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「こ、こんなはずじゃ……ふわぁー」
ヴィザリウス魔法学園の正門に並ぶ、七台の大型バスを眺めながら、見事に目の下にクマを作った誠次は大きなあくびをする。
結局、深夜まで意識はハッキリとしており、真下からは帳のいびき。それでもなんとか寝ようとしたのだが、気づけば夜が明けており――。
そんなこんなでの、林間学校当日である。天気予報では現場である長野県は晴れ。同じく東京も晴れであるが、白い霧がかかり、初夏とは言え寒気を感じる早朝。
誠次は篠上と共に、バスの出入り口ドアの前に立っていた。
「眠そうねアンタ……」
呆れた様子で、篠上が話し掛けて来る。
学級委員として、誠次よりも早くバスの前に立っていた篠上は、早朝にも関わらずしゃき、っとしているようだ。
課外学習と言う名の外出にあたって、生徒たちは私服だ。
篠上はポリエステルのランニングウェアに似た赤色が基調の長袖の上に、下は極めて短いスカートとひざ丈までのスパッツを着用していた。姿で見れば束ねたポニーテールと言う健康的な元の外見も相まってとてもスポーティーであり、今からランニングにでも行けそうな格好だった。
(気合入れてるな……)
……相当気合入れている(楽しみにしている)んだなと、誠次は篠上をまじまじと見て感じた。
なにせこの年代の少年少女とは普通、このような学校行事で私服を着用する際はお洒落をするものだと思うのだからだ。友達に見せつけるのも然り、好きな、とはいかないまでも、異性相手に自分の普段は見せない私服姿を見せられる絶好のチャンスでもあるはず。
「大丈夫だ……篠上の手は、煩わせない……」
蚊に刺されたり変な虫が付いたりするのも嫌なのが理由で、誠次はTシャツの下に長袖を通し、下もちゃんとシューズまで伸びた長ズボンだった。なんとも味気無いグレーを基調とした地味な服装だが、自分の身を山と言う様々な脅威の巣窟から守る為に、背に腹は代えられない。
(よし、完璧だな……!)
虫よけスプレー並びに酔い止め薬は完備しているし、予備だってバックに詰め込んでいる。まさに今の誠次の状態は、完全武装と言っても差し支えないだろう。――もっとも今の問題は、備えあれば憂いなしの方針を採った当人の、身体の方だったが。
「しっかりしてよね? 同じ学級委員で班も同じなんだから」
篠上は口をとがらせていた。
「しっかりします」
誠次と篠上は学級委員の仕事で、クラスメイトたちが全員バスに乗る確認。それと並行して出席確認を行っていた。
正門からやって来るクラスメイトたちを迎え、名前と班の確認をしてバスに乗せる。
クラスナンバーの関係上後ろに続く六台のバスでも、同じように二人ずつの学級委員が、自クラスの生徒の出席確認をしている。
「うおっ、大丈夫か天瀬?」
次第に晴れて来た空の下、志藤は正門から愉快そうな笑みを見せ、歩いて来ていた。
腕まくりをしているストライプの長袖に、膝下までの丈のカーキ色のパンツ。都会の街を歩くようなルーズさだった。
「ウッス。俺志藤颯介な」
「知ってるわよ」
片耳には白いイヤホンをぶら下げ、目の前まで来たかと思うと篠上の点呼に答える。笑い顔が合わされば、レッツエンジョイ、と言う単語がしっくりとくる姿だ。
「今日は楽しもうぜ、志藤……」
誠次はクマだらけの顔でにへっと笑う。
「笑顔怖っ!? クマヤベェぞお前!」
ぎょっとする志藤に、
「バスの中でなら眠れそうだな……」
にへら、と笑う誠次。
「林間学校前の台詞じゃねえよなそれ!?」
「漫才は良いから早く行きなさいよ!」
篠上にがみがみと怒鳴られ、志藤は「ひええーっ」っと言ってバスに乗りこむ。
「あと天瀬。バスん中で寝とけよ? 身体持たねえぞー」
顔だけを出した志藤はそう言い残し、そそくさとバスに乗車する。
