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手元で拡散する青い閃光が、視界を水色に染め上げる。レヴァテイン・弐が見せつけるその世界では、彼女の息遣いでさえ、遅く鮮明に捉えられた。
「……っ。まだ、制御が出来ない……?」
場所は魔法学園の演習場。
「大丈夫……セイジ?」
付加魔法を施した香月が、心配そうな表情で、こちらを見つめて来る。
青い光を噴出するレヴァテインを右手に握り、誠次は苦しく歯ぎしりをしていた。
「……ああ。力を込めれば込めるほど、まるでコイツが俺の身体を乗っ盗ろうとしてくるみたいだ……っ」
ルーナのグングニールと融合し、新たな姿となったレヴァテイン。今まではただ刀身に光が纏わりついているだけだったのが、今では出力を調整することで、エンチャントの使用時間を伸ばせている。それは長期戦が可能になったと言う大きな利点であるが、同時に難題も出ていた。
「不思議……。まるでレヴァテインが生きているみたい」
そっと手を添えて来る香月の言う通り、まるで急に自我を持ったように、レヴァテイン・弐はエンチャントを受けると膨大な魔力を誠次に浴びせてくるのだ。
誠次は今、そんなレヴァテイン・弐を扱いこなす為の特訓をしていた。
「怖かったら、離れていてくれ……。もしかしたら香月を、なんてこともあり得てしまう……」
全身が炎に包まれたかのように熱い。まるでこの灼熱を止めたければ、代償に誰かを斬れと言われているようだった。
そんな熱を冷ますのは、寄り添う香月の手と、声だった。
「平気。私はずっとセイジの傍にいるから、心配しないで」
「……分かった」
添えられた香月の手を見つめ、誠次は力を込める。レヴァテイン・弐は青い光の刃を、剣の先から発生させる。
「ぐっ!? ぐああああああぁっ!?」
途端、レヴァテインを握る右手からこれまで以上の激しい熱の到来を感じ、誠次は悲鳴をあげる。
「セイジっ!」
香月が叫び、誠次の手を握る力を強くする。
「ハアハア……」
すぐに出力を落とし、青の刃を消滅させる。ひとまずレヴァテインを落ち着かせれば、諸刃の刃の激しい抵抗は鳴りを潜めた。
「こんなんじゃ駄目だ……。いざという時に、まともに戦えない……」
全身から噴き出る汗を滴らせ、誠次は思い通りに動いてはくれない手元の剣を睨む。
「今日はもうお終い?」
「そうだな……」
付加魔法は、魔法を掛けてくれる人の体内魔素の回復が必要な為、一日に一度と言う制限もある。これはレヴァテインに掛ける時だけの、制約のようなものだ。一応、魔素は十分に寝れば回復できるようであるので、ここ最近は連日の特訓であった。
「香月、平気か?」
エンチャントの終了も今では自分でコントロール出来るようにはなり、そこは特訓の成果だろう。青い目から元の黒い眼に戻った誠次は、香月に声を掛ける。
「――ええ、私は平気よ」
エンチャント終了と同時に、香月はいつも通りの冷静さを取り戻し、いつもながらの無表情で答える。
落ち着いた表情を見せる両者であったが、誠次だけは内心で焦りに近い感情であった。
――マンハッタンの国際魔法教会本部に、行かなければならない。その事が、決まっていたからである。こちらに拒否することは出来ない。この世に生きる全ての人の平和と秩序を司る絶対的な組織の召集命令には、従わなければならないと、八ノ夜は言っていた。
「本当にすまない誠次……。私たちの件は、私たちで片をつけるつもりでいたのに……」
香月と入れ替わり、今度は申し訳なさそうな表情をするルーナが、誠次のレヴァテインに手を添える。ルーナの付加魔法の色である、紫色の魔法式が展開されていた。
