3
魔法学園の冬休みは短く、残り少ない二〇七九年度は、生徒たちにとっては宿題に追われる日々であった。
誠次は夏休みの反省を生かし、残された年末の数日間は宿題を終わらすために、学園の寮室に籠っている生活を続けていた。
「……」
大晦日目前の日、誠次は机の上で頬杖をつき、物思いに耽っていた。
目の前に座る女性は、それが少々気に食わなかったようで。
「転校生の事かしら?」
「あ、ああ。悪い。宿題で分からないところを教えてもらっているのに」
「別に」
慌てて手元の参考書を捲る誠次に、香月詩音は穏やかな表情を見せる。
イブに短い時間会えたが、改めて。彼女に変わりはなかった。外の雪と同化しそうな白い肌と、綺麗な紫色の瞳。談話室の四人用のテーブル席に腰掛け、温かい紅茶を飲んでいるその姿は、気品と華やかさが容れ混じっているようだ。
「ルーナさんとクリシュティナさんが、あなたをロシアへ連れて行こうと……」
「ああ。途方もない話だと思うかもしれないけど、俺がロシアに行けば王国を復活できるって言われて」
「おかしい話よ。国際魔法教会に王国を復活できる力があると言うのなら、そのオルティギュアの人の為にも早くしてあげるべきだわ。それなのに天瀬くんが必要だなんて……」
オルティギュアの国民の立場になって考えているのかとも思えば、別の私意も覗かせて、香月は言っていた。
「俺が行けば、本当にルーナやオルティギュアの人々が救われるかもしれない……」
「まさか、ロシアに行くつもりなの……?」
照明の光を受ける香月の目が、訴えかけるようにこちらをじっと見つめる。心配してくれているのだろうか、こそばゆい気持ちになる。
「香月……。いいや、俺はここにいる」
面と向かって言うには気恥ずかしく、照れ隠しに為にも周囲を見渡しながら、誠次は言っていた。
「そう……」
誠次の言葉を聞いた香月は、安堵したように穏やかな表情を見せてくれた。
彼女の、そんな表情を久しぶりに見ることができて、誠次は嬉しくも思えた。
「ルーナの事は、どうにかしてやりたいけど……」
「相変わらず困っている女の子は放っておけないのね?」
――かと思えば、チクリと胸を刺すような発言にも容赦がない香月。仕草も急に、どこか余所余所しく、紅茶を口まで運んでいたストローを指先でつんと触っている。
誠次は後ろ髪をかきながら、困った表情を浮かべていた。
「ルーナが、可哀想なんだ。同い年で同じ学生のはずなのに、生まれだけで重たすぎる使命を背負っていて。どうにか出来ないだろうかって」
「向こうがそうしてほしいと言って来たの?」
「いや……」
香月の的を得た発言に、誠次はじっと黙り込む。
しかし誠次は感じていた。向こうの瞳に映った、僅かな迷いを。
「……でも平和を望む気持ちは向こうも同じだ。お互いに分かり合えるはずだ」
「……あなたらしいわ。でも、だからこそ問題を多く抱えがちなのも、自覚して頂戴」
警告ではなく、純粋に心配してくれているのだろう。香月はこちらを真っ直ぐ見つめ、白色の眉を山の形にしていた。
「あなたに救ってもらった私が言えた事じゃないかもしれないけれど……」と香月が付け足すように言ってきたが、誠次はうんと頷いてやっていた。
「分かってる……。最善の策を考えたい」
「……あなたがそう言うのなら」
香月も俯きだし、悩ましげに視線を落とす。
「そもそもルーナさんとクリシュティナさんがオルティギュア王国の人で、天瀬くんを連れて行きたいだなんて、私たちは聞かされてはいなかった」
「皆には、嘘をついていたのか……」
「言い難い事だとは思うわ……。でも、せめて私たちになら、言ってくれるって思った……」
