5
負傷した二人を助ける為、駆け付けた三人の男子はベルナルトと対峙する。
先陣を切ったのは、夕島の発動した攻撃魔法だった。
「《エクス》!」
「おいおい。これじゃあまるで、俺が魔法学園の教師の気分だ」
上半身を逸らすだけで、夕島の攻撃をベルナルトは躱す。
「《フォトンアロー》!」
「《エクス》!」
小野寺と帳もそれぞれ右手を伸ばし、攻撃魔法を放つが、
「お遊戯かよ」
ベルナルトは大して苦も無さげに、二発の魔法を躱してみせ、木の裏へと身を潜める。
「なんか勘違いしてるみたいだけどさ。根本的なところで間違ってんだよ、お前らは」
「!? どこへ!?」
木の裏へ回り込もうと、接近した夕島の視界からベルナルトは消え、その直後夕島の背後で木の葉が踏まれる音がする。
「エレーナが俺の作戦を無視したから、俺は知らないぜって言ったんだぜ?」
「ぐわっ!?」
夕島を助けようと、走って駆け付けた帳の腕を掴み、地面に引きずるように巨体を押し倒す。
振り向いた夕島には、速攻の攻撃魔法を放ち、彼を木の幹へと背中から激突させた。
「にも関わらず今更になって復讐しに来たとか、笑える話だっての」
「そんなっ!?」
瞬く間に二人を打ちのめしたベルナルトに向け、攻撃魔法を展開した小野寺であったが、ベルナルトは妨害魔法を発動してそれを打ち消す。
「関係あるか! 俺たちは友だちが怪我させられてんのを助けたいだけだ!」
帳が起き上がり、至近距離でベルナルトに攻撃魔法の魔法式を向ける。
白い魔法の光を浴びるベルナルトは、帳の言葉を鼻で笑う。
「距離がなってないな」
帳の発動した魔法式の円の中に、ベルナルトは腕を突っ込み、帳の右手を捻り上げ、迷うことなく腕をへし折る。
「がああっ!?」
骨が筋肉の中でめりと音を立てて裂け、右手を抑えて悶絶する帳は地面に膝をつく。
「帳!? よくも!」
背中の激痛を押し殺し、夕島が立ち上がりながら攻撃魔法の魔法式を展開するが、
「大人しくしてなって」
ベルナルトは素早く雷属性の魔法を発動。《ライトニング》。白い閃光が魔法式から伸び、右手を掲げる夕島の身体に到達し、夕島は全身を刃物で切り刻まれたかのような痛みを味わうことになる。
「貴方たちがどう言った関係であろうと、自分たちは仲間を見捨てるような真似はしません!」
志藤とエレーナに治癒魔法を浴びせていた小野寺が、ベルナルトを睨んで叫ぶ。
「仲間、ねえ。俺たちは傭兵だし、いつ背中に破壊魔法の魔法式突きつけられてもおかしくない関係なんだ。アンタら平和の国の使者とはわけが違うんだが」
「分からねぇんだったら大人しく国に帰ってろッ! ここは日本だ!」
左手を振り回し、叫ぶ帳がベルナルトへ肉弾戦を挑む。
「これは驚いた。アドレナリンってやつか?」
強く振るわれる左手とは対照的に、ふらふらと揺れる帳の右手を眺めながら、ベルナルトは帳の攻撃をステップでひょいと躱す。
「剣術士を殺したら、帰ってやるよ」
「狙いは天瀬さんですか!」
帳の攻撃から逃れた先に待っていたのは、攻撃魔法を発動している小野寺だ。
背後へちらと視線を送ってそれを確認したベルナルトは、小野寺へ向け破壊魔法の魔法式を展開、発動する。
「っ!? 発動が早い!?」
「傭兵舐めんな」
言いながら、相変わらず打撃攻撃を行ってくる帳の左手を難なく掴み上げ、ベルナルトは帳の顎に膝蹴りを喰らわす。
一方、放たれた破壊魔法の魔法は真っ直ぐ、小野寺の方へと向かっていた。
「――魔法生舐めんなッ!」
その凶弾から小野寺を救ったのは、立ち上がった志藤の防御魔法だった。全身からだらだらと血を流し、肩を上下に動かす呼吸をしながらも、志藤は立ち上がっていた。
「嘘だろ……。即死級の雷撃だったはずだが」
ベルナルトは少々驚愕した面持ちで、志藤を見る。
志藤は腕で鼻から流れる血を拭うと、ぎらついた眼光でベルナルトを睨む。
「悪い皆……助かった……」
