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魔法世界の剣術士 上  作者: 相會応
レンタルバイ、バレンタイン
197/211

2

 事の発端は、相村佐代子あいむらさよこであった。なんでも、彼氏である長谷川翔はせがわしょうに手作りチョコを渡したいのだが、手作りチョコなど作ったことがなく、結局買ったものにするか、手作りにするか、バレンタインデー前日である今日に至るまで、悩んでいたと言う。――ちなみに二人が付き合っていると言うのは、学園の中ではもう結構有名である。


「それで、結局手作りに決めたわけですね」

「そう言うわけ剣術士クン。でもウチってほら、チョコレートなんて作ったことなくて! ましてや普通の料理なんて! おにぎりぐらいしか!」


 まるで拾われた野良猫のように、部屋の隅っこで丸まるようにして座っている誠次せいじに向け、エプロン姿の相村は得意気に胸をぽんと叩く。


「そこで誠次クン! 君には実験台になってもらうってわけ!」

「すこぶる嫌ですっ!」


 少しでも手を伸ばして来ようものならば、噛みついてやらんばかりに、誠次は警戒心剥き出しであった。


「いいのー? タダチョコだよー? ただ、味は保証しないけどね……タダだけに!?」

「今のはちょっと面白いですけど!」


 心が、解されていく……。


「でしょ!? 剣術士クンったら分かってるー!」

「ツボ浅っ……」


 勝手に盛り上がる相村と誠次の間で、渡嶋わたしまが肩を竦める。


「って、騙されませんよ!? 大体、他の二人のルームメイトはいないんですか!? 俺がここにいたらマズイですよね!?」

「アイツらも彼氏持ちだし、気にしない気にしない」

「納得できる理屈が行方不明でした!?」


 軽く受け流す相村に、誠次はツッコんでいた。


長谷川はせがわ先輩も、相村先輩が俺と一緒に作ったチョコなんて、きっと嫌ですよ……」

「いやところがさ、ウチ男の好きな味とか分かんないしさ。外したくないじゃん? それに適当な同級生の男子よりは、絶対剣術士クンにしかこんなの頼めないし。翔ちゃんも剣術士クンになんかわかんないけど、感謝してるんだよね。なんか、文化祭の日にアイツに言われたからとかなんとか……まあ、お姉さんにはよくわからん!」


