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GWが終わり、梅雨独特のじめっとした空気の季節となった。
ヴィザリウス魔法学園は、六月から制服が夏服に変わった。夏服と言っても、男子女子共にブレザーを脱いだ半袖のワイシャツ姿と言うだけだが。
クラスがある学科棟の通路。
一学年生カラーである青色のネクタイを締めたワイシャツ姿で、誠次は志藤は廊下に並んで立っていた。
「――しっかし夏服は良いよなー」
続いて他人事のように、楽しげに志藤が呟く。
忙しなく動く目は、通りすがる女子生徒たちを追っている。
「この学園の女子って全体的にレベル高いっつーの? だからなんて言うか、普通でも美味しゅうございますっ! みたいな」
「なにが言いたいかはだいたい分かる」
ただ言葉にすると非常に良く無いことなので、誠次と志藤は共に無言で味わうことにした。
要するに、今の二人の姿は高度な変態であった。
「夏は良いよなー夏は」
「ああ。なにが言いたいかはだいたい分かる」
志藤は頭の後ろに腕を回して、誠次はさりげなく壁に背中を預け、水族館の魚を鑑賞する様な素振りで、行き交う人を眺めていた。
ちなみに志藤にはゴールデンウィーク明けに、付加魔法関連のことを訊いていた。しかし、思っていた通り、エンチャントをした時点で感情の変化は起こらないらしい。
そこで誠次がエンチャントの効果で考えたのは、二つの可能性。
その一、八ノ夜から頂いた剣になんらかの秘密がある。
その二、エンチャントをしたのが女性だから。
――八ノ夜に直接訊いてみようかとも思ったが、生憎と現在海外出張中らしい。ゴールデンウィークを一日使ってでも一緒に外出したのは、これの為だったようだ。
その一はその内八ノ夜に訊くとして、その二は――。
誠次は、所属する1-Aの教室ドアを開ける。
「じゃあ志藤。またな」
「またなって同じクラスだぞ。どこ行くんだよ?」
「香月のところ」
「あいあい。まったく結婚しろってのお前ら」
「冗談はよせ」
志藤と入室直後に別れ、そのまま何事も無く直進。
思えば四月の頃は、クラスメイトたちの容赦ない軽蔑や警戒の目線が飛んで来ていた。女子なんかはちょうどドアを開けた時に鉢合わせした際に、悲鳴を上げて腰を抜かせてしまったことだってあり、誠次はその都度平謝りをしていた。
「おはよー天瀬くん」
「おはようさん学級委員」
「おはよう」
六月ともなれば、クラスメイトもようやく普通のクラスメイトとして、受け入れてくれたのかもしれない。
挨拶もつれづれに誠次が真っ先に向かったのは、窓際の席に座る香月のところだ。
「お、おはよう香月」
梅雨の曇天である窓の外を眺めつつ、不自然極まりない、唐突なあいさつ。
「お、おはよう、天瀬くん」
驚いたように顔を上げ、誠次をぱちくりと見つめ、香月は朝のあいさつを返す。
夏服に身を包み、胸元には綺麗に結ばれた青いリボン。全体的な白の中に、時に気品も感じさせる少女は、今日も一人だった。
――いや、香月の机の上には、もう一つ紅茶のカップが置かれていた。この紅茶は確か、桜庭が好きだったものだ。どうやら、先客がいたらしい。
「あなたから話し掛けて来るなんて珍しい」
ひとしきりこちらを大きな瞳で見たあと、すぐに感情を殺した顔と声で言ってくる。
吸い込まれそうな紫色の瞳を見据えて、誠次は片手を腰にあてる。
「ま、まあ、訊きたいことがあるんだ」
「なにかしら?」
「エンチャントのことだ」
エンチャントなる単語を聴いても、香月の表情に変化はなかった。
「そ、その。俺の剣にエンチャントしてくれた時、なんかなかったか?」
「目の色が青くなったり、とても強そうになってるわよ」
「いや俺じゃなくて!」
誠次はずこ、っとこけたようなジェスチャーをしたが、香月は無反応。
げふん、と誠次は咳払いをした。
「……」
「……香月の方なんだが」
「私?」
「……」
う、上手く尋ねられない……。誠次はその次の言葉を失っていた。
「……確かに、よく分からない気分になるわ」
香月が、視線を逸らしてだが話し始めてくれた。珍しく、察してくれたらしい。
「気持ちよくなる、とでも言えば良いかしら」
あごに手を添え、当時を思い出すようにして、香月は呟く。
「気持ちよくなるっ!?」
思わず叫んだところ、クラスメイトの少なくない視線がこちらに集中してきた。
教室の片隅でいかがわしい単語が叫ばれたことだから、当然か。
しまった、と周囲を見渡した誠次は、慌てて、
「そうっ! あれは確かに、日持ちが良くなる!」
と咄嗟に声を出し、なにか食材の話をしておく体で誤魔化した。
――バナナの日持ちが良くなる方法はどこかにぶら下げとくとか、そう言う感じである。
「……と、とにかく、悪い気分じゃないわ」
周囲の視線が止んだところで、香月が髪をはらって言って来た。これまた珍しく、少し動揺していたらしい。
これには誠次も申し訳なく、髪をかいて香月に手を向けていた。
「その……もしかしたら今後もエンチャントを、香月の力を頼るかもしれない。その時は、エンチャントをしてくれるか?」
ぞっとする気分を味わいつつ、誠次は尋ねる。
これだけは、事前に聞いておかないと駄目な事だとは思っていた。
「ええ。別に、構わないわ」
自信有り気に不敵な笑みを香月は見せると、再び誠次に視線を向けて来た。「楽しみにしているわ」と今にも言いそうで。
誠次は戸惑って視線を泳がせていた。
「……ありがとう、助かる。悪い事には絶対に使わないから、安心してくれ」
「そうね。正義のお味方さん」
「正義の味方、か……。ありがとう」
香月に信頼されているのだと解釈し、誠次はよりいっそう身が引き締まる思いだった。
「はよっすー。愛するマイシュチューデンツたちよ」
林がクラスに入室したので、誠次を含めた1-Aの生徒たちは一斉に自分の席へと戻る。
「前もって言っていたが、六月の二四日と二五日の二日間で林間学校がある。今日の一時限目は班決めや林間学校の説明だ」
言葉の端端から気怠さが如何なく滲み出ているのは、この場の誰もが分かることで。
「いまいちスッキリとしない天気だな……」
誠次は窓の外を見つめていた。
初夏の湿った季節。
すっかり馴染んだ、とは決して言い切れないが、この学園の入学式からちょうど二か月に、なっていた。