「こればかりは仕方はないだろう。俺だって当事者だ。いや、何よりも深く関わったからな。だから気にするな。それに、俺も国際魔法教会とは接触したいと思っていた」
召集の理由は、年末から年を跨いで起きたルーナとクリシュティナ関係の事であった。あの日に何があったのか、詳細な説明を求め、ルーナとクリシュティナの処分を正式に決めると、国際魔法教会が決定したようなのだ。
同行は出来ないと言う八ノ夜曰く、魔女裁判の異端審問、との事。
こればかりは仕方がないと、誠次はルーナを気遣う。
「ありがとう誠次……。君がそう言ってくれるなら、私は君に全身全霊で尽くす!」
顔を上げたルーナは嬉しそうに微笑み、誠次のレヴァテインにエンチャントをしていた。
「しかし、国際魔法教会とは一度話はしたのです。その時はもう私たちに国際魔法教会は関与しないと一方的に言っていたのに、どうして今になって……」
誠次とルーナを見守るクリシュティナは、くちびるに手を添えて慎重に呟いている。
そして、国際魔法教会はマンハッタンに来る際は、必ずレヴァテインを所持して来るようにと注文をつけていた。あくまで状況を、詳しく知る為に。
「使いこなして見せる……!」
何かが起こると決まったわけではないが、備えはしなくてはならない。香月から続いてルーナのエンチャントを受け、誠次は歯を食いしばっていた。今のところ、ルーナとクリシュティナが同行するのは、決まっていた。原因となった二人なので、当然か。
マンハッタンへ行かなければならないのは、こちらの学業の都合もあると言う向こうの゛些細な゛気遣いにより、春休みの期間となっていた。それまで誠次は、アメリカへ行く準備の期間となる。
「ハブって、色々な意味があるんだな……。アイハブ、マングース……」
教室では休み時間の間は英語の勉強をする。全世界の共通言語が日本語になってしまえばいいと言う中高生にありがちな考えもここで沸いて来た。英語が堪能なルーナとクリシュティナが翻訳は任せてほしいと言ってくれたし、誠次も頼むつもりでいるが、さすがによく使う日常会話だけは習得しておきたい。
……しかし、そもそも日常会話から難しいのが英語である。
「特殊魔法治安維持組織に入るには、英語技能も必要不可欠だと言うのに、何と言うていたらくだ……」
電子タブレットの上で回転しながら浮遊する英単語を睨み、誠次は呟く。
「うう……先輩が卒業するの、悲しいよぉ!」
「結局、三年生の好きな先輩に告白出来なかったのね……」
「うん! ぶわああああっ!」
「な、泣きすぎ泣きすぎ。ハンカチあげるから涙拭いて……」
廊下側の席の方で、女子生徒の会話が聞こえる。
「ゴングラッチレーション。もう卒業式か……」
たまたま浮かんでいた英単語を呟き、誠次は日付を確認する。卒業式である三月一日は、もう間もなくだった。
卒業式の会場である第一体育館は、赤と白による紅白幕で覆われていた。ずらりと並んだパイプ椅子は、全てが壇上を向いている。
「――続きまして、在校生徒からの送辞。在校生代表、波沢香織」
三学年生の卒業式は厳かな雰囲気で行われた。壇上に上がる香織を見ていると、北海道での出来事を思い出す。ヴィザリウス魔法学園の卒業式には、薺総理大臣も来賓として出席しているからだ。
三学年生と二学年生を挟んで後方にいる為、一学年生の誠次には、薺の姿は祝辞の際にしか見えなかった。
『魔法生。皆さんは、未来を創る若き可能性です。様々な困難があるこの魔法世界で時に迷い、時に悩んでも、どうか。この学園で学んだ事を忘れずに、自分に誇りを持って前へと進んでください』