「気にするな……。俺も友だちを怪我させられて、ムカついてるんだ……」
よろよろと立ち上がったのは、夕島もだった。
志藤は一歩前へ進み、
「正直言ってアンタの魔法構築のスピードは、うちのクラスのエースの女の子よりかは遅い」
「それってもしかして俺、馬鹿にされてるってことでいいのか?」
「んなつもりはねーよ……。十分化け物みたいだしな」
「やっぱ馬鹿にされてんじゃん」
ベルナルトはブーツのつま先をこつんと、地面で小突く。
志藤は口に溜まった赤い唾を吐き、威嚇するようにベルナルトを睨み続ける。
「小野寺はベルナルトの背後を取り続けてくれ! 背中に目がついてない限り、奴の動きを封じ込められるはずだ!」
「分かりました!」
「けん制頼むぞ、夕島!」
「ああ。同士討ちしないように、注意しないとな」
小野寺と夕島が同時に魔法式を発動し、ベルナルトを挟み込むような動きを見せる。
「やけに落ち着いてるじゃねーか」
「仲間落ち着かせるために的確な指示を出すのも、軍師の仕事だろ。アンタはしなかったのかよ」
流血が続く身体を抑え込みながら言う志藤に
「なるほど。こりゃあ色々な意味で一杯食わされてるな」
目を瞑って苦笑していたベルナルトは、一瞬で顔を持ち上げ、志藤を睨む。
「……調子になるな餓鬼が。自分の為ならば仲間は道具だ。俺はそうやってこの腐った世の中を生き延びて来た。これまでも、これからも」
ベルナルトは素早く風属性の魔法を展開、発動。自身の足場周りの木の葉が一斉に空中に浮かび上がり、隠れ蓑のように姿を惑わせる。
「やみくもに撃つな! ギリギリまで耐えろ!」
「わ、分かってます!」
「……俺は落ち着いてるさ。いつだって」
浮かび上がり、空中で静止しているようにも見える木の葉へ向け、志藤が風属性の魔法を展開、発動する。
「帳! 今助けるからな!」
「小野寺の後ろだ!」
木の葉の中で膝をついていた帳からの返事は、それだった。
志藤の魔法によって吹き飛ばされた木の葉の先では、ベルナルトが小野寺の背後に回っていく瞬間の光景があった。
「伏せろ! 《フォトンアロー》!」
夕島の叫び声が、小野寺を地面に倒れさせる。直後、小野寺の頭上を魔法の矢が飛んで行き、ベルナルトの眼前まで接近する。
「危ねえ。が、まずは一人!」
魔法の矢を躱したベルナルトは、にやりと笑いながら、倒れた小野寺の背に向け破壊魔法の魔法式を展開する。
「自分を、甘く見るな!」
倒れた小野寺はあらかじめ発動していた攻撃魔法の魔法式を、地面の上を前転しながら完成させ、ベルナルトへ向け放つ。
放たれた《フォトンアロー》は、ベルナルトの右肩を掠めていた。
「ちょこまかと鬱陶しい……」
右手に走る痛みに顔を歪ませながら、ベルナルトは後退する。
その隙を見逃さないのが、夕島だった。
「そこだ! 《エクス》!」
ベルナルトが着地する地点へ向け、夕島が攻撃魔法を放つ。
足元に見事命中した攻撃魔法の衝撃波は、ベルナルトの態勢を大いに崩した。
「《シュラーク》!」
ドイツ製の槍を放ったのは、左手でゆっくりと魔法文字を打ち込んでいた、帳だった。
螺旋の槍が、よろめくベルナルトの腹部に見事命中する。
「夕島に帳も、三人ともやるな! すっげー魔法だな!」
「ハッハッハ! 前に桃華ちゃんが使ってたの、見ててな!」
ベルナルトの身体を貫いた槍は、木々の間を駆け抜けていく。
ベルナルトは激しく痛む腹部を抑えながら、一歩二歩と下がる。
「こんな餓鬼どものお遊戯魔法に、俺が押されるのかよ……」
「お前ら……本当に実戦経験ないのか……?」
自力で立ち上がったエレーナもまた、木の幹にもたれ掛かりながら、魔法戦に驚異的な順応力を見せている四人の男子に目を見張る。
「じゃあ、そろそろ締めるぞ!」
「悪い、俺もう魔素切れだ……。《シュラーク》って、結構魔素持ってかれるんだな……」
「自分も、想像以上に治癒魔法で持っていかれました……」
「俺もだ。全身が痛い……」
「いまいち締まらねーな……」
