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都内の閑静な住宅街に立地している一軒家に、紺のランドセルを背負った小学生高学年ほどの、眼鏡を掛けた少女が帰って来る。足取りは軽やかであり、何なら帰宅途中にスキップをしていた程だ。
「ただいまパパ! ママ!」
共働きの両親を持つ少女にとって、両親が家にいると分かっている日こそ、とても楽しみな一日だった。学校では大人しい事で有名でも、家の前まで来ればその興奮を抑える事は出来ないでいた。
「お帰りなさい、香織」
「ママ私テストで百点っ! 百点とった!」
すぐに取り出せるように、クリアファイルに挟んだままランドセルの端に入れていたテストの答案用紙を、身体の前まで回したランドセルから取り出してみせ、小学生の波沢香織は玄関までやって来た母親に見せつける。
「さすが、お利口さんね」
「パパにも見せる!」
眼鏡の奥の青い瞳を輝かせ、香織は廊下をとたとたと走っていく。
「お帰り香織。でも廊下を走るのは感心しないな?」
「えへへ、ごめんなさいっ」
仕事で海外に行っていることが多い父親も、休日の今日は久しぶりに家に帰って来ており、リビングで新聞紙を読んでいた。読んでいるのは英語の新聞で、香織も英字新聞の内容は何となくは分かっていた。
「ほら、百点! 国語は八五点だったけど――」
「――私は国語も九〇点以上だったけどなー香織?」
中学生の姉である、茜の声が玄関の方から聞こえる。
小学生の頃から自分より頭の良かった姉の存在は、香織にとって誰よりもの負けられないライバルとなっていた。
「お姉ちゃんの時と違って、国語の先生厳しいんだもん!」
香織は顔を上げて振り向き、廊下に向かって大きな声を出す。
「学校の先生のせいにしているようじゃ、香織もまだまだだな」
「パパまで!? もう!」
はははと笑いかける父親に、香織は顔を真っ赤にしてふくれっ面を見せていた。
「さあ、夜ご飯食べちゃいましょう。パパがまたいつ帰って来てくれるか分からないですからねー?」
「悪かった悪かった。次の出張が終わったらしばらく日本だ。海外の料理はどうにも口に合わないんだよなー」
「そんな事で私たちの機嫌は直りませんからね。大黒柱さん」
ママとパパの何気ないやり取りも、香織にとっては珍しく、いつまでも見ていたかった。
宿題を早めに終わらせて、夕食を食べ、お風呂に入り、リビングへ。せっかくの休日でも、父親はどこか忙しそうに、テレビのニュースをチェックしている。
「パパ! 私、この魔法使えるようになったんだよ!」
香織はおもむろに魔法式を展開し、机の上に置いてあったリモコンを宙に浮かし、父親の手元に運ぶ。
「凄いな……魔法ってやつは」
父親は目を大きく見開いた後、香織に向かって微笑んだ。
「凄いでしょ!」
「ああ。パパも魔法が使えたら、なんだっけ、特殊魔法治安維持組織に入ってたのになー」
「パトカー?」
寝間着姿の香織は小首を傾げていた。
「それを言うなら警察だ……。変にお馬鹿さんだな香織は」
「テストで百点! お馬鹿じゃない!」
むっとした香織に、父親は苦笑している。
「はいはい。パパはいつも誰かを助けたいって思ってる。もし魔法が使えていたら、今の仕事はすぐやめて、特殊魔法治安維持組織の試験でも受けてるよ」
でも、と父親は寂しそうな表情を浮かべていた。
「パパももう少し生まれるのが早くなければ、魔法が使えていたのにな……。なんで、茜や香織に出来てパパやママたちには出来ないんだろうな……」
「パパ……」
せっかく帰って来てくれたのに、どこか寂し気な父親の姿など見たくなく、そうさせてしまった自分が申し訳ない気持ちとなり、心配な表情の香織は父親の元へ寄り添う。
首を軽く横に振った父親は香織の頭を、そっと撫でてやってから、にっこりと笑っていた。
