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魔法世界の剣術士 上  作者: 相會応
Can I come back to your side?
209/211

5

 ガルムの装甲を身に纏う日本人の若い青年、一ノ瀬隼人いちのせはやとは再び頭部を首元まで固定する。マンハッタン――いや世界を揺るがしかねない暴徒の主犯格が、自分と同じ日本人。まさかの事態に、誠次は反撃の機会を失っていた。


「どうして、日本人が……それに……」


 ひたすらに戸惑う誠次は、それでもガルムに向けたレヴァテインの先を逸らす事はしなかった。


『今回のこの暴動は、世界的に報道されることだろう。当然、日本でもニュースになる。魔法が使えない人が魔術師に虐げられていたこの事実を日本が知れば、確実に日本でも魔術師でない人々が黙っていない。それも、日本人が起こした暴動としてな』

「……待て、そんな事をすれば――!」

『遠くマンハッタンで起きた暴動は太平洋を越え、やがて日本へ飛び火する。日本でもついに革命の機運が到来するんだ』


 それが望みだと言わんばかりに、ガルムは突き上げた右腕を握り締める。


「どうしてそんな事を……。そんな事をしてしまえば、関係ない人まで巻き込まれるんだぞ! 今もマンハッタンでは、大勢の市民が巻き込まれている!」

『関係ない人だと?』


 ガルムは装甲により籠った声のまま、嗤う。


『魔法世界となった今。この魔術師、非魔術師の問題は誰しもが関わるべき人権問題だ。それまで日本が異常だったんだ! 俺はアメリカに渡って……この問題の重さを知った』

「だからって……日本で平和を望む人はいる!」

『望むの望まないの問題ではない、剣術士。今もかりそめの平和を過ごしている日本人も、この問題を自覚するべきなんだ。俺はこの真夜中の王の通り道キングス・ミッドナイト・トンネルを通り抜き、この装甲を脱ぎ捨てる。日本人が先頭に立ち、起こした今回の暴動。それを日本が知れば、少なくとも日本でも一方的な魔術師優先の世界は終わる!』

「そんな事をしなくとも……魔術師もそうでない人も同じ世界で生きられている! 日本で起こすべき問題ではない!」

『今はそうだ。……だがじきに人の不満は抑え切れなくなる。国際魔法教会ニブルヘイムの支配から人を解き放つんだ!』

「国際魔法教会は……世界になくてはならない組織だ! そのやり方の是非はどうあれど……魔法を基にした国際的な組織は、この魔法世界に必要だ! 間違いはこれから正せばいい! 平和的な方法で!」


 ガルムは大きく肩を竦め、落胆したようだ。


『皮肉なものだな。お互いの立場は逆のはずなのに……』

「このトンネルは通らせない! 日本で待つ人の為に、彼らや俺たちの居場所を守るために!」


 誠次が歯ぎしり混じりに叫び、紫色の光をたたえるレヴァテイン・ウルを構える。

 人を守る番犬が牙を見せつけ、人を守る番人が剣を構える。


『俺が人柱となって、日本を変える!』

「そんな事は必要ない! 俺はお前を止める!」


 ガルムの爪が身体ごと高速で接近し、誠次の急所を突き刺そうと、つけ狙う。

 レヴァテインを振るい、誠次はガルムの凶悪な爪を捌く。目の前で火花が散り、誠次の紫色の目に痛みを与えて来る。

 ガルムは両腕を自在に使い、誠次の振りが遅い瞬間を狙い、連続攻撃を加えて来る。これでは到底不利だと悟った誠次は、堪らずにガルムから距離を離し、一時後退する。

 ガルムは一瞬だけ屈伸をすると、次には放たれたロケット砲弾のような高速で、誠次の目の前まで跳躍する。あまりの身体能力の違いに、誠次はルーナのエンチャントの力を生かせず、劣勢を強いられる事となった。


