7 ☆
激闘の後のメーデイア内部。外は今や獲物がいると聞きつけた大量の゛捕食者゛が蠢き、いくら数を減らしても無限に出現する脅威に、やはり人は室内に閉じこもるしかなかった。
「誰一人捕まえられないとは……!」
「この無能共が!」
そう威張り散らすのは、派遣されていた光安の連中だった。犠牲者が一人も出なかったことよりも、彼らは獲物を仕留められなかったことの方が残念だったようだ。
「責任者はどこだ!?」
その言葉を受け、血だらけの服のままの看守長が前へ進み出ようとしたその時であった。
「――私だよ」
極めて清んだ声を出し、呼び電源によって復旧した電気が照らす電光の下から現れたのは、溝口であった。
「「「は!?」」」
照明の所為か否か、きらきらと輝いて見える瞳で、まさかの登場に驚く一同を見渡した後、溝口はうんと頷いていた。
「みんなもう怒らないで。人類皆兄弟と言うではないか。あれと同じだよ」
誰かに言わされているのでなければ、あり得ないような台詞を言いながらも、溝口はしっかりとした足取りで、呆然とする光安らの前に立つ。
「私たちは兄弟だ。さあ、みんなで仲良くしようじゃないか? 不毛な争いはもうよそう」
「「「……」」」
「もーさっきから私、超謝ってる系なのにっ!」
ズビシ、っと二丁拳銃を手で作って光安と特殊魔法治安維持組織。そして看守の男たちに、溝口は向ける。
呆気に取られるのは、やはりこの場の全員であった。
「おいどこの誰だこの男……」
普段の溝口をよく知っている誰かが呟いている。
「そ、そうですね! 人類皆兄弟!」
負傷し、頭に血が滲んだタオルを巻いている真田が立ち上がり、意気消沈している特殊魔法治安維持組織たちへ向け声を張り上げる。仲間を傷つけてしまった苦悩と、命令には従わなければならない責任感の板挟みにあう特殊魔法治安維持組織たちにとって、それは小さな光のような灯であった。
「馬鹿馬鹿しい……」
光安たちは吐き捨てると、しかし任務に失敗した自分たちの身を案じる。
「奴らは監視カメラ映像を遮断したようだが、物的証拠はいくらでもある。もとより逃げ道はない。反逆者は全員処刑されると、見せしめてやる」
勝ち誇った表情を浮かべる光安であったが――。
※
――光安の負けは決まっていた。
メーデイア解放戦と同時刻、休暇中の薺がいる城のような昔の和風な屋敷を模した首相官邸には、珍しい客人がやって来ていた。
その男は応接室である和室に正座で座り、湯呑に注がれたお茶を優雅に飲んでいた。
「美味しいお茶ですね。宇治茶ですか? 今頃修学旅行で賑わう本場のものは違いますね」
「……」
「違いましたか? では狭山か静岡か――」
「変な世辞はいい。要件を早く言わんか」
着物姿の薺は、急な来客の相手に苛立っていた。ただでさえ忙しい身分であると言うのに、この面倒臭い相手を相手するのは骨が折れそうだ。
もっとも、向こうは敢えてそうしているのだろうが。
「朝霞刃生」
首相官邸の中に彼が一人でひょっこりと現れた時は、たいそう驚きもした。
「――では単刀直入に」
こちらに合わせてか、座布団の上の朝霞も和服姿である背筋を伸ばし、鋭い視線でこちらを見つめる。
「現在、メーデイアで行われている解放戦に関わっている魔法生たちに下手な干渉は行わないでもらいたいのです」
「……ほう。その心は?」
その気になれば首相官邸の機密情報でも要求しそうな雰囲気ではあったが。
それがこんな少々意外な言葉を言われ、薺は面食らった気分であったが、それを顔に出すことはない。
「魔法生は未来の宝です。それに、彼らの甘酸っぱい青春学生生活と言うものも、見てみたいではないですか」
おどけるように肩を竦めて言う朝霞に、取り合う気もないと薺は目を瞑る。
「断る、と言った場合はどうするつもりじゃ?」
「現在私が保護している志藤康大の所在を貴女は分からずじまい。それどころか、どこぞの優れた魔術師が彼に掛けられている幻影魔法を解いてしまうかもしれませんね」
朝霞は人差し指をぴんと立て、どこか楽しそうに言う。
かこんと鳴った、日本庭園の鹿威しの音が、薺の心に返答を迫っているようであった。ここは自分の城のはずだが、まるで朝霞は骨組みを這いまわるシロアリのように、徐々に徐々にと侵略してくるようだ。
「貴女はヴァレエフ様の願う゛捕食者゛無き平和世界の実現の為に常日頃から頑張っておられだ。その為の障害が、増えてしまいますが――」
「裏切者が、ヴァレエフ様の名を出すなっ!」
