1
地平線の果てまで広がる青い海は、遥か下へ。陽の光を受ける柔らかそうな白い雲は、手を伸ばせば届いてしまいそうな高度にある。
三月下旬。ヴィザリウス魔法学園の春休みに入って間もなく、誠次はハネダからホノルル行きの旅客機に乗り、アメリカ合衆国ニューヨーク州マンハッタンへ向かっていた。
旅客機と言う名の空飛ぶ乗り物だが、国際線に限った話で言えば、三〇年以上前と比べてそのあり方は大きく変貌している。航空機の夜間のフライトは、特例や緊急事態を除いて世界で禁止されているため、一般の人が遠く海外へ行くには、かなりの費用と時間がかかる。朝と昼にかけてしか航空機は飛べないため、需要と供給のバランスが崩れたのである。一世紀前に大衆化されたはずの移動手段は、今や一部のお金持ちが異国の地をわざわざ踏みに行くための、贅沢な乗り物となっていた。誰が言ったか、海上を飛べば札束も同時に飛んでいく、と。
『目的地であるホノルルの現在の天候は、快晴となっております。良い旅をご満喫ください』
無機質な英語のアナウンスが機内で流れている。
テクニカルランディング――主に長距離の飛行の際に、航空機の給油の為に目的地ではない空港に一時着陸することであり、昔は精々乗務員の交代だけであり、乗客の乗り降りは行っていなかったと言うが、今は時代が時代であった。
早朝から始まったフライトの目的地は、まずハワイ州ホノルルへ向かう。そこのホテルで一泊をし、翌朝にマンハッタンへ向かうプランだ。
「国際線の飛行機は初めてだな」
誠次は機内を見渡して呟く。
国際魔法教会本部からの招待である此度の渡米。プレミアムファーストクラスと銘打たれたシートに、誠次たちは搭乗していた。
用意された座席は幅広く、ベッドにもなる。窓の外にはオーシャンビューが広がっていると言うのに、空飛ぶ機内では水槽の熱帯魚が優雅に泳いでいる。個室の中には専用のシャワールームもあるようだったが、さすがに使う気にはなれなかった。
それは、目の前に向かい合って座る二人の同い年の少女も同じ思いだったようで。
「――スケジュールの確認をしておきます。今日と明日の二日間をかけて、アメリカ合衆国ニューヨーク州のマンハッタンへ向かいます。三日目の正午に、国際魔法教会本部でルーナと私の状況説明を。証人としてその場へ誠次が呼ばれるとのことです」
ヴィザリウス魔法学園の制服姿でクリシュティナが、機内モードに設定してある電子タブレットのホログラムをスライド操作し、説明をしている。
「私たちは当時の事を嘘偽りなく、再び説明するつもりだ。国際魔法教会が寄越したベルナルト・パステルナークと言う男が行った非道。そして……オルティギュア王国の生き残りはいなかったと言う事実を隠されていたことに対する不信感を」
ルーナもまた、真剣な表情で言っていた。
「ああ。俺も協力する。何よりも尊重されるべきなのは、二人の意思のはずだ。二人がヴィザリウス魔法学園にいたいと言うのならば、俺はそれを全力でサポートする」
「感謝します、誠次……」
「すまない。君には借りばかりだな……」
「気にするなよ。これで本当に終わりにしよう」
国や家族を゛捕食者゛によって失い、国際魔法教会に利用されていたと言ってもいい二人の境遇を思えば、誠次は決意を込めて力強く頷くことが出来た。これで二人の枷が、本当に解かれれば良いなと思いながら。
「――もう少しで中継地点のハワイに着くけれど、残念。スケジュールはきつきつだし、のんびり海水浴も出来そうにないかしらね?」
そして、本日の召集の付添人として、ヴィザリウス魔法学園から共に派遣されたのは、教師の星野百合であった。化粧直しの為に、先程まで洗面所へ行っていたところだ。
三人が魔法学園の制服に対し、百合はラフな私服であった。魔法学園の教師は一部を除いて私服であるので間違ってはいないが、ジャンパーとスカートと、普段の学園生活ですれ違う時に見る気品と華やかさとは一風変わったカジュアルな格好は、さながら世界の金融の中心であるウォール街の背景がよく似合いそうだった。
「……私たちは、娯楽に来ているわけではありませんから」
