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魔法世界の剣術士 上  作者: 相會応
気持ち新たに
41/211

1

 時刻は午前。一時限目の授業開始前。

 高層ビルの高さに匹敵する中央棟の八階にて、天瀬誠次あませせいじは理事長室に入室していた。


「天瀬誠次です。お久し振りです、八ノ夜はちのやさん」


 すでに理事長室にいた二人の気配を感じたのは、そこへ足を踏み入れた直後であった。

 一人は八ノ夜美里はちのやみさと。実に二か月振りに会う八ノ夜は、理事長室の長机を挟んで黒革の椅子に座っていた。スタイルが強調される理事長制服にちゃんと身を包んでおり、最後に会った時の私服とは違い、きりっとした印象を受ける。

 そしてもう一人は、黒スーツに胸元のバッジ――特殊魔法治安維持組織シィスティムの見知らぬ男であった。背丈は高く、ダニエルに比べると劣るがそれでも筋肉質な身体つきがスーツ姿と似合っており、男は理事長室に入ってすぐ左側に立っていた。


「どうも」

「はい……」


 男と目が会い、互いに小さく会釈をする。


「本当に久し振りだな天瀬」


 他人行儀な返答で、八ノ夜は軽く口角を上げていた。


「始めましてだね天瀬誠次君。私は特殊魔法治安維持組織シィスティム佐伯剛さえきつよしと言う者だ」


 佐伯はそう言うと、大きな右手を誠次に差し出して来た。こちらを見る目元は優しく、誠次もどこか安心して挨拶を返す。


「始めまして、天瀬誠次です」

「うん……」


 そしてこちらと初対面の者ならば誰もが通る道である、背中の剣を見る行為をしてから、佐伯は手を引いた。


「では、聞かせてもらおうか」


 八ノ夜から早速、今回の目的でもある行為を促された。


「はい」


 空咳をしつつ、誠次は八ノ夜の方を向いた。


「あらかたの話は聞いているとは思いますが、林間学校中の夜、自分はレ―ヴネメシスを名乗る男と交戦しました。男の名前は奥羽正一郎おうばせいいちろう。同じクラスの香月詩音こうづきしおんさんを人質に取り、自分と剣を使った戦いを仕掛けてきました――」


 剣を使った戦いと言ったところで、八ノ夜の眉毛がピクリと動く。


「その後、二体の゛捕食者イーター゛と交戦し、香月こうづきさんを救出しました」 


その後、誠次は全ての経過を説明し終える。


「傷は治ったか?」

「安静は必要ですが、取り敢えずは」

「なら良かった」


 八ノ夜から椅子に座るよう促されたが、誠次は首を横に振っていた。


「理事長。この学園のクラスメイトがテロに狙われました。警備の強化をお願いしたいです!」


 言い終えた誠次は、軽い一礼をして一歩下がった。


「……」


 八ノ夜が考える仕草をしていた。

 横の佐伯も「む」と唸っていた。


「偽名である可能性もありますが、調べてみる価値はあるでしょう」


 誠次の背後にいる佐伯の進言に、八ノ夜は「頼む」と頷いていた。


「どうだったかい? 奥羽と名乗った男は強かったか?」


 佐伯が表情をほぐし、訊いてくる。ずいぶんと子供のような言い回しだと誠次は感じたが、左手の薬指で光る銀色の指輪が、その理由か。


「はい……。失礼かもしれませんが、影塚かげつかさんよりも強かったです……」


 影塚も並外れた才能を持つ魔術師だ。特殊魔法治安維持組織シィスティムではトップの成績を誇っている。それでも、夜の森で戦った奥羽は規格外の強さを誇っていた。人離れした、化け物染みた恐ろしさもある。


