1 ☆
――九日前。
春の朝は、穏やかな日差しで暖かい。
新高校一年生である少年は、桜の花びらが舞う景色を眺めながら、高等学園の廊下を歩く。風貌は、目元まで伸びた濃い茶色の髪、東洋人の血を色濃く残す黒い瞳。
見た目は普通で、新品の制服に身を包んだ風貌は、他の高校生と何一つ変わらない。
少年は髪をかいて、気乗りしないような、困った面持ちだった。
「初日から問題行動を起こした気はないんだけどな……」
学園の入学式が終わった直後、訝しい表情で天瀬誠次は、とある学園の理事長室の扉の前に立っていた。
慌ただしい入学式直後と言うこともあり、周囲に人影は見えず、ましてや一学年生。たった一人だ。
「天瀬誠次です」
たどり着いた理事長室前にて、重厚な木製の扉に、二度のノックをする。
「? 失礼しますよ」
向こうからの返事は無いので、木製の扉を開けると、
「――来たか、天瀬」
低音の女性の声が、部屋の奥の方から聞こえた。
会議でも出来そうな広さであった理事長室。その学園の全貌を見渡せる大窓を背に、この学園の女性理事長は机を挟んで、立っていた。
腰まではある、日本人独特の滑らかで綺麗な黒髪に、目を凝らさずとも分かる日本人離れした抜群のプロポーション。新男子高校生には、目の保養にもなり、毒にも成り得るもので。
巷では゛美人理事長゛とも言われている女性理事長。
誠次はそれでも、冷静に背筋をぴんと伸ばしていた。
「入学式は無事終わりました、八ノ夜理事長。自分を呼んだ理由は、なんでしょうか?」
「堅苦しいのは慣れないな」
青い瞳を値踏みするようにこちらへ向ける、八ノ夜美里。それが、誠次が入学した学園のトップに君臨する、女性理事長の名だ。
理事長とは言え、誠次と八ノ夜はとある事情で公私に渡る仲だった。
積もる話も無いはずだが、八ノ夜は真剣な表情だ。
「ひとまずは、ヴィザリウス魔法学園へようこそだ。制服姿、似合っているぞ」
「はい。ありがとうございます、八ノ夜さん。ここまでこれたのは、八ノ夜さんのおかげです」
「ここでは八ノ夜理事長、だ。家じゃないんだぞ? もっとも、今日からヴィザリウス魔法学園が家になるけどな」
学園の名前を言われれば、誠次は微かに緊張していた。
――ヴィザリウス魔法学園。
それは西暦の日本の東京に建てられた、魔法を学ぶための学園だ。
「さて本題だ」
重たい切りだしに、誠次はごくりと息を呑んだ。おそらく、重大な話なのだろう。
「――訊くが天瀬。剣って最高だと思わないか?」
なので、誠次も真剣な表情で、
「なるほど。――はいっ?」
素っ頓狂な声を出していた。
「なにきょとんとした顔をしている。剣は好きか? 嫌いか? と言うとても簡単な事を訊いているのだ」
そう言う八ノ夜もきょとんとした顔であった、が。
聞き間違いでなければ、今しがた目の前の魔法学園の理事長は、モノを切断する凶器ってどうだろうかと尋ねてきている。
「え……。あの魔王退治に行かされる勇者が持つような感じの……あの……剣ですか……?」
イメージした剣の形を手で作りながら、誠次は口をパクパクとして言う。先程までの重たい空気はすっかり、どこへやら。
「その通り」
八ノ夜はうむと頷くと、返答を求めるかのように誠次を見て来る。
「か、カッコイイとは、思います、けど……?」
凶器どうかと訊かれて、模範解答が分からない。よって誠次は八ノ夜から黒目の視線を逸らしながら、どうにか言っていた。
「お前もそう思うか! そうなんだなっ!?」
気づけば向かいの八ノ夜の表情が、なぜかとろけそうなほど綻んでいた。
「フフフ……天瀬ー」
八ノ夜は頬を真っ赤に染め、美人の欠片も無いような鼻息荒い姿となっていた。
「は、八ノ夜゛さん゛!?」
誠次の声を無視し、八ノ夜は机の下へと身体を屈ませる。そしてごそごそと、何かを取りだそうとしておられである。
「あの……。今ものすごく怖いんですけど自分……」