 ……信用されているのか、ただただ舐められているのか、誠次にはよく分からなかったが、少なくとも。女性に頼られて、悪い気はしていないのだった。


「ま、まあ……。俺の男としての意見が参考になるのであれば……いいです、けど……」


 後ろ髪をかきながら誠次がぼそりと呟けば、


「やっぱちょろいな……」

「やっぱちょろいね……」

「舐められている方でした!?」


 相村と渡嶋が手を添え合って会話しており、誠次は慌ててツッコんでいた。


「ごめん冗談だよー。でもウチマジでピンチなんだって! そこは本当にお願い、剣術士クン!」


 両手を合わせ、相村は誠次に頭を下げる。相村の華やかなロングポニーテールが、宙を舞っていた。

 女性の先輩にここまで頭を下げられたら、もう逃げる事は出来ないだろう。

 ち、゛チョコ゛っとだけですよ……? ……と、言いかけた口を誤魔化し、誠次は切り出す。


「ぐ、具体的には、俺は何をすればいいんですか?」

「私たちが作ったチョコレートを食べて、本音の感想をお願い。報酬はお姉さんたちの手作りチョコ!」


 渡嶋が指を立て、誠次に仕事を説明する。


「ちょっと待ってください。渡嶋先輩も作るんですか?」

「おっ、意外だと思ったかな後輩クン?」


 渡嶋はこの間の図書館と同じような反応をしていた。確か記憶に相違なければ、渡嶋が好きな゛性別゛は……、


「こう見えて私、恋する乙女ってやつなのよ……」


 腰に手を添え、フッ、と渡嶋は微笑んでいる。 


「かおりんと生徒会の後輩にね」

「そっ!」


 相村の小声に、渡嶋はえへんと胸を張る。意外だと思っていたら、全くもって平常運転だった。


「なるほど、納得しました」

「さっすが剣術士クン! 呑み込み早いのは優秀!」

「言っておいてなんだけど、それでいいのかわーこ……」


 あごに手を添えて頷く誠次に、褒め称える渡嶋と、額に手を添えて嘆く相村だった。

 長谷川と香織かおりたち生徒会メンバーへ渡す為のチョコレート作りは、夕食の時間から始まった。電子タブレットでレシピを検索し、まずは簡単な生チョコレートを作る事から始める。最終的な目標としては二人とも、チョコレートケーキを作りたいそうだ。


「市販のチョコレートを溶かしてバター加えて混ぜるんだってさわーこ!」

「うっわ。元は普通のチョコって……ある種詐欺じゃん!?」

「だよねー!?」


 きゃははっ、となんてことない話題で盛り上がる相村と渡嶋のエプロン姿を後ろで見守りながら、誠次は電子タブレットでルームメイトたちに、今日の帰りは遅くなりそうだとの旨を送っていた。


「うわっ、くっさ! なにこれキモッ! ……はいあげる剣術士クン!」

「せめて食いたくなるような感想をお願いしますっ!」


 相村が生みだしたのは、鍋に張り付いたまる焦げの物体だった。


「剣術士クンは優しいって有名だから、ここは心を鬼にして、素直な感想をお願いね!」

「鬼にするまでもなく感想がすでに出ているんですが!?」


 さらに言ってしまえば、そんな鬼が喰いそうな物を相村に見せつけられているのである。

 さすがに毒の塊は食えずに、まる焦げとなったチョコレートは廃棄処分となった。確かにこれを長谷川先輩に渡して、死期を早めさせてしまうわけにはいかない。


「エプロンと゛包丁゛を俺に貸してください! 俺も一緒にチョコ作ります!」

「えー!? バレンタインに男が男にチョコは……正直引く」


 ドン引きする相村に、


「誰が男に渡すんですか!? 一緒に作りながら上達していくんですよ!」

「わーそれ剣術士クン彼氏みたい。でも……本気にしちゃ、だめだよ?」

「し、しませんから!」


 相村に完全におちょくられているせいで、このままでは終わりが見えない。 

 顔を真っ赤にしながら、腰にエプロンを巻き、誠次は相村と渡嶋の間に立つ。


「そもそも……生チョコ作るのに包丁はいるのかね――?」

「いりますよ。逆に、料理に包丁使わないわけが分かりません」

「は、はい……。さすが、剣術士殿……」


 渡嶋が疑問に感じているようだが、エプロンを着たこちらとしては料理になくてはならない、マストアイテムだった。


「さて。それじゃあ頑張って、長谷川先輩の身も心も虜にするチョコレートを作りましょう!」


 腕まくりをして気合いを入れる誠次に、


「「何か、今の発言はやっぱアレだよね……」」


 引いている二人の女性先輩だった。


               ※


 誠次たちがいる女子寮棟の一つ下の階の部屋では、一学年生の篠上綾奈しのかみあやな本城千尋ほんじょうちひろの部屋だ。そこへ他の1-Aの女子二人を交えた四人の少女が、決して広いとは言い切れない寮室のキッチンシンクに、エプロン姿で並んでいた。


