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魔法世界の剣術士 上  作者: 相會応
エーギルの温泉館にて
188/211

1

 ルーナとクリシュティナを取り戻し、レヴァテインがレヴァテイン・ウルへと変化してから、数日が経っていた。 


「ルーナちゃんとクリシュティナちゃん、やっぱ最近笑顔が増えたよねー」

「うん。明るくなったって言うか、目がちゃんと笑ってるって言うか」


 周囲の環境の変化に敏感な女子クラスメイトも、二人の雰囲気が変わったと話している。

 普通授業が始まり、最初は気まずそうにしていたルーナもクリシュティナも、本当の意味でクラスメイトたちと打ち解けていたのだろう。HRにて、本当は亡国の姫とそのメイドであったことを聞かされたクラスメイトたちはそれはそれは驚いていたが、だからと言って二人の少女へ偏見が生まれるわけでもない。ルーナもクリシュティナも、自分たちの意思で、この学園の生徒でいたいと言い、謝罪の為に頭を下げたのだから。

 誠次せいじにとっても、穏やかな日常が戻っていた。


「……」


 演習場の隅に立ち、誠次は躍動するクラスメイトたちを眺めていた。

 つまらなそうな黒い眼の目の前で今、クラスメイトたちが行っているのは、攻撃魔法の実習授業だ。初歩的な攻撃魔法の授業は前から行ってはいたが、これは実戦的なものだ。


「《エクス》!」

「《フォトンアロー》!」


 男子生徒と女子生徒が、離れた距離から互いに魔法を放ち、攻撃魔法をぶつけ合う。二つの攻撃魔法の威力は互角であり、衝突の後に白い魔法元素エレメントを散らして消えていく。

 1-Aのクラス内でもおよそ半数以上はやる気だが、一部の生徒はと言うと――、


「攻撃魔法なんて習っても、戦う気なんてないしな……」

「そもそも使う場面なくないか? 数学とかと一緒で、将来役に立つ事も無さそうだし。汎用魔法習った方が就職の為だって」


 この国で自分の身に振りかかる魔法戦なんて、そうそう起こるはずがないとたかをくくり、手を抜いている者もいた。

 そんな彼らの気持ちも分からなくはないが、すでに多くの戦闘を体験してしまった身としては、複雑な感情を抱かざるを得なかった。望む望まないに関わらず、戦わなければならない時は来るのだから。


「――誠次」


 思いつめた表情をする誠次の元へ、出会ったころと比べて軽やかな足取りをした少女がやって来る。


「ルーナ。もう大丈夫か?」


 かつて極北の果てにあったと言う王国、オルティギュア王国の元姫、ルーナ・ヴィクトリア・ラスヴィエイトだ。腰まで伸びた銀色の髪と、美しいコバルトブルーの瞳の持ち主だ。世界各国で髪や目の色のサラダボウル状態が起きても、彼女の容姿の美しさは、王家にして代々受け継がれているのだろう。