「でもいいんだ。もしパパがもっと遅く生まれちゃったら、もしかしたら茜も香織も生まれてこなかったかもしれないだろ? パパにとっては魔法使いになるよりも、茜と香織が生まれてきてくれた事の方が嬉しいんだ」
少しばかり照れくさそうにはにかんで言った父親の言葉が、香織は嬉しく感じ、天真爛漫な笑顔を見せる。二人がいるリビングと廊下を繋ぐドアのすぐ先で、自分と同じ青色の髪がふわりと揺れていた。
――翌日。小学校には遅刻する心配もないように、朝早く来ては教室の自分の席に座る。空いた時間は勉強か読書かであった。
徐々に人が集まって来た教室の中で、香織は静かに椅子に座っている。一緒に遊ぶような友達はとくにはいないが、浮いていると言うわけではない。別に孤独が好きと言うわけでもなく、出来れば誰かと仲良くなりたい。
それでも、あまりに優秀な少女にどこか引け目を感じるクラスメイトたちが率先して声を掛けて来る事はなかった。
「――ニュース見た? 昨日の夜の、捕食事件」
「ああ。あれ絶対隣のクラスの太田だよな?」
隣の席の男子が机の上に直接座り、会話をしている。
「太田って親離婚してヤンキーだったじゃん? ゛捕食者゛なんか怖くないって言ってて、返り討ちにあったんじゃね?」
「うっわ、馬鹿じゃん。ってか、また朝会あるんじゃね? 夜の外には絶対に出てはいけませんって、先生の長い話」
「面倒―」
――ちゃんと規則を守っていれば、死ぬことなんてなかったはずなのに。隣の席でじっと会話を聞いていた香織は、そう思っていた。
大方の予想通り、その日のうちに全校集会があった。誰かが死ねば、その旨が壇上の先生により伝えられ、皆さんは気をつけましょうと予定調和のような流れ。整列しているクラスメイトたちの中には、長い話を聞かずにお喋りをしている生徒もいた。
ちらと先生方を見れば、皆悲しそうな表情で目を伏せているのが、周りの子供たちとは対称的であった。他人の子供が死んで、そんなに辛く感じるものなのだろうか?
「ついこの間も皆と同い年ほどの男の子が家族全員を失くしたとニュースでやってましたね? 皆さんは魔法が使えるからと、決して自分の力を過信しないように――!」
「……可哀想」
先生の声がどこか遠くで聞こえるような気がして、香織は自分の眼鏡をそっと触っていた。
家に帰ると、母親は仕事に向かっていた。今日は先に帰っていた姉が玄関に立っていた。
「お姉ちゃん? ただいまー!」
「お帰り、香織」
「どうしたの?」
どこか浮かない表情を浮かべている茜を不思議に感じ、香織は首を傾げる。
「お父さんが、仕事に行くって」
「え……」
「――ごめんな。でも、どうしてもハッキリさせたい事があるんだ。二人でお留守番、ちゃんと出来るな?」
スーツを着こなした父親が申し訳なさそうな笑みで、まだ自分の身の丈の半分ほどの背しかない茜と香織の頭を交互に撫でる。
「パトカー乗るの?」
「ああ。この間、男の子が一人だけ助かった捕食事件があったろ? それの調査なんだ。なんでも事件当時――」
そこまで言いかけると、父親はあっと思い出したかのように自分の腕時計を確認する。
「いけない早く行かないと。これが終わったら、ゆっくり休みをとるよ。そしたらみんなでどこかにお出かけしよう」
「動物園!」
「水族館!」
茜と香織が同時に言い合い、お互いに引かない状況となる。
父親はそんな二人を名残惜しそうに見つめてから、苦笑していた。
「わかったわかった。二人とも本当に動物が大好きなんだな。じゃあどっちも連れて行ってやるよ」
「「やったっ!」」
「行ってきます」
「「行ってらっしゃい!」」
二人で父親を見送り、波沢家でお留守番だ。姉妹だけと言うのは、もう慣れていた。そうなれば、決まって茜は張り切って、香織の面倒を見たがるのである。
「香織。宿題を終わらせるぞ」
「うん」
リビングの机の上にランドセルを置き、宿題を取り出す。夕食は母親が作り置きしてあり、茜が電子レンジで温めてくれる。