「チョコレートは直接火にかけて溶かすと焦げちゃうから、溶かすときは必ず湯煎ゆせんするの」

「「はーい、篠上先生!」」


 解説する篠上の見事な手際を、三人の少女が眺めている様は、軽い料理番組のようである。


「綾奈ちゃん……」


 しかし一人、千尋が一歩引いた状態で、三人を不安げな面持ちで見つめている。


「どうしたの千尋? 今朝は、バレンタインだー! なんて子供みたいにはしゃいでたのに」


 ボウルを胸の下に寄せ、篠上が心配そうに千尋を見つめる。


「子供みたいって言わないでください……。それよりも綾奈ちゃん、杏子あんずちゃんさん、あおいちゃんさん……。……バレンタイン、゛やめませんか゛!?」

「「「はい!?」」」


 三人を緑色の目で見渡して、千尋は提案する。

 チョコレートを渡すことではなく、作る事でもなく、バレンタインそのものを無かった事にしようとしている千尋であった。


「今からでも遅くありませんっ!」

「か、買い出しの間に一体何があったの!?」


 千尋が必死に篠上に懇願し、篠上は後退る。


「私、聞いてしまいました……。今まではお互いに渡す異性の相手もおらず、綾奈ちゃんと二人で交換こしていたので、明日の世界の醜さと虚しさに気付けていなかったのです……」

「うん。……何、言ってるの?」


 胸に手を添える千尋を前に、篠上が恐怖さえ感じ始める。


「バレンタインなんてなければ、多くの悲しみや苦しみが生まれる事もないのです……。そうです! お父様に頼んで、明日を飛ばす法案を提出しましょう! 二月一三日の次は、二月一五日です! これで多くの人が救われます!」

「それ代わりに千尋のお父さんが苦しんじゃうから! 絶対に変な大臣だって思われるから!」


 一部からは支持されそうな法案を提出させようとする千尋に、篠上はツッコむ。


「じゃあ千尋はいいのね? ……チョコ、あげなくても」


 一応は他の二人もいるので、誰にとは明言を避けた篠上であったが、くすくすと笑われているあたり、もはや隠す意味もないのだろう。


「……そ、それは……駄目です! 悲しいです!」


 渡す相手の姿を思い浮かべ、はっとなる千尋は、顔を交互に振る。彼が悲しむ姿こそ、千尋にとっては何よりも耐え難い苦しみだった。


「ここで二人に朗報! 笠原かさはらさんが、男子全員の分の義理チョコ用意してるってよ! これで少なくとも、うちのクラスの男子が悲しみに暮れることもない! ……はず」

「だから篠上さんも、学級委員だから義理チョコ作らなくちゃとかだからじゃなくて、本命チョコだけ作って良いんだからね?」


 ルームメイトの女子二人に言われ、篠上も千尋も、赤く染めた頬で表情を明るくする。


「そ、それなら良いでしょ? 千尋?」

「は、はい、そうですね! やっぱりバレンタインは必要な日です!」


 可能性は無きに等しいがそれでも、もう少しであり得たかもしれない日本だけバレンタインデー消滅、ひいては日本だけ時の流れが年々一日早くなる、を防ぎきり、女子寮室には甘い匂いが漂い始める。


「頑張ってかき混ぜて、千尋!」

「はい! 頑張りましょう綾奈ちゃん!」


                  ※


 好きな人にチョコレートを手作りする少女は、完全に日が暮れ落ちた駅前の喫茶店の厨房の中にもいた。香月詩音こうづきしおんとクリシュティナ・ラン・ヴェーチェルと南野千枝みなみのちえの三人だ。気づいた時には日が落ちており、帰れなくなった為、もう徹夜は決まっていた。朝一で学園に戻れば、授業には間に合うだろうが。


