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紆余曲折はあったものの、美味しそうなカレーが出来あがっていた。
誠次は出来あがったカレーを運び、志藤たちがいるキャンプ場へと戻って来ていた。
ここまでで時刻は正午過ぎ。
若干の遅れはあったものの、朝食を食べていない身としては絶好の昼食時であるものだ。
「いやー腹減ったー。やっぱ自分で作った料理って、何でも美味そうだから楽しみになるよな帷! 天瀬!」
「確かにそうだが、俺らが作ったのは米だぞ……ライス部分だけだ」
キャンプ場にて。
アウトドア用に用意されている木製のテーブルイスに座り、志藤と帳が会話をしている。
「っつか、そっちは大丈夫だったのかよ天瀬?」
端っこにしょんぼり座っていた誠次に、志藤が声を掛けて来た。
「何とか……。……死にかけたけど」
「は!?」
「ハッハッハ。カレーが不味いなんてベタな真似は止めてくれよな?」
「その点は任せとけ」
「なんだ? カレーがすげー不味いって意味で死にかけたわけじゃないのか?」
帳の言葉に、誠次は首を横に振り、そのまま首に手を当て、
「斬られ、かけた……。俺どっか斬れてないか?」
「は!? ……ど、どこも。第一斬るのはお前の方だろ……」
帳との苦笑の会話を終える。
果たしてカレーは、まず本城によって男子の前へと運ばれて来ていた。
両手に持ったカレーライスを、まずは帳と志藤の前に置く。
「おおう……」
誠次は思わず唾を呑みこむ。
鮮やかな茶色に、照り輝く白い米。大きくて美味しそうな肉に、ごろごろっとしたじゃがいも。――そして何より、にんじんが小さいのがとても素敵だ! もう最高すぎる! (犯人の供述)
「サンキュー! 本城」
「ありがとな、本城」
志藤と帳が順に礼を述べた。
「いえいえ」
本城は少し申し訳なさそうな笑顔だった。
それでも、志藤はなおも嬉しそうに顔を綻ばせ、組んでいた腕をなあなあと振り、
「女子に運んで貰うのはなんつーか、良いもんだよな……!」
志藤の一理ある言葉に、「「たしかに」」と誠次と帷は阿吽の呼吸で頷いていた。
「そう言ってもらえると、私もとても嬉しいです」
言いながら本城は、テーブルを挟んだ向かいの席の左端に座った。座席はちょうど三つなので、このままでは篠上と香月の席が隣同士になる。
「え……」
「うふ」
誠次が本城を見ると、相変わらずの笑顔で本城は見つめ返してきた。
(おいおい……)
底の見えない本城の笑顔に、誠次の身体は一瞬だけぞくっとする。
わざとか、意図せずか。本城の表情を窺っても、真意は読み取れなかった。
「お待たせ」
篠上の声に、誠次は顔を上げた。
篠上はどこか気まずそうな表情であるが、両手に持ったカレーの一つを、誠次の前にお淑やかに置いていた。
「あ、ありがとう篠上」
「……」
無言の篠上から、カレーに視線を移した誠次はじっと黙り込んだ。
「一応確認するけど篠上……毒入れてないよな?」
「「毒!?」」
「入れてないわよ!?」
どうしてそうなった!? と男子陣が驚く中、篠上が顔を赤くしてツッコんでいた。
「も、もう……」
篠上は真ん中の席に座っていた。……にこにこしている本城を、じっと見ながら。
志藤と帳が顔を見合わせて、同時に誠次を見て来た。
「な、なあ天瀬……。やっぱ篠上と香月って仲悪いよな?」
志藤が耳打ちするように訊いてくる。
「呉越同舟だな。……ちなみに今の言葉は最近習ったから使いたくなった」
「その補足情報いんのか帷……」
帳が付け加えるように言うと、志藤がやれやれ顔でツッコんでいた。
誠次はカレーの臭いを確認――大佐、毒の臭いはいたしません――してから、篠上に聞こえないように小声で、
「何とも言えないな。篠上は香月と仲よくなりたいみたいだけど、香月は今のままでいいと思っている」
当初は互いが互いを避けているようだけだと思っていたのが、間違っていた。香月が、壁を作っていたのだ。
そんな香月がやって来たのは、誠次が男子二人に向けて現状を説明していたところであった。残っている座席を確認し、動じることもなく篠上の隣に座る。
その時、平然を気取っていた篠上の眉が少しばかり動いたようには見えた。
「はい。お待たせ」
二つ持っていたカレーライスを香月は自身と、篠上の前に置く。さり気なくではない、ごくごく自然な動作であった。
篠上はあっと驚いたような表情を見せた。
「ありがとう……香月さん」
「……い、いえ」
篠上の言葉に、香月は視線を逸らしながら答える。やはりお互い、ぎこちない。