「お前にその仮面を脱がすわけにはいかない……! ここで破壊する!」

『やれるものならばやってみせろ!』


 ガルムは攻撃魔法《フレア》を展開し、発動する。トンネルの内壁を焦がす灼熱の火球が、誠次に向け放たれる。


「くっ!」


 誠次は後退しながらもレヴァテイン・ウルを火球へ向け、次々と投擲する。レヴァテインは次々と火球を貫通し、爆発させる。

 最中、高速で接近するガルムの動きを捉えきれず、誠次は手持ちのレヴァテイン・ウルで対抗するしかなかった。


『俺は迫害されてきた人々の無念を背負い、戦っている! お前にこれが受け止めきれるか!?』

「くっそおおおおっ!」


 じりじりと押され、最終的に誠次は吹き飛ばされ、地面を数回転がり、どうにか姿勢を安定させる。

 持ち上げた顔で捉えきれたのは、ガルムが目の前で爪を振りかざそうとしている瞬間だった。


「俺は負けない……。負けられないんだーっ!」


 誠次がどうにか持ち上げたレヴァテインを弾き、ガルムの爪は誠次の左頬を掠め、背後の地面に突き刺さる。ちり、と言う音がしたかと思えば、肉が斬れた左頬からの流血があった。


『この爪はコンクリートをも切り裂く!』


 それでも誠次は、ルーナが力を与えてくれたレヴァテインを引き、ガルムの腹部を斬りつける。鋼鉄の装甲に初めて、切り傷が生まれた瞬間だった。

 衝撃を感じたのか、ガルムは一旦、誠次から距離を離す。


「ハアハアっ! 零距離ならば、斬れる!」

『剣術士と言う名は伊達や酔狂ではないという事か……』


 腹部を見つめたガルムは、右腕を曲げて自身の目の前まで持ってくると、左手で何かの端末をタッチするような動きを見せる。


「なに……なんだと……!?」


 左頬から流血する誠次は、黒いコートで血を拭い払いながら、ガルムを驚愕の表情で見つめる。

 ばちばちと電流が流れる音と共に、ガルムの黒い装甲の全身に、目に見える青白い電がはしる。間もなく、ガルムの姿が背後で燃え盛る車の炎の光景に同化していく。


(《インビジブル》……いや違う!? それなら俺には見えるはずだ!)

『――対人戦闘において比類なき残虐性と殺戮性を誇るこの兵器の神髄、見せてやる』


 その姿を透明にさせたガルムの声は――後ろから聞こえていた。

 一瞬だけの風を感じた時にはすでに、誠次の背後に回り込んでいたのだ。


「このっ!」


 誠次が手当たり次第に、振り向きながらレヴァテインを振り払う。

 運よくガルムの凶爪とそれはぶつかり、一瞬だけ目の前の光景が歪んだかと思えば、そこにガルムの姿が微かに見えた。


『合衆国の科学者が開発した光学迷彩技術。これを使ってお前を素通りすればいいとも考えたが、お前はどうせ追いかけて来るんだろう? それとも、降伏してくれるか?』


 ぎちぎちと、互いの刃が押し合う中、余裕の声をガルムは掛けて来た。

 内心で焦る誠次であったが、ガルムに応え、口角を上げて答えていた。


「冗談はせ。仲間を守る為、俺はお前を止めると言ったはずだ!」

『立場は違えど同じ土地で生まれ育った身だ。分かってくれると思ったんだけどな。いずれにせよ、王の通り道は突破させてもらう!』

「守る……守り抜く!」


 身体を離したガルムが再び姿を消し、哀れにも自分の狩場に迷い込んだ得物を狙うかの如く、立ちはだかる誠次を付け狙う。


            ※


「ありがとうね。本当、助かったわい」

「いえいえ」


 雨が降る東京の歩道で、二つの傘が一つ傘と向かい合い、頭を下げ合っている。

 一つの方は腰も曲がった老人であり、傍らには今からキャンプにでも行かんばかりの大きな荷物が。

 そして、二つの方には仲睦まじい夫婦の姿があった。

 隻眼の小柄な女性と、赤いバンダナを白髪の頭に巻いた男性。特殊魔法治安維持組織シィスティム所属、南雲なぐもユエと南雲澄佳なぐもすみか夫妻だった。


「しっかし雨の中こんな重たい荷物持って、どうする気だったんだっつーの」


 物体浮遊の魔法式を閉じたユエが、ぽりぽりと髪をかきながら、荷物を運んでやった老人に尋ねる。ユエと澄佳が買い物の帰りに、偶然にも大きな荷物を運んでいる老人を見つけ、魔法で手伝ってやっていたのだ。