誠次の隣に座り、艶かしい生足を組んだ百合を、どこか落ち着かない様子で眺めながらクリシュティナが言う。
「うふふ。付き添いの立場なのに、なんだか先生が一番観光気分になっちゃってるみたいね? 三人ともアメリカは初めてなんだし、お姉さんに任せなさい」
「百合先生が付き添いで来てくれるのは、心強いです。現地のこととか、実際に行ってみないとよく分かりませんから」
ルーナとクリシュティナは英語を話せこそするが、誠次を含め実際にアメリカへ行ったことはない。そこで小学生の時からアメリカの魔法学園へ進級していた百合の存在は、大きな助けとなっていた。
誠次がすぐ隣に座る百合に向けて言えば、百合は微笑んで誠次の方まで身体を寄せる。やはり向こうの風習の名残だろうか、その鼻先が触れ合うような距離感は奥ゆかしさを感じさせない大胆さであった。
「ありがとう誠次くんっ。誠次くんこそ、四人の中で男の子は一人だけなんだし、頼むわね?」
「は、はい……」
八ノ夜とはまた違った大人な女性のこのような物言いは、誠次にとっては初めてのもので、思わず赤面してしまう。
「こほん。き、教師と生徒との距離感とは……その、思えないのだが……」
真向かいに座るルーナが、にこにこと微笑んで誠次を見つめている百合に向け、わざとらしい咳払いをしてから指摘する。
それを聞いた百合は、ルーナを面白げに、青い瞳で見つめていた。
「あら。アメリカじゃこのくらい普通よ?」
「な、なに!? ロシアだって負けてはいないっ!」
「二大国の争いを太平洋上で繰り広げないでください……」
ヒートアップしてしまいそうになってしまった場を、クリシュティナのツッコミが抑えていた。
アメリカとロシアに限らず、かつては色々と不穏な関係が続いていた世界各国も、゛捕食者゛と言う人類の共通の敵が生まれた今、表向きは友好な外交。その裏で繰り広げられていた損得のゼロサムゲームを終え、一つになりつつあると言うのが、社会科の教師の言葉だ。
逆に言えば、人を喰う怪物が生まれなければ、世界はまだ゛争い゛を続けていたかもしれないかと思えば、皮肉なものだ。
「ところで誠次。先程から読んでいるその本は、いったい何なんだ?」
ルーナが誠次に声を掛ければ、残り二人の視線も誠次へと向けられる。
ルーナの指摘通り、誠次は先程からカバーをかけてある一冊の本を熟読していた。
「これか? 【飛行機が墜落したときにやっておきたい百の事】だ」
「「「百!?」」」
プレミアムファーストクラスと、ファーストクラスとを結ぶ扉の外を歩いているCAが立ち止まりそうなほど、大きな声でのツッコミを食らう。まったくもって想定外だが、万が一の場合もあるかと思って、誠次が機内で読もうと用意していた本だった。
愕然とした表情のまま、ルーナが恐る恐る声をだす。
「機体が墜落している最中に百個もやりたい事を勧めているのかその本は!?」
「ああ。皆で機長を応援してみようとか、不時着の瞬間にタイミングよくジャンプしてみよう、とか書かれている」
本のページを見せながら解説する誠次に、クリシュナは複雑そうな表情を見せる。
「応援でどうにかなるものなのでしょうか……」
「興味深い本ね。後で先生にも見させて頂戴」
「いいですよ」
百合は相変わらず、誠次の肩に両手を添え、にこにこ笑顔で話しかける。
「も、もしもの時は私がファフニールを呼ぶ! そんな本は必要ない!」
「え、そこで張り合うのですか、ルーナ……」
飛行機は事故を起こすこともなく、 ホノルルの空港へと到着した。
専用のラウンジから送迎のタクシーに乗り込み、一泊を過ごすビーチ沿いのホテルへと運ばれる。後部座席に三人の女性が座り、助手席に誠次が座っていた。
「日本人はメズラシイ」
日本語が話せる運転席の男性は、現地の方らしく浅黒い肌をしており、白髪交じりの髭を蓄え、気さくな笑顔を見せていた。
「日本語話せるんですね?」
「モチロン。三〇年以上前は日本人もイッパイ観光に来てた。イッパイ話、した」
ずっとこの辺りに住んでいるのだろう。初老の男性は少し寂し気に、呟いている。