香月は悔しそうに、首を軽く横に振る。つられて横に揺蕩う銀色の髪を、場違いかもしれないが、誠次は美しいものだと感じていた。
「だから、初日に私と桜庭さんたちに接触してきたのね……」
香月は悲しそうに視線を落としている。
「香月……」
友を思うその仕草が見せる嘆きに、誠次は深く同情していた。
「おかわり、どうぞ」
どうしたものかとそれぞれ顎に手を添えたり、頬杖をついたり。思い悩む二人の元へ、どこか落ち着かない様子の心羽が、紅茶の入ったグラスをトレーに乗せてやって来る。
「貴女が、心羽さん?」
心羽はすっかり、ヴィザリウス魔法学園の談話室の店員の一員となっている。
「詩音……ちゃん……」
心羽は少し怯えているように香月を見つめ、誠次の制服の袖を手でちょんと摘まんでいる。ずっと東馬の元で、香月を見ていたのだろう。そして、虚像の母親を生み出していた。香月に対する罪悪感を感じているのだろう。
「……」
そんな心羽に向け、香月はおもむろに身を乗り出し――、
「不思議ね。私は貴女の作り出していた人形を母親として認識していた。それなのに、お母さんはとても優しかった気がするの。それはきっと、貴女が優しいからね」
香月は身を乗り出すと、心羽に向けて手を差し出す。
心羽は香月の手に、ゆっくりと自分の手を添える。
「温かい……」
「ええ。貴女もよ……。貴女に気付いてあげられなくて、ごめんなさい」
香月は心羽に向け、謝っていた。
心羽は慌てて首を横に降り「こ、こちらこそ!」と頭を下げている。東馬と関係のあった二人の再会は、無事に済んでいた。
失ったものがないとは言えないが、こうして再びヴィザリウス魔法学園に戻ってこれ、香月と会話できているのは嬉しいことだ。
誠次はリラックスした表情で、心羽と香月に向け微笑んでいた。
それを見た香月も、ほっとしたように安堵の表情を見せていたが、すぐに白い眉根を寄せ始める。
「そう言う意味では彼女の言う通り、私は恵まれているのかもしれないわね……」
ぎこちなく前髪を触った後、香月は微笑する。冷たくもあり温かくも感じる笑顔は、誠次の心を優しく包んだ。半年以上は一緒にいたはずなのに、まるで初めて出会うような感触だった。
「それで……私、提案したいことがあるの。ルーナさんとクリシュティナさんの真意を、知るために」
慎重ではあるが、香月がゆっくりと口を開く。
「提案?」
「年越しを、皆で一緒にパーティして迎えたいの。ルーナさんとクリシュティナさんを誘って」
「あくまで友達として、ルーナとクリシュティナと接したいのか?」
「ええ。向こうがその気であることを、私はまだ信じたい」
無表情のまま、香月はこくりと頷いていた。
「同じクラスのクラスメイトになったからには、出来れば私もあなたと同じように……その……仲良くしたいから」
後半部を口篭りかけたが、頬を微かに赤くした香月は言い切っていた。せっかくの友達を大切にしたいのは、誠次も同じ思いだ。
「わかった。一緒に頑張ろう!」
ルーナとクリシュティナの為にもと、香月の提案に、誠次は首をうんと縦に振っていた。
「何だか良さそうな事を聞いてしまった気がするね」
談話室のマスターである柳敏也が、誠次と香月の元までやって来て、素敵な笑顔を見せていた。
二〇七九年が終わる二日前。
誠次との外出以降、ルーナはアパートに引き篭もりがちになっていた。つい先日まではこの国の事を少しでも知ろうと、勉強の間に外出をしていたのが、今は外の景色を見せるカーテンすら閉めきっている。
年末で明るく盛り上がる街並みから隔離された、暗く寒い部屋の隅で、ルーナは膝に頭を添えて畳の上に座っていた。
「……」
「――煩悶カ、姫?」
俯きじっとしていれば、使い魔であるファフニールが何処からともなく話し掛けてくる。
