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魔法世界の剣術士 上  作者: 相會応
エーギルの温泉館にて
189/211

2

 ルーナが誠次に魔法ちからを与え、全てが変わったあの日。

 私はもう、ルーナの傍にいる資格さえないと思っていた。それでもルーナは私を思って泣いてくれ、対等な友だちでいようとしてくれた。主君とメイドと言う関係は終わったものの、これからは友だちとしてルーナと一緒にいたいと言う気持ちは変わらず、より一層強く。

 ――だから、だからこそ、この感情を認めるわけにはいかない。


 とある日の放課後。

 ルーナへの罪悪感と、不自由な暮らしをさせたくはない思いで、クリシュティナは駅前の喫茶店のアルバイトとして、厨房に立っていた。もっとも、大元の原因は誠次せいじへの贈り物の所為せいであるのだが、それはそれで後悔はなく、むしろ誇らしいと言うか、何と言うか……嬉しいような気がする。

 漂うのは砂糖菓子系の甘い匂い。紅茶とコーヒーの多彩なかおりも、そこかしこから漂ってくる。

 緊張しているクリシュティナの左右には、自分と同じエプロンを着た香月こうづき桜庭さくらばが立っている。


「む……」

「ん……」


 桜庭も香月も緊張しているようで、エプロン姿の自分の身をぎこちなく眺めている。


「やあ。若者たち」


 研修生である三人の教育係として、大学生アルバイトの女性が、事務所の方からやって来る。明るい茶髪をポニーテールにし、慎ましい化粧がさっぱりとした印象のある、美人な女性だった。


「へぇ、なんだ。全員可愛い。友だちでバイトだなんて羨ましいわ」


 チェック柄のシャツを腕まくりをした手に持つペンをくるくると回転させ、女性は横に並ぶ三人を見つめて言う。

 三人とも緊張しているせいで、上手な反応も出来ずに無言だった。


「私は南野千枝みなみのちえ。大学二年生です。よろしく」

桜庭莉緒さくらばりおです」

香月詩音こうづきしおんです」

「クリシュティナ・ラン・ヴェーチェルです」

 

 三人ともに自己紹介を終えると、とりわけクリシュティナの方を向き、南野は驚いたような顔を見せる。


「うわ、くり、くりし……。……クリシュティナって、凄い名前」


 うん、言えた言えたと、南野は一人で頷いている。

 

「ロシア人です。日本語は得意です」

「なるほど。留学生ちゃんか。でも日本語話せて安心したよー」


 あっさりとした反応の南野は、ひとりでに納得したようだ。

 トレーニングはその日のうちから始まっていた。香月は持ち前の魔法技術の高さで商品の袋詰めをし、桜庭も持ち前の性格の良さで接客業をこなしていく。

 クリシュティナはと言うと、その昔に屋敷で習っていた経験を生かしていた。


「――ふぅ」


 アルバイトが初日でケーキ作りを任されるのは異常であるようだったが、今まさにクリシュティナは細かな装飾を、四角いケーキの上に施し終える。繊細な魔法技術が成せる業であった。

 

「わー。さっすが魔法使いね!」


 胸の前で両手を細かく合わせて、感心するように南野は拍手を送る。


「ひょっとして経験者!? 私より上手いんだけど!」

「ケーキは昔に、何度か作ったことがあるので」

「超即戦力じゃん! もう正社員として働いたらどう!?」

「い、いえ……」


 正直、昔は当たり前のようにこなせてなくてはならなかった物体浮遊の魔法技術であったので、成功したとしてもここまで褒められるとは思ってもいなかった。それが例えお世辞であったとしても、クリシュティナにとっては新鮮で、とてもやりごたえのあるものだった。