「動きが見えなかったと言ったが、魔法によるものか?」

「いえ……そこまでは分かりませんでした。敵の攻撃を受け流すのが精一杯で……」


 結果、腹に一発喰らったが。誠次は自分の腹部を見据えてから、首を横に振って答える。


「どう思う、佐伯?」


 八ノ夜が腕を組み、佐伯に目線を送る。


「信じます。これより特殊魔法治安維持組織シィスティム本部に掛け合って、人員を交替で警備にあたらせたいと思います。同時に警視庁の方にも協力を要請して、魔法学園のみならず、全国で警備強化を図ります」

「アルゲイル魔法学園にも頼むぞ」


 アルゲイル魔法学園。大阪にある日本のもう一つの魔法学園だ。


「分かりました」

 

 真剣な表情の佐伯と八ノ夜との間で交わされる会話を聴きつつ、誠次は確かに緊張を感じていた。

 ふと、八ノ夜が俯いているように見えた。


「……学園が物騒になるのは本意ではないが、生徒の身の安全には代えられないしな……」

「物騒? 安心してください。生徒の学園生活に支障をきたさない程度にしますよ」


 佐伯は得意げに言ったが、八ノ夜の表情は浮かないものだ。


「ああ。頼んだ」 


 テロの危機が迫っている以上、学園は安全であることに越したことはないはずだが。どうにかと感じる間を置き、八ノ夜はにこりと笑ってみせた。


「天瀬誠次君」


 八ノ夜との会話を一通り終えた佐伯は、直立していた誠次を見ていた。


「はい」

「協力、感謝するよ」

「! 特殊魔法治安維持組織シィスティムの力に少しでも成れたのでしたら嬉しいです。こちらこそ、ありがとうございました!」


 思わず敬礼をしてしまいそうになった手を引っ込め、誠次は表情を明るくして言った。


「じゃあまた会おう天瀬誠次くん。失礼しました」


 佐伯が手を挙げて、理事長室から退出して行った。

 誠次が軽い会釈をし、八ノ夜が片手を挙げ、佐伯を見送る。

 途端――。


「天瀬ーっ!」

「ぬわっ!?」


 八ノ夜美里はちのやみさとが勢いよく飛び掛かって来たので、誠次は悲鳴を上げて逃げた。


「二か月間……やっとだ。会いたかったぞ天瀬!」


 細い指をワキワキしながら、逃した誠次を見る八ノ夜。

 先程までの凛とした姿はどこへやら、ただの変態と化していた。他の人がいなくなった途端、コレである。


「中毒症状みたいですよ……。会いたかったのは自分もです」

「な、に」


 心底嬉しそうに、なんと八ノ夜は頬を赤らめてくる。


「顔赤くしないでくれませんか!? きたいことがあるんです!」


 どうやら勘違いされたようで、誠次は慌てて腕を振っていた。理事長と生徒と言う立場は何処へやらである。


「エンチャントについてです」


 呆然とした気分を呑み込んだ誠次は、背中の剣を鞘を付けたまま手に持ち、そのままそれを机の上に置いた。

 音を立てて置かれた剣を見た八ノ夜は、なにか問題でも? と首を傾げていた。


「まず何よりも、この剣にエンチャントを行った女性の様子が、おかしくなるんです」


 誠次は少し顔を赤く染め、言い辛そうにだが言い切る。


「おかしくなる? 具体的にはどうなるのだ?」

「……」


 誠次はずぶとく八ノ夜をじーっと見つめた。

 八ノ夜はきょとんとしており、首を傾げている。


「それは、なぜか……嬉しそうに、気持ちよさそうにする、と言いますか……」

「嬉しそうに気持ちよさそうにする?」


 感情豊かに目を点にして驚く八ノ夜。わざとらしいと言えばわざとらしいが、本当に驚いていると言えばそうだとも頷ける。


「は、はい。そして次に、エンチャント中には自分にも魔法の力が干渉していると思うんです。具体的には、剣を使って魔法が使えるようになると」

「魔法が使えるようになるのか?」


 八ノ夜は背筋をぴんと伸ばし、腕を組んで考える素振を見せていた。


「いえ厳密には違うと思います。例えば香月こうづきさんのエンチャントを受けた時には、時間が停止した世界が見えるような感じがしました。一方で篠上しのかみさんのエンチャントを受けた時は、空中に足場を作れる。二人の効果は違くて、つまり、限定的な効果を得られているんです」