「すまないなファフニール。主が見るも情けないだろう……? ここへ来て、私は迷ってしまっている……」
ルーナは自分の右手を持ち上げ、力なくぽつりと呟く。
「要因はアノ小僧カ?」
「クラスメイトたちの事も……。私が彼らの仲を引き裂くようで、それじゃあまるで私が侵略者だ……」
「姫ハ長イ間コノ国の者ト接シスギタノダ。シカシコノママデハ、姫ヲ慕イ、コノ国マデ共ニ来テクレタ女中ハ嘆クゾ」
クリシュティナの身を案じ、ファフニールは思い出させるように言ってくる。
「……分かっている。クリシィの事は何よりも大切だ」
ルーナは顔を上げた。目の前にあった鏡に映る自分の背後に、竜が翼を閉じる影が見えた気がした。
「誠次。私たちは……この運命からは逃げられないんだ……」
一体何故なのだろう……。冷たい風が吹いていた河川敷で、香月詩音から向けられた紫色の瞳の冷たい視線が、頭の中に焼き付いて離れない。誰かに失望されることは、こんなにも心に響くものだとは。
六畳間の台所に立つクリシュティナは、エプロン姿のまま、ぼうっとしていた。勿体無いからといつもはすぐに締めている蛇口からは、緩やかに水が流れている。
――貴女がこんなことをする人だとは思わなかった……。
「ええそうです……。私はオルティギュアの再興のためならば、どんな命令をも遂行する覚悟です……。国際魔法教会が平和を作り……そうすれば、何より゛あの人゛も……」
自分自身にそう言い聞かせるようにして、クリシュティナはぼそりと呟いていた。
「――クリシィ?」
自分が生涯かけて仕える身分であり、共同生活を送っているオルティギュア王国の姫君、ルーナ・ヴィクトリア・ラスヴィエイトが、背後から愛称で声を掛けてくる。
「大丈夫なのか? ぼーっとしているぞ?」
「え、ええ。問題ないです」
気遣うはずの人に気遣われてしまい、クリシュティナは慌てて料理を再開する。
「……」
ルーナはしばし沈黙したあと、クリシュティナに向けそっと声を掛けた。
「誠次は……必ず私がロシアに連れていく。気分が優れないのなら、今日は私が代わりに料理をしてやるぞ」
「いえ、大丈夫です……。それよりも剣術士はなんと?」
「向こうの意思は固い。言葉での説得は、やはり無理そうだ……」
しかし、言葉での説得は難しそうだ。ならば二人にとって残された方法とは、ある意味分かりやすく、しかし残酷な方法でしかなかった。
「……っ」
ルーナはそんな最終手段を嫌い、どうにか出来ないかと頭を悩ませている。
「姫……様……」
しかしクリシュティナからしてみれば、もはやこの道しかないとの考えまでに至っていた。
――だが、同時に。悲しむ日本人のクラスメイトたちの姿も安易に想像できてしまう。剣術士を祖国復興の道具でしか見ていなかったクリシュティナの心は、剣術士に影響された人々との交流の末、自分でも知らないうちに大きく揺れ動くようになってしまっていた。
そして、そんなクリシュティナの元へ届いたのは、メールアドレスを交換していた香月からの誘いの文であった。
もう必要ないかもしれないと、登録を解除しようとしていた直前の事であった。
――一二月三一日。迎えた二〇七九年最後の日。実家に帰省してしまった数名を除いて、ヴィザリウス魔法学園の談話室では1ーAのクラスメイトたちが揃っていた。
談話室はいつものシックな内装とはうって代わり、年越しを祝うパーティ用に華やかに装飾されている。
「本当に1-Aで使っちゃっていいんですか!? 談話室!」
「勿論。だって君たちのクラスには、この一年間でとても頑張ってくれた生徒がいるからね。特別だよ」
「ああ、まーた天瀬ですか」
片手にジュースの入ったグラスを持つ男子生徒たちは、仕方ないなと言わんばかりに、苦笑する。
