6
遠くから照り付ける太陽を覆い隠す竜の巨体が、日差しから影を作り出す。衣服を着た男や女が、忙しなく農作業に勤しんでいる。黄金色に輝く穂は、もうそろそろ収穫時を迎えるのだろう。
「え……?」
見渡すばかりに穂づいた黄金色の小麦。目を覚ました誠次は、見知らぬ小麦畑の中心に立っていた。
「なんだ、ここ……」
怪我をして昏睡していたはずなのに、意識ははっきりとしている。なぜかこの場がとても懐かしく感じ、そよぐ風は心地が良い。穂が風に揺らされる音に混じり、天から聞こえるのは竜の咆哮。
「戦局は思わしくないんだろう?」
「ああ。フルングニル将軍も、スリュム将軍も、やはりフレイの軍勢に討たれたそうだ。じきにここも戦場になるだろうさ……」
異国の地であろう服を纏った、農作業をしている女性と男性が会話をしている。明らかに日本語ではないが、誠次には聞き取ることが出来た。
「あの……」
誠次が声を掛けるが、
「なあに。ここには無敗のスルト将軍が敵だったはずの女神様と共にいる。あのお方たちがいて下さる限り、私たち人間も安心だよ」
男性の言葉に、誠次は思わず足を止める。それ以前に、二人には自分の存在が知られていないようだ。
「スルト将軍……? それに、空の竜は……」
まるで呑気に鳥が飛んでいるかのように、上空を飛び交う竜の姿を、この小麦畑の人々は何とも思っていないようだ。
「前のアルフヘイムの戦いでも、スルト将軍とシンモラ様の軍の圧勝だったらしい。抵抗する者は見境なく斬り伏せ、降伏する神を構わず一刀両断にして、まこと恐ろしや……」
「スルト将軍が進軍した後には草木も残らんとはこの事か。おかげで我々人間が生き延びているのだから、万々歳なんだけどよ」
相当強いらしいと言うのが、漠然と伝わってくる。ここまでで、もしやと思った誠次であったが、さすがにあり得ない考えだとして思わず首を横に振る。
――おれは北欧神゛話゛の世界の中にいる。
しかしあれはあくまで空想の世界の話のはずだ。何か、変な夢でも見ているのだろうか。
「それ。収穫だ」
男が掛け声を発する。すると、男の目の前で誠次には見慣れたものが浮かび上がる。
「魔法……」
白く円形に光るそれに、三〇歳は確実に超えているであろう男は難なく魔法文字を打ち込んでいた。地に生えていた小麦が次々と刈り取られ、空中で浮かんでは運ばれてく。周りを見渡せば、まさしく大収穫祭と言わんばかりの、大量の小麦が魔法によって刈り取られていく。その魔法は、現代の魔法世界の魔法の発動の仕方と、そっくりそのままであった。
いや、もしもこの仮説が立証されるとあれば、こう言い換えるべきであろう。現代の魔法世界の魔法の発動の仕方が、この世界にあった魔法の発動の仕方と同じなのだろうと。
そして労働者たちが小麦を入れていく籠には、白いチョークのようなもので魔法文字が刻まれている。おそらく、この世界の共通言語そのものが魔法文字なのだろう。
「おお。また竜が飯を求めて降りて来たわい」
「近頃は竜も神に討たれ、めっきり減って来たな。昔は雲の如くおったものが、今ではこの天が寂しいよ」
空を見上げれば、一つの巨大な影がこちらに向かって降りて来ているところだった。
「ファフニール」
射し込む太陽の眩しさから、顔に右手を添える誠次がぼそりと呟く。
「――目覚メヨスルト!」
「――っ!?」
竜の号砲に呼びかけられ、夢は冷め――現実へ。横たわり、何故かねとねとしている身体の周りには、透明な液体が広がっている。粘液だろうか、少なからず獣臭かった。
顔を上げれば、何か巨大な影が動いているのが分かる。その影は、誠次のすぐ隣で短い手を動かし、焚火に薪をくべていた。
かさりとする音が、背中の方いっぱいですれば、おそらく自分は敷き詰められた木の葉の上に寝かされているのだろう。
