4 ☆
ニ〇七九年、一二月二四日は日曜日。本日から冬休みになるクリスマスイブ当日の早朝には、二学年生が修学旅行先へ向かう為の移動手段であるバスが、ヴィザリウス魔法学園前の正門前に連なっていた。
「すごッ! 今年のイブは全国各地でホワイトクリスマスだってよ! テンション上がるー!」
ホワイトクリスマス。すなわち雪が降り積もるクリスマスイブの予報に、緑色のリボンが特徴的な制服を着た女子生徒たちは皆はしゃいでいる。
「制服で外出れるようになるとか、マジかー」
白に緑色のラインの制服を着た男子生徒たちも、次々とバスに乗り込んでいく。
高校生生活一大イベントである修学旅行。目的地である京都への出発前から楽しそうな生徒たちを横目に、一人の男性教師が門の横の壁に背を預け、電子タブレットを右耳に添えて会話をしていた。
『本当に申し訳ございません……。生徒会長の私が土壇場で修学旅行を欠席してしまって……』
「それは構わないが、波沢はいいのか? 波沢こそ、企画とか頑張って考えて、皆と行く修学旅行楽しみにしていただろ?」
もうすぐ雪が降ると言う白い空の下、二学年生の担任教師である森田は、白い息を吐きながら教え子の生徒である波沢香織と会話をしていた。そこまでの権限があると言うわけではないが、生徒会長と言う立場の波沢香織の電話番号は、二学年生の教師は殆ど交換していた。
『……はい。楽しみにしていなかったと言えば、嘘になります……』
ほんの少しだけ逡巡していた波沢の声音は、寂しそうであった。声のみでのやりとりであるが故か、言葉の重みは大きく感じるものだ。
『……でも、どうしても今日やらなくちゃいけないことが出来たんです』
「今日やらなくちゃいけないこと、か……。まあこっちは気にするな。渡嶋には俺から伝えておく」
『我が儘を言って本当にごめんなさい……』
「たまには生徒の我が儘を仕方なく聞いてやるのも教師だ。こうなったらとっととその用事を終わらせてこい。こちとら波沢のような真面目な生徒が少なくて困る」
『学園行事をサボってしまっている時点で、私も真面目なんかじゃないですよ……。昔の森田先生みたいに、ね?』
まさかの言葉を言われ、森田は慌てて電子タブレットを落としてしまいそうになる。
「ばっ、どこでそんな事を……」
『職員室で林先生が仰っていました』
「あの野郎……」
思わず左手をポケットに突っ込んでしまいそうになり、それをすればアイツのようになってしまうので、慌てて手を引く。
『……修学旅行、先生も楽しんでくださいね?』
「……ああ」
通信を終え、森田は忌々しく職員室のある中央棟を睨みつける。高い門の先では、かれこれ一か月は無人の理事長室が辛うじて見えるだけだ。
「修学旅行を楽しんで、か……」
自分が学生時代の頃はあり得なかった考えに、森田はひたすら苦笑するしかなかった。
豪華な二階建てバスに乗り込んでいく生徒たちの中で、緑色の髪を左右で束ねたその少女は、ひどく落ち込んでいた。両サイドの緑色の髪も、しなしなに萎れているようにだらんとしている。
「およよ……」
「めっちゃ落ち込んでどうしたのーわーこ?」
バスに乗り込む直前で、電子タブレットを見つめて涙ぐむ同級生女子に、上機嫌の相村佐代子が声を掛ける。
「かおりん、修学旅行来れそうにないって……」
「うっそマジ!? 修学旅行外すとかヤバっ!」
相村も友人である生徒会長の欠席の報に愕然とし、バスに乗り込む途中でしばし立ち止まってしまっている。
「べつにいいじゃん。どうせ佐代子は三日間とも翔ちゃんとラブラブしてるんでしょー?」
「ちょっ、声大きいしわーこっ!」
一瞬で顔を赤くした相村に、渡嶋美結はにやにやと笑いかける。
「まあかおりん、ここ一か月間お姉ちゃんと連絡がつかないって随分と心配してたんだよねー。もうちょっと気遣うべきだったかなーなんて……」
渡嶋は寂しそうに緑色の目を潤ませ、肩を落としている。
「修学旅行休むまでなんて。なんだかんだかおりんも修学旅行楽しみにしてたのに、よっぽどの用事か風邪か……」
友人の突然の欠席に、相村も心配そうに言っていた。