「……嫁と喧嘩したのじゃ」

「それで追い出されたのですか!?」


 澄佳が驚くが、老人は首を横に振る。


「わしから出ていったんじゃ。追い出されたんじゃない!」

「どっちでもいいっつーけどよ……。まあもう良い歳なんだし、お互い仲良くしようぜ?」

「……じゃから、仲直りしたくて、家の前まで帰ってきたんじゃ」

「ここお前ん家かよ!?」


 端から見れば失礼極まりないユエの言葉遣いであったが、老人は最近の若いのはこう言うものなのだろうと、ひとりでに納得しているようだった。


「お互いゆっくり話し合いましょ? ね? ねっ?」


 右目に眼帯を巻いている澄佳が、自宅を睨み付ける老人に声を掛ける。


「しかしアイツは……わしの楽しみにしていた机の上の塩大福を勝手に食いおったのじゃッ!」

「うっわすっげー馬鹿馬鹿しいッ!」

「馬鹿馬鹿しいとは何事じゃ! あの女はわしがゲートボールの試合に行っている間にこたつでぬくぬくと!」

「だからこたつ背負ってるのかよ!? もはやただの嫌がらせじゃねーかっ!」

「ゆ、ユエさん……」


 握り拳を突き上げてプルプルと震える老人に容赦なくツッコむユエに、澄佳がまあまあと肩を叩く。


「――こんのぼんくらがああああーっ!」


 しばし老人の家の外で押し問答を繰り広げていると、中からバッチリパーマが決まった髪型をしているおばさんが、飛び出してきた。

 間違いなく妻であり、老人は鬼のように怒っている妻の姿を見ると、先程までの威勢はどこへやら、すっかり萎縮しきっていた。


「ご、ごめんなさいなのじゃっ!」

「ごめんで済んだらこの歳になるまでお前と一緒におらんわこの阿呆! 何が、ゲートボールの試合があるから庭の手入れよろしくなのじゃ、よ!? こちとら痛む足腰に鞭打って、毎日掃除洗濯料理こなしとるんじゃおんどりゃーっ! あと、こたつ返せーっ!」


 口から炎を吐き出しそうな勢いで怒鳴り散らす老婦に、ユエも澄佳もこれには気まずく押し黙るしかない。


「こ、こたつは無事なのじゃ! このお二人さんが魔法で運んでくれて――」

「いい歳して迷惑かけたんかこのワレーっ!」

「も、申し訳ないのじゃ……!」


 絶対に若い頃から尻に敷かれていたのであろう。雨の中、家の外で平謝りを続ける老人の後ろ姿を見て、ユエも澄佳も切なさを感じていた。

 やがて、長い時間怒鳴り散らし、少しは落ち着いたのか老婦は、傘を差したまま立って二人を見守ってやっていたユエと澄佳に頭を下げる。


「悪いねえ二人とも。こんな老いぼれ二人のためにわざわざ」

「い、いえ。まあ……仲良くしてやって、ください……」


 さすがのユエもこの人の前ではいつもの口調は使えず、言い辛そうに頬をポリポリとかきながら言う。


「魔法で運んでくれたんだって? ありがとさん。私も魔法が使えたら、生活も少しは楽になるんだろうけどね。今さら文明の利器ってやつからは離れられないけど、疼いところに手が届かないんだよねぇ」


 老婦は腰に手を添え、第一印象とは打って変わったお茶目な笑顔を見せていた。


「私たち魔術師はどうしてか魔法が使えますから。魔法が使えない人にせめて、差別意識とかで悪い思いはしてほしくはないんです」

「そーそー。別に減るもんじゃないっつーもんですし、荷物運びぐらい余裕っつーもんすよ」

「優しい魔術師さんたちだねえ。少し前までは、魔法で犯罪なんて日常茶飯事だったのに。これも、特殊魔法治安維持組織(シィスティム)がいてくれるからだろうねえ」

「……」


 微笑む老婦の言葉に、ユエも澄佳も一瞬だけ言葉に詰まってしまう。二人とも長い謹慎中の身分だった。給料こそ支給されているものの、未だに、本部からの帰還命令は出ていなかった。


