3
三月に降る雨としては、かなり大粒のものになって来た東京の街。道行く人はもれなく傘を差し、そうではない人も雨を避ける為、慌てて屋根の下へ駆け込む。駅前の喫茶店にも、そのような人が居場所を求めて、大勢駆け込んで来る。
「向こうは今頃、真夜中かしら」
雨が降りしきる窓の外を眺め、ポニーテール姿の香月詩音が呟く。
東京の時刻は昼過ぎとなっており、ニューヨークは東京から約半日ほど戻った時間となる。
「お疲れー香月ちゃん」
大学生の春休みは長いそうで、ここ数日はアルバイトに時間を費やしている南野も、香月と同じ時間に休憩に入る。
「お疲れ様です、南野さん」
窓から振り向いた香月は、南野の為に隣の椅子を引いてやる。
南野は「サンキュ」と言いながら、隣の席に着席。すかさずデコレーションされた電子タブレットを取り出し、ぴこぴこと操作を始める。
「……」
香月は無言で、窓の外の景色をじっと見つめていた。
「……」
「……」
ちょうどBGMも止まり、ぴっ、ぴっ、と、机の上で頬杖をつく南野が電子タブレットのホログラム画面を操作する音と、雨が窓を打つ音だけが響く、喫茶店二階の休憩室である。
「こほん……」
「……」
南野は電子タブレットをしまい、隣で無言で座っている香月を、ジト目で見つめる。
綺麗な横顔のままで香月は、まるで何かを待ち侘びているかのように、ただただじっと窓の外を見つめていた。
「……」
「……っ」
耐え切れなくなったのは、貧乏ゆすりを繰り返していた南野だった。
「――いや何か喋ろうよ!? 私結構香月ちゃんと仲良くなったつもりだよ!?」
「デンバコを操作していたので、声を掛けない方が良いかと……」
「結構話したがってる視線送ってたんだけどな!」
取り合えずデンバコ弄りは癖なので仕方ない、と南野は香月の背中をぽんぽんと叩く。
香月は遠くを見つめ、ぼそりと、口を開いた。
「ではそうですね……。……ニューヨークのダウ平均株価についてでも、話しましょうか」
「何故にウォール街!? なんで今ここでニューヨークダウ平均株価についての話をするのか分からないし、仮にその話題でも盛り上がり方法が分からないっ!」
ハッとなる、香月。
「ごめんなさい私もよく分かりません……無意識でした……」
「無意識にニューヨークダウ平均株価って言葉が出てくるのってどんな思考回路!?」
と、南野のツッコミで場は一応の盛り上がりを見せた。しかしそれもつかの間で、窓の外でぱらぱらと降る雨の音が、二人の気分を鬱屈させる。
「まあ、まずはお昼ご飯食べちゃお? 私奢るから、なに食べたい?」
「そんな、悪いですよ」
「気にしなさんな。これでも私は大学生のお姉ちゃんなんだぞ?」
南野は外の天気にも負けないほどの眩しい笑顔で、ぽんと胸を叩く。
「さ、なに食べたい? 今ならドリンクももれなくセットで付いてくる!」
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて……」
香月は顎に手を添え、じっと考える。
「……アメリカンドッグと、マンハッタンブレンドコーヒーをお願いします」
「もう絶対アメリカに何かあるよね!? それも結構東の方っ!」
「あれ、おかしいわ……。また無意識に……」
「流石に怖くなってくるんだけどっ!?」
休憩室の机の上には結局、店で売っているサンドイッチとコップに入った湯気立つ紅茶が並べられていた。
「それにしてもどうしよっか、あのワンちゃん」
もぐもぐとサンドイッチを咀嚼しながら、南野は部屋の片隅に置かれている段ボール箱を見つめる。
そこでは相変わらず、香月が拾ってきた犬が入っていた。香月が救ってやった命のはずだが、犬は相変わらずのふてぶてしい態度で、人間の接触を拒んでいた。
「寮では基本的にペットの持ち込みは禁止ですし……私にはもう実家がないので……」
香月も忘れていたわけではなく、どうしたものかと考え込む。
「私もアパートで一人暮らしだし、ペット禁止なんだよなー。隠れて飼えれば良いけど、あの分じゃ吠えるわ噛まれるわで大変そうだし……」