 一方で桃華とうかの場合は、剣の形状が変化した。

 それでも、目の色が変わっていたと言われたあたり、例外なく魔法が干渉しているのだろう。


「時間……空中……。二つとも聞いたことがない魔法だな」


 置かれた剣に視線を注ぎ、あごに手を添えて八ノ夜はうなる。 


「本当になにも知らないんですか?」

「知らないな」


 八ノ夜の真面目な顔を見るに、どうやら本当に何も知らなかったようだ。

 しかしこれではらちが明かず、誠次は質問を変えることにした。


「では、この剣は一体どこから?」


 自分で言っていてもかなりおかしな質問だと思ったが、誠次は呑み込む。漆黒の刀身が、部屋の白い光を反射していた。


「内緒だ」

「ですが、もしこれでエンチャントしてくれる人の身に何かあったら……!」

    

 誠次が思わず声を荒げる。

 八ノ夜はこちらを落ち着かせる意味も込めて、深いため息をついていた。


「気難しいな。今まで何かあったか? むしろ私は活躍しか聞いていないぞ?」

「それは……」


 一方で八ノ夜の言う通りでもあった。

 誠次は自分の剣を見つめる。

 香月を守り、桃華を救い、篠上と共に戦った。これらは全て、目の前の剣が無ければ出来なかったことだった。――無論、この剣の所為せいでのトラブルも発生しているが。


「そうですが……」

「エンチャントをしてくれた人はなんら問題はないのだろう? ならいいんじゃないか? いずれにせよ、お前にはこれしか方法がないんだから」

「……はい」


 釈然としないままであったが、これしか戦える方法が無いことが、魔法が使えない誠次には身に染みて分かっている。そして香月や桃華、篠上のエンチャントによる絶大な効果。今日の確認で本当に害が無いのならば、これからも使い続けるつもりだった。

 そして、答は決まりかけていた。


「どれ、私もやってみようかな」


 気づけば剣を見つめる八ノ夜が、面白そうに言っていた。


「え……」


 誠次は思わず身じろぎしていた。

 八ノ夜本人のエンチャントは、見たことが無かった。


「フ、冗談だ。顔が赤いぞー天瀬?」

「変なこと言うからですよ」

   

 動揺を隠すように髪をぽりぽりと掻き、誠次は言った。


「ともかく、お前が無事でよかったよ。さすが私が鍛えただけはある」

「……俺も、みんなを守れてよかったです……」


 久しぶりに会ったいつもの八ノ夜の姿にどこか安堵を感じつつ、誠次は理事長室を後にした。

 

 六月三〇日。――林間学校から、五日が経っていた。

 ヴィザリウス魔法学園の冷房設備はどこもかしこも稼働し、外では夏の太陽が燦々さんさんと輝いている。


「このように、゛捕食者イーター゛には姿形に違いがあることから、個体の存在が確認されている。注意しなければならないのは、奴らは身体の一部を自由に変形することが出来るってとこだ」 


 魔法学担当教師である、はやしの講義が1-Aの教室で行われている。事件の件は林も知っているはずだが、なにもなかったかのように淡々と授業は進む。


「――とまあ゛捕食者イーター゛に関して色々と説明したが、ぶっちゃけ俺はこの授業は嫌いだから、もう締めるぞ」

「おいおい……」 


 八ノ夜との会話も終わり、誠次せいじは真面目に授業を受けていた。


 四時限目の終わり、六〇分間の休み時間。ヴィザリウス魔法学園の購買の中にて。


「なあ、林間学校の仇とらねーか天瀬あませ?」

「林間学校の仇!? 危険だ志藤!」

「は? なにが?」

「とにかく今は大人に任せよう!」

「いやなんのことだよ!?」

「うるさいんだけど」

「「はいすいません……」」

 