「どうにかしたかい?」


 老婦が訝しげにユエと澄佳を見つめてくるが、二人は慌てて首を横に振る。


「んじゃ、俺たちはそろそろ――っ」

「待って欲しいのじゃ魔術師!」


 家の中へと上がらせて貰っていた老人が、慌てた様子でやって来る。


「助かったのじゃ。重ねるようで悪いが……お礼はするので……庭の手入れを手伝ってくれんかの?」

「へいへい……」


 自分でもあんなことを言ってしまった手前、断るに断れないユエは、赤いバンダナを巻いた頭にそっと手を添え、小さくため息をついていた。

 庭の手入れを魔法で手伝ってやり、お礼に大量の野菜やお肉を貰ったユエと澄佳は、都内の駅周辺を歩いていた。


「た、タンマ澄佳! 俺、そろそろ限界だっつーの!」


 老人がくれた野菜やお肉の重量は凄まじく、二つのビニール袋が膨れ上がるほどの量だった。これにはユエも、魔法を使って運ぼうにも疲れ果て、どこかで休憩を提案する。

 澄佳も片目が見えないため、こう言った細かな日常の魔法の作業はユエに頼りっぱなしなところが多く、お互いに身体を気遣いあっていた。


「そうですね。近くに喫茶店があります。もうすぐ夕方ですが、寄っていきましょう」

 

 ユエの頭上に、魔法で傘を浮かべてやっていた澄佳は、駅前の歩道沿いに建っていたとある喫茶店を指差していた。


 夕方が近づき、もう間もなく閉店時間となるので、店内BGMを閉店用のものに切り替えていたところであった。

 からんと音がなり、雨から逃れるように来店してきたお客さん二人組の足を見て、店内の床掃除をしていた香月(こうづき)は反射的に声を出す。


「いらっしゃいませ」

「すいま……ってあれ、君どっかで……」


 白い髪をした若い男性が、こちらを見つめて驚いていた。

 香月もモップの持ち手を胸に押し当てて、驚く。

 店にやって来たのは去年の秋ごろ、太刀野桃華(たちのとうか)を巡る一件以上の件で戦った経験がある、特殊魔法治安維持組織(シィスティム)の男女二人組だった。


「あっ……」


 どうしても身体が強張ってしまうのは、やや遅れてやって来て、傘を折り畳んでいた女性も同じようだった。


「……いらっしゃいませ」


 それでも今は店員として香月は、店に来たお客さんとして、二人を迎えていた。


「ここで……アルバイトしてたっつー感じか?」

「始めたのは、最近ですけど……」

「えーっと……。今、大丈夫でしょうか?」

「どうぞ。テーブル席は片付けてしまっているので、カウンター席へ」


 ユエと澄佳二人にとって香月詩音(こうづきしおん)に対する記憶とは、魔法学園の一年生としては並外れた戦闘力を持つ少女、であった。そして、剣術士に並外れた力を授けていた記憶もある。


「まーなんだ。あの時は悪かったな……」

天瀬(あませ)くんに謝罪した件は友だちの女の子から聞いているので、私には謝らずとも大丈夫です」

「そっか。助かる」


 カウンター席なのに少しばかり距離を感じるのは、お互いに仕方がないことなのだろう。


「目は……お仕事でですか?」


 香月はアメジスト色の目を、自分と同じ色合いをしているものの片方を隠している女性へ向ける。


「そうなんです。目はさすがに治癒魔法でも駄目みたいで。魔法もまだまだ万能じゃないと言ったところでしょうか」


 澄佳は口角を軽く上げて、「特に気にしないでくださいね」と付け加えていた。


「そうですか、お大事に。……ご注文はお決まりでしょうか?」


 気遣うように軽く頭を下げた香月は、次には無表情で、二人を見る。


「んー。じゃあなにかオススメある感じ?」


 ユエが香月に聞くと、香月は「にゅ……っ」っと何かを言いかけた後、すぐに口ごもり、けほんけほんと咳をする。


「「にゅ……?」」


 何事かと二人が香月を見つめていると、呼吸を整えた香月はすぐに無表情へと戻り、落ち着き払っていた。


「……っ。紅茶、です」

「お、おう……。んじゃ、それを二つと適当なお菓子も」

「かしこまりました」


 店の中にはユエと澄佳以外、他のお客さんもいなかった。

 香月が用意した温かい紅茶を、南雲夫婦は二人して味わうように飲み干す。香月の淹れる紅茶は、今日も今日とて評判であり、近所では評判になりつつある。

 南雲夫妻も香月の紅茶を飲んだとたん、小さな感動を味わっていた。


「へー。紅茶ってどれも同じじゃんって思ってたけど、こうも違うのな」


 ユエが何気なく呟いていると、


「違います。お湯の温度や入れ方によって、同じリーフでも味に雑味が出るか旨味が出るか、違ってくるんです。リーフの量が多すぎても少なすぎても、お湯の量が多すぎても少なすぎても、熱すぎても(ぬる)すぎても駄目なんです。ちなみにリーフと言うのは、コーヒーで言うコーヒー豆のようなものです」