親愛以上の感情を抱く存在である彼の名を出されれば、薺は子供と大人の双方の感情が入り乱れた激情で、激怒する。鯉が優雅に泳ぐ池に、枯葉が一つや二つ、落ちていく。
「朝霞。忘れたわけではあるまい? お主もヴァレエフ様にこの偉大な力を与えてもらった者の一人のはずじゃ。その恩義に報いなくてどうする」
「報いようとした結果、私は死にかけた。私も意思を持った人間です。死にたくないから、抗っているのですよ……必死に」
細い青い目の強まった光は、今の言葉に嘘偽りがない事の表れだろう。
「妾はヴァレエフ様の為ならば、命さえも差し出せる! ヴァレエフ様の為にも、例え国民に何と言われようとこの国を国際魔法教会の力で一つにするのじゃ!」
子供のような危うい無邪気さを見せつけ、薺は赤い瞳に鋭い光を宿して宣言していた。
「フフ。貴女の意思は本物だ。ではその為にも、今は゛まだ゛脆弱な魔法生に構っている場合ではないでしょう?」
「いいじゃろう。元より奴らには八ノ夜がおる。迂闊に手出しは出来んし、妾自身も北海道での一件で奴らに借りがある。科連の戦いでは剣術士にその借りは返したが、あやつの鍵である波沢香織にはまだ返していなかったからのぅ」
ややくたびれた表情で、薺は言い切る。
本城直正の命により、朝霞の交渉は成立だ。この場も、彼が設けていた。
朝霞は念の為か、軽く頭を下げていた。
「さて、私はひとつお茶でも買いに京都にでも行きましょう。美味しかったですよ、とても。ご馳走様でした」
「はよ行くがよい。妾も忙しいのじゃ。せっかくの雪月花の風景を観賞していたと言うのに」
むすっと、ふくれっ面となった薺は湯呑を物体浮遊の魔法で片づけながら、そっぽを向いていた。そこで広がる日本庭園の雪化粧は、やはりずっと見ていたくなるほどに美しく、儚い。
木々の上にこんもりと積もった雪がずるりと滑り落ち、雪の華を散らしていく。
(妾は、間違ってはおらぬはずじゃ……!)
※
山梨県の八ノ夜宅に、メーデイア解放戦に参戦した人々は帰って来ていた。二台の車が木造の家の前で止まり、計三台の車が連なっていれば、セレブリティが溢れているようだった。
――そして、幼い少女の待ち人はようやくの帰還を果たす。それは、およそ一か月ぶりの再会であった。
「ただいま」
「――せーじっ!」
とたとたと階段を降りて来て、勢いそのままに玄関へ。ひょこひょこと揺れる狐の耳のような髪がまず見えて来て、天真爛漫な笑顔を見せる心羽が駆け足でやって来た。
「心羽!」
誠次も無事な心羽が見れてとても嬉しく、駆け寄って来る心羽を迎えようと両手を広げていた、が。
「――だ、誰!? せーじがせーじじゃない!」
誠次の目の前で急停止し、心羽は大きな目を見開いてぎょっとしている。
「!? お、俺だ! 天瀬誠次!」
しまった。髪が伸びすぎて、心羽が怯えている。
誠次は慌てて目元まで伸びた髪をかき上げ、おでこも見せていた。
「ほら、俺! 見覚えあるだろ!?」
しかし心羽は、何かを否定するように、小さな身体をびくびくと震わせて怯えてしまっている。
「せーじが……せーじがイエティちゃんになっちゃった!?」
「違います心羽さんどうか落ち着いてっ!」
驚愕している心羽の前で、誠次が慌てていた。
「お帰りなさいみんな……。ご無事で、何よりです……ごほっごほっ!」
「「「柚子隊長!」」」
環菜を除いた第五分隊の隊員たちが、エプロン姿の柚子の周りに集まっていく。遠目に見れば、保育園の先生に駆け寄っていく子供たちの様だ。義雄がいる以上、かなり遠目にだが。
再会を喜び合うと言う点では変わりがない。「あんまり乱暴にするなよ」と環奈も輪に交じり、柚子の身体を気遣ってやっていた。
「みんなよく茜ちゃんを救ってくださいました……。さぁ、クリスマスパーティの準備は出来ていますよ! 私、腕によりをかけちゃいましたから!」
えへんと胸を張る柚子の目の前を、誠次と心羽が歩いてくる。
「ありがとうございました天瀬誠次くん。茜ちゃんを助けてくれて」
柚子が頭を深々と下げて来るが、誠次はやんわりと首を横に振っていた。
「香織先輩にはお世話になっていますし、お姉さんにも大阪で恩があります。それにもう、゛捕食者゛に人を喰われたくありませんし」
「ありがとうな、天瀬」
ユエが特殊魔法治安維持組織の敬礼をしてくれ、誠次も応えていた。例え今の立場が微妙であっても、憧れであった特殊魔法治安維持組織の人々に認められた気がし、誠次も誇らしい気分と、嬉しい感情でいっぱいだった。