「ルーナの、竜か……?」
気が遠くなるような痛みが再来し、少なからず夢を見続ていたい気分であった。肺呼吸の度に、胸は痛む。
「目ガ覚メタカ、小僧」
ファフニールは薪を焚火に放り投げ、鋭い目つきで誠次を睨む。
「た、焚火……?」
鋭い爪を持つ竜がいちいち小さな木の枝を焚火に放り投げている光景は、場違いかもしれないが、どこか愛嬌がある姿であった。
「人間ハ不便ダナ。コウシテ身体ヲ温メネバ、生キテイケナイトハ」
「なんとも、人間的な……、い、いや、感謝する。また、お前に助けられたんだな……」
焚火を眺めながら、誠次は横を向く。
状況的に考えて、ルーナの竜に喰われていたのだろうか。誠次は地面の上に広がっている透明な体液をそっと触り、そう解釈していた。
「寝たままでの会話を許してほしい……。どうして、また、俺を助けたんだ……?」
「我ハ姫ノ使イ魔ダ。姫ノ命ニ従ウ。シカシ今ノ姫ハ姫デハナイ。操リ人形ダ」
「やはり、ルーナは操られているんだな……?」
「左様。女中ヲ人質ニトラレ、歯向カウコトガ出来ナイデイル」
クリシュティナの事もすぐに脳裏に浮かび上がる。ルーナはクリシュティナを。クリシュティナはルーナを思い、その気持ちを利用した卑劣な敵に、怒りが込み上がっていた。
しかし、その怒りを力に変える武器は、ルーナによって破壊され、焚火の横に置かれている。
「……」
全身に湧きたった怒りはすぐに溶けてしまい、誠次は虚しい思いで、それをじっと見つめていた。
「小僧。オ主ハ姫オ救ウト言ッタ。ソシテ、オ主ハマダ死ニタクナイトモ言ッタ。ソノ言葉ガ偽リナラバ、オ前ノ喉ヲ噛ミ切ル」
ファフニールが吠えれば、人間でしかない身は竦み上がってしまいそうになる。
しかし、死の瀬戸際にいたのだ。今更迷う事もない。
「ルーナは俺を信じて、色々と自分の事を話して、頑張ろうとしてくれていた。それなのに俺は、ルーナに報いてやることが出来なかった……。約束する。今度こそルーナとクリシュティナを助ける」
胸に手を添えていた誠次が答えるが、ファフニールは芳しくない反応を示す。
「アノ女中は姫ヲ陥レタ。当然ノ報イデアロウ」
「陥れたって……。仮にルーナだけを助けたとしても、ルーナは一人になるだけだ。二人とも救うんだ……!」
「浅ハカダ!」
ファフニールの一喝が、誠次の鼓膜を激しく揺らした。
竜が漂わせる圧倒的な気迫を前に、寝たきりの誠次は尻込みをしてしまいそうになる。
「貴様ノ剣ハモハヤ破壊サレテイル。ソノ剣デドウスルト?」
ファフニールは炎の光を受けるレヴァテインを見つめ、誠次に問う。
どくんと鳴る心臓であったが、誠次は力強く地面を叩いていた。
「レヴァテインは折れたが、俺の身体や意思はまだ完全に死んじゃいない……! やりようはあるはずだ!」
「人間ガマタシテモ浅マシイ知恵ヲ絞ルカ」
威厳ある声が誠次に襲い掛かる。
あくまで人を見下すファフニールに、寝たきりの誠次は痛む胸にも負けじと声を張り上げた。
「頼むファフニール! 俺と力を合わせてくれないか? ルーナの為にもなんだ! お前が本当にルーナの幸せを考えるのならば、そこにクリシュティナは必要なはずだ!」
叫ぶ誠次の黒い眼をじっと見つめた後、ファフニールは人で言う溜息のような吐息をする。
「何百万ト見テキタガ……人間ハ過チヲ繰リ返ス。オ主ハ、コレモマタソウダト言ウノカ?」
こちらを試すような竜の物言いに、血に塗れた顔を腕で拭った誠次は、自分の意思を伝える。
「間違っているかどうかを決めるのは、今は重要じゃないはずだ……。今は俺たちに、出来る事をやるだけだ……」
ファフニールはしばし熟考した後、「我モ歳ヲトッタナ……」と呟き、
「……ヨカロウ。女中ハ好キニスレバイイ。ガ、最優先ハ姫ノ救出ダトイウコトヲ忘レルナ」
「ありがとう……」