窓の外を見れば、快晴のハワイの街並みが見渡せる。大きなヤシの木が街路樹のように並んでいるのは、ハワイならではの光景だが、その下の建物は軒並み店仕舞いをしている。寂れた風景、と言うのが正しい表現か。空が綺麗に青濃いのが、余計に街の寂しさを際立たせていた。
「昼なのに、歩いている人が少ないですね……」
後部座席で真ん中の百合を挟んで座る二人の女子のうち、市街地側の窓席に座るクリシュティナが、街並みを見渡して呟く。
「観光客がイッパイ減ったから、街もサミシクなった。昔はもっとイッパイ、人がいた」
国際魔法教会の号令の元、世界は一つになりかけてはいるが、それは国家としての枠組みを繋いだだけであり、人ひとりひとりとしての繋がりは、昔に比べて希薄となっていた。それらの影響を一番に受けるのが、ハワイや、オルティギュアのような観光地だったのだろう。
「通行人より、警察の方が多く見かけるな」
海沿いの道路方面に視線をやっていたルーナもまた、窓の外の光景を見て呟いていた。ルーナの言葉通り、紺色の制服を着た警察の方が、道行く一般人よりも多い有様だ。
ホテルに着くと、まずロビーにて百合から前置きをされる。
「分かっているとは思うけれど、もしも用があっても外出は絶対に一人でしちゃ駄目よ? 例え誠次くんだとしても」
「はい」
誠次は頷く。街を一人で出歩こうものなら、それはつまり魔法犯罪に巻き込まれに行くと言うようなものなのだ。基本的にはホテルの中で、アメリカを過ごすことになるだろう。
「そう言えば、ロシアの市街地はどうだったんだ?」
「ここまで露骨ではなかった気がする。私もクリシィもあまり街には出掛けた事が無かったから、詳しくはないが」
誠次の質問に、ルーナは周囲を見渡しながら答えていた。
部屋の中から見渡せる海は、茜色の太陽を受けてきらきらと輝いているようだ。ハワイの三月は雨季であり、晴れている日の方が珍しいとの事。よってこの美しい夕暮れは、滅多に見れない絶景であった。
夕方。早めの夕食をホテル内でとり、特にやることもないので、しばしハワイビーチの夕暮れの景色を、誠次は部屋から眺めていた。
『夜ご飯ははなんだったの?』
「ステーキだった」
『本場のやつかー。美味しそう!』
電子タブレットで日本にいる友人たちと会話をしながら、ハワイの景色を見せてやる。
桜庭がいる日本はこちらより翌日の昼の一二時ほどだ。同じ時空にいるのに、カレンダーの日付が違うと言うのはやはり、奇妙な違和感があった。
「そっちは談話室か?」
『うん。みんないるよ?』
桜庭が画面をずらせばそこには、桜庭の隣に香月、向かいの席に篠上と千尋が座っており、それぞれ手を振って来ていた。
『本当は、あたしたちも行きたかったんだけどね……』
「さすがに海外は手続きとか色々と面倒だし、お土産に期待していてくれ」
『うん……待ってる』
桜庭は残念そうに視線を落としていた。
※
――アメリカへ向け出発する数週間前のとある日。誠次と二人の女子がいる演習場へやって来たのは、桜庭莉緒だった。
「どうして……」
桜庭が手元で浮かばせた付加魔法の魔法式は、レヴァテイン・弐に掛かることなく、消えてしまう。桜庭は悔しそうな表情で、掲げていた右手を降ろす。
「莉緒……」
「莉緒ちゃんさん……」
部活終わり、すでに本日分のエンチャントを終えていた篠上と千尋が、心配そうに桜庭を見守っていた。
桜庭のエンチャントであるが、レヴァテイン・弐に何の変化もなかったのだ。初めは千尋と同じ、防御系の効果かとも思ったが、桜庭に大した変化はなく、童顔の表情には苦悶の色が浮かんでいるのみだけだ。
「やっぱり、駄目……?」
桜庭は自分の右手の平を見つめて言う。
「おかしいな。レヴァテインからも何も感じない」
白い光がただ纏わりつくだけの付加魔法に終わっており、黒い瞳のままの誠次も右手の剣を見つめて疑問に思う。
「私の時には、戦闘中でなくとも少なくとも黄色の光は付いていました」
「ああ。そもそも白は香織先輩のはずだ。そう考えると、やっぱり桜庭のエンチャントは掛かっていないという事になるな」
千尋の言葉に、誠次は頷きながら答える。
決心してくれ、特訓に参加してくれた桜庭であったが、レヴァテインにエンチャントが掛かる事はなかった。