 購買での勘違いのやりとりに、他クラスの女子から冷たい視線を向けられていた。志藤はこの学園に来てすっかりお気に入りのカップラーメンを、陳列棚からとりながら、


「本題に戻るぞ……。お前そういや寝てたもんな?」

「? 」

「いいか? 俺はあの悲しい林間学校の夜を忘れはしない――」


 あっ、このおにぎり、美味そう。

 

「――ってなわけでだ、プールだ天瀬あませ。この学園プール授業ないし、みんなでプール行こうぜ」

「あ、ああ……。なんだプールか。じゃあ帳と小野寺おのでら夕島ゆうじまを誘おう」

「お前絶対に話聴いてなかっただろ!? ……女子も誘うんだよ」


 最後の方は恥ずかしかったのか、さすがに小さく掠れた志藤の言葉だった。


「女子と!?」

「おい! 声大きいっての……」

 

 誠次は咄嗟とっさに辺りを見渡し、バツが悪い顔をしていた。


「わ、悪い。でも女子とプールだなんて、無理じゃないか……?」


 誠次は大声を誤魔化すため、おにぎりをとっては棚に戻すと言った謎行動をしていた。


「いいや、俺にはわかる。今年は違う!」


 志藤は指を立て、うんうんと頷いて来る。

 しかし、誠次も誠次で、林間学校で志藤に貸しがある。ここは、乗るべきだろう。

 

「気分転換だ! 俺たちは青春を生きる高校生だーっ! 平和万歳ーっ!」

「お、おう……! 平和が一番っ! 女子をプールに誘うぞ!」


 購買の中で平和と青春を叫ぶ男子二人。


「……」

「……」

「……」


 案の定、購買にいた他の生徒に白い目で、じろじろと見られてしまっていた。

 


「これは、難しいぞ……」


 ――そして、六〇分の昼休みの最中。

 先程までの気合いはどこへやら、誠次せいじは学科棟の通路を気難しい顔で歩いていた。

 

「この組み合わせ……志藤……あのなぁ……」


 ミッションとして、今日中に誠次は夕島、香月こうづき篠上しのかみをプールに誘わなければならなくなった。一方で、志藤は帷、小野寺、本城ほんじょう桜庭さくらばだ。


夕島ゆうじま? 昼休みは図書館かな? 教室にはいないよ」

「そ、そうか……」


 盛大に出鼻をくじかれた誠次。

 通路にて、同じクラスの少しぽっちゃりした男子生徒、三ツ橋みつはし愛嬌あいきょうのある笑顔で、夕島の不在を教えてくれた。

 誠次はどうしたものかと、耳元をかく。  


「わかった。教えてくれてありがとう三ツ橋」

「構わないよ。また俺に何でも訊いてくれ。なんせ俺は、ヴィザリウス魔法学園で一番の情報通だからね。もちろんお金は要らないよ。なんせ俺は――」


 夕島とは寮室で会えるので、今はまだ大丈夫だろう。どちらにせよメールでいい気もしていた。


「じゃあな三ツ橋」

「もっとも、俺にもわからないことはあるさ――」

「……じゃあ」


 何やら一人で得意げにしゃべっている三ツ橋を後に、誠次は教室へと向かっていた。教室ではクラスメイトたちが机を移動して、すっかり昼食タイムだ。


「あ」 


 誠次は教室内にて、おそらくこんミッション最高難易度を誇ると言っていい相手を見つける。


綾奈あやなちゃん料理上手だねー」

「そ、そうかな……」 

「頂きますっ」

「ちょっと千尋ちひろ! もー」


 言葉の割には楽しそうなのが、篠上綾奈しのかみあやなだ。篠上は本城ほんじょうと他の女子と一緒に、班みたいに机を並べて、弁当――作る為の簡易的なキッチンが寮室にはある――を食べていた。