「うーん……篠上、俺って今そんなヤバそうに見えるのか……?」
他のクラスメイトたちの点呼作業――はいそこ、おやつはバナナ除いて三百円までだぞ――がてら、篠上に訊いてみる。
「アンタの身体からなんか黒いオーラが見えるのよ……どす黒い」
「ど、どす黒い……?」
「綾奈ちゃん、天瀬くん。おはようございます」
呆然と自分の身体を見つめる誠次の元へ、本城――声で分かった――が来ていた。
「おはよ……え?」
そして、誠次と篠上は絶句する。
笑顔で来た本城の私服は、それこそお嬢様が着ているような上品なワンピース。
本人のスタイルの良さと雰囲気もあり、とても可愛らしいのだが、
「ち、千尋……。山登るんだよ? 街でお買い物じゃないのよ?」
篠上が狼狽えている。
本城の方は何のことでしょうかとでも言いたげで、不思議そうに小首を傾げていた。
やがて本城は、何かを思い出したかのように突然表情を明るくさせて、
「はい! 楽しみです」
篠上にとっては的外れな回答を、繰り出して来た。
誠次と篠上が二人して押し黙ってしまったのを、不審に思ったのだろうか。本城はくちびるに手を添えて、
「天瀬くん、なんだか元気無さそうですよ?」
小首を傾げて来た。
「お、お気遣いなく……。本城は相変わらず元気そうだな……」
誠次は苦笑いで応じた。
「千尋……。……行って良いよ」
諦め顔で篠上が、手に持っている電子タブレットの画面をタッチしていた。
それに対し本城は、軽い会釈をしてバスに乗車して行った。
「心配だな……」
「千尋を一人にしておくのが心配なのよ……。小学校からずっと……」
誠次が続きを聴こうとずっと黙っていると、急に篠上が顔を赤くしてこちらを見て来た。
「――って、なんでもない! なんでもないわ!」
「は……!? わ、分かったから睨まないでくれ……」
この後、バスに乗るまで篠上は誠次に見向きもせず、口も聞いてくれなかった。
(俺なにか悪い事したのか……?)
きっとしたことになっているのだろう……。
ヴィザリウス魔法学園の馬鹿でかい建物たちを背に、出発した大型旅行バス。1-Aの生徒たちが乗るはバスは、七台のバスの先頭を走り、目的地である長野県まで向かっていた。
出発したばかりなので、まだ窓の外には見慣れた東京のビル群が続いていた。
「おら、回復!」
「魔法使うよ!」
クラスメイトたちは皆、およそ三時間が予定であるバス移動の退屈潰しの為、電子タブレットのゲームやらで盛り上がっておられだ。魔術師がゲームで魔術師をしているのは、結構斬新な光景である。
『一学年生のみなさん、おはようございます。今回皆さんの林間学校に同行します事務員の向原琴音です。一学年生にとって初めての課外学習。有意義な時間になるように、一緒に頑張りましょう!』
バスガイドよろしく、姿勢をぴんと正してバスの前方から、若い女性教師――向原からのあいさつ。
見覚えがあると思ったら、魔法実技試験の時に、林と茶髪の男性教師と共にいた人物だったなと思い出す。
「固いぞ向原ー。もっとリラックスしろー」
これまた最前列の座席から、林の野次が入る。
『コホン――』
向原は聴こえる声量で咳払いをすると、台本通りの言葉を続けていた。つまり、林を無視したのである。
誠次の席はバスの後ろのほうだった。四列シートのバスで通路側。誠次の隣の窓側の席には、香月詩音が頬杖をついて座っていた。
「……」
静かに窓の外を眺め、無言だ。
服装は上半身は薄い生地のTシャツで、下は膝丈までのショートパンツ。香月にしては中々アクティブな服装であった。
周りのクラスの女子を見ても軽装に軽装に軽装。山と言うのは本来危険なところだと言うのに、篠上を見習ったらどうだろう。あの気合の入れようはもっと評価されるべきである。
通路を挟んで、誠次の右隣の座席には、そんな篠上だ。
「……」
