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七月の中旬。暑い夏真っ盛りの季節となった。
「夏休みまだかなー」
「八月からだよー」
クラス内にて男子生徒と女子生徒の会話。
ヴィザリウス魔法学園の夏休みは八月一日からの一か月間で、目立った行事はそこまで無く、クラスも長期休暇までの消化試合の雰囲気となっている。
時期的に雰囲気こそゆったりとはしているが、環境の変化は多々あった。
一つは、魔法学園の警備強化だ。
六月以降、特殊治安維持組織と警視庁本部より交替で人員が派遣されている。通路を歩いていると気難しい顔をした見知らぬ大人とよくすれ違ったり、正門前など運動場などでは武装した警備隊が夕暮れまで警備を行っている。
八ノ夜はこの状況がやはり気に入っていないらしく、よくメールで誠次に愚痴を送ってきたりする。あくまで一般生徒相手に、あくまで理事長が愚痴って良いのだろうか? しかも内容が【あいつらムカつく】などと言った子供じみたものばかりだった。返信に困るのでやめて頂きたい。
そして変わってもう一つは、香月詩音だ。
これは環境の変化と言うべきか否か、休み時間など誠次と一緒に過ごす時間が増えていた。
「よし、取り敢えず現代社会Aはここまでにしよう」
「ええ」
ふぅと互いに息を吐き、誠次と香月は疲れたように机に伏せる。誠次の操作により、電子タブレットの電源は落とされた。
放課後の1-A教室で、誠次は香月に勉強を教えていた。
誠次と香月以外他の生徒は部活やら何やらでおらず、教室で二人っきりだ。
誠次が香月に勉強を教えている理由は、香月からの提案だった。
四月に行われた座学のテストにおいて、香月は魔法学以外は軒並み平均点かそれ以下。一方で魔法学だけは百点満点で誠次はおろか、学年トップの成績だった。
「やっぱ呑み込みは早いな」
「勉強は思ったより楽しいし、天瀬くんの教え方が上手なだけよ」
「あ、ありがとう……」
「どういたしまして」
「……」
相変わらずの感情の少ない香月の言葉使いであったが、それでも感謝されるだけで少々嬉しく思ってしまうのは、もう末期なのだろうか。
――と、昼休みなども香月と一緒にいる時間が増えていた。悪い気はしないので、良いのだが。
「お待たせー」
がらっと教室のドアを開けて入って来たのは、購買の袋を片手に持った桜庭莉緒だった。
黒紫色の髪に添えられた可愛らしい花の髪留めと、明るい笑顔が、勉強で疲れた身体には良い意味で沁みていた。
「勉強お疲れ天瀬、こうちゃん」
がさごそと桜庭は袋からお茶と紅茶を取り出し、誠次と香月の前にそれぞれ置く。
「ありがとう桜庭」
「ありがとう桜庭さん」
「いいっていいって。それより、勉強は捗ってる?」
自身もミルクテイーをストローで吸いつつ、桜庭は誠次の横の席にぽんと座った。
「ああ。やっぱり覚えるのは早い」
誠次がお茶の入ったチューブを振りながら答える。
「いやぁ、しっかし暑いねー!」
話題転換の為か、元気な声でおっさんみたいなことを桜庭は言いだしていた。
「ああ、確かに暑いよな……。参った……」
桜庭の言葉に、誠次は頷いていた。
何せよ今日はなぜか本当に暑いのだ。冷房装置が壊れているんじゃないかと疑いたくなるほどで、汗も滲んできていた。
「冷房本当についてるのかな?」
言うが早いか、桜庭は廊下側の机の椅子の上に立つと、伸びをして冷房設備の作動確認をしていた。
冷房機のファンに手をかざしているだけだが、ただでさえスカート丈が短いので、見えてはいけないものが見えそうになっている。
「む……」
誠次の脳内会議で本能(意地でも視線を逸らさない)と理性(紳士的に視線を逸らす)がバトルを繰り広げた結果、理性が辛勝し、どうにか誠次は香月の方に視線を向けた。
「は!?」
向けた途端、誠次はぞっとした。
「ちょっと待て香月! なんで氷結属性の魔法式を展開しているんだ!?」
香月は水色の魔法式を展開していた。
「暑いから、冷やすため」
しれっと、香月が言い放つ。
「もれなく俺が皆に謝罪するはめになるからやめるんだ!」
教室中が凍土となり、誠次が平謝りをする未来しか待ってはいない。案の定、その未来で香月は《インビジブル》で上手く逃げおおせている。