 

(いやあの中に突撃するのはキツイな……)


 仮にあの女子の中に突撃して、もし断られたりでもしたら、一生癒えない傷を負いそうであった。

 篠上は女子友達とお喋りのかたわら、箸を使って行儀良くおかずを口に運んでいる。


「……え」

「……あ」


 誠次が腕を組んで悩んでいると、篠上と目が合い、向こうからぎこちなく目線を逸らしてきた。林間学校でのあの一件以来、誠次と篠上はこんな感じだった。どうであったとしても、仕方はないのだろう。

 ひとまず、篠上は後として、


「なら……っ!」


 香月であったが、


「……。……香月って、昼休みどこにいるんだ……?」


 前に姿を消す《インビジブル》を使って食堂の飯をつまみ食いしていた時は注意したので、もうやってはいないとは思うのだが。

 香月がいつも座る窓際の席は空いており、誠次は途方に暮れていた。


 五時間目の現国が終わり、再び十分間の昼休み。

 食後の一番眠くなる時間帯もあってか、前の席の志藤は机に突っ伏して昼寝をしていた。


(呑気だな……もう誘い終わったのか?)

 

 ジト目の誠次は窓際の席へ、視線を向けた。

 香月詩音こうづきしおんは窓際の席から今まさに立ち上がり、またどこかに行こうとしている。

 チャンスは今しかないと思い、誠次は香月の元へ歩み寄った。


「香月、身体は大丈夫か?」


 急に声をかけられたことに驚いたのか香月は、一瞬だけ身体をびくっとさせていた。


「……ええ」

 

 香月は再び着席し、頬杖をついて窓の外に視線を向けていた。どうやら会話をする気はあるらしい。思えば、ここ五日間まともに話せていなかった気がする。


「昼休みはどこ行ってたんだ?」

「……屋上」


 誠次と目線を合わせず、窓の外を眺めたままの香月は小さな声だった。


「どうして?」

「学校で悩みごとがあれば、生徒は大抵屋上に行くものでしょう?」

「……いやそれ漫画や小説の読みすぎだ」


 影響され易いなと思いつつも、聞き捨てならない言葉を香月から聴いていた。


「テロのことか……」


 誠次は香月の前の席に座った。席の主はどこかに行っているようだ。

 

「……ええ」


 香月は、白い眉間にしわを寄せていた。


「私の所為せいで、あなたと篠上さんを危険にさらした。ごめんなさい……」


 窓から視線を外した香月は続いて、休み時間を楽しげに過ごしているクラスメイトたちを眺めていた。

 その綺麗な横顔は、楽しんでいるクラスメイトを何処か遠い物のように、見据えていた。私はここにいちゃいけない、とでも今に言いそうで。

 

「テロの狙いは俺だった。香月はエサにされたんだ。……最近、そんなことを屋上で考えていたのか?」


 このもやもやとして、何故なぜか鼻につく感じ。自分の存在価値を決め、自分で苦しむ姿。

 誠次ははっとなっていた。

 

(……ああ……。そう言う、ことなのか……)

 

 おそらく、今はさっきまでの志藤と同じ気分なんだろうなと誠次は思った。


(なるほど。確かにこれは、放っておけなくなる)  