粉雪が降り始めた東京。予報では雪は粉雪からさらに大粒となり、夜にはくるぶしほどまで降り積もるのだとか。珍しいビルの街の雪景色に、商店街を歩く子供たちははしゃいで走り回り、雪で道路と歩道との境目が曖昧となって危なっかしいと追いかける親たち。そんな微笑ましい光景を手を繋いで歩くカップルが話をしながら眺め、会社の仕事を早々に切り上げてプレゼントを持って歩くサラリーマンたちは家へと急ぐ。
様々な姿を見せる雪降る都会の街に、首にそれぞれマフラーを巻いた二人の少女が歩いていた。
「――今日はありがとう桜庭さん。でも、本当にいいのかしら……」
「大丈夫大丈夫! あたしのお母さんもお父さんも、こうちゃんの話聞いたら何か協力したいって聞かなくて」
鞄を肩にかけ、香月と桜庭が会話をしながら、とあるショップへ向け歩いていた。
「冷たい……」
香月は降って来る雪の結晶を時より手の平で受け止め、それが熱で溶けていく様を見つめる。ホワイトクリスマスは何十年ぶりかだとニュースでやっていた。
「あちゃー……。さすがにイブだけあって、カップルだらけだね……。本当にこうなんだ……」
「そうね……。なんだか、狭く感じて居づらいわ」
まるで男と女が二人で外を歩くのが当然の日だと言わんばかりの都会の様子に、二人ともどこか気まずそうに歩道を歩く。冬休みの初日でもある今日はクリスマスイブ。街中ではそこらでクリスマスの装飾が施されており、アーケード街ではクリスマスソングの穏やかなBGMが流れている。
やがて二人は、駅近くの携帯ショップ前までたどり着く。そこでは傘を差していた二人の人影が、桜庭と香月を待っていた。
「いた。お母さん、お父さん!」
「……」
香月が優しい表情で見守る中、桜庭が声を張り上げ、嬉しそうに駆け足で走り寄る。
「莉緒!」
「久しぶり」
携帯ショップの前で待っていたのは、桜庭莉緒の両親であった。桜庭の声を聞いた二人とも傘を折り畳み、笑顔で娘を迎えている。
桜庭は二人の間に飛び込むように駆け寄ると、およそ半年振りの再会を喜ぶ。
「こんにちは、初めまして。香月詩音です。桜庭さんとは、仲良くさせてもらっています」
香月がやや遅れて合流し、桜庭の両親に頭を軽く下げる。
もちろん良い意味で父親は素朴な顔立ちをしており穏やかそう、母親も母性を感じる包容力のありそうな優しい印象の女性だ。三人とも黒髪な桜庭一家は、さながらひと際の純朴な日本人らしさを感じた。
「貴女が香月詩音ちゃんね。莉緒から話は聞いてるわ」
桜庭ママは娘の肩に手を添え、香月を優しい表情で見つめる。
「さっきお店の人に確認しておいたよ。契約者は私たちでも、了承しているのならば他人が持っていても構わないとね」
桜庭パパは、香月に向けて書類を差し出した。
「ありがとう、ございます……」
家族の温かさに身近で触れた香月は、書類を受け取りながら再び頭を下げていた。
「よかったねこうちゃん。これでやっとこうちゃんと電話が出来る……!」
桜庭の両親が契約者として、香月が未成年の間は携帯会社に香月の電子タブレットの名義を持つ事にしたのだ。それどころか代金の支払いも、大人になってからで良いと言ってくれた。その話を桜庭から聞いた時、最初は断ろうとしていた香月であったが、桜庭の熱意と、何よりも本当は自分の電子タブレットがずっと欲しかった事により、今に至る。
「莉緒は元々やんちゃだったのに、ヴィザリウスに入ってからは磨きがかかったみたいで……」
「いやいや。元気なのは、良い事だよ」
頬に手を添え困り顔の桜庭ママに、桜庭パパはうんうんと満足そうに頷く。
「え、えっと。は、早く中入って機種選ぼ!?」
やや恥ずかし気に、桜庭は両親の背をぐいぐいとショップへ向け押す。その行為事態が恥ずかしい事になっていそうだが、香月は敢えて何も言わない。
「そう言えば莉緒、貴女が言ってた剣持った男の子は!? あの、なんとかくん! 貴女今日クリスマスイブよ!? ママ友の中でも話題なのにっ!」
「大変だ大変だ。年頃の女の子がクリスマスなのに親子で過ごしてしまっている」