「これは私も魔法生になればよかったかなー。物浮かすので精一杯で、うかうか魔法も使えないって」


 腰に手を添え、南野はどこか自嘲するように呟く。


「高校も大学も、魔法とは無縁なんですか?」


 赤い目を閉じて開き、クリシュティナは集中してケーキ上の汎用魔法を制御しながら、南野に訊く。

 南野は気さくに答えてくれた。


「そう。なんだか怖くってさ。逃げちゃって」

「怖い?」

「うん。魔法使えても、結局゛捕食者イーター゛と戦う事をいられるって思って。でも今の貴女たちを見てると、とても楽しそうで羨ましいな」


 言われ、クリシュティナは周囲を見渡す。香月も桜庭も、悪戦苦闘はしつつであるが、それぞれ教えられた業務を懸命にこなしている。


「こう言う学生生活があっても、良いんですよね……」

「え?」

「い、いえ……。あの二人は、かけがえのない大切な友だちです」

「……そっか」


 良い事だよ、と南野はにこりと、素敵な笑顔をクリシュティナに向けていた。

 ――忘れかけていたそのような表情。今なら少しは、取り戻せるかもしれない。

 クリシュティナもまた、口角を上げて、両目を瞑って愛嬌のある笑顔を覗かせていた。

 客層が女性だらけの店の中、従業員も女性ばかりだ。人手はやはり不足していたようで、南野は忙しく三人のトレーニング指導を行っていく。新人の緊張をほぐす事についてはベテランなのか、南野は時より、業務とは関係ないはずの事を言ってくる。


「それでぇー。この時期に来たって事は、バレンタインに向けて?」

「い、いえ。そう言うわけでは……」


 色恋話。同年代ともこのような会話をしたことがないクリシュティナにとっては、しどろもどろな返答をするしか出来なくなってしまう。

 初々しいねえ、と南野は、クリシュティナを可愛がるように、ぽんぽんと肩を叩いていた。


「じゃあ彼氏作りに? 残念ながらここ男っ気ないよー?」

「そ、そうでもありません!」


 顔を赤くしたクリシュティナはあたふたしながら、意味もなく生クリームをスポンジの上にべたっと落としていた。

 南野は少しだけ意地悪そうに、クリシュティナに馴染みのない質問を、アルバイトの洗礼だと言わんばかりに次々とぶつけていた。


「じゃあ好きな人とか、気になる人はいるの? やっぱ魔法生だから魔術師?」

「……」


 クリシュティナは口をきつく結んだ後、かなり言い辛そうに、呟く。


「気になる人は、います……。その人は魔術師ではありません……。ですが、私にはこれ以上の気持ちを抱く資格がありません……」

「え、なにそのドラマチックな展開!? お姉さん超気になるんですけどっ!?」


 露骨にテンションが上がっている南野に対し、クリシュティナは少し、切なそうに視線を落とす。


「許されない恋ってこと!? 魔術師じゃないってまさか……年上のおじさん!?」

「え!? い、いえっ。そう言うわけではありません」


 変な誤解されてしまったようで、クリシュティナは首を横に振る。


「じゃあ血の繋がった……例えば、お兄さんとか!? ロシアイケメン!?」


 完全に出鱈目で言っているのだろうが、南野の指摘通り、クリシュティナには二つ年上の兄がいた。彼は国際魔法教会の幹部の一人であり、今となってはその繋がりは断ち切られた。もっとも、自分とルーナが国際魔法教会のお世話になっていた時期から、兄との繋がりは皆無に等しかったが。


「゛兄゛は、魔術師として憧れの人です」

「なんだ。じゃ違うか」


 南野はなぞなぞでもしているかのように、腕を組んで斜め上を見上げていた。

 気になる人がいると言ってしまうことさえ良かったのだろうかと、かつて己の行った過ちを引きずるクリシュティナは、唇にそっと指を添えていた。仄かに砂糖の甘い味がするが、心の中は苦いものだ。

 ――ルーナは誠次が好きだ。異性として、それだけは間違いなく、クリシュティナも確信を持っていた。問題は、自分が誠次に抱くこの感情だ。

 もし私が大晦日のあの日、誠次に対して素直に自分たちの事を話していたら――。今の結果はまた、違ったものになっていたのだろう。そしてその場合だったら、私が誠次に抱くこの感情は、きっと表にしても問題は無いことなのだろう。

 何もかもが、もう手遅れであった。


(これは報い、なんですね……)


 自分の気持ちを押し殺すクリシュティナの目の前に、いつの間にか南野が起動していた電子タブレットのホログラム画面が浮かび上がる。


「え……」


 戸惑うクリシュティナの視線の先。そこには笑顔で寄り添っている南野と、同年代ほどの若い男性の写真があった。


「私の彼氏。一ノ瀬隼人いちのせはやと。イイでしょ? 同い年」


 整った顔立ちの男性と言うよりは、まだ男の子と言う印象だった。そして寄り添う南野も、普通科の高校のブレザー姿の若いものだ。高校生時代に撮った写真なのだろう。

 何より目を引いたのは、一ノ瀬の服装が、ヴィザリウス魔法学園の男子生徒の制服だ。

 

