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「私の家に来てほしいのだけど、天瀬くん」
寮の部屋の外から、不意に香月の声がした。
入学式や最初の定期テストなど、春の魔法学園行事が終わった本日は五月三日。
憲法記念日である本日は、魔法生が迎える五日間のゴールデンウィーク初日だ。
「なんだって……!?」
GWでは、寮生活の生徒たちが、家へ帰宅する事が認められていた。
認められていた、と言うと硬いイメージになってしまうが、なにも平日の授業終わりで家に行く事はできるし、魔法学園から家がほど近い生徒は、実際そうやって通学している人もいる。
誠次のルームメイトの帷、小野寺、夕島は皆、朝には家に帰還していた。ので、誠次は今現在一人ぼっちで、GW初日の昼を過ごしていたのだが。
「え……」
別に鍵はかけていなかった部屋のドアを開けると、目の前に広がっていた光景に、誠次は言葉を失った。
「おはよう天瀬くん」
「お、おはよう香月……」
挨拶をしてきた香月とその両手に、旅行でも行かないかと言わんばかりのボストンバック。
パンパンに膨らみ、一見重たそうではあるが、バックは青白い光を纏っているあたり、物体浮遊の汎用魔法を使っているのだろう。
無表情の香月は、戸惑っている誠次を見上げると、
「最初の言葉の返答は?」
「断――」
「ちなみに断った場合だけど、この学園の全校生徒に向けて私はあなたに夜、滅茶苦茶に使われたと発信するわ」
「それは困る!」
誠次は慌てる。エンチャント云々をそうやって解釈するとは、末恐ろしいにも程があった。
「そ、そんな情報をみんな信じると思うのかっ!?」
男の意地で負けられないと誠次はドアを握り締め、抵抗する。
「確かにあなたの言う通り全員は無理でしょうけど、私と言う女子生徒とあなたと言う男子生徒の言葉。この学園の生徒たちの大半が信じるのはおそらくと言わずとも……私よ」
ずばんと、香月は宣告するように言う。
(何だそのいやらしい情報戦術は……!)
――だが。
「ま、負けた……っ」
誠次は天を仰ぎ、己の敗北を受け入れる。
「勝った」
こちらに勝利し、部屋から引きずり出すことに成功した香月は、満足気だ。
「わ、わかった。……けど、どうして香月の家に?」
「ええと、親が会いたがっているの」
すぐさま抑揚のない声と、絵に描いたような無表情に戻った香月は、理由を説明してきた。
「親……。……。……親!?」
「ええ。親」
香月の親がどんなものか、誠次には想像が出来ず、悩まし気な表情を浮べる。
純粋に、怒られるのではないかと、思った。どうであれエンチャントをあんな解釈してしまう娘である。屈折した情報が本人から伝わっていないといいのだが。
「まだ社会的に、死にたくないのに……」
「?」
一方で香月は何のことか、ときょとんと小首を傾げているのであった。悪気はないのだろうから、良いのだが。
久し振りに外に出ていた。
体育の時間で運動場には出るので、正確に言えば、久しぶりに魔法学園の敷地の外に出た、だ。――そもそも一か月間学園の中で不自由なく過ごせると言うのも、凄い話ではあると思う。
「嫌味なほどいい天気だな……」
東京の二三区の内、新宿区の中心地にそびえるヴィザリウス魔法学園の正門を歩いて出ながら、誠次は深く息を吸っていた。
太陽の日差しを浴びるのは、半袖で紺色のポロシャツに、動きやすい長ズボンと言う私服姿だ。
昼や夕方の時間帯ならば、国民の外出は特には禁止されてはいない。だが、外出にあたっての決まりが魔法生にはあった。
制服姿での行動は控えること、だ。
理由の一つとして、一般の人々からの目に付かないようにするためらしい。
一部の大人たちから見て、やはり魔法の力を使える若者と言うのは、魔法が生まれて三〇年が経った今でも、恐怖の対象であり、異常者でもあった。この魔法世界はまだ、完全ではないのだから。
そしてもう一つの理由が――。
『四月のレ―ヴネメシスによる子供の誘拐事件件数、例年より上昇』
魔法生であるが故の、厄介事に巻き込まれない為に、である。
都会の街のホログラム電光掲示板に書かれているニュースを、誠次は眺める。
他にも今日の株価や、エンタメ情報などはタッチ操作で道行く人が自由に調べる事が出来るが、今回はこのニュースがトップを飾っていた。
ニュースで日本を拠点としたテロ集団、レ―ヴネメシスのことが出ない日は無い。
「お待たせ、天瀬くん」
香月が、小さな声を出しながら、校門より歩いて来た。