はっと思い出したかのように両手を合わせて慌てる桜庭ママに、桜庭パパは焦っているのか悟っているのか、うんうんと頷く。
「今はこうちゃんのデンバコが先でしょ!? もーごめんねこうちゃん……」
「い、いえ……。私゛は゛別に問題ないわ」
何の変哲もない、よくある家族の光景なのだろう。少々、愉快であるが。元気で、幸せそうな家族の光景を見れば、なんだか自分も優しい気持ちとなってくる。
――きっとこんな些細な光景を、彼は大事に守りたかったのだろう。
肩にかけた鞄の紐をぎゅっと握りしめ、香月は桜庭の家族と共に携帯ショップの中に入っていく。
その直後、駅前の携帯ショップ前を、角から曲がった誠次と香織が通り過ぎる。お互いに私服姿で、桜庭家の親子と香月がいる携帯ショップ前を素通りする。ガラスの先を見れば香月と桜庭が立っているのだが、気づくこともない。
「天瀬、くんっ……!?」
だが、香月は気づいていた。背中のレヴァテインの入った袋に、何よりもの黒い瞳。見間違うはずがない。
紫色の目を大きく見開いた後、すぐに踵を返す。
「桜庭さん!」
「えっ、ちょっとこうちゃん!?」
店の中で電子タブレットを眺めていた桜庭の手をぐいと引き、香月は店の外へ飛び出そうとする。
……しかし、急に立ち止まり、再び店の中へ。椅子に座って静かに待っていた桜庭ママと桜庭パパの元まで、駆け寄る。
「ごめんなさい少し外に出ます。すぐに戻ります!」
突然の香月の行動と表情の変化に、これには呆気に取られていた桜庭ママであったが、すぐに笑顔を見せて来て、
「年末で混んでいて待ち時間も大分あるし、大丈夫よ。でも人がいっぱいだから迷わないようにちゃんと莉緒を連れ帰って来てね? お願いね?」
「わたし迷子する前提!?」
「行ってくるんだ。外は寒いから、気をつけて」
桜庭パパは相変わらずうんうんと頷き、香月とまだ状況がよく分かっていない桜庭を促した。
「ありがとうございます! ごめんなさい」
「いいのよ。……若いわねぇ」
「青い春と書いて、青春。雪が止むのも、近いかもね」
香月は二度ほど頭を下げると、桜庭の手を引いたまま店の外へ出る。無数の足跡が白い雪の上に残っており、東京はいよいよ銀世界へと染まろうとしている。
「突然どうしたのこうちゃん!?」
そこで香月はようやく、自分が桜庭を無意識に引っ張って来てしまっていたことに気づき、手を離す。
「っ、天瀬くんと波沢先輩がいたの!」
「あ、天瀬が!?」
香月は店を出てすぐの所で立ち止まり、目を瞑って息を吸う。すっと持ち上げた両手の先で空間魔法の魔法式を展開し、意識を集中させる。無数の魔素反応の中で、北海道の大学で探し当てた時と同じ魔素反応を、割り当てる。
「――こっちよ」
すぐに空間魔法を終え、目を開けた香月は桜庭の手を引いて走り出す。
何度も足を滑らせて、転びそうになりながら、香月と桜庭は人々の間を縫うように走っていく。
やがてたどり着いたスクランブル交差点。信号は点滅していた青から赤に代わり、発車を待ち望んでいた車やバイクたちが一斉に雪をかき上げ、走り出す。
幾重にも交差する雪が被った車両の風景の先で、誠次と香織の背中はどんどん遠ざかって行ってしまう。
「あま、天瀬……天瀬くん……っ」
あっという間に周囲に信号を待つ新たな人々が集い始め、香月は大きな声を出すことを思わず躊躇ってしまう。車が慣れない雪の道路を走る音は大きく、それなりの大きな声を出さなければ向こうは気づいてはくれないだろう。なのに、その一歩で、香月は躊躇してしまっていた。もう、見失いたくはないのに……。
「こうちゃん――!」
悔しい表情を浮かべていた香月の右手を、桜庭が真剣な表情でぎゅっと掴む。痛みさえ感じる握力に香月が桜庭を見つめ返すと、桜庭はうんと力強く頷いていた。
「一緒に呼ぼう!」
「……ええ!」
気づいてもらう為なら、手段はどうでもよかった。迷う間もなく、香月は頷いていた。桜庭の「せーの」の掛け声で、二人は天を舞う粉雪を大量に吸い込む。
「「天瀬誠次っ!」」
クリスマスイブの都会に、一人の男の名が大きく響き渡った。
――天瀬誠次っ!
