6
一夜明けた朝。
「ふん、ふーん」
魔法で浮かばせた調味料の瓶たちから、粉末状の調味料がぱらぱらと鍋へ落ちて行く。瓶の蓋を閉じ、正確に制御しながら、山梨県の朝の山々が見渡せる窓際の戸棚へ整頓させて戻す。
「美味しそう」
お玉を片手に持ち、にこりと微笑む松風柚子がキッチンで料理を作っていた。彼女の片手が制御する汎用魔法の魔法の光がひとたびキッチンの食材や調理道具に掛かれば、まるでそれらに命が吹き込まれたかのように、キッチンの上を飛び回っている。
「いつ起きてもいいように、ちゃんと心羽ちゃんのぶんもね」
柚子が呟きながら左手の人差し指をくいと曲げる。そうすれば、顔の横まで浮かべ上げた塩コショウの瓶のふたが、まるで返事をするように二、三度、開閉を繰り返した。
「あれ、デンバコちゃんに誰かから連絡? はいはいちょっと待ってくださいねー」
電子タブレットに話しかけ、柚子は慌てて自分の電子タブレットが置いてある机の上に向かっていた。
ぐつぐつと煮物が煮える音がする窓の先では、一羽の鴉が漆黒の羽を広げて、大雨の後の快晴の空へと飛び立って行く。
二階の誠次の部屋の誠次のベッドでは、まだ心羽が眠っている。熱は平熱よりはやや高い程度まで収まり、呼吸も穏やかだ。
「心羽。心羽にはまだこの魔法世界で見せたいものや教えたい事がたくさんあるんだ。それに、みんな心羽を待ってる。だから、必ず帰って来てくれよ」
黒いインナーシャツ姿の誠次は、そっと心羽に語り掛け、優しく心羽の頭を撫でてやる。小さなおでこに乗せる冷たいタオルを変えてやってから、誠次は部屋を出た。
「終わったか誠次少年!」
「はい。お願いします兵頭先輩」
「おう! 手加減無用だぞ!」
「こちらこそです」
部屋の外で待っていた兵頭と共に、誠次は特訓の為に家の外へ出る。朝日は眩しく、どしゃ降りの雨でぬかるんだ大地は歩きづらい。家の外には、雨粒を残した二台の車が停まっている。
「……」
「どうした誠次少年?」
家から出て少し立ち止まった誠次に、兵頭が振り向きながら訊いてくる。
「いえ……なんだか今日は鴉が多いなって」
四方から彼らの鳴き声が止むことなく聞こえてきて、まるで何かを伝えるような叫び声にも聞こえてくる。いくら知能が高い動物だったとしても、そんな事はないだろうが。
「誠次少年が家を出た途端、鳴き始めたな」
「縁起でもない事言わないでくださいよ」
そう言えばこの間に読んだ北欧神話の本でも、鴉は登場していた。英名はレーヴァン。彼らはワタリガラスとして世界を飛び回り、主神であり戦争と死の神に情報を渡していたとか。
ふと、立ち止まっていた誠次の目の前の木の枝に、一羽の鴉が降り立つ。鴉の漆黒の瞳にじっと見つめられ、しばし誠次は金縛りにあったかのように動けなくなっていた。
※
戦いの後に残るのは、虚しい雰囲気だけ。
激しい戦闘が繰り広げられた特殊魔法治安維持組織本部の復旧作業は、夜通しの突貫作業で終わりを迎えていた。それと同時に、正式に特殊魔法治安維持組織の人事が大きく変わることと、通信や封鎖制限が解除されたことが伝えられた。緊急道路工事と銘打たれた台場の道路の封鎖も、また解除されていた。
「貴方が、次の局長になるんですか」
「どうやらそうみたいだ」
局長室の椅子に座る新崎和真は、入口付近に立つ南雲ユエからの質問に、淡々と答える。まるで周囲の状況がそうさせたかのような物言いであった。
「話と言うのはなにも、私の胸元に増えた紋章を君に自慢するためではないよ」
「でしょうね」
汚れた黒いスーツに、煤まみれの白い髪の毛。昨日から一睡もしていないユエは、それでも力強い目力で、局長室の椅子に座る新崎和真を見つめていた。組織が混乱状態に陥り、彼も昨日から寝ていないはずであるが、ユエと対照的にその表情には余裕さえある。
「昨日の戦いで、君はあまり戦闘に乗る気じゃなかったようだね? 自分の身が傷つくかもしれない戦いが怖いのはよく分かるが、それでは特殊魔法治安維持組織の務めは果たせないのではないと思うが?」