少なくとも壮年の姿の薺の言葉は、真意であると思いたい。
「……」
(八ノ夜さん……)
先輩たちの頭越しにちらと見える八ノ夜が、先ほどまであくびを繰り返していたのだが、今では真剣に薺の言葉を聞いている。
式は午前のうちに終わり、体育館の外では、卒業生の魔法により卒業証書が花びらのように空に浮かんでいた。何でも、これがいつの間にかできたヴィザリウス魔法学園の伝統らしい。おおかた自分は出来そうにない。
「――誠次少年!」
卒業式終わりの中庭では、卒業生と在校生が集まって涙を流し合っている。学級委員こそやっていたが、特別中の良い三学年生もおらず、部活動もやっていない為、誠次にすれば少々この場にいるのが気まずかったところだった。
しかし、野太い声に呼びかけられ、誠次は振り向く。
「兵頭先輩!」
多数の男子生徒たちに取り囲まれている兵頭が、こちらに向けて手を振っていた。兵頭の周りの男子生徒たちは皆わんわんと涙を流しており、兵頭との別れを惜しんでいる。端的に言えば、男臭い空間だ。そして間もなく、誠次もそこの一員になろうとしていた。
「今そっちに行くぞッ!」
「はい! ――って、嫌だっ!」
涙を流す男子生徒たちをかき分け、こちらに駆け寄って来る兵頭の姿を見た誠次は、戦慄していた。
春の訪れが近づいているとは言え、まだまだ寒さの厳しい三月一日。兵頭はパンツ一丁の姿で、駆け寄って来ていた。
「なんで裸なんです!? 制服はどうしたんですか!?」
「卒業だからと皆に配っていたら、上から順番になくなってな。すまないが、流石にパンツは渡せんぞ?」
「いりません!」
誠次は慌てて首を横に振っていた。
「答辞、感激しました。さすがは元生徒会長です」
卒業生の答辞は、兵頭が行っていた。
「そうかそうか! 少しでも心に響いてくれたのなら、やった甲斐があったもんだッ!」
「でも突然、俺の将来の夢は総理大臣になることだーっ、って総理大臣を前にして宣言した時は、驚きました」
その時、会場は微妙な空気となっていた。
「だが、俺の将来の夢なんだ。総理大臣となって、この国を変えたいんだ!」
兵頭はガッツポーズを決めている。
「なんだか兵頭先輩が言ってると、本当に叶いそうな気がします」
よく分からないが、目の前で熱く燃える先輩の姿は、頼もしく感じるものだ。
「ああ待っていてくれ! 必ず成し遂げて見せる! 秘書は翔元会計で良いか!?」
「――やりませんよ!?」
誠次の後ろの方から、長谷川が慌ててやって来て、ツッコみを入れる。
「まったく。現役の総理大臣さんがいる前でよくあんな事を言えますよね」
「……そうだな。ちゃんと聞いてくれていると、良かったんだが……」
おそらく光安であろう、SPに囲まれて車に乗り込んでいく薺の姿を眺め、兵頭は言っていた。誠次もまた、少し凛々しく見える兵頭の横顔を見つめてから、薺の方を共に眺める。
漆黒の車に乗り込む直前、薺はちらと、こちらの視線に気づいたかのようにこちらに顔を向ける。
「……ふ」
視線が交錯したその時、確かに薺は、不敵な笑みを浮かべていた。
薺の乗った車が音もなく遠くなっていき、やがて見えなくなる。ところで、と言いだしたのは兵頭の方であった。
「誠次少年!」
「はっ……っはい!」
相変わらずこの人に突然声を掛けられると、どうしても軍人のような返事をしてしまうのだ。これはきっとこの先も、ずっと同じような反応をしてしまうのだろう。
「聞いたぞ! アメリカに行くみたいだな!?」
「はい。国際魔法教会に呼ばれまして」