「っ!?」
自分の名が後方で叫ばれ、誠次は思わず立ち止まり、振り向く。
自分が振り向いたことによってつられたのか、それとも大きな声に反応したのか、その両方か。周囲の人々も何気なく振り向いている視線の先は、信号を待つ二人の少女に集中していた。
誠次にすれば、自分を呼んだ二人の少女の声音は聞き覚えのあるものだった。
「今のって……」
共に立ち止まり、同じく振り向いている香織はつい先ほど学園へ修学旅行を欠席すると言う連絡を送り終えていた。
「香月、桜庭……」
こちらをじっと見つめる香月と桜庭の姿を見た瞬間、確実な戦いを前に強張っていた全身から力がすっと抜けていくのを感じた。
赤いランプが灯る信号の前、誠次と香織は立ち止まり、二人の到着を待った。かなり長く感じた信号が青に変わった、途端。両者が歩いて近づき、白線の上で遂に接触する。
「天瀬!」
「天瀬くん……」
「桜庭、香月……」
何故か二人と手を合わせ、しばし見つめ合う。
「ハァハァ……。どうして、ずっと返事をくれなかったの……?」
走って追いかけて来たのか、息を切らしている香月の疑問に、誠次は申し訳なく視線を落とす。
「す、すまない。電子タブレットを、初日に失くしてしまって……」
「失くしてたのかぁ……よかった、元気そうで……」
桜庭が誠次の顔を覗き込み、しかし言葉の割には、やや寂しそうにして言う。
「波沢先輩……?」
続いて香月は、誠次の横に立つ私服姿の香織をじっと見つめる。
香織はどうしていればいいのか分からないようで、少し気まずそうに「おはよう」と声を掛けていた。
誠次は一歩前へ歩き、香月と桜庭に告げる。
「まだヴィザリウスには帰れない。俺と香織生徒会長は、どうしてもやらなくちゃいけない事があるんだ」
「「……」」
交差点の真ん中で話し合う四人は、確実に周囲の視線を攫っていた。
香織もまた、誠次の横に立ち並ぶ。
「ごめんなさい二人とも。でも大丈夫。誠次くんは必ず、私が守る」
香織の言葉に、二人は静かに頷いていた、
大きくなってきた雪が降り始める中、桜庭がそっと口を開く。
「しのちゃんは昨日も一人で学級委員を頑張ってて、冬休みの約束事をちゃんと言ってた。ほんちゃんもお父さんが無事に帰って来てくれたみたいで、天瀬に早く報告したがってた……。男子も林先生も……1-Aの皆は天瀬を待ってるよ!」
「約束して頂戴。必ず帰って来るって。゛クリスマスプレゼント゛がクリスマスに来ないのは、いけないでしょ?」
桜庭と香月のこちらを信頼し、信じてやまない視線の先で、ハッとなった誠次はゆっくりと頷く。そして、唇をわなわなと開ける。
「皆……。……分かってる。……必ず帰る」
青い信号が、点滅している。もう振り向いて、行かねばなるまい。何かを期待しているような桜庭と香月からそっと手を離し、後ろ髪をひかれる思いで誠次は香織を連れて踵を返していた。
「……再会の時間が短くて、辛い?」
横を歩く香織が、そっと近寄って来る。
手袋をしてもなお、両手に冬の寒さを感じるのか、香織は慌てて両手を口の吐息で温めているようだ。
「お気遣いありがとうございます、生徒会長……」
「だ、大丈夫。お姉ちゃんを助けるために、私も浮かれてる気分じゃないし」
「しかし修学旅行は行事の中でも、楽しみだと思います」
「そうかも。……本音は、本当に楽しみだった」
生徒会長として日ごろ真面目に職務を行っている彼女にとっては、京都と奈良での三泊四日は羽を伸ばす日にもなったはずだ。
香織はやはりどこか寂しそうに、纏まった雪が降る冬の空を眺めていた。
