7 ☆
キャンプ場と木々を挟んだ川沿いに、カレーの具材を下ごしらえする為の炊事場はある。
本城に呼ばれた誠次は、ほぼ連れ去られる形でそこへやって来ていた。こちらには日光を遮る屋根があるので、少しだけ羨ましいものだ。
「二人が一体どうしたんだ!?」
本城と走るペースを合わせつつ、誠次は訊いた。
「喧嘩です……」
力なく、切ない声で、本城が答える。
「……やっぱりか」
案の定だと、誠次は頭を抱えていた。
林がいたが、彼がキャンプ場の持ち場を離れるわけにはいかない。志藤と帷も火加減の調整とやらで手が離せないらしい。
よって、゛遊撃部隊゛である誠次が一人で本城と共に走ってやってきていた。
やはり女子が多めであった炊事場。――訂正になるが聴こえる声は女子高生故か、゛きゃっきゃうふふ゛ではなく、゛きゃっきゃ゛のみだ。
「やっぱり、って面白いですね。天瀬さんは、もしかしてエスパーなんでしょうか?」
「魔術師にエスパーって言われたぞ……」
篠上と香月の姿を探す最中、(埋め合わせのように)うふふと、本城が気の抜けるような発言を後ろからしてきていた。
「あの二人を見てたら何となくは分かるさ……。けど、見事に予想通りだな……」
「……。……仲、悪そうに見えますよね……。私は、香月さんとも仲良くしたいのですが……」
「本城……」
「香月さん、いつも一人なんです。授業とかでは、天瀬くんとか桜庭さんと一緒ですけど。他の女の子とはあまり……」
確かに、桜庭には桜庭の友達がおり、そうなると香月はいつも一人だった。
誠次も誠次で、志藤たちとつるんでいると、香月といる時間はない。
「人と仲良くしたいってのは、誰だって同じだと思う。問題はその人と自分とが合う合わないかだけど、こればっかりは一度話してみないとな」
「話す……。はい。確かに、大事ですよね!」
「いた」
本城の願いを聴き留めた誠次は、篠上と香月を発見していた。
切りかけの野菜やブロックの豚肉が盛られている、炊事場の流し台の前。篠上と香月は、近距離で向かい合っている。
篠上は睨むように、香月は冷めた目線で。
いずれにしてもお互い、攻撃するような鋭い視線で応酬に応酬を重ねていた。
「……」
「……」
周りの班の生徒たちは、険悪な二人の様子を見ては怯え、距離を置くように離れていた。
これには誠次も「こ、怖いな……」と顔を引きつらしていた。
――だが。
「うう……」
そんな光景を見た本城は、困ったように眉を寄せていた。このままでは本城が、可哀想すぎる。
「……放っておけない。……行こう」
まだ難色を示す表情ではあるが、誠次は言った。
「あ、はいっ」
本城が頷いていた。
今はポケットに突っこんでいる林から頂いた白いタオルを、誠次は無性に頭に巻きたくなっていた。
「林間学校でなんでこんなことしてるんだ……」
炊事場入り口のゲートを通った誠次は、一触即発の二人の元へ、ゆっくりと歩み寄る。
近付くにつれ、少しづつ二人の話し声が聞こえていた。
「――ふーん。じゃあアナタはこう言うわけ? 冷たい態度をとっているのは、他人との関わり合いを避ける為、って? それが自然な自分だって?」
じゃがいもと包丁をぎちっと握り締め、篠上が声を荒げていた。
「ええ。別に問題はないと思うのだけど。篠上さんが気にすることは無いわ」
方向的に、香月は近付く誠次に背を向けていた。
銀色の髪が映える、綺麗なラインを描く背は、微動だにしていなかった。
「言ったでしょう!? 協同の学園生活を送る上で、そんな態度じゃ――っ!?」
言葉の途中、香月を睨んでいたはずの篠上の青い瞳と、誠次は目が合った。
篠上は慌てて口を結ぶと、しかし悔しそうに、目を背けていた。
篠上の行動を不審に思ったのか香月が、細い首を傾げていた。
「――こっちは志藤と帳のお蔭で火おこしは終わった。そっちは……苦戦してるな」
清々しいほどの、棒台詞であったが。
誠次の声を聞いた香月の身体は、驚いたようにぴくんと反応していた。
「天瀬……。千尋……」
「天瀬……くん」
篠上が言い、香月も振り向いて来た。
「悪いけど、志藤たちのところへ行っていてくれないか? ここは俺と篠上でやる」
まずは篠上と香月をいったん離さないと。そこで誠次と香月、篠上と本城と言う言ってしまえば変わらない組み合わせでは、意味が無いはずだ。
よって、誠次は篠上と話がしたかった。篠上がなにか言いたげなのを重々承知で、誠次は本城と香月を交互に見て、言っていた。
「分かりました。香月さん、行きましょうね?」
意図を察してくれたのか、本城が真っ先に頷き、香月の腕をぎゅむと抱いて、引っ張っていた。
「……っ」
香月は誠次を一瞥すると、篠上とそれ以上視線を合わすこともせずに、本城と一緒にキャンプ場へと向かって行った。
「ありがとうな香月、本城」