「向こうで何が起こるか分からない。事態に備える事を忘れずにな!」
「分かっています。実は俺、特訓をしているんです。新たな形となったレヴァテインを、上手く扱う為にも」
「新たな形、か。なるほど……」
兵頭は引き締まった腕の筋肉をまるで見せつけるように折り畳み、顎に手を添える。
「誠次少年!」
「はっ……っはい!」
「今から演習場に来れるか!?」
「今からですか? 卒業パーティーとかがあるのでは!?」
「ダッシュで行けば間に合うだろう! 第一演習場、来てくれるな!?」
「分かりました」
一体何をする気なのだろうかと思いつつ、なんとなく何をするのかが分かる自分もいる。誠次は頷いていた。
その後ろで、長谷川が眉をぴくりと動かしている。
「その前に兵頭先輩……どうか、服を着てください」
「おっ、そうだった! でも着る服がない!」
「昔俺に裁縫頼んだ時に預けっぱなしの予備の制服が、俺の部屋にあります。取ってきますね。あと風邪ひくんで、もう中にいてください」
長谷川が兵頭に注意をし、くるりと振り向いて走っていく。
「いやあの、翔元会計? 服は部屋にあるんだけどな……」
「あの人も変わらないな……」
戸惑う兵頭に、誠次は微笑ましい気分となっていた。
卒業式の為、他に誰一人としていない第一演習場に、誠次はやって来る。演習場という事はつまり、そう言う事なのだろうと、誠次はレヴァテイン・弐を持参していた。
照明もない薄暗い室内で待っていると、何かの起動音がし、眩しいほどの演習場の光が一斉に点く。
「――逃げなかったみたいだな剣術士!」
「――わー。本当にいる」
ぞろぞろと足音と声が聞こえ、誠次は思わずごくりと息を呑む。
「えっ!?」
多くの魔法生たちが汗と魔素を流した第一演習場に、赤いラインの制服を着た三学年生の青年たちが大勢やって来る。
「待たせたな誠次少年!」
千人近くの卒業生を纏めるように、先頭を歩いていたのは、予備の制服に着替えをした、兵頭だった。
「これは一体!?」
「観戦客だ! 安心してくれ、手出しはしないように言っている!」
兵頭の言葉通り、卒業生である三学年生たちは、まるで映画館で映画を見るような気軽な足取りと表情で二階の席へと移動していく。
「静寂の中での勝負も良いと思ったが、やはりギャラリーも必要だと思ったんだ!」
「構いませんが、勝負……」
「その通りだ誠次少年! ……もっとも、誠次少年こそ分かっているみたいだけどな?」
ゆっくりと近づいて来る兵頭は、誠次の右手のレヴァテイン・弐を見つめていた。
「なるほど。確かに形が変わったようだな」
「はい。これが俺の新たな力、レヴァテイン・弐です!」
誠次が高らかに宣言すると、
「「「寒っ……」」」
「やっぱギャラリーの皆さん帰ってもらってもいいですかね!?」
先輩方の失笑を買われ、誠次は兵頭しか見れずに叫ぶ。
「気にするなー剣術士!」
「思い出に残る卒業バトルをお願いね!」
しかし、背に浴びるものの中には声援らしきものも混ざっている。学生時代は最強無敗を誇った兵頭が負けるところを見たいと言う人もいるだろう。
「ルールは簡単だ。どちらかがギブアップを宣言するまで。もしくは、なんかヤバいって感じになったらだ!」
「なんかヤバいって何ですか!?」
そこはハッキリさせないと、なんかヤバそうだが。
「それもそうだな!」
誠次のツッコみに、確かにと兵頭は顎に手を添え、むむむと唸る。そして、閃いたと言わんばかりに顔を上げる。
「まどろっこしいのは性に合わなかったな! 率直に戦い、相手が自分より上だと感じた時点で、負けを認める。それこそ潔い男の決闘と言うものだ!」