「ええ」


 やはり羨ましそうに香月は、賑やかなクラスメイトたちを眺めていた。

 誠次は、探るような視線で、


「春の夜。初めて会った時、誰かに゛捕食者イーター゛を倒せと言われていたって、言ってたよな? テロリストに言われたのか?」


 香月ははっとした表情で、誠次を見つめた。


「よく覚えてたわね。そんなこと」

「忘れる方が無理なことだ」


 誠次は真剣な表情で、香月の両目を見つめ返す。

 香月は少し考えた後、視線を下へ向けながら口を開いた。


「……誰もいないわ。……レ―ヴネメシスの偉い男の人にはそれを言われた記憶があるのだけど、あの夜はあくまで自分から夜の外に出たの」

「何だって……?」

「ええ。みんなが安心して暮らすためには、この世から゛捕食者イーター゛を失くすのが一番でしょう?」

「そんなの……! ……っ」


 そうか、やはり同じだったんだなと、誠次は痛感していた。――そんな自分がこの娘を責める資格など持っていないはずなのに、それでも誠次は無性に腹が立ってしまった。


「だから私はこの身に与えられた力で戦う。私が魔法の才能に優れていると言うのなら、゛捕食者イーター゛を倒すのが私の役目だと思うから」


 机の上に乗せた右手を強く握り締めながら、香月は何かを切り捨てるように言っていた。

 誠次が見た香月の右手は、小刻みに震えているようであってならなかった。


「確かに゛捕食者イーター゛は憎い仇だ……!」


 これにとうとう我慢できず、誠次は口を開いていた。゛捕食者イーター゛が家族を殺し、今も無差別に多くの人間を喰っている敵であることは変わらない。人の誘拐を繰り返し、夜を取り戻す為でも人を犠牲に戦い、自分たちを正義だと自称しているレ―ヴネメシスも、その存在を許したくはない。

 ――ある意味、奥羽おうばはそのテロの異常性を教えてくれた反面教師だったか。


「気を悪くしたらごめんなさい。でも、お互いの気持ちなんて、理解できないわ。ましてや、私とあなたなんて、正反対だもの……」

「それは……」

「もう、良いかしら?」


 いつにも増して棘のある香月の発言は、もうこれ以上会話を続けるのを拒んでいるようだった。


「――いや、悪いけど駄目だ」


 ひるみはしたが、誠次はすぐに真剣な表情に戻る。 

 香月は一瞬だけ驚いたようだが、すぐに感情を殺していた。

 せっかく林間学校で明るい表情を見せ始めてくれたのだ。それを自分から捨てさせたくはなかった。それに――なんだかんだ香月のシュールなギャグは、誠次にすればツボだった。


「同じだ。俺も人生を゛捕食者イーター゛に滅茶苦茶にされた。でも、不幸なんかじゃない。この学園に来れて、友達も沢山できて良かったと思っている。香月とも会えて……。上手くは言えないけど、この気持ちを、香月にも知ってほしい。押し付けかもしれないけど、知ってくれれば、香月もきっと考えが変わってくれると俺は思う」


 必死に、誠次は言葉を紡ぐ。


「それに、誰も香月がここにいちゃいけないなんて言ってないだろ?」


 周囲を見渡してから、誠次は言った。


「この学園の理事長を始めとして教師たちは、どういうわけか魔法が使えない俺を生徒として認めてくれているんだ。そんな俺なんかよりもずっと、魔法が使える香月の方が居てほしいと思わないか? 魔法学園なんだからさ」


 肩を竦め、軽く自嘲の笑みを見せて誠次は言った。

 香月は下げていた顔を上げ、誠次をじっと見つめて来た。


「……」


 誠次は身体中に熱を感じていた。汗も出て来そうな勢いだ。


「頑張って私の機嫌をとろうとしてくれているけど、うまく言葉が見つかっていないみたい。でも、嬉しいわ」


 香月はそう言うと、視線を誠次から逸らす。

 日の光に当たるその表情は、誠次にはとても眩しくて、綺麗だった。


「冷静に分析しないでくれ……」


 いつも通りの辛辣しんらつな香月の態度に、誠次は苦く笑っていた。

 

「よ、よし。じ、じゃあ気分転換もかねて、明後日あさっての日曜日だけど、皆でプールに行かないか? こういう時こそ、テロなんかに負けないよう、楽しむんだ」


 甘噛みに甘噛みを重ね、誤魔化すように視線をあちらこちらに送りつつ、誠次は切りだした。爽やかに、良い流れのままプールに誘おうとしたのだが、実際問題香月と言う少女を前にしたら自分でも気持ち悪いほどしどろもどろになってしまっていた。