「でも、今その分は埋め合わせできてるって言うか……」
赤と緑から白に染まりつつあるクリスマスイブの朝の街並みを眺め、続いて隣を歩く誠次を見つめ、香織はごもごもと言っていた。
「でもイブのカップルっぽく、ですか……。イブのカップルって、どういう風にするんでしょうかね……」
メーデイア周辺の状況を確認するために、賑わうカップルに紛れろとの八ノ夜からの命令だ。男役として伸也が「俺やろっかー?」と名乗りを上げたが、それは香織が全力で拒否していた。
歩道を歩く誠次は、香織に訊く。
「……手を、繋ぐとか?」
そっと、手袋に包まれた利き手である左手を向けて来る。
確かに、道を行き交うカップルたちは仲良さげに手を繋いで歩いている。
誠次は無言で頷き、恥ずかしさを誤魔化しながら、自分から香織の左手を握っていた。
「誠次くん、慣れてる?」
「まさかっ! クリスマスイブに女の人と手を繋いでいるなんて……!」
「声、ちょっと大きくて周りの人が笑っちゃってる」
くすりと微笑みながら、香織は誠次の手を強く握り返す。
誠次は慌てて周囲を見渡す。まさか、自分がクリスマスイブの街を歩くカップルたちに一部に溶け込んでいる状況がまだ呑み込めていないのだ。
「香織先輩こそ、慣れているみたいですよ」
「そ、そんな事ないってば! 私だって、ドキドキしてるし、身体も熱いし……」
「いらっしゃいませー!」
それは、若者が甘い香りに誘い込まれる様にわざと作られているのか。メーデイアへと続く商店街の歩道を歩いていた二人は、いつの間にかクレープ屋台の前にたどり着いていた。丁度今、大学生らしきカップルが、幸せそうな表情で片手にクレープを持って店を後にするところである。
「本日はクリスマス特別メニューがございますよ!」
「「……」」
時間を節約するために、歩きながら大ボリュームのクレープを頬張る。
「期間限定に弱いって言うのは、私も私ね……」
至極恥ずかしそうに目を瞑りながら、紙の袋に入ったクレープを香織は持ち、同じくクレープを頬張る誠次の横を歩く。
生クリームとイチゴが目立つケーキのようなクレープは、さしずめ張りこみ道具であるあんぱんと牛乳のクリスマスバージョンと言うべきか。
メーデイア。高い塀に囲まれた、見た目は地方のどこにでもあるような学校の校舎のようだ。犯罪者が収容さえるような場所が豪華絢爛であるのはおかしい事なので、灰色の質素な見た目には違和感がない。枯れ枝が目立つ街路樹が並んだメーデイア沿いの道は、先ほどまでの華やかなクリスマスイブの雰囲気とはかけ離れ、道行く人も少なく、寂れた空気が漂っている。
「公開処刑と言うからには、やはりメーデイア内での処刑でないようですね」
「不特定多数の人に見られると言う点じゃ、たぶん外……」
まだどう言った処刑なのか、具体的な全容が掴めていない。それほどまでに現実離れしている行為が、今まさに目の前に聳え立つメーデイアによって行われようとしている。いずれにしてもそれらは非道な行いに違いなく、止めなければなるまい。
「――っ」
「誠次くんっ!?」
何かを見つけた誠次は咄嗟に香織の手を引き、路地裏の中に駆け込む。メーデイア正門方面から視線を感じ、慌てて身を引いたのだ。香織を壁沿いに立たせ、誠次は香織を匿いながら、路地裏の角から顔だけを出し、周囲を窺う。
「おそらく、一般人に扮した施設関係者もいるでしょう。正門前でずっと張りこんでいるのは得策ではないですね……」
「やっぱり、私たちを誘き出すための罠をしかれている……?」