゛ガス欠゛を訴える三人に、志藤は後ろ髪をかいて苦笑する。
「構築技術や消耗戦の考えなさには、少々粗が目立つが……少なくとも普通ではないな……」
木にもたれ掛かるエレーナは、分析するように言う。
一方では四人の男子の正面方向。ベルナルトは腹部から腕を離し、忌々しく語気を荒げていた。
「調子になるな餓鬼どもが! ただの偶然が重なっただけだ!」
「油断したのは俺たちも、アンタもだろ! さっさとルーナちゃんとクリシュティナちゃんを返しやがれ!」
「ふざけんな! 誰がお前らの指図を受けるかってんだ!」
明らかに焦っているベルナルトは、破壊魔法の魔法式を展開する。
「無駄だ!」
それはエレーナが妨害魔法で解除する。
今の一連の動きにより、エレーナの無事を、志藤は確認していた。
「エレーナ! 無事だったのか!?」
「私はいい! 奴を仕留めろ!」
「ああ言われなくても、分かってるッスよ!」
志藤は右手をベルナルトへ向け伸ばす。そこから生み出される攻撃魔法の魔法式は、遅くとも確実に、完成へと向かう。
「ベルナルト! 今の俺じゃ確かにアンタには勝てない。けどな、俺には仲間がいる!」
「しゃら臭ぇ! 三下が良い気になるな!」
ベルナルトが破壊魔法を志藤へと向ける。
志藤が攻撃魔法をベルナルトへと向ける。
両者の手元の魔法式の魔法の光が、より一層の光を増した所で、木々が騒めいた。
「志藤!?」
帳の叫び声が、志藤をハッとさせる。
茂みの中から飛び出した、白い毛並みのトラが、ベルナルトと志藤たちの間に割って入ったのだ。
「ガルルルッ!」
「あ、あなたは……クリシュティナさんの使い魔!」
夕島へ治癒魔法を浴びせる小野寺が、威嚇するトラの姿を見て叫ぶ。
「……はは。お迎えが来たみたいだ」
「待て! 俺たちは、お前のご主人を助けようとしてっ!」
志藤が叫ぶが、トラは志藤たちを一瞥すると、ベルナルトの方へと歩み寄る。
ベルナルトはすぐにトラに跨り、志藤たちを見下していた。
「悪いな。だが、俺を追い詰めたのは褒めてやるよ」
「待てよ!」
帳が追おうとするが、それを冷めたのは腕を伸ばしたエレーナだった。
「すっかり保母さん気分だな? エレーナ」
「私はもう仲間を失いたくないからな。失う痛みを知っている以上、こうする他ない」
血に濡れた顔のまま、エレーナはベルナルトへ告げる。
「まさかここまで遊びに付き合うとは思いもしなかったが、楽しめたぜ。あばよ」
ベルナルトは終始余裕そうな笑みを絶やさぬまま、トラに乗り、木々の果てへと消えて行く。
「逃がした……けど……」
志藤が膝から崩れ落ちたのを皮切りに、三人のクラスメイトたちも次々と脱力し、その場に崩れ落ちていく。
「ヤバかった……。右腕が痛いし、マジで死ぬかと、思った……」
「ですね……。逃げてくれて、助かったと思ってしまっています……」
「これが、実戦なんだな……。正直、甘く見ていた……」
三人ともに消耗し、これ以上はまともに戦えも動けもしない状況であった。
「その点じゃ、クリシュティナちゃんに助けられたのか……」
地面の上に大の字となっている志藤は、今更になって夕日が西の果てへと沈んでいく光景に、気が付いた。
「タイムリミットか。゛捕食者゛が、出るぞ」
「天瀬はまだ、戦っているのか……?」
「この状況で行っても、悔しいけど助けられねーぞ……痛っ」
帳に至っては、夕島と小野寺に支えられて身体を起こすのがやっとであった。
「エレーナ……」
志藤もまた、悲鳴を上げる身体の上半身を起こし、立ち尽くしていたエレーナに声を掛ける。
「すまなかった……」
夕日を浴びるエレーナは、志藤たちへ向け謝罪する。
「なんでアンタが謝るんだよ……」
「ベルナルトも逃がし、オルティギュアの姫とメイドも救えなかった……」
エレーナは悔しそうに、握りこぶしを作っていた。
「天瀬には連絡送って、俺たちは一旦帰ろう。まずは怪我治して、可能だったら助けに行くんだ――」