南野も悩ましげに、腕を組んで首を傾げる。
二人の共通意識としては、例え自分たち人間に懐いてくれなくとも、再び寒い外へ放り出す真似だけはしたくないと言うことだった。
「貴方は、どうしたいの……?」
香月が犬に話しかけてみるが、犬は片耳をピクリと動かした後、すぐにそっぽを向いて眠りにつく。
「なんか、犬言が話せるようになる魔法とかない? こう、《ワンダフル》! ……みたいなの!?」
「そんなのありません」
「ですよねー……」
無表情で首を横に振った香月に、南野はげんなりとする。
「よいしょ、と」
食事を終えた南野は立ち上がり、眠っている犬に近づき、目の前でしゃがむ。
犬も流石に疲れて来たのか、南野の接近に耳で反応しつつも、顔を上げて吠えるような事はしなくなっていた。
香月はまだサンドイッチをもぐもぐと食べながら、南野の横顔をじっと見つめる。
「首に首輪の痕がある。君はちゃんと帰る場所、無くなっちゃったんだね……」
犬に向け優しく微笑む南野の横顔が、ひどく悲しく見えてしまい、香月はアメジスト色の瞳をそっと泳がせていた。今の自分には、南野に掛けてやれる言葉が見つからないのだ。
※
『――御覧いただきましたでしょうか!? ブルックリンに終結していた暴徒たちが、真夜中の王の通り道の入り口隔壁を破壊し、続々と水底トンネル内部へと侵入して行っています! 彼らの目的地はやはり、国際魔法教会本部なのでしょうか!? トンネルの中の状況は、上空のヘリからも確認できませんが、無数の暴徒が進んでいるものと思われます!』
王の通り道の入り口が抉じ開けられた――。その報道がなされた時、国際魔法教会本部総会議場は怒声と悲鳴に包まれた。
キングス・ミッドナイト・トンネルを抜ければすぐに国際魔法教会本部がある。隔壁封鎖をしていた為、東側の守備は手薄だった。
「奴ら……先の暴動はあくまで陽動で、我々の戦力を分散させ、一気に本部を占拠する作戦だったのか!?」
「至急東側の防衛に戦力を向かわせなければなるまい! 王の通り道を突破されれば、本部は丸裸も同然だ!」
慌てふためく幹部たちの喧騒の中、王座に座る国際魔法教会最高指導者である、ヴァレエフ・アレクサンドルは、極めて冷静な口調で、口を開く。
「間に合うまい。それに、すでに防衛の人員はどこも手一杯だ。我々の被害も大きい」
「しかしヴァレエフ様。このままでは本部に大量の暴徒が押し寄せます。本部には避難者も多数収容しており、私たちのみならず、彼らが暴徒に何をされるか」
マンハッタン中から、キルケー魔法大学と同じく国際魔法教会本部へは多数の一般人が避難をして来ていた。彼らは皆争いを嫌い、国際魔法教会本部ならば一番安全な箇所だと考えていたのだ。
「分かっている。全ては私の判断の過ち。ならば王の通り道は、王自らが守護しよう……」
言うなり、ヴァレエフは杖を支えに立ち上がる。
立ち上がったヴァレエフに驚愕するのは、やはり幹部たちだった。
「な、なりませぬヴァレエフ様。そのお身体で魔法戦など――」
「……持たぬだろうな。そして、私の危惧はもう一つある……。私が直々に隔離された人々に手を出すことは即ち、よもや魔術師と彼らの間に修復不可能な壁が出来ると言うことだ。例えこの場を乗り越えたとしても、彼らの憎しみは最早、塞き止められない濁流となり、合衆国のみならず、世界各地での反魔術師運動へと連鎖するだろう……」
魔術師の王が、非魔術師を攻撃した事実。それが世界に知れ渡れば、長年燻っていた火薬庫に火を点け、蜂の巣をつつく事をしたことも同じだった。
――そうではないとしても、そうだとしても、ヴァレエフは止まらなかった。
「私の理想とは、完全なる魔法世界の完成。例えこの先世界各国が戦火に包まれようとも、それでも、隔離された人々でもなく、゛捕食者゛でもなく。魔術師が統べる世界であることに揺るぎはないと信じている」
ヴァレエフが進めば、後に続くのは国際魔法教会幹部たちだ。ヴァレエフを含め、この先に待ち受ける地獄を予期し、誰しもがどこまでも暗い面持ちであった。
※