「確かに、俺もそれが良いと思います。……ただ、俺は易々と負けるつもりも、根をあげるつもりもありませんからね」
両手で持ったレヴァテイン・弐を構え、誠次は兵頭に告げる。魔法学園の元生徒会長にして、最強の魔術師。これ以上にない特訓相手でありまた、乗り越えたい壁であった。
「図書棟と山梨県と重ねてきたが……また一歩強くなったようだな。戦う前から俺には分かるぞ!」
ゆえに、と兵頭は右手を誠次に向けて伸ばす。
「これは間違いなくこの魔法学園で俺の最後の戦いとなる! 卒業を華々しく飾る為、一切の容赦はしない! 行くぞッ!」
「魔法生の在校生代表として、全力で迎え討つっ!」
魔術師と剣術士。互いの叫び声だけが響き合う。つまりは、演習場の観客が固唾を呑んで、二人の決闘を見守る態勢に入ったと言うことだ。
先手は兵頭であった。
「集団戦ではないが、詠唱は行ってやろう! 《エラプション》!」
誠次の足元に次々と赤い魔法式が浮かび上がり、火炎をまき散らす爆炎があがる。
熱血先輩からの些細なハンデだ。誠次はすぐに動きだし、赤い円形の魔法式から逃れる。
真っ直ぐと向かった先は、兵頭の元だ。
「接近戦に持ち込めば!」
「いいぞ!」
だが兵頭は、魔術師のイメージにそぐわず、ある意味その筋肉質な体系の見た目にそぐう肉弾戦の構えを見せ始めた。高速で接近した誠次のジャンプ攻撃を、兵頭は身をひらりと逸らして回避する。
「図書棟で誠次少年の戦い方を見て、山梨で共に特訓をした。そこから俺が誠次少年に対して、なんの対策も考えないと思うか!?」
刃を躱す兵頭は、誠次の目と鼻の先の至近距離で、簡単な炎属性攻撃魔法の魔法式を組み立てる。
「《フェルド》!」
「っ!」
誠次は顔を逸らし、魔法式から飛び出た火炎放射を寸でのところで躱す。ちりちりとする音と共に漂う焦げ臭いは、前髪が焦げた証拠だろう。
黒い瞳に紅蓮の炎が反射し、誠次は歯を食いしばる。
「構築が簡単な魔法で手数を稼ぎ、俺の接近を食い止める算段ですか!」
「解説は不要だ誠次少年! 本気で来い! 俺も本気を出す!」
「ならば、望みには応えてやる!」
手元でレヴァテインを回転させ、無礼講となった誠次は兵頭の腹部を狙い、突き出す。レヴァテイン・弐は先が割れている為、兵頭の腹部へのダメージは、殴打によるものだった。
「剣と言うには……可笑しな形状だな」
致命傷だったかもしれない光景を目の前に、兵頭はほくそ笑む。
「人を傷つける為にある剣ではないので。この剣は、人を守る為のものです」
「あくまで誠次少年らしい。やはり俺は、君を気に入っているッ!」
「はっ!?」
アイの告白した兵頭は、足を思い切り蹴り上げ、戸惑う誠次のレヴァテインを弾き飛ばす。空を舞ったレヴァテインを誠次が視線で追いかける最中、兵頭の容赦のないパンチが、誠次の腹部に深くめり込んだ。
「得物を手放したな!?」
しかし、誠次が焦ることはなかった。
「そろそろ――貴方には勝ちたいので!」
不敵に宣言する誠次は、逆に兵頭の手を引き寄せ、掴まえる。
宙に飛ばされたレヴァテインに、遠距離から付加魔法が掛かったのは、その時だった。黄色い光を撒き散らしながら、レヴァテインは落下し、誠次はそれを左手でキャッチする。
「大切な人を守るために、この剣は形を変える。相手が人であろうと、必要ならば斬る」
誠次の手を振りほどき、魔法を発動する素振りを見せる兵頭であったが、顔の表情が強張るだけに終わる。
「む!? 魔法が、発動できん……!」
魔法執行省大臣の娘である千尋の付加魔法は、皮肉にもその魔法の発動を拒むものであった。