「どうして……?」
「……分からない。今まで女性からエンチャントを受けた時は、漏れなく効果が掛かっていたのに」
誠次も首を傾げ、レヴァテインを見つめる。
「レヴァテインが桜庭を拒んでいるのか……?」
「え……あたし、レヴァテインに嫌われてるの……? なにか、しちゃった……?」
ぎょっとする桜庭が口に手を添えて戸惑っている。
「莉緒だけ出来ないのは、可笑しいわね」
篠上が訝しげにくちびるに手を添え、誠次とレヴァテインを交互に見る。
「まさかアンタ、莉緒を差し置いてもう九人とエンチャントしてるんじゃないでしょうね?」
「え!? そ、そんなはずはない! ……はずだ!」
誠次は慌てて指を折り、今までレヴァテインにエンチャントをしてくれた人の数を確認する。六人のはずで、順に香月、桃華、篠上、千尋、香織、ルーナ、のはずだ。薺の言葉が正しければ、あと三人分のエンチャントが残されているはずだった。
「こんなことになるんだったら……もっと早くやってれば良かった……っ」
「誠次くん……信じて、おります。……おりますけれど……」
桜庭と千尋が身を寄せ合い、誠次を悲し気な目で見つめてきた。
「ち、違う違う! きっとなにか別の原因があるはずですっ!」
軽薄男として見られそうになってしまい、誠次は慌てて両手を振っていた。
その後も、アメリカへ旅立つ直前の日まで、桜庭とは学園で時間さえあればレヴァテインにエンチャントをする特訓を繰り返していた。演習場に限らず、廊下や体育館裏などでも。一応は周囲の目につかないように注意はしながらだが、きっと場所の問題でもないだろう。
※
お互いが気を使い合った結果、こんなことになってしまったのだろうか。今日に至るまでエンチャントが出来ない理由は分からず仕舞いで、桜庭にはなんだか申し訳なく、誠次は謝っていた。
『逃げちゃったのはあたしだし、きっとバチが当たったんだって思う』
「そんな事は……」
『でも、まだ諦めてはないから! 帰ってきたら、また特訓頑張ろうね!?』
画面の向こうで桜庭は、めげずに表情を明るくしていた。
その明るさに前を向ける自分がいると言うことをしみじみ実感しつつ、誠次も「ああ」と頷いていた。
桜庭の周りの女性陣も、桜庭を応援するように暖かい目線を送ったり、声をかけてやっている。
「――ハーレムって街が、マンハッタンにはあるのよねー」
皆との通信を終えた直後、酒でも飲んだのか、赤ら顔となっている百合が後ろから声をかけてきた。
「は、はあ……」
とてつもなく反応に困り、赤面する誠次は電子タブレットをズボンのポケットにしまって、振り向く。
「って、なんで堂々と俺の部屋にいるんですか!? いつの間に!?」
百合はベッドの上で堂々と寝転がっており、仰向けの姿勢で頭に手を添えている。
「言ったでしょう? 誠次くんでも一人ぼっちは駄目だって」
「ここ室内ですけど!?」
自分が部屋を間違えたかとも一瞬だけ思ったが、そんなへまをはるばるハワイまで来てする事もない。
「ヴィザリウス魔法学園から出たら、それはもう外出よ」
「子供みたいな屁理屈を……」
クスクスと不敵に微笑む百合の前まで、誠次は歩み寄る。
「お酒飲んだんですか?」
「うん、バーで少しだけ。でも、慣れない真似はするものじゃないわね……。時差ボケも重なって最悪な気分なの……」
ぐったりしている百合は、なんと手で口元を抑え始めている。
誠次は慌てて、ビニール袋を引っ張りだし、百合に手渡していた。
「今薬用意しますから! もう少しだけ耐えてください!」
「随分と用意いいわね……」
「備えあれば憂いなしですからね」
相変わらずアウトドアに関する知識だけは豊富な誠次は、万が一の時のための準備を欠かしてはいなかった。すぐに鞄から飲み薬と、海外なので水道水ではなくペットボトルのミネラルウォーターを持ち、百合の元へ。
百合はベッドの上で上半身を起こし、「ありがと」と言いながら、誠次が用意した薬と水を飲む。
「でもどうしてお酒用の薬なんか……もしかして、その気だったの?」
咎めるような青い視線を受けるが、誠次はすぐに首を横に振る。