リビングから良い匂いが漂ってくる中、誠次たちの後ろから、外の車にいた草鹿がやって来る。
「草鹿さん。茜さんは!?」
誠次が訊くと、草鹿は微笑んで、誠次の強張った肩に手を添えた。
「安心しろ。食って寝ればよくなる。アイツはそこらの女とはちょっと構造が違う」
「――誰が、冷血女、でしょうか……?」
妹である香織に支えられながらも、茜は自分の片足でしっかりとフローリングの床を踏み、不敵な笑みを浮かべて立っていた。
「そこまでは言っていないし、ほらな?」
草鹿がお得意の治癒魔法の光を茜に浴びせてやれば、茜もリラックスした表情を見せている。
白い光に包み込まれながら、茜は誠次を見つめる。
「……誠次。ありがとう。君のお陰で、私はこうして再び香織に生きて会えた……。諦めようとしてしまっていた私を許してほしい……」
声もしっかりと出せるようで、声量こそ小さいが、いつも通りの覇気がそこにはあった。
「ご無事で何よりです……」
誠次もようやく安堵し、茜に向け特殊魔法治安維持組織の敬礼をしていた。
「お前も怪我の手当てをしてやろう。終わったらみんなでパーティだ。美人姉妹を太らせてやるよ」
「その前に、心羽がせーじの髪を切る」
心羽が張り切り、誠次の顔を見上げて言う。
「切れるのか心羽?」
学園に戻る為にも、この伸び放題の髪は切っておきたかった。いざとなったら自分でするつもりであったが、心羽はうんと頷く。
「せーじと一緒に寝てるとき、いつもせーじの髪触ってたから。せーじの事つんつんすると、せーじが嬉しそうに動くんだもん」
「いつの間にそんな事を……」
全くもって身に覚えがなく、睡眠中の己の警戒心の無さに、誠次は苦笑する。
「おい香織。顔が真っ赤だぞ?」
茜が傍らの香織の表情を窺い、指摘する。
「へっ、い、いやなんでもっ!? 心羽ちゃん凄いなって思っただけっ!」
眼鏡を掛けている香織は首をぶんぶんと横に振っていた。
まったく、と茜は未だになって踏ん切りがついていない様子の妹に向け、健やかな笑顔を見せてやっていた。
「お姉ちゃん……もう……」
香織にとっては、そんな姉の笑顔こそが今、何よりものクリスマスプレゼントだったのだ。
八ノ夜宅の一階リビングでは、クリスマスイブの夜を彩る華やかな装飾が飾りつけされていた。テレビからは年末特番のバラエティ番組が流れる中、夕島伸也はソファに座って得意げに語る。
「――でさー。マジで魔素切れた時は終わったって思ったんだけど、そこで俺の力が覚醒したって感じで」
「はいはい……」
料理を配膳しながら苦笑する柚子の目の前で片手を上げ、伸也は自慢気に語る。
「もうマジ格好良かったわ俺――」
「私がな」
伸也の後ろを、八ノ夜が歩いていく。
帰って来た時には飾りつけをされている自分の家のありさまに極めて驚いていた彼女であったが、今ではノリノリでサンタクロースのコスプレをしている。
「あ……まあ本当に、助かりました……。部屋に入って来た連中が破壊魔法使ってきたときは、さすがに死ぬかと思いましたよ」
追い詰められていた伸也を助けたのは、八ノ夜だった。
「だが、礼を言うのはこちらだ。今回の作戦は君がいなければ成功はありえなかっただろう」
「役に立てたんなら、学園サボったかいがありましたよ」
「サボりは良くありませんよ?」
柚子が伸也の鼻先で、箸に摘まんだ唐揚げを持ち上げる。
突然唐揚げを見せつけられた伸也が驚く中、柚子は手を引き、にこりと微笑んでいた。
「でも、茜さんを救う手伝いをしてくれて、特殊魔法治安維持組織の隊長としても、個人的にも感謝しています。どうぞ」
伸也に向け唐揚げを差し出し、柚子はわくわくとしている。
一瞬だけ戸惑った伸也は顔だけを動かし、柚子が差し出した唐揚げを食べる。
「美味しいですか?」
「えっ、あ、ああはい……」
きょとんとした表情をしながらもぐもぐと唐揚げを食べる伸也は、柚子と顔を合わせられないでいた。いつも女子生徒と一緒にいる彼では、珍しい反応だ。
「美味い……けど、俺、初めて、あーんされた……」
「顔が赤いですけど伸也くん、大丈夫ですか!? まさか、風邪移しちゃいましたか!?」
慌てて伸也のおでこに手を向ける柚子に、伸也はいよいよペースを崩され、おでこに手を添えられてしまう。
「ちょっ!?」
「おでこ……これは、少し熱いですよ!?」
「だ、大丈夫ですって!」
柚子は伸也にぐいぐいと迫る。
「なるほど、そうにするのか……」