「「……もぐ」」

「どうかしら……?」


 髪を結んでいる香月が、そわそわとしながら、二人にく。

 クリシュティナと南野が、そんな香月が作り上げたチョコレートプリンを、それぞれ一口食べる。


「――うん、微妙!」

「微妙、ですね」

「微妙……」


 口を揃えて微妙と言ってくる二人の女子に、香月もまた微妙に眉根を寄せる。


「見た目は完璧なんだけどねー……」

「味も決して不味いと言うわけではありませんが、次の一口が妙に進みません……」


 香月が作り出したチョコレートプリンは、レシピ画像通りの美味しそうな見た目なのだが、味に奥行きが感じられないと言うのが、二人の感想であった。


「どう言う事かしら……。レシピ通りにやったのに……」


 顎に手を添え、香月が首を傾げる。


「うーん……。私見てたんだけど、香月ちゃん作ってるとき、何か゛真剣すぎる゛気がするんだよね」

「真剣? それは良い事では?」


 鼻先にチョコレートを付けているクリシュティナ――気づいていない――が南野に言う。


「例えるならば、科学実験中! みたいな?」

「なるほど……」

「さすが、高名な科学者の娘さんですね……」


 エプロンよりも白衣。生クリームしぼりを持つよりも、三角フラスコを持っている姿が、料理をする香月には似合っていたようだ。南野の適当な発言は、ちょくちょくと当たる事があるのが不思議なところだが。


「だからこれはそうね……。要するに、愛情がこもってないの!」

「アイジョウ……? 知らない調味料ですね。日本独特のものですか?」


 クリシュティナが首を傾げている。 


「いえ。愛するに情と書いて、愛情の事だと思うのだけれど……」


 南野の発言をフォローする香月だったが、自分でも愛情を入れると美味しくなると言う理由わけが分からなかった。


「愛情、ですか。砂糖などの調味料ならともかく、感情をこめて料理が美味しくなるとは思えません」


 相変わらず鼻先にチョコレートを付けているクリシュティナも、香月と同じことを思っていたようであり、南野に向け疑問を述べる。


「まったく。クリシュティナちゃんもだけど、作ってるときにいまいち楽しそうじゃないんだよー。こう、なんかただの作業してますー、って感じ」

「メイドとしての作法は、そうでしたので」

「えっ、メイド……?」

「……っ! な、なんでもありません」


 南野はクリシュティナのことを、留学生としてロシアからやって来た真面目な魔法生だとしか知っていない。オルティギュア王国の元メイドだということなど、知るよしもないのだろう。


「ともかく! 愛情は最高の隠し味と言うでしょう!? 二人とも恥ずかしがってないで、好きだーっ! とかチューしたいっ! ……て叫びながら作らないと!」

「でも普段そんなことしなくても南野さんは美味しいケーキを作れますよね」

「鋭いな香月氏……。そして誉められているため、いまいち反論も出来ない……」


 冷静に指摘する香月に、南野は肩を落とす。


「叫ぶと唾が飛んでしまい、衛生上良くないと思います」

「こっちは極めてごもっともなご意見だ!」


 くちびるに手を添えて気難しそうに呟くクリシュティナに、南野はさらに追い詰められる。


「な、何よ二人とも好きじゃない人にチョコレートあげるの!? チューしたくないの!? 私なんて彼氏は太平洋の彼方にいるのよ!? 私の分まで頑張って言いなさいよ!」

「「か、感情論……」」


 二人して唖然とするが、南野の涙目は本気のものだった。


「さあ、チョコだからって甘ったるい気持ちで作っちゃダメ! 夜通しでビシバシいくからね! ほら声だして! ワン、ツー、はい!」

「……す、好き……っ」


 香月詩音(一六)生誕史上、今までにないほど顔を真っ赤に染めながら言う。込み上がった羞恥心を誤魔化すように、香月は生クリームを電動泡立て器でこねくり回す。


「クリシュティナちゃんもっ!」

「き、きす、したい……っ」

「駄目よ二人とも声が小さいっ! そんなんじゃチョコレートも彼氏も甘くなってくれないんだからね! もう一回っ!」


 完全に深夜の゛お菓子な゛テンションになっている南野の監修の元、横に並ぶ香月とクリシュティナは羞恥心を堪えつつ、夜通し手作りプレゼント作りに没頭するのであった。


                ※


 所は戻ってヴィザリウス魔法学園の女子寮棟。深夜なのに明かりの点いている一室は、まだまだあった。その一つが、オルティギュア王国の元姫、ルーナ・ヴィクトリア・ラスヴィエイトの暮らす一室だ。