 

「え、プール?」


 香月は首を傾げていた。 


「プール知らないのか? 説明は少ししづらいけど、水を泳いだりして遊ぶんだ。楽しいとは思う」

「水を泳ぐ? それって楽しいの?」

「えっと……。ほ、他にもあるんだけど、なんかやっぱり説明しづらいな……」


 誠次は必死に身振り手振りを交えて言う。

 想像したのか香月はほんの一瞬だけ顔色を良くしたが、すぐに何かを思い出したように俯いてしまう。

 

「でも私が行くと……」

「おいおい、いつものよくわからない自信はどうしたんだ? 形はどうであれ、辛い過去を持つのはお互い様だろ? だから頑張って一緒に乗り越えよう」

「……」

 

 顔を上げた香月の表情が、優しく微笑んでいるようには見えた。

 ああ。この顔の香月詩音こうづきしおんは、とても綺麗で美しく、可愛いと思う。失わせるには、あまりにも勿体のないものだ。


「ありがとう。私も行きたいわ」

「ああ。こっちこそありがとう。……もう屋上で悩むなんてべたな真似はよせよ?」

「そうね。心配かけて、ごめんなさい」

「いいんだ。桜庭とかにも、プールの事は聞いておいてくれ」


 誠次はグーサインで、答えていた。


 六時限目の授業も終わり、放課後から少し経っていた。

 西日が射し込む学園の中庭を歩きながら、誠次は弓道場へと向かっていた。夕方も地味に暑いのが、この季節である。

 

「説明をして、プールに行く約束をすれば良い……。そう、これは簡単なことだ……」


 誠次は念をじるようにそう自分に言い聞かせているが、今のところ効果はない。

 弓道部の活動場所である由緒正しそうな見た目の弓道場が視界に入り、誠次の足取りは重いものとなっていた。

 篠上綾奈。手強い相手だと、誠次は腹に力を込める。しかもこの状況、まるで剣を持った男が弓道部へと道場破りに行く構図である。明らかに普通の学園の光景では無い。

 

「ち、ちょっとあんた! なんでここにいるのよ!?」


 その声は、突然聴こえた。

 はかまに似た、白い弓道着に身を包んだ篠上が立っていた。夕焼けに照らされる凛とした姿だったが、若干頬に赤を滲ませた顔はこちらを見て驚愕している。

 びくん、と身体を震わせたのは誠次だった。

 

「わ、悪い! 練習の邪魔をする気は無い!」


 想定していたタイミングとは違う形で遭遇してしまい、誠次は早口となっていた。

 案の定篠上は怪しむ視線を、誠次へと向けてきていた。


「今日の練習は終わったから今から着替えるつもりだったんだけどまさか……覗き……?」

「違う! 誓って違う!」


 首を横に振って、誠次は叫んでいた。


「じゃあなに? 弓道部に何か用?」

「道場破りに……いや違う! し、゛篠上に用だ゛!」

「はあっ!?」


 増々顔を赤くして、甲高い声を篠上は出した。


(やっぱりこうなるかっ!)


 最高難易度は伊達じゃないと感じつつ、誠次は口を開いた。


「明後日の日曜日、本城も誘うんだけど皆でプールに行かないか?」


 本城の名を出すことは結構重要であるはずだと思い、誠次は声に出す。

 篠上は慌てて周囲に誰もいない事を確認すると、小声で、


「皆って……?」

「俺以外に男子は志藤、帷、小野寺、夕島。女子は香月、桜庭、本城。まだ確定じゃないけど」

「ふ、ふうん……」


 なぜか芝居臭く、篠上は腰に手を当てていた。


「ま、まあ千尋ちひろが行くんだったら! ……行くわよ……」


 前半大声、後半小声だった。


「あ、ありがとうございますっ!」


 誠次は自分でもわからずに何故なぜか頭を下げていた。

 頭を上げて見ると篠上は、なにかを言い辛そうにもじもじとしていた。


「……」


 きっとあの日の事だろうなとは安易に想像でき、誠次の方から口を開いた。


「林間学校、あんなになるなんてな……」


 はっとなった篠上は、俯く誠次を見つめていた。


「……うん。帰りのバスなんか三人とも寝ちゃったみたいだしね……」


 篠上は物悲しそうに、視線を落としていた。

 