「おら年越しソバだお前ら。ありがたく食えよー?」
カウンタ-席にふんぞり返る林が、物体浮遊の汎用魔法で浮かせたインスタントソバを集まった生徒たちに振りまいていく。
「カップソバっスか……」
志藤が愕然としながら、割り箸を割っている。
「なんだ。ソバはソバだ。文句があるなら食わんでよろしいぞ」
「食いますよ!」
林が取り上げようとしたのを、志藤が慌てて取り返す。
「っつか、なんで先生いるんスか……?」
「俺だって1-Aの一員だぞー? それに、生徒が嵌め外し過ぎないように監視する必要があるだろう」
林は人差し指を立て、それらしい理由でも言ってやったかのように得意げに目を瞑っている。
机を挟んで立っている柳は苦笑しつつ、林には酒を、志藤にはジュースを差し出してやる。
「……二人とも、色々とあった一年だったね。きっと来年は良い事が起こるはずだ。老人の勘だよ」
「……」
「……」
林と志藤は、しばし押し黙り、やがて同時にグラスを手に持つ。
「そうなる事を願うぜ」
「そうするんでスよ……俺たちで」
なあなあと言った林の横で、志藤が真剣な表情で言う。
林はきょとんとして、志藤を眺めた後、腕を志藤の肩に回す。
「残念青春男……おめぇ言うようになったじゃないかよ」
「わ、ちょっとなんスか!?」
驚く志藤の後ろでは、ソバを啜るクラスメイトたちの楽し気なお喋り声が聞こえている。
「えーっ、香月ちゃんがこれ企画してくれたの!?」
「そうそう!」
桜庭が得意げに言ってやれば、たちまち今回の企画の発案者である香月の周りにクラスメイトたちが集まる。
「憎い事してくれるじゃないの香月ちゃん!」
「いいねーっ!」
「えっ……。お菓子の途中……」
お菓子を食べていた香月は、群がって来たクラスメイトたちとの会話を余儀なくされる。
窓際の閉め切ったカーテンにはちょうど、篠上と千尋が用意した夜景の映像が、端末によって映し出されているところだった。
「こうか?」
「うーん。もうちょっと左……?」
「マジか。細かい作業は苦手なんだよな……」
篠上の指示の元、しゃがんでいる帳が端末の位置をずらす。
白い布の味気ないカーテンに、ニ〇五〇年前に行われていた大晦日の夜の花火の映像が、ちらちらと映り始める。談話室に集う、当時を知らない生徒たちは、都会の夜景に打ち上がる花火を眺めては驚嘆の声を上げていた。
「夜空の花火、綺麗ですね……」
「明るいな……。遠くで鐘の音も聞こえる」
「除夜の鐘、ですね。真夜中に一〇八回も鐘を鳴らすなんて、お坊さんは大変だったでしょうね」
小野寺と夕島が感嘆している横で、映像を用意した千尋がにこにこ笑顔で解説している。
たとえ映像でしか見れなくとも、夜空に打ち上がる色とりどりの花火の映像は鮮明で美しく、心に強く残るものであった。
「とても、綺麗……」
花火のハイライトが顔を塗らし、椅子に静かに座るクリシュティナ・ラン・ヴェーチェルも思わず日本語で呟く。音も迫力のあるリアルなもので、まるで目の前、窓のすぐ外で花火が打ち上がっているようだった。どうでもいいかもしれないが、花火のルーツは古代中国の狼煙だったとか。
そんな中国人の血が流れるクリシュティナは、気まずそうな面持ちで談話室内を見渡す。ルーナは相変わらず社交的に他のクラスメイトたちと談笑している。話しかけてくれるクラスメイトがいても留まる事は許さず、周りも今のクリシュティナを見れば、不用意に近づくことはしなかった。
そんな今の、俯いているクリシュティナに、近づく男子生徒が一人。
「……」
「……」
クラスメイトに囲まれている香月とアイコンタクトを取り合い、誠次はクリシュティナの座る机の真向かいのソファ横に立つ。