両親はいつも家にいないけど、香織はこの暮らしが大好きであった。姉の事も、意地っ張りで強情で厳しくてお菓子勝手に食べられたり何かとお姉ちゃん面したがってくるけれど、まあまあ好きであった。
「この計算、間違ってないか? ここはこうだ」
「本当だ―」
何だかんだ、両親の代わりにずっと傍にいてくれる存在と言うのは大切だった。
「お姉ちゃんはなにやってるの?」
椅子に座ると床につかない両足を交互にふらふらさせ、香織は茜に訊く。
「アンケートだ。将来何になりたいかと、聞かれてる」
「へえー。なんて書くの?」
「もちろん、これだ」
小学校中学年ながら、茜は漢字で【特殊魔法治安維持組織】と書いて見せていた。えへんと胸を張る茜の姿は、どこかやる気に満ちているのであった。
「パパと一緒だね!」
「一緒じゃない! 特殊魔法治安維持組織と警察は違うんだ」
はしゃぐ香織を、茜はやれやれと注意する。他愛ない会話だ。
――その後、二人でいつまでも待っても、父親が再び家に帰って来る事はなかった。代わりにやって来たのは、父親の同僚の青い制服を着た大人たちだった事は、今でもよく覚えている。
亡骸無き葬式は慎ましく行われた。
妹はまだ何が起こったのかよく分かっていないようであったが、小学三年生の自分には、理解が出来ていた。それがどんなに残酷で、悲しい事実だったとしても、周りの大人たちは納得しなければならないと諭してきた。
「お姉ちゃん、お寿司だって」
「ああ。いっぱい食べろ」
「お姉ちゃんの好きなやつあげるね?」
「……ありがとう」
――だから私は……気丈に振る舞った。
大好きな寿司を前にしても、周りの重苦しい空気を察し、香織は隣の席に座る茜にだけ聞こえるような小声を掛けて来る。
「……」
大げさな例えではなく、一日中泣いていた母親の顔はとても険しく、茜の小さな心臓はちくちくと痛んだ。
――まだ若い子供もいるのに……。
――可哀想に……。
――強く生きるんだよ、茜ちゃん、香織ちゃん。
顔も合わせられないような大人たちが、次々と声を掛けて来る。放っておいてほしい、と心から思っていた。私は貴方たちの事を何も知らないし、向こうもそうだろうと。
葬儀が終わって数日後、母親は家を引っ越すことにしたそうだ。家賃的な問題もあったのだろうが、それ以上の何かが、母親を動かしたのだろう。一家の男手を失った茜はこの時から、より一層妹の香織を守る決意を固めていた。
時は流れ、中学生になったある日。セーラー服を着た茜は、狭くなった家のリビングにて、思い切って母親に声を掛ける。
「お母さん……あの……」
「どうしたの、茜?」
笑顔こそ少なくなったが、母は姉妹にいつまでも優しいままだった。
――だから、これを言ってしまえば母が怒ってしまうのではないかと、思ってしまい、ずっと言えなかった事だ。けれど前に進むためには、言うしかない事であった。
「私……特殊魔法治安維持組織になりたい。魔術師として、゛捕食者゛と戦ったり、人を守りたい!」
「……そう」
母親の返事は、驚くほどに呆気の無いものであった。
怒鳴られるかとびくびくしていた茜であったが、母親は変わらない優しさで、茜に接してきた。
「やっぱ……親子って似るのね。子供の夢を応援しない親はいないわ。ただやるのなら、やりきりなさい。お父さんも最後まで警察官としての仕事をまっとうしようとしていたのだから」
寝室に置かれている仏壇に視線を向け、母親は力強い口調で言っていた。
「……ありがとう、お母さん」
母親の愛情をしっかりと感じた茜は、間もなく東京のヴィザリウス魔法学園へ入学する。
一学年生の頃から、成績は常にトップか、上位をキープしていた。ずっとトップにいられなかったのは、ある同級生男子生徒がいるせいであった。
二回目のテストが終わり、掲示板に張り出されている順位表を眺めて茜は絶句する。
「影塚広……。何なんだ……アイツは……」
他クラスでたまに見れば、へなへなしているただの優男と言う印象だった。
