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リリック会館の中に、四人は入った。
「この人の多さは凄いな……」
帳隊長がここへ来て、ファンの多さに圧倒されていた。
確かに、子供の頃よく行っていたテーマパーク前のようで、これはとても……一人じゃ無理だと思った。
「熱……」
イベント会場となっている会館の中に一歩足を踏み入れれば、ムンムンと激しい熱気が襲いかかって来る。
香月や小野寺は、今にも吹き飛ばされそうな熱と風圧で。
「はぐれないようにな」
大勢の人でごった返す中、帳が前方を睨みながら一言。
さすがに係員が整列を促しているが、悲しいかな一人が騒げばそれが波のように広がり、ホールの中はたちまち大騒動となっていた。
(……っ!?)
すぐ後ろをくっつくようにして歩いていた香月も、少なくない人数の人と肩をぶつけてしまっていた。
その姿が、どこか弱々しく、
「……手」
(……うん)
誠次が後ろへ手を差し出せば、香月がすぐに握り返してきた。
冷たく、すべりそうだ。女子の手ってこんなにもか弱そうなものだったけかと感想もつれづれに、誠次は香月の手を離さぬよう、力強く握っていた。
香月は香月で、誠次の心情などそっちのけで辺りをきょろきょろと見渡している。
「楽しそうだな」
(こう言う外出は始めてだから)
「そう言ってもらえると帳が喜ぶ」
二人とも香月がこの場にいると言うことはわからないだろうが。
ホールに入ってすぐの二階座席で立ち止まり、そこから見下ろす形の誠次と香月の視線の先。
ホールの一階ステージに、こちらから見て遠くで一人立っていたのは、太刀野桃華だった。過激さの中に、どこか気品のあるミニスカートのドレス衣装に身を包み、太刀野桃華は目を瞑っている。遠目でも目を引く鮮やかなピンク色の髪を、腰までの豊かなツインテールにし、化粧をしているであろうがその上でも分かる魅力的で整った顔立ち。
帳の事前説明では、まだこちらより一歳年下の十四歳らしい。容姿で見れば、皆から愛されそうな完璧さが、ステージには存在していた。
「可愛いな……」
「確かに、綺麗ですね」
「だろ?」
どこかまだあどけないが、男女関係無く人を虜にする魔性を感じる、と言えば良いだろうか。
太刀野桜華はやがて、桃色の小さな口を開き――。
『御機嫌よう皆! 今日は私の誕生日に来てくれて、歓迎するわ!』
誠次と香月と小野寺三名の顔が、大いに引きつったのもつかの間。
帳を含めてファンたちの歓声と嬌声が、会場で縦横無尽にうねっていた。さきほどまではバラバラに見えた人々が、整列指導された軍人のようだ。
『さぁ。宴を始めましょう……!』
まるで打ち合わせでもしているかのように、太刀野桃華の言葉に合わせて盛り上がるファンたち。
(中二病……)
耳元を押さえる仕草をしながら、ボソッと言う香月。
「なんでそう言う所の知識はあるんだ……?」
(……フ)
誠次が驚いたのに優越感を感じているのか、香月はジト目で満足げなドヤ顔を見せつけていた。
一方で小野寺は、
「こ、個性的なアイドルですね……。って、あれって本当に広い年代に愛されるのでしょうか!?」
「あれは素なのかキャラなのか」
「今そこ重要でしょうか天瀬さん……」
苦笑いの小野寺とあごに手を添える誠次は、この場の雰囲気に呑み込まれつつある。小野寺の疑念は要するに、そういう事であった。
対照的なのは、帳を含めた周囲の人々だ。若い男性と女性客はノリノリで、子供も目を輝かせている。高齢者の方は椅子に座りながら、まるで我が子でも見るかのような温かい目線をステージに向けていた。
「まあ、昔じゃこう言う若者イベントに高齢者が来るなんてありえないことだったんだよな」
「あ、天瀬さんの歴史語りですね」
「聞きたいか小野寺!?」
「え、い……はい」
小野寺がほんの一瞬複雑そうな表情をしていたが、誠次は気づかずこほんと咳払いをして得意げに話しだす。