穏やかな表情の誠次は深呼吸をして、夜空を見つめる。まずは、早くこの胸の痛みに慣れなければ。ここは少なくとも東京であろうが、大自然の中だ。夜を照らす美しい星々は、凛々と輝いていた。
「まさか、レヴァテインが折れるだなんて……」
「オ主ノ持ツレ―ヴァテイント、姫ノ持ツグングニルハ、互イニ特別ナ存在ダ。オ互イヲ傷ツケアッタノダロウ。実ヲ言エバ姫ノグングニルモ、崩壊寸前デアッタ」
互いを傷つけたと言う言い方が、ひどく頭に残るようで、誠次は項垂れていた。
まだまだファフニールには訊きたいことが沢山あった。そもそも竜との会話など、そうそう出来ることではないだろう。
「……お前に喰われている時、奇妙な夢を見たんだ……」
「……」
ファフニールはまるで人間のように、感性豊かに誠次の言葉を聞いているようだ。
「そこでは神と人とが戦っていて……竜が空を飛んでいた。まるで、神話の世界の中にいるようだった……」
「ドウヤラ記憶ガ同化シタヨウダナ。我モ思イ出シタトコロダ。マルデモナニモ、本当に在ッタ時代ダ。我モ剣術士モ、ソコデ共ニ生キテイタ」
やはり寂し気に、ファフニールは呟く。彼も落ち着くために、焚火の前でてらてらと、鮮やかな鱗に火の光を反射させ、身体を温めているようだった。
「神話が実在した? ……本当に、神様と竜がいたって言うのか? この西暦の世の中に……?」
にわかには信じられず、誠次は横目でファフニールを眺めて言う。確かに、竜の姿は現実味が溢れているものであるが、魔法の存在と言う事であれば納得がいく。
――いや、そもそも魔法とは……。
「カツテ、神族ト人間族トノ間デ、オ互イノ存在ヲ懸ケタ永イ戦争ガアッタ」
誠次がごくりと、血の味のする唾液を呑んだのを見たのか、ファフニールは語り出す。
「゛今ノ゛人ガ作ッタ歴史ヨリ更ニ以前ノ事。白亜紀ヤジュラ紀、古生代ヨリ更ニ昔ノ時代、我ラハ存在シ、゛魔法文明゛ヲ人ハ築イテイタ」
ファフニールの言葉に、誠次は戸惑っていた。
「聞いた事がない。そもそも人類は、アウストラロピテクスとかがいた新生代に生まれて初めてのはずだ……」
何もない地球に、やがて細胞が生まれ、微生物から脊椎動物へと。それが徐々に進化して恐竜などが生まれ、それが滅ぶ。そして廻った新たな生命が形作られたのが、原始人と呼ばれる人の誕生だ。
熱心に教師が教鞭を振るっていた、学校の社会と理科の授業を思い出し、誠次は呟く。
「インダス文明とか、文明なんてもっと先の話のはずで……。あの夢で人は話をして、服を着て、小麦を収穫していた。……魔法も、あった」
むしろそこらの時代の文明よりも、遥かに発展していた気がする。
「人ノ始マリハ、恐竜ノ時代ヨリモ前カラ発展シテイタノダ。ソコニハ魔法ガアリ、ソレヲ礎ニシタ文明モアッタ。同時ニ、神ト竜モ」
全身に鳥肌が立つのを感じ、誠次は明らかに動揺を隠せないでいた。
これが事実ならば、歴史は大きく覆る事になる。恐竜がいる時代より前に、人は存在し、しかも魔法文明と言うある程度の文明を築いていたと言う。性質の悪い空想論を聞かされているようだが、ファフニールは確証を持って言っているようだ。
「化石とか、その魔法文明とやらの発掘品とかが見つかっていないのは……?」
古来より科学者や学者たちは、それらを元に人の歴史を紐解いてきた。それらはくまなく当時を生きていた人と文明が分かる貴重な資料として人々に知れ渡れ、今日に至るまでの人の歴史の根拠を担ってくれていた。
恐る恐る誠次が問うと、ファフニールは寂し気に、爬虫類の持つそれに似た瞳を落とす。
「文字通リ、世界ガ跡形モナク消滅シタカラダ。人モ、物モ、跡形モナク」
「世界が、消滅した……?」
ひどく抽象的な言葉に、肺呼吸で痛む誠次の身体の脳までもが、痛くなってくるようだった。