「……すいません。動揺、していたもので……」
ユエは軽く頭を下げ、すぐに上げる。
処罰は様々だった。康大と佐伯処刑に動いた者は、当然ながら罰則はなし。処刑に消極的であったユエや一部の特殊魔法治安維持組織メンバーは、しばらくの謹慎処分を受けていた。晴れて自由の身にはなったが、実質の停職扱いと同じである。
「罪のない学生を追いかけまわした時は罰則なしで、仲間を殺すことにミスったら罰則ですか」
「彼らは仲間ではなかった。そして、少なくとも私は同じ過ちを繰り返さぬように、先代の局長とは違い厳しくなるつもりでいる」
「そのための処刑、ですか」
「主犯格の志藤康大と影塚広は未だに逃走中。けれどこの国は狭い。すぐに見つけ、処刑するつもりでいる」
「……」
何も言い返すことが出来ず、ユエは口を結ぶ。
眼鏡を光らせ、新崎はユエの顔色を窺いながら、次の言葉を言うのであった。
「君にはしばらく休息が必要だろう。奥さんと共にゆっくり休み、今後の事をじっくり考えるんだ」
ユエに悟られぬ程度に微笑む新崎は、最後に、とユエにこんな事を言うのであった。
「君以上に命令を無視してくれた第七分隊のとある女性は、今頃メーデイアの獄中さ。裏切者の魔女、だからね――」
南雲澄佳は私服姿でロビーに立っていた。他にも、言われるまでもなく特殊魔法治安維持組織本部から退去しようとするメンバーでロビーは溢れかえっていた。
「お願いですみ、皆さん。どうか、考え直して……。みんなは特殊魔法治安維持組織を必要としています!」
「知るか! 局長のいないこんな腐った今の特殊魔法治安維持組織にいたって意味ねーよ」
「ようやく外に出られるんだし。私、今ままで何のために頑張って来たのかな……」
受付嬢の懇願にも、首を縦に振る者はいない。
仲間内での凄惨な戦闘を終え、もはや信頼関係を修復することなど不可能であった。他にも数名の特殊魔法治安維持組織メンバーたちが、納得できない面持ちや無気力な表情で、特殊魔法治安維持組織本部から出て行っている。今でも黒スーツを着ているのは、政府の志藤康大処刑に協力した面々たちだ。
「みんなお休みで羨ましいなー」
魔法の力で修復されたロビーのソファのひじ掛けに腰かけ、続々と本部から出て行く隊員たちを、堂上が面白げに見ている。顔馴染みがいれば、それらに手を軽く振ってくる始末だ。
「みんな……」
彼らの気持ちは痛いほど分かる。同じ志を持っていたはずの仲間が裏切り、敵であったテロに協力していたと言うのだ。それでも仲間を信じた者たちと、己の正義の為に戦った者たち。どちらにも譲れない主張はあり、それ故溝は深い。
澄佳がそっと声を出すが、自分ひとりの小さな声など、すぐにロビーの怒声の渦の中へと消えていく。
「ユエ、さん?」
やや遅れて、局長室の元へ向かっていたユエが手荷物と共にやって来る。その表情は、この上なく険しい。
ユエは澄佳を素通りして、焦った様子でロビーの外へ出る。
「ユエさん!? どうしたんですか?」
「クソッ、出やがれっつーの影塚!」
ユエと個人的にも交流があった影塚の電子タブレットへ連絡を入れようとしているが、当然のことながら、相手からの応答はない。
慌てて追いかけて来た澄佳の視線の先には、久しぶりに電子タブレットに電波が入っている光景があったが。
「……ニュース見てみろ澄佳……」
「ニュース? そう言えば、久しぶりに見ますね」
澄佳も自分の電子タブレットを起動し、デフォルトアプリであるニュース欄をタッチする。
「レ―ヴネメシスが壊滅!?」
「それだけじゃねぇぞ……。旧東海タワーの崩落も、全部テロがやったって事になってやがる……」
「あれは゛捕食者゛が……!」
ロビーから一歩外へ出れば、朝日が射し込む。数週間連絡を遮断されていれば、目に入る情報はどれも目新しい。