「要は゛クールジャパン゛の精神だ。ネットやゲームがどんどん普及した結果、昔の世代の若い人はそれで遊ぶようになったり、コミュニケーションの道具として使うようになったんだ。そこに密接に関わっていたのが、こう言う若者のパワーだ!」
「……?」
きょとんと首を傾げる小野寺。
誠次はなんと伝えようかと一生懸命考え、身振り手振りを交えていた。
「ま、まあ要するに、日本の文化であったアニメとか科学技術が発展に発展を重ねた世代を生きていた若い人が、今高齢者になっているだけってこと。昔からやって来たことは年を重ねても面白く感じるってわけだ。こういう文化はスポーツとは違って、肉体の衰えとかあまり体力に関係が無いからな」
「子供の頃からゲームとかインターネットがあったから、それが今に続いていると言うことでしょうか?」
誠次は頷く。
「もっともそう言うのに興味ないって人ももちろんいるけどな」
正直上手く説明できたとは思っていなかったので、誠次は頬をぽりぽりとかいていた。
(……)
香月がなにか言いたげにしていたその時、周囲で引っ切り無しに響いていた歓声が、突如として止んでいた――。
静寂の原因は、ステージの方から。
「――全員動くな! このリリック会館は、俺たちレ―ヴネメシスが占拠した!」
丈の長い迷彩服にバイクヘルメットを被った男がステージに立ち、大声を上げている。
それはアイドルの華やかさとは随分とかけ離れた――暴力の意気だった。
「動くな!」
観客たちが騒然となったのも一瞬、ステージに立つ男と同じ格好をした仲間たちが、一斉に声を張り上げて周囲に出現していた。
瞬間的に、会場に流れる不穏な熱。
「えっ――」
突如として豹変した周囲の状況に、誠次は肌が粟立つのを感じた。
「テロ……だと!?」
呻き、誠次はすぐさま振り向く。外へと続く入り口は閉ざされ、すでに二人のヘルメット姿の敵が立っていた。
どういうことだ? と考える間も無く――、
「ふざけんな!」
観客の誰かが叫ぶ。そして反撃の声が、次々と拡散していく。
テロリストを名乗った男たちの人数は、ざっと見で十数人。対して会場にいる人間の数は千を優に超えている。なにより、一帯を封鎖していると宣言した男たちは素手であった。
「桃華ちゃんのライブに何してんだよ!」
数で団結すれば勝てると思ったのだろう、何名かの一般人が構わず次々と騒ぎ出す。
――だが。
「大人しくしろ。さもなくば――」
ステージに立った男が右手を掲げ、魔法式を展開。
下位攻撃魔法で、標的はホール天井にぶら下がる巨大なシャンデリアだった。
「何する気だ――!?」
まさかと思い、誠次は汗ばんだ手を強く握り締めた。
そう――素手に見えても、この世には魔法がある。
観客たちの視線が一斉に、魔法の光を浴びた天井へと向けられた次の瞬間には、そこで魔法の爆発が起こっていた。
白煙の中、すぐに落ちるでもなく、恐怖を助長するようにぐらぐらと揺れる、金属製のシャンデリア。二階部の天井からもしもあれが落ちてしまったら、真下にいる一階の観客たちの身体など、耐えられるものではない。
「うわああああああ!」
人の絶叫が、一階でこだましている。
「――防御魔法だ小野寺! このままじゃシャンデリアが落ちるっ! 落ちるところに《プロト》をっ!」
衝動的に誠次は、すぐ横にいる小野寺に叫んでいた。゛なにも考えずに゛、ただ一般人を救うために――。
「は、はいっ!」
小野寺は震える右手を天に向かって伸ばし、浮かんだ魔法式を必死に構築していた。
「早くっ!」
じれったい光景に誠次は、さらに小野寺を急かしてしまっていた。
「わ、分かっています!」
その中性的な声の叫びを聞き、周りの人が一斉に小野寺を見る。
千を超える視線の先の小野寺は、怯えた表情となってしまい、構築動作に何度も失敗しては、やり直している。
「魔法生か!?」
二階のテロリストの男が、魔法式の光を発見して歩み寄って来る。
「うっ……っ!」
小野寺はそれを横目で確認してしまい、さらに怯えてしまっていた。
そうこうしている内に、シャンデリアを繋いでいた最後のつがいが外れ、その巨大な金属が重力に引っ張られる――。