「戦争ノ終ワリノ日、文明ソノモノガ跡形モナク消滅シタノダ。発展シテイタ魔法文明ハ、当時ヲ生キテイタ竜ヤ神。人ヤ魔法ゴト跡形モナク消エ失セタ」
「そんな……。大昔にこの地球には、魔法が存在していたってことなのか……?」
汗水を垂らして農作業をしていた人たちの姿。遠くに見えた彼らが住んでいたであろう街の影を思い出し、誠次は唖然とする。魔法文明と呼ばれたそれが人の歴史に残ることなく、跡形も消えている。人の記憶のページから抹消された彼らを思えば、虚しい気持ちも沸いていた。
「ダガ、確カニ我ラガ生キテイタ事ハ事実ダ。レ―ヴァテインノ所有者、剣術士モナ」
「そして、今はルーナの使い魔として生きているという事か?」
「左様。気ヅイタ時ニハ、姫ノ元ニイタ。何故生マレ変ワッタカハ分カラヌガ」
途方もない話を聞いたせいか、身体の痛みが不思議と和らいだ気がする。
このままここで寝ているわけにはいかない。誠次は必死に上半身を起こそうと、腕に力を込めながら、
「ルーナの事、信用しているん、だな……っ」
「使イ魔ガ主ヲ思ウノハ当然ノ事ダ。我ガ生マレ変ワッタコノ世デ生キレテイルノモ姫ノオ陰。奉公スルノハ当然デアロウ」
魔法文明が滅び、生まれ変わったこの西暦の魔法世界。いまだしっくりとは来なかった。
「俺は魔法が使えないから、そこら辺の感覚はよく分からないんだ」
「人間ノ身ニ成リ果テ、魔法モ習イ損ネタカ」
ファフニールはこちらを嘲笑うかのようにして言ってくる。まるで生まれたての小鹿の如く、必死に立たんとするこちらの身の不自由を笑う意味も込めて。
「そう言えば初めて会った時、俺の事をスルトと言ったな。知っているのか?」
「勿論ダ。ダガ、今ノ小僧トハホド遠イイ」
ファフニールは誠次をじっと見つめ、鼻をひくひくと鳴らしていた。
「――マルデオ主ハ、アヤツカラ凶暴サト暴力ヲ抜キ取リ、信義ト他者ヲ思ウ優シサヲ押シ込ンダヨウダナ」
「スルトはそんなに恐ろしい存在だったのか?」
「小僧ガ王道ヲ行クノデアレバ、アヤツハ覇道デアッタ。奴ハ戦争ノ勝利ノ為ニ、周リノ者ヲ利用スルヨウナ冷酷ナ男ダ。結果トシテハ、ソノヨウナ考エヲ抱クニ相応シイ、無敗ノ将軍トシテノ智勇モ兼ネ備エテイタ」
「そんな人がレヴァテインを使っていたのか……」
「圧倒的ナ力ヲ持チ、ドウデアレ人間族ノ王ト呼ブニ相応シイ存在デアッタ。愛用ノ武器ハレ―ヴァテインデアリ、一騎当千ノ力ヲモッテ、神ヲ次々ト討チ滅ボシテイタ」
ぱちん、と音を立てて、誠次の目の前で揺れる炎が弾けた。次々と打ち上がる火花は夜の空へと消えて行き、見えなくなった。
「ダカラ最期ハ己ノ力ニ溺レ、神々トノ戦イニ勝利シタ後、滅ンダヨウダナ」
「まさか、魔法文明が滅んだ原因って……?」
「我モ神々トノ戦イデ傷ツイテイタ。確証ハナイガナ……」
ファフニールは誠次をじっと見つめていた。その竜の複雑そうな表情の真意を読み取る事は出来ず、向こうもそうなのか、互いに沈黙してしまう。
自分の生きている世界とは、どこか遠いところの話しだったはずだ。
しかし半壊したレヴァテインを見つめていた誠次は、身に覚えのない恐怖を感じ、身体の震えを両腕で押さえ込んでいた。
「どうして、スルトは神に勝ったのに魔法世界を滅ぼしたんだ……?」
「ソレハオ主ノ方ガ分カルデアロウ。ア奴ニモットモ近シイ者ガ、オ主ナノダカラナ。ア奴ノ真ノ心ハ、我ニモ分ラヌヨ」
「……」
燃え盛る焚火の炎を見つめ、誠次は黒い瞳に映る光をゆらゆらと、揺蕩わせていた。
竜と過ごす奇妙な時間は続いた。そもそもここは何処なのか、電子タブレットの電波も入らずに、森の中、上半身を起こした誠次はファフニールがくべてくれた焚火に当たっていた。
「使い魔なのに、術者が遠くに離れて消滅しないのか?」
「我ハ竜デアリ特別ダ」
