた。
「あっ……え。ま、また今度ね!」
桜庭は誠次の背中を台車のようにばーっと押して来る。先ほどから庇ってくれいるはずなのだが、怪しくて逆効果すぎる桜庭であった。
「ありがとうございましたー!」
とは言え、このままここにいる訳にいかずに、誠次はされるがまま店を出た。雨が降っていたことも忘れるほどで、二人して慌てて傘を差す。ちなみに二人の私服は、桜庭が紙袋に入れて持っている。
「危なかったー……」
「あれはほぼアウトだぞ……」
「た、確かに……で、でも今は誤魔化せた!」
妙に誇らしげな桜庭である。
「って、かえちゃんの魔法凄く褒めてたよね? ……凄かったってこと?」
どことなく歩き出したところ、桜庭が店の方をちらと見て言う。
迷惑と感じるほど大声だったし、桜庭がレジでお会計してる時に聴こえていたのだろう。
「使えない俺が言うのもなんだが、まあ可もなく不可もなくってところだった」
「そ、そっか……」
ほんの少しだけ、桜庭はしゅんと萎んでいた。
バツが悪く、誠次は頬をぽりぽりとかいていた。
「ま、まあ、調査の為に少し盛ったけど」
「え?」
「大袈裟に褒めたのは周囲の反応を調べただけだ。同年代や若い年代はやっぱり魔法に対してそこまで抵抗はないようには見えた。魔法生とか関係無く、自分も使えるからだろうな。となると、やっぱり問題は魔法が使えない大人からの目と言うことになる」
誠次は人指し指を立て、得意げに言っていた。
「……?」
桜庭は最初こそ難しい顔をしていたが、なるほどと手を打っていた。
「べつに俺たちは死神でもなんでもない。案外、制服着てこんな感じに普通に散歩して、周りからどう見られるかを確認するのは悪くない手段だと思う」
昨日の小野寺の様子を思い出しながら、誠次は言っていた。ちなみに、今のところすれ違う大人たちからは特に変な目で見られてはいない。
「死神って……。でも、あたしも意外と考える頭脳派だったりして!」
えへんと腕を組んで、桜庭は誇らしげに言う。
「自分で言っちゃったよ……」
「なんか言った?」
桜庭からジト目を向けられる。
その大きな目、そのむくれた仕草。男ならいちいちドキッとしてしまうだろう。なるほど、男に対する゛そう言う点では゛、充分に賢く、策略家かもしれないな、と誠次は思った。――絶対何の気なしだとは思うが。
「言った。存分に言った」
「そこは何も、って返すでしょ普通。分かってないなー天瀬は……」
傘の下、桜庭はやれやれと言ってくる。
(なにが分かってないんだよ……)
誠次は苦笑していた。
このぶんだと、夏の雨は少し弱まりそうだ。