「!? ああ、そんなっ!」
小野寺の悲鳴が、光を描いて落ち行くシャンデリアに注がれた。
人々の悲鳴や絶叫が、ホール内部で反響していた。最悪の結末を迎えてしまった。
だが――。
「魔法!? 誰が!?」
誠次は驚く。
シャンデリアは空中で゛留まっていた゛。
魔法の光を浴び、空中でしばし浮いたあと、シャンデリアはステージの方へ向かって行く。
その行先を追いかければなんと、太刀野桃華がステージ上で、魔法式を展開していた。
「物体浮遊の魔法……? 太刀野さんが、やったの、か……?」
観客もテロリストの男たちも誠次も。この場の皆が一斉に、ステージで変わらずスポットライトの光を浴びる太刀野桃華の方を見つめていた。
小野寺に詰め寄ろうとしていたテロリストの男も足を止め、太刀野桃華の方を見ている。
誠次は大きく息を吐いていた。
『皆ごめんなさいね。少々過激な演出だったわ』
ヘッドマイクに息を吹き込み、太刀野桃華は堂々と言っていた。まるで、予定調和のように。
――しかし。
係員が全員、テロリストたちを前にして伏せてしまっているあたり、演出なんかでは無いことは、明らかだ。
『さぁテロリストさん? 目的はこの私でしょう? さっさと連れて行きなさい!』
それでも、太刀野桃華は自らステージ上のテロリストの男に近付き、声を張り上げていた。騒動を極めて小さなもので収めようとしている。自らの、身を挺して。
「なんだよ……それ」
――誠次まさにこの時、自分の無力を改めて思い知っていた。
すぐ隣で、しゃがみこんでしまった小野寺。男子高生にしては華奢な身体が、小さく震えてしまっている。
「小野寺……」
弱く、誠次は声をかける。
「大丈夫か小野寺!?」
帳が小野寺の肩をさすっている。
らしくないなと、帳の咎めるような視線が、誠次を刺して来た。
誠次は、眉をひそめる。
「大丈夫、です……。それよりも、なにも出来ませんでした……」
「……っ!?」
――畜生。なにも出来ないのはおれだ。一方的に小野寺に向けて叫んで、あまつさえ目立つような危険な真似をさせて。自分が魔法が使えないからと周囲の人間に強く当たる。
こんなの……昔となに一つ変わっていないじゃないかっ!
誠次は足に力を込める。
波沢に対してはあんなに強く言ったのに、結局変わっていない自分に、腹が立っていた。そして誠次は、テロリストの男によりステージ横に連れ去られる太刀野桃華をじっと見つめる。陶器のようなその横顔が、悲しく落ち込んで見えてしまった。
「ホールを見張っておけ!」
「了解。おい! この場の全員、一歩も動くな!」
レ―ヴネメシス。魔法を悪に使う、気取った名前の犯罪者たち。
魔法は――。
「外と連絡がとれない……。妨害魔法か……?」
腕時計型のデバイスに目線を落とし、帳が呻く。
まず外へ状況を知らせようとしているのが、焦っていたこちらに比べて幾分か冷静に、誠次は見えてしまった。
「このままじゃダメだ!」
心の奥底から沸き立つ、敵と自身への怒りが、誠次の表情を硬く強張らせていた。
「テロリストども……!」
口の中に溜まった、重たい感覚を吐き出すように、誠次は叫んだ。
(どうする気?)
思わず我を失いかけていた所で、であった。背後から、こちらを試すような香月の声がし、誠次は顔をハッと上げた。そして、すぐに眉根を寄せる。
――怒りに呑まれては駄目だ。
魔法を悪事に使うテロリストにぶつけなくてはならない。握り拳を作り、誠次は重たい自身の身体を奮い立たせる。
「……決まってる」
言葉の終わり、香月から目の前に剣を差し出される。
ジト目である香月の表情は、やはり誠次を試すようであった。いま握るべき力が、まだ手遅れじゃないと言うのなら――。
「゛魔法をこんな馬鹿げたことに使う゛ヤツに、思い知らせてやる……」
波沢を責めた男に、相応しくあれ。
(そう……。――じゃあ、これを……)
香月が大事そうに握る剣を、誠次は睨む。どくん、どくん、と心臓が脈を打っていた。