「前座っても大丈夫か?」
「剣術士……」
声を掛けられたクリシュティナは複雑そうな表情を浮かべ、誠次をじっと見つめる。
「出来れば天瀬で頼めないか?」
「……構いません」
クリシュティナは相変わらず浮かない表情で、再び俯く。花火の閃光がクリシュティナの横顔を淡く照らし、影を色濃く作り出す。
誠次はクリシュティナの前の席に座った。
「みんなとは話さないのか?」
「私たちの真の目的は知っているでしょう? ですので……必要、ありませんから」
クリシュティナは、どこか他者を見下すような赤い視線を周囲に向けてから、そんな事を言う。
「質問をして来られたので、私からも。――どうすればロシアまで来て頂けますか? やはりお金ですか?」
「悪代官か!」
「……?」
誠次が慌ててツッコむが、クリシュティナは大して反応も示さない。いや、意味が分からずにきょとんとされている……。
誠次はこほんと咳ばらいをしてから、再び口を開く。
「俺をロシアまで連れて行けさえすれば、周りはどうなってもいいって言うのか?」
「極論ではそうですね。日本の文化も、日本の人……ヴィザリウス魔法学園のクラスメイトの事もどうでもいいのです。私とルーナにとっては祖国の復活こそが国際魔法教会から与えられた使命なのですから」
「どうしてそこまでして祖国の復活にこだわるんだ?」
誠次は真剣な表情でクリシュティナに問う。
「国際魔法教会の命令だからです。何度も言わせないでください」
「本当にしたい事とか、ないのか? それだけがクリシュティナの夢なのか?」
「……夢、ですって……?」
クリシュティナの綺麗な顔が分かりやすく歪みだし、こちらを軽蔑するような目つきを送られる。
虎のような、獰猛な肉食獣を彷彿とさせる真紅の眼光を前に、怯みそうになる誠次であったが、踏ん張っていた。
――それに、招待したこの場に来てくれたという事は、今の言葉が彼女の全てと言うわけではないのだろう。
「俺や皆は二人をどうにかしてやりたい気持ちがあるんだ。だから他に方法があるのなら、そうしたいんだ」
「他の方法……?」
思わずと言ったところか、クリシュティナが口を半開きにして、目を見開いている。
「なにかおかしいか?」
誠次が質問するが、やがて花火が終わり、ゆらゆらと揺れていたクリシュティナの赤い瞳が深紅の色を取り戻す。そして、ゆっくりと視線を落とし、ある種の呪われた言葉のように、ぼそりとこう言うのであった。
「国際魔法教会の命令を変えることなど、許されるわけがない」
「国際魔法教会って……」
「私を口説こうとしても無駄ですよ、剣術士。遅かれ早かれ、貴方には来て頂きます。貴方の意思に、関係なく」
不敵に微笑んだクリシュティナは、次には澄ました顔で告げ、明後日の方向を向いてしまう。
「……失礼した」
今のクリシュティナには何もすることが出来ず、誠次はソファから立ち上がっていた
それと同時に、視界の隅で香月も移動する。
誠次と香月は二人で談話室の外へ出て、閉め切った窓が横に並ぶ廊下で向かい合う。
「……駄目だった。クリシュティナは何も答えてくれそうにない」
「女の子相手に貴方でも駄目だなんて……」
まさかと、香月が驚愕している。
「いやあのな香月、そんな驚かないでくれ……」
変な誤解を抱かれているようであり、誠次はがっくしと肩を落としていた。
「仕方がないわ。それじゃあ、プランBよ」
「ぷ、プランB?」
これまた不敵に微笑む香月に、誠次がぎくりとする。企みごとをしていると言う点では、香月もクリシュティナも同じようなものか。
盛り上がる談話室に戻った香月は自分からルーナの元へ近づいていた。
しかし、ルーナは女子生徒とのお喋りに夢中のようで、踏み込んだ話は出来そうにない。