「マンハッタン全土で、暴動……。キングス・ミッドナイト・トンネルが、突破された……?」
眷属魔法を展開し、蜘蛛の使い魔を召喚し、八つの目で総会議場の様子を観察していた百合が、知らされていなかった事実を誠次に伝えて来る。
窓も締め切られた軽い監禁状態であったため、外部の状況が全くもって入ってこないのだ。
「大変……国際魔法教会本部にも大勢の避難民がいるのに……キルケ―魔法大学にも……暴徒が押し寄せて……」
百合の口から告げられる事実はどれも、このあまりにも静かすぎる空間では信じ難いものだった。
「ここでヴァレエフさんが出れば、混乱は確実に世界に広がる……」
一瞬で想像出来てしまった秩序の崩壊に、誠次も身体の震えを自覚する。
握りこぶしを膝から離し、誠次は待機していた控え室のドアに手を掛ける。
「誠次くん?」
「ヴァレエフさんを止めます……!」
「そうね……。でも、キングス・ミッドナイト・トンネルからは大勢の暴徒が向かって来ているわ。彼らをどうにかしない限り、国際魔法教会も戦うことを止めない……」
「王の通り道……」
誠次は胸に手を添え、とある決心をする。決断に至るまで、そこに迷いはなかった。遅れてしまえば、何もかもが手遅れになる。今もここにいるルーナとクリシュティナ、百合。そして、日本にいる皆の為にも。
「事態は一刻を争います。俺は今から、ヴァレエフさんの所に向かいます」
「何か考えがあるの?」
「……はい。百合さんは、ルーナとクリシュティナと合流して――」
「だったら私は、王の通り道で時間を稼ぐわ」
百合はそう言うなり、リクルートスーツを目の前で着替え始める。
「百合さん!?」
驚き途惑う誠次であったが、百合は真剣な表情で私服を羽織っていた。
「キングス・ミッドナイト・トンネルから来る人たちは、私が足止めをしておく。誠次くんの考えとやらを、ヴァレエフさんに話している間ね」
「危険です! 暴徒が魔術師に何をしてくるか!」
「私はもう、誠次くんを信じてるから。先生が生徒を信じるんだから、生徒は先生を信じなさい。いい?」
眩いほどの金色の髪を手でふわりとはらい、百合の青い瞳は誠次をじっと見つめてくる。
誠次は百合から視線を逸らし、首を横に振り、再び視線を合わせる。
「……゛すぐに向かいます゛。どうか、お気を付けて」
「任せて頂戴。私、結構強いから」
百合はウインクを残し、部屋を後にする。
「俺は……っ!」
誠次も黒いコートを羽織り、赤いマフラーを首に巻き、百合に続いて控室の外へと出る。
「お待ち下さい。室内で待機を!」
誠次と百合が出歩かないようにか、部屋の外で待ち構えていた男性職員が、部屋を出た二人へ向け威嚇の攻撃魔法の魔法式を展開している。日本語であった。
「王の元へ向かう! 止めるな!」
誠次が叫ぶ。
「通すものか! ヴァレエフ様と関わりがあったからと、調子に乗ってーーっ!」
「《ナイトメア》」
通路にて、白い魔法の光が輝く。百合が放った魔法は男性職員の意識を奪い、深い眠りへとつかせていた。
百合はすぐに魔法式を閉じ、誠次へ頷いてみせる。
「二人とも、急ぎましょう」
「はい! どうかご無事で!」
誠次は総議会場へ、百合は本部出口へと向かおうと、互いに背を向けたはずのところで、急に百合が誠次の手を握って来る。
「ごめんなさい。……一つだけ、お願いしてもいい?」
「何ですか?」
百合はすぐに誠次から手を離し、誠次も身体を振り向かせ、互いに向き合う。
百合は少しだけ怯えているようで、瞳や足は小刻みに揺れている。ここから一人で向かう先の事を考えれば、無理もないことだろう。
何も、それは誠次も、同じであったが、
「ちょっとした願掛けみたいなものなんだけれども、その……゛私の事を守る゛って、言ってくれないかしら?」
「守る……」
「お、おかしいかもしれないけれど、誠次くんが守るって言ってくれると、なんだか本当に、守られている気がしそうだから……」
恥ずかしそうに頬を赤く染め、百合は言う。
「守ります。百合先生の事も、必ず。言葉にするのは簡単ですが、今の俺にはそれだけの力がある。今は手元にない相棒も、この魔法世界で生きるためには俺が必要なはずです。だから必ず、アイツも戻ってくる」