「昔の写真って思った?」

「え、は、はい……」


 思わずどきりとしたクリシュティナの方へ、南野は自分の顔を寄せ、楽しそうに訊く。

 南野が指先で画面をスクロールすれば、次の写真へ。今度は成長した一ノ瀬の姿があったが、その周りに南野の姿はなく、代わりにいるのは背丈の高い外国人の男女だった。背景の違和感も、英語の看板が多いせいだろう。


「二人で写ってるの、あの一枚しかなくて。隼人は今、アメリカの魔法大学の大学生。なんだっけ……。あ、キルケー魔法大学だっけかな」


 南野の彼氏はかつてヴィザリウス魔法学園の生徒であり、今はアメリカの魔法大学で魔法を学んでいるそうだ。高校時代は他校恋愛で、今は遠距離恋愛と言うものなのだろう。


「ヴィザリウス魔法学園の文化祭で出会って付き合って、絶賛遠距離中。私も魔法習ってたら、一緒にアメリカ行けたのかもねー」


 寂しさを漂わせ、南野は言っていた。


「せっかく付き合ってるのに会えないと結構寂しいし、今さら後悔しても遅いから、クリシュティナちゃんは後悔しないようにね」

「私はもう――」

「後悔したって顔してた。だからこそ、私みたいな年寄りの寂しい一面を見せてあげたんだよ。まだ高校一年生なんだからこれからじゃん! しかも絶対初恋でしょ!? 反応がピュアすぎて可愛いすぎる」


 クリシュティナを見つめ、南野は微笑んでいる。

 可愛いと言われた事よりも、自分の表情がこんなにも相手にとって分かりやすかったのかと感じる羞恥の気で、クリシュティナは顔を赤く染める。


「それでも、駄目なんです。……大切な写真を見せてくれてありがとうございました。自分で言うのもなんですが、イケメンな兄の写真は持ってないんです。ごめんなさい」


 そもそもそお互いに成長した姿を見れたのは、日本へ旅立つ直前だけだった。


「そっかあ。こっちこそ、なんかごめんね! 給料泥棒してないで、ちゃんと働こっか!」

「はい」


 やはり私は、こうして裏方で作業をしていたり、誰かを影から支えることの方が性に合っているのかもしれない。

 そう決めつけたクリシュティナは、黙々とケーキ作りに没頭するのであった。

 ――気になることと言えば一つ。スライドショーで流れていた一ノ瀬隼人の表情が、高校時代から枚数を重ねるごとに、徐々に喜怒哀楽が失せて笑顔がなくなっていくようだった事だ。

 三人にとって初日のアルバイトは、数時間で終わった。三人ともに疲れていたが、楽しくもあり、上がる時は互いに笑顔を見せていた。店も同時に閉まるので、南野も同じ時間にあがる。


「お疲れー。今日はとても助かったよ。三人とも出来ればでいいから、暇な時に来て頂戴」


 鞄を肘に持ち、南野はスニーカーを履きながら「それじゃあね」と手を振り、店を後にして行く。

 

「説明も分かりやすくて、気さくに接してくれて、良い人でしたね」


 クリシュティナが南野の背を見送り、口角を上げて言う。


「あたしが接客で、こうちゃんが丁寧な袋詰め。クリシュティナちゃんがケーキ作り、って言う分かりやすい分担作業だったね」


 桜庭は割引にしてもらったケーキの入った紙袋を両手に持っていた。


「クリシュティナさんにはモンブランよ。意味は分かるかしら?」


 赤いマフラーを口元まで上げる香月が、どこかそわそわとしながら、クリシュティナに訪ねる。


「日本語の……(クリ)、だからですか?」

「そう。つまりは駄洒落ね」

「あはは……。嫌いじゃなかったら良いけど」


 香月と桜庭からのプレゼントは、とても嬉しかった。


「とんでもありません。中国では栗が有名ですから。また今度皆さんが集まるときは、是非中華料理をご馳走させて下さい」

「クリシュティナちゃんの中華料理、美味しそう!」

「ええ。今から楽しみね」


 やや遅れるクリシュティナは、歩き出す仲の良い二人の背をじっと見つめ、遅れないように駆け足で駆け寄る。ヴィザリウス魔法学園の友だちは、冬の寒さの中でも温かく迎えてくれた。もう二度と失いたくない本当の温もりを、そこに感じていた。