付加魔法エンチャントありがとう。お蔭で助かった。生きてここにいられるのは篠上のおかげだ」


 篠上はじっと考えた後、


「あの時のことは、私よく覚えてないの……。なんかふわふわしてて、ほわわんとしていたって言うか……」


 篠上にしてはひどく抽象的な表現だった。

 

「それってどういう……」


 誠次が首を傾げていたところで、篠上は顔を真っ赤にしていた。


「で、でも! あんたが言ってた言葉は覚えてるの!」


 何かを誤魔化すように、篠上は早口になる。


「戦闘中の言葉か?」


 篠上はうんと頷く。


「汚い言葉ばっか言っていた気がするけど……」

「法の裁きを受けて貰うぞってところ」

「あ、ああ。た、確かそんなこと言ってたな……」


 自覚できるほど、頭の中が熱くなる。誠次が頭を軽く抱えると、篠上は安心したような笑顔を見せていた。


「きっと私、嬉しかったんだと思う。あんたがあんな奴と同類にならなくて」

「同類?」

「ちょっと怖かったから……。だから嬉しかった」


 そうだろうか、と誠次は苦い表情を浮べていた。

   

「ごめん篠上」

「なんであんたが謝るのよ……。悪いのはテロリストよ!」


 篠上は声を張り上げて言っていた。


「いや、守ってもらったのに帰れなんて酷い事言っただろ? 本当にすまなかった……」


 あの時は結局、負け隠しに似た何かであった。

 篠上には酷い言葉に聴こえても、仕方が無い。 

 ――だが。 


「ううん。あんたこそ私たちを守る為に戦ってくれてたのぐらい、私にもわかるわ」


 馬鹿にしないで、とでも言いたげに、篠上はどこか不満げな顔をしていた。

 誠次は髪をかきながら、

 

「ありがとう篠上。頼りにしてる」


 学級委員として、篠上のことがすっかり頼もしく誠次は見えていた。


「う、うん……。ま、任せなさい!」


 篠上は咄嗟とっさに後ろを向き、何故か木々に向けて言っていた。

 恥ずかしがっているのだと言うことはさすがにわかり、誠次はともすれば微笑ましい篠上の姿をじっと見ていた。 


「――あのさ……。結構前の日、なんで私が学級委員に立候補したか、知りたい?」


 ぽつりと、こちらに背を向けたままの篠上が、唐突に訊いて来た。


「ああ。成績の為だろ?」

「……それは違うわよ。私より頭良いくせに、それくらい察しなさいよ……バカ」


 まだ根に持つかっ。と言おうとしたところで、代わりに誠次は軽く息を吐いた。

 篠上の声のトーンが、いつかの時のように下がっていたからだ。


「もう良いわ。いつか、教えてあげる」

「ああ。いつか聞く」


 今のように、生半可な気分で聴いてはならないような気が、漠然とした。


「篠上が話すに足りる存在だって、俺を認めてくれたらな」

「何よそれ……じゃあ、また明日」


 篠上はこちらに背中を向けたまま、弓道場の方へと駆け足で去って行った。


「ああ。また明日」


 誠次はその背中を見送ってから、心なしか眩しく感じる夕日に振り向いていた。


 驚いたことに残りは一番手早く終わりそうだった夕島だった。

 男だし、気が楽だと感じた誠次は、きっとすぐ終わるだろうなと、この時までは思っていた。

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