篠上は背もたれに深く背中を預けながら、向原の言葉をしっかりと聴いているようであった。黙っている篠上のはっきりとした横顔は、やはり綺麗なものであった。
「ああ、負けちゃいました……。初めてやりましたけど、面白いですねこれ!」
対照的なのは、やはり篠上の隣の窓側席に座る本城で、前の席の志藤と帳と共に、電子タブレットでゲームをしている。わいわいと楽しそうだ。
「天瀬もどーよ?」
「遠慮しとく。俺こういうの……絶対酔う」
誠次はそう言ってからふかふかの椅子に深く座り直すと、前を見た。志藤や本城にはゲーム参加に誘われたが、ただでさえ体調が喜ばしくないのに、車酔いしそうなので申し訳ないが断っていた。
――その直後。
「はい天瀬! こうちゃんもどうぞー!」
そして誠次の前の席は、桜庭莉緒だった。
座席から身を乗りだして、カラフルな飴ちゃんを二つ差し出してくれた。
肩出しTシャツと今は見えないが太ももまでの極めて短いデニムで、色々と危ない服装だ。
「美味そうだ。ありがとう桜庭」
素直に飴を受け取り、口の中に放り込む。甘い。
一方で、桜庭はくすくす笑っていた。
「変なの天瀬。飴に美味そうって言う人あたし初めて聞いた」
「感想を言っただけなんだけどな……」
口の中で飴を転がしながら、誠次は反論していた。
「私は良いわ。ありがとう桜庭さん」
一方で香月は、桜庭の方を一瞬だけ向いたのち、すぐさま窓の外に視線を戻す。
あまりにも早い動作に、誠次と桜庭は顔を見合わせていた。
「もしかしてこうちゃん……車酔い?」
「断じて違うわ」
食い気味に即答する香月だが、眉間がピクついていた。そして、余裕そうに微笑を見せつけて来る。だが、アメジスト色の目が死んでいて、分かり易い。
しかし車酔いの辛さは痛いほどよく分かる誠次は、足元の袋に手を突っ込んでいた。
「酔い止め薬だ。舐めてりゃ良い。美味いからって飲んじゃ駄目だぞ?」
誠次は取り出した酔い止め薬を、箱ごとすぐ横の香月に差し出してやる。
「……」
無言のままそれを受け取り、しかしすぐにぷいと香月は窓の外に視線を戻す。
素直じゃないな、と誠次は苦笑していた。
桜庭もえへへと苦笑いで、香月を見ていた。
「そう言えば天瀬、寝なくて平気なの?」
腕を椅子にクロスするように回し、思い出したかのように顔をはっとさせ、桜庭が尋ねて来た。
「……そんなに眠そうなのか俺……?」
「目の下のクマひどいし、なんか……どす黒いオーラが見えるよ……?」
「どす黒い……?」
さっきから誠次自身気になってはいるが、なにやらどす黒いオーラが常時身体から放出しているらしい。
もし魔術師だけにしか見えないのなら――。否――別に見たくはないと思う誠次であった。
「じゃあ寝るか……」
誠次は座席に肘を置いて頬杖をつき、眠ってみようかと目を閉じてみた。
――しかし。
『始まりましたドンドンパフパフ! 仲の良さならエース級! 1-Aカラオケ大会ッ!』
「イエーイッ!」「上手いぞ!」「女子のレベルもな!」
クラスメイトたちの、騒ぎ声。
……。
『トップバッターは……ッ!?』
「俺の出番か……すちゃ」
『まさかのインテリ眼鏡男子、夕島聡也だーッ! しかもすちゃって自分で言ったぞッ! おそらく眼鏡を持ち上げて気合を入れる効果音だッ!』
……やかましいっ!
目を必死に瞑り、傍から見れば苦しげな表情で、誠次は心中でツッコんでいた。その後も、クラスメイトたちの下らないやり取りに、誠次はいちいち心の中でツッコみを入れる。
「……大丈夫天瀬くん?」
表情に出ていたのか。横から香月にも声を掛けられる始末であり、誠次は「大丈夫だ……」と声を返したが。
(まさかその歌をチョイスするのか夕島!? 演歌だぞ!?)
結局……その後も結局騒がしく、誠次は逐一心の中でツッコミを入れては、眠れなかった。
……ちなみに夕島は音痴だった。




