6
真夜中の王の通り道に貯まった冷たい水の中に、立ち塞がった番人は沈んでいった。火は車から漏れる燃料によりその勢いを増し、水はトンネルに開けられた横穴から押し寄せる。
激しい戦闘の痕跡である亀裂は、トンネル内の至るところに発生している。このままでは次第に水圧に耐えられなくなって、トンネルは崩壊する事だろう。
すぐ頭上のぶ厚いコンクリートが降って来てもおかしくはない状況の中、駆け付けたクリシュティナ・ラン・ヴェーチェルはガルムと暴徒たちの前に立ちふさがる。
『クリシュティナ、だと……』
なぜか戸惑っているガルムであったが、クリシュティナは一人、攻撃魔法の魔法式を展開する。
「天瀬誠次は……何処ですか!?」
『……許せ。奴は俺との戦いに負け、この水の底に沈んだ。俺も多くの人の思いを受けている。この王の通り道を突破し、この仮面を脱ぎ捨て、国際魔法教会に支配された世界の目を覚まさせなくてはならない』
「私も、かつては国際魔法教会の理想を第一に信じていました……。国際魔法教会の為ならば、どんな命令をも聞き、口答えはしないと」
クリシュティナは首を左右に振るう。特徴的な二房の髪の束が、火の粉を浴びながらも揺らめく。
「……ですが今は、命令を破り、この場に駆けつけたんです! 私の……自分の意思で!」
『? ……何を、言っている?』
要領を得ないクリシュティナの叫び声に、ガルムは首を傾げる。
「天瀬誠次! 貴方のお陰で、兄は無事です! だから……だからどうか! 今度は貴方を私に守らせてください! 嫌だとは、言わせません――!」
涙を流しながらも、叫んだクリシュティナの声は、イースト川の冷たい水中に響く。
※
「――馬鹿な、妹だ……。結局、自分の意志で物事は決められず……誰かに言われないと、動けない……。操り人形だ……」
黒い煙が昇る灰色の空を虚ろな目で見つめ上げ、地面の上に倒れているミハイルは呟く。レヴァティンを回収しようと、暴徒の群れの中に突っ込み、銃弾にやられてしまった。どうにか男性職員からレヴァテインは取り戻せたものの、使い魔を使って本部へ送り届ける事しか出来なかった。
体内魔素も尽き果て、覚悟を決めていたところに、駆け付けたのがクリシュティナとルーナであった。
二人によって助けられ、そうして今、自分はキルケー魔法大学の中で治療を受けているそうだ。そうだと言うのは、つい先ほど目覚めたばかりで、隣に座る女性から状況を聞かせられたから。
「クリシュティナさん。貴方の妹さんは、貴方の事が大切なんですよ。両親を亡くして、唯一の血縁者が、貴方なのですから……」
自分に治癒魔法を浴びせてくれている、紫色の髪をした日本人が、優しく語り掛けて来る。
また日本人か……変な、偶然だ……。と、目を覚ましたミハイルは血の味がする息を呑んだ。
「俺を助ける意味なんて……揃いも揃って、馬鹿ばかりだ……」
駆けつけたのは、剣術士がそうさせたらしい。自分の身を顧みない、余りのお人好しぶりは、ミハイルからすれば理解が出来なかった。
「でも最終的に、クリシュティナさんは自分の意志で、再び天瀬誠次くんの所へ戻ると決めました。貴方の無事を確認して、すぐに。私が何よりも守るべきものを守る為に、と」
「……っ」
ミハイルは赤い瞳を力なく閉じる。
それを聞いて寂しい思いがする自分の心がまだ残っている事と、それを上回る妹の心の成長、人としての当たり前の感情を妹が身に着けていた事が、どう言うわけか、嬉しかったのだと思う。
だから、口角を軽く上げていたのだろうか。
「優柔不断で、心優しくて、捨てられるものも捨てられない……俺とは、違って……。だから……家とは関係のない、自分の道を……」
そんなクリシュティナの幸せを……両親の存在を消した自分はもう、彼女に合わせる顔もないと言うのに――。
それでも尚、クリシュティナはミハイルを思い、こうして助けに来た。血塗られた一族に生まれるべきではなかった少女は今、剣術士と新たな道を歩もうとしている。