「ああ。国際魔法教会ニブルヘイムとは一切の連絡が取れなくなってしまったが、向こうにとって私たちは用済みなのだろう。私たちは任務に違反したのだからな」

「ルーナもクリシュティナも自由だ。これからの事は、この学園で過ごしてゆっくり探して良いんだ」

「ありがとう。みんなもこんな私の事を受け入れてくれた。ここに来れて、本当に良かったと思っている」

「そう思ってくれて、良かった」


 彼女の口調は晴れやかだ。重荷が取れた今、彼女を縛るものはなくなったのだろう。


「何よりも誠次……。君のお陰だ……」


 一緒にデートをした時のような穏やかな表情を、ルーナは久しぶりに見せてくれた。


「……ありがとう」


 口角を上げた誠次の横顔を、ルーナはじっと見つめていた。そして思い切り、少しだけそわそわしたように、俯きながらも口を開く。


「今の話、なんだが……したい事なら、その……すでにもうあるんだ……」

「あるのか?」

「君と……一緒にいたいんだ。君には、ただでは返しきれない恩がある」


 思い切ったように誠次を見つめ、ルーナは言う。


「もう一緒にいるじゃないか」

「それはその……君が言うのはクラスメイトとしてだろ……?」


 歯切れが急に悪くなったルーナの言葉をちゃんと聞こうと、誠次はルーナをまじまじと見つめる。

 そうすればルーナは白い肌を真っ赤に染め上げ、慌てて口を開く。


「き、君は卑怯だ! 本当は私の気持ちが分かるのだろう!? じょ、女性の扱い方を心得過ぎだっ!」

「は!? い、いやどう言う事だ!?」

「つまるところ、もっと君の傍にいたいんだ! 今度は私が君を守る番だ!」


 なるほど、と誠次は頷いた。そして、持ち上げた右手を握り締める。


「確かに俺は一度ルーナに負けた。けれど、もう負けるつもりはない」

「そ、そう言う意味じゃないんだ……。それは、君は私の事はどうとも思っていないとは思うが……あんなことをされて、私は君の事がもう……」


 大きな胸に手を添え、ルーナは唇を軽く尖らせてぶつぶつと言う。

 しかし次には、どこか寂しそうな感情を覗かせて、ルーナは再び俯いてしまう。


「……君の付加魔法エンチャントについての説明は詩音しおんたちに聞いた。君を取り巻く特殊な環境で、私の我が儘を押し通すわけにはいかない。だからせめて、君の傍で君を守りたいと思うんだ。これから、一緒にいて欲しい」

「我が儘……」


 ルーナの気持ちに気づいた誠次は、少しだけ申し訳なさそうな表情を浮かべつつ、ルーナに右手を差し出していた。


「ありがとう。俺は、みんながいないと戦えないから。でもだからこそ、みんなを守るんだ。みんなが笑い合って楽しく過ごせる、この学園を。ルーナの事、頼りにしてる。これからも魔法ちからを貸してくれると助かる」


 ルーナは下げていた頭を上げ、晴れやかな表情をしていた。


「君の覚悟、受け取った。こんな私でも君の力になれて嬉しい。供にこの学園のみんなを守ろう!」


 差し出された右手を合わせ、ルーナと力強く握手を交わしていた。


「すまないが、一つ頼みがあるんだ誠次。グングニールが君のレヴァテインと融合してから、私の身体能力が急激に落ちてしまった」

「身体能力? 国民的RPGゲームの竜騎士みたいに、空を飛べなくなったのか?」

「その……あーるぴーじぃ? と言うのはよく分からないが、その通りなんだ。でも寂しくはないぞ。私にはファフニールがいてくれるから、いつでも空は飛べるんだ」


 言葉通り、ルーナの表情は悲壮的ではなかった。


「そうか。ファフニールはいつでもルーナを見守ってくれているよ」


 今思えば、彼はルーナの親代わりのような存在だった気がする。さすがに皆がいる前でファフニールを召喚するわけにはいかないだろうが。


「ありがとう。でも身体が鈍るのは嫌だ。適度に動かないとな」


 そこで、とルーナは少しだけ頬を赤らめ、


「君と時間が合う時で良い。演習場で特訓に付き合って欲しいんだ」

「特訓か。俺も普段からやっていたし、丁度いいな」

「そ、そうなのか!」


 嬉しそうにルーナは明るい表情を見せる。


「新しいレヴァテインにも早く慣れておかないといけないし。こっちこそよろしく頼む、ルーナ」

「ああ。二人で特訓だ!」


 一方、終始笑顔のルーナの中で眠るファフニールは、静かに飛翔の時を待ちながら、ルーナの会話に耳を傾けていた。


(フ……。小僧ヨ。オ前ガ罪作リナノハ、今モ昔モ変ワラヌカ)


 保護者の様な気持ちで、ファフニールはルーナに聞こえぬように呟く。

 様々な人が生きるこの世とこの国にも興味が湧いてきたところだ。今はルーナの中で眠り、その時をじっと待っていた。

 

 放課後、千尋ちひろとクリシュティナが魔法学園近くのデパートまで買い物に来ていた。本格的に日本に住むことになったので、寮生活で必要な調度品を揃えに来たのだ。


八ノ夜はちのや理事長のご厚意で、奨学金制度を利用できるようになりました」

「寮の設備等で、なにか分からないことがありましたらなんでもいて下さいね?」

「ありがとうございます千尋」


 お互いにカートを押し、クリシュティナと千尋は仲良く会話をしている。

 クリシュティナも自分の事を色々と話し、千尋も改めてこの学園の生徒の一員となってくれたクリシュティナに、様々な事を話す。

 