志藤の言葉に重なり、トラではない何か獰猛な野獣の鳴き声が、空の彼方から響いた。全身が粟立つような異様な気迫に、志藤もエレーナも三人の男子も、それぞれを顔を見合わせる。
「今のは一体……!?」
黒に染まりつつある天に、何か巨大な影が昇っていくのが見えた。今の志藤たちではその影を追う事は叶わず、地上から呆然と見上げているだけであった。
神社境内の神社の前では今もまだ、誠次と香月とルーナによる戦闘が続いていた。
防戦一方なのは、誠次と香月の方だ。上空を自由に飛び回るようなルーナの動きに、二人は翻弄されていた。
「エンチャントする隙もないなんて……!」
無慈悲なルーナの降下攻撃に曝され、誠次は地上で逃げ回る。
「どうして私たちが戦い合わなくちゃ……」
香月も、素早く動き回るルーナへの攻撃魔法を戸惑い、汎用魔法で相手をしている。
「ルーナやめてくれ! 一緒に他の方法を探すって約束したじゃないか!?」
何発のも攻撃をレヴァテインで受け止める度、レヴァテインからは火花が発生し、まるで痛みから悲鳴を上げているようであった。
「クリシィさえいれば、もう私にはどうでもいいんだ。他のものはいらない!」
上空から舞い降りるルーナは、誠次の目の前でグングニールを振りかざす。
またしても攻撃を受け止め、誠次は地面を靴で引きずって後退する。
「何があったんだ……話してくれ。でないと、俺も香月も……みんなも……」
「天瀬くん!」
未だ迷う誠次の目の前に、魔法の光が浮かび上がる。それがルーナの発動したものか、香月の発動したものかと言う区別もつかぬまま、誠次は発生した激しい風に身体を吹き飛ばされていた。
「クリシィを守る為には、誠次。貴様を殺すしかないんだ!」
「国際魔法教会は天瀬くんを連れて行くつもりだったのに、今度は殺害が命令なの? 貴女が信じているものは仲間を平気で裏切るような傭兵の言葉なの? 私たちを信じて頂戴」
香月が誠次とルーナの間に割り入り、ルーナに向けて攻撃魔法の魔法式を展開する。
香月の言葉に一瞬だけ正気を取り戻したかのような表情をしたルーナであったが、すぐに首を横に振る。
「煩い! 私は、最初からこのつもりだったんだ!」
「――天瀬!」
苦戦する二人の元へ駆けつけたのは、桜庭と篠上と千尋の三人だった。
「みんな!」
傷だらけの誠次と香月を見た三人とも、立ち尽くすルーナを、信じられないような目で見つめる。
「ルーナ!? これは一体……」
篠上は香月の横に立ち、同じく攻撃魔法の魔法式をルーナへと向けていた。
「すまない……。君たちを巻き込んでしまって。だが私の目的は誠次一人だ。邪魔はしないでくれ」
軽い謝罪の後、ルーナがグングニールを誠次に向ける。
「天瀬を狙うんだったら、あたしたちが守る!」
「詩音ちゃんさんもお怪我を……どうしてですか!?」
桜庭と千尋も防御魔法の魔法式を展開し、ルーナへ向け叫ぶ。
「……綾奈、莉緒、千尋。お前らも邪魔をするのなら、私は容赦はしない!」
ルーナは頭上でグングニールを回転させ、再び空高く飛翔する。
立ち上がった誠次は、まず篠上の元へと駆け寄った。
「ルーナを追って止める。レヴァテインにエンチャントしてくれ!」
「うん。気を付けて……」
直後、飛来したルーナの攻撃は、香月と千尋と桜庭の防御魔法が防いでいた。ルーナの一撃は余りに強力で、眩いスパークが発生し、三人の女子を苦悶の表情にする。そして、ドーム型に広がった防御魔法の光の膜の下で、篠上が誠次のレヴァテインにエンチャントを施した時、より一層のスパークが発生していた。
「狙いは俺のはずだルーナ! 四人には手を出すな!」
「私に空中戦を挑むか!」
「空中戦がお前だけの専売特許だとは思うな!」
赤く光り、力を得たレヴァテインをその場で振り払い、誠次も空へ向け跳ぶ。自分の足場に魔法の足場が浮かび、誠次はそれを踏み台に、跳躍するルーナの元へと追いつく。