頬をかいて、誠次は力なく言う。
「大丈夫だ。安心して受け取れ天瀬!」
八ノ夜が顔を上げたその時、誠次はなにかを投げ渡された。
「重っ!」
ほぼ反射神経でなにかを受け取った誠次は、その重さにまず驚いていた。
そして。
「剣!?」
漆黒の剣。鋭く光る銀色の刃。そして刀身を囲むようなセパレートタイプの鞘。余計な装飾も施されていないそれは、純粋にモノを切断すると言う本来の剣の在り様を示しつけているようである。
誠次が受け取ったのは、剣の両端に刃が付いている、両刀刃の剣であった。片側だけに刃があるのが、確か日本刀だったけか。
「そうだ剣だ」
当たり前のように、八ノ夜は淡々と言ってくる。
「これを、自分にくれると言うのですか……?」
「カッコイイだろう?」
八ノ夜の蒼い瞳が、まるで少女のようにきらきらと輝いている。
「いや、会話になっていないぞ……」
そこから誠次は俯き、両手に持つ剣をじっと眺めていた。
しかし――確かに格好いい。それは時に、新高校一年生男子の男心を、揺さ振る一品ではあるが。
「しかしな、なぜですか……。こ、これを一体、どうしろと……!?」
誠次は身震いしていた。――それは殺傷力を持った凶器を前にしての畏怖か、あるいは武器を手にした者の昂りか、分からなかった。
誠次は両手で持ち上げた剣を視界に留めながら、改めて背筋を伸ばした八ノ夜を見る。
「お前に渡す」
八ノ夜はにたりと笑っていた。
「いりません!」
「いや、いるな!」
即答に即答が重なっていた。
「確認と言ってはなんですが、ここは魔法を学ぶための魔法学園です……よね?」
誠次は呆気にとられつつも、振り絞った声を出した。
八ノ夜は動じることなく、瞳を閉じて深く頷いていた。
「その通り。数多の生徒が、魔法世界と成ったこの世で魔法を学ぶための学園だ」
少し妄言染みた物言いは、八ノ夜のクセでもある。
「だったら――!」
「だがっ! 時代は魔法より剣だ!」
ガッツポーズをして、八ノ夜は高々と宣言した。
……確か先ほどの入学式で「魔法の知識を精一杯学んで下さいねっ!」とか言っていた気がするのだが……。
「ぜ、前衛的、ですね……」
掠れそうな声で、誠次は言っておく。
「だろう!?」
今の言葉を、相手は褒め言葉と受け取ったらしい。
「銃も良いと思ったんだが、゛お前の戦い方゛の都合上効率が悪いからな」
「銃刀法と言うものが日本にはありましてですね……」
唖然としたまま、誠次は八ノ夜を見上げていた。逆光の所為だろうか? と、とても眩しい……。
「私は学園理事長だぞ? この学園内では装備を許可する」
受け取る前提で話が進んでいた。
「はぁ……」
ほぼ魂が抜けかけていた誠次は、現実逃避を図ったため息を出していた。
「ホレ、背中に付けろ」
八ノ夜は満足そうに、嬉々とした表情だった。そのまま剣をぶんぶんと振るジェスチャーで、こちらに迫る。
不覚にもその姿が可愛いと思ってしまったことに、誠次は軽い頭痛を感じていた。しかし、負けるわけにはいかない。
「と、とても恥ずかしいのでご容赦を!」
「理事長命令だ、従え」
「い……っ」
八ノ夜の影が、怯える誠次の顔と身体を包んでいた。
フッフッフ、と悪の幹部の如き八ノ夜の笑顔に、誠次は悲鳴を上げる。
そして。
「諦めろ天瀬! 魔法が使えない代わりだ!」
「嫌だーっ!」
――西暦は二〇七九年。突如として魔法がこの世に生まれて、三〇年が経っていた。魔法世界。それがこの西暦の地球文明の呼称。
魔法が生まれたとされる西暦二〇五〇年、それ以降生まれ。すなわち、現在で三〇歳未満の者ならば、誰もが魔法を使う事ができるこの世の中だった。
――では、この世界での魔法とは何か?
魔法が生まれて三〇年経った今、その定義は今のところ、魔法の発動に必要な゛魔法式゛を介して起こす異能の力、となっている。
そんな魔法世界の中でも、天瀬誠次は一切の魔法が使えない特別な存在だった。