「……えっと――」
それでも篠上は、次の言葉を探しているようであった。
「あの、香月……」
助けるワケじゃないが、誠次が静かに切り出す。
対象は、香月だ。
「どうしたの天瀬くん?」
「口元に、米つぶついてるぞ……」
香月の綺麗な顔立ちに、おおよそ不釣り合いな白い米つぶが一つ、ついていた。
香月は口元を覆うように手をあてる。そして、米つぶの感触を確かめたのだろう、紫色の目が泳いだ。
「……つまみ食いしたのか?」
まさかとは思ったが、配膳が一人遅かったのは……。
「ええ。美味しそうだったから、つい」
まったく悪びれる様子もなく、しれっと言う香月。篠上とこちらと会話する時の態度が違うのは、置いておいて、
「米をつまみ食いかよ!?」
志藤が立ち上がりそうな勢いでツッコむ。
「……こ、香月さん、顔……見せて」
それは誠次にしても香月にしても、この場の誰もが意外に思ったことだろう。
篠上がどこからかとりだしたハンカチで、香月の顔を拭いてやっていた。
それに香月が目を見開いて、驚いていた。
「あ、ありがとう……篠上さん」
「ど、どういたしまして……」
ぎこちないが、少しづつでも――。
少しばかり頬を染めていたのは、篠上と香月両者。女性の喧嘩は怖いと言うが、女性の仲が良さそうな光景は逆に目の保養にはなるものだ。増してや、この二人だと。
「篠上……香月……うん」
何だかんだで良さげな雰囲気に、誠次は内心でほっとしていた。
「……」
微笑ましい光景を見ていた誠次を、志藤が横目で見ていた。
「――よし。それじゃとっとと食おうぜ。腹減ったし。号令は頼んだぜ、俺らの頼れる班長さん」
志藤が軽く笑い、篠上に合図を促す。
篠上は、思い出したかのようにハッとなっていた。
「それよりまずごめんなさい……。私が班長なのに、遅れて、迷惑かけて……」
「そんなこと、皆さん気にしてませんよ。楽しかったですし!」
本城が両手を合わせてみんなを見渡して言えば、誠次と香月と帳も頷く。もとより、誰もやりたがらない班長を進んでやってくれたのは他でもない、篠上だ。こちらがとやかく言える筋合いはないし、なにより本城の言う通りでもあった。
「私も、素っ気ない態度をとって、ごめんなさい……」
香月が、小声でぼそりと言う。篠上の顔は、まだ直視できていないが、
「い、いいわ。それじゃあ頂きます!」
顔を赤くした篠上の言葉により、六人はスプーンを手に持ち「いただきます!」の掛け声でカレーを実食する。
「うま~っ!」
「美味しい~!」
帳と本城が揃って舌鼓をうち、隣の志藤もカレーを口に含んで幸せそうな顔をしていた。
誠次もやっとの思いでありつける料理を前に、躊躇はしていられなかった。
「頂きます!」
ぱくっ、と一口食べる誠次。
舌の上で溶け込むスパイシーな辛みと、具材の甘みが、猛烈に美味い。
「――うん。時代がいつになってもカレーの美味さは変わらないな!」
増してやアウトドアのカレー。そこには王道的な美味しさが、待っていた。
「天瀬が言うとその発言に深みを感じる……不思議」
斜め前方向より、篠上がカレーをもぐもぐと食べながら反応した。
「そうだな、カレーだけに……深みがあるってヤツか?」
机の上に手を置き、スプーンをくいと持ち上げ、得意げに誠次は言う。
「「「「「……」」」」」
みんなのカレーを食べる手がピタリと止まっていた。まさかの、総スカンである。
「……なんか、ごめん。天瀬」
篠上に謝れた。
「いや謝られると余計惨めな気分になるので!」
「ハッハッハ!」
帳の笑い声が、誠次にとってこの場で唯一の救いだった。あと香月が「なるほど……」などと、また一つどうでも良い知識を蓄えたようで顎に手を当てて唸っていたが、気に留めない事にする。
「ま、まあそんな事より……んぐ。――確か次なにかあったんだよな?」
もぐもぐと咀嚼してから、誠次は皆に訊く。
この林間学校。三時間のバス移動に山登りとカレー作りを連続して行った後、まだ行事があった。
誠次としては、色々とどっと疲れたのでとっととコテージで休みたいところだったのだが。
「そうですそうです。私、これから楽しみなんですよ~」
手を合わせ、本城が楽しみそうに言う。
そして椅子の上に置いてあった、林間学校のしおりを掲げ、
「科学館でのプラネタリウム見学ですっ」
ページを開いて、この場の五人にその行事の欄を見せる本城。
プラネタリウム。その単語を聴いた香月の表情が、ほんの少しだけくもったのを、正面の誠次は見逃さなかった。




