3 ☆
眩しい陽射しかつ晴天の真下。
ぜえぜえと上がる息に、からからと乾く喉。茶髪の下の顔に、無数の汗が流れていく――。
「これは……来るな……っ」
一切魔法を使わない、純粋なマラソンが運動場で行われていた。誠次が属する1-Aは、現在魔法学園の体育授業の最中だったのだ。
炎天下の気温とまではいかないものの、魔法学園の広い運動場をマラソンともなれば、各々走っている男子生徒たちはへたへたとなっていた。
ちなみに別れて行われる女子生徒の本日の体育授業は、羨ましくも地下演習場でのマット運動らしい。
「何が、来るんだよっ」
学園の体育着姿で、誠次の横を走る志藤は懺悔するように呟く。
運動は別に苦手ではないはずの志藤。中学の時も体育の成績は上位で、スポーツも好きだと日頃言っている。
しかし、初夏のマラソンともなると話は別のようで。
「マラソンが好きって奴を見てみたいんだ……俺……。なんだってこんな苦行を……」
長めの髪をピンで止めている志藤は、額から汗を滲ませ言っていた。
では誠次は――。
「確かに、見たことは、無い……」
誠次も苦しそうに口呼吸をしながら、頷いていた。
志藤の目線が、こっちを見て細くなっているのは、なんとなく分かる。
「……演技か?」
摩訶不思議な誠次の身体のことは、知っている志藤からの一言。
「ま、マラソンは、キツイって……」
魔法学園の体育授業であるが、魔法は一切使わず、基礎体力の向上が旨らしい。
なにも誠次は基礎体力は並だ。例えばこのマラソンもスピードは出せるものの、無尽蔵のスタミナを持っている訳ではないので、志藤と同じく疲れる。
並外れた跳躍力もただ世界がそうさせているだけで、足腰が特別強いと言うこともない。
「お前の身体は、複雑だよな……」
「全て、世界が悪い……。俺は、何も悪くない……」
「開き直るなっての……」
「――グオオオラッ! そこの二人! 話しながらやるでない!」
「ひーっ!」
男の体育教師からのおしかりを受け、慌てながら志藤はマラソンに集中していった。
「ま、待ってくれ志藤……っ!」
誠次はぜえぜえと息を吐きながら、必死に足を動かしていた。
「ハッハッハ! いい汗かいたぜ!」
ちなみに本日のマラソン男子一位は、゛見た目゛体育会系である帷悠平だった。
体育授業が終わり、四時限目。
1-Aの生徒たちは、一泊二日の林間学校で共に行動する班のメンバーずつで、教室内に集まっていた。
当日の活動について、班の中での役割分担の確認の為だ。男子メンバー誠次、志藤、帷。女子メンバー篠上、本城、香月が、二つの机と椅子を囲んで集合している。
誠次たちの班のリーダー(すなわち班長)は篠上綾奈だ。全員の多数決で決められた。
「山登りの時はちゃんと六人全員でゴールしないとダメ。コテージに着いたあとは、各班でカレー作り開始。役割分担は……」
しおりを片手に、班員たちにテキパキと当日の行動を説明する篠上。話すべき事を纏め、こちらが理解しているかを確認しつつ、順当に。
「OK」
「異論は無い」
志藤と帷は二人とも、大して意見する事はなく篠上の指示を聴いていた。この場合では篠上のように現場を仕切れるタイプは、居てくれたほうが助かると言うのが男子三名の共通意識だ。
「うん。志藤と帳はご飯を焚く火を起こす係。千尋はカレーの具材を……。千尋……?」
篠上の友人である、本城千尋は、眠たそうにこくりこくりと頭を上下させていた。
北欧人を思わせる白い肌と、腰まではある鮮やかなブロンドヘアーの持ち主。教室に射しこむ陽だまりの中では、いつにも増してより一層ほんわかとした印象をくれている。
「起きてーっ!」
ほんわかしすぎていたようで、今は篠上の頭を悩ませている要因になっていたようだ。
「あうっ……」
まつ毛長く、大きな瞳をしばたたかせ、目が覚めた本城は恥ずかしそうにえへへと笑う。そんな仕草でさえ逐一清楚だった。
「うん……。カレーは美味しそうですね」
「千尋……話、聴いてないよね……?」
「カレーの話ですよね、綾奈ちゃん?」
「そうだけどそうじゃないの……。もーっ……」
篠上はこめかみに手をあてて、腫れ物に触るような表情だ。この瞬間限りをくり抜けば、よく小学校と中学校からずっと仲良くいられたな、と。
「香月さん」
篠上が次に呼んだのは、先ほどからずっと椅子に座って傍観を決めていた、香月詩音だった。
――本城の時とは違う、どこかよそよそしい声で。
「なにかしら?」
香月も香月で、好意的な印象とは程遠い冷たい返しであった。これがいつもの香月、であるが。