「今になって、いえ最初から思っています……本当に志藤局長がテロを支援していたのでしょうかね……。だとしたら、なんで……」
「そのなんでがわかんねーから、俺もいまいち戦えなかったんだっつーの。そりゃあもし本当にテロの味方をしてたんなら、許されねーっつー話だけどよ……。けど、あのおっさんがテロの仲間だなんて、信じられるかっつーの……」
しかし確認の為に後から聞いた情報では、志藤局長は数名の特殊魔法治安維持組織の目の前で自白をしたとのこと。そして、佐伯が先に攻撃魔法で攻撃を行ったと言う情報も。
ただでさえ情報が少なかった中で、こうした新鮮な生の情報と言うのは、すがるにすがるしかない甘美な響きであった。
「逃亡の末、佐伯隊長は死亡。志藤局長と影塚さんは行方不明ですからね……」
「どうせすぐに捕まっちまうだろう……」
そして彼らが捕まった先に待ち受けているのは、処刑された佐伯と同じ運命なのだろう。
「……よっしゃっ、柚子隊長とは連絡繋がった。向こうも無事みたいだ」
「良かったです……。でも、どうしてそこまで焦っていたのですか? ニュースは、確かにおかしいですけど」
「ああ全部おかしいんだよ……」
電波が復旧した自分の電子タブレットを見つめるユエは、苦虫を噛み潰したような顔だった。数日間にわたって続いていた電波障害は、局長の身動きを封じるための苦肉の策だったと、説明があった。
雨上がりの朝はひんやりと冷えており、息をするたびに白い煙が視界を遮っていた。
はるか下で二つの人影が、電子タブレットで会話をしている。局長室の大窓から見下ろす鷹の目は、その二人が南雲ユエと澄佳夫妻であること。そして、会話の相手であるホログラム映像の人物が松風柚子であることも捉えていた。
「首尾は上々」
人の頭以上の大きさはある大鷲の使い魔が、肩に止まる。強力な破壊魔法《ゲイボルグ》で影塚たちの乗る車を大破させ、逃げ道を塞いだ光安の男――新崎和真は、窓から視線を逸らし、自分の部屋となった室内を見渡す。そしてスラックスのポケットに手を入れながら、新崎は黒革の椅子に座る。
「しかし、レ―ヴネメシスを壊滅させてしまって良かったのですか? 星野一希くんも動員させて」
『どちらにせよ滅びの運命は避けられなかった。ならば妾たちの手で引導を渡してやるのも悪くはない。いい準備運動にもなった』
政府にその当時の八ノ夜の行動の情報を流したのは他でもない、新崎和真であった。
「しかし、影塚と志藤の行方は分からぬまま……」
『あの包囲網を突破するとは、中々やる』
「光安が血眼になって探してますよ」
しかし、邪魔者は揃って消えて行った。これで薺の支配力は強化され、自分が特殊魔法治安維持組織を治めると言う野望も成就した。完全でないが、止められるものはいはしない。
「さて、問題は組織の後処理ですね。思った以上に佐伯の人望が厚かったようで、影塚を初めとして敵対の意思が大きいです」
肩に止まった鷲の顎下を撫でてやりながら、新崎は告げる。
『特には……第七の生き残りか?』
「ええそうです。ちょうど最後まで生きのいい小動物が一匹いたので、メーデイアに送りました」
椅子をゆっくりと回転させながら、新崎は自分の爪先を眺めていた。足元には、一枚の家族写真が折れ曲がって落ちている。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか」
ワイルドハントは続く。
※
山梨県の八ノ夜の家には、リビングに五人の男女が集まっていた。
おおよそトレーニングと言うべきではないほど濃い内容の早朝トレーニングを終えた誠次と兵頭が、外から家に帰ってきたところ、引き留められたのだ。
「どうしたんですか?」
「飯を食べながら訊け。柚子の作る飯は美味いぞ」
Tシャツ姿の草鹿が、戸惑う誠次と兵頭をテーブル席へと促す。
「やっぱり学生のお二人に話すのは……」
中央の席に座る柚子が、傍らの八ノ夜に確認をとっている。神妙な顔をしているのは一体何事だろうかと、誠次は兵頭と共に席に座った。