「そう……」
残念、とでも言いたげにしゅんとなった香月は魔法式を途中で解除する。構築途中の魔法式は途中で手を離すと、虚空に消えていった。
「今ので、一瞬ひやっとはしたけど」
ひとまず安心したが、暑いのは変わらず。誠次はワイシャツの胸元をくいと持ち上げ、風を送り込んでいた。
「うー……暑い……。干からびる……」
桜庭もぐったりと机に突っ伏してしまっていた。しおれた姿はまさに枯れた花のようだ。
「室内なのにこの暑さはなんだか異常だよな」
誠次は訝しく周囲を見渡して言う。こうなったら早く寮室に戻って涼みたいものだが。
「全員で水着になる、とか」
香月があごに手を添え、しれっと言ってきた。
「放課後の教室で水着の男女三人組って、もう相当な手遅れだからな……?」
「水着は水があるところで着るから水着なんだよこうちゃん……」
誠次と桜庭が慌てて香月の言葉を正していた。桜庭の言っていることが正解なのかどうかは、さておいて。
「暑すぎるー……」
「暑いよね……」
「暑いわね……」
誠次、桜庭、香月の三人とも、一体なんだろうなと思っていると、閉まっていた教室のドアが唐突に開いた。さきの桜庭の時は違って、豪快な音を立てて。
「やあっ!」
まるで「呼んだかい!?」とも聞こえそうだった。
風に靡いた、三学年生カラーの制服を着た人物が、熱の発生源だった。
「「生徒会長!?」」
誠次と桜庭が同時に驚く。
元気の良い掛け声とともに、1-Aの教室にやって来たのは、ヴィザリウス魔法学園の生徒会長、兵頭賢吾だった。
はもった恥ずかしい、など考える間も、兵頭は誠次をじっくりと見つめて来る。
兵頭の岩のようなごつい顔立ち。そして全身から迸る熱血オーラに身体を撫でられたようで、誠次は慄いていた。
実に、この距離では初対面である。
「その通り! この俺がヴィザリウス魔法学園の生徒会長、兵頭賢吾だっ!」
ダニエルに近いようで、近くないような人だなと、誠次は思った。熱い、とにかく熱い。
「は、初めまして天瀬誠次です……」
「さ、桜庭、莉緒です……」
誠次が言い、桜庭がそれに続く。だが、香月は一言も喋らなかった。
「あれ、こうちゃんは?」
小声で桜庭があたりをきょろきょろと見渡しているが、どうやら香月はいつの間にかに《インビジブル》を発動しているらしい。その証拠に、香月は何食わぬ顔で椅子に座ったままだった。それがやはり桜庭と兵頭には見えていないようで、
(なにかの危険を察したわ……)
兵頭を眺め、あながちその判断は間違っていない香月だった。
「゛紅茶゛? まあいい。天瀬誠次少年!」
「はっ! ……いえ! はいっ」
大声で名前を呼ばれ、反射的に軍人のような返事を誠次はしていた。
「天瀬に用なのかな……?」
桜庭が誠次の背中に隠れるようにして来る。そして桜庭は誠次の背中に手を添え、遠慮がちに兵頭を見ていた。
「そうだ! 生徒会執行部室に来ないか!?」
兵頭は直立する誠次を真っ直ぐに捉え、言ってきた。
「お、俺が、ですか?」
生徒会執行部室。その名の通り、ヴィザリウス魔法学園の生徒会の活動拠点だ。そこに呼ばれる理由はわからず、誠次は確認の為に訊き返す。
「ああ! 桜庭莉緒少女も来るか!?」
も、と言う事は、もうこちらが行く事はどうやら確定しているらしい……。
「え、あたしも良いんですか……?」
桜庭は困ったような表情だ。
「構わない!」
兵頭はうむと頷く。
「……どうするの天瀬?」
いまだ兵頭に怯えているのか、そっと耳元で桜庭が尋ねてくる。
「どうするって……」
生温い息がかかった妙な感覚が誠次の緊張を解したが、それも一瞬のこと。
「お、俺は、行きます……」
兵頭のように学園内の先輩など、誠次にはまだ怖いイメージしかなかった。過去にも経験した、先輩に対する負のイメージが、どうにも拭えないのだ。なので、これは従うしかない命令なのだと自己完結する。
「そう緊張しなくてもいいぞ? 誠次少年」
「二つ上の先輩にフランクになれる自信はありません……」
「なるほど確かに! それもそうかっ!」
誠次が言った言葉に、何故か兵頭は満足げに頷いていた。
「……」
誠次がそんな兵頭をじっと見ていると、
「あ、じゃああたしも行き……ます」
桜庭が控えめに声を出した。
(ど、どうして……!?)