「なに頷いてるんですか理事長!?」
あごに手を添えて何やら感心している八ノ夜に、伸也はツッコんでいた。
一方で、椅子に座って腕を組み、静かにその時を待っている男子生徒が一人いた。
「早く、食べたい……が我慢しろ兵頭賢吾ッ! ここで耐えないで俺は一体いつ耐えるッ!?」
「いやつまみ食いすりゃあいーじゃんかよ……」
これも精神鍛錬の一つなのか。見ているだけで涎が垂れてきそうなご馳走を前に、自問自答を繰り返す兵頭に、ソファから身を乗り出した伸也がツッコむ。
「それに、主役がいなきゃ始まらねーだろ?」
今は二階か三階か。そこにいるである後輩に向かって視線を動かしつつ、伸也は言う。
「主役か。彼のような後輩がいてくれれば、ヴィザリウス魔法学園は安泰だろうな!」
「ああ違いねーよ。俺もお気楽に卒業できそうだわ」
「伸也同級生には、まだ卒業先の進路を聞いていなかったな? どうする気だ?」
「うーん。自分を見つめ直す旅、かな」
逡巡した後、伸也はにっと笑って言ってやる。
「なるほど……。それもいいなッ!」
「いや本気にするなし……」
まったく面白ろ可笑しい奴だ、と伸也は兵頭に向け苦笑する。
「まああと数か月。いや、これからも友達としてよろしく頼むぜ、兵頭?」
「伸也同級生……。ああ、俺は嬉しいぞ!」
兵頭もうんと頷き、伸也に向け手を伸ばす。
同級生にしては太くごつい腕だとしみじみ思いながらも、伸也は兵頭と拳を合わせていた。
赤と緑のモールに囲まれた照明から出る温かい光が、リビングにいる少年たちを明るく照らし出す。
一階のリビングが何やら騒がしい事になっているようだ。二つの階層に挟まれた二階の誠次の部屋にも、嬉し声や笑い声が聞こえて来る。大勢の人が集えば、そうはなるだろうが。
「――はいせーじ。出来た」
「ありがとう心羽。すごいな……」
「心羽、美容師になれそう?」
椅子に座っている誠次の後ろで、心羽は台の上に乗り、物体浮遊の魔法でハサミを浮かばせていた。のびきった誠次の髪はすぱすぱと切り落とされ、月明かりを反射する茶色の髪が周囲に舞っていた。
誠次の髪型は見事に、一か月前とそっくりそのままに元通りになる。
「ああ。身体はもう良くなったか?」
「うん! 元気!」
散らばった髪の毛を魔法で纏めあげ、心羽はにっこりと笑って片づけをする。
「せーじ、はっちゃんから聞いた。明日学校に帰っちゃうの?」
「ああ。と言っても、すぐ冬休みなんだけどさ」
「……」
誠次の髪を魔法で纏める心羽は、寂しそうに俯いている。
「あっ、あとねせーじ。はいこれ!」
心羽がスカートのポケットから、何かを取り出す。
「デンバコ!?」
「うん! せーじがお家に入れてあげた鳥さんが、巣を作るのに使ってたみたい」
「鳥の巣作りに使われてたのか!? どうりで見つからないわけだ」
誠次は心羽から電子タブレットを受け取り、いくぶんか涼しくなった後ろ髪をかく。
ほっと一安心した誠次は、およそ一か月ぶりに戻って来た自分の電子タブレットを感慨深く眺める。もっとも、明日にはヴィザリウスで直接みんなと会うので、遅すぎる再登場であったが。
「せーじ、もしかしてあまり嬉しくなかった?」
「いやいや。勿論戻って来てくれて嬉しいよ。ありがとう心羽」
心羽もよく探してくれていた。
誠次は心羽に向け、うんと頷いていた。
「……せーじが喜んでくれて、良かった……」
心羽も安心したように、微笑む。しかし心羽の笑顔は、やはり長くは続いていなかった。
「――誠次くん、心羽ちゃん。お料理できたって!」
部屋の中ドアを外からノックし、香織の声がする。
心羽は髪の耳と尻尾をぴんと立てる。
「みんなでクリスマスパーティ! せーじも早く!」
「ああ。部屋の片づけしたら、すぐに行くよ」
張り切る心羽がドアを開ければ、制服の上にエプロンを着た香織が立って待っていた。彼女も料理をしたのだろうか。
「気持ちは分かるけど、走ると危ないよ心羽ちゃん」
「はい。かおりんも早く!」
かおりんと呼ばれた香織は、心羽を優しく注意しながら通してやる。下ではすでに酒でも飲んでいるのだろうか、八ノ夜と草鹿の笑い声が聞こえてくる。
「茜さんの容態は?」
「それがもう一階でお酒飲んでるの……」
「酒っ!? もういいんですか!?」
「たぶんみんなに心配かけさせないように、無理してるのかも……。草鹿さんは別に大丈夫だって言ってたけ、ど――」
ありそうな予感に、階段を見つめていた香織は困ったように苦笑してから、急に振り向いてきた。