「ありがとうルーナちゃん! めっちゃ助かったよ!」


 チョコレートを片手に、ルーナとクリシュティナが暮らす部屋にやって来たのは、桜庭莉緒(さくらばりお)だった。

 出迎えたルーナは、電子タブレットを片手に持ち、クリシュティナと連絡を取り合っていたところだ。


「冷蔵庫が入りきらなくなった?」

「うんうん。ルームメイトの笠原ちゃんが、クラスの男子みんなの分の義理チョコ用意して、冷蔵庫がチョコまみれなんだ」

「なるほど。それで私の部屋の冷蔵庫を使いに来たのか」

「ごめんね。大丈夫?」

「もちろん構わない。大事な人に渡す大切なチョコレートを溶かすわけにもいかないしな」


 部屋はどこも暖房が効いているため、常温放置のつもりが溶けてしまう危険性もある。そこで桜庭は、ルーナの部屋の冷蔵庫に、明日渡す用のチョコレートを避難させに来たのだ。


「ありがとう! じゃあ、お邪魔します!」

「ゆっくりくつろいでくれ。今お茶を用意する」


 クリシュティナが常日頃から掃除をしている為、綺麗に整理整頓されている室内を、ルーナが忙しなく動いて桜庭をおもてなしする。

 室内に入った桜庭は、さっそくキッチン横の冷蔵庫へと向かう。


「冷蔵庫開けるねー」


 桜庭が冷蔵庫を開けると、そこには、


「――えっ」


 ドリンク棚はおろか、野菜室に至るまで、マヨネーズのボトルがぎっしりと詰まっている……。一瞬だけなにが入っていたのか分からず、ただただ恐怖を感じた桜庭は、冷蔵庫をそっと閉じる。


「る、ルーナちゃん……? 冷蔵庫に隙間が……隙間がなかったよ!?」

「ん?」

「業者さんの発注ミスか、何かの祟りの如く冷蔵庫がマヨネーズでいっぱいだよ!?」

「ああ。常備しているんだ」


 ルーナはどこか誇らし気に、えへんと胸を張っている。


「ロシアだとマヨネーズはバケツに入って売られているんだが、日本だとあまり見かけないんだ。そこだけがこの国に対する唯一の不満らしい不満だな」

「王国の元お姫様の日本に対する不満そこなんだ……」

「マヨネーズは大好きなんだ。マヨネーズのお風呂に入りたいと思ったこともあるが、それはさすがに世間体を考えてやめた……」

「賢明な判断だと思います……」


 桜庭は苦笑しながらもう一度冷蔵庫を開け、どうにかチョコレートが入りそうな隙間を見つけ、そこへ入れていた。

 ルーナが用意してくれた紅茶を二人してリビングで飲みながら、テレビを点け、しばし談笑する。


「へえー。ルーナちゃんのドラゴンって、お話できるんだ!」

「ああ。勉強しなさいとか、早寝早起きしなさいとか、まるで親のような事をよく言ってくる」

「ファフニールさんかあ……。北欧神話のお話にも出てきたっけ」


 そう言えばと桜庭は、持ってきた鞄から一冊のぶ厚い本を取り出してルーナに見せる。かなり古ぼけた本だった。


「それは?」


 ソファに座っていたルーナは前のめりとなり、桜庭が広げた本をじっと見つめる。


「最初は難しいお話だって思ってたけど、ちゃんと読んでみると面白いんだ。最後はちょっと悲しいお話なんだけどね」

「おおファフニール。お前がいるぞ」


 ファフニールのページを見つけたルーナは、心の中のファフニールに語り掛ける。


(……ソノヨウナ空想ノ話ハ知ラヌ)


 ファフニールはどこか冷たく、ルーナに答える。


「まあ、おとぎ話の話か」

「うんうん。あくまでフィクションだから」


 頷いた桜庭は、ぱたりと閉じた本をしまい、ルーナの淹れてくれた紅茶を美味しく飲み干す。


「ダージリンティーあったまるー。すっごく美味しいよ!」

「そ、そうか? おもてなしで誰かが喜んでくれるのは、嬉しいな。クリシィの気分だ」


 ほっと一息ついた桜庭を見て、ルーナも嬉しそうに呟く。

 