「――部活、ですか……?」

「ええ。水泳部とか、一緒にどうでしょう? 部員さんは歓迎中です!」

「私はルーナとは違って、運動があまり得意ではないので……」


 クリシュティナは少しだけ俯くが、千尋は首を横に振る。  


「クリシュティナちゃんさんはクリシュティナちゃんさんです。ルーナちゃんさんと比べる必要なんてありませんよ」


 もこもこしている犬のぬいぐるみを眺めた後、千尋はそれをカゴに入れる。

 果たしてそれは日本で生活を送るうえで必要なのだろうかと、クリシュティナはカゴの中の犬のぬいぐるみをじっと見つめる。


「ありがとうございます千尋。私は、私ですね……。あ、そうでした」

「? どうしたのです?」


 思いついたクリシュティナが、雑貨店の中をきょろきょろと見渡している。


「いえ……誠次や皆さんにはご迷惑をお掛けしましたし、感謝をしているのです。そうルーナと話していまして。ですから、何かお礼が出来ればと思いまして。一生を懸けても返しきれない恩だとは思いますが」

「一生をとかは考えないでください。でも、お礼の気持ちは素敵です!」


 千尋も両手を合わせて、微笑んでいる。


「誠次の趣味とか好きなモノが何か、千尋は知っていますか? できれば教えて欲しいのですが」

「よくお茶を飲んでいる姿は見かけますけど……。思えば確かに、あまり欲がなさそうなんですよね……」

「ではペットボトルのお茶を大量に購入しましょう」

「大量の、お茶? え……それでいいのでしょうか?」


 そそくさと歩き出すクリシュティナの後を、頭の中で大量のお茶に押し潰されてしまう誠次を想像し、千尋が急いで追いかける。


「このお茶のペットボトル、何かシールが貼ってありますね」


 クリシュティナと千尋がやって来たのは、冷蔵されている飲料コーナーだった。いくつも並んでいる緑色のラベルの上に、何かのシールが貼ってあるのを、クリシュナは発見していた。


「これは……キャンペーンのようですね。狙って当たるようなものではないですよ」

「そうですか。それでは、カゴに移しましょう」


 シールには大して気にはしない素振りを見せるクリシュティナと千尋が二人して、大量のお茶のペットボトルをカゴに入れていく。セルフレジなので、店員さんの迷惑には掛からないはずだ。

 全ての商品を買った後、クリシュティナと千尋はお茶のペットボトルを袋詰めにしていく。この大量は、配る為に、地元の講演会の集まりでもあるのではないかと、周囲の人々からは思われる事だろう。


「あ……いよいよお金が……」


 重くなった両手に反して軽くなった懐事情を確認し、クリシュティナは俯いていた。


 まだ過ごし始めて間もない寮室にて、ルーナとクリシュティナは床の上に座り、机の上のレシートの山を見る。まるで大家族の家計簿をつける瞬間である。


「クリシィ……!? なんだ、その大量のお茶の量は!? 血迷ったのか!?」

「お、落ち着いてくださいルーナ……。今、取り込み中です」


 クリシュティナは必死に、お茶のペットボトルに付いたシールを指先の綺麗な爪で剝がしている。お茶のペットボトルは大量にあり、クリシュティナが寝ているベットの上に無造作に置かれていた。


「どうするんだこの大量のお茶……」

「誠次への贈り物です」

「いや、この量は絶対に向こうも困るだろ……」


 きっぱりと言い放つクリシュティナに、ルーナは冷や汗を流しながら指摘する。


「しかし同時に、こちらも一つ問題が」

「問題? どうしたんだ?」

「もうすぐ私たちの貯金も底を尽きようとしています……」

「いや、完全にそのお茶のせいだろう……」


 何かの裁縫でもしているかのように、相変わらず熱心にシールを剥がしていくクリシュティナに、ルーナのツッコみは続く。


「早急に金策を考えねばなりません……」

「クリシィのせいでな……」


 懸賞のシールも当たらずに、すっかり意気消沈しているクリシュティナは、当たりが出なかったことがよほど悔しかったのか、一瞬だけ一本三百円のお茶のペットボトルを悔しそうに見つめている。

 それでもルーナに対しては平然とした態度を取り続け、澄ました表情でお茶の入ったペットボトルを並べていく。

 

「まあ、そうそう当たるものではないようですね。夜ご飯の支度をしてしまいましょう」


 立ち上がったクリシュティナは、可愛くデフォルメされたトラの絵が描かれたエプロンを結び、寮室のキッチンへと向かう。

 一方でルーナは、明日の予定を、新調した国際魔法教会のではない電子タブレットを使って確認していた。


「クリシィ。明日の放課後は少し遅くなる」

「何かご予定が?」


 水洗いしたほうれん草を、ざくざくと切っていくクリシュティナが、ルーナに訊く。ルーナにしてみれば、クリシュティナが立てる料理の音は今となっては、聞くだけで心地よくなるものだ。