 香月は饒舌な口調で、百を返す勢いだった。


「わ、私はいつも紅茶を作る時はティーパックを入れてお湯をぽいーでしたから、違いがすごい分かりますっ!」


 感情の起伏が少ない少女とばかりに思っていたが、あまりの香月の勢いに狼狽するユエを助けるため、隣の席から澄佳が声を出すが、


「お湯をぽいー、ですか。ぽいー……ですか」

「な、なんだか。……ごめんなさい……」


 気迫たっぷりのアメジスト色のジト目を受け、澄佳は内股に両手を挟んで縮こまる。


「作り方は、人それぞれですから」

「べ、別に怒ってなかったのですね……」


 香月の感情をうまく読み取ることができず、澄佳は慌ててクッキーに手を伸ばしていた。


「つーか、今一人で店回してるの? 大変じゃね?」


 店内を見渡しながらのユエの疑問に、香月は首を横に振る。


「もう一人、頼りになる先輩さんがいます。でも今は……そっとしていてあげたいんです……」


 香月は胸元まで持ち上げたメニュー票を、ぎゅっと握り締める。

 一人で一階の清掃をこなしていたのも、慣れない接客業をこうしてここで一人で行っているのも、香月が彼女に気を遣ってやっていたからだった。


 喫茶店の二階の部屋では、照明も点けずに椅子に座り、机に腕と頭を押し当てている南野(みなみの)がいた。聞こえるのは雨の音と、少しだけ寂しい閉店用の店内BGM。そして、自分がすすり泣く泣き声だった。


「隼人……」


 自分が重たくて、面倒くさい女だとは思われたくなく、こちらから一方的に連絡をするのは控えていた。アメリカに渡ったばかりの頃は、毎週のように向こうの生活を伝える写真が送られてきていたのだが、ここ最近はまったく来なくなっていた。そして、先程の大学の知り合いの言葉。

 気丈に振る舞っていたつもりだったが、香月にはこちらの心情が見透かされていたようであり、゛休憩していていいですよ゛と言われてしまった。


「ぶっきらぼうに見えて香月ちゃん……思いやりのある娘だったんだね……」


 じんと赤く腫れたまぶたをそっと拭い、南野は嬉しく微笑む。

 起動していた電子タブレットから浮かぶホログラムには、撮った写真がスライドショーで流れていた。中には、バレンタインの時に撮った、香月とクリシュティナと自分の三人の写真もある。クリシュティナは鼻に生クリームを付けたままで、すっかり可愛い後輩、と言うやつだ。

 しかし、溢れる涙はどうやっても止めることが出来ずに、南野は再び机の上に(うずくま)ってしまった。そのまますすり泣いていたところ、背後からとてとてと、 近付いてくる四足の足音があった。


「……ワフ」


 驚いて振り向いて見ると、香月が拾ってきた捨て犬が、空になった皿を(くわ)えて、ちょこんと犬座りをしていた。

 

「な、なによ。あんたみたいな犬だってわんわん鳴くんだから、人が泣いてたって良いでしょ……?」

「……ワフ」


 片目を開けられないまま、犬はかぎ尻尾をぱたぱたと揺らして、皿を床の上に置く。


「お腹空いた、ってか……。帰る場所がないって言うのに、お前は太々(ふてぶて)しいと言うかなんと言うか……」


 自然と伸ばした手は、犬の逆立った毛が特徴的な頭へ。相変わらず目付きは悪いままだったが、犬は特別嫌がる様子もなく、南野の手を受け入れていた。


「良いから飯寄越せって……?」

「……ワフ」

「はいはい分かったよ。それじゃ、一階に行きますかね」


 鏡の前で涙の跡をごしごしと拭き取り、南野は重い腰を上げていた。


「隼人だって魔術師として頑張ってるんだし。私がめそめそしてたら、駄目だよね……」


           ※


「うおおおおおおおおっ!」

『はああああああああっ!』


 誠次が振るったレヴァテインの剣撃を、ガルムは爪で受け止め、もう片方の腕を誠次の胴体目掛けて突き出す。誠次は身体を回転させて攻撃を(かわ)し、反撃の回し蹴りをガルムの頭部に命中させた。