「私の力を見せてやる!」
誠次とルーナが空中で斬り合う。
グングニールの突き攻撃を躱し、レヴァテインの袈裟斬りをルーナはひらりとかわす。誠次の肩を踏んで再び上昇したルーナを、誠次は篠上のエンチャントを使って追う。
「沈めっ!」
空中で宙返りをしたルーナが、グングニールと共に急速落下し、誠次目掛けて振りかかってくる。
慣れない空中で、誠次はレヴァテインでグングニールを受け止めた。
「ぐっ、うおぉぉぉぉッ!」
凄まじいGの影響下で、誠次とルーナは急降下を開始する。
墜ち、火花を散らしながらも、誠次はルーナとグングニールを押し退け、空中で宙返りをし、篠上のエンチャントの上に着地する。
上空から接近したルーナが振るうグングニールと三回ほど鍔迫り合い、今度はルーナの上まで飛び上がる。
「上をとったぞ!」
「甘い!」
それを見たルーナがグングニールを持ち上げ、落下しながらも投げ槍の要領で投げ飛ばしてくる。Gの影響をものともせず、グングニールは正確な照準で、誠次目掛けて突き進んで来る。
「せあ!」
掛け声を上げ、レヴァテインを使ってグングニールを弾き返し、今度はこちらからルーナ目掛けて落下する。
弾き飛ばされたグングニールを、ルーナは空中で姿勢を制御してキャッチ。直後の誠次の強襲を、グングニールで受け止めていた。
得物の接触点で火花を散らしながら、再び二人はもつれ合うように急速で落下する。
「たああああああっ!」
「このっ!」
ルーナは誠次を足蹴にし、空中でダンスでも踊るかのように軽やかに舞う。
立て直した誠次が何度かレヴァテインを振り回すが、ルーナにはすべて回避されてしまう。
まだ篠上のエンチャントは残されている。しかし、これが切れれば今度こそ勝ち目はないだろう。
気づけば、バク転したルーナがグングニールを振りかざし、誠次目掛けて投擲する。神速の域へと昇り詰めているグングニールの一撃は、雲を貫く一撃となり、誠次へ迫り来る。
「このぉッ!」
水平線の彼方。山々の間から刺す橙色の陽の光を反射させ、レヴァテインを兜割りをするかのように叩き付け、グングニールを切り払う。そして、誠次は再びルーナ目掛けて接近した。
「私に追いつけているだと!?」
自分だけの天を穢されたかの如く、ルーナは驚き叫ぶ。
「俺を諦めたくないと言ったなルーナ! だから俺もルーナを諦めない!」
「っ!? 黙れーっ!」
すぐにグングニールをキャッチしたルーナは忌々しそうに口を曲げ、誠次目掛けて突撃する。互いに押し合い、遂には両者、地面に着地していた。
ルーナは屋台を踏みつけ、石畳の地面の上へ。誠次はそのまま砂利の上に落ち、駆け付けた桜庭と千尋に支えられながら立ち上がる。
「天瀬!」
「誠次くん!」
「まだだ……!」
痛みを堪えて立ち上がる誠次の赤い視線の先では、ルーナが俯いていた。
「もう、私に構うなーっ!」
叫び声を上げ、ルーナは空中へ向け超巨大な魔法式を展開する。ルーナの声が震えていた事に気づいたが、同時に大気の振動を感じ、肌が粟立つ。
「何をする気だ!?」
「もう止めて下さい!」
千尋が妨害魔法を掛けようとするが、ルーナの作り出した眷属魔法の魔法式を破壊するには至らず。
「――飛翔せよ! ファフニール!」
身体を吹き飛ばされるかのような凄まじい爆風と共に、魔法式がその光を増す。回転していた魔法文字が叫ぶルーナにより魔法式に打ち込まれたその時、光は最大限の輝きとなり、誠次たちの視界を襲う。
閃光の果て、霞む視界の先で、黒に染まりつつある大空に羽ばたくのは、巨大な竜であった。大気を切り裂く勢いで飛んだ竜は、巨大な翼を広げ、空中でその肢体を見せつけるように佇む。
後方へいる竜へ向け、ルーナは迷いなく跳んだ。
「――我ノ力ヲ求メルカ、姫」
「……ファフニール。出来れば、゛こんな事゛にお前を使いたくはなかった……」
飛翔したファフニールの背に跨り、姫騎士から竜騎士となった少女は大地を睨む。