「こうなったら何かお菓子持ってくれば良かったかも」

「お菓子はあまり食べないから常備の物は……あっ、チョコなら今あるぞ!」

「いやそれ駄目でしょ!? 明日渡すやつだから!」

「じ、冗談だ莉緒……本気にしないでほしい……」


 何はともあれ同年代の異性への初のプレゼントだ。明日への想いを馳せ、今宵は桜庭は早く寝る予定だったが、ルーナとのお喋りは夜遅くまで続いていた。

 恥ずかしそうに俯くルーナ曰く、


「クリシィがいないと……少し、不安なんだ……」


 との事である。 

 

                 ※


「――よし、出来たっ!」


 夜分遅くのヴィザリウス魔法学園の談話室のキッチンにて、エプロン姿の心羽(ここは)が、包装したチョコレートにリボンを結び終える。


「うん。これすっごく可愛いよ!」


 心羽の隣に立ち、一緒にチョコレートを作った香織も、満足そうに額の汗を拭っていた。

 努力と糖分の結晶のチョコレートだ。この二人もまた、独学でチョコレートを手作りしていたのである。心羽はともかく香織もこのような手作り料理は初めてなので、何度も失敗をしたが、最終的にはそれらしいものが出来ていた。


「あとはこれを渡すんだよね?」

「うん、そうだね」


 二人で二つのチョコを見つめ、心羽と香織は頷き合う。彼女らの背後では、心羽のイエティがせっせと失敗したチョコをつまみ食いしていたり、後片付けをしてくれていたりしている。


「チョコレート作るときのインターネットで心羽見た! 渡すとき、゛私を食べて゛って言うんでしょ!?」

「私を食べて……? 心羽ちゃんは食べられないし、違うと思うけど」

「うーん確かに……。゛捕食者(イーター)゛に渡すものじゃないから、違かったかも。心羽の見間違いかな……」


 心羽が首を傾げると、狐の尻尾のような髪の毛が頭の動きと同じように傾いていた。


「――ふぁっ」


 香織の気が緩んだところで、あくびが一つ出る。ちらりと壁の時計に目をやれば、なんと〇時を過ぎていた。二月一四日、バレンタイン当日である。


「た、大変! 心羽ちゃんもう寝ないとっ!」


 深夜の〇時過ぎなど、自分も起きていたことのない時間だ。そうなるまでに時間を忘れてチョコレート作りに没頭していたと言うのも、香織の中で不思議なところだ。


「うーん。でも心羽、なんか目が冴えてる……」


 目元をくしくしとかき、心羽はぱっちりと、水色の瞳を開けている。なんならば髪の耳も、何か音を拾ったかのようにぴんと立っていた。


「完全に夜行性の動物みたいになってるよ!?」


 エプロン姿の香織はぎょっとしつつ、心羽を身を案じてやっていた。


「心羽ちゃん頑張って寝ないと、明日誠次くんにチョコ渡せなくなっちゃうよ?」

「うん……。心羽、頑張って寝る。かおりん先輩も寝ないと……」

「私は片付けしちゃうから、歯磨きして寝るの、いい? 甘いものいっぱい食べたから、虫歯になっちゃうよ?」

「はい……」


 心羽の頭をぽんと撫でてやり、香織は笑顔で心羽を送ってやっていた。心羽は魔法学園の空いている女子寮棟の部屋で、ここから直接小学校へと向かっている真由佳(まゆか)と一緒に寝泊まりしている。