途惑う誠次も歩き出していたため、二人は近くで見つめ合う事になる。
「……」
「……っ」
香織は青い目を輝かせ、男性から反射的に逸らしかけていた視線を――無理やり誠次へ戻す。
「……お、お姉ちゃんとお母さん。みんなの為に、本当にありがとう誠次くん……」
「は、はい……」
「刑務所への奇襲攻撃。夜間外出。でも私たちがやったことは、絶対に間違ってなんかないんだよね……」
晴れやかな表情で香織は、自分の胸の前で右手を握っていた。
「鼻血はどう? 身体はどこか痛むところは?」
「もう治ったみたいです。治癒魔法は効きませんが、自然回復力は高い身体みたいで」
自分の身体の事を茶化すように、誠次は変に笑って言っていた。
「良かった……。あっ、心羽ちゃん、あの北海道で戦ったイエティの使い手なんだってね! 凄いよね!」
どこか妙に話題を振って来る香織に、誠次も慌てて頷いていた。なんだか、身体が熱く、自分でも不思議な気分なのだ。
「えっと、あとっ、心羽ちゃんもヴィザリウス魔法学園に一緒に行こうよ! ちょうど柳さんがお手伝いを募集してるって、前に生徒会室に相談しに来てたからさ!」
「本当ですか。それは良かったです!」
「うん。心羽ちゃんきっと人気者になると思うな」
「……」
先ほどから心羽の話題ばかりなのが、誠次にすればもどかしく、どこかむず痒い気分であった。
「香織先輩……!」
だから辛抱堪らず、誠次は香織の肩に手を添える。
「えっ」
小刻みに動いて身体の、一切の行動はそれで止まる。余計な事は今はいらない。騒がしい一階の雑音も、まるで遠くの違う世界で響いているように感じた。
そっと、誠次は香織の右耳のすぐ横まで顔を近づけ、薄く口を開いた。
「また俺に人を大切な守る力を与えてくれて、ありがとうございました……」
「それ、は……。お姉ちゃんを……」
香織は空を掴むように腕を伸ばしかけ、温かい感触を確かめるように誠次の手をぎゅっと掴み返す。
「俺からすれば、香織先輩の事もです。こんな俺ですが、出来ればまた力を貸してください。貴女が生徒会長としてヴィザリウス魔法学園を守ってくれているのであれば、俺は貴女と共にこの力を使い、尽くします」
「こんな俺なんて、言わないで、誠次くん……」
顔を真っ赤に染め上げた香織は、お返しとばかりに、誠次の肩に顔を寄せる。
「……髪、ちょっとはみ出てる。今度は私が調整するね?」
ふと目に留まったのだろう、香織が誠次から顔を離しつつ、張り切って言う。
「い、いえこれくらいは自分でやれますよ」
「わ、私だって心羽ちゃんやお姉ちゃんに負けないくらい誠次くんと一緒にいるんだから! 任せて!」
「あの、ないとは思いますけど、耳たぶにハサミをぐさりだけは、勘弁してくださいね……?」
「!? しないから安心してっ! 私は手先の器用さには自信あります!」
少しおっちょこちょいな一面があるのは、学園内でも有名な事だったので、誠次は言っていたのだが。
そんな学園へは、ようやく明日に帰れる。思えば激動の一か月間だった。そして何よりも強く印象に残り、思い出すのは突如として降臨し、窮地を救ってくれた竜の事だ。
こちらを知っている風であったが、八ノ夜やユエたちを含めた全員に訊いてみても、誰も知らないとのこと。
「――ほら若いの! いちゃいちゃしないで早く下に来ないか!」
「主役がいなきゃ始まらないぞ!」
酔っ払いコンビである草鹿と八ノ夜の声が頭脳に進入し、香織が誠次の服の袖を引っ張っていた。
正体不明の竜へ思いを馳せながら、誠次は「今行きます!」と一階へと向かっていた。
「お姉ちゃん、何か食べたいのあったら言ってね? 取ってあげる」
「よ、よさんか自分で取れる。妹に介護される姉がいるか……」
「もう、無理言わないの」
机の上に並んだ豪華な料理は、どれも美味しそうだ。今日ばかりは、女性もカロリーを気にしないで頂きたいようなメニューの数々。椅子に座る姉の後ろに立ち、お世話を懸命にする妹の光景は、微笑ましくもある。
食器と食器が重なり合う音。そして、笑い声や楽しい話し声。大事な人が無事な事や戻って来てくれた事で、それらは行う事が出来たのだろう。
「良かった……」
目の前で楽し気に会話をする姉妹を眺め、誠次は自然と微笑んでいた。家族が仲よく団らんしているこの光景。自分が早くに放棄せざるをえなかった幸せの在りかは、他人が享受してもなんら問題はないのだろう。
そうですよね――?