「……ありがとう。真夜中の王の通り道で、待ってるわ……」
ほっと一息をつき、百合は嬉しそうに微笑んでいた。
誠次は頷き、踵を返していた。向かうのはヴァレエフ・アレクサンドル。魔術師たちの王の元へ。
廊下では職員たちが慌ただしく走っており、誠次はそれにぶつかりそうになりながらも急いで総会議場へと向かう。
「「誠次!」」
神殿のような作りの廊下を走る途中、戻って来ていたルーナとクリシュティナと合流する。
「ルーナっ! クリシュティナっ!」
走って来た二人を受け止めるようにして立ち止まり、誠次は呼吸を整える。
「誠次、この騒ぎは一体!?」
どうやらルーナもクリシュティナも、まだ外の状況がよく分かっていないようだ。
「隔離された人々が暴徒になって、魔術師たちを襲っている。俺は今から、ヴァレエフさんを止める」
「どうして、ヴァレエフ様の方を?」
クリシュティナが訊いてくる。
「ヴァレエフさんは直々に隔離された人々と戦おうとしている。この事実が世界中に拡散されてしまえば、魔術師とまだこの世界で生きている魔法が使えない人との対立が明確になってしまう。そうなれば、世界中で今のマンハッタンのような事が起きてしまうだろう」
冷戦と言うべきか、今までは危うくもどうにか保っていた均衡が、今まさに崩れようとしている。
誠次の言葉に、ルーナもクリシュティナも青冷めた表情を見せていた。
「百合先生は!?」
ルーナが心配そうに訊いてくる。
「今は先に真夜中の王の通り道に向かい、ブルックリンから押し寄せる暴徒の群れを足止めしてくれている。急ごう!」
同行するルーナとクリシュティナと共に、誠次が国際魔法教会本部ロビーへと辿り着いた時、そこには大勢の避難民が身を寄せあっていた。老若男女問わず、彼らは争いを嫌い、巻き込まれてしまった人々だろう。
そしてそこから響く、耳が割れんばかりの歓声。
「――ヴァレエフ様だっ!」
まるで救世主の如く、避難民が一斉に顔を上げて向く方を見ると、ヴァレエフが大勢の国際魔法教会幹部を引き連れて、総会議場方面から歩いて来ている場面だった。
さしずめ聖者の行進を繰り広げる魔術師たちの進行方向に、立ち塞がる三人の人影があった。
「止まれーっ!」
両手足を大の字に広げ、赤いマフラーの下の喉の血管が浮き上がるほどに叫び、誠次はヴァレエフの前に立ち塞がる。
王の登場を讃える拍手と英語が響く中、日本語が叫ばれたのだから、こちらにも視線が集中したのは自然な流れであった。それは王へと向けられた、羨望の眼差しではなく、場違いだと言わんばかりの、批難の視線だ。
それら多くの視線に晒されながら、竦み上がりそうになる足を誤魔化し、誠次はヴァレエフの前に立ち塞がる。
「無礼なっ!」
色とりどりの魔法式が次々と展開され、王の行進を止めた誠次へと向けられる。
「どうして、天瀬誠次……」
ヴァレエフは目の前に立ち塞がった少年に対し、少々驚いたように青の目を見開いていた。
「貴方を真夜中の王の通り道へは行かせられない!」
誠次はヴァレエフを睨み上げ、大声で叫ぶ。
「なぜ私が王の通り道へと向かうと分かったのか。そして、君がどうして私の前に立ち塞がるのか。疑問に感じるが――それらを追求している時間でさえ惜しいと言う現状、君も分かるだろう?」
誠次に対し、容赦のない罵詈雑言が飛ぶ中、ヴァレエフは静かに告げる。
「貴方が行けばその身は滅び、混乱は世界中へと拡大する!」
「暴徒は迫り来ている。防衛しなければ、ここにまで押し寄せるだろう」
だから退け、とヴァレエフは誠次の足元に、赤い火属性の魔法式を浮かばせる。
赤い光が視界の真下から押し寄せる中、誠次は腹にありったけの力を込めた。
「俺が真夜中の王の通り道に向かいます! 暴徒を食い止めます」
「信用は出来ぬな。何故ならば君は魔法が使えず、どちらかと言えば隔離された人々側の人間だ。彼らと同じく、君に眠る魔術師へ対する憎しみが、君の思考を惑わせる」