 とんとんと、包丁が調理板に当たる音が続く中、微笑むルーナが答える。


「誠次と二人きりで特訓するんだ。演習場でな」


 ――ぴたり。ルーナの言葉を聞いたクリシュティナの料理をする手が、見事なまでに一瞬で止まる。


「ど、どうしたんだクリシィ?」

「差し支えなければ、その……私も一緒に行っていいでしょうか?」


 両手を料理板の上に残したまま、クリシュティナは赤い瞳をルーナに向ける。


「? クリシィが来る必要はない。二人で特訓だからな」

「……そうですか」


 クリシュティナはすぐに引き下がり、再びほうれん草を切っていく。


「クリシィ……?」


 ルーナにしてみれば、ここまで気落ちしたクリシュティナを見るのは珍しい。クリシュティナの横顔から覗く表情は確かに沈んでおり、ルーナはそれを不思議に見つめる。


「報告と連絡と相談は、お願いしますね」


 ほうれん草を切り終え、持ち上げた板を傾けて具材を丁寧に鍋に入れながら、クリシュティナは呟く。


「報告、連絡、相談? 一体何のだ?」

天瀬あませ誠次……の事です」

「誠次の事と言われても……漠然過ぎて、よく分からないのだが……」


 そもそも何故なにゆえ誠次の事を……?

 エプロン姿になってからのクリシュティナの口数も少なく感じ、戸惑うルーナのいる寮室には、よく分からない空気が流れている。決して怒っているわけではないと言うのは、承知しているが。


「で、ですから……。彼の事を、もっとよく知る為に、です!」


 こほんと咳ばらいをしたクリシュティナは、戸棚から取り出した箱詰めされた塩を、鍋に向けて何度も何度も上下に揺する。まるで、何かを誤魔化すように。

 それは祖国オルティギュア王国のある日の窓の外の光景の事だ。降りしきる大雪の如く、大量の塩が鍋に落とされていくその光景を見たルーナは、青冷めた表情をしていた。

 

「クリシィ!? 塩! 絶対塩を入れすぎているぞ!?」

「えっ? あ!? そんなっ!」


 慌ててさっと手を引くクリシュティナであったが、手遅れだろう。

 おかしい……。いつも冷静沈着であった元メイドが、明らかに動揺している。


「申し訳ありません、ルーナ……」 

「マヨネーズで何とかなるから、私は構わないが……」


 やれやれとルーナは、苦笑していた。 

 ――もっとも、こちらの方が本来の彼女らしいのだろうが。

 普段ではあり得ないミスをしてしまい、気落ちするクリシュティナに、ルーナは彼女の失態を今の鍋の状態に掛けて、薄める為にも、こんな事を言っていた。


「それに誠次との特訓で沢山の汗をかくだろうしな。塩分はとっておこう」

「……天瀬誠次と、二人で……」


 微笑むルーナの横で、申し訳ない表情をしていたクリシュティナは胸に手を添え、ほんの少しだけ羨ましそうにルーナを見つめていた。クリシュティナ自体、こんな複雑で奇妙な感情を抱いたのは初めてで、どう処理していいのか分からないでいた。