※
運ばれたトラックの運転席に横たわり、百合は腹部への自力での治癒魔法を終えていた。
窓の外では、赤い炎がめらめらと燃えている地獄のような光景が広がっている。
「一希……。お姉ちゃんは……貴方のお友だちの誠次くんが、守ってくれたの……。一希が聞いたら、驚くかな……」
「百合先生!」
トラックの窓の外より、汗ばんでしまっている手の平を押し付け、ルーナが必死に声を掛けていた。
「ルーナ、ちゃん? 来てくれたの……?」
「キルケー魔法大学から急行しました! クリシィが先に! 見ていませんか!?」
「先って……煙も酷くて、とても熱いわ! それなのに、この先に行ったと言うの!?」
生身では数分と持たないような灼熱の光景を見つめ、百合は驚愕する。
「確かなんです……っ!」
ルーナも襲い来る熱風から身を守ろうと、腕を頭部に添え、炎の彼方を睨んでいる。
百合も動こうとすれば、赤い血が滲む服の下から、激しい痛みが発生する。左手で腹部を抑えながら、百合は右手を押し出すようにし、トラックの運転席ドアを開ける。まず襲いかかってきたのは、想像を越える熱の量だった。
いるだけで肌が焼けるようで、百合も右手で顔を覆いながら、足を伸ばして慎重にトラックから降りる。
「誠次っ! クリシィ! っく、もう体内魔素が足りない……っ!」
ルーナの叫び声が響く中、トンネル内の炎はその勢いを増していく。
※
「――へえー。捨て犬ねぇ」
東京の喫茶店。夕暮れ近くなり、店の入り口はすでに閉店を知らせる看板がぶら下がっているのだが、店内にはまだ二人の客がいた。
カウンター席で頬杖をつくユエは、焼いた牛肉を食べる犬を眺めて呟く。
「しっかし贅沢な犬だっつーの。カリカリは食わないで焼いた肉を食うって」
ユエと澄佳の頂き物の超高級和牛を、香月がキッチンで焼いただけの調理をし、犬に差し出したところ、なんと犬は満足そうに食べ始めたのだ。
「グルメな犬ね……」
「このご時世、捨て犬や捨て猫は珍しいものではないですけど、片目が見えないのは少し親近感が沸いちゃいます」
顎に手を添えて「私が買ったドッグフードは……」と悲し気に呟いている香月と、ユエと同じくカウンター席に座り、犬を眺めている澄佳。そして香月の隣には、どこかほっとしたように犬を眺めている南野の姿もあった。
「この捨てられてしまっていたワンちゃんさん。どうするのでしょうか?」
澄佳が南野に尋ねる。
「さっきデンバコで調べたんですけど、゛捕食者゛が出てからペットを飼う余裕がなくなった人の為に動物を保護する団体があるみたいなんです。そこに……預けようと思います」
僅かばかりに申し訳なさそうに目線を落とす南野が、答えていた。
「そうですか……」
「そら、フェンリル」
南野と同じく視線を落とす澄佳の隣で、ユエが飄々と、眷属魔法を発動していた。
ユエが呼んだのは、白銀の世界にいるような美しい白い毛並みをした、しかしすこぶる目付きの悪い狼だった。
「な、何してるんですかユエさん……?」
「躾だっつーの。まずは経済的観点からカリカリを食べさせねーとな?」
戸惑う澄佳の隣で、ユエが得意気に微笑む。
ユエの魔法式から飛び出したフェンリルは、皿の上に乗っかる超高級和牛を食べる犬へ近づき、大きな声で吠えていた。
吠えられた犬は、びくんと身体を震わして、なんと頭を地面に擦りつけるように頭を垂れる。俗に言う、クーンのポーズである。
「この犬、俺たちで飼わないか澄佳?」
「……なに南野さんが美人だからって格好つけてるんですか、ユエさん」
「ばっ、別にそんなんじゃねーっつーのっ!」
澄佳がジト目をユエに向け、これにはユエも、カウンターの向こうに立っていた南野も顔を真っ赤にして苦笑する。
「ただ、その団体とやらに預けるっつったって、どうせ身寄りを失くした動物が押し込められる施設みてーなもんじゃねーの?」
「施設……」