「敵だとか味方だとか、魔術師かそうでないかなんて関係ない! 俺はただ、俺自身やルーナさんやクリシュティナさん百合さん。そして、日本にいるみんなの居場所を守りたいんです!」
止まらない数々の罵声に負けじと、誠次は声を張り上げる。誠次のすぐ後ろでは、何も言えないでいるルーナとクリシュティナが、緊張の面持ちで、二人の行く末を見守っている。
何か言いたげな幹部たちを相変わらず片手で制したまま、ヴァレエフは冷酷な表情で誠次を見下ろす。
「そのような生半可な覚悟では、何も守れまい。私は君とは違い、多くのものを背負っている。君とは、比べ物にならないほど、多くのものをな」
「生半可なものか! 俺だって、この魔法世界を愛している! 不安定で、滅茶苦茶な世の中だとしても、この世界とこの時代に生まれた以上、自分がやれるだけの力を尽くす! そこに必要なのは世界を統べる王の意思でも、その力でもない! 間違いながらも人が手を取り合って作りあげた今の世界を、お前一人に壊されて堪るものか!」
「貴様ァっ!」
王へ反抗した誠次目掛けて飛来した幹部の攻撃魔法を、誠次の後ろにいたルーナとクリシュティナの防御魔法が防ぐ。
「「誠次に手出しはさせない!」」
「恩を忘れたか、オルテギュアの忘れ形見が! あんな国などーーっ」
目映いスパークの前、誠次とヴァレエフは睨み合う。
「ヴァレエフ・アレクサンドル! お前が本当に魔術師たちの王を自称するのであれば、"王として俺に命令しろ"! 俺を真夜中の王の通り道へ向かわせ、戦わせろ! そうすれば俺は剣術士として、刃向かうものを蹴散らす! お前は大人しく玉座に座り、王として人を守れっ!」
「真夜中の王の通り道に一人でも隔離された人々が通り過ぎた時、我々は魔法の力を持ってこれを制圧する」
「そうはさせない!」
「水底トンネル内部の暴徒の規模は、我々も分からないぞ。そして、連中は火器では破壊不可能とまで言われた障壁を破壊した。戦力も不明だ」
「それでも止める!」
「……」
言い切る誠次の黒い瞳をじっと見据えてから、ヴァレエフはマントを翻し、振り向く。
「まこと、王へと至る道を守護する番人と呼ぶべきか……」
「……」
立ち止まり、振り返ってくれたヴァレエフへ、誠次は深いお辞儀をしていた。
王が退いたのを見た避難民たちは、殆ど呆気に取られたように皆一様に押し黙り、誠次の動向を見守る。
決意を込めた顔を再び上げた誠次にとってこれは、まだまだ最初の関門を突破したに過ぎない。
「グルルルッ!」
その時、誠次たちの元へ、黒い毛並みをした猛獣が床を蹴って跳ねるようにやって来たのは、ヴァレエフの意思を感じ取ったからだろうか。唸り声を上げ、ロビーに現れたのは、黒い毛並みをしたライオンであった。
獰猛な肉食獣を前に、慌てふためく避難民たちであったが、おもむろに近づく少女が一人だけ、いた。
「黒獅子!? こんなに、大きくなったのですね……」
クリシュティナが駆け寄ると、リーエフと呼ばれた使い魔のライオンは、逆立てていた毛並みを落ち着かせて、軽く吠える。クリシュティナによく懐いているのだろう。
「リエーフ……。確か、ミハイルさんの使い魔だったな」
ルーナも微かな記憶を辿ったようで、幼少期よりかなり大きくなった黒獅子を見つめていた。
「どうして、ミハイルさんが使い魔をここへ?」
「? たてがみの中に、何か硬いものが……」
落ち着かない様子のリエーフを軽く撫でてやっていたクリシュティナが、ぶ厚く雄々しいたてがみの中に何かを発見し、躊躇なく手を突っ込む。普通の人ならば恐ろしくてできそうにない真似であるが、クリシュティナは自然な手つきであった。
「これは……」
クリシュティナが両手でたてがみから引っ張り出したそれを一目見た途端、誠次は呆気に取られた。
肩から紐によって掛けられていたのは、なんとレヴァテイン・弐の入った袋であった。それは煤を浴び、灰色に汚れてしまっている。
「レヴァテイン!? どうしてミハイルさんの使い魔が持っていたんだ!?」
「お兄様が人の物を盗るはずが……」
誠次にレヴァテイン・弐が入った袋を渡しつつ、クリシュティナが戸惑いながらリエーフを見つめる。