竜のイメージそのままに、ファフニールは強気であった。
「なんでもありだな……」
「……実ヲ言エバ、姫ハスグ傍ニイル。我ニハ分カル。ソシテ姫ハ、我ヲ召喚シタママニシテイル」
ぽつりぽつりと、雨が降って来た。焚火の炎が消えるのかもしれないかと心配したが、ファフニールが翼を広げ、焚火と誠次の上に傘を差すように向ける。
「ファフニール……。ありがとう」
「勘違イハスルナ。姫ヲ救ウ為、オ主ニハ万全ノ状態デナケレバ。姫ハ最後ニ迷イヲ見セ、オ主ハ生キタイト言ッタ。ダカラコソオ主ヲ救ッタノダ」
大きなファフニールの翼の下、誠次はレヴァテインを手に取り、それをじっと見つめる。
傷は癒えたとは言え、レヴァテインは破壊され、自分は力を失っている。そして、自分に力を与えてくれる少女たちもいなかった。先ほどは強がって言い切っていたが、現実問題それらは大きな痛手であった。
「通リ雨ダ。コノ雨ガヤミ次第、姫ノ救出ニ向カウゾ」
しかしルーナとクリシュティナ救出の為に、残された時間もない。
「どうせ俺に選択の余地はないんだろう?」
誠次は微笑み、瞳を瞑る。ファフニールの尻尾を枕代わりに、上半身を倒す。なんだか、懐かしい気分がする。
「寝ル前ニ今ノウチニ飯ヲ食エ、小僧」
「待て飯って……この丸焼きの肉か?」
焚火の横、地面の上に転がっている歪な形の肉の塊に、誠次は違う意味でごくりと唾を呑む。
「食ワヌト動ケヌゾ? 何度モ言ウガ、オ主ニ選択肢ハナイ」
「……わかった。何から何まですまないな、ファフニール」
「構ワヌ」
誠次の返事に、ファフニールは満足そうに瞳を閉じると、首を曲げながら降ろす。
「時ガ来タラ我ガ起コス。ソレマデ寝テイロ」
やがてファフニールが用意した焼き肉を食べた誠次が目を瞑り、こくりと寝息を立て始める。竜の尻尾を枕代わりにして寝るなど、おそらくこの世で初めての人物だろう。
「この世界に、レ―ヴァテインとそれを扱う俺が生まれた意味は……」
見上げれば満天の星空に、誠次はそっと手を伸ばす。生命の輝きとも言われる星がまた一つ、命を燃やし、鮮やかな軌道を描いて墜ちていく姿を、誠次はじっと見つめていた。
やがて、意識も落ちていく。
「小僧……」
幸せそうな表情をして眠る誠次の穏やかな寝顔を見つめ、ファフニールは呟く。
「……自ラノ命ト引キ換エニ、新タナ人ノ世ヲ創ルタメニ、カツテ在ッタ魔法世界ヲ消滅サセタソノ゛罪゛。ソウ易々ト消エルモノデハナイゾ――」
どこか寂しさを漂わせ、ファフニールは誠次を見つめ、瞳を閉じた。夜はまだ明けない。
※
戦闘の後ルーナは、残されたクリシュティナとベルナルトのいる場へと、ベルナルトの部下たちの車で運ばれた。ベルナルトが現在潜伏しているのは、西東京の山奥のとあるキャンプ場だった。どうやら、都内の潜伏先が警察にばれ、潰されたそうだ。
たき火をしている近くでは、低くはない滝があるようで、水の流れる音が聞こえて来る。
そして、ベルナルトの苛立ち声も。
「くそがっ! クソ野郎どもがッ! あの野郎ども! 調子に乗りやがって!」
「落ち着けよベルナルド」
傭兵仲間が声を掛けるが、ベルナルトは机の上の物を手当たり次第に投げ飛ばす。
「うるせえッ!」
軍師に相応しくはない感情任せの罵声だったが、ルーナの到着を知ると、かき上げていた髪を降ろす。
「……遅かったじゃないか、姫サマ」
負傷した様子のベルナルトには目もくれず、車から降りたルーナは、囚われの身のクリシュティナの元へ駆け寄る。
「クリシィ!」
ルーナのメイドであるクリシュティナは、腕を背中で結ばれ、背後に立つ男に拳銃を向けられ、今やベルナルトの命を聞く傀儡と成り果てていた。
「姫様……」
悲しみを帯びた表情で、クリシュティナはルーナを見上げる。
「無事か!? なにもされていないな!?」
「姫様こそ……」