無理しているとしか思えず、誠次は桜庭を見ていた。
(……)
一方、じっと黙ったままの香月は、どこか不満そうな顔をしているようだった。
ヴィザリウス魔法学園、生徒会執行部室は六階建ての委員会棟の最上階にある。
五階と六階を繋ぐ通路階段まで、誠次は兵頭に連れられてきた。
「こんなところまであたし初めて来る」
誠次のすぐ後ろから、桜庭が通路を見渡してほわーっと呟く。
(……)
その更に後ろからは、香月までも《インビジブル》を発動したままついて来ていた。
「薄暗いですね」
普段使っている学科棟や寮棟の通路とは違い、どこか重々しい雰囲気を誠次は感じていた。
「この委員会棟は普段、各委員会の会議に使われている棟だ! 誠次少年は学級委員の集合で来たことがあるだろう!?」
「はい。俺が学級委員だと知っていたのですね……。俺たち学級委員が使うのは一階だけですから、ここまで来たことはないです」
「そうか! 俺は子供の頃の秘密基地を他人に知らせるような気分でわくわくしているぞ!」
「はぁ……」
わくわくしている兵頭の一方で、どきどきしている誠次である。
兵頭は制服の胸ポケットから、自身の顔写真が張られている学生証を取り出していた。
「ここから先は、生徒会メンバーと限られた者のみしか入れない間だ! 莉緒少女の言う通り、一学年生が来ることは滅多にないな!」
兵頭が説明をする。
「なんか、本当に秘密基地っぽいですね!」
桜庭があたりを見渡しながら言う。
「そうだろう!? 莉緒少女!」
「秘密基地っぽい? なんだ、秘密基地っぽいって……」
誠次は前を歩く二人を見てぼやく。
確かに少し薄暗く、それでいてヴィザリウス魔法学園の白亜の通路だ。特撮やドラマの撮影に使われそうではある。もっとも、それが秘密基地っぽいに繋がっているかどうかは別なのだが。
階段前にあった装置に兵頭が学生証をかざせば、ロックが電子音を立てて解除。階段と通路の境目にあった扉が開いた。
「この先だ! すでに中には役員全員がいる!」
理事長室を彷彿とさせるような、重厚そうな二枚の木製扉が、生徒会執行部室の入り口だった。
「うわ……っ」
焦げ茶色の扉の前にして、心臓が凄い勢いで鳴っていた。
兵頭が扉を開け、誠次は導かれるように入室する。
「……」
文化部の部室そのまんま。それが生徒会執行部室を見渡して思った感想だった。
広さはそれなりで、普段使うような教室一つ分以上はある。窓の外から射し込む午後の日差しは明るく、思っていたよりもあか抜けた感じのする部屋だった。
(兵頭のイメージではない)アロマらしき仄かな香りを鼻に覚えつつ、誠次と桜庭と(誠次以外には姿は見えない)香月は、生徒会執行部室に入室する。
「いらっしゃいー」
気の抜けるような挨拶で、誠次たちは迎えられた。
「初めまして」
兵頭ではない、爽やかな声の男子生徒が何やらトレーを持って出迎えていた。ワイシャツネクタイの色は緑色なので、二学年生の生徒会役員だろうか。細身の身体に、短いベージュの髪をしている。軽く笑っていたので、印象は良かった。
「俺は2-cの長谷川翔。役職は会計。魔法実技試験の時、君のクラスメイトの夕島くんと戦ってたんだけど、覚えてるかな?」
桜庭まで来るとは思わなかったのだろうか、二年生の先輩はこちらと桜庭を交互に見つつ、自己紹介をしてきた。
「天瀬誠次です」
申し訳ないですけど全然覚えていませんっ。すいませんっ。
そう誠次が答えに困っていると、兵頭が室内を歩きながら「夕島? そうか弟か」と呟いていた。