『……考えたな、剣術士』

「伊達に幾つもの戦いを乗り越えてはいない!」


 透明化したガルムを捉えることは、依然として出来ていない。しかし誠次は、ガルムとの互角の戦闘を繰り広げることができていた。

 誠次とガルム。一人と一頭の足下には、イースト川の冷たい水が広がっていた。くるぶしまで水位が上がったトンネル内の水は、誠次には針で突き刺すような冷たい痛みを与えてくる。向こうは装甲の覆われており、それを感じないようだが。


『あの数の暴徒たちを相手にしたときも、お前の戦術は見事だった』


 姿を消すガルムがいる足下は、機械の宿命か振動がくまなく発生しており、立っているだけで水の波紋が広がっている。誠次はそれを頼りに、ガルムの正確な位置を特定。戦うことが出来ていた。

 油断なくレヴァテインを構える誠次の真横には、レヴァテインで深く穿(うが)たれ、穴が開いたキングス・ミッドナイト・トンネルの横壁があった。水底トンネルと言うことで、水圧にも余裕で耐えられる分厚い壁ではあったが、エンチャントを受けているレヴァテイン・(ウル)には紙も同然であった。

 そして、今も誠次によって刃の大きさほどに開けられたキングス・ミッドナイト・トンネルの横穴からは、凍てつく冷たい水が滝のように流れて来ている。


『このガルムは、旧世代の科学者が軍の為に開発した』


 ガルムは突如、透明化を解き、誠次のレヴァテインによる攻撃によって所々傷が付いている黒い身体を(さら)した。


「? ……急にどうした」


 誠次は警戒を怠ることなく、ガルムを注視する。


『当時は治癒魔法と言う、医療゛技術゛の革新もなかった時代だ。当然、軍にも医療関係者がいた。ガルムは、前線で戦う際に彼らが使うような機能も備え付けられている』

「機能……?」


 狼のような頭部に備え付けられたバイザー部分が、こちらをじっと見つめているようだ。


『お前のバイタルの異常を、こちらは検知している。閉鎖されたこのトンネル内で発生している火災と激しい運動により、酸素欠乏症の状態を引き起こしている』


 そして、とガルムは足下の水を見つめる。水位はみるみるうちに上がっており、お互いの膝丈のすぐ下ほどまで迫って来ている。


『低体温症の初期症状も検知している。おれ)の装甲の上からでも身を切るような冷たい水だ。生身の人間の身体ではもう立っているだけでやっとのはずだ』

「……っ。健康診断なら、後にしてくれ……!」


 口からは強がりを言うが、ガルムの検知は的中していた。

 ただでさえ酸素濃度の低かった水底トンネルで、今も続く火災により、空気中の酸素濃度は著しく低下。それによる酸欠状態と、下半身に襲いかかる痛みさえ感じる水の冷気。今や誠次は立っているのがやっとの状態であり、少しでも気を抜かせば、視界は何重にもぼやけ、レヴァテインを握る力も曖昧だ。不思議なのは激しい戦闘中だったと言うのに、頭の中はぼうっとし、足回りは冷たいのに、猛烈な眠気を感じると言うところだろうか。

 誠次は酸素欠乏症と低体温症の合併症状を引き起こし始めていた。


「ハアハア……っ」


 目の下には薄黒いクマが出来あがり、荒い呼吸を繰り返しても容態は好転しない。


『俺への酸素はこの装甲が内部で作り出す。……同胞への情けだ。俺を見過ごせば、命まで取る気はない。このままやっても、もうお前の勝ち目はない』

「そんな、ことは――」

『ある。確かにお前の剣捌き。そして、戦術は見事だった。このガルムの装甲をもってしても、もしかしたら俺は負けていただろう。ヴィザリウス魔法学園の先輩から言ってやる。お前は確かに強かった。しかし、思っていたほど圧倒的ではないな』


 あらゆる所に切り傷を入れられた黒き装甲であったが、いずれも決定打を与えるには至らず。

 