「可能性は高いです。酷な事を言いますが、ただ茜さんを処刑すると言うのならば、公開処刑などと言う手段は使わないはずです。公開処刑をわざわざ行う理由が、彼らにはある」
白い息を吐き、誠次は香織に告げる。
香織も真剣な表情で、うんと頷いていた。
ひとまず現場に到着したことを八ノ夜に連絡し、誠次は改めて周囲を警戒する。
「――くしゅんっ」
香織が両手で顔を隠してくしゃみをする。身体を擦る手は震え、吐く息も白く、とても寒そうだ。降り積もった雪が早くも溶けて水となり、上からぽたぽたと水滴が垂れて来る裏路地と言う場所も、あまりよくはなさそうだ。
「寒いですね。メーデイアでもまだ動きはないみたいですし、どこかメーデイアを見渡せる場所で温まりましょう」
誠次は香織を気遣い、至近距離で声を掛けた。
「だ、大丈夫だよ誠次くん」
「香織先輩が風邪をひいてしまったら本末転倒です。もしもの時にすぐに動けるためにも、温かい場所に行きましょう。俺、探しますから」
「ありがとう……誠次くん」
張り切る誠次は赤い顔をしている香織の手を引き、さきほど路地裏へ入った道とは反対側の路地に出た。ビルをたった一つ跨いだだけなのに、そこはふたたびクリスマスソングのBGMが鳴り響く、華やかなイブの雰囲気へと早戻りだ。
「メーデイアを見渡せられる、出来れば高いビルで……一日中いてもおかしくない場所……」
香織の手を引きながら、誠次は考える。時刻は正午を過ぎたあたりで、喫茶店は人が多くて長くいるのは迷惑になってしまうだろう。
となれば、と誠次は顔を上げる。
「あの変に明るい蛍光色を放っているホテルなんて、メーデイアのすぐ横ですね。ホテルでしたら、一日中いても不自然ではありません」
「……あのホテルって……まさかラ――!?」
誠次が指さしたホテルを見つめながら、香織が口籠る。
「ラ?」
「な、なんでもないっ! た、確かにあそこなら、見晴らしも良さそう……だね……」
少しばかり様子がおかしい香織が、誠次の右手をさらにぎゅっと握って来る。
「ですが、イブだからホテルは゛家族連れ゛で混んでいるかもしれませんね……」
「か、家族連れ……? まさか誠次くん、あのホテルをただのビジネスホテルって思ってるの……?」
ぼそりと香織が小声で何かを言うが、誠次には聞こえない。
「目がちかちかしそうですが、入りましょう」
「……」
「香織先輩……? その、嫌でしたら――」
やはり二人きりでホテルに入るのは抵抗があるのだろうか。北海道の時は香月もいてくれたが、さすがに都内のビジネスホテルを二部屋分借りれる予算は持っていない。それは香織も承知しているからの、この反応なのだろうか。
顔を真っ赤にして固まっている香織に、誠次が声を掛けるが、
「う、ううんそうじゃないの誠次くん! だ、大丈夫!」
香織を連れ、妙にロマンチックな名前をしたホテルの中へ入る。入った直後にある受け付けも見たことがない独特なものだった。
「部屋の映像……休憩時間料金……? 独特な料金システムをしていますね。どうやら、受け付けの人もいないみたいですし。セキュリティは大丈夫なのか……?」
紫色とピンク色の電光色に曝されながら、周囲を見渡す誠次は顎に手を添えてぶつぶつと呟く。未成年がこのホテルのロビーでぶつぶつと呟いている様は、あえて言えば異常である。
「フロントが別にありました。あそこの従業員の人に訊いてみま――」
「ちょっと待って! こ、ここをこうすればいいんじゃないかなっ!?」
やけに顔を隠しているフロントに向かおうとする誠次の腕を引っ張り、香織が部屋の映像が流れているパネルを適当にタッチする。すると、香織が選んだ部屋のパネルライトが暗くなっていた。