目の前まで来たところで、ベルナルトの手下たちにルーナは押し戻され、肩を無理やり掴まれてベルナルトの方を向けさせられる。
ベルナルトはポケットに手を入れ、ルーナを見下していた。
「で、肝心の成果はどうだ?」
「……誠……剣術士は殺した……。もう彼が歯向かう事はないだろう……」
「おおよくやった。じゃあ次の任務だ」
ベルナルトはルーナの美しい銀色の髪を掴み、強引に顔を持ち上げる。彼も相当気が立っているのか、睨む眼光だけで人を殺めそうな勢いを感じさせた。
「な、なにをっ!?」
「剣術士の協力者たちを、皆殺しにしろ」
「ま、待て! これは国際魔法教会の命令とは関係ないだろう!?」
「ああそうだ。これは俺の単なる私利私欲にまみれた報復だ。そしてお前は、俺に付き合うしかない」
ベルナルトは横目でクリシュティナを眺めてから、そうだろう? とルーナに笑いかける。
「今度は剣術士の友だちを、私が殺すのか!?」
ルーナの脳裏に、クラスメイトたちの顔が次々と浮かんでくる。特にこちらに魔法式を向けてきたクラスメイトだった女子たちの顔は、今でもひどく心に残っていた。
「分かってんじゃん。どちらにせよ俺の命令に従わなければ、メイドは俺が殺す」
そう言いながらベルナルトは、持ち上げたルーナの髪を無理やり突き放す。
ルーナは悲鳴を上げ、後ろからはクリシュティナが叫ぶ声も聞こえるが、状況は好転しない。
「クリシュティナを……もう解放してくれ……。私一人で、十分なはずだ……。……頼む」
恥を忍んで、ルーナはベルナルトに懇願する。
「姫サマ、嗚呼姫サマ。自国の民を思う慈愛の心はお涙を誘うねぇ」
芝居臭く頭に手を添えるベルナルトは、ルーナを嘲笑い、乾いた拍手を送り込んでいた。
「――だったら何度も言わせんな!」
ベルナルトが合図を送れば、クリシュティナの前に回り込んだ男が、汚れたクリシュティナのあご先に旧式の拳銃を向ける。
「止めろっ!」
動向に気付いたルーナが咄嗟に身構えるが、それ以上は何も出来なかった。
「じゃあどうするか! 分かってるだろうが姫さんよ!?」
ベルナルトがルーナの手を掴み、問いかける。
刺繡まみれの手を汚らわしいものを見る目でじっと睨みつけた後、ルーナは力なく頷いていた。
「……分かった。次は、皆殺す……」
「いい娘だ」
ベルナルトはルーナの頬に手を添え、満足そうに言っていた。
クリシュティナは手錠を嵌められ、テント近くに設置された鉄格子へと入れられる。それこそ、猛獣が入れられそうな檻であった。
「クリシィ……」
グングニールを携えたルーナが近づき、檻にそっと手を添え、クリシュティナに声を掛ける。
クリシュティナは力なくであるが、ルーナの身の無事を喜んでいた。
コバルトブルーの瞳の視線を落とし、ルーナは鉄格子をぎゅっと握り締めていた。
「安心してくれ。絶対にクリシィは自由にさせてやる!」
「それは……つまり……クラスメイトたちを……」
「……ああ」
ルーナが勇んで頷くが、クリシュティナは嘆くだけであった。
「姫様……私は、もう良いです……」
「良いって……? どういう、つもりだ……?」
「ラスヴィエイト王家に仕える身分ですから……覚悟は、出来ています……。ですから姫様が望まないのであれば、私の事は構わずに、姫様だけでもどうか、逃げて……――」
「ふ、ふざけるなっ!」
ここまで来ておいて、とルーナはグングニールを地面に落とし、両手で鉄格子を握り締め、顔を押し付けていた。鋼鉄の嫌な臭いも気に留めず、虚ろな表情をしているクリシュティナへ向け叫ぶ。
「クリシィの事は絶対に見捨てない! あの日に約束したじゃないか! 私は君だけは絶対に守るとっ!」
「これは罰なんです。私がいけないんです……。あの日から姫様にずっと守ってもらって、それなのに、私は姫様を利用して自分の事を……」