無事に守る事が出来た波沢姉妹を眺め、誠次は誰にでもなく心の中で呟いていた。
※
都会の大道路を、一台の車がすいすいと走っている。
中には紺色のジャケットを着た二人の男性が、それぞれ運転席と助手席に乗っていた。
「――えっ、いい水族館と動物園ですか?」
「そうなんだ。都内にどこかないかな?」
「珍しい。家族サービスですか、波沢さん?」
車で家を出て同僚の男を拾い、波沢はとある場所へ向かっていた。
運転席でハンドルを握る同僚は、珍しい事もあるものだと、閉鎖されたシャッターが目立つ商店街を眺めながら言う。
「そんなに仕事熱心に見えるのか俺は?」
二人の娘を家に置いて来た以上、そう思われるのも仕方のない事なのかもしれない。
香織の父親は、座席の背もたれに深く背中を押し付け、苦笑する。家に帰って来たランドセル姿の茜の寂しそうな表情と、香織の悲しそうな表情を思い出せば、胸は痛むが。
それでも、と波沢は自分の胸を締め付けるシートベルトをぎゅっと掴む。
「気になる事があると、調べなくちゃいけないと思うんだ」
「波沢さんはいつもそうだ」
同僚の男性は気さくな笑みを見せ、こうして休日返上の付き合いをしてくれている。彼曰く、波沢さんは放っておけないとの事。
「水族館と動物園、ですか。品川と上野……ぐらいですかね」
「やっぱり都内はそこだけだよな」
「この世の中、人間が生きるだけで精一杯ですからね。動物の世話なんて二の次ですよ。その点、波沢さんのところは可愛い娘さんがお二人も。羨ましいなぁ」
「お前には絶対に渡したくないな……」
「そう言うつもりじゃないんですけど……」
参った参った、と運転席の男は、ハンドルから離した左手で髪をかきながら豪快に笑う。
「動物。゛捕食者゛は人間以外を喰わない、か」
「今まで肉や魚を沢山食った罰でも当たったんですかね。ほら、今度はお前ら人間の番だって」
窓の外に広がる鋼鉄の街の景色を眺めながら、冗談気に運転席の男は笑いかけ、やがて運転する車を止めていた。
寂れた商店街を抜けた先、高速道路からほど近い国道の大道路。両サイドに鋭く立ち並んだ巨大なビルが作る影が二人を包み込み、まるで下を歩く人に引き返せと無言の威圧感を放ってくるようだ。ビルの窓を一つ一つ見てみても、昼過ぎの時点から閉め切ったカーテンの先にどのような人がいるのか、波沢には分からなかった。
先日、この場で交通事故があり、四人家族のうち三人が死亡した。交通事故で身動きが出来なくなったところを、゛捕食者゛に襲われ、抵抗もままならなかったのだろう。
「すっかり綺麗になってるな……」
「警察も不幸な事件だったとして、早期に切り上げましたからね」
軽い黙祷を捧げてから事故現場に進入した波沢と連れの男は、イエローテープも車の破片もなくなっている周囲を見渡しながら、会話をする。
「で、ここに一体何の用なんです? 波沢さん」
「事件の報告書を目にしてさ。気になるところがあったんだ」
犬の散歩をしている通行人とすれ違いながら、波沢は横を歩く同僚の男に説明する。
「事件があってから特殊魔法治安維持組織の女性が一人だけ来て、一人だけ生き残っていた男の子を保護した」
「……表向きは不幸な事故。その実は奇跡の生還劇、ってわけですか」
同僚の男も何かに気がついたように、はっとなって顔を上げる。
「奇跡と言う言葉で真実を片づけたくはない」
波沢は周囲を睨み、言い切る。
「通報があった以上、通報者がいるはずだ。周辺の住民に聞き込みをするぞ」
「分かりました。何か新しい情報が手に入るかもしれませんからね!」
早速、波沢と男性は事故現場周辺に住む住人たちに聞き込みを開始する。
しかし、どれも反応は薄かった。そもそも夕方の時点でカーテンを閉め切っているので、外の様子など分かるはずもないし、分かりたくもないと言うのが大勢だ。
しばしの聞き込みの後、時刻は夕方。夜間外出禁止法に触れる時間となり、これ以上の調査は困難だった。
「波沢さん。今日はもうこれくらいにしておきましょう。俺たちまで喰われかねませんよ」
「……そうだな。また日を改めよう」
茜色の空を見上げ、波沢は頷く。結局、何一つとして成果は上げられなかった。やはり全ては、ただの偶然だったのだろうか。
名残惜しいが、時間は有限だ。浮かない表情のまま、歩道横に止めていた車へ戻るが。
「――あれ?」
運転席の方に回った同僚の男が、ドアの前で立ち止まってしまっている。
「どうした?」
助手席側に回り込んでいた波沢は、同僚の男の様子を窺う。