「海外で何を飲んだり食うか分からなかったので、もしかしたらと思って持って来ておきました」
「準備良いのね。素敵よ」
「しばらくここで休んでいて良いですから、具合が良くなったら部屋まで送ります」
「えー。ここで寝ちゃ駄目かしら?」
百合は枕をぎゅっと抱き締め、くちびるを尖らせる。
「だ、駄目ですよ!」
「でも私、動けそうにないんだもん」
まるで駄々をこねる子供の様に、誠次が使う予定でいた枕をぎゅっと抱き締めて離さない。まだ酒に酔っているのだろう。しかし顔こそ赤いのだが、その表情はどこか余裕を感じるのだ。
「良くなるまで休んでいて良いと言いましたし、構いませんが……」
部屋から追い出すような真似も出来ず、他にすることもないので誠次はソファに座り、ベッドの上で寝転がっている百合を見つめる。
百合はごろごろとベッドの上で寝返りをうっており、もしかしたら本当に寝る気でいるのかもしれない。すでにストッキングは脱ぎ始めている。
「うふふ。なんだか子供の頃を思い出しちゃうなー」
「急にどうしたんですか」
「まだ日本にいた小学校の時、家でずっと一希の面倒見てたから。一希ってこんな感じだったのかなって思って」
星野一希。百合の四つ下の弟であり、アルゲイル魔法学園の同級生男子だ。
百合は微笑んでいた。
「小学生の頃までは、まだ大阪の方に住んでいたんですよね?」
「うんうん。両親とも仕事が忙しくて、家に帰って来る日の方が少ないから、いつも私が一希の面倒見てたの」
「いつからアメリカに?」
「高学年の頃よ。本当は家なんて離れたくなかったんだけど、両親は喜んで私を送り出していたわ。将来、魔法世界で役に立てるようになれってね」
百合は寂し気に呟いていた。
「両親の気持ちは分かるけど、一希が少し可哀想だったなって。結局、ひとりぼっちにさせちゃったし」
「それで百合先生が気に病む必要はないと、俺は思います」
これは生徒として自分が教師に出来る、些細な気づかいだ。誠次は立ち上がり、沸かしたお湯でお茶を淹れる。これももしアメリカで日本の味が恋しくなった時の為に、誠次が念のために持って来ておいたものだ。
湯気を立たせるコップを、百合は微笑んで受け取っていた。
「あら、慰めてくれるの? 誠次くんたら」
「いえ……ただ、初めて会った時、百合先生が一希と会いたいと仰っていたので。せっかく生きている家族と会えないのは辛いですから……。もし百合先生が遠慮しているのであれば、思い切って会ってみるのもいいかもしれませんよ」
誠次も温かいお茶を啜り、百合に言っていた。身体が芯から温まり、夕食後に飲んだ本場のコーラも美味しかったが、やはり緑茶も捨てがたい。
「優しいのね。慰めてくれたお礼にほら、いい子いい子してあげようか?」
「か、揶揄っているのであれば、勘弁してほしいです……」
ずずず、とわざとらしく水音を立てて、誠次は百合から視線を逸らす。
百合はそんな誠次を見つめ、両手を広げて伸ばして来ていた。
「もしかしたら本気かもしれないわよ?」
「……っ」
これも完全に遊ばれているのだろう。誠次はノーリアクションを装い、澄ました顔でお茶を啜い続けていた。
『――誠次。明日の事で少し相談があるんだ。部屋に入っても良いか? 直接話さなければならないだろうし、クリシィもいる』
部屋の外でノックをするルーナの声が、突然聞こえて来る。
「る、ルーナか!? 今はちょっと、その、取り込み中で!」
百合がここにいる事を知られるのはマズいだろうと、部屋のドアフォンに応答するが、
「ルーナちゃんにクリシュティナちゃん? 丁度いいから四人でお話ししましょ?」
百合が誠次の肩から顔を乗せるように出し、誠次の努力を無駄にした。
『な、何故百合先生がここにいるんだ!? ここは誠次の部屋だろう!?』
『突入しましょうルーナ』
『クリシィが尋常ではない力で背中を押してくる!?』
結局、部屋に駆け込んできたルーナとクリシュティナを交え、一人では広かった誠次の部屋は一気に窮屈になっていた。夕暮れから夜明けに至るまでの談笑会だ。
今度はお酒ではなくお茶を飲んでいる百合は、魔法生たちの会話にも遜色なく加わっていた。
<i285995|>