「話しても問題はない。二人とも十分に信頼できる」
柚子の後ろに立ったままの八ノ夜が、躊躇している柚子を促す。
誠次も兵頭も、最初はどんな内容の話しなのか分かるはずもなく、朝食に手をつけながら話を聞こうとしていた。誠次の隣ではすでに、兵頭がパンをむしゃむしゃとかじっている。
柚子は最後まで思い悩んでいたようだが、やがて決心したのか、重たい口を動かした。
「昨日、特殊魔法治安維持組織本部で戦闘がありました。テロに情報を横流ししていたとして、局長と局長を庇おうとした人が狙われて」
「局長が、テロと繋がっていた……?」
衝撃の言葉を聞いた誠次が、ナイフとフォークを握っていた手を止めてしまう。
「私はまだ信じてないけどな」
面白くなさそうに、草鹿が言う。
「局長さんがそんな事をするはずがないのは、私も思っています。……けれど、その通りだと局長さんが自白したとのことで、署内の大勢の人は局長を捕まえようとしたようなんです」
「それで局長は今どこに? 捕まって、メーデイアですか?」
誠次の問いに、柚子は首を横に振る。
「逃亡したそうなんです。仮に捕まっても、武力で抵抗をしたという事で即処刑だったと……」
「処刑……。裁判にかけられることもなく、仮に協力者だったとしても、情報を聞きだすこともなくですか」
兵頭があごの下に手を添え、考えるようにして呟く。
「そして、逃亡を手助けした分隊長の一人が、処刑されたと……」
「林間学校明けの報告の時に会った佐伯だ。覚えているだろう?」
泣き出しそうな柚子の後ろから、八ノ夜も悲し気な声で続ける。
「結婚指輪をしていた……あの」
誠次は目を見開き、そんなと、震える身体で頷いていた。
「あの人にも、家族が、いたのに……。即処刑だなんて、あんまりすぎる……っ」
「落ち着くんだ、誠次少年。……しかし国家反逆罪は重罪になっていると聞いていたが、ここまでとは……」
誠次も兵頭も、言葉を失っている。
「佐伯さん……。あの人は本当に、みんなの事を思っていて……けほ、けほっ」
咽び泣き始める柚子の背中に手を添えた草鹿が「無理するな」と言い、背中をさすってやる。
八ノ夜が話を続けた。
「先日の科連本部での戦いで本城直正氏が奪取したテロの機密情報の中で、気になるファイルが一つあった。タイトルは゛私はあなたに全てを捧げる゛だ」
「変な名前のファイルですね」
おおよそ、テロリストが付けそうにもないロマンチックなタイトルである。
「しかしそれが最重要セキュリュティの箇所にあった。何かの暗号かと思った私が調べたところ、ある花の花言葉だった。その花はぺんぺん草とも呼ばれている」
「薺の花、ですか」
兵頭が花の名を呟く。
「その通り」
「薺、総理……」
誠次は復唱する。偶然なのだろうか……。
「あのファイルの情報さえ手に入れれば、真実は分かるはずだ。今回の特殊魔法治安維持組織本部の電波障害も、局長を追い詰める為にだと言われれば納得がいく」
「外部との情報を遮断して、隊員たちの思考を麻痺させる……。なんとも大掛かりな手段ですね」
「そんな事出来るのは、一部の限られた存在だけではないでしょうか」
兵頭の言葉の後、誠次が続ける。
「本城直正氏は、今どこに?」
兵頭が八ノ夜に訊く。
「都内の病院だ。特殊魔法治安維持組織本部がこうなってしまえば、彼の身にも危険が迫るかもしれないな……」
八ノ夜があごに手を添えて言う。
「なるほど。では俺は今から直正氏のところに向かい、安否を確認したいと思います。状況によっては、そのまま警護も」
「頼むぞ兵頭」
「えっ、兵頭先輩?」
すぐに椅子から立ち上がった兵頭を、誠次は廊下を歩いて追いかけた。
「すまないな誠次少年。特訓の続きはまた今度だ」
「どうして、ここまでしてくれるんですか? その、夏の時も……」
「ん?」
玄関で靴を履き、新品のタンクトップ姿のままで外に出ようとしている兵頭は振り向いた。