何やらもの悲しさを漂わせ、香月が黒いエプロン越しの胸に手を添えている。
「だったら、俺たちで飼ってやろうぜ? ご覧の通り、フェンリルがいい具合に親分肌出してるぜ」
ユエの足下に戻ってきたフェンリルは、ユエの周りをくるりと優雅に歩いていた。
「それは、住んでいるマンションは動物可で飼ってやりたいのは山々ですけど、私たちも二人ともに急に呼び出しが掛かる場合があります……」
南野がいるので、一応職業のことはぼやかす澄佳であったが。
「どうせ当分ねーよ。それにもし本部に戻ることがあったら、その時は寮室で飼えばいいじゃねーか。あそこにならいつも誰かしらいるし、警察犬ならず特殊魔法治安維持組織犬の誕生! っつーやつ?」
どうよ? とユエが得意気な表情で澄佳を見るが、澄佳は小さな身体から溢れんばかりの怒気を放っていた。それもそのはずだ。
「し、特殊魔法治安維持組織……?」
南野が驚いた様子で、ユエと澄佳を交互に見つめていた。
「あ、やべ……マジで無意識に……」
「なに口滑らしてるんじゃおんどりゃーっ!」
「ちょ、澄佳!? さっきのおばさんより遥かに怖いっつーの!?」
頭上でわちゃわちゃする夫婦の喧騒を他所に、バタバタと動くユエの足下で、今日も平和だと言わんばかりに白狼があくびをしていた。
「……って、特殊魔法治安維持組織の人と知り合いってなに、香月ちゃん……。ま、まさか、前科者……!?」
「距離をとらないでください南野さん……。違います……」
恐る恐る離れていく南野に、どうしたものかとおでこに手を添える香月は、そっと近づいていた。
ユエが犬の入った段ボールを両手に抱え、澄佳は量をかなり減らした老夫婦からの頂き物のビニール袋を両手に持ち、店の出入り口のドアをくぐる。
「ごちそーさまでした」
「二人でも量がとても多かったので、お野菜とかはどうぞ受け取ってください」
「「ありがとうございました」」
手を軽く振って見送る二人の後ろには、南雲夫妻がお裾分けをした野菜や果物の数々があった。
ふぅと息をつき、振り向いた香月が艶のあるニンジンを手にしていたところで、南野が香月の華奢な肩に、手をぽんと乗せる。
「気遣ってくれて、ありがとうね香月ちゃん。私はもう大丈夫」
「そうですか。良かったです」
「香月ちゃんは? もう大丈夫?」
「え。どうして、私は別に……」
驚き戸惑う香月に、南野はくすりと微笑んでいた。
「いやほら、アメリカとかそっち系に意識飛んでたし。向こうになんかあったのかなってさ。それともわざとだったとか?」
「い、いえ本当に無意識で……。……無意識、ですけど……心の底ではもうどうしても意識してしまうものなの、ですね……」
「ん?」
胸に両手を添え、力なく微笑む香月に、南野は首を傾げる。
観念するように香月が口を開いたその時、慌てた様子でユエと澄佳が戻って来た。
「悪い悪い! 雨やんだからうっかり傘忘れちまったぜ」
犬が入った段ボールを抱えるユエがドアを軽く開け、そんな雨上がりあるあるを言ってくる。
「雨、いつの間にかにやんだんですか?」
南野が窓の外を見つめ、香月も続く。
生まれ変わり、芽吹き始めた新たな緑の葉をつたうのは、安らかな祈りの願いが込められた水の雫。一日中降り続いていた雨はいつの間にかにやんでおり、帰宅の道を急ぐ人々は、傘を閉じて行き交う。
鼠色のぶ厚い雲からは、綺麗な橙色の夕暮の日差しが覗いている。
「ワフ!」
ユエの両腕に抱えられた段ボール箱から、犬がひょっこりと顔を出し、南野と香月をじっと見つめ、軽く吠える。
「別れの挨拶のつもりかしら」
「ふーんだ。精々幸せに暮らしなさいよね」
最後まで懐いてはくれなかった為か、南野は腰に手を当て、やれやれと息をつく。しかし、隣に立つ香月には南野はどこか、犬との別れを惜しんでいるようにも感じられた。
「お騒がせしました。それではまた、寄らせて下さいね」
澄佳が軽く頭を下げ、二人は再び店を後にする。
「さて、と。それじゃあ私たちも早いところ帰ろっか?」