リエーフは誠次へ向け、威嚇するように軽く吠える。ライオンの中でも図体の大きいバーバリライオンによる間近の威嚇は、恐怖と畏怖を感じるとともに、後には退けない勇気を与えて来るようだった。
「二人を頼むと、言っていると……ファフニールが言った……」
ルーナの言葉に、誠次は黒い眼を見開く。
「二人を頼むって、あの時の国際魔法教会の男と同じ……」
ここへ来て、誠次はようやく気付く。クリシュティナの兄ミハイルは、ずっと二人の事を――。
「リエーフ!?」
クリシュティナがリエーフを覗き込むと、次の瞬間。リエーフが突然苦しそうにして、クリシュティナの胸元へ崩れ落ちる。
「使い魔は主と運命を共にする」
そう声を掛けたのは、怪我をしている避難民へ向け治癒魔法を施すヴァレエフだった。
「よもやミハイル……。キルケー魔法大学の防衛に独断で向かうと、連絡が最後にあったな……」
ヴァレエフは残念そうに目を瞑る。ともすればそれは、切り捨てるべきものは早々に切り捨てる、王としての矜持か。それとも、冷酷無慈悲な独裁者の宣告か。
強く歯軋りをした誠次は、
「クリシュティナ! 急いでミハイルさんの元へ行け!」
「し、しかし誠次の援護は!? 私とルーナも誠次と共に――」
「急げ! ミハイルさんを諦めるな!」
倒れはしたものの、まだ息をしているリエーフを見て、誠次はまだミハイルはマンハッタンのどこかで戦い続けているはずだと感じていた。まだ可能性があるのならば、゛妹思いの兄゛をむざむざ見捨てるわけにはいかない。そして何よりも、兄を失うかもしれないクリシュティナの為にも。
もう時間がない。ヴァレエフが必死に叫んでいる誠次を見守る中、焦る誠次は続いてルーナに声を掛ける。
「ルーナ。クリシュティナと共に行ってやってくれ。危険だと思うから、必ず離れないように」
「し、しかし、誠次……君は……」
ルーナも誠次の身を案じ、心配そうにコバルトブルーの瞳を向けて来る。
「気にするな。必ずミハイルさんを助けて、無事にみんなで日本に帰るんだ! クリシュティナの為にも、頼む!」
他の魔法が使えなくなる眷属魔法を使ってまで、こちらにレヴァテインを届けてくれたミハイルの為にも――。
「ファフニール! 二人を頼むぞ!」
最後に、誠次はルーナの中にいる使い魔の竜に向け、叫ぶ。
ルーナの身体がぴくりと、震えたようにも見えた。
(王ニ楯突キ、随分ト偉ソウニナッタモノダナ。……抜カセ小僧。オ主ニ言ワレルマデモナイ)
果たして向こうがどう言葉を返したかは誠次には分からないが、向こうもルーナを命を懸けて守るはずだろう。誠次は確信していた。
おれも命を懸けて、おれと……みんなの……帰るべき居場所を守る!
「頼むぞレヴァテイン・弐……!」
誠次は黒い袋に収まった、鞘に入ったままのレヴァテイン・弐を額にぐっと押し当て、速まる胸の動悸を抑え込む。
レヴァテインが光を奪い、視界が漆黒に覆われたその時、麗しく華やかな香と共に、何か柔らかい感触が誠次の前面に当たる。背中に回されたのは二本の腕のようで、誠次が目を開けると、そこには茶色の髪があった。
「クリシュティナ……?」
「どうか、ご無事で……っ」
「誠次っ!」
クリシュティナに抱き着かれた誠次の元へ、ルーナも駆け寄り、誠次はルーナを受け止めた。
「共にいる事は叶わずとも、せめて……私の力を貸す……!」
「ああ、頼んだ」
ルーナのエンチャントが、誠次の手に持つレヴァテイン・弐に袋の上から掛かる。
抱き着き合う三人を包むように、眩い紫色の光が発生し、ロビーにいる避難民たちや国際魔法教会幹部たちが悲鳴をあげる。
「ひ、姫……なんという真似を……!」
「ほう……」
幹部たちが驚き戸惑う中、紫色の身体を老骨に浴びながら、ヴァレエフは誠次のレヴァテインにエンチャントが掛かる光景を終始、見守っていた。
次に誠次が目を開いた時、ルーナのエンチャントは成功し、双眸は紫色へと変化していた。黒い袋からは今や、収まり切れない紫色の魔素の光が放たれている。
「――時間が惜しい。急ぐぞ」
光を纏う誠次はクリシュティナとルーナの肩を押し、真剣な表情で頷く。