「ルーナ……! その、竜は……!」
誠次はその姿を見た途端、息を呑んでいた。
かつて自分を救ってくれた竜は、ルーナの僕となり、大空を優雅に旋回しているのだ。
「小僧。オ主ニ勝チ目ハナイ。大人シク姫ノ槍ニ討タレヨ。コレ以上姫ヲ惑ワセルナ」
ファフニールは誠次を睨み、テレパシーでそう訴えて来る。背後の女子たちには、やはりファフニールの声は聞こえないようだ。
「断る! 絶対にルーナは連れ戻す! それに、こんな所で大人しく死ぬつもりはない!」
「我ノ恩ヲ忘レタカ……愚カナ!」
「だからこそだ! クラスメイトと友だちと戦うなんて……ルーナがこんな事を本当に望んでいるはずがないだろ!」
「黙レ! 姫ヲコレ以上惑ワスノハ我ガ許サヌ!」
激昂するファフニールは上空で吠える。
「惑わしているのはそっちだ! 俺は諦めるものか!」
強大な魔力を感じさせるファフニールに歯向かう誠次はレヴァテインを掲げ、篠上のエンチャントを使って空へ上昇する。
「頼む……。もう全てを焼き尽くしてくれ……ファフニール。思い出も、なにもかも……」
迫る誠次を拒絶するかのように、首を真横に振りながらルーナは、ファフニールに声をかける。
「姫……」
ファフニールは沈痛な面持ちで背に跨るルーナをじっと見つめるが、やがて小さく炎を吐いた。
「姫ガ望ムノナラバ、応エヨウ」
誠次がファフニールの目の前まで到達し、レヴァテインを構える。
「失セロ!」
ファフニールが口から滾らせた炎を放ち、誠次を焼こうとする。
誠次は勢いをつけて空を蹴り、ファフニールの火炎を躱していた。
「このっ!」
誠次はファフニールの頭上を取り、レヴァテインを振るう。
ファフニールは長く鋭い尻尾を曲げ、誠次のレヴァテインの一撃を受け止めていた。渾身の一撃は、余りに軽い動作で受け止められ、更に、
「弱イ! 小僧、レ―ヴァテインノ力ヲ引キ出セテハオラヌナ!」
「知ったような事を……っ! ぐあっ!?」
まるでごみ箱にごみを放り投げるかのように、誠次は弾き飛ばされていく。
「モハヤ……我ノ知ル剣術士デハナイナ」
どこか寂し気に、ファフニールは一方的に言い切ると、空中に投げ出された誠次へ向け、火炎を放射する。
「っ!? 防ぎきれ! レヴァテイン!」
真っ向から炎と向き合い、誠次は真っ二つに両断しようと構える。灼熱の炎をレヴァテインは叩ききるが、ファフニールの背に乗っているはずのルーナがいないことに、今更ながら気づいた。
「上!?」
ファフニールの炎に囚われる誠次の真上より、ルーナがグングニールを振りかざし、急降下してくる。
「っ!」
「なっ!?」
誠次がレヴァテインを持ち上げようとするが、ファフニールの炎が一切の行動を妨げる。
ルーナの姿が視界いっぱいに広がったかと思えば、レヴァテインの刀身を、ルーナのグングニールが一閃していた。
「っ!?」
今までに聞いたことのないような嫌な金属音がし、ファフニールの炎の中、誠次はレヴァテインを確認する。
「馬鹿な……!?」
――そして、誠次は思わず赤い目を大きく見開く。レヴァテインのぶ厚い刀身に、亀裂が走っているではないか。赤く光る水晶のような刀身に刻まれたひび。木の枝のように広がったその部分からは、目に見える濃度の赤い魔素が、まるで水中の気泡のように、大量に噴き出していた。
「止めだ……!」
驚愕する表情のまま、落下する誠次の腹を踏み台にし、再び高く跳躍したルーナは、グングニールを大地に向け、自身も回転しながら急速降下を行う。
「……」
ファフニールは空を羽ばたきながら、竜騎士が彗星のように落ちる姿を見守っていた。
「ルーナ……止せ……っ」
光を失い、落下する誠次は、背を押し上げるような風圧を浴びながらも、ひび割れたレヴァテインを持ち上げる。
「君が、悪いんだ……っ。放っておけと、言ったのに……っ!」
「そんな事、出来るわけが、ない―――」
だから頼むレヴァテイン……! まだ負けられない、だから――!