「――まあ、また当たりました!」


 同時刻、女子寮棟の違う一室にて、千尋がお茶のペットボトルを握って喜んでいる。


「なによそれ?」


 隣に座ってブレザーにアイロンをかけていた篠上しのかみが、千尋の方を覗き込んで訊く。


「お茶の懸賞です。これで三枚目ですよ!?」

「百発百中じゃない。……そもそもこの大量のお茶はなに?」


 ビニール袋の中に入れられたペットボトルを眺め、篠上は困惑していた。


「誠次くんたちへの贈り物です! なんでもクリシュティナちゃんさんが、誠次くんにお礼をしたいとの事で!」

「クリシュティナがねえ。……他になんかなかったわけ?」


 これじゃあ逆に迷惑じゃない? と言うような目線の篠上に言われるが、千尋も悩まし気な表情を浮かべ、小首を傾げる。 


「考えたんですけれど……誠次くんて異常なまでに無欲ではありませんか? それでいて聖人のように誠実で……」

「アイツは菩薩ぼさつか……」 


 瞳を輝かせて言う千尋に、篠上はツッコむ。


「でも確かにねー。思えばアイツの好きなものとか、あんまり把握してないかも……。サバの味噌煮とか和食が好きかと思えば、お子様っぽい食べ物も好きだとかしか……」


 篠上も腰に手を添え、悩まし気に言っていた。


「綾奈ちゃんはお弁当作ってさしあげたらどうでしょう? 私はまだ、他人に食べてもらえるような腕前ではないので」

「は、恥ずかしいってば! ……でも……いや、アイツなら……」 


 顔を真っ赤に染め、篠上はブレザーに顔を埋めていた。


「それか、綾奈ちゃんの癒しのお身体を、こう、こう使ってですね――!」


 目を瞑りながら口を半開きにし、何やらだらしない表情で両手をわきわきさせる千尋に、


「私のこの身体で……って、何をさせようとしてんのよアンタはっ!」


 千尋の分までやっていたアイロン掛けしたワイシャツを放り投げてやろうと、篠上は両手を持ち上げていた。自分の胸を凝視していたあたり、自覚は十二分にはあるのだが。

 そんな綾奈を見てくすりと微笑みながら、千尋は再びお茶のペットボトルに貼られたシールを剥がしていく。


「ごめんなさい綾奈ちゃん。でもほら、また当たりです!」

「また!? やっぱ千尋の運は異常すぎるし私にも欲しいわー……」


 ところで、と篠上はブレザーを綺麗に畳みながら、千尋が当てていくシールを眺める。


「ねえ千尋。これって応募するとなにが当たるの?」

「ええと……」


 千尋はシールを貼る用の台紙を、じーっと眺める。

 

「お肉にお米。あと一番良い賞は、一泊二日の温泉旅行です! せっかくなら、温泉旅行が良いですよねー」


 のほほんと千尋は、【豪華賞品!】と大きな文字が目につく台紙にぺたぺたとシールを貼っていく。台紙にはバスタオル姿の女性が、気持ちよさそうに湯船に浸かっている写真が掲載されている。その周りを蟹や牛肉が囲んでいるというものであったが。

  

「……はっ!」


 しばし無言でいた篠上は、赤いポニーテールをふるふると震わす。


「それじゃないっ!? いやそれよ! 千尋っ!」


 千尋の細い肩をがしりと掴み、篠上は前後左右に振る。


「は、はい!? どうされました!? 綾奈ちゃん!?」


 何のことかわけがわからず、完全に閃いた様子で興奮気味の篠上に、千尋は肩をゆさゆさと揺らされていた。


 ――翌日。

 今日も平常通りの授業を終えた昼休み。誠次は中庭にて、クラスメイトのとある男子に頭を下げられていた。


「頼む! お願いだ天瀬!」


 彼の名は、北久保きたくぼ。1-Aのクラスメイトの一人で、成績は中の下ほどのサッカー部の男子である。眉毛がハッキリと見える短髪は、体育会系の象徴であろう。


「購買に昼飯を買いに来てたんだけど、一体どうしたんだ?」


 両手に抱えたパンの山を見せつけながら、誠次はこちらを呼び止めた北久保に首を傾げる。


「俺の゛ゴッドフィッシュ岡本゛が池に逃げちまったんだ!」

「? ご、ゴッドフィッシュ岡本……?」


 誠次がジト目で首を傾げる目の前で、北久保は今にも泣きだしそうな表情で隣の池を指差す。魔法学園の中庭には、あまり目立たないが、小さな池があった。手入れは用務員の手によって普段はされているようで、外観も綺麗な中庭憩いの場だ。あまり目立たないが。