周囲に見せつけるように付加魔法をしていたルーナも、二人を見守っていたクリシュティナも、誠次の紫色の瞳を見つめ、決意を込めた表情で頷いた。
大勢の人々の視線を一気に浴びながら、誠次はロビーを抜ける。ルーナとクリシュティナもす
ぐに後に続き、国際魔法教会本部の外へと出る。
「と、止まれ剣術士! やはり貴様は異常だ!」
「この先へ行かすわけにはいかなーー」
「邪魔だ、失せろ!」
なおも立ち塞がろうとする幹部たちへ誠次は威嚇する。それだけで、魔術師たちは怯えたように引き下がっていく。
まず感じたのは、嗅覚の不愉快さだった。染みるような焦げ臭さに、思わず顔を顰める。これから夕方なのに薄暗い空には、灰色の塵が舞っていた。
「自分の身の安全を最優先にしてくれ」
思いのほか近い、真夜中の王の通り道の看板を睨み、誠次はルーナとクリシュティナに告げる。
「夜には、必ず戻ってきてください……」
夕暮れの意を名に冠す、クリシュティナは心配そうに、告げて来る。
「ああ、必ず」
夜になれば、゛捕食者゛が現れ、暴徒の活動も止まるだろう。皮肉なものだが、今は人類の未来のために、彼らの力を利用する他ない。……今だけ、だ。
今も多くの人が国際魔法教会本部へ向けて逃げ惑っており、誠次たちは彼らを誘導しながら、それぞれの場所へと向かう。
「白虎っ! お兄様の元まで、案内お願いできますか!?」
「ガルルルッ!」
クリシュティナの使い魔である、白い毛並みをした巨大なトラが、クリシュティナとルーナを案内する。やはり方角的には、今だ混乱の渦中にあるマンハッタンの中を、一頭のトラと二人の少女が走っていた。
※
元々、真夜中の王の通り道は人が徒歩で通る事を想定してはいない。専ら通行の手段は車やバイクとなっており、幅広の車道が遥か彼方まで延々と続いているように見える。照明は天井と左右の壁に等間隔で備え付けられている最低限のもので、人が歩けば手元は薄暗い。
あまりに巨大な空間の中、水底と言う事もあるのか、一人の人の身ではとても肌寒く感じるものだった。
「車が沢山放置されているわね……。みんな、車を置いて逃げたのかな……」
――あるいは、この異質な光景の中で、たった一人しかいないと言う状況への恐怖を感じているのかもしれない。
ブルックリン方面から迫り来る暴徒を抑える為、一人で王の通り道の防衛に当たっていた星野百合は、自身の身体の震えを自覚する。
「早く来てくれないと誠次くん……先生、ちょっと寂しいわ」
放置されている車と車の間を通り歩き、やがて道路に何かの震動を感じるようになる。それが地震のように大きくなるのと同時に、まるで人ではない、何か獣のような雄叫びが、薄暗くてよく見えない前方から聞こえてくる。
「……っ」
それらは確実に、百合を恐怖の感覚へと陥れる。
「でも、私もヴィザリウス魔法学園の教師の端くれ……。生徒を守るのは、当然よね?」
百合は自身へ向け、目を瞑ってにこりと微笑みかける。
例えそれが虚勢であっても、百合はいつでも前を向いて生きてきた。弟と離ればなれになり、異国の地で両親の訃報を知らされ、それでもこの時勢では子供の身分では簡単に国境を越えられず。
だから必死に努力をして、思春期を殺し、大学生でようやく日本への帰国を研修と言う理由で獲得できた。現地の大学側としては、優秀な魔術師をなんとしても残しておきたいようだった。百合はそれらから来る様々な妨害を乗り越えて、自らの力で認めさせ、ようやく祖国へと帰ることが出来た身分なのだ。
自分にもある帰るべき居場所の為にも、百合は迫り来る暴徒たちへ向け、高位風属性攻撃魔法の、緑色の魔法式を展開する。
「引き返して頂戴っ! 《ラファール》!」
フランス語で突風の意味をする、百合が得意とする系統の風属性の魔法だ。緑の魔法式から放たれた音速の突風が、百合の前方にあった棄てられた車を巻き上げ、暴徒たちの進路を塞ぐ。
向こうから悲鳴が聞こえたのは、一瞬の事だった。悲鳴は怒号へ変貌し、更なる憎悪を伴って、魔術師である百合に襲い掛かる。
「やっぱり、大人しく引く気はないようね……」