「ウル……っ。゛本気を出すな゛」
ただ握っただけでも、レヴァテイン・弐は尋常ではない力で、相手も、こちらも、傷つけようとしてくる。誠次は可能な限り力をコントロールし、歯を喰い縛りながら、兵頭へ黄色い魔素で形成された魔法の刃を向ける。
「まさか俺が手加減されるとは!」
「こっちだって必死にコントロールしているんです……っ!」
毎日のようにエンチャントの特訓を重ねてきたが、未だに完璧にはコントロール出来ていない。
互いにだらだらと汗を流す中、兵頭は振り向き、咄嗟に走り出す。敵前逃亡ではない。魔法が使えない以上、魔術師はこうするしかないのだ。
「篠上、ルーナ! 頼む! 追うぞ!」
右手に握ったレヴァテインを掲げ、誠次は叫ぶ。千尋も含め、三人とも予め誠次が演習場に呼んでいた。有り難いことに、三人とも二つ返事で来てくれたのだ。
二階席のどこかにいる魔法少女たちから魔法が放たれ、間もなく、レヴァテインの周囲に赤色と紫色の付加魔法の魔法式が浮かび上がり、膨大な量の魔素が黄色い光を放つ剣に注ぎ込まれていく。
「《エクスプロード》!」
十分に距離を離せたと思ったのか、兵頭が振り向き様に、一瞬で高位炎属性攻撃魔法を放ってくる。演習場の床一面に真紅の魔法式が広がり、誠次の逃げ場を塞ぐようだ。
「篠上っ!」
が、篠上の付加魔法が、誠次の回避を許していた。たちまち演習場は、観客席の最前列が顔を覆うほどの灼熱の業火が発生し、火の海が誠次を呑み込もうと高波をあげる。
「……っ!」
赤い瞳に赤い炎を映す誠次は空の足場を踏み、演習場の隅まで逃げる。
今度はこちらが戦術的撤退をしていた。
「このままじゃ追い詰められるか」
多くの人々の視線を受け止める空中で、篠上のエンチャントの足場の上でしゃがんだ誠次は、冷静に戦局を見極める。
やはり兵頭の魔力は強大で、炎の海は止まる事を知らないようだ。ならばと誠次は、天井付近まで更に高く跳躍し、落下しながら付加魔法を切り替える。逆さまの世界の中で、誠次は紫色の目を見開き、兵頭がいるであろう炎の奥を睨んだ。
「ルーナ! 貫けっ!」
落下しながら、誠次はルーナのエンチャント能力に切り替えた右手のレヴァテインを、投げつける。
荒波に逆らう海神の槍の如く、紫色の光を放つレヴァテインが、炎を切り裂いて突き進んだ。
円形に開いた炎の波の先、しかしそこに兵頭はいなかった。
「――なに!?」
驚愕する誠次であったが、すぐに付加魔法を篠上のものへ切り替え、空中で姿勢を制御する。
「――《ライトニング》!」
そう叫んだ兵頭と、彼が放った雷撃は、誠次の真下より。
「――っ、レヴァテイン!」
咄嗟に身を翻した誠次の手元で、目映いスパークが発生する。レヴァテインは雷撃を受けきり、誠次へのダメージを最小限に押さえ込んでいた。
「あの炎と一緒に突き進んで来るなんて、やっぱり貴方は化け物ですよ」
「誠次少年に言われたくないな」
ぷすぷすと何かが燃え焦げる音と、焦げ臭い臭いが立ち込める中、空に立つ誠次は地上に立つ兵頭と、つかの間の会話をする。
「感謝しています兵頭先輩。大阪での会話で、俺は守るために剣を振るう事の正しさを、確認することができました。あの日からずっと俺は、変わらない思いです!」
「そうか。後輩の世話が出来て、俺は嬉しいぞッ!」
にやりとほくそ笑む兵頭は右手を掲げて、まだまだ諦めてはいないようだ。
「だから――受け取ってください。これが俺の全力です! 千尋!」
篠上の付加魔法から、その友人である千尋の付加魔法に切り替え、誠次は落下する。
「《フェルド》!」
「――っ!」