私服姿は、淡い水色のワンピース。むき出しの白い肩や、スカートから覗く膝下から醸し出ている妙な色気。
「突然だったけど、来てくれてありがとう」
「あ、ああ……。別に……することなかったし……」
香月の私服をじっくりと見た誠次は、少しばかりどぎまぎしてしまった。
「……」
香月はそんな誠次をまた、じっくりと見て、
「もしかして、照れてるのかしら?」
「ちが……っ。……ああ」
冷静を保とうとしたはずだったが、見透かされていたようだ。否定はできず、誠次は参ったなと白状していた。
香月は何を言おうか、少し迷ったように口元に人差し指を添えてから、
「……火傷しちゃうわよ?」
「それ、どこで仕入れた台詞だ?」
「……クラスの男子が、何か肌色が目立つ本を見ながら言っていたのを聞いていて――」
「今すぐ忘れるんだ!」
誠次は赤い顔のまま、苦笑してしまっていた。
見た目で思い出したが、《インビジブル》は使用中だ。香月も《インビジブル》をしていたい(?)と言っているし、こちらは周囲からのあらぬ誤解を招かれないようにと、相互理解の賜物だ。
なので周囲の人からは、誠次が一人で歩いているように見えているはずである。波沢との戦闘で、謹慎中の誠次の身からすれば好都合で変なところで便利だった。
(剣もってないのね?)
「学園の外で持ってたら確実に牢屋の中に連れてかれる」
都会の道を歩きながら、香月に問われ、誠次は言葉を返す。
そもそも学園の中でも如何なものであるが、剣の装備は理事長権限で許可されている。義務付けられていると、言うべきか。
(一昨日の先輩との戦い、面白かったわ)
学園の正門から歩き出しながら、香月が唐突に突きつけて来た。
「見世物じゃないはずだったんだけど……」
誠次は嫌な顔をしていたはずだ。――しかし、受け止めなければなるまい。
「俺たち、怖かったか?」
(私は別に。周りはどうかは分からないけど、おそらく怖かったと思うわ)
「……だよな。魔法を貸してくれて、ありがとうな」
(別に……。この世の為に戦っているはずなのに……報われないわね)
香月の言葉に、誠次は身体を揺さ振られたような気がした。
人が夜を失った世界。波沢先輩のように取り戻そうと足掻くのは、果たして無謀なことなのか? 可笑しいことなのか?
「そう、かもな……」
自問した所で答えは出ず、誠次はうわの空で相づちを打っていた。
波沢先輩は、少なくとも魔法を本来使うべき力の為に使おうとしていた。この世に魔法が生まれた意味――それは言わずもがな、゛捕食者゛を倒す為である。
――だが。
昼の新宿の、ましてはGW。
失われた夜の反動なのか、元よりある光景なのかは分からないが、そこでは大勢の人々が自由な活動をしている。
如何にも平和な光景に、゛捕食者゛と言う化け物が潜んでいると言う意識はないようで。人に許された夜以外の時間を、道行く人はありがたく、精一杯過ごしているようだった。
それはまるで、もう人が戦うことを諦めてしまっているようにも、誠次には見えた。
「……」
誠次はそれが少し、悔しかった。
「俺、香月の親に怒られるのか?」
誠次は半分ほど冗談を交えるよう、作った笑い顔で香月に訊いた。――最高に乾いた笑みで。
「安心すると良いわ。あなたへの恩は忘れていないし、そのつもりで親には伝えた。それに、私の両親は優しいから。特にお母さんは」
「それは香月に対してはの話だけど……。……死にたくない」
大事にされているようならば、増々都合が悪くなり、誠次は苦い表情で項垂れた。
「? ……こっち」
横を歩く香月は、そんな誠次の懸念を露知らずに、家への道案内をしてくれていた。
「ここ」
バスから降り、都会のベッドタウンをしばらく進んだ後。
香月がおもむろに指を差し示したのは、二階建ての少しばかり大きな一軒家であった。
別にまわりの家々と比べても大した違いはなく、閑静な住宅街に建つ、普通の家であった。少しばかり拍子抜けの気分を喰らった身の誠次であったが、シンプルイズベストの精神は尊重されるべきだとは思う。
「ただいま、お父さん」
「おかえり詩音」
良い香りがする家の中、リビングで待っていたのは、白衣姿の香月の父親だった。
まず最初に抱いた父親への印象は、若い。次点で、普通。
まだ大学生と言っても通用しそうな、爽やかな雰囲気と、精悍な顔立ちは、まるで父と言うよりは兄のようだった。
「天瀬誠次君だね?」
「はい。お邪魔します」
香月がさっさと二階への階段を上がっていくのを見届けていた誠次は、香月の父親に話し掛けられ、ぺこりと頭を下げる。
いやいやおい――。
(同級生女子の親と二人っきりとかどうすれば良いんだ!?)