何発かの銃弾が飛来し、百合は防御魔法を展開する。
「《ウイングワルツ》」
竜巻を周囲に発生させ、暴徒たちを怯えさせ、手に抱く銃を風で巻き上げていく。
数は多いとはいえ、百合の操る魔法の前では、魔法を扱えぬ者たちは圧倒される。日本から飛び級で海外進学を果たした百合の実力は本来ならば、国際魔法教会の幹部戦闘員に匹敵するものだ。
「《スラッシュ》!」
「――《パニッシュメント》!」
このまま暴徒たちを押し返せるかもしれないと思っていたのだが、それは浅はかで、楽観的な観測だった。
百合の放った魔法を打ち消し、一切の魔法を封じ込める妨害魔法 が、暴徒側の方より発動されたのだ。
「魔術師……!?」
急いで妨害魔法の影響下から逃げようと、後退する百合であったが、人間の動くスピードよりも遥かに速い、しかし人間のような挙動をした黒い影が、百合の元へ強襲していた。
「きゃあっ!?」
頭上より高速で接近してきた黒い影が、百合の目の前で着地。百合はその禍々しい黒いフォルムを、間近で青い瞳に捉えていた。
「その姿……貴方は、一体……っ」
逃げ道を塞がれ、そもそも背後から襲い来る暴徒たちの気配で足は竦み上がり、百合は震える声と身体で、立ち塞がった者を見上げる。
「……」
獰猛な狼の頭部のようなヘッドギアに、指先一つ一つが鋭く尖った獣の爪のように伸びた装甲を纏った、長身の人形。一見するとアンバランスそうな腰回りは、引き締まった身体のように細く、二本の足はしなやかに長く伸びてはいる。中にいるのは人だろうが、黒い装甲を全身に纏った見た目は最早、人ならざる何かとしか言いようがなかった。
「ぐ……っ!?」
反撃しようと、右手を持ち上げた百合だったが、腹部に強烈な熱を感じた。
やや遅れて、銃声が鳴った気がし、自分が腹部を銃で撃たれたのだと気づいたときにはすでに、百合の身体は捨てられている車のボンネットの上に、打ち付けられていた。
「かは……っ」
伸びてきた黒い装甲の腕に頭部を無理やり掴まれ、百合は車のボンネットが凹むほど、強い力を受けていた。
「番犬が魔術師を仕留めたぞ!」
「突き進め! 俺たちを迫害してきた魔術師の本拠地はもう目前だ!」
ガルムと呼ばれた人形に押さえ付けられている、瀕死の百合を見つけ、暴徒たちが声を張り上げる。
「貴方たちが無闇に行っても……世界は変わらないわ……。むしろ、混乱が広がるだけよ!」
百合が苦し気に呻きながらも、声を張り上げるが、百合を取り囲む暴徒たちが聞く気はない。
「魔術師の立場のお前には分かるまい!」
「この魔法世界の混乱こそが俺たちの望みだ!」
「お願いよ! どうか冷静になってっ! こんな暴力的なやり方なんかじゃ、何も変わるわけがない!」
王の通り道に響き渡る百合の叫びも、彼らの耳に届くことはない。
「お前たち魔法が使える魔術師が、俺たち隔離された人々を作り上げたんだ」
「さんざん俺たちを蔑んだ報いを受けろ!」
「そんな……私はそんな気は……っ!」
空いているガルムの左腕が、高々と突き上げられる。その爪先が、押さえ付けられている百合の首へ向けられた時、百合は強く目を瞑った。
――ヒギィンッ!
百合の元へ降り下ろされようとしていたガルムの左腕を、紫色の閃光が駆け抜ける。その次には、百合の周囲に群がっていた暴徒たちの足元に楔を撃ち込むかのように、次々と紫色の光を纏ったレヴァテインが突き刺さっていく。それらは全て、立ち尽くす暴徒たちの狭い間と間を、正確な軌道で駆け抜けていった。
「な、何だ!?」
慌てふためく暴徒たちの中でも、ガルムだけは冷静に、百合を掴んでいた右腕を離していた。
――やはり、アイツが本丸か。
禍々しい黒のフォルムを睨み、駆け付けた誠次は、鞘から解き放ったレヴァテイン・弐を構え、周囲の暴徒たちへ向け次々と、レヴァテインの分身槍を放り投げる。
「番人が相手だ、番犬!」
ーーそれは、かつて同じ戦場を駆け、共に戦った戦友を前に、脳裏に自然と浮かんだ呼び名だ。
真夜中の王の通り道で、番人と番犬が互いの守るべきものを懸け、合いまみえる。