「はい。゛捕食者゛が出る前に、急ぎましょう」
「今日は本当に助かったよ、香月ちゃん。ありがとうね」
「そこまでのことはしていないつもりです」
三日月のポニーテールをほどき、香月は髪をふわりと広げていた。
「彼氏さん、早く帰って来て下さると良いですね」
「……それはこっちの台詞」
店を施錠して、防寒具を身に纏い、外に出たところで後ろから南野に暖かい缶ジュースを手袋越しに手渡され、驚く香月はそれを落としてしまいそうになる。
南野はしたり顔で、にやにやと笑っていた。
「今アメリカにいるんでしょ? 香月ちゃんの好きな男の子」
「……」
「別に隠さなくてもいいじゃーん。私超赤裸々に言ってるんだし、何よりもうバレバレだよー」
「私は……もうすぐに会えると思いますから……」
「もうすぐ帰ってくるの?」
今はないマフラーの代わりにするように、香月は両手で握りしめた缶ジュースをそっと、口元まで押し当てるようにして持ち上げる。じんわりと暖かく、白い肌の頬が少しだけ朱に染まっていた。
「はい。彼は必ず、大切なものと一緒に、私たちのところへ帰ってきてくれるって、信じています……」
祈るように、しかし自信と期待を抱いて呟いた香月の綺麗な横顔を、南野はじっと見つめていた。
「……そうだよね。私たちがちゃんと信じて待っていないと、遠くから帰ってくる人たちが困っちゃうよね。待ってることしかできない私たちがせめて出来るのは、帰ってきてくれたときに困らない居場所を作ることくらいだから」
「……はい」
「あはは、なんかエモいね。か、身体熱いし、なんか……いい感じ?」
「゛エモイ゛って何ですか?」
「そ、そこは自己検索を頼む香月氏……」
こほんと咳払いをした南野は、赤らめた顔で笑顔を見せていた。いつも通りの彼女らしい、自分には真似ができない、晴れやかな笑顔だ。
「それじゃ、次のシフトもよろしく! あっ、あと、進級おめでとう! 高二って一番楽しい時期だと思うから、いっぱい思い出作ってね!」
「はい。南野さんこそ、就職活動頑張って下さい」
「やっぱ香月ちゃん容赦ないっ! この落差よっ! それとも将来約束されている魔術師の余裕!?」
「っ? ……いえ、そんなつもりでは……」
香月としては、応援しただけのつもりだったのだが。
トホホと肩を落とす南野に、香月ははてと首を傾げていた。
夜を失った人間に残された、それは僅かでも平和な日常だった。雨上がりの穏やかな夕暮れが包む都内の街で、二人の女性は手を振り合って別れ、お互いの待ち人が帰ってくる時を待ち侘びる。
※
――背中から冷たい水の中へと沈んでいった誠次は、ガルムが遠ざかっていく姿を、虚ろな目で見つめていた。全身に刃が突き刺すような痛みが走り、口からは血を吐く。炎の明かりが差す水の中には、棄てられた車が沈んでおり、その車内では所有者が使っていたであろう様々な小物が浮かんでは沈んでいく。
水の中に沈んだ誠次はただ、一切の言うことを聞かなくなった身体を動かそうと、もがいていた。口の中から空気を吐き出し、懸命に力を込めようとする。
あの遠ざかっていく背を見逃せば、おれたちが帰る場所は……日本のみんなは……。
精々動く右手を持ち上げ、遠ざかって行くガルムの黒い背中を掴もうと伸ばす。その時、水中で右手が触れたのは、激しい水流で流されて来たのか、レヴァテイン・弐だった。
(ウ……ル……)
霞む視界の中、誠次は右手を伸ばし、レヴァテインの柄を掴もうとする。
(俺がここで負けたら……みんなは……俺たちの、帰る場所は……)
レヴァテインはまるで誠次の手から逃げるように、水中をふらふらと挑発するように漂う。苦しい水中で、まだ立ち上がろうとする自分を、更に苦しめるように。
――セイジっ!
ふと、遠くから、誰か少女の叫び声が聞こえる……。この声は、クリシュティナだろう……。兄の元へ行かせたはずなのに、どうして、聞こえるのか……?
――天瀬誠次っ!