「うあああああああっ!」
レヴァテインの応えは、なかった。
大きく口を開け、僅かな迷いさえをも断ち切る金切り声は、落下する誠次の鼓膜を大きく震わす。螺旋の回転をしながら降下して来たルーナの一撃は、身を守ろうと誠次が構えたレヴァテインを深く穿った。
「がはぁっ!?」
グングニールの衝撃を受け止めきれず、体内で肋骨が音を立てて砕け散ったようだ。暗黒が広がり、遠くなる視界の先で、天に舞う銀色の破片と、こちらを見下すルーナとファフニールの姿が見える。
落下地点であった屋台の屋根が衝撃を吸収したものの、誠次は身体を強烈に打ち付け、砂利の上に墜落する。握っていたレヴァテインは腕を離れ、うつ伏せで倒れた誠次の視界の先へ転がっていく。
いや、正確にはまだ柄は握っていた。余りに軽くなったので、そう錯覚していただけだ。つまりは。
(レヴァ、テイン……?)
――ない。柄から残された刀身は明らかに短く、先の方が歪な横線を描いて切り取ったかのように無くなっていた。
「あっ……があああああっ……!?」
まるで身体の一部が損壊したかのような錯覚を味わい、そもそも胸の骨は折れ、痛む肺呼吸が誠次の全てを抉った。
そして、全身を駆け巡る痛みが、誠次の気を遠くさせた。
「ハア、ハアッ!」
荒い呼吸音を出しながら、ルーナが倒れた誠次の真横に着地する。
「私の、勝ちだ……!」
やや遅れて、ファフニールも地面の上に着地する。
「ドウスル気ダ、姫?」
「……っ!」
ルーナはグングニールを逆手に持ち、誠次の首へ先端をあてがう。
「そう、か……。ルーナが助けて、くれたの、か……」
ルーナの足により、仰向けに転がされた誠次は、ルーナとファフニールを交互に見つめる。
「この期に及んで、何を言っている……!」
「メーデイアで、その竜が、俺を助けてくれた……」
ぜえと息をつき、口からも血を流す誠次は微笑んでいた。
「? ファフ、ニール?」
ルーナがファフニールに確認をすると、ファフニールは静かに頷く。
「何故そんな事を……」
「コノ男ガ死ネバ、姫ガ悲シムト思ッタカラダ」
ルーナは俯き、首を横に振る。
「悲しいわけが……!」
「あの時に殺されかけた俺を助けてくれた、これは、お礼になるのか……。ルーナを……助けたかった……。救って、やりたかった……」
上手く呼吸が出来ない。虫の息となりつつある誠次は、血まみれの顔と、虚ろな目で大空を見つめて言う。黒く染まりつつある空は、とても遠く感じられた。
寝ているからだろうか。それでも、手を伸ばせば届きそうだと思う事もあり、不思議だ――。
「……っ」
ルーナは目を瞬かせて、誠次を見つめる。
その後ろで佇んでいたファフニールが、まるで匂いを嗅ぐように、誠次の頭部を近づけ、鼻をくんくんと鳴らす。
「コノ小僧ハモウ間モナク息絶エル。良イノカ?」
「せめて、ルーナ……。幸せに、なって……」
この場で立ち上がっても、もう今までのレヴァテインはない。その事実が、誠次の全ての気力を、意思を砕いていた。今までも生死の危機を感じたことはあったが、今回ばかりは、レヴァテインを失った事実が重なっていた。いつだって窮地を共に乗り越えた相棒も、死んでしまったのだ。
だから死ぬときは、おれももう終わりだ。なんて、呆気の無いものなのか。今はただ、自分を討ち取った少女に、その報酬とやらを、きちんと受け取って欲しかった。これくらいの我が儘なら、許してくれるだろう……?