そこで香月は、周囲をきょろきょろと見渡して確認する。
「桜庭さん、少し手伝ってほしい事があるの」
「えっ?」
(美味しそうな)フルーツ大盛りのパフェを食べていた桜庭に、香月はプランBを耳打ちで話してみる。
「――なるほど。そう言う事だったら協力させて!」
「ありがとう桜庭さん。今度は私たちが仕掛ける番よ」
「それにしても天瀬、帰って来て早々大変だね……」
桜庭が苦笑しつつ、言う。
桜庭が視線を送っている誠次は一旦クリシュティナの元から離れて、男子たちとふざけ合っているようだ。男友だちと仲良くやっている誠次は心から楽しそうで、彼の居場所がここである事の証明なのだろう。
「それでも天瀬くんは、ルーナさんとクリシュティナさんの為に最善の策をとろうとしている……」
「うん……。天瀬らしいけど、自分の事も大切にしてほしいな……」
そう言いながら桜庭が立ち上がり、頷く香月と共にルーナの元へ向かう。
ルーナはソファに座り、優雅にソバを食べているところであった。
「ふむ……音を立てて麺を食べるのは難しいな……。啜ると言っていたが……」
「――ちょっといい? ごめんね」
桜庭が人混みをかき分け、ルーナの元へとたどり着く。
その傍には、カップソバを持った香月もいた。
「ルーナちゃん、前いいかな?」
「莉緒に詩音か。ああ構わないぞ」
「失礼するわ」
奥の席に桜庭が座り、香月がルーナの向かいに座る。
「おソバ美味しい?」
「ああ、ダシが美味しいな。ロシアだとソバの実はカーシャと言うお粥にして食べるんだ」
ルーナは微笑みながら桜庭と香月を迎えていた。日本の大晦日を楽し気に過ごすその様は、今のクリシュティナとは正反対のようである。
半分ほど食べ終えた所で、ルーナがどこからともなくマヨネーズのチューブを取り出し、にゅるにゅると出してソバの上に乗せ始める様を、香月と桜庭は唖然とした面持ちで見つめていた。
高カロリーのはずなのに、腰回りが細いのは何事かと見つめながら、香月が口を開く。
「え、ええとルーナさん。クリシュティナさんの事について教えてほしいの」
「クリシィか?」
ルーナは香月をじっと見つめる。
「器用でそつなくなんでも出来る私の自慢の友達だ」
「そうね。それは分かるわ」
「……」
一歩でも間違えれば、にらみ合いになってしまいそうな雰囲気に、隣に座るスプーンを口に含む桜庭が目を瞬かせる。
やがて香月は、決心したようにルーナに問う。
「私は貴女の事は、友達だと思っている。貴女とクリシュティナさんほどではないけれど、同じクラスに転校してきたクラスメイトとして、お友達になれたと思っているわ」
「詩音……? な、なにを突然……?」
箸から手を離し、ルーナは戸惑っているようだ。
「だから友達として、貴女たちの事をもっと知りたい。そして、何か困っているのであれば助けたいの」
「まさか……誠次から、全て聞いたのか?」
コバルトブルーの視線を落とし、ルーナは静かな声音で聞いてくる。先ほどまでの゛お友だち゛としての接し方ではなく、明らかな顔つきの変化。おそらく、こちらこそが本当の彼女なのだろう。
だとすれば今までの交流とは、全て無駄な時間だったのか? ――いえ、そんな事はないはず。
香月はこくりと頷いてから、
「……ええ。貴女の国の事、天瀬くんをロシアに連れて行こうとしている事……。私たちには言えないで、天瀬くんに言ったのも、隠せるとは思っていないでしょう?」
「どうして……」
桜庭が心配そうにルーナを見つめている。
「私にも……分からないんだ。一国の未来を担う存在だと言う自覚はあるが、ヴィザリウス魔法学園の魔法生として生活しているうちに、ここにいることが楽しくなってしまっている……。もしかしたら私は、重圧から逃げて楽になりたいのかもしれないな……」