「かおりん先輩、ありがとう! おやすみなさい!」

「お風呂にもちゃんと入ってね? 身体冷まさないようにお部屋は暖かくね? でもあと、火事にも気を付けて!」

「はーい! あと、゛家事゛は楽しいよー!?」


 やや噛み合っていないところがあったが、香織は気づかず。遠くなっていく心羽の背中を見送り、香織はイエティたちが終わらせきれなかった洗い物を見つめ、腕まくりをする。


「よーし! 魔法で片づけちゃうんだから!」


 一見すると油汚れのようなチョコレートまみれの食器に魔法を掛け、纏めて重ねて洗面台へ。そして、後は全自動食器洗い機へと入れていく。これぞこの魔法世界で許された、魔法と科学の融合と言うものである。


「……私を食べて、か。心羽ちゃん、一体何を見ちゃったんだろう……」


 機械によって皿が洗われている最中、香織はふと心羽が言っていた言葉を思い出し、眼鏡を掛ける。気になったらとことん追求し、調べなければ気が済まない波沢なみさわ家伝統の血筋が、騒いでしまっていた。何よりも眠たくなってしまっており、うつらうつらとしているこの頭を冴えさせる為にも、勉強か読書か調べものをしなければ、ここで寝てしまうだろう。

 

「や、やなぎさんに急に貸して貰った談話室を……汚いままに、しておくわけには……!」


 香織は咄嗟に電子タブレットを起動し、インターネットの項目をタッチ。


「バレンタイン……私を食べて、と――」


 浮かび上がったのは、検索した文字に連なる大量の、肌色が目立つ画像だった。


「っ!? ぎゃああああああ!? みんな寒そうっ!」


 眠気も覚める画像の数々を見せつけられ、香織は絶叫していた。誠次以外にも、生徒会メンバーへ渡す用のチョコレートが、振動でかくんと動いていた。


            ※


「「「で、出来たーっ!」」」


 誠次、相村、渡嶋の三人のチョコにまみれた黒い手が、上空でグッドポーズを作って合わさった時、明け方直前まで続いたチョコレート作りは終わりを迎えた。

 今やエプロンを着た三人の前には、いくつもの包装されたチョコレートがある。


「しかしやっぱりお菓子作りは難しいですね……。レシピ通りにやっても、なかなか画像のように上手くはいかないものでした」


 眠気もピークを越えて今は感じず、誠次は顎に手を添えて言う。だからこそお菓子職人は必要なのだろうと、しみじみ感じる作業であった。


「あれは盛ってるってやつだからねー。ほら、自撮りと一緒よ」

「それ分かるー」


 相村と渡嶋の会話には相変わらず最後まで付いていけなかったが、これにてミッションコンプリートだろう。

 深夜だと言うのにも関わらずに、お喋りにまだまだ花を咲かす二人を余所に、誠次はそっとエプロンを解く。


「やっと……帰れる……」

「あっ、まあ待ちなさいな剣術士クン殿」


 相村が誠次の肩をぽんと叩き、引き寄せる。


「ま、まだ、何か……?」


 誠次は青冷めた表情で、相村を見つめる。

 ここまでくるとさすがに恐怖を感じざるを得なくなってくるのだが、相村はにししと、眩しいほどの笑顔だ。


「チョコレートって、渡さないとマズイじゃん? いやマズイってのは違うんで、チョコは美味しいんだけど」

「説明されなくともそこは分かります」

「あ、これは眠たすぎて逆に悟ってるパターンだ」


 渡嶋が横から指摘する。


「でさー。男子から見た女子のチョコレートの渡し方って、なんかない? こう、ぐっとくるパターンとか。これで最後だから、お願い!」

「……机の引き出しの中」

「初恋かっ! そもそもそれ付き合ってない状態でやるやつだよね!?」


 相村に首をがくんがくんと振られ、誠次の脳みそが良い感じにシェイクされていく。


「……下駄箱の中」

「中学生かっ! 好きな人にチョコ渡すのに、絶対汚い下駄箱になんか大事なチョコ入れるはずないのに、男子が無意味に二度見しちゃいそうなやつー!」

「確かにその通りだけど佐代子そろそろっ! 剣術士クンが大量のチョコ貰う前に死んじゃう!」


 がくがくんと揺らされる誠次を見て、さすがに不味いと思ったのか渡嶋が止めに入るが、なんと言って止めたのか誠次にはよく聞こえなかった。

 