「もちろん進路が決まったってこともあるけど。でも一番はヴィザリウス魔法学園への恩返しになるな」
「恩と言っても、危険な事ですよ」
「誠次少年には話そう。実は一学年生の頃の俺は、それはそれは魔法が大の苦手でな。成績も留年するかどうかのぎりぎりだったんだ。落ちこぼれってやつかな」
兵頭はなぜか誇らしげに胸を張って言う。
「けど、八ノ夜理事長を始めとした教師たちは、みんな俺の事を見捨てずに生徒会長になれるまで押し上げてくれた。まあ教師が生徒に教えを説くと言うのは当たり前といえば当たり前なのかもしれないが、俺はとにかく感謝しているんだ」
兵頭はにこりと微笑んでから、玄関から外へ出て行く。
タンクトップ姿のまま自分のバイクに乗り、兵頭は去って行った。
「ありがとうございます、兵頭先輩……」
本城直正の事は兵頭に任せ、誠次は八ノ夜のいるリビングへと再び戻って来る。
「本城さんの事は平気だとは思うが、念には念をだ」
「佐伯隊長が処刑……。そして、局長も行方不明。今の特殊魔法治安維持組織本部は一体どうなっているんだ?」
草鹿が腕を組み、誰にでもなく問いかける。
「私にも……把握できていません……。ユエたち局長さんたちの処刑に協力的でなかった人は、謹慎処分を受けたと言っていましたが……。軟禁状態であることに変わりはないのでしょう……」
「強引すぎるな……」
八ノ夜が握りこぶしを作り、忌々し気に呟く。彼女もまた特殊魔法治安維持組織の一員だったのだ。仲間が死んでしまった悔しさもあるのだろう。
「直接特殊魔法治安維持組織本部に向かって直接情報を得る他あるまい」
「危険だ美里。光安が待ち構えているかもしれない。現に私たちは襲われた」
「今迂闊に動けば、謹慎中の身分で勝手に動いたとして足元をすくわれます」
草鹿同様、誠次も八ノ夜の行動を止めようと、立ったまま訴える。
八ノ夜は何か反論を言いたげに誠次を睨むが、すぐに落ち着き、深く頷く。
「まさかお前に諭されるとはな……。だが、その通りだな」
だが、状況は分からないままなのに変わりはない。八ノ夜はなおも悔しそうに、視線を落としている。
「私も草鹿さんも、すでに光安によって目をつけられています……」
柚子の言葉に、草鹿も悔しそうに動けないでいた。
「――ですが、゛俺は貴女のわがままでここにいるだけです゛」
誠次が八ノ夜に向けて、真剣な表情で言う。
まさか、と目を見開いた八ノ夜の前で、誠次は決意を込めた表情で頷いていた。
※
鎖を手足の両方に嵌められ、囚人用の服を着せられた波沢茜は、鉄格子の中の粗末な木製椅子に座らされ、幻影魔法による拷問を看守の男たちから受けていた。
綺麗な青色の髪はすっかり汚れている。何回もの幻影魔法による精神へのダメージで、目にもいつもの覇気がなくなっている。
「正直に答えろ波沢茜! お前が影塚広と普段から親しい関係にあり、昼の戦いでも逃亡に積極的に手を貸していたことは分かっている!」
「……何も、言うものか……」
「果たしていつまで持つかな?」
看守の男は主導権はこちらにあると言わんばかりの嫌味な笑顔を見せつけると、ぐったりとする茜に向けて再び幻影魔法の光を浴びせる。
「ぐっ、っああああああ!?」
鎖に繋がれて動けない手と足をばたつかせ、茜は金切り声を上げていた。身体も弓のようにしなり、顔からは尋常ではない量の汗が吹き出すが、茜を囲む男たちは気にもしない。
裏切りの魔術師の監獄――メーデイアでもここはどうやら、最深部らしい。劣悪な環境である周りの牢屋に他の人の気配はなく、まさしく波沢茜だけに与えられた、専用の拷問の階層となっている。
「この女相当な魔力だな……。これだけ幻影魔法を施してもまだ正気だぜ? それどころか俺たちを敵対視してやがる」
ならばと看守の男が茜に破壊魔法の魔法式を向ける。
それに慌てて妨害魔法の光をあてたのは、幾分か冷静な別の看守であった。