同い年だが、身分の差は歴然だった。こちらは普通の魔法生であることに対し、真向かいに座る少女は亡国のお姫様。その華奢な背に背負うものの重圧は、計り知れないものなのだろう。
少しだけ覇気を失ったような今のルーナの姿から、香月も桜庭も思わず目を背けてしまった。
「ルーナちゃんだってあたしたちと同い年の、まだ高校生だよ。それなのに使命とか……重すぎるよ……」
「誠次と同じことを言うのだな。気遣いには感謝する。だが……やはり私は何としても国際魔法教会の任務を完遂しなければならないんだ」
「そんな……」
楽し気にお喋りをしているクラスメイトたちを名残惜しそうに眺めつつ、ルーナが自嘲気味に微笑んだのを、桜庭が悲し気に揺れる緑色の目で見つめている。持って来ていたパフェのアイスは、すでにすっかり溶けてしまっている。
香月はあくまで無表情のまま、ルーナに冷静に接していた。上手な出し方を覚えられず、表情にこそ表れはしないが、せっかく知り合えた友人をどうにかしてやりたいと思う気持ちは、変わらず。
「貴女にお姫様としての覚悟と責任がある事は理解できたわ。でも、私は天瀬くんをロシアに行かせたくはない。彼もここにいることを望んでいるから」
「……分かっている。彼にももちろん主張や意思があって、私も゛手荒な真似゛は最後までしたくはない。出来れば双方合意の道があればいいと思っているんだ」
「だったら尚更、その為にもクリシュティナさんの事が知りたいの。お願いルーナさん。私たちを信じて頂戴」
じっと、香月はアメジスト色の目線をルーナにまっすぐ向ける。
「あたしも、ルーナちゃんとクリシュティナちゃんは悪い人じゃないって思うから! どうにか出来る方法を一緒に考えようよ!」
桜庭も身を乗り出し、ルーナに真摯な言葉と思いを伝える。
押し黙ったルーナは、机の上で腕を組み、長い時間を使って俯く。
「……君たちは、不思議だ。私は君たちをずっと騙していたようなものなのに、怒る事もせずに、こうして話しかけてくれる……」
「それが何かいけないかしら?」
「……いや、本当に不思議なんだ。……おそらくきっと、優しいんだな」
ルーナに言われ、香月と桜庭は顔を見合わせる。
「……」
ルーナは周囲を気にする素振りを見せながら、ゆっくりと顔を上げた。その表情には、未だに戸惑いの色が色濃く残っている。
「クリシィ。クリシュティナ・ラン・ヴェーチェルは、私のラスヴィエイト一族に先祖代々仕えて来た召使の血筋の娘だ。生まれながらにして、ラスヴィエイト家に仕える事が決まっていて、その為の英才教育をずっと受けていた」
ルーナは香月と桜庭共に視線を合わすことなく、ただ二人の間の一点を見つめていた。
「クリシィには……ずっと憧れの人がいたんだ――」
「――ミハイル・ラン・ヴェーチェル。お兄さんがいたんだな?」
「っ!?」
香月と桜庭から情報を受け取り、再びクリシュティナの元へやって来た誠次がその名を告げた途端、分かりやすくクリシュティナは肩を揺らしていた。
誠次は「また失礼する」と言いながらクリシュティナの前に再度座り、クリシュティナをじっと見つめる。
「……ルーナから、聞いたのですか」
声音は冷たいものだが、明らかに動揺はしている。
「ああ。ただ誤解はしないでくれ。ルーナもクリシュティナの事を思っての行動なんだ」
静かな怒りを感じさせるクリシュティナの視線は、誠次を睨みつけるように向けられる。まるで、親の仇だと言わんばかりの敵視であった。
「二つ上のお兄さんは、国際魔法教会の幹部だと聞いた。立派で優秀な魔術師で、クリシュティナにとって憧れの人だった」
「黙ってください……」