兵頭の魔法は、詠唱だけに終わった。落下しながら誠次の振り抜いた一撃は、兵頭の魔法を拒みながら、右腕を切り裂く。
「ぐぅっ!? 見事、だ……!」
呻き、血飛沫を出した右肩を左手で押さえた兵頭は、誠次の前で片膝をついていた。
「兵頭先輩!」
流血した兵頭の身を案じ、しゃがみこもうとする誠次であったが、
「ま、待て! 勝負はまだ完全に終わっていない! 俺が負けを認めるまでは、まだ敵同士だッ! そうだろう!?」
その大声にはっとなった誠次は、兵頭の顔に向けて、レヴァテインを構える。少しでも動けば、またいつでも敵を斬れるように。
「立ち上がる気ならば、斬る!」
「ああ……それでいい……!」
それを見た兵頭は、満足そうにほくそ笑むと、大きく息を吐く。
「すまない、俺の敗けだ。治癒魔法を、頼む……」
「兵頭!」
「剣で斬られるのは、やっぱりものすごく痛いんだなッ!」
「笑ってる場合かよ!?」
駆け付けたのは、兵頭が予め呼んでいたのか、数名の同級生男子生徒だった。想定していたの、だろうか。
たちまち兵頭の右手に治癒魔法の光がかかり、ぱっくりと開いていた傷口が、みるみるうちに修復されていく。傷はそれで治るのだが、剣で斬られた痛みは鋭く、長く、続くことだろう。兵頭は苦しげな表情のまま、誠次を見上げる。
「強くなったな、誠次少年……」
「みんながいてくれて、力を貸してくれるお陰です」
「その誠実さも含めて、天晴れだ。どうか君はそのまま、自分の道を突き進んで欲しい……」
「……はい!」
レヴァテインのエンチャントを任意で解き、誠次は頭を深く下げる。
「まさか本当に兵頭が負けるなんて……」
「手を抜いたんじゃ、ないのか……?」
治癒魔法を終えた三年生の男子たちが、誠次と兵頭を交互に見る。
「俺は少なくとも本気で挑んだつもりだが、誠次少年は二手三手、先を行っていた」
「マジかよ……」
驚き戸惑う周りの男子に、「治癒魔法感謝する」と述べた兵頭はすぐに立ち上がり、誠次に向けて左手を差し出していた。
「よし! もう痛くなくなったッ!」
「回復早っ!」
驚く誠次もすぐに左手を出し、握手に応じる。
「皆! この勝負、誠次少年の勝ちだ! 称賛の拍手を頼む!」
握った誠次の左手を持ち上げ、まるで格闘技のゴング終了時のように、兵頭は叫ぶ。第一演習場の観客席からは、見事に兵頭を倒した誠次に、惜しみ無い拍手と歓声が送られていた。
どこまでも恥ずかしく、誠次は思わず顔を俯けてしまう。それでも、鳴り止まない拍手と歓声が起きている観客席のとある場所に向け、誠次は顔を上げ、微笑むことが出来た。
「――あ、誠次くんがこっち見てくれました! 誠次くーんっ!」
千尋がブレザーに包まれた腕を大きく振り、一階の誠次に合図を送る。
「まったく……。私たちがいたから勝てたのに、調子乗らないでよね」
「しかし、勝負中大声で身を乗り出してまで応援していたのは綾奈だった気がする……」
「それは……え、エンチャントのせいね!」
「危うく落っこちそうになっていたのを私と千尋が押さえていたのだが……。何はともあれ、見事な戦いだった」
顔を赤くしていた篠上とルーナも、誠次に向けて笑顔で手を振っていた。
落ち着いてきたところで、篠上はルーナに向け、とあるお願いをしていた。
「アイツの……天瀬のこと。マンハッタンではルーナとクリシュティナに頼むわ」
「綾奈……」
「私や千尋たちはどうしても行けないから……だからお願い。三人とも無事で、必ず帰って来て」
「何かが起こるとは決まったことじゃないし、安心してくれ。私もクリシィも、もうヴィザリウス魔法学園の魔法生のつもりだ。必ず誠次と共に、日本の魔法学園に帰ってくる」