「桜庭莉緒です」
桜庭が続いて頭をぺこっと下げて、自己紹介をしていた。
「わーほんとに剣持ってる!」
続いて女の声がしたと思えば、ピッ、と写真を撮られる音がした。
「なっ!?」
音とフラッシュの光に驚いて思わず誠次が身構えていると、長机を挟んで二学年生の女子生徒が笑っていた。手元には小型の電子タブレットが握られている。
「ごめんごめん珍しかったからさ。私は相村佐代子。一応書記やってます」
手を挙げて名乗った相村の全体像を、誠次は見る。
軽い化粧をしているのかまつ毛はパッチリとしており、明るい色の髪はシュシュで纏めたボリュームあるものだった。スカート丈はとても短く、椅子に座っていると綺麗な脚線美が覗く。
どこか桜庭と似て非なるものがあり、誠次は桜庭と相村を見比べていた。
そうして桜庭と目が合うと、こちらを非難するような表情をされた。
「もう。あたしとは違います!」
「分かったのか!? す、すまない……」
桜庭がぼそっとつぶやけば、誠次は謝罪の意を込めて軽く笑っていた。
相村に再び視線を戻すと、
「なん歳?」
「? 一つ下なので一五です」
誠次の返答に、相村はどこか意味深に笑う。
「ふーん。にしては、結構経験豊富そうじゃん。大人びてるって言うか何て言うか――」
誠次をじっと見つめ、相村は言う。勘で言っているのでなければ、読心術でも身に付けているかのような指摘だった。
何者なんだこの先輩、と誠次が少し警戒したところで、
「――でも、女の子の経験は無さそう。今度お姉さんがいろいろと教えてあげよっかなぁ?」
マニキュアを塗ってある指を妖しく交差させ、相村は楽しそうに笑っていた。
「は、い、え……」
誠次は生返事をしていた。ある意味、警戒を解くわけにはいかない人だっただけであったようだ。
「こら相村。下級生をたぶらかすな」
長谷川がやれやれと注意し、何とかなった。
「べつにたぶらかしているつもりは無いんだけどなー、翔ちゃん」
相村はいたた、と言うような顔を作って見せ、誠次に軽く手を振っていた。
「天瀬」
心なしか冷たい桜庭の声が無ければ、誠次は誠次で我に返るのが遅れるところだった。
「……っと、俺を生徒会室に呼んだ理由はなんなのでしょうか?」
「また会長はなんの説明もしないで強引に連れて来たのですか」
呆れ声であるが、鋭く響く新たな女性の声だ。
部室の奥の方に座っていたのは、鋭い眼差しが印象的な三学年生の女子生徒だった。深い紫色の長髪に、きっちりとサマーベストを着こなしている。
顔立ちは整っており、イメージで言えば、それこそ生徒会長にピッタリな凛とした佇まいだった。
「人聞きが悪いな桐野副会長! 承認の上だ!」
兵頭が反論を返す。
「論点がずれていますね。天瀬くんをここへ呼んだ理由を説明しなければならない、と私は言ったのです」
桐野は鋭い視線そのままで、兵頭に言う。
続けて桐野は頭を軽く下げ、
「申し遅れました。私は桐野千里です。クラスは3-Fで副会長を務めています」
「あー以上が、ヴィザリウス魔法学園の生徒会メンバーだ!」
兵頭が桐野の言葉を遮る勢いで、誇り高く宣言する。今の一連の流れで、生徒会長と副会長の゛ねじれ力関係゛が見えた気がした。
そして、生徒会メンバーを見渡しつつ兵頭は、
「中々個性的な面々だろ! そうだろう!?」
「「「「「「……」」」」」」
兵頭の言葉の終わり、香月も含めてこの場の全員の視線が一斉に兵頭に向かう。
僭越ながら代弁すると、アンタが言うな、と言いたげな視線だった。