「お前が、ヴィザリウス魔法学園の卒業生……? なのに、どうして!?」

『恨むのならば、この魔法世界を恨め。人智を越えた力、とはお前の事ではなく、俺の事だったようだ』


 持ち上げた右手をぎゅっと握り締め、ガルムは言う。


『最終的にこの戦局を見守っていた神は番人おまえ)ではなく、番犬おれ)を選んだだけのこと』

「まだだ……まだ俺は……戦える!」

『もう諦めろ。お前の負けだ。その剣と共に沈め』


 燃え盛る炎と巻き起こる水を背に、ガルムは棒立ちをして見せる。


「舐めるなーっ!」


 動き辛くなるほどに上昇した水位の中で足を持ち上げ、誠次はガルムヘ向け斬りかかる。


『……明らかに動きが鈍くなったな。全身に酸素が行き渡っていない。お前が人だから(ゆえ)の、(かせ)だな』

「お前を、ここから先に行かせるわけには……っ」


 それは、誠次自身でも気付いていない事であった。重度の酸素欠乏症状に陥った脳は、主人の正常な判断力を鈍らせる。

 攻撃を易々と片手の爪で受け止められた誠次は、目の前で獣の爪が動き、光るのを見た。

 何が起きたのか、誠次には理解が出来なかった。酸素が欠乏し、ただでさえ正常な判断力を欠いた思考が、考えることを)めているようだった。


『誰にも看取られることもなく、このマンハッタンの冷たい水の中で眠れ、剣術士。お前の思いは、俺が引き継いでやる』


 見えたのは、本当に守るべきものを見失った悲しき黒い獣が、左手で自分の腹を八つ裂きにする瞬間であった。

 

「かは……っ。駄目、だ……。レヴァテインは……俺が、使わないと……」


 腹部の肉を失った誠次は、尚も両足を踏ん張らせるが、

 後ろの方から響いた銃声が、とうとう誠次に止めをさす。誠次の左胸を貫通した銃弾は、隙を窺っていた暴徒が放ったものだった。


「え……?」


 何が起きたか分からないでいる誠次は、ガルムの目の前で、思わず首をゆっくりと傾げる。


「――や、やった! 心臓を撃ったぞ!」


 背中の方で聞こえる、暴徒たちの歓声。敵だった剣術士を討った事による、歓喜。

 血の循環を終えた身体が脳の活動を止め、誠次はガルムの胸元へと、支えを失って倒れこむ。


「たの、む……。みん、なの……ところに、帰りた、い……」

『安心しろ剣術士。俺も役目を果たしたら、すぐにお前の所に行く……。この暴動はもうすぐで魔術師の勝利に終わり、俺とお前の骨も見つかるはずだ。お互いに世界を憎んだ者同士、歓迎はされないが、還ることは出来る』


 王に刃向かい、誰にも望まれぬ戦いをして、負けた……。こんな無様で、夢が潰えるとは……。

 一年を通して戦い抜いた剣術士の幕切れが、自分ではなく他人によるものとは思ってもいなかったのだろう。ガルムは少々虚し気に、誠次の頭を撫でてやる。


「憎んで、ない……。愛、していた……」

『そうか……見事な敵だった、剣術士。お前の思いはきっと、他の誰かが跡を継ぐことだろう。その剣と共に』

「あ……――」


 事切れた誠次の身体を、ガルムはそっと離す。何粒かの気泡を立てながら、誠次の身体はイースト川の冷たい水中へと沈んでいく。ガルムは、立ち塞がった少年の最期の瞬間を見えなくなるまで見届け、踵を返す。


『諸君! 国際魔法教会(ニブルヘイム)本部はもう目と鼻の先だ!』


 目下の敵を倒した暴徒たちが唸り声を上げる。しかしその声は、長くは続かなかった。

 一人の少女が、両手を広げ、進行方向上に立っていたのだ。身体中は黒く汚れ、魔法学園の制服は所々が破れてしまっているようだ。


『誰だ……?』


 少女の赤い瞳に宿る気迫は、間違いなく先程の剣術士に匹敵する。獣の装甲であるガルムを上回る、怒りを宿した獣の気迫だ。


「――私はヴィザリウス魔法学園、1ーA所属。クリシュティナ・ラン・ヴェーチェルですっ!」


 相当な距離を走ったのだろうか、クリシュティナは全身を使って荒い呼吸を繰り返し、それでもガルムらの前へ新たに立ち塞がる。


『言い辛い名前、クリシュティナ……? それに、その顔は……』


 ――ちゃんと見ていた、彼女のSNSに投稿されていた一枚の写真が、今は生クリームではなく、黒い煤を鼻先に残したままの少女の姿と重なり、ガルムは驚愕する。


「私は……この身の全てを懸けて、天瀬誠次を守りますっ!」


 崩壊しかかっているトンネルに響いたクリシュティナの叫び声に反応するかのように、少女を前に戸惑うガルムの背後の水中で、紫色の光が輝く。

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