「わ、悪かったわ……。ごめんなさい……」
篠上がぼそりと、呟いていた。
気づけば、辺りの視線を一気にかっさらっており、どうしたものかと誠次は耳元をかいていた。
今のところ誠次に特にプランは、無いのだ。
「恥ずかしいな……。取り敢えず、材料用意しないと。向こうの志藤や帷だって頑張ってるんだ」
「そうね……」
「ちなみに俺はなんもやってない。ここで頑張らせてもらう」
包丁を顔の横で構え、誠次は意気揚々と言う。
「何よそれ……ださいわ」
篠上は苦笑いしていた。
誠次は香月が持っていた包丁を持ち、半分ほどになっていたにんじんを切り始める。
すでに半分は香月によって切られていたのだが、サイズはバラバラだ。中にはある意味゛芸術゛と言えるような切り方をしたものまである。
「どうして香月と喧嘩したんだ?」
トントントンと、まな板の上でにんじんを切る音より、小さい声で誠次は訊いてみる。
「……っ」
大体察しはつくが、当人も言い辛いようで。
じゃがいもの皮を剥きながら――手つきは慣れている様子――篠上はなにも言わない。
「じゃあ質問を変える。……どうしてカレー作りの行動グループを、香月と同じにしたんだ? 俺と香月を同じ班にして、帷か志藤をそっちにすれば良かったんじゃないか?」
「そ、それは……!」
じゃがいもの皮を剥いていた篠上の手が、ピタリと止まっていた。
誠次は手早く、にんじんを全て切り終えていた。
(我ながら認めたくないけど、刃物を扱うことに関してはプロフェッショナルの腕前になってきているな……)
誠次は何だか切ない気分を味わいつつ、それを隠すようにして、
「もしかしてだけど……。異性全般が嫌いで同性だけが好きなと――」
「それは絶対ないからっ! アンタ最低っ!」
やまびこでもするんじゃないかと思えるほどの大声で、篠上は包丁をぶんぶんと振り回す。
「うわ怖い怖い! 危ないから刃物振り回すな!」
死の恐怖を感じた誠次は咄嗟に身構えた。
「それアンタに言われたくないわよ!」
顔を赤くして、睨むような目で篠上。
「いや確かにいつも刃物持っているけどさ!」
一応、語弊を生まないように注釈すると、別に普段の学園生活で背中の剣をこれ見よがしに抜いたり、振り回しているわけではない。
誠次が学園内で剣を使用するのは、授業の時にどうしてもの時と、人知れず行っている八ノ夜との戦闘訓練の時ぐらいだ。
「大体なんでアンタこっち来たのよ!?」
「放っておけないからだ!」
「!? う、うるさい黙れ馬鹿!」
「は!? テストの点では勝ってる! よって俺は馬鹿じゃない! 少なくとも篠上よりは!」
「そう言う意味じゃ無くて……。……ああもう何なのよアンタ!?」
「こっちの台詞だからな!?」
きゃっきゃでもなく、うふふでもない。ぎゃーぎゃーと言い合う二人に、すでにカレーの下処理を終えつつあった周りの生徒たちは、珍妙なものを見るような視線を送って来ていた。
「……めっちゃ……見られてるぞ……」
篠上も、それに気づく。
「!? う……っぐ。どうしてこうなっちゃうのよ……」
うずめるように、足元をじっと見つめて、篠上は呟く。
自滅だとは思ったが、こっちの所為でもあるので、誠次はなにも言えずにいた。
やがて、観念したように篠上は、
「最初の質問の答えだけど、些細なこと。私のこの性格の所為で香月さんに難癖を付けたの」
「じ、自覚してる……のか?」
「悪かったわね」
篠上にぎろりと睨まれる。
「い、いや……」
誠次は誤魔化すようににんじんを連続切りする。
今までちゃんと篠上と話す機会が無かったのもあるが、それでも意外だった。
「香月さんを私たちと一緒のグループにしたのは……。……香月さんと、もしかしたら仲良くなれるかも知れないって思ったから……」
「……」
どうやら、篠上のことを少々読み違えていたようで誠次は、申し訳ないような気持ちになった。
言葉だけでは、真偽は分からないものだが。
「……そうか。これだけは言っておくけど、香月に悪気はないはずなんだ。それだけは分かっておいてほしい。香月にも色々と事情があるんだ」
感情表現が苦手なのは、特殊な生活環境だったためだろう。それでも少しづつ、慣れて来てくれたところだ。
「……そうね。私も、あとで香月さんに謝るわ」
それに、疑うよりは信じたい、篠上の言葉だった。
「理解してくれて、ありがとう。」
こんな風にしんみりとした会話を女子とするのは、初めてだろうか。
今ままで知れなかった人の側面を知れる。それは不思議と、悪くない気分だった。
「詳しいのね香月さんのこと。仲も良さそうだったし」
「どうなんだろうか……。仲良いのか……?」
「なんで逆に質問してくるのよ……」
篠上がどこか俯いている中、誠次はじっと真剣に考えていた。