頭を下げる誠次は内心で激しく、誰にでもなく訊いていた。お土産を持ってくるべきだっただろうか……。
「詩音の父親の、東馬仁。詩音とは血が繋がっていないんだ」
握手をしながら、詩音の父親――東馬は、誠次の最初の疑問を解消してくれた。
この説明の速さは、きっと以前からも多くの人から同じ疑問を抱かれては質問されていたからか。
「そうですか……」
――もっとも、訊きたい事はあった。
相手もそのつもりなのか、向かい合わせのソファ―に対面する形で、二人は座った。
「詩音が世話になったね」
二階から戻って来る気配の無い、香月の事からの話題。
誠次は、東馬が着ている白衣の胸元に刺繍されている文字を見つめていた。
――【日本科学技術革新連】と書かれている。つまりは、科学者か。
聞いた事はある組織名称だ、と思った誠次だが、今考えるのに時間を割いて無言になるのは一番駄目なことであると思い、口を開く。
「はい……」
東馬が怒る雰囲気は無さそうではあったが、張りつめた空気を感じ、誠次はしどろもどろに答えていた。
「ごめんね。誤解させたかな?」
だが東馬は、戸惑う誠次を見て、口元に笑みを浮かべてきていた。
「詩音を助けてくれてありがとう。心から感謝しているよ」
「い……っ」
予想外の東馬の言葉に、誠次は思わず悲鳴を上げそうにさえなってしまっていた。
堪えられたのは、いつの間にかいた香月が、横からすっと紅茶の淹れてあるティーカップを差し出して来た姿を見たからだ。
短めの白のエプロン姿は、時にとても可愛らしく、時に彼女の雰囲気も相まって、有産階級に仕えるメイドのような姿であった。
しかし父親の前で見惚れるわけにもいかず、誠次は早速紅茶を口に含み、文字通りお茶を濁していた。
「い、いえ。血が繋がっていないと言うのは、香月さんは養子なのでしょうか?」
「その通り。俺はまだ三十二歳だよ。まだ……? もう、かな」
東馬は、香月の淹れた紅茶を啜りながら茶目っ気混じりに答えてくれた。
魔法学園の林よりは年下だと思っていたが、外れた。
「詩音は゛捕食者゛孤児なんだ。まだ幼い時にご両親を゛捕食者゛に殺されてしまった。そこでご両親と職場で仲が良かった俺が、詩音を引き取ったんだ。俺が言うのもなんだけど、詩音が少し失礼な態度をとってしまっていたら、申し訳ない」
「そ、そんな、ことが……」
今でも世界の人々は゛捕食者゛を前に悲惨な日々を送っているが、昔に比べればまだマシな方なのだろう。
゛捕食者゛と魔法の研究が進んでいなかった分、世界は大混乱を起こしていたからだ。毎晩人が゛捕食者゛によって消えていくこの世に、養子制度などと言うご立派な名目は、在って無いものに等しかった。
香月も、犠牲者の一人なのだろう。その香月は少し、紫色の目を細め、俯いていた。
だからこそ誠次は、意を決してこんな質問をしていた。
「――子供の頃、香月さんは゛捕食者゛を倒せと誰かに命令されていたそうです。失礼を承知でお聞きします東馬さん、あなたですか?」
横に鎮座する香月の表情が、微かに強張った。
誠次はそれでも、答を求める様に、東馬を真っ直ぐ見つめる。――お願いだから、首を横に振ってくれと、願いを込めて。
「詩音がそこまで言っていたとはね。安心してくれ、俺はそんな事は命令していない」
東馬の言葉を聴けて、誠次は安堵の息を吐いた。
しかし、東馬の方は険しい表情のままであった。
「さっきの、゛捕食者゛孤児と言う言葉を少し訂正しよう。詩音は昔、テロリストの施設で生活してたんだ」