「あの人凄いよね……。俺も、憧れてるんだ。努力しても無駄だって分かってるけどさ」
じっと睨んでいたところ、後ろから声を掛けられ、茜は振り向く。
ヴィザリウス魔法学園の制服を着たその男子生徒は、茜とじっと視線を合わす。
「?」
「ああごめん驚かせた? 俺は堂上――君を殺しに来た――」
「――ッ!?」
※
長い夢は、ようやく覚めた。しかし、悪夢は終わる事はない。
硬く冷たい手錠を嵌めれた腕と足。自由に身体を動かすことも叶わずに、もはや筋肉がぐちゃぐちゃに溶けてしまったようで、自分の意思で身体を動かすことは出来ない。
「……死ぬ、の……か……」
メーデイアの地下牢にて。虚ろな目をした茜は、力なく呟く。連日続いた幻影魔法による拷問は、ある日を境に止まっていた。代わりに看守から伝えられているのは、なぜか月日だった。そして現在は一二月二三日の夜。
「誕、生日……。おめ、で、とう……」
不思議と微笑んでしまうのは、純粋に母親を祝う気持ちか、精神が崩壊しているせいか、今の自分が情けないせいか。
茜はぶつぶつと、それ以上は理解不能な言葉を呟き続けていた。
そんな茜を遠くから見つめる、年端の行った男性看守の姿があった。他の看守たちに比べて制服の紋章の数は多い。
特別なキャリアもなく、たたき上げの自分がこのような魔術師たちの牢獄で看守長を務めているのは、人格的な面が評価されての事らしい。
「……見てられん」
メーデイアでなくとも、今まで何人もの囚人たちを見て来た身であったが、茜への凄惨な仕打ちは見るに堪えないものでった。
主に囚人との関係が深くなるなど不正防止の為にも、刑務所の職員は年単位で転勤配属される。そうして配属されたメーデイアの地下の惨状を目の当たりにした看守長は、ただただなす術もなく一人の女性が衰弱している様を見守っているだけであった。看守の中には茜への拷問を楽しんでいる者もおり、行き過ぎぬように注意はしているのだが、それまでであった。
「反逆者、か……」
そうなって当然だと思うと同時に、どうしてそこまでする必要があるか、と言う感情の板挟みでもあった。
矯正監室に呼ばれていた看守長は、そこでメーデイアを仕切る溝口に、驚愕の事実を聞かされる。
「明日の夜……処刑ですか!? 裁判は!?」
「現行犯だからねえ。弁護士も誰もつくわけがないし、それに裁判なんてあってないようなモノだろう?」
溝口は面倒くさそうなため息をした後、自慢のちょび髭を撫でながら、優雅そうに言ってくる。
「しかし、例え反逆者と言えども、弁明の余地があっても」
溝口は薄く口を開けて笑うだけだ。
「あのさここは刑務所! 裁判所じゃないんだよ? それに君の仕事は囚人を庇う事じゃないよね?」
「悪人は裁かれるべきです……正当な手段と手順によって!」
「だからこれが、正当な手段と手順なんだって。ちゃんと政府からの指示だってある。今日来たんだこれ」
溝口はそう言うと、一枚の紙を見せつけて来る。
細かな文字が書かれた紙に判が押されているのを確認してしまった看守長は、とどめを刺されたように唸り、深く頷いていた。
「処刑方法、゛君たちに優しいよね゛?」
「絞首刑では、無いのですか?」
「極めて最近らしいやり方だよ」
溝口はまるでゲームでもやるかのように、愉快そうに笑っている。
その態度に吐き気を覚えながら、看守長は政府から送られてきたと言う書類をよく確認する。
「なん、なんですこの処刑方法は!?」
――【波沢茜を捕食刑に処す】。
残虐非道な文面に、看守長はとうとう怒りを覚えていた。
だが、そんな看守長に苛立つのは溝口の方でもあった。
「さっきから煩いな君はっ! 黙って私の命令に従わないか!? 一応決まりだし、この事をもう人間かどうかも分からなくなってる地下の女の子に伝えておいてよ」
「……はい」
臭いから行きたくないんだよね、と言う溝口の前で踵を返し、看守長は部屋の外へ出ようとする。ドアノブに手を掛けたその途端、後ろから「そう言えば」と声を掛けられる。