「お願い剣術士クン! もっとこうびびっと来るのが欲しいの!」

「びびっと、来るもの……」


 明日……いやもう今日か。今日はバレンタインである以前に、平日だ。苦節一六年。一つでも、確実にチョコレートを受け取る為に、明日……いや今日は万全の態勢でいる気でいたのだが、これでは全ておじゃんだ。

 チョコレート……チョコ……。

 

「じゃあ……゛ちょこっと゛だけですよ?」

「「うっわ……」」

「もう俺寝ていいですかね!?」

  

 とうとう言っちゃったよ……と言うような二人の刺すような目線を喰らい、誠次の身体も精神もずたずたであった。……もう、寝てしまいたい。  


「こうなったら……やると決まったらとことんやりますからね!?」

「おおーっ! お願いします剣術士クンパイセン!」


 誠次は相村を連れ、洗面所の方へと向かおうとする。男子せいじが思う理想のバレンタインチョコレートの渡され方特訓に必要なとある物が、そこにある。


「――ってちょい待ち! 下着! 脱ぎっぱっ!」


 相村が慌てて先に洗面所に駆け込む。 


「お、俺をここに拉致する前に片付けておいてくださいよ!」

「剣術士クン真面目だから警戒してなかったんだってばー」


 それは喜んでいいのか、悲しむべきなのか。適当に洗濯機に衣服を突っ込んだ音が終われば、相村のOKサインが出て、渡嶋も一緒に三人で洗面所へと入る。一人だとそうでもないが、さすがに三人が入ると窮屈だ。


「ここに鏡があります!」


 誠次がびしっと指をしたのは、洗面所の鏡だった。


「しかしシールが張ってあり見え辛いです!」

「全て剥がします!」

「容赦ない!?」


 渡嶋が驚く目の前で、誠次はべりべりとシールを剥がしていく。


「良いですか!? 全国津々浦々男子ってのはですね、バレンタイン当日の女子に憧れと夢を見る生き物なんですよ! そんなはずはないと思いながらも、夢を見て、そして信じる勇気を持った純粋な生き物なんです!」

「おおー。何か妙に説得力がある」


 熱弁を始めた誠次に、相村が感心している。


「相村先輩で例えれば、こんな感じです。こほん――」


 今こそ……この有り余る妄想力をフル活用する時だ。一六年間溜まり溜まっていたのだ、今更迷う事もない。

 誠次は瞳を閉じて軽い咳ばらいをし、当日の相村になりきって、ギャルのような口調をしてみせる。


「は、はいチョコレート! しょうくんの為に、私頑張って作ったんだからね!? 残したら、マジ承知しないからっ! あと、お返しは忘れないコト。んじゃねっ!」

「「うま……」」

「こほん――以上です」

「「もう剣術士クンがチョコ渡しなよ……」」 

「俺では意味がありません。演技指導しますから、鏡の前でやってみせてください。言っておきますが、俺は厳しいですよ。しかしこの厳しさも……全ては長谷川先輩の為なんです! 頑張りますよ!?」

「は、はい……っ!」


 その後も誠次の思い描く、゛理想のチョコレートプレゼントシーン講座相村バージョン゛は、とうとう日が昇る時まで続いていた。


                ※

 

 先に寝てしまっていた真由佳まゆかを起こさぬよう、二人に用意されてる寮室で、心羽は静かに布団に入る。


「せーじ、喜んでくれるかな……」


 ある者は悪戦苦闘しながらチョコを作り、ある者はチョコを買い、ある者はチョコに悩む。そうして迎えるのが、女性たちが思いを寄せる男性にチョコレートをプレゼントすると言う、日本独自の素敵なバレンタインデーだ。


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