二度目。その声は、思いのほか鮮明に、はっきりと聞こえて来た。
(クリシュティナの、声がする……)
紫色の目をこじ開け、肺から気泡を吹き出した誠次は、歯を食い縛り、必死に右手を伸ばしきる。そうしてレヴァテインをどうにか掴み、酸欠と低体温で動かなくなった身体の元まで引き寄せる。
(そう、だよな……俺には、世界を一瞬で変える力も……圧倒的な力もない……)
何度も叫び、何度も血を流し、地を這う。それでも決して、諦めない。諦め切れない。
(でも……誰かを守る力は……まだ俺の手には残されている、はず……)
しかし、身体は気持ちに追いつかない。
水中で再び気を失い、口から少ない泡を吐いて漂う誠次の右手は、しかしレヴァテイン・弐を握りしめていた。水の浮力に負け、水中で浮かび上がった軽量の車に背がぶつかり、首に巻かれていた赤いマフラーが、するするとほどけていく。
(がは……っ)
肺の中に冷水が侵入し、命の鼓動に必要な酸素を追い出していく。
微かに気を取り戻した誠次は、全身よりも先に右目が上手く開かない事に、まず気付いた。
左目で見えた水中の光景は、上から照り付ける火の光が差し込み、鮮明に捉えることができた。
クリシュティナに応えられず、おれはもうすぐ、この光景の錆の一部となるのか……? ヴァレエフに成長した自分の姿を見せつける事も出来ず、父さんと母さんと妹が必死に生きたいと願ったこの残酷な魔法世界で、志半ばで朽ち果てるのか……?
(……)
いいや、ヴァレエフの為ではない。
父さんと母さんと妹が生きていたかったこの世界で、おれは代わりに、おれの為に生き続けなければ――。魔術師と、そうではない人たちが生きる世界で、他の誰でもない剣術士と呼ばれる自分の存在を、肯定しなければ――。
暗く、遠くなっていく視界の果てで、残された紫色の光が閃光となり、水中を紫色に染め上げる。
(まだ、やれそうか……ウル?)
黒ずんだ目をゆっくりと瞑った誠次は、次には紫色の片目を開ける。
首から離れようとしていた赤いマフラーを左手で引き寄せ、誠次は歯軋りをする。
直後、右手のレヴァテインは、誠次へ向け大量の魔素を注ぎ込んできた。
(そうか分かった……。お前が滅びの力ではなく、誰かを守る為に再びその力を取り戻すと言うのならば……俺は、お前と共にこの魔法世界で生き残る)
水の中でふと、何か温かい感触が右手に触れる。紫色の目を開ければそこには、自分と同じく水中にいたクリシュティナが、こちらを見つめていた。
(私はまだ、貴方の傍に戻る事が出来ますか……?)
クリシュティナの口が形を作り、そんな事を言ってくる。
(――勿論、だっ!)
クリシュティナが水中で展開した魔法式が、誠次のレヴァテインを包み込む。色鮮やかな琥珀色の魔法式だった。
クリシュティナを見つめ返し、誠次は頷き、ともに浮上。浮上した水中から顔を出し、目覚めた誠次は口を開けて大きく息を吸う。
「クリシュティナ!?」
「誠次っ! ああ……良かった!」
顔や制服はぐしゃぐしゃで、更には目元も赤く腫れており、クリシュティナのメイドらしい優雅さは今は何処にもなくなってしまっている。涙と水でも落ちないような黒い汚れも付いてしまっていた。
「もう無茶な真似は慎んでください! 貴方はどれだけ、お人好しでいれば気が済むのですかっ!」
髪から流れ落ちる水の量よりも多くの涙を流し、めいめいに泣きじゃくり、クリシュティナは共に水の上に浮かぶ誠次のぽんぽんと胸を叩く。
「お兄様は大切です! そんなの当たり前ですっ! ……でも、そんな当たり前の事よりも特別でずっと大切なのが、貴方なんです!」
「お、落ち着けクリシュティナ! ……心配かけて、悪かった。すまなかった……クリシュティナの為だったはずなのに……」
誠次は左手を回してクリシュティナを自分から抱き寄せ、耳元に語り掛ける。
クリシュティナは冷水で震える身体の暖を求めるように、誠次の身体に自分の身体を強く押しつける。
「私こそ……いつまでも優柔不断で、申し訳ございません……。ですが、ここからはもう、二人一緒です! そうでなくちゃ駄目なんですっ!」
「分かってる。俺ももう、一人きりは嫌だから……。一緒に戦おう!」
――見ているか? おれはこの剣で全てを守り、仲間と共に生きる。数億年も前、お前が出来なかったことを、おれはやる。
あの全てを見透かしているような傲慢な存在へ向け、誠次は叫ぶ。