「俺の使い魔の事だよ! 略して゛ゴッフィー岡本゛。魚の使い魔!」

「グッピーみたいに言うな!」


 パンを放り投げそうな勢いでツッコみつつ、誠次は池を眺める。


「それで岡本って、まさか……岡本先生の事か?」


 一学年生の体育授業を請け負う、絵にかいたような角刈りの強面男性教師だ。確か男子サッカー部の顧問だったような気がし、昔はプロサッカー選手だったとか。


「そうそう。あの鬼のような先生も魚だったら可愛いかもって事で!」

「怒られるぞ……」


 嫌な表情を浮かべつつ、誠次はとりあえずパンを一口食べる。

 美味しくパンを頬張る誠次の姿を見た北久保は、人差し指を口に付け、


「あ、あとなんだが天瀬……」

「もぐ。なんだ?」

「俺今日学生証落としちゃってさ……。昼飯奢ってくれ! 今度返す! じゃないと俺昼飯抜きなんだ!」

「とことんついてないな北久保!」


 両手を勢いよく合わせ、これまた勢いよく頭を下げるクラスメイトに、誠次は仕方なくパンを恵んでやっていた。


「ありがとう天瀬! 美味すぎるっ!」

「しかし相手は魚だ。捕まえるのも無理があるぞ」


 と、誠次は、魔法式を展開したままパンを美味しそうに頬張る北久保に言う。


「そんな、ゴッフィー岡本……」


 パンを食べる手を途中で止め、北久保は悲し気に視線を落とす。


「俺、アイツが初めてのペットみたいなもんだったんだ。今までサッカー一筋で、ペットなんて可愛くないとか思ってたけど、アイツと駆け抜けた日々は特別だったんだ……」

「北久保……」


 誠次が落ち込む北久保の肩に手をぽんと乗せるが。


「寝る時とか、いつも隣で嬉しそうに跳ねていたんだ……」

「いや、それは魚だからだろう。あとお前それ殺しにかかってるからな!? エラ呼吸だぞ!?」


 同情する気でいたのが、冷静に考えればおかしな話に、誠次は盛大にツッコむ。魚と一緒に寝ようとしていた北久保の天然具合もいかがなものだろう。そして同時に、北久保は純粋な少年でもあった。