「゛屋外での処刑だ゛。無いとは思うけど処刑を邪魔する奴が来るかもしれない。――そんな時君たちはどうすればいいのか、分かってるよね?」
ぴたりと止まった看守長は、自分の右腰に添えられている殺傷能力の高い拳銃に視線を向ける。
「……撃ち取ります。魔法が使えずとも」
「その意気だ。明日は雪の予報だってよ。寒くなりそうだから温かくね」
溝口の中では、優しい事を言ってやったと思ったのだろうか。満足そうにちょび髭を触ると、溝口は振り向いていた。壁には、自分が飾り付けた賞状や勲章が並んでいる。
「……失礼しました」
ため息を堪えた看守長は、矯正監室を後にする。
明日が何一〇年か振りのホワイトクリスマスになるかもしれないと言う事は、世間でもニュースになるほど話題になっていた。今頃世間は沸き立ち、明日への思いを馳せているのだろう。
その日に確実に一つの命が終わりを迎えることになるとは、露知らずに。
「看守長!」
部屋から出た看守長を待っていたのは、まだ若い看守の男だ。たたき上げの自分とは違い、フレッシュさを残したままの看守は、看守長へ詰め寄ってくる。
「こんなのはやっぱりおかしいです。いくら犯罪者とはいえ、あんな惨い拷問がまかり通って言いわけが!」
「それは私も分かっている……。だが下手に歯向かえば、お前も自分や家族の身が危ういぞ」
「しかし……あんまりです……! しかるべき手順も省いて……!」
「見届けよう。私たちにはそのことしか出来ない……。せめて彼女の最期を見届け、いつか人々が目を覚ましてくれることを願って……」
それが自分たちの責任だと、看守長は看守の若い男を宥める。
「……はい」
看守の男は、悔しそうに俯きながらも、大人しく上司の命令に従う他なかった。
「降って来たか……」
通路の窓から外を見上げれば、漆黒の夜空から降り落ちる粉雪たちの姿があった。看守長は降り続ける雪の子たちをじっと睨むように見つめ、途方もないと感じるため息をついていた。
「どうか彼女に、救いを……」
※
「――ういっす、あまっち」
特殊魔法治安維持組織本部から撤退し、逃げ込んだホテルの一室にて、部屋に戻ってきた夕島伸也が、誠次の前のソファに座る。
伸ばしっぱなしの髪のままの誠次は、床の上に座り、壁にもたれ掛かっていた。
「ご無事で何よりです、伸也先輩。……情報は、何か分かったんですか?」
誠次は伸也に訊く。
「ああ。今や特殊魔法治安維持組織は光安に完全占拠されているらしい」
「取り戻さないと、ですね……」
黒い瞳に光を宿し、誠次は顔を上げて言う。
「そうだな。光安の連中が好き勝手やっているらしい」
伸也も頷いていた。
八ノ夜が解析した情報により、電波障害発生当時の特殊魔法治安維持組織本部の状況が続々と分かって来た。
「んで、悪いニュースだ。波沢香織の姉の波沢茜って人が、メーデイアに囚われているらしい」
「茜さんが!? どうしてですか?」
「反逆者の逃走ほう助らしい。殺されたのが第七の隊長って事は、その分隊の茜さんが助けたってのは自然な話だな」
「助けましょう! 茜さんも無実なんでしょう!?」
誠次が声を張り上げて、伸也に告げる。
「新崎はお前を見逃した。これは絶対に罠だ。それに助けるって言ったって、今度はメーデイアに潜り込むのか? 海外ドラマじゃないんだしよ……」
いつもな軽薄な表情でいる伸也も、さすがにこうも緊急事態が重なれば、真剣な態度を崩すことは出来ないでいるようだ。
「八ノ夜さんが集めた情報を持って、裁判所に訴えれば……」
「――残念だがもう残された時間はない」
誠次が提案するが、部屋の中に八ノ夜がやって来る。
「連中は波沢茜を見せしめの処刑にするつもりだ。明日にな」
「明日……。いくらなんでも早すぎる……」
誠次が部屋のカレンダーを見つめる。掠れる視界の焦点が合わさった時、それは間違いなく一二月二四日を捉えていた。
時間が無い……! このままでは茜さんが処刑されてしまう……!