「ドアが、開かないんです」
「開かない?」
波沢も運転席の方へ向かい、状況を確認する。
同僚の男が左手に握るキー押しながら、必死に車のドアを引いているが、ドアはびくとも動かない。なんなら、車本体が引きずられそうなほどだ。
「どうして、急にっ!」
夜が近づいている為か、同僚の男は焦っている。
波沢も試しに引っ張ってみるが、ドアは何かの力で強固にロックされているようだ。
「っち。電車もバスももうない。どこかの建物の中に――!」
辺りを見渡していた波沢は、路地裏へと続く歩道でとある光景を目撃する。何者かが、こちらに向け魔法を発動する魔法式を展開していたのだ。
「? お、お前一体何を!?」
「ぎゃあ!?」
突然、隣に立っていた同僚の男が悲鳴を上げて倒れる。車に頭をぶつけながら、苦しそうに首をかきむしり、泡を吹いて倒れていた。
「おいっ!」
「波゛沢ざん……タ、ダスケデ……ッ!」
痙攣してしまっている男の肩を必死にゆすりながらも、波沢は魔法式を展開している男か女かもわからない人物を睨む。
「お前! なにをした!」
「……」
魔術師は無言で、魔法式の照準をずらす。空中でスライドするように動いた魔法式の無機質な視線の先の、波沢の車が次の瞬間、大きな音を立てて爆発した。
何が起きたのか分からなかったのも、一瞬だけであった。次の瞬間には、全身が吹き飛ばされそうなほどの熱風が、後ろから吹いており、
「ぐはっ!?」
倒れていた同僚の男を巻き込みながら、車の炎は波沢の背中をも焼け焦がす。
ちりちりと、身体を焼かれる耐え難い熱と痛みに襲われながらも、波沢は一目散に走り出していた。
「お前、よくもっ!」
職業柄携帯していた拳銃を腰のホルスターから引き抜きながら、同僚の男と車を殺した謎の魔術師へ向け走る。
フード付きのコートを羽織っている魔術師は、波沢が来ているのを確認すると、路地裏の中へと逃げていく。
「ま、待てッ!」
波沢は拳銃を片手に、魔術師が逃げた狭い路地裏へと走っていく。壁に掛けてあった鉄パイプに引っかかりながらも鉄柵を飛び越え、待ち受けていた鉄線は地面を転がるようにして俊敏な身のこなしで魔術師を追う。
「この間の事件、何か知っているのか!? 俺たちを抹殺する気か!」
走りながら叫ぶ波沢であったが、前方を走る魔術師が答える事はない。
「止まれっ! 止まらなければ撃つ!」
何度かの曲がり角を曲がり、やがて魔術師がたどり着いた先は四隅をビルの高い壁に囲まれた袋小路であった。
壁を擦った摩擦で服は破れ、いつの間にかにいたるところを負傷していた波沢であったが、やっとの事で魔術師を追い詰める。
「ハアハア……。ここは行き止まりだ!」
両手でしっかりと拳銃を握りしめ、魔術師である相手へ向ける。新鮮な空気を吸い込もうと、上下する肩のせいで照準は落ち着かない。
一方で、フードを目深に被っている相手の顔は拝めず。それでいて向こうは息も上がっていないようだ。
「両手を上へ上げろ! 早く!」
震える両手で拳銃を突き出し、魔術師へ向け波沢は怒鳴る。向こうは正体不明の相手であり、魔術師だ。何をしでかすか分からないのもあり、恐ろしくもあった。先ほどからずっと無言なのも、妙だ。
辛抱堪らず、波沢は拳銃の引き金を引いていた。放たれた神速の弾丸は、魔術師のフードのすぐ横を掠め、背後の落書きされているコンクリートの壁へと激突する。
「威嚇だ! 次は当てるぞ!」
銃撃による威嚇を受けてもなお、魔術師は微動だにせず、棒立ちを続けていた。
大量の汗が顔をつたう波沢は、大きく息を吸い込み、再度引き金に力を込めようとする、が。
「――ハッ!?」
背後から近づいていた゛捕食者゛が、比べれば小さな波沢の頭を鷲掴みにし、空中へ持ち上げる。両手で握っていた拳銃は虚しく手を離れ、地面に音を立てて落ちる。
「……゛捕食者゛!」
両手足を使って抗おうとした波沢であったが、背中から伸びてきた触手が首を強く絞め、一切の動きを封じ込めて来る。あまりにも苦しすぎる圧迫感に、波沢は言葉にならない悲鳴を上げていた。両手で首の触手を引っ張ろうとも、゛捕食者゛の力は強大で、そもそも触れられているかさえも分からなかった。
「うっ……うぐっ!? ぐおおおおおおっ!?」
首を絞める力が強まり、意識が遠のいていく。暗く狭まっていく視界の先で、魔術師がフードを上げる素振を見せ、そこから覗いた口元には笑みが広がっており――、
「ごめ、ん――茜、香お、り……!」