 授業が終わって放課後。ヴィザリウス魔法学園の地下演習場にて、誠次せいじはルーナとレヴァテイン・ウルを用いた戦闘訓練を行っていた。


「っく!?」


 ルーナの握るグングニールを模した槍状の鉄の棒を、誠次の一撃が弾き飛ばす。回転しながら自身の身の後方へ飛ばされた疑似グングニールを、ルーナは悔しそうに見送っていた。


「また俺の勝ちだな」


 今のところは、経験値も技術力も誠次が上であった。

 手加減出来る相手ではないが、怪我だけはさせないように注意を払っての、特訓だ。


「悔しい……。私は今まで如何に、グングニールの力に頼って来たのかと思い知らされているようだ……」


 ルーナは疑似グングニールを物体浮遊の汎用魔法で浮かべて手元へ引き寄せ、再び立ち上がる。


「まだまだ行くぞ誠次!」

「望むところだ!」


 意気込む誠次も先端無き剣、レヴァテイン・(ウル)をルーナへ向け、突撃する。

 槍を彷彿とさせるルーナの突き攻撃を受け流し、後ろに回り込んだ誠次は、ルーナの背にレヴァテインの柄を添える。実践では刃と仮定し、再び誠次の勝利である。


「なるほど。動きに無駄がないとはこの事か……」


 アンダーウェア姿のルーナは、誠次の剣術にひたすら感心していているようだ。

 こうも褒められると逆に恥ずかしくなり、誠次は頬をかきながら、ルーナから顔を背けつつ、


「ルーナこそ。槍を扱う構えはしっかりしている。流石だ」

「ありがとう誠次。でもまだまだこの程度で満足してはいられない。また明日、付き合ってくれ」


 すっかり火照った顔をしているルーナは振り向き、誠次に疑似グングニールを返却しながら言う。誠次が寮室で徹夜して作ってやっていたのだ。

 激しい運動をしたせいか、真冬だと言うのにルーナの顔からは汗が流れ、黒いアンダーウェアには染みが広がっている。


「ルーナには魔法がある。グングニールはなくなってしまったけど、そんなに焦る必要はないと思うけどな」


 誠次も噴き出る額の汗を拭い払いながら、ルーナに言う。


「杞憂かもしれないが、最近……クリシィの様子が変なんだ」


 タオルで顔を拭いつつ、ルーナは誠次と目線を合わせずに、思いつめるようにして言う。


「君の名を出すと、いつも冷静沈着な彼女が明らかに動揺しているんだ。この間も通路を曲がったところで君と遭遇しそうになったら、クリシィは顔を隠すように振り向いてしまうし」

「え……。志藤しどうと一緒に廊下の白いところしか通っちゃいけないゲームしている時か……!?」

「そのゲームは果たして面白いのか……? 私が思うに――クリシィはまだ国際魔法教会ニブルヘイムに未練を残していて……君を連れ去ろうとしているんじゃないかと!」


 ルーナは青冷めた表情をしており、本気にしているようだ。


「そうであれば例え旧知の仲であってももう許されない事だ! まだ妄執していると言うのなら、せめて私の手でケリをつける思いだっ!」 

「ま、待てルーナ! まだそうと決まったわけじゃないだろう!?」


 悔しそうに決意を込めて握りこぶしを作るルーナに、誠次が慌てていた。

 せっかく自由になれたと言うのに、こんな事で仲違なかたがいなんかしてほしくはない。第一ルーナを慕っているクリシュティナがそんな身勝手な事をもうしないことを、信じていた。


「でもだとすれば、何故俺はクリシュティナに避けられているんだ……? まさか、゛私だけのルーナを取ったのね!? この泥棒男っ゛! なんて思われているのか……?」

「今のはクリシィの真似か!? あ、あまりに似てないぞ誠次……それに、いくら様子がおかしくてもクリシィはそんな事を言わない……」

「い、いや今のは例えで! ……やっぱ恥ずかしいから……今のは忘れてくれ……」


 その後もああでもないこうでもないと。クリシュティナに対していらない勘繰りを続ける二人であった。


「と、とにかく! クリシィには私から厳しく言っておく。誠次は心配しないでくれ! 必ずクリシィは説得してみせる!」

「頼むルーナ。必要ならば、俺も呼んでくれ! 必ずクリシュティナを止めよう!」

  

