4
――橙色の夕日を浴びる、東馬の家の中。
誠次は、閉じていた目をそっと開いた。
「はい、ありがとうね」
天井を背景に、こちらを覗きこむ東馬の口が、言葉を放って来た。同時に、仰向けで寝ている誠次の上半身の胸元から、名称の分からぬ装置を外していた。
「自分を家に呼んだ本当の理由は、これですか」
身体を起こし、たたんで置いておいた服を拾い上げながら、やや疲れた様子で誠次は訊く。
「科学者として、この身に巻き起こる探求心と好奇心を満たしたくなったんだ」
「格好良いですね……」
何かを誤魔化すように、気恥ずかしそうな笑みを浮かべて言う東馬に対し、誠次はぎこちない笑みであった。
リビングでの会話のあと、誠次は東馬に、一階の一室に連れられていた。
東馬が自室だと言った広い部屋の中には、小難しそうな機材の数々が並んでおり、研究室の様相を見せていた。
誠次の身体に取り付けられていた機材から、小型の記憶デバイスを外し、それを慣れた手つきで手元のPCに取り付ける東馬。
「今やっているのは、君の体内の魔素の計測。これね、俺たちが開発したんだよ」
誠次が興味津々に見つめていたのを感じたのだろか、熱心にキーボードを叩く手を止めずにだが、東馬が説明とばかりに呟く。
「魔法が使えない事に関して、魔法科病院には行っていると言ったね」
「はい。どの病院も、結果は同じでしたけど」
受け答えの次の瞬間には、東馬の目がPCのデスクトップモニターを見て大きく開いていた。
「本当だ……。体内の魔素が一つも無い」
おどろいたな、と東馬。
「……」
結局、科学の力でもこの身体の不思議はわからないということか。
誠次は押し黙っていた。
「俺たちみたいな三〇歳以上の者も、ごくわずかだが普通は体内に魔素があるんだが。君にはそのカケラすら見当たらない。こう言っちゃ悪いが、本当に異常だ……」
「はい……」
シャツを着ながら、誠次はため息に近い声を出していた。
瞑っていた目を、電子機器から発せられている明かりに慣れさせる為、部屋の中を見渡していたところで、一つの写真が視界に入っていた。
写真は少しばかり昔のだろうか。笑顔でピースをしている東馬と、その右隣で頬を寄せている美人な女性。そして女性の腕には、赤ん坊が抱かれていた。
「あの写真は……」
「……ん?」
東馬家の家族構成は、気になる所であったのだが。
自然と呟いていたこちらの視線を追い、東馬も大小さまざまなファイルが並べられている、部屋の上方向を見上げた。
対象である、ファイルから飛び出た写真を確認したその表情が、ふいに歪んだと、誠次は思った。
どうやら、触れてはいけない事であったと、誠次は己の間の悪さを痛感していた。
「ああ、俺の妻と娘だ。妻の名前は陽子。東馬陽子だ」
しかし東馬は、思っていたよりも動じることなく写真を抜き取ると、手元で翻して見せて来た。
「陽子は今日は一日仕事だ。ゴールデンウィークだと言うのに、まったく」
東馬は肩を竦めて、写真を白衣の胸ポケットにしまう。
――もう一つの存在の事を語らなかったのは、この会話を早々に切り上げた東馬の素振りから、言いたくない意図があった事だろうとは、思う。
「ま、俺が言えた事じゃないからね。引き取ったと言っても、いつも詩音を一人ぼっちにさしてしまっていたよ……」
香月の姿を思い出していると、可哀想、だと誠次は思っていた。そのせいで、人付き合いが苦手なところもあるのだろう。
そして、少々の無言。
「……まあなにはともあれ、ありがとう」
東馬にすれば、なんらかの収穫があったようで、満足げな表情をしている。
こちらにすれば、相変わらずの結果であったので、浮かない表情だ。
「君はまるで過去から来た人みたいだよ。魔法がない、ずっと昔やどこかの世界からね……」
ローラー付きの椅子を座ったまま移動させ、身体をこちらに向ける東馬。
黄色のコントラストが特徴的な瞳は、こちらを試すように見つめて来ていた。
「タイムマシン、ってやつですかね」
科学者である相手に合わせて、誠次は微かに笑って言う。
しかし東馬は、苦笑しながら首を横に振る。
「残念ながらタイムマシンと呼ばれるものは、向こう何年経っても完成できるものじゃないだろう」
なにか思う事があるのか、東馬の口振りはとても饒舌だった。
「う……」
科学者が断言してしまったものだから、結構残念な事実だなと思ったのは誠次の方だ。
「でも、そう言う類の゛奇跡゛でさえも起こしてくれるのが、十数年前はこの世に存在もしなかった魔法なんだ。昔からずっとあった科学技術じゃ無くてね。そう考えると、皮肉なもんだよ」
「ごもっともです……」
「おっと、メールだ」
テーブルの上に置かれた、東馬の電子タブレットがバイブレーションと共に光を点滅させていた。
東馬は失礼するよと、目線で誠次に訴え、画面をタッチしていた。内容は一瞬で確認できたようで、すぐさま東馬は顔を上げると、困った表情を見せていた。
「上からの呼び出しを喰らっちゃったよ。せっかくの休みなのに参ったな……」
はあー、と大きなため息を東馬は一つ。どうやら、心底面倒くさそうな案件らしい。
「今から仕事場に行くんですか?」
「そうなるね。また詩音に嫌われそうだよ」
東馬は壁に浮かんでいる、電子ホログラム文字のデジタル時計を睨んでいた。
現在時刻、午後六時ちょうど前。
「終電になるな。……天瀬くんは泊まっていくと良い」
さらっと東馬は言ってきた。
「い、いや帰りますよ。急げば学園には間に合う距離ですし」
慌ただしく外出の準備を始めていた東馬は、椅子から立ち上がると、
「いや、詩音一人じゃ危なっかしいからね」
「親がそんなこと言っちゃダメだと思いますけど……」
「あはは、確かに」
東馬は面白そうに声を出して笑い、部屋の扉に手をかけていた。
半分ほど扉を開けた所で、東馬はもう一度立ち止まり、台座の上に座ったままのこちらに声をかけてきた。
「――詩音は、君の事を話しているときはなんと言うか……楽しそうだったんだ。だから詩音も喜ぶと思う」
「え……」
今は二階にいるであろう香月の不愛想な顔を思い出し、誠次は意外だと言う表情で天井を見上げていた。
「もちろん用事があるのなら、そっちを優先してくれ」
東馬の最後の言葉が、誠次にとどめを刺して来た。
惜しい事に、寮室に引きこもると言う用事は、胸を張って言えるものではなかった。それに、嘘をついてまで帰ると言う選択肢は、誠次の頭には浮かばなかった。