次の瞬間、゛捕食者゛に捕縛されていた波沢の視界はその身体ごと、黒に染まった。
波沢を一飲みで捕食した゛捕食者゛は、目の前に立つ魔術師には目もくれず、再び影の中へと溶けていく。夜に染まるこの場に残ったのは、魔術師の静かな呼吸の音だけ。
水と言う文字だろうか。ここ日本で言えばそのような漢字によく似た、国際魔法教会の紋章が刻まれたコートの裾が、ビル風を受けては翻っていた。
※
――゛捕食者゛を殲滅し、全ては完全なる魔法世界の為に。人類の栄光の未来の為に、我らは存在する――。
深夜のヴィザリウス魔法学園の地下演習場では、白と青の衣装を着たルーナが一人で佇んでいた。
最小限の照明しかない無人の演習場は防音設備も施されており、自分の呼吸音以外なにも聞こえはしない。外ではクリシュティナがこの演習場に来る人を見張ってくれている事だろう。
「クリスマスイブ、か……」
今頃世間は浮かれ、年末最大行事と言っても過言ではないひと時を過ごしているのだろう。
「来い!」
夢想を振り切るほどのルーナの勇ましい掛け声が、彼らを呼び覚ます。
演習場のタイル床の上に置かれたデバイスから、標的となる人型のマネキンが出力される。それらは精巧にできており、まるで本当に生きている人間が立ち塞がるようだった。
――国を取り戻したくば、戦い、強くなれ。――お前は国を守る姫だ、お前を信じる国民の為に、情けは捨てろ。
幼い頃に幾度となく言われた言葉がルーナの脳裏に駆け巡り、身体を突き動かす。身軽がすぎる身体で垂直の壁を蹴り、天を華麗に舞う。ルーナが飛んだ高度はおよそ、二五メートルほど。人が自由落下すればただでは済まない高さである。
空いている左手で素早く魔法式を展開する。それは、あまりにも巨大な純白の円形をしており――、
「――飛翔せよ、ファフニール!」
ルーナが起動したのは、超巨大な眷属魔法の魔法式だった。発動した眷属魔法の輪の中心をルーナが落ちていったのと同時に、完成した魔法式から巨大な竜が飛び立った。筋骨隆々の体躯に、大きく鋭い一対の翼。西洋風のドラゴンのフォルムをしたファフニールは大きく旋回し、落下するルーナを背中に載せ、演習場内で羽ばたいてみせる。
「先ほどはどこに行っていた、ファフニール?」
空を飛ぶ竜の背に乗ったルーナは、竜に優しく語り掛ける。
「懐カシイ友ニ会イニナ。……案ズルナ、我ノ姿ハソウハ見エマイ」
「お前は大切で特別な使い魔だ。あまり心配させないでくれよ?」
「眷属ヲ案ジルトハ、姫ハ優シイナ」
大きな翼が同じタイミングで上下に揺れ、演習場の中でファフニールは自由に飛行する。
「シカシコノ国ハ嫌イダ。狭イノヲ隠ソウト大キナ鉄ノ塊ヲ建テ、空ヲ縮メテイル。我ニハ飛ビ辛イ」
しっかりとした頭蓋骨格が誇る、獰猛そうであるが同時に凛々しい顔立ちの竜は口を閉ざしたまま、まるでテレパシーのようなロシア語でルーナに語り掛ける。
「ソレデイテ街ヲ歩ク人ノ心モ、荒ンデイル」
「そんな事はないさ。みな平等の同じ人だよ」
ファフニールは演習場を優雅に旋回しながら、ルーナに瞳を向ける。
「姫。オ前ハ幼イ頃カラ優シイナ。我ガ怪我ヲシタ時モズット撫デテイテクレタナ」
「撫でるくらい――いや、今はよそう」
「ドウヤラ、ソノヨウダナ」
眼下に群がる敵の姿を確認し、ルーナとファフニールは呼吸を合わせる。
ルーナは右腕に自身の得物である、長い槍を握り締めていた。
「ナント詮無キコトカ。相手ハ゛捕食者゛デモナク人間デハナイカ」
「国際魔法教会が決めた事だ……」
「愚カナ……。コノ期ニ及ンデ人ハマダ、人同士デ争イアウノカ……」
爬虫類の持つそれのような鋭い目を細めるファフニールの言葉に、ルーナは顔を顰める。
「゛捕食者゛を倒し、人々が安心して暮らせる完全な魔法世界にする為にも、これは必要な事なんだ……。国際魔法教会は、そう言っていた……」
「……姫ノ命ナラバ応エヨウ。我ハ姫ノ命ニ従ウ」
「苦労をかけるなファフニール。……いい子だ」
ルーナは左手でファフニールの首筋をそっと撫でてやり、軽く息を吸う。瞳を閉じながら身体の力を抜き、超高度から自分の身を躍らせる。髪と衣装が靡き、まるで地面の方から身体を押し上げようとする。
「私に応えろ――グングニール!」
漆黒の槍が煌めき、人型の敵を貫いた。
ファフニールは空中から滑空し、演習場の床の上に着地する。人も、゛捕食者゛さえも焼き尽くさんとする魔法の炎は、芽生えた僅かな迷いさえをも焼き切り、ルーナ以外の全てのモノを否定するかのように、滅却していた。