 ひとまず、今日の特訓は終わりだ。誠次は落ちていたタオルを拾おうと、ルーナの横まで歩こうとする。

 するとなぜだか、ルーナは汗を拭いていた手をピタリと止め、さっと身を離す。


「? どうしたんだ?」


 誠次は変に身を隠そうとしているルーナを見つめ、訊く。


「い、いや。その……私が汗臭いと思ったんだ……」

「全然。むしろ俺の方が――」

「いやっ!」


 忙しなく髪や顔をタオルで拭きながら、ルーナはじっと誠次を見つめる。


「と、ともかく、明日もこの時間にここに集合だ!」

「明日もするのか? 構わないけどさ」


 きょとんとする誠次と別れたルーナは、一人で女子寮棟へと向かう。


「……っ」


 すたすたと、早足で。


(――フ)


 身体の中に眠るファフニールに笑われ、ルーナは眉を寄せる。


「な、何が可笑しいファフニール……」


 色々な意味で小さくなった声に、今は普段の勇ましさの欠片もなかった。


(スマヌ。ガ、ヤハリ姫モ人ノ子ダッタト言ウワケダナ)

「え?」

(ソノ年頃ノ女子(オナゴニハアッテ当然ノ感情ノコト。案ズルコトハナイ。寧ロ我ハ嬉シク思ウゾ)


 ファフニールはまるで孫の成長を見守る婆のように、穏やかな口調であった。


「……私との戦いの後、傷ついた誠次とお前が何を話しているのかは聞いた。傷つきながらそれでも彼は私とクリシィの為に……」

(ソレヲ踏マエ、人間的ナ考エヲスレバ姫ガ抱ク感情ハ、恋デ間違イナイ)


 言われ、立ち止まったルーナは、学園の通路に映った自分の顔をじっと見つめる。

 来い、鯉、濃い、故意、乞い、請い……。日本で学んだ単語が次々と頭に思い浮かび、最後の最後でようやく思い至る。まさかと思ったが、ファフニールにばれていたとは。


「敵ハ多イヨウダゾ?」

「し、しかしそ、そもそもこの国ではまだ結婚は認められない年齢だ。確かにロシアでは子を身籠れば、一四歳から結婚は出来るが……って、私は何を!?」

(……。姫、落チ着クノダ……)


 ファフニールが困ったように、ルーナをなだめる。


(マダ結婚トマデハ言ッテイナイゾ……)

「ごご、誤解を招く言い方をするなっ!」

(姫ガ勝手ニ妄想シタノデハ……)

「う、うるさい! 私は、シャワーを浴びに行く!」


 ぶんぶんと顔を横に振り、ルーナは再び歩き出そうとする。


(マッタク強情デアルナ……)

「――あっ、ルーナ」


 直後、女子寮棟のある方の通路から、茶髪の女子がやって来た。

 オルティギュア王国出身の元メイド、クリシュティナ・ラン・ヴェーチェルだ。  

 そして、なにやら片手には箱状の物を持っており、なにか良いことでもあったのか、素敵な笑顔を浮かべている。


「クリシィ……」

「特訓はもう終わりましたでしょうか? 差し入れを持ってきました。どうぞ食べてください」


 クリシュティナが持ってきたのは、アルバイト先で買って来たケーキであった。


「……誠次にもか?」

「っ。は、はい……。ルーナの手から、誠次に渡して差し上げてください」


 誠次の名を出すと、やはりどこかぎこちなく目線を逸らすクリシュティナに、ルーナはジト目を向ける。

 これはもしかしたら、やはりまだ国際魔法教会ニブルヘイムに未練を持っているのかもしれない。誠次を連れて行こうと、しているのかもしれない。過ちを繰り返す前に、クリシィを止めなければ!