「知っているんですね香織先輩」
「い、今知ったんだよ!? やり方、書いてあるの咄嗟に見て……。……何より学生の私たちが受付に行くと絶対に危ない……」
しまいにはこちらと目も合わせられなくなっていた香織は、相変わらずぼそぼそと呟いていた。
北海道の時とは違ってほとんどセルフなこのホテルは、今の誠次と香織にとって色々な意味で好都合であった。エレベーターから降りて通路を歩き、誠次がドアを開け、香織と共に選択した部屋に入る。
「ここなら落ち着けますね。空いていたみたいですし、良かったです」
「落ち、着ける、ね」
ぎちぎちとぎこちない動きで、香織は部屋の奥へと入っていく。
一方で誠次は、なぜか閉め切っている窓をのカーテンを大きく開け放ち、外の景色を眺める。やはり正解だ。ここからならばメーデイアの様子がよく見えた。囚人がいる牢獄は地下にあるので、塀もそこまで高くはなく、人通りの多い都会の真ん中に決して良いイメージがない刑務所が建っていてもおかしくはないのだろう。
「……っ」
誠次に背を向ける香織は、大きな楕円形をしたベッドにすとんと腰を降ろす。
「香織先輩はゆっくりしていてください。俺が監視を続けますから」
「それは悪いよ! 私もちゃんと見てるから!」
具合が悪いのかと思えばそうでもないようで、香織はすぐに振り向き、誠次のいる窓辺まで駆け寄って来た。
「そうですね。じっくり待ちましょう」
「うん」
お互いにコートを脱ぎ、壁にかける。色々と特徴的な内装であるが、それらが客人をもてなす為にあると言う点に変わりはない。
窓の外を流れ落ちる雪はやむことも激しくなることもなく、一定の勢いを保っている。街路樹の枯れ枝に白い雪が降り積もり、溶けては木々を黒く濡らしていく美しくも儚い雪景色は、この後に必ず起こるであろう嵐の前触れなど一切感じさせられないものだ。
ルームサービスは軒並み高いので、通路にあった自動販売機で買った温かいお茶缶を誠次は飲む。香織は微糖のコーヒーを啜っていた。
「……」
真向かいに座る香織は、窓の外を心配そうに覗き込んでいた。
「部屋の温度、少し温かくしましたが、大丈夫そうですか?」
「……うん、ありがとう」
誠次が尋ねると、香織はこくりと頷く。
「香織先輩?」
うわの空に感じた香織の顔を、向かいのソファに座る誠次が心配気に覗き込む。
「ちょっと、昔のこと、思い出しちゃって……」
「昔、ですか。香織先輩は子供の頃から、成績優秀な真面目な女の子だったのだと、思います」
「テストとかでも、それで良い点を取ったときに両親が喜んでくれるから、いつも頑張ったんだ。お姉ちゃんが優秀だったから、それに負けないように、張り合ってたのもあったかも」
香織はどこか悪戯っぽく、笑いながら言っていた。
「お父さんが警察官で、早くに死んじゃって……。お姉ちゃんが後を継いで、特殊魔法治安維持組織になった……」
「……その憧れのお姉さんが、処刑されるだなんて……あってはならないことのはずです」
「誠次くん……。肝心な時にいつも助けてくれて、ありがとう……」
「俺こそ、貴女には付加魔法をして貰い、戦い続けることができます。そんな貴女の大切なものを守るのも、俺の役目だと思いますから」
誠次がそう言えば、香織は青い目を微かに見開き、やがて、窓から視線を外し、誠次をじっと見つめる。
そして、おもむろに身体を寄せてきて、こんなことをぼそりと呟く。
「香織先輩……」
「貴方は、私のお母さんとお姉ちゃんに自慢できる……大事な人よ……」