ルーナは篠上へ向け、力強く頷いていた。
※
三月一日に行われた卒業式の主役は、あくまでも三学年生だ。魔法学園の生徒の人口は減ったが、それも一ヶ月間の間だけ。一学年生にとって、まだまだ日常に大きく変わりはない。
三月一三日。平常授業を終えた放課後。寮室のキッチンに立つ誠次は、部屋の中を見渡していた。
「この寮室ともあと一ヶ月でお別れか」
一つ上の階に転居するので、三月の最終週から始まる春休みのうちに綺麗に掃除をしておくようにとの通達があった。
一年間も寝泊まりすれば愛着は沸くが、来年度からは自分たちの後輩が使うことになるのだろう。
「ただいまです」
部活終わりの小野寺が、帰ってくる。
「お疲れ様。部活は年がら年中やってるな」
「はい。この間卒業した先輩もやって来て、走っていたりしていますよ」
白いジャージ姿の小野寺は、ジャージのファスナーを開け、着ていた服を脱いでいく。
「ほとんどの先輩は海外の魔法大学に行っちゃったんですけどね」
「来るのは日本の会社に就職した先輩ってことか?」
「はい。どこでも魔術師は引っ張りだこみたいで、世の中が魔法世界に移行している証拠ですね」
ところで、と小野寺は誠次を見つめる。
「キッチンにずっと立って何をしているんですか?」
「あ、ああ。明日はホワイトデーだから、お返しをしないといけないと思って。みんなにはいいって言われたけど、礼儀として作らなくちゃいけないと思ったんだ」
腰巻きのエプロンを身につける誠次は、先ほどからホワイトデーのお返し作りに勤しんでいた。
微妙に笑っている誠次だったが、手元の作業は先ほどから進まず。それもそのはずであった。
「小野寺お菓子詳しいから、なにか知らないか? チョコレートに、紅茶とかミルクティーの風味を付けたいんだ」
「何故そんなプロの職人がやるような事を!?」
悩ましく首を傾げる誠次に、小野寺がツッコむ。
「そ、それは……みんなから、ちょっと器用で、できる男だって、思われたかった、から……」
こほんと咳払いをした誠次は、恥ずかしく顔を背けて白状していた。
「絶対に素人が手を出しちゃダメなやつですよっ!?」
「い、今では後悔している! でもせっかくネットで調べて用意した材料を無駄には出来ない。そして肝心のネットレシピも専門用語ばかりでちんぷんかんぷんなんだ!」
完全に後の困難を考えないで見きり発車してしまった男の、哀れな末路である。
「分かりました。自分も手伝います。風味付きのチョコレートは食べたことがありますが、当然自作するのは初めてです。一緒に頑張りましょう!」
「すまない小野寺。部活終わりで疲れているのに……」
「いえ。自分もお菓子作りに興味がありますし。それにせっかくなので、天瀬さんやルームメイトの皆さんにも食べて貰いたいです」
その後、つまみ食いを続けながらも、誠次と小野寺のホワイトデーのチョコレート作りは他のルームメイトをも巻き込んで行われていた。
なんでも帳も聡也も、ホワイトデーのお返しのチョコレートを用意するつもりだったらしい。
きょとんとする帳曰く――、
「なんか部活の女子の先輩にたくさん貰ったから、返さないとな。でも、なんで俺にくれたんだろうか……」
嫌そうな顔をする聡也曰く――、
「大量にチョコを受け取った兄さんに、俺の代わりに作ってほしい、と頼まれたから、沢山用意しないとならない。俺も少し押し付けられてしまったしな」
とのことであった。
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