3
ヴィザリウス魔法学園は、広大な敷地の中にあるいくつかの棟によって、巨大学園施設の様相を見せている。棟は中心にある中央棟を三百六十度囲むように、上空から見てみれば巨大な円形を成して建てられていた。どこぞの英国紳士が言ったかは知らないがこの円形により、『日本のストーンヘンジ』などと呼ばれている。
中央棟から南南東の方角。オフィスビルのような外観の、七階建ての男子寮棟通路。
夕方から夜に移る時間はとても短いもので。窓の外の景色は一面、黒景色となっていた。
「……まじで剣持ってる……」「魔法使えないらしいぜ?」「こわー」
男子寮棟内でも、同級生から受ける好奇の目は変わらず。
(これじゃ良い見世物だよな……)
うんざりする思いで、誠次は歩く。
(……今は、耐えるんだ)
だが――。
そんなので良いのか、と思っていた誠次の目の前を、銀髪を肩まで流した少女が横切っていた。
夜の男子寮棟の中を、女子が歩いている。
……ああこれは、犯罪の臭いしかしなかった……。
「女子……? なんでこんな所に?」
そんな誠次の言葉に反応したのは、周りにいた高校一年生と言う年代の男子生徒たち。すぐにきょろきょろと辺りを見渡した後、異性なる単語を呟いた誠次に視線を戻した。
「は? 女子なんていねーぞ。魔法が使えないから頭いかれたのか?」
他クラスの男子生徒が、高圧的な態度で言ってくる。
「? 目の前、同じ一学年生」
ヴィザリウス魔法学園の白い制服には、一、二、三学年生の区別がつけられるよう、それぞれの学年のカラーをあしらった線が装飾されている。
一学年生のカラーは青なので、少女のブレザーの色でそう判断した誠次は、指を指してまで周りの男子に言っていた。
「――いなくね? ここまで来ると逆に心配になって来るんだが……」
しかし周りの男子生徒は、やはり銀髪の少女など見ていないようで。
「なんで、みんな見えてないんだ……?」
一方少女は、誠次を含めた男子生徒たちを気にすることなく、背中を向けてずんずん進んでいく。
「そっちは確か、中庭に続くゲートしかないぞ」
「なに独り言言ってんだよ……」
周囲の嘲笑を無視し、誠次は少女の行き先だけを視線で追っていた。
「外だぞおい! 待て!」
まさかとは思ったが。
次には、誠次はなりふり構わずに走りだし、少女の後を追いかけていた。
「独り言多い奴だな……」
はたから見れば突然かつ奇怪だった誠次の行動に、周囲の男子生徒たちは顔を見合わせ、しんと静まり返っていた。
中庭――外――と男子寮棟を繋ぐゲートには、夜間の生徒の外出を防ぐため、強力な魔法による障壁が施されている。一歩外へ出ようと障壁に触れれば、瞬く間にヴィザリウス魔法学園内の警報システムが作動し、教職員に伝わる代物だ。
見た目は綺麗なガラス細工のような魔法障壁。
その前で立ち止まっている少女の元へ、誠次は追いついていた。
少女は線の細いあごに手を添え、障壁の前で何か考えごとをしているようであった。
「あ……」
やっぱり、年頃の男子生徒が色めき出すには充分なまで、少女は綺麗だった。肩まで降ろした銀色の髪に、透き通るような色白の肌。幻想的な色合いの紫色の瞳に、まるで身体が吸い込まれそうだ。
「っ……」
誠次は思わず嘆息していた。
しかし少女はこちらなど眼中に無いようで、右手を魔法の障壁に向けて上げていた。
「何してっ――!?」
出した声は、途中で止まってしまった。
少女の手元に光が発生した直後、ゲートの魔法障壁が音を立てて、粉々に砕かれたのだ。一流の魔術師であるはずの学園の先生方が仕掛けた魔法を、同級生の少女がいとも簡単に――。
「今のは妨害魔法……? 警報が鳴らないって……術式を読み解いたのか!?」
「……」
誠次の呟きに、少女がピクリと眉をひそめたのもほんの一瞬のこと。
少女は外へ向かって歩み始めていた。
何も無くなったゲートの外を窺えば、夜の闇が広がっており、誠次は少し身震いしていた。
「待て。外に出るのか?」
誠次はそれでも冷静を務め、まるで檻から逃げ出そうとする小動物を宥めるように、慎重に尋ねる。
「――忠告だけど、来ないで」
鈴の音のような、ソプラノであった。
それは、こちらに背を向ける少女から確かに聞こえた。
「゛捕食者゛が怖くないのか……? それに、今出たら法律違反だぞ!?」
必死に止めようとした誠次に、少女は不愉快そうな表情を返して来た。紫色の目とこちらの黒い目が合った瞬間、誠次は金縛りにでもあったかのように動けなくなってしまった。
「バイバイ、私の姿が見えた不思議な剣使いくん」
少女はこちらに興味なさそうに冷たく言い放つと、背を向けて走って行ってしまった。
みるみるうちに、少女の姿が暗闇の中で小さくなっていく。
「待てって!」
尚も必死に呼び止めようとしていた。そして、そうしようした自分に、誠次は驚く。
少女が向かった先は、未だ経済大国の栄華を誇ると言わんばかりの明かりが灯る、夜の都会の街中だろう。――ただし、その光の中にいるのは人間ではない。無数の゛捕食者゛だ。
人はこの世を、夜を失った世界と言う。
少女に向けて伸ばしかけた手を止め、誠次は息をついていた。
「……夜間外出禁止法」
ずきりと、こめかみの奥で頭痛が起きていた。
忌わしい痛みと共に脳裏に過るのは、幼い頃の記憶。
スーツの女性の肩に必死に掴まっていた、夜。周囲の家の窓から見える光と、歪んだ人の顔。夜の外に出たヒトを見放す、温かい光の中の、冷たい目線。゛捕食者゛の魔の手から人を守る為の法律が、゛人を殺していた゛。
――おれは゛アイツら゛とは、違う……。
誠次は伸ばしていた右手を強く握り、胸元へと添える。
(まだ、間に合うはずだ……!)
そして、何かを呑み込むように大きく深呼吸をした誠次は、黒い瞳で黒一色の外を見据えた。
ゲートと男子寮棟の入れ替わりの風が、誠次の決心を肯定するように、外へと吹いていた。