そっと顔を近づければ、キスが出来てしまいそうな距離であった。本来このホテルは、そのような行為の為にある。しかし、そんな卑怯なことなどはせずに、香織は顔をそっと離す。来るべきその瞬間に備え、じっとメーデイアを見つめる青い瞳は、明らかに力強い意志を持っていた。
「待ってて、お姉ちゃん……。必ず助けて見せる」
※
「襲撃者の予測と、特殊魔法治安維持組織の援護?」
メーデイアの看守長は、その知らせに戸惑いを隠せないでいた。
「誰からの情報だ?」
「分かりませんよ。とりあえずこれも貰いましてね」
看守の若い男はにやにやと笑い、金一封をちらつかせてくる。
「……下がれ。処刑時の配置と動きは順次伝える。気を引き締めておくように」
「了解しました」
大事そうに金一封を胸元に戻し、看守の男は敬礼をして下がっていく。
「たった一人の処刑の為に、特殊魔法治安維持組織の護衛部隊と、情報提供か……。よほど特殊魔法治安維持組織は暇を持て余していると見える」
もっと他にやるべきことはあるだろうにと、ため息混じりに看守長は、看守が手渡してきた情報を見つめる。
「魔法が効かない……だと?」
情報はまだある。
「付加魔法に、注意せよ……。付加魔法……」
「看守長。どうされました?」
ノックをし、与えられていた部屋に入って来る別の看守の男が、首を傾げていた。
「……波沢茜の処刑の準備は?」
「準備は全て滞りなく進んでいます。しかし肝心の刑の瞬間ですが、捕食刑など、なにぶんにも前例のないもので……」
気をつけの姿勢であるが、若い看守の男はいささか自信を失くした様子で告げる。
「……こんなものそうあって堪るか。現場の指揮、並びに責任は私に一任されている。何事もなければそれでいいが……」
しかし何事もなければ、間違いなく彼女は゛捕食刑の処刑者゛である゛捕食者゛によって、殺されるのだろう。
大いなる矛盾を孕んだ大規模公開処刑を前に、看守長は机の上で組んだ両手を額に添えていた。
「それから……各員に銃火器の配備をさせろ」
「はっ。――って、え、銃ですか!? 失礼ですが、我々は魔法による戦闘訓練を受けております。汎用性、効率、効力の面から見ても、魔法の方が遥かに……」
「剣術士。我々の討つべき敵には一切の魔法が効かない」
文章だけの何枚もの書類を、看守長は看守に見せつける。
「魔法が効かない……!? 拘束魔法もですか!?」
「ああ。コイツは数日前に全滅したテロリストの残党だそうで、問答無用で剣で人を斬り殺すと」
「剣……? すみません、あの、それは本当に……?」
看守が戸惑うのも分からなくはない。今の数分で飛び出た言葉は、魔法と銃と剣。車が道路を走り、テレビでは年末特番のバラエティ番組が流れているような平和な世界に飛び出た、三つ巴の異常な言葉だ。もっとも、魔法はすっかり世間に浸透し、銃は゛文化゛が廃れてはいるがまだ存在しているが。
「人殺し……。残虐非道なテロリスト……。許せませんね……!」
「そうだな。……いずれにせよ襲撃に備え、警備を増強する。幸いにも敵の情報はこちらに筒抜けだ。特殊魔法治安維持組織の援護もある。必ず処刑を成功させるぞ。今宵俺たちは一瞬だけ、人間であることを忘れるように」
自分で宣言しておきながら、ぞっとする思いだ。メーデイアで繰り広げられる史上初の捕食刑の全責任を全身の血と肉で受け持った看守長は椅子から立ち上がり、腕を振るって号令をかけていた。
雪は、サッカーグラウンド以上はあるメーデイアの広大な敷地に降り積もる。
そして時期に来る夜。間もなく一人の女性が鎖で縛られ、夜の世界の支配者に差し出されることになる。