 そして、コバルトブルーの瞳をケーキとクリシュティナに交互に向け、


「……痺れ薬か?」

「は、はい!? な、なぜそのような物騒な!?」

「つい最近の事だ! ずばり、クリシィの様子が変なんだ!」

(姫……。本人ヲ前ニ早速言ウトハ、ナントモ大胆ナ……)


 少しはらはらしているのか、ファフニールがツッコむが、ルーナはびしりと指先を何度もクリシュティナへ向ける。


「誠次の名を出したり、誠次の姿を見るたびに隠れるような真似をして。おかしいぞクリシィ! まだ国際魔法教会ニブルヘイムに未練があるのか!?」


 一瞬だけはっとした表情を見せるクリシュティナだったが、すぐにぶんぶんと首を横に振る。


「そ、そんな。み、未練などはもうございません! 私はただ、ルーナと誠次の幸せを願っているのです!」

「わ、私と誠次の幸せだと? いや、そもそもどうして誠次を避ける!?」

「私だって、避けたくて避けているわけではありません……」


 クリシュティナは自分の胸に手を添えている。


(ヨ、ヨモヤ……)


 胸の内のファフニールが何やら驚愕しているようだが、ルーナはクリシュティナの両肩をぎゅっと掴む。


「未練がないと言うのであれば、一体どうしたんだクリシィ? 礼節を弁える君らしくないぞ」

「……私は、この思いを伝えるわけにはいきません……」

「私は心配なんだクリシィ。君が思い悩む原因は排除したいんだ」

「は、排除!? それは絶対にいけませんルーナ!」


 今度はクリシュティナがルーナを止めようと、逆に肩を掴む。


「クリシィっ!」

「ルーナっ!」


 二人は互いの身体を押し合い、掴み合い、叫び合う。

 しばしの格闘の末、ケーキがぐちゃぐちゃになると、お互いに身体を離し、ぜえぜえと息をつく。こちらが特訓の後で疲れていたのもあるだろうが、ここぞとばかりのクリシュティナの力は想像以上に強かった。


「なんだ、このクリシィの尋常ではない力は……!? 背後に、トラが見える……!?」

「ルーナには感謝しています……! 同じく、誠次にも!」

「――廊下のど真ん中で二人でなにやってるんだ!?」


 駆けつけた誠次が二人の前で立ち止まると、クリシュティナが誠次を睨みつける。


「っ!」

「はい!?」


 なぜか睨みつけられ、誠次が硬直する目の前まで、クリシュティナがケーキを片手に迫り来る。

 ……怖い。


「受け取ってください天瀬誠次っ!」


 ずいとケーキの入った箱を差し出され、誠次は戸惑いながらも受け取る。


「は、はい……。頂き、ます……」

「あ、ありがとうございます!」


 真っ赤に顔を染め上げたクリシュティナは、誠次の前で深々と頭を下げる。


「では、私はこれで!」


 くるりと振り向いて、去って行ってしまおうとするクリシュティナを、


「ちょっと、待てクリシュティナ!」


 誠次は追いかけ、後ろから左手を掴む。


「もうちゃんと話してくれるだろ? 俺もルーナも、クリシュティナが心配なんだ」


 クリシュティナは立ち止まって振り向き、今一度誠次とルーナを交互に見る。


「私は……」


 小さな声を呟いた後に、誠次の手を振り払う事もないが、右手を伸ばし、誠次の手を優しく解いていた。


「……心配かけてごめんなさい。私はもう大丈夫です」

「……本当に、大丈夫なんだな?」

「ええ。もう貴方を避けたりはしません……。失礼を重ねて、申し訳ありませんでした」


 上げた顔でクリシュティナはにこりと、微笑んでいた。

 クリシュティナのまことの思いを汲み取るまでには至らず、誠次はここで手を引いてしまう。


「……」


 そんな二人をじっと見つめていたルーナは、心の中のファフニールに声を掛ける。


「教えてくれファフニール。クリシィは一体……」

(マズイ事ニナッタナ。コレハ、複雑ナ事態デアルゾ……)

「クリシィと喧嘩するのは嫌だ……」


ルーナは胸に手を添え、寂しそうに言う。

そんなルーナの元へ、近づく別の人の足音があった。


「あっ、皆さんお揃いでした!」


 クラスメイトの本城千尋ほんじょうちひろだった。彼女の笑顔のお陰で、変な空気となってしまっていたこの場も和むようだった。

    

「良かったです。実はですね、こちらをご覧になってください!」

 