誠次は壁に立てかけてあったレヴァテインを睨む。
「メーデイアに潜入するのが無理でも、クリスマスイブ当日の処刑の日に奇襲すれば、そこで直接助けられます!」
誠次の中のイメージでは、公開処刑とは、大勢の観客に見られている中で行われるものであった。その観客の中に紛れていけば、処刑直前で茜を救えるのではないかと言う、誠次の提案だった。
「分かった。やる気か?」
八ノ夜が誠次を見る。
迷う素振りもなく、誠次は首を縦に振っていた。
「もうこれ以上無駄な犠牲を出させません。たとえ罠だったとしても、乗り越えて、茜さんを絶対に助けます!」
来るクリスマスイブに向け、その日は夜通しの作戦会議が行われた。
ホテルの通路の椅子に腰かける誠次は、友の名を呼ぶ。
「……志藤」
小学生か中学一年生の頃か、恥ずかしそうに中央に立っている友人の姿を見つめれば、誠次は自然と微笑むことが出来た。何だかんだで、友人が幸せそうな笑顔を見せているのは嬉しかった。
――もっとも、今はどうなのかはわからないが。
「きっと事情があったんだろう……」
ずっと内緒にしていたのも、そうだと思う事にし、誠次は俯く。
「誠次くん」
香織が歩いてやって来て、誠次は顔を上げる。
「香織先輩」
「ありがとう。お姉ちゃんを助けるために声をあげてくれて」
「いえ、それにしてもショックですよね……。特殊魔法治安維持組織がああなってしまって……」
一か月前に特殊魔法治安維持組織本部を誇らしい気持ちで訪れたことが、遠い昔の事のように感じられる。姉を尊敬していると言っていた香織も、そう感じているに違いなく、誠次は言っていた。
「うん……。私も将来は特殊魔法治安維持組織に入るって夢があったから、そんなわけないって思ってたんだけど……今日の出来事で……」
香織は自分の左手で右腕をさすっていた。
「茜さん、必ず助け出しましょう。これ以上無駄な犠牲者を出すわけにはいきません……」
「イブは、お母さんの誕生日なの」
言いながら香織は誠次の横に座る。
「まさか、向こうはそれを分かって、あえてその日に……」
「お母さんは、お父さんが死んでしまっても、私とお姉ちゃんを女手一つで一生懸命育ててくれた。そんなお母さんを、悲しませたくない……! お願い誠次くん、私の付加魔法を使って」
「頼りにしています。お互い全力を尽くしましょう」
誠次と香織は見つめ合い、頷き合っていた。
「誠次くん久しぶりに見ると、また逞しくなってる気がする」
「八ノ夜理事長からしこたま鍛えあげられましたからね」
やや遠くを見つめ、誠次は苦笑交じりに言っていた。
「みんなを守る為です」
「……そこは変わってないんだね」
香織はどこか安心したように、誠次を見つめて微笑んでいた。
「生徒会長になって沢山の人に助けられてるって、実感してる。わーこや佐代子……生徒会のみんな」
それが嬉しい事の様で、香織の綺麗な横顔の口角が上がっているのを、誠次は見つめていた。
「ヴィザリウス魔法学園のみんなの前に立つ生徒会長として、ただ漠然とお姉ちゃんを追いかけていた時とは違う今の私を、お姉ちゃんには見てほしいから」
香織は右手をぐっと握り締め、決意を込めて言っていた。
「俺にはレヴァテインと付加魔法の力があります。例えメーデイアでどんな奴が立ちはだかろうとも、必ず守ってみせます!」
隣の席に座る誠次も、そんな決意を固めているのであった。
※
誠次と八ノ夜が東京にいる間、留守番を任されている心羽は張り切っていた。使い魔のイエティたちと一緒に、部屋の掃除を行い、洗濯物を畳み終える。すっかり日も暮れたので、カーテンを閉め切り、戸締りもしっかりと行う。
「この歳で眷属魔法を扱いこなしているとは、すごいな……」