ルーナは身体を奮わせながら、クリシュティナに必死に呼び掛ける。
「私の事を、ヴィザリウス魔法学園で過ごしていた時のように、ルーナと呼んでくれ! クリシィ……っ!」
――そうすれば、あの日のあの時に、戻れるかもしれない。そんな夢想にすがり果て、ルーナは涙声を出していた。
「姫、様……。姫様と、クラスメイトが戦うなんて、あっては、なりません……」
クリシュティナはルーナを見つめるが、やがて力を失ったかのように俯いていく。
その晩、ルーナはクリシュティナの傍を離れることはなかった。
※
イエスが生まれるより遥か億年前。
その時代にはすでに人はおり、誰もが扱える魔法により、文明も進んでいた。会話のみならず政治や宗教、物の売買。そして、空を見上げればそこには、いつだって竜が飛んでいた――。
「――将軍! スルト将軍はおらぬか!?」
二階まで通った高い天井と、彫刻があしらわれているシャンデリアが佇む謁見の前で、男の声がする。
銀の甲冑を着た兵士が、古き王城の中を小走りで駆ける。
「騒がしい。どうしたの?」
「ヴェルザンディ様!」
王城で暮らす、人間族の仇敵であるはず女神の一人、ヴェルザンディが私室から顔を出してくる。燃えるような赤い髪を後ろで一つで束ねており、眉目麗しい女性であった。
「スルト将軍を探しているのです! お所、分かりませぬか?」
「あの馬鹿者はまた行き先も告げずに行ったのかしら……」
まったく、とヴェルザンディは豊満な胸の前で腕を組む。
男性兵士が難儀していると、後ろの方で、新たな扉が開く。
「ミズガルズの見回りに行くと仰っていましたよ」
「おおそうでしたか。スクルド様」
眩いほどの金色の髪を湛えた女神、スクルドがゆったりとしたロープを身に纏い、にこりとした笑顔で答えていた。
「なんでスクルドが知っているのよ?」
ヴェルザンディが不服の感情を浮かべて問えば、スクルドは頬に手を添えていた。
「昨日の湯浴みの際に、仰っていましたから。……まあ」
「風雲急を告げる内容なのですが……」
スクルドの湯浴み姿を想像したのか、少しだけ顔を赤くした男性兵士は、王城に住まう二人の女神の前で途方に暮れる。
「――私がスルトに伝えに行きましょうか?」
赤い絨毯が敷かれている階段を降りて来たのは、ウルズと呼ばれる三人目の女神だった。黒く艶のある髪の持ち主で、恰好も他二人の女神と比べてひらひらとした素材の、和服のようなものを着ている。
「お花細工の途中だったのですが、スルトの身に何か?」
王城の外で摘んだのか、桃色の花を手に持っていたウルズは、男性兵士に問う。
「いえ、神の軍勢が国境まで迫って来ているのです。かなりの大群です。我々の魔法障壁で持ちこたえていますが、やはりお力が必要です……」
人間である男性兵士は頭を下げ、神々に頼み込む。
神と人との戦いは、各所で神の優勢が続いていた。先日の戦いでもまた一人、こちらの将が討たれていた。そんな中で人間族側につく女神の存在も、彼女らのようにあった。――ただ愛する者を、守る為に。
「スルトはまたシンモラと? 最近シンモラばかりではなくて?」
「妬いているのですか、ヴェルザンディちゃん?」
「ち、違うわよ!」
「今日はセレーネ―と一緒のようです。それに私たち九人は、スルトに必要とされた時にその力を与える重要な役割を担っています。仲違いはしないでくださいね」
穏やかに微笑むウルズの言葉に、ヴェルザンディもスクルドも頷いた。
「この戦が終わる事を祈っているのですけれど、神は諦めてはくれないようですね……。お互いに分かり合い、友のように共存できる道は夢物語なのでしょうか……?」
ウルズは花を胸に添え、悲し気に言っていた。
かつてあったと言う魔法世界が消滅する、数日前の出来事だった。