 千尋が電子タブレットを空中に出力させ、青白い画面をルーナの目の前に見せる。

 そこには、浴衣を着た二人組の女性が桶を持っているパンフレット写真が浮かび上がっていた。二人組の背後には、湯気が見える大きなお湯の溜まりが広がっている。


「ほう……温泉か」


 日本の温泉の事は、寒い地域出身であるルーナの耳にもよく入っていた。ぜひとも一回は行ってみたいものだったが。


「実は私、懸賞で温泉旅行が当たったんです!」

「懸賞……? クリシィが何かに憑りつかれたように必死にやっていたアレか」


 結局当たらなくて、その後少しだけ機嫌が悪くなっていたような気がする。当人は平然を気取っていたのだが、長い付き合いでは不貞腐れていたことがよく分かる。


「あの後にそんな事が……。いえっ、ええと。よろしければ皆さんで一緒に行きませんかと思いまして」

「しかし、これは千尋が当てたものだ。私たちがあやかるわけには……」


 ルーナは難色を示すが、千尋は「構いませんよ」と言ってくる。


「クリシュティナちゃんさんも一緒に応募していたのならば、当選する確率はお互いにあったはずです。それになんだか、それを聞きますとこっちの方が悪い気がしてしまいます」


 それに、と言いながら、千尋は届きたてのチケットをルーナに差し出す。


「お裸同士のお付き合いをして、本音で話し合う事も出来ますし」


 千尋にすれば、もっとルーナとクリシュティナと仲良くなりたいと思っての提案なのだろう。


「本音で、話し合う……」


 千尋たちだけでなく、クリシュティナの本音も聞けるかもしれない。ルーナは未だ迷いながらも、箱根行きのチケットを二枚受け取っていた。

 

「誠次くんたちも誘いますので、準備する際はみんなで連絡を取り合いましょうね」

「誠次も来るのか……!?」

「これから予定を訊くのですけれど、きっと来てくださると思います!」


 千尋も誠次の事を深く信用しているようで、だからこそ彼女も誠次に魔法(チカラ)を貸し与えたのだろう。

 そんな彼女や、彼女たちが一学期の頃からこんなにも素敵な人々の側にいられていることが、ルーナには少々羨ましかった。欲を言えば、もう少し早くここに来ていれば良かったと。


 寮室でシャワーを浴びたルーナは、長い髪をバスタオルで丸めながら、クリシュティナに放課後の出来事を伝える。


「温泉、ですか?」


 寮室で洗濯物を綺麗に畳むクリシュティナは、作業をする手を止めて、ルーナをじっと見上げる。


「ああ。断ろうかとも思ったが、そうするのも悪いと思ってしまってな」

「私は……」

「オルティギュア王家の権限を使って命令する。クリシィも来るんだ!」

「……はい」


 風属性の魔法を発動して即席のヘアドライヤーを作り、ルーナはそれを自分へ向ける。宙に浮かび、回転している緑色の魔法式から風が送り込まれ、ルーナの髪を優しく撫でていく。


「それにクリシィだって、頑張ってシールを剥がしていたじゃないか。温泉に行きたかったのだろう?」

「わ、私はどちらかと言えば、四等賞のユキダニャン人形が良かったんです……!」


 クリシュティナは充電していた電子タブレットを持ち上げ、画像を出力する。

 そこに映っていたあほ面のユキダニャンの姿を一目見た時、雷撃が奔るかの如く、ルーナの中で未知の生物との邂逅が起きた。


(な、なんだこの意味不明なキャラクターは!? 頭が変な猫で、手足が人間で、このだらしのない身体は一体!?)

「流石に私の白虎パイフーには及びませんが、彼も中々の魅力をお持ちです。お腹をさわさわしたいですね」

「正気かクリシィ!?」

 

 目を瞑って想像し、今度はなにか危ない橋を渡りかけている親友を、ルーナは気が気でならなかった。


「お腹なら私が触らせてやるからまだ(はや) まるな!」

「い、いえ別に私がお腹フェチと言うわけではないのですが……。猫科に限った話です。いや触らせると言うルーナも中々ですが……」

「そのキャラクターを猫科と言っていいのか……?」  


 見れば見るほど不思議なキャラクターであるが、クリシュティナは気に入っているようだ。

 近くに話が分かるような女子はいなさそうであるので、ささやかに応援しようとルーナは心に決めていた。

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