「あくまで確認だけど、当日はちゃんと言うこと聴いてね……?」
少し遠慮気味ではあるが、それでも篠上は言い切った。
「ええ」
香月は表情を変えることなく、頷く。
(しかし香月……ぜんっぜん楽しくなさそうだな……)
誠次は頭の中でそう思う。
クラスでも誰かと話しているのも少ししか見た事がないし、仮に話し掛けて来る奴がいても、最低限の処理で返す。
それこそ篠上と本城の仲を見た後では、篠上と香月の仲は良好ではないと言うのは誰の目から見ても明らかで。
「……」
まだなにか言いたげな篠上を気に留めることもせず、香月はあさっての方向を向いてしまう。
「……まあ折角の機会だし、みんなで楽しもうぜ。楽しんだもん勝ちみたいなさ」
微妙になってしまった空気を悟った志藤が、片手を上げて飄々と言う。
「そうですよ。みんなで仲良く楽しくやりましょう!」
乗ったのは本城で、微笑みながら胸元でガッツポーズをする。
椅子に座っている帳も「だな」などと言って軽く笑う。
「もう……」
いよいよ困り果てた様子の篠上は、腰に両手を置いてため息だ。篠上の性格から考察するに、やはり当日はキッチリとやるべき事をして、意義のある課外学習にしたいのだろうと思う。
こちらとしても、その思いは同じだった。だから、同じだから故、どうしても訊いておかねばならないことがある。
「あの……篠上」
今までじっと黙っていた誠次が、ここでようやく小さく挙手しながら口を開く。
「なに?」
篠上は首を傾げる。
「……俺、なにも言われて無いけど、良いのか?」
今回の会議で篠上含めた六人中、誠次のみが名指しで仕事を分け与えられていなかった。
誠次の言葉を聴いた篠上は、「あっ」と、絶対に出してはいけないような声を出していた。
「あ、天瀬はなんと言うか……。その、えーと……。゛そうだ゛、全員の手伝いで、臨機応変に動いてね」
「そ、そうだ、だと……!?」
見事にはぶられ、遊撃部隊みたいなノリにされている誠次であった。
渋々であるが、表情には出さずに誠次は引き下がっていた。
「りょ……了解であります。篠上殿……」
この班における誠次の立ち位置は魔法が使えない以上、下っ端の下っ端だ。篠上綾奈を魔女とするのならば、天瀬誠次はしがない召使い。そしてそれは、この広いような狭いような世界においても、変わることのない定義だったのかもしれない。
林間学校を明日に控えた夜。
誠次はルームメイトたちと一緒に寮室で、明日の準備をし終えたところだった。
「みんな、電気消すぞ」
誠次が壁に取り付けてある、室内照明のスイッチに手を添えながら、ルームメイトに告げる。
朝五時三十分には正門にいないといけないので、早寝早起きをしなければならない。
寮室にあるのは間を空けて二つの二段ベッド。
入り口から見て右側の上段が誠次、下段が帷。左側は上段が小野寺、下段が夕島の寝床だった。
「オールしないのか?」
下より帳の声がした。ずっと起きていることの意味だろう。
「失敗した時のリスクが高いから遠慮しとくよ」
「起きれるかどうか、心配ですね……」
ベッドの上でパジャマ姿の小野寺が、枕を抱えながら不安そうにしていた。
「電子タブレットの目覚まし、ちゃんとセットしておいたか?」
眼鏡を外している夕島が、皆に確認をとるように言う。ちなみに小野寺と夕島と桜庭は同じ班らしい。極めて、平和そうである。
「いつも深夜アニメ見てるから……絶対寝れねぇ……」
ベッドの下から、帳の悲しい声。思えば消灯した夜、いつも下の方から煌々と明かりが灯っていたっけ。それでも授業中で彼が寝ているのは見たことがないのだが、大丈夫なのだろうか。
「起きれなくても俺が起こしてやる。安心して眠ってくれ」
不敵に、ドヤ顔の誠次が三人に向けて、言う。
「サンキュー天瀬。頼りにしてるぜ」
「ありがとうございます天瀬さん!」
すぐに帳と小野寺がはにかんで言葉を返して来たが、斜め下の夕島は苦笑していた。
「……頼んだぞ天瀬」
「?」
「早く寝るぞ。おやすみ」
「おう……」
夕島の言葉の意味が掴めず、誠次は首を傾げていた。
とにかく今日は早く寝なけらばと、誠次は暗くなった室内でベッドに横たわり、目を瞑る。
(帳には録画で見たらどうだと毎回言っているが、まったく仕方が無いな。明日は少し早く起きて、皆を起こしてやるか)
……早く……起きて……。
ぼんやりとした意識の中、誠次は必死に目を瞑っていた。
皆と行く林間学校……楽しみだな……。そう言えばあれはバックに入れたっけ……着替えは念の為に……。……あ、あと……――。