「あっ、ゴッフィー岡本が跳ねた!」


 池の方でぽちゃりと何かが音を立てたかと思えば、北久保が指を指している。

 見れば、とても可愛いとは言い切れないほど大きな魚が、綺麗なくの字を描いて水中から飛び跳ねていた。

 なんだろうか……すでにすごくやる気が失せてくる……。


「やっぱあの池の中だ天瀬! 頼む、ゴッフィー岡本を取り戻してくれ!」

「そもそもどうして池の中に放った? グッピーどころじゃないぞあのサイズ」

「アイツだって広い所で泳ぎたいと思ったんだ!」

「水槽を買ってやれっ!」


 しかし悔しそうな北久保を前に、誠次は転落防止用の柵を乗り越える。


「分かった。こうなったら一緒にゴッフィー岡本を救出するぞ!」


 北久保も誠次と同じく、転落防止用の柵を飛び越えていた。


「おお! さすが天瀬! 今度飯奢る!」

「それはパン奢った分じゃないのかよ!?」


 昼休みを過ごす多くの生徒の好気の視線を浴びながら、誠次と北久保のゴッフィー岡本救出作戦は始まった。


 その頃、1-Aの教室外通路では、香月と桜庭がクリシュティナに話しかけられていた。


「えっ、アルバイト?」

「はい。当面の金銭不足を補うためには、やはり自分の身を売ってご奉仕するのが一番だと思いまして」

「ちょ、言い方! 聞き方によってはヤバい発言だからそれ!」


 胸に手を添え、決心しているクリシュティナに、桜庭が苦笑いでツッコむ。


「アルバイト。この時期に募集なんてあるのかしら?」

「こうちゃんは天瀬たちと夏に一回やってたもんね。あれはイベントスタッフみたいな感じだったけど、長期だったらまた全然違うと思うよ」

「詳しいのね桜庭さん」

「友達が何人かやって来る子いるから、よく聞くんだ」


 桜庭と香月が互いの顔を見合い、会話をしている。


「何かおススメのアルバイトとか、ないでしょうか?」

「メイドさんがアルバイトかぁ……。あっ、いや、おかしいって意味じゃないよ!?」


 桜庭がほんわりと想像したのか、上の方へ視線を送りながら呟いた後、慌てて両手を振る。


「クリシュティナさんはお料理上手だから、飲食店なんてどうかしら」


 香月の提案に、桜庭がなるほどと手を叩く。


「あっ、それいいかも! お行儀も良いから、ウエイトレスさん向いてるかもだし!」

「でも人前では自他共に認めるほどの人見知りで。克服したいとは思いますが、上手くいくでしょうか……」


 あごに手を添えるクリシュティナは不安そうにしている。


「……だったら、私たちも一緒にやると言うのはどうかしら? 私もお金が欲しいし」


 香月が桜庭にそう提案する。


「でも三人もバイト募集してるところってあるのかなー?」

「駅前の喫茶店。大学生の女の子が働いていたんだけど、軒並み用事が出来てしまって人がいないって店員さんが困っているとは、聞いたわ」

「そうなんだね」


 香月の発言に、桜庭が驚き戸惑う。


「お二人が一緒に来て下さるのは、心強いです。感謝します。精一杯、頑張ります」


 クリシュティナがぺこりと頭を下げて来る。


「あはは……。まあ、あたしもいいかな」


 まだやると決まったわけではないと言いかけた桜庭であるが、こうも期待を寄せられてしまうと、断るに断り切れなくなっていた。


「じゃあ三人で履歴書書かないとね」

「私はこの場合、オルティギュア王国の事も書いた方が良いのでしょうか……」

「いらないとは思うけど、一応念の為に書いておいた方がいいかもしれないわね。王国ってなんだか特別そうだし、優遇されるかもしれないわ」

「いや、書かなくていいと思うよ!? 絶対向こうも混乱するだろうし!」


 魔法少女たちの穏やかな時間は過ぎていく。

 ――外では懸命な魚救助活動が行われているとも知らずに……。


 中庭では、誠次と北久保によるゴッドフィッシュ岡本――通称ゴッフィー岡本の救出作戦が行われていた。


「糸に針をくっつけて、パンくずを刺して、それで釣ると言う手はどうだ?」


 苔だらけの岩の上でしゃがみ、眼下に広がる池を真剣に眺めて誠次は問う。

 傍らの北久保は、相変わらず右手で魔法式を展開したまま、泣きそうな顔をしている。


「それじゃあゴッフィー岡本が可哀想だろ!?」

「まあ確かに、もし釣れたとしても口に針が刺さるか」

「パンくずなんて食べたらお腹壊す!」

「そっちの心配かよ!? 人にパン奢ってもらった奴が言う台詞か!?」


 しかし釣る為の糸も針もなく、そもそもパンも平らげてしまったので、この作戦は却下だ。

 ゴッフィー岡本は水中を優雅に泳いでおり、鯉のようだった。


「ゴッフィー岡本っ! 戻って来てくれぇっ!」


 するとなんと。北久保の呼びかけに答えるかのように、ゴッフィー岡本は水中から顔を出し、口をパクパクさせながらこちらに向けてくるではないか。パクパクと、大きな口を上げ下げしながら、ゴッフィー岡本がこちらを無表情で見つめて来る。

 しばしの、静寂の後、


「ゴッフィー岡本が応えてくれたっ!? うおおおおお!」

「……」


 誠次はジト目でゴッフィー岡本と北久保とを交互に見る。魚と男の子の友情が、不思議すぎる。


「こうなったら天瀬! やっぱり飛び込むしかないだろう!」

「手掴みか!? 正気か北久保!?」

「でも俺は泳げないんだ!」

「正気か北久保ーッ!?」


 だから通りすがりのおれを呼んだのかと、頭を強く抱える。

 そんな誠次の隣では北久保も、己の無力を恨んでか、頭を抱えている。


「水中戦は俺たちでは不利だ。別の手を考えなければ」


 しかし友を助けてやりたい気持ちは変わらず、誠次は腕を組んで熟考する。


「また呼びかけるか!?」


 確かに先ほどはそれでゴッフィー岡本は顔を出した。使い魔に意思があると言うのなら、呼びかければまた答えてくれるかもしれない。

 

「やってみよう北久保」


 誠次と北久保はうんと頷き合い、同時に口で息を吸い込み、


「「ゴッフィー岡本ーッ!」」


 河川敷ならともかく(それでもギリギリだが)、真冬の池に向かって叫ぶ二人の男子生徒が目立たないはずもない。


「――お前ら……」


 柵の外側の方から、聞き覚えのある声がした。

 身体の芯から震え上がるような威圧感のある声の持ち主は間違いない、体育教師であり、男子サッカー部顧問でもあり、何よりも男子寮棟の見回り担当、岡本先生だった。


「名を呼ばれたと思って来てみたが……お前ら、ここは立ち入り禁止だぞ!」

「でも岡本先生! ゴッフィー岡本があそこにいるんです!」


 北久保は無謀にも岡本に向けて、自身の使い魔の事を叫ぶ。


「ゴッフィーだぁ?」


 ビクつく誠次の目の前で、岡本は太い眉を寄せ、よっこいしょと柵を乗り越える。


「1-Aの剣術士か。お前の事はよく聞いているが、あまり調子に乗るなよ?」

「め、滅相もございませんっ! 全ては゛岡本゛を救うためですっ!」

「調子に乗るなーッ!」

「ぎゃーっ!」


 呼び捨てにされたと勘違いした岡本が激昂し、誠次に喝を入れる。

 