「よせ。殺すのは駄目だ」
「そうだ。私に幻影魔法でもして無理やり脳をいじくってみせろ。そうすれば広と志藤局長の逃走先は分からなくなるぞ……」
本当は、逃走先など知らない。しかし看守たちはこちらが二人の逃走先について知っていると信じ込んでいる。
「俺たちを舐めるな……」
男が幻影魔法を発動し、茜をさらに苦しめる。
「っ!? くあああああああっ!」
目を大きく開いた茜は、縛られた身体でじたばたともがき苦しみ、悲鳴を上げる。
「外道が……」
口で荒い呼吸をしながら、茜が呟く。
看守の男はいったん幻影魔法を止め、茜に向けて冷酷な笑みを見せる。
「君の母親の誕生日は聖夜だとか。幼少期に父親を゛捕食者゛で失い、女手一つで君と妹さんを立派に育て上げた母親は、今の君の状態を見てどう思うかな? それとも、母親もお同じ目に合わせてやろうか?」
男は自分の捜査用タブレットデバイスから、ホログラム映像を出力し、茜に見せつけるようにしてくる。そこには自分の履歴書ともい言うべき、個人情報が事細かに掲載されている。当然、自分の家族の事も載ってあり――、
「母親と、香織に手を出すな……っ! 貴様らぁっ!」
茜が今までにないほどの怒りを見せ、看守たちを睨んでは叫んでいた。
「お前は何か勘違いをしているようだが、我々は正義の為にこうして取り調べをしているんだ。善良な市民である君の妹と母親に手を出すつもりはないよ」
だが、お前は道を踏み外してしまった……。と、男は残念そうに肩を竦めて見せる。
「裏切りの魔術師。重罪人の逃亡を手助けした貴様の罪は重く、もはや許されるものではない」
「裁判の真似事なら、せめて裏切りの魔術師たちの牢獄ではなく法廷でやってほしいな……」
茜は薄く笑いかける。
「裁判など必要ない。それとも、言う気になったか?」
「誰が、言うものか……」
茜は最後まで、勝気な表情を崩さなかった。しかし家族を出され、最初ほどの覇気はない。こうなればもはや、時間の問題でもあった。
看守たちは茜の胆力に舌を巻き、牢屋をしっかりと施錠し、鉄格子から去って行く。
「イブを楽しみにしておけ、裏切者」
最後の言葉はそれだった。魔法の発動は出来ず、地下の為、外がどうなっているのかもよく分からない。
手枷足枷を外された茜は力なくふらつき、粗末なベッドの上に寝転がる。執拗な幻影魔法により精神を擦り切られ、とても疲れ果てていた。
「広……。上手く逃げてくれよ……。私はどうやら、ここまでみたいだ……」
光を遮るように腕で顔を覆えば、見せてはいけない涙が流れそうで、茜は必死に堪えていた。
※
メーデイア刑務所署長――矯正監である中年の男性、溝口吉信は焦っていた。
特殊魔法治安維持組織本部からの伝達により、是が非でも志藤康大の行方を波沢茜から聞きだせと。
「幻影魔法でも薬でもいい。絶対に口を割らせろ。光安の連中だって来ているんだぞ! 代わる代わる幻影魔法を浴びせるんだ!」
裏切者――志藤局長の身元さえわかれば、政府が報酬を出してくれる。金か地位か、そのどちらも、溝口にとっては魅力的で、どれだけあっても足りないものであった。
「馬鹿な連中だ。大人しく政府の言う事に従っていればいいものを」
鼻の下のちょび髭を触り、溝口はほくそ笑む。
「従う結果が牢獄行きとは、報われんか」
同年代の男の哀れな末路を思えば、つくづく自分のキャリアは間違っていなかったと感じる。
「猶予はクリスマスまでか……。それまでに、何としてもあの小生意気な女から情報を聞きださなければ……私のキャリアは……」
矯正監室で顔を俯ける溝口は、何としても志藤康大を光安に差し出そうと、躍起になる。
「女が口を割らないのであればやむを得まい……。逆にこちらにおびき寄せればいいんだ……どんな手を使ってでも」
ぶつぶつと気味の悪い独り言を呟いた後、何かを閃いたように不敵な笑い声をあげる。
裏切者の魔術師たちの牢獄に、薄気味悪い笑い声が響き渡る。