冷たく孤独だった水中から這い上がり、燃え盛る炎を背後に、誠次はクリシュティナと共に立ち上がる。腹部の傷は、治癒魔法とは違い、目に見える濃度の魔素が集結し、新たな細胞を作っているようだった。
「傷が、再生している……?」
頭部から血が流れ、左目しか開けてはいないが、誠次は自分の身体を見つめる。ガルムに受けた切り傷も、左胸の銃痕も、琥珀色の光が纏わりついた箇所から綺麗に修復されていく。
誠次は寄り添うクリシュティナと共に、彼方を睨む。
「「ガルムっ!」」
誠次とクリシュティナの声が重なり、真正面方向にいた黒い獣が、その牙を向く。
『……まさか。地獄の果てから番人が舞い戻ったか』
「お前が言った通り、俺は人だ。この魔法世界で魔術師が゛人゛だと言われるのならば、剣術士だってそうだろう?」
誠次はレヴァテイン・弐をガルムへと向ける。クリシュティナだけではない。ここにはルーナもいて、百合の思いもある。
『冥府の番犬が再び地獄へと送ってやる!』
軽く屈伸したかと思えば、ガルムは一気にスーツの誇るトップスピードへと上り詰め、誠次の真正面まで接近する。
「そして、お前は番犬なんかではない。ただの人だ」
クリシュティナを抱き寄せながら琥珀色のレヴァテインを振るい、誠次はガルムの凶刃を受け止める。
『その剣と共に再び沈め!』
ガルムは空いている左手を大きく振りかざし、誠次目掛けて振るう。
「《プロト》!」
クリシュティナの防御魔法が、ガルムの攻撃を防ぎきる。
『邪魔をするなっ!』
クリシュティナへ向け激昂し、ガルムは彼女に狙いを定める。
「やらせるか!」
誠次はガルムとクリシュティナの間に割って入る。
「誠次!?」
クリシュティナの悲鳴が後ろから聞こえるが、もう怖くはなかった。こうして再び自分の元へ戻って来てくれたクリシュティナの為に、誠次が再び膝をつくことはない。
ガルムの鋭い爪が誠次の腹部へ突き刺さる。人としての理性を失いかけ、ガルムは躊躇することなく、誠次の腹へ自身の腹部を突き入れていく。
『今度は内臓を引き裂いてやる!』
かつて神話の世界にいた彼らと同様、胸元に死者の血を塗りたくるかのように、ガルムは血を求めて肉を貫く。
「――無駄だ!」
しかし、誠次の腹部から飛び出したのは血ではなかった。琥珀色をした、魔素の粒子だ。
驚き、貫いた誠次の胴体からガルムは思わず手を引く。漆黒の装甲には、肉片はおろか血の一滴たりとも付いてはいない。
『馬鹿な!?』
貫かれた誠次の腹部に、琥珀色の魔素が再び纏わりつき、傷が高速で修復されていく。痛みも、貫かれたと言う感触もそこには感じなかった。
『治癒魔法!? いや、痛みすらも感じていないのか!?』
誠次はガルムが怯んだ隙に、クリシュティナを後ろへ下がらせ、レヴァテイン・弐を今までにない持ち方で両手で持ち上げる。
「もう諦めろ一ノ瀬隼人! このままやってもお前の負けだ!」
『だ、黙れ!』
クリシュティナの姿を見てから、明らかに戸惑いを感じているようだ。
「ならば、その牙と爪を破壊する!」
琥珀色の目を見開いた誠次の目の前で、黒い破片が飛び散った。
『なに……っ!?』
驚き戸惑うのは、装甲越しのガルムの声だった。
「重たくて力が分散するし、俺は元からセンスがあまりないから、この戦い方は苦手だが――」
想定通り、ガルムが狙ってきたこちらの右腹部に添えられるように構えられていたのは、誠次が左手で持ったレヴァテイン・弐だった。
そして右手にも、誠次はレヴァテイン・弐を確りと握りしめ、ガルムの爪を受け止めている。
――八ノ夜からレヴァテイン・弐と新調した鞘を受け取った時は、驚いたものだ。鞘を作った人が見つけたそうだが、レヴァテイン・弐は縦にちょうど真っ二つに分離が出来る機構があったそうなのだ。そして、手渡された鞘も、分離状態に合わせた二つ組のもの。
「だからこう考えることにした。二刀流ではなく、剣が二つあると」
『何を……言っている……!?』
断ち切られた左手を庇うように引き、こちらと一旦距離をとったガルムは吠える。
両方の手で一対のレヴァテインを握る誠次は、左手のレヴァテインを地面に差し込み、右手のレヴァテインをガルムへと向ける。
ガルムは、こちらの姿を見て驚愕していた。
「ガルム……いいや一ノ瀬隼人! 俺はお前の事も助ける……! その装甲を斬り剥がす!」
誠次は一対の剣を構え、琥珀色の瞳で、一ノ瀬を睨む。
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