一緒に留守を任されている二人の女性のうち、草鹿が胸の前で腕を組んでイエティたちを眺め、感心している。
「イエティちゃんたちも戦うより、家事する方が好きみたい」
心羽は両手で誠次の服を持ちながら、にこっと笑っていた。
「お家に一人は心羽ちゃんが欲しくなっちゃいますね」
洗い物を終えた柚子も、綺麗な部屋の中を見渡していた。
先ほど、東京にいる八ノ夜から作戦は成功したとの連絡があり、三人ともひとまずは安心していた。あとは、無事に帰って来るのを待つだけである。
「ゴギ」
「? どうしたのイエティちゃん?」
心羽の服の袖を引っ張る、女の子イエティが一体いた。心羽はイエティに連れられ、玄関へと向かう。
「そうだ。貴女はこの間、お家を指差してたイエティちゃんだね?」
「ググ」
エプロン姿のイエティはこくりと頷く。そして続いて、人間のそれと比べるとはるかに太い手指で、玄関の外を指差してみせる。
心羽はすぐに、首を横に振っていた。
「夜のお外は駄目。゛捕食者゛が出ちゃうから。イエティちゃんも戦いたくないでしょ?」
「ゴグ、ガゲゴ……」
「危ないぞ心羽? どうした」
心配になったのか草鹿が様子を見に歩いてくる。
「イエティちゃんが、お外を指差してるの」
「外? 何かあるのか?」
草鹿は物怖じすることなく玄関を開け放つ。
玄関からイエティは外に出ると、すぐに振り向き、玄関の上を指差してみせる。
「心羽はここで待ってな」
草鹿も外に出て、イエティが指さす先を見上げていた。
「鳥の巣か?」
イエティの指さす先、玄関ドアのある屋根の下に、木の枝と土で出来た茶色い鳥の巣があった。
「ゴゲ、ガゲグゲ」
イエティは鳥の巣に向け、両手を差し出して声を出している。
一体何をしているんだ? と首を傾げる草鹿の横。鳥の巣から羽ばたいた一羽の鳥が、イエティの手元までやって来る。
「おい?」
イエティの手のひらにすっぽりと収まった小鳥を握りつぶしてしまうのではないかと、草鹿が手を伸ばしかけるが、次の瞬間には鳥は巣に帰っていく。イエティの手のひらに、巣から運んだ何かを乗せて。
「これは……」
イエティと草鹿は、すぐに家の中に入る。
心羽が玄関で待っていた。
「二人とも大丈夫だった?」
「ああ。それよりもイエティがこれを鳥から貰っていた。デンバコだな」
イエティが心羽に、鳥から受け取った電子タブレットを手渡す。
心羽はそれを一目見ると、水色の瞳を大きく輝かせた。
「これ! せーじのデンバコ!」
少しだけ汚れているが、最新モデル電子タブレットは、誠次のもので間違いなかった。
「アイツのか? まさか鳥が運んで巣に使ってたのか?」
「ガギガゴグ、ゴ」
「鳥さん、ありがとうって言ってたんだ」
鳥の巣作りの骨組みに利用されていたおよそ一か月ぶりの誠次の電子タブレットは、すっかり電源が切れており、充電しなければ使えない状態だった。
「電子タブレットを巣に使うとは、贅沢な鳥だ」
「鳥さん、元気に育ってくれるといいけど……」
「どうだろうな。元気に育ったところで、鷲とか猛禽類にころっと喰われるかもな」
腰に手を当てる草鹿が至極残酷な事を言うが、食物連鎖がある大自然の摂理である。
案の定、心羽は嫌そうな表情をしていたが、誠次の電子タブレットをじっと見つめる。
「せーじが喜んでくれる……。せーじの優しい笑顔、また見たいな……」
心羽は大事そうに誠次の電子タブレットをぎゅっと握り締めていた。早く帰ってきてほしいと、幼気な瞳を天に向ける。
「え、ちょ、ちょっとなにこの着信の数……!?」
その後、充電を任された柚子が動作確認のために誠次の電子タブレットを起動したところ、尋常ではない量の着信の知らせが一斉に届いていた。