ただのクラスメイト、一緒に戦った仲、家に伺う間柄。いろいろと考えてみたが、結局よくわからなかった。
「わからないな……。……ああそうだ篠上」
「え、なに?」
「俺にんじんあまり好きじゃないから、小さく切っといたぞ。成分的には問題ないから、大丈夫だよな?」
「子供かアンタは! 屁理屈言うなっ!」
「ごめんなさいっ!」
グループに分かれた行動であったが、実質やることは同じだったようで。
篠上が魔法式を展開し、薪に弱火をおこす。
帳と比べ、篠上はすぐさま火をつけることに成功していた。かと言って、別に帳が駄目なわけではない。両者の違いは簡単に言えば、コントロール能力と、パワー能力の差だ。
「まさか本当に役に立つなんて……悔しい……!」
誠次は渋い表情で、しゃがんでいた。右手に林から貰ったうちわを握り、ハタハタと火に風を送る。火が強くなる光景を見るのは楽しいことは楽しい。
だが、やはり周りの生徒が立って火をおこしている姿を見ればふと、涙を流したくはなってしまっていた。
「な、泣いてるの……?」
「っく……煙が、目に染みるだけだ!」
誠次は力を込めて、うちわを振るう。
それを見る篠上はどこか苦笑しつつ、
「それを泣いてるって言うと思うんだけど……」
すっかり元通りのらしさを取り戻していた篠上は、両手に持った大きな鍋を、誠次の目線の前にある網の上に置いた。
火加減の調整のためにまだうちわを扇いでいる途中なのに、篠上はそのまま真後ろに立つ。
「……っ!?」
誠次の汗が滲んだ背中に、篠上の柔らかそうな太ももが密着しそうになり、目の前の火の所為もあるが、誠次は自分の体温が上がるのを自覚していた。
身体をよじらせようとしたその瞬間、左手で顔の汗を拭った誠次に、篠上の影が覆いかぶさった。
「火加減良好ね。私は具材を炒めるから、天瀬はそのまま火の調整をお願いっ」
どこか楽しそうに、篠上はニヤリと笑って言う。
(もしかして、キャンプ楽しんでいるのか……?)
そこはお互いさまではあった。
「了解!」
篠上と火にサンドされる形で、なにかの期待に応えるように誠次は火加減の調整を行う。調整と言っても、新しい薪を入れたり、軽くうちわを扇いだりするだけだ。
しかし火起こしは思いのほか楽しい。ぱちぱちと音を立てる火を見つめれば、童心に戻ったような気分になるものだ。
その点では林に感謝したくなった誠次の鼻の先にぽつりと、唐突に冷たい水滴が落ちて来た。
「雨か?」
突然の水に、小声で驚いた誠次は空を見上げる。
「な……っ!」
燦々と輝く太陽の下、それこそ優美な曲線を描く山のように。篠上の胸が視界に飛び込んで来た。高校一年生、すなわち十五歳。下着で抑えているだろうが、それでも不相応のサイズ。
女性の胸を下から見上げることになったのは初めてだが、篠上だからかなんと言うか……迫力があった。
「天瀬?」
停止していた誠次に、篠上が前にかがんで話し掛けてきた。小さな顔にはにわかに汗が滲んでおり、それが落ちて来たのだろう。
不思議そうな表情の篠上に誠次は、
「篠上。願わくば、怒らないで聞いて欲しい……」
「ね、願わくば……?」
篠上が困惑した。
「山より、゛絶景だった゛……」
カレーを食べる前に、美味しい思いをしてしまった。
「絶景? な、なんで泣いてるの……?」
「煙の所為と……篠上の所為で……」
「わ、私!?」
来て良かった林間学校。今ならそう言えてしまえる!
野菜を炒めた後、豪快に六人分の水を入れた鍋。
続いて入れる材料を篠上が用意するところで、誠次はようやく立ち上がることができた。
「……そうだ。香月に俺からなにか言っておこうか?」
「ありがとう天瀬。でも……それじゃダメだと思うから」
両手に具材を持った篠上は、首を横に振った。
「篠上……。でも、どうしてそこまで香月のことが気になるんだ?」
クラスの親睦を深める。篠上はそんなスローガンを、生真面目に実行しようとしているようであってならなかった。
――だが。
「それが私の性格だから。クラスで一人ぼっちの香月さんを、どうしても放っておけないの。デリカシーないかもしれないし、中々面倒臭いでしょ?」
少しバツが悪そうに、篠上は言ってきた。
本城と同じで――ああ、だから本城とも、仲が良いのか。
誠次は首を横に振ると、
「そうか。でも、良い性格だと思う」
「……え……」
篠上は微かに顔を赤くして、言っていた。そして、黙々と作業する誠次の横顔をじっと見つめた後、ぶんぶんと首を横に振る。
「……そ、そんな言うなーっ! このっ、このっ!」
「ええ!? す、すいません! って、包丁取り出さないで下さいっ、誰かっ! 先生助けてっ!」
誠次の悲鳴が轟いた。
パチパチと、薪の火が燃える音が、いつの間にかに耳に入ってくる。
それ以降、誠次と篠上の会話は途切れ、黙々とカレー作りが進んでいった。