「しかし岡本先生! ゴッフィー岡本は一刻も早く救出しなければなりません!」

「……一応確認なんだが、俺とは関係ないんだな……? その、名前は」

「関係あ……っりません!」

「……まあ、いいだろう」


 言い淀んだ誠次を深く追求する間もなく、岡本は池に向かって四つん這いの姿勢となっている北久保の元へ近づく。格好だけを見れば、まるで自動販売機の下に十円玉を落としたようだ。


「それで、このゴッフィー岡本とやらはどれだ?」

「アイツです!」


 水面下を優雅に泳ぐ魚を指さし、北久保は叫ぶ。


「魚なんて飼っとるのかお前は?」

「あれは使い魔なんです! 大切な相棒なんです! 魔法式を展開しているだけこの世に存在できるんです!」


 魔法を使えない岡本に向け、半泣きの北久保が説明している。

 北久保は相棒である使い魔を心から愛しているようだ。相棒を大切にしたい気持ちは、誠次もルーナも同じだったが。


「こんなもの、泳いで取るしかないだろう。お前ら、パンツ一丁になれ」

「真冬ですよ!?」

「寒中水泳と言う言葉があるだろう。これもそれだ! 冬の恒例行事だぞ!」


 そうこうしている間にも、岡本はジャージを脱ぎ始めている。別に見たくもないおっさんの上半身裸な姿に、誠次は食べたパンが戻りそうになるのを抑え込む。


「は、はい! 今助けるぞ、ゴッフィー岡本ーっ!」


 おののく誠次の隣でも、立ち上がった北久保が制服を脱ぎ始める。


「よせ北久保! お前泳げないだろ!?」

「おい! 準備運動は念入りにっ!」


 誠次と岡本の制止を聞く間もなく、北久保は勢いよく水に向かってダイブする。顔が水に激突する直前、北久保は自分が泳げないことに気が付いたようだった。


「そう言えばそうだったーっ!」

「お前本当に馬鹿だな!?」

「北久保!? 補欠の補欠とは言え、お前は大切なサッカー部員だ! 例えこの先試合で絶対に使う事はなくても、必ず助けるぞ!」


 水しぶきを上げて池に突入した北久保を追い、誠次は制服姿のまま、岡本は下着姿で、同じく池に突入する。

 泳げずにじだばたともがいている北久保を、両サイドから誠次と岡本が支え、水中から持ち上げる。


「プハッ! た、助かりました岡本先生、天瀬……」

「泳げないのならば先に言うんだ! お前は大事なサッカー部員なんだから心配したぞ!」

「その前にボロクソ言ってましたけどね!?」


 水中から顔を出しながらツッコむ誠次は、周囲を見渡す。冬の水の中はとても冷たく、このままではまた風邪を引きそうだ。


「岡本は!?」

「それなんだけどさ、天瀬。俺、魔法式解除しちまってさ……ゴッフィー岡本は、俺の中に帰ってったよ……」


 池の水の上で浮かびながら、北久保は空を見上げて呟く。


「また会えるのか? そのゴッフィー岡本とやらには」


 ひと際涼しそうな角刈りの頭をびしょ濡れに、岡本が訊く。


「はい。俺が魔法式を生み出せば、ほら」


 右手を上へ向け、眷属けんぞく魔法を生み出す北久保。そこからは飛び跳ねたのは、ゴッフィー岡本であった。

 ゴッフィー岡本は、真冬の太陽に向かって飛んだ後、再び水の中へと飛び込み、優雅に泳ぎ回る。身の危険を冒してまで水に飛び込んだ主人を無視している姿は、とても懐いているとは思えないのだが。


「ハハ。アイツ、楽しそうに泳いでやがる。やっぱ俺、水槽買います。……ありがとうな、天瀬」

「……まさか、その事に気づくために、俺たちは今池の中にいるのか……。まあ、アイツも心なしか、のびのびしている気がするな」


 ちゃぷちゃぷと音を立てて水面に浮かぶ生徒二人に、教師一人の構図は、限りなく異常であった。


「ありがとうな、天瀬。俺、大切な事に気づいたよ」 

「まったく。今度ちゃんと昼飯奢れよな」

「いや待てお前ら。そもそも最初からその魔法式を閉じていれば良かったんじゃないのか……」

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