怒るクリシュティナの気迫に、再び飲み込まれそうになりながらも、反撃の為に誠次は慎重に言葉を紡ぐ。せっかく香月と桜庭が繋いでくれたチャンスだ、無駄にするわけにはいかない。
全ては、二人を呪縛から解き放つ為。頭の中で浮かんだ言葉を慎重に選び、誠次はクリシュティナへ放つ。
「……勿論、ルーナの為にもクリシュティナがルーナに尽くしてきてくれたという事は、ルーナもちゃんと理解している。けれど本当は、憧れのお兄さんに認めてほしくて――」
「知ったような事を言わないでくださいっ!」
怒鳴り声に近い大声と共に勢いよく立ち上がったクリシュティナが、誠次を完全に軽蔑した目で見て、右手の手のひらを誠次に向けて振りかぶる。
「っ!?」
平手打ちをされると、思わず目を瞑って受け身の姿勢をとった誠次の頬に、激痛が走る事はなかった。
しかし代わりに。ビンタほどではない衝撃が、座っている姿勢の上半身に拡散するように゛降りかかり゛、凍てつくような冷気が襲い掛かって来た。
「……っ」
「……っ」
冷たい水が滲む目を開ければ、微睡む視界の中、周りのクラスメイトたちの視線が突き刺さるようにして、こちらを見つめているのが分かった。
そして目の前では、空になったグラスを右手に握って立ち上がっているクリシュティナが、口惜しそうに視線を逸らしている。どうやら、ビンタの代わりにグラスの水を浴びせてきたようだ。
「うわ、クリシュティナちゃん泣いてない――?」
「女子泣かすって、何やってんだよ天瀬……――」
鼓膜に侵入した水の不快さも去ることながら、ひそひそと話し声が聞こえてくる。
「すま、ない……。クリシュティナ、さん……」
目の前の女性を追い込み、悲しませた事実に、びしょ濡れの顔のまま誠次は、ただただ謝る事しか出来なかった。茶色の髪やあご先から、ぽたぽたと水が流れ落ちていく。
「……っ。私、こそ……」
歯軋り混じりに、振り絞った声を出したクリシュティナは、力なくグラスを机の上に置くと、誠次に背を向けて歩いて行ってしまう。
「クリシィ!」
後ろの方からルーナが慌てて立ち上がり、クリシュティナの後を追いかけていく。
「こんなはずじゃ……」
残された誠次は、向けられてくる視線の数々に、いたたまれない気持ちとなり、すぐに立ち上がる。盛り上がっていた談話室の空気も、嘘のように白けきってしまった。
「な、何やってんのよアンタ!?」
篠上が急いで駆け寄って来て、タオルを差し出してくれる。こちらを全面的に非難していると言うよりは、いくらか救いのある、戸惑うような声で。
「み、皆さん今日はせっかくの年越しパーティです! 楽しみましょうよ!」
千尋も声を出してみんなの気を逸らすと、誠次の元へと駆け寄った。
「大丈夫ですか誠次くん? 今のは、一体……?」
戸惑う千尋は、おずおずと自身のハンカチをブレザーのポケットから取り出し、誠次の頬の水を拭っていく。
「俺のミスだ……。クリシュティナの気持ちを、分かってなくて……強引に……」
タオルで髪を拭きながら、誠次は気落ちして言う。恥ずかしいと言うよりは、切なく、それ以上に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。みんなが楽しんでいたひと時も、潰してしまったようで。
「良いからしっかりしなさいよ、もう……。まずはクリシュティナちゃんに謝らないと。私も一緒に行くから」
誠次の濡れた鼻先を自らも持っていたハンカチで拭いつつ、篠上が口を尖らせて言う。
「状況はよく分かりませんけれど……あのお二人を抜かして楽しんではいられません。私もお供致します」
しゃがみ、床の水気を拭き取りながら、千尋も険しい表情で言っていた。