レヴァテインにでも、誰にでもなく思った誠次は、虚ろな黒い眼でルーナを見つめる。
結果として傷一つついていない綺麗なルーナの姿を見れば、これで良かったのかとも思えてしまう。
――いや、何を性急な猫かぶりでいる。
志藤や香月たちがいる。ここで易々と死んでしまえば、二度と会えないじゃないか。それに死ぬのなんて、怖くて、不安で――。
彼らや彼女らの顔が脳裏に浮かび上がり、誠次は涙か血かも分からない液体を目の横に流す。
「……もう何も喋るな誠次。楽にしてやる……!」
「まだ……俺、死に……たく――」
必死にルーナに語り掛ける誠次であったが、しかしもう言葉が喉から出てこない。
ルーナが口を真一文字に結んで、グングニールを握る腕に力を込める。
その時であった。
「……ナント愚カナ。゛許セ゛――」
じっと誠次の様子を見つめていたファフニールが、頭を大きく振りかぶり、急に振り下ろす。大きく、鋭く尖った歯が並んだ口を大きく広げ、瀕死の誠次と半壊したレヴァテインを纏めて丸呑みにしていた。
「っ!? ファフニール、何を!?」
「姫ノ負担ヲ和ラゲル為ニ、我ガ介錯ヲシタマデ」
誠次を一口で捕食したファフニールは、ルーナに淡々と告げる。
グングニールを構える姿勢を解いたルーナは、呆然とした面持ちで、ファフニールを見つめる。虚しい冬の風が徐々に強まり、ルーナの髪を揺らした。
おもむろにルーナが一歩踏み出せば、砂利ではない硬いものを踏んだ音がする。ルーナが視線を下に向ければそこには、自身が粉砕したレヴァテインの破片が落ちていた。
「コレデ良イノダロウ?」
「……っ」
「姫……ナゼ悲シガルカ。目ノ敵デアッタ小僧ハ死ンダ」
ファフニールの指摘通り、ルーナは目元に薄っすらと涙を浮かべていた。
使い魔に指摘されたルーナは、自分で自分の涙に気づけなかったようで、グングニールを落とした両手で目元を拭ってみる。
「姫……。泣イテイルノカ?」
「五月蠅い! もう良いんだっ!」
姫の身を案じるファフニールであったが、ルーナは身体を震わせ、怒鳴っていた。
ファフニールが見つめるルーナの身体は小刻みに震え、見え始めた夜の月明かりが頼りなく、細い身体の輪郭を青白く浮かばせていた。
「フム。アマリ美味デハナイナ」
ファフニールは逡巡し、
「姫。我ハ常ニ姫ヲ想ウ。ダカラ、コレハソレ故ノ行動ダ」
ファフニールは両翼を大きく広げると、前後へとはためかせ、風を生み出す。
ルーナさえも、ファフニールが飛ばんとする風に吹かれ、顔の前で腕を組んでいた。
「ファフニール!? 何処へ行くつもりだ!? 待ってくれ!」
必死に叫ぶルーナであったが、ファフニールは聞かず、夜空へ向け飛翔した。
月明かりを受けて煌めくファフニールの体躯は、次第に遠く小さくなって行き――、
「ファフニールっ!? 私は……私はどうすれば良いのだ……っ」
夜空に向けて必死に手を伸ばすが、届かず。自由に空を飛ぶための翼を失った少女は、己の運命を呪い、重力のある地上で蹲り、咽